《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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人生創造の祈り と 祖霊の供養   谷口雅春 先生 (10559)
日時:2019年01月27日 (日) 10時48分
名前:明鏡


一日の法語  善(よ)き言(ことば)の創化力を祈りに利用せよ


“ ことば ”は アイディアを乗せた生命の波動であり、アイディアに描かれたる事物を

生命エネルギーを組み立てて 創造する本質であり、材料であり、力である。


それゆえに 何を“ ことば ”で唱えるか、何を“ ことば ”で念ずるかによって、

その人の運命が支配され、善きアイディアを内容とする“ ことば ”を毎日念ずることにすれば、

家庭は調和し、事業は繁栄し、家庭及び自分の健康は増進するのである。


最近(昭和四十九年当時)発行された『 ジュニア希望の祈り 』というのは

小中学生の年齢の児童たちが、“ 善き言葉 ”で毎日念ずることによって、

健康で、善良な性格の、成績優良な子供になるための

“ 祈り ”につかう、簡単な“ことば”を集めたものであるから


子供をお持ちの方は、是非一冊をひとりひとりの子供のポケットに入れてあげて

必要に応じて、どの言葉で祈るがよいかを辞書をひくように検索し得るよう小見出しを

つけて工夫されたものである。


大人の人たちの祈りのためには『 私はこうして祈る 』という本があるから、

それによって検索して適当なコトバでお祈りになるとよいと思う。


しかし本号には読者がすぐに利用できる短い“ 祈りの言葉 ”を書いて

皆さまに差し上げることにした。




『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 一日の法語  谷口雅春先生


(※ 十日の法語からは、「祖霊の供養」になっておりますが、『 人生を支配する先祖供養 』の

「 第五章 質疑に答える 」に所収されておりますので、省略させていただきます。明鏡拝。)




二日の法語  無限の可能性を実現する祈り  (10560)
日時:2019年01月27日 (日) 11時15分
名前:明鏡


【 祈り 】


私は毎日 常に 自己が“ 神の子 ”であり、自己の内に無限の可能性を有し、

常に一層 ゆたかに 健全に その可能性が 現実化するのである。


わたしは 此の事を念じ 唱え 信ずるが故に わが希望する一切の善き事は

必ず 実現するのである。





あなたの職業が何であろうと、今いるあなたの位置が何であろうと、あなたは今の時点に於いて、

あなたでなければ創造することの出来ない個性ある価値創造をなすために、神の生命と智慧と

愛とが噴出するための 噴出口であるのである。

謂(い)わば、神の個性ある自己実現の中心なのである。


それ故、自己の無限の可能性を信じ、その可能性が、あらゆる事物について

健全なる方向に発揮されるようこの祈りを、毎日、寸暇を利用して 瞑目して

深呼吸の如く深く静かに息しながら 数回宛(ずつ)念ぜられるがよい。


言葉は その繰返しによって 一層 深く 潜在意識に印象せられ、宇宙の潜在意識に

それが感応せられて、それを実現するために 宇宙のあらゆる要素が あなたを中心に

寄せ集められて、ついに 祈りの言葉の通りが 具体化することになるのである。




『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 二日の法語  谷口雅春先生





三日の法語  “ 類 ”によって幸福を招き寄せる  (10561)
日時:2019年01月27日 (日) 11時20分
名前:明鏡


【 祈り 】


宇宙には“ 類は類を招き寄せる ”という法則があるのである。


わたしは神の子たる自己の実相を自覚し、常に明るい心を維持し、明るい事柄のみを

想念するが故に 常に明るい幸福なるもののみがわれに集まり来(きた)るのである。





日本には、古来、“ 類を以って集まる ”とか、“ 笑う門には福来(きた)る ”とか、

“ 泣き面に蜂“とか“ 瓜(うり)の蔓(つる)には茄子(なすび)は生(な)らぬ ”とか

いう諺(ことわざ)があるのである。


福の神の如く、常ににこやかに笑って、明るい心を持続していると、

明るい運命が引き寄せられて来るのである。


これに反して、常に“ 憂い顔 ”をし、“ 泣き面(づら)”をしていると、

類に従って、ますます“ 憂える事 ”は増加し、泣き面をかかねばならぬような

出来事が身辺に集まって来(く)ることになるのである。


それ故に私たちは、今 如何なる非常事態が出現し、前途が暗澹(あんたん)として

見える時にも、今の暗黒状態は、過去に蓄積された“暗い心の思い”が形にあらわれて、

その業(ごう)が消えて行く姿であるから、


台風一過したあとに必ず青空が晴れ渡るように、何か、非常事態が出現して来た時には、

「これで過去の業は消えてしまって、今後は、明るい善い事のみがあらわれて来るのである。

ありがとうございます 」と感謝のみことばを繰り返すがよいのである。




『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 三日の法語  谷口雅春先生





四日の法語  過去を心から放ち去る祈り  (10562)
日時:2019年01月27日 (日) 11時25分
名前:明鏡


【 祈り 】


過去は既に過ぎ去ったのである。過去は既に無いのである。

それは鳥が飛び去った跡の蒼空(あおぞら)のようなものである。


私は過去に私に害を与えたすべての人を宥(ゆる)し、心から放ち去ったのである。

私がすべての人の過ちと罪とを宥し去った如く、神も私の過去の一切の過ちと罪とを赦し給うて、

今、私には一点の濁(にご)りもなき清浄潔白な実相があらわれたのである。


それ故に今後は、私には 善き事、裕(ゆた)かなる事、美しき事、調和せる事、

幸福なる事のみがあらわれて来るのである。





人間は“ 神の子 ”であるから本来自由自在で、凝滞(ぎょうたい)なく

すべての事物の進行が円満に行われ、その希望することは必ず成就するように

創造(つくら)れているのである。


すべての事物の滞(とどこお)りや難航は、現象界の事物の動きに、“心”が捉えられ、

それに“心”が引っかかっていて、“心”が自由自在を失ってしまった結果なのである。

それだから、あなたは、心の中に“過去”を把んでいてはならない。


神想観を実修して、神の智慧の導きを受け、“ 今 ”目前にあらわれている事物に、

その智慧を集中して、誠をはげみ、過去もなく、未来も無く、ただ“今”神の智慧と

一体となって神と偕に動いているという自覚の下に、自己の働きを集中するとき、

自己のはたらきは必ず、神の働きとなり、如何なる事物も都合よく すらすらと

進捗(しんちょく)するようになるのである。




『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 四日の法語  谷口雅春先生






五日の法語  不安恐怖を去り問題を解消する祈り  (10563)
日時:2019年01月27日 (日) 11時30分
名前:明鏡


【 祈り 】


神言い給う 「 我に来(きた)れ、我れ汝を安息(やす)ましめん 」 と。

わたしは 此の “ 神の言葉 ” にこたえて一切の “ 自我の心 ” を棄て、ひたすら心 神に向かう。

私は 神に無条件に全托し、すべての問題を神に委(ゆだ)ねて 神にそのまま 倚(よ)りかかる。


それ故に 何の不安も心配もなく、神の平和と調和と健康と悦びとは

そのまま わが平和となり、調和となり、健康となり、悦びとなったのである。


すべての問題は、すべての人間を幸福にし給う神の智慧と愛とによって解決せられて、

皆が悦び、私もまた悦ぶのである。


われ神に感謝し奉(たてまつ)る。ありがとうございます。






あなたは自分の手をひろげて、またそれを握って見てご覧なさい。

握っている掌(てのひら)の中には極(ごく)わずかの分量しか入らないでしょう。

併(しか)し その掌をひらけば その上に虚空が載るのです。


禅宗には 「 空手還郷(くうしゅげんきょう)」 という語(ことば)があります。

心の把みを放して、心が空っぽになって故郷(ふるさと)に還りなさい。

そこは 自由自在の境(きょう)であり、無限供給の世界であるという意味である。

故郷(ふるさと)というのは 自分の 「 実相 」 のことです。


みんな悩んでいる人は、過去をつかみ、人の過ちをつかみ、自分の失敗をつかみ、

問題をつかみ、自分勝手に、神の子本来の自由自在を棄(す)てて悩んでいるのです。



本来神の子の実相郷里(きょうり)に還れば、其処(そこ)は既に天国であり、龍宮城であり、

無限の宝の世界なのであります。



『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 五日の法語  谷口雅春先生




六日の法語  自己の想念の型を変えましょう  (10565)
日時:2019年01月27日 (日) 22時11分
名前:明鏡


【 祈り 】


わたしは “ 神の子 ” であり、神に導かれて想念感情の従来の型を

一変したのである。私は今後、幸福のみを想うが故に幸福のみが来(きた)るのである。

私は今後、裕(ゆた)かさのみを想うが故に無限の裕かさが来(きた)るのである。


私は平和と調和のみを想うが故に平和と調和のみが来(く)るのである。

私は常に人に親切と愛とを与えることを想うが故に、すべての人から親切にされ

愛されるのである。ありがとうございます。




人には従来の生活習慣から持続して来たところの想念の癖(くせ)又は型があるのである。

人の欠点のみを見る癖をもっている人もあれば、その人が来れば、必ず問題を惹(ひ)き起す

ような物の考え方をする人もある。


それによって、それらの人々は自分の想念の癖の通りの運命を

自分自身で造り出しているのである。


だから、以上のような言葉を神想観中に念じて、暗い方面を兎(と)もすれば観る心の習慣を

クラリと転じて、人及び事物の明るい面を見る心の習慣をつけるように致しましょう。

必ずあなたに明るい運命が訪れてまいります。


人間の運命は外から運命の神様がそれぞれの人々に割当てられるのではなく、

自分の想念が内から造り出して 外にその映像をうつし出すのであります。



『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 六日の法語  谷口雅春先生




七日の法語  人を審(さば)く心を棄てるための祈り  (10566)
日時:2019年01月27日 (日) 22時24分
名前:明鏡


【 祈り 】


 神は“ 人を審くこと勿(なか)れ、人を秤(はか)りたる量目(はかり)にて

また汝も審かれん ” と仰せられました。


私は今後、決して人の善悪を現象の姿を見て判断しようとは思わないのである。

すべての人間は “ 神の子 ” であり、悉く皆、神の善徳を、実相のうちに

包蔵しているのである。


私は常に人を観るに、その実相完全の姿のみを観て、感謝し礼拝し讃嘆するのである。

それ故に、人もまた私を見るのに、実相の円満完全な姿のみを見て、私を賞め讃え礼拝して

くれるのである。その結果、私には、常に一層実相の完全な相(すがた)があらわれ、

一層よくなるほかはないのである。ありがとうございます。






あなたが若(も)し人を見て、その欠点を見出し、それを批難し攻撃したい感情が

起って来たならば、此の祈りを思い出しなさい。


そして、“ 私は神の子 ” であるから、人を見るのに神の子なる実相のみを

観ることが出来るのである。


人の欠点を観て、それを攻撃批難しようという心が起って来たのは、

これは私の“ 本当の心 ”(実相の心)ではない。


それは“ ニセモノの心 ”であるから、そんな心の惑わしに引っかかる事なく、

あの人の実相の完全を観る力を私は本来授けられているのであると思い返して


あの法華経にある「 常不軽(じょうふきょう)菩薩 」のように、

現象の姿を一時見ないために肉眼をとじて、心に相手の完全な相(すがた)を描いて

心で礼拝し讃嘆するようにつとめなさい。


屹度(きっと)相手たるその人の性格や行動に変化が起り、立派な人になって頂けます。



『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 七日の法語  谷口雅春先生




八日の法語  “ 神は愛なり ” の祈り  (10567)
日時:2019年01月27日 (日) 22時29分
名前:明鏡


【 祈り 】


 私は“ 神の子 ”である。神は愛である。

私の内に神さまの愛を実現するセンターがあるのである。


それ故に私はすべての人間に対して、常に愛行を怠らず、

愛行を実践するたびに生き甲斐を感ずるのである。

ありがとうございます。





生き甲斐というものは、自分自身が本来の生命の姿そのままに、

それを歪(ゆが)めることなく、曲げることなく、抑える事なく

発顕(はつけん)せしめ得たときに感じられるところの内部的“ 自覚感情 ”である。


『 生命の實相 』の“ 生活篇 ”の中に一国の王子に生まれて、

物質的には何不自由なく、求めて得られざるものとてもない裕(ゆた)かなる環境条件の

中で育ちながら幸福感が得られないで、いつも悒鬱(ゆううつ)な顔をしているので


父王(ふおう)が心配して、この王子の心を幸福感に充たされ生き甲斐を感じるように

なるように善き智慧をかしてくれたる者があったら、褒美(ほうび)の金は望み次第だと

いう布令(ふれい)を出したら、色々の案をもって来る者があったが、いずれも落第で、


最後に最高の案をもって来たのは一人の魔法使であったが、

彼は一枚の「あぶり出し」の白紙(はくし)を置いて去った。


それを火の上にかざして炙(あぶ)ると、その白紙にあざやかに、

「 毎日必ず誰かに深切を施(ほどこ)せ 」 という文字(もんじ)があらわれて来た。


王子はそのように実行すると、生き甲斐の悦びが感じられ、

顔は幸福感に充たされて悦びに輝いて来たという例話(れいわ)が書かれている。


「 深切を施す 」ということは“ 愛 ”を実践することであり、

神は“ 愛 ”であり、“ 神の子 ”たる人間の本質も“ 愛 ”であるから、

愛を生活に生きるようにしたとき、自己の生命の本質を完全に生きることになるから

生き甲斐が感じられて来るのである。



『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 八日の法語  谷口雅春先生




九日の法語  わが家を天国浄土にする祈り  (10568)
日時:2019年01月27日 (日) 22時35分
名前:明鏡


【 祈り 】


 わたしは今、静かに神の御前(みまえ)に座して神想観を修し、

自己に宿り給う生命の本質が“ 神 ”であることを自覚するのである。


神われに在(あ)り給い、われ神の内にあるのである。

内外(ないがい)ともに神であり、私は神と一体なのである。

神は善であり、全智であり、全能であり、無限愛であるから、

愛に背(そむ)くもの、智慧に背くもの、善に背くものは何一つ此の世に存在しないのである。

神と一体である自分が今住んでいる我が家はまことに“神の国”であり、天国浄土である。





あなたは平和を求めるとき、調和を求めるとき、そして一切の不調和を消し去って、

自分の住む世界を天国浄土とならしめたい時、右の如(ごと)く念ずるがよいのである。

そして自己の全生活と、全心身とを神の中に投げ入れ、没入させるがよいのである。


更に自分の家族たちに何か不完全に見えることがあるにしても、

人間的知恵をもって、その不完全の存在を認めてそれを匡(ただ)そうとしないで、

神の叡智の導きにそのまま委(まか)せ切って、神のおはからいに その人間又は問題を

完全にお預(あず)けするとき、神にまさる知恵はないのであるから、どんな問題も

スラスラと解決し、どんな人間も、神の子の実相があらわれて善化(ぜんか)するに至るのである。




『 生長の家 』誌 昭和四十九年四月号

「 人生創造の祈りと祖霊の供養 」 九日の法語  谷口雅春先生



       〈 了 〉






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