《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「死ぬよりも怖いものがある。それは死ぬ前の後悔である。」 谷口雅春先生  (10543)
日時:2019年01月12日 (土) 10時34分
名前:宇治学舎



「死ぬよりも怖いものがある。それは死ぬ前の後悔である。」

谷口雅春先生 (25108)


日時:2019年01月12日 (土) 10時02分
名前:理念継承信徒



岐阜の信徒です。


大熊良樹先生のブログより引用させて戴きます。私たちの求めている言葉が多く、感動がやみません。

ありがとうございます。







読者のみなさまへ緊急アピール



人類光明化運動(『光明思想』に基き人の善なる本性を拝んで人の素晴らしい善を引き出す運動・光となって人を照らす運動)にはインターネット・フェイスブックは欠かせません。

今や、国の命運さえも左右するのです。この電子媒体に由り、独裁体制の国家が倒れた事例も出てきました。

日本における「罪悪感を植え付ける教育・戦略」も多くの(良識ある)先人の地道な取り組みもさることながら、インターネットにてそれらの「論客」が取り組んでこられた「事実」「真実」を拡める(拡散・伝道する)事で、まるで光が闇を照らすが如く、「南京大虐殺」や「慰安婦問題」における事実(それらが悪意に基く虚構である事)も、暴かれてきました。先祖を貶めることを助長してきた「勢力(団体・会社・グル−プ)」も明確になってきました。これらは「魂の殺人罪」であり「国家転覆罪・騒乱罪」に相当すると思うのです。

中絶を「女性の権利」だとか「女性の自由」などという人たちもそうです。大量殺人罪であり、放火や最近の「無差別殺人」に近いものがあると思います。そこには「憐れみ」や「慈悲(慈しみわが悲しみとする)」が無いのです。自他一体の思いが無い。宗教性(自他一体観)が無いのであります。。。

私は多くの指導経験から「罪悪感」こそ人類のあらゆる「不幸の根源」であることを知りました。それは小さくは「家族問題」大きくは国家間の「戦争」までもそうであります。

人間は神の子(至上の精神性の具体化)であるからこそ、「罪」(語源:つつみ・・本来性を隠すこと)に耐えられないのです。

私たちは、一人もらすこともなくみな「日本人」も「アメリカ人」も「中東の皆さん」も「中国人」も「韓国人」も「ドイツ人」も「フランス人」も「イギリス人」も「オランダ人」も「イタリア人」も「ロシア人」も「インド人」もみんな、みんな、一人もらすこともなく、みな神の子(至上の精神性の具体化=神の最高の自己実現)なのであるから、在意識下にある、「神なる善意(良心)」が疼(うず)くような、事は絶対に、出来ないのです。

もし、(その思いに反する事を)すれば、0.1%の例外もなく、自己処罰(自己懲罰)をするようにできているのです。

無意識の選択(心理学で錯誤行為といいます)を生きてしまうのです。イスラム国もアメリカもその意味で同じ「同波長」である。その事に気付かねばならない。奪う事は奪われることであり、殺すことは殺されることなのである。仏教徒でなくともマザーテレサはその「根本原理(理念)」をよく御存じだった。そのことにおいて彼女は「悟れる(差取れる)人」であり覚者であったのであります。

世界中の、賢明で聡明なるキリスト教徒や、イスラム教徒はそのことを更に更に知り、伝えねばならない。人間の素晴らしさ。美しさ。本性の荘厳。「恨みに由って生まれるのは恨み」のみであります。

全人類の光明面に更に更にスポットを当てる尊き聖行こそ大事なのです。人間は限りなく素晴らしいのであります。この世は限りなく美しいのです。死んでからの「天国」でなく、この世に絶対「天国」絶対「極楽」を現わす事こそが吾らの絶対使命であり、大使命なのであります。どうですか皆さん?


私は、イスラム国という犯罪集団の愚行を認めることはできないが、同時に、その「因縁」はアメリカ大陸における(残念ではあるけれどもアメリカ大陸開拓初期の)先住民大虐殺に起因していることを思うのであります。

これらは事実ですが、暗黒面をあまりにクローズアップする事は控えなければなりません。ただ、知らねば「イスラム」の「恨み」がどこから生まれたか、解決する方法や、思いの共有ができないのです。アメリカには魅力的なところ、明るいところ、素晴らしいところ等々がたくさんあります。

日本においても。戦後、アメリカに由る「占領政策」(日本人の誇りを失わせる教育政策・報道工作)で失われたものも多くありますが・・しかし、戴いた善意や良心も多くあり、戦後教育を受けた私たちは(昭和20年〜27年まで7年間日本は占領されていたのです)、昭和30年以降の教育を受けた者は特に、素直に「アメリカフアン」であり、アメリカ文化やその明るさや強さに憧れを抱きました。

まず好奇心旺盛な青年は大概「アメリカに留学したい」と思うような教育が戦後教育です。(私も10代後半は米国留学が夢でした。。。)

だからといって、この事は誤魔化してはいけないのです。「大東亜戦争」を「太平洋戦争」などと呼んでいるうちは(日本史を中心にした国史の視座を忘却しているうちは)・・・(1)イスラム国と、(2)嘘のアメリカ(戦争を業のように積み重ねる命運)、赤ちゃんをお金と天秤にかけて(3)赤ちゃん惨殺し続ける日本(8割以上が経済状態を理由に中絶している国は日本だけ)の「業」が根本解決しないのであります。この事は重要であります。


この事を明確に預言して(1)「著作」(2)「発言」(3)「行動」で繰り返し、示されていたのが、谷口雅春師でありました。よく、<谷口雅春先生の「御教え」>という言葉を使う方がおられますが「御教え」とは「著作」だけではありません。


谷口雅春先生の「御教え」とは(1)「御著書」(書かれた教え)(2)「御発言」(語られたお言葉)(3)「御事跡(行動)」(行じられた御事跡)の3つを言います。


「書籍」のみが「御教え」と思いこんでいる方もおられるようですが、それは違います。確かに「書籍」も御教えですが、そのほかの「2つの御教え」を知らないと厚みがなく、応用が利かないのです。

例えば、人類救済の目標を下げようと幹部が発言した時に、谷口雅春先生は拳を震わせて怒られたそうです。「高い目標だから目標が突破できないのです」「目標を下げましょう」と言った幹部を烈火のごとく怒りました。

「ばらまくような伝道だから」郵便配達のような、配布であるから、目標を突破できないのだ。「1人1人確実に救っていく事が大切なのだ。」そう言われたそうです。「鎮護国家」の基本は、祈りであり、尊皇愛国であることは当然ですが、同時に弛みなき「個人救済」でもあるわけです。

そのお言葉を受けて、河口湖の伝道練成が生まれ、宇治の伝道練成が生まれたそうです。このような事も、聖典だけではわかりません。このような先生のお言葉や、御事跡に関するお話が千も、万も残されているのです。

心がなくなると、カタチが無くなります。カタチが無くなることで、その「文化(精神)」が無くなることもあるのです。要注意です。「宇治の伝道練成も近く無くなるでしょう」と・・ある幹部が予測して言っておりました。(これは情報漏洩でなく予測です。)

どうか。愛するが故に、良いものは安易に無くさないで戴きたいものです。作るには20年、30年かかりますが、壊すのは「1週間」で済みます。後悔は永遠であります。


 当然の事ですが、書籍には、事情に由り書けない事もあるのです。

著書というのは、時代背景に由り、故意に削除された部分もあるのです。(2)発言、や(3)行動を観る事が大切です。それには、30年史・40年史・50年史を読み込む事が必須です。
(谷口雅春師の御業績年譜が記録された貴重な書籍)


例えば、満州での谷口雅春師の「第1声」が、「わたしは病気であります※(1)」。などと言われた御発言だった事や、講話のはじめは人間神の子でも、病気なしでもなくて、「古事記」と「天皇」の話ばかりであったので当時の聴衆は、腰を抜かさんばかりに驚いた事(この事は「御教え上」最重要な事柄であると私思います。)など残された「本ばかり読んでいる人」は、その全貌を知った時には、当時の人と同じように、腰を抜かさんばかりに驚く、事でしょう。これが「真理の追体験」であります。そして「御教え観」が360度変わる事でしょう。

180度でなく、悟りて360度変わるところに<谷口雅春ー唯神實相哲学ーに触れた魂の系譜>に連なる人々(谷口雅春師のお弟子に連なる事)の醍醐味だいごみ>があるのであります。※(1)「私は病気であるが、真理を行じて生きているのであります。」と、大陸で体調(水あたりか・・)を壊していながら数時間、殆どぶっ通しで講話された。さながら、神がかりであったと言う。素晴らしいですね。

ただ、仕事上、谷口雅春先生を「便利な道具のように」利用する目的がある方や、利害がからんで師の教えの一部分を「使う(利用する)」目的であるのならば、例外かもしれません。そいう方は、全貌は知りたくもないでしょうし、行ずると損をする事もあるでしょう。損得感情があるうちは利害打算、商売です。宗教でも道徳でもありません。改めて言いますが、教えの全貌こそが「御教え」であります。

 私は、良き教えがあり、そのことで人類が救われるのであれば、その教えに自分を投企(投げ入れ)します。真理への没入です。そのためにならば、私の肉体生命(身体)は、どうなっても良いと考えます。

「魂の死(恥ずかしい生き方)」に甘んじるよりはましです。谷口雅春先生は、戦前の聖典にこう書かれています。

「死ぬよりも怖いものがある。それは死ぬ前の後悔である。」


「いのちより大切なものがある。徳を貫く事である。」という先生のお言葉もありますが・・・

永遠不滅の生を説かれていた先生においては極めて貴重な御文章でありましょう。

                   大熊 良樹 拝

https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12905283.html











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