《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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本日、皇紀2679年、「建国記念の日」をみんなでお祝いいたしました。 (10632)
日時:2019年02月11日 (月) 16時04分
名前:破邪顕正


奉祝式典では、谷口雅春先生の「神国日本の実相を顕わす祈り」が拝読されました。

これは、『光の泉』誌・昭和48年3月号に掲載されたものです。

冒頭のみ引かせていただきます。

《大日本帝国は神国なり。

神の建(た)てたまえる国家であるのである。

宇宙を照らし給える天照大御神が「豊葦原の瑞穗国(みずほのくに)は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」と詔(みことの)らせ給うて、瓊々杵尊(ににぎのみこと)を天降(あまくだ)し給いし時をもってわが日本(ひのもと)の国家は肇(はじ)まるのである。

その時、瓊々杵尊と倶(とも)に天降(あまくだ)り給いし五伴緒命(いつとものおのみこと)は吾等日本民族の祖先にましますのである。

伴緒命(とものおのみこと)とは玉(たま)の緒(お)≠共(とも)にするという意味であって、瓊々杵尊を中心座に、尊(みこと)と同じき霊統(れいとう)の玉の緒を共にする五柱(いつはしら)の兄弟たちの命(みこと)たちの霊、その中心座を繞(めぐ)り護(まも)りて地上に降誕(こうたん)したまうたのである。

かくて天皇家と、われわれ国民とは玉の緒を共にする兄弟姉妹同胞なれば、大日本帝国は国≠ナあると共に家庭≠ナあるのである。…》

ご皇室を中心とした一大家族国家、それがわが祖国・日本の本来の姿なのですね。

で、嬉しかったのは、ここです。

五伴緒命(いつとものおのみこと)は吾等日本民族の祖先にましますのである。

『皇室入門』(椎谷哲夫・著)によれば、宮中祭祀には、「大祭」と「小祭」とがあり、「大祭」では「御告文(おつげぶみ)」と言って、「天皇ご自身が神霊に対して五穀豊穣などを祈願」(179頁)される。

この中において、国民のことを「おおみたから」と表現されているというのです。

私は、「神国日本の実相を顕わす祈り」を拝読して、国民のことを「おおみたから」と表現されているのは、国民がこの五伴緒命(いつとものおのみこと)の子孫であることと関連しているのではないのかと思わないではいられませんでした。

罪あらば我を咎(とが)めよ天津神 民は我が身の生みし子なれば

大逆を侵そうとして捕らえられた、社会主義者たちのことを詠まれた、明治天皇の御製です。

御身を害しようとするものでさえ、自分の子であると庇(かば)う御心をお持ちなのが、天皇陛下なのです。

昭和天皇もマッカーサー元帥に対して「我が身はどうなってもかまわぬ。国民を救ってほしい」と仰いました。

天皇さまは、いわば人体で言えば頭(カミ)にあたります。

頭に向かって物がとんでくれば、咄嗟に、手身(テミ…これがタミ/民)をもって頭をかばいます。

手身が傷つこうとも、頭なる中心生命を守る…。

頭さえ大丈夫であれば、生命は存続しえるからです。

一方、その手身を「おおみたから」として、もったいなくも天皇さまは御身を挺してお護りになろうとされるのです。

親は子を思い、子は親を思う。

まさしく、そこにこそ、日本の一大家族国家たる、国体(くにがら)の素晴らしさがあるように思えてなりません。

明治維新を切り開いた幕末の志士たちが、その範を「建武の新政」でもなければ「大化の改新」でもない、神武創業の古に求めたのも宜なるかな。

欧米列強に対峙するには「一大家族国家」の国造りをもって当たるに如くはなし!

そう考えたからではなかったでしょうか。

今日の式典に参列し、維新の志士たちに思いを致し、改めて神武建国の国家理想に深い感銘を覚えた次第です。

国民のことを「おおみたから」と表現くださる天皇さまがおられる限り、その理想は21世紀の今も尚、脈々と流れている…。

それを改めて確信した次第です。


現教団の変質は「教えられたこと」「教えられなかったこと」にあり (10643)
日時:2019年02月18日 (月) 15時57分
名前:破邪顕正


日本青年会議所(JC)が行った調査によると、日本が建国された日を知っている日本人は2割未満しかいないという結果が出たそうです。

それに対して、日本在住の中国人は100%、米国人は90%以上が自国の建国・独立の日を正しく答えられたとのこと。

また、全国の男女1331人に「建国記念の日はなに天皇が即位した日?」と調査を行ったところ、もっとも多かったのが明治天皇で40.4%。

以下、その他が28.8%、昭和天皇が20.4%、大正天皇が7.2%、今上(平成)天皇が3.2%と続いたというのです。

どうして、こういう結果が出るのでしょうか。

結局、日本の建国について、何も「教えられなかった」からではないでしょうか。

その反面、広島・長崎に原爆が落ちた日は、みんなよく知っています。

夏休みでも、「平和授業」という名目で、強制的に登校させる、そういうところもあるやに聞いております。

何を申し上げたいか。

日本という国を考えたとき、本当に大事なことは、「教えられなかった」ところにあるのではないのか。

同様のことが、今の生長の家教団にも言えると思うのです。

環境のことは嫌やというほど教えられます。

しかし、「天皇国日本」のことについては「教えられなかった」!

尊師・谷口雅春先生ははっきりと言われました。

天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず

「天皇国日本」を説かないのでは、生長の家の教えに非ず!

このことを声を大にして何度も強調しておきたいと思う次第です。

日本建国の重要性を少しでもご理解いただきたく、『人生を前進する』から少しく引かせていただきます(169頁)。

《神から発し神につながる我が生命が具体的に生きるためには、その生きる場≠ェなければならない。

それが国であります。

日本の国があって吾々は生き、吾々の祖先も生きて来ている、神武天皇の建国は神話であるという人もあるけれども、ともかくわれわれの祖先たる天照大御神→瓊瓊杵尊→そして神武天皇という風に我々の生命の続きの祖先が日本の国を建てた。

吾々の住んでいる日本の国は、祖先と自分と一体の自覚においては、日本の国は吾々の祖先の生命の展開であり、正に自分の生命の続きなんです。

だから自分を愛する者は日本国を愛しなければならないということになるのであります。

若し神武天皇が日本国をお建てにならなかったら、現在の日本人は存在しないということになります。

そこに「生命の本源」を知ることによって、天皇家に対する恩愛の情、報恩の心というものが自然に発生して来なければならない。

そして吾々自身と吾々の祖先とが生き、かつ生かされて来た日本国を愛さなければならない必然の要求がでて来るのであります。

これが本当の愛国心であります。》

私自身、このような愛国心を高校生のときに教えていただきました。

日教組教育の洗脳≠ゥら、救っていただきました。

天皇家に対する恩愛の情、報恩の心≠ノ目覚め、本当の日本人になることができました。

その生長の家が、今や反日°ウ団に堕しているのです。

だって、日本共産党から友好団体≠ニして称揚されるまでになっているのですから!

『限りなく日本を愛す』をお読みなったらわかります。

占領政策に洗脳≠ウれた当時の青年会員の手紙に、尊師がどれほどのショックを受けられたか。

そのことを思えば、尊師がご存命で、今の教団の左翼=護憲≠ヤりを御覧になったら、何と仰るか?

思い半ばに過ぎるものがありましょう。

まさしく、私は、今の教団は、谷口雅宣総裁の占領下にあると思っています。

聖典絶版は、まさに尊師の公職追放、執筆追放と同じではありませんか。

言わば、第二の占領政策ともいうべき、「生長の家弱体化政策」に、敢然と立ち向かう者であってはじめて尊師の弟子を名乗る資格があるのだと思うものであります。


占領下、闘いぬかれた昭和天皇さまと尊師・谷口雅春先生のお心にお応えする人生を! (10648)
日時:2019年02月19日 (火) 11時41分
名前:破邪顕正


降り積もる 深雪(みゆき)に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ

終戦の翌年に詠まれた昭和天皇さまの御製です。

深い雪に覆われても青々とした色を変えない松の木のように、占領の今の苦しみに耐え抜いて日本人らしさを失わぬようにと願われたお歌と拝します。

占領下、昭和天皇さまも占領政策と戦っておいででした。

その最たるものが、ご皇室をキリスト教に宗旨替えさせようとの策謀との戦いではなかったでしょうか。

宮中で聖書講義も行われました。

バイニング夫人を家庭教師に招いたのもその一環と言われています。

ご皇室をキリスト教に染めあげれば、一気に日本の民主化≠ヘ進むと占領軍は思ったのでしょう。

しかし、昭和天皇さまは、それを敢然としてはね除けられ、宮中祭祀を断固として護り抜かれました。

もちろん、占領軍によって、それまでの国家としての祭祀としては外されました。

しかし、それでも、たとえ私的祭祀であろうとも、そのまま護り抜かれたということに私は得も言えぬ感動を覚えるものであります。

そして、昭和天皇さま同様、占領政策と果敢に戦われたのが、言うまでもなく尊師・谷口雅春先生にほかなりません。

尊師の戦後の御歩みは、占領政策によって喪失せしめられた、本当の日本を取りもどす、まさに失地回復の運動であったと言っても決して過言ではありません。

「建国記念の日」の制定、元号の法制化等は、その精華と言っていいでしょう。

ところが、豈図らんや、その尊師の貴いご足跡に、恰も泥を塗るかのように、現総裁は、再び、生長の家を占領下に押し戻すようなことをしてのけているわけです。

『憲法を知ろう』の頒布こそは、まさしく「占領政策」の固定化以外のなにものでもありはしません。

教団がそのような状況におかれているというのに、何の行動もとらないというのは、尊師に対する忘恩であるとしか私には思えません。

天皇さまを思う、尊師を思う、一掬でもいい、その志あらば、どうして第二の占領下≠ニもいうべき今日の現状に黙っていられましょうか。

『憲法を知ろう』の頒布に抗議の声一つあげ得ないのでは、一体、あなたは生長の家の何を学んできたのか、心からそう問いかけたいと思うものであります。




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