《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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そのとき教団の歴史は決まった!現総裁の「退職届」から見えてくるもの… (10503)
日時:2018年12月29日 (土) 14時32分
名前:破邪顕正


年末恒例の、今年を代表する漢字一字は災≠ニなりました。

しかし、これは、この1年のことだけではなくて、誤解を恐れずに言わせていただけば、平成30年という時代そのものを象徴する漢字ではなかったでしょうか…。

それについては、今上陛下も先の会見でお述べになっておられました。

昭和の御代とは違い、平成の御代に戦争はなかった…。

それは本当にありがたいことでありましたが、その一方で、未曾有の大災害が頻発しました。

それがどれほどご宸襟を悩ませたことか、察して余りあります。

実は、この災=A生長の家教団の、この平成30年の歩みについても言えるのではないのか。

もちろん、わざわい≠ニいうのは、谷口雅春先生の「生長の家」を思う側からの見解であって、現教団側に立つ人にとっては、逆にさいわい≠ニ写るのかもしれませんが…。

ともあれ、今回は、私どもがいう災≠ェいつ、何をきっかけとして始まったのか、それについて思うところを書いてみたいと思います。

かつて、NHKで「その時歴史が動いた」という番組がありました。

常に、歴史には決定的瞬間というものがある…。

それは生長の家の歴史についても言えるのではないのか。

あの時が教団の分かれ道だった…。

その、あの時とは?

そうです、それが現総裁が本部を一旦、退職すると申し出た、その時≠ナありました。

平成11年3月、谷口雅宣総裁(当時、副総裁)は、「全国の教化部長の皆様へ」と題して自ら本部を退職する旨の通知を行いました。

※以降、この通知を「退職届」、現総裁のことを当時の役職である「副総裁」として書いていきます。

「退職届」をそのまま受理していたら…。

「副総裁」の望み通り、退職を認めて教団から出ていっていれば…。

もとより、歴史に「たられば」はない、それは禁物とは重々、承知の上です。

それでも、敢えて、もしそうなっていたらと思わないではいられないのです…。

少なくとも、ここまでヒドイ左傾化した教団になることはなかった…。

それだけは断言できます。

とにもかくにも、あの「退職届」の取り扱いが全てであった、そんな気がしてなりません。

今にして思うことですが、この「退職届」は、「副総裁」の方から教団本部にしかけた、謂わば一種の賭け≠ナはなかったか…。

果たして、教団は、自分の首を切れるか?!

切れるものなら切ってみろ!

おそらく、「副総裁」は、そこまで腹をくくって、この「退職届」を書いたのではなかったか。

つまり、今の教団に、自分の首を切れる、そんな力はないし、覚悟もない…。

おそらく、「副総裁」は、そこまで見越して、いわば一種のブラフ°コしともいうべき賭けに打って出たのだと思います…。

そして、その賭けに「副総裁」は見事に勝った…。

だからこそ、「副総裁」はその賭けに勝った勢いそのままに、持ち前の権力欲を剥き出しにして、次から次と権力奪取のための手を繰り出してきたのです。

若き日、「副総裁」は、人生にとって大切なものは権力≠ニ言って憚らなかったという話を耳にしたことがありますが、それは決してガセネタではない、見事に「副総裁」の本質を突いているものと私は思っています。

現総裁が如何に権力好き≠ゥ。

それを如実に物語っているのが、実は、この「退職届」なのです。

今、改めて、この「退職届」を読んでみて、「副総裁」の人となりが手に取るようにわかるような気がしています。

ご存じのように、光明思想社から『「生長の家」教団の平成30年史』が出版されています。

当然、この「退職届」にも触れています。

そこには、こうあります(55〜56頁)。

〈電子掲示板(ニフティのプライベート・フォーラム)に、本部職員辞職の旨を書き、退職金を受け取ったが、そのまま職務継続。(3月)

「自分は現場の運動指導に責任が持てない」との理由から講習会時に開いていた幹部会を廃止。(4月)〉

今にして思えば、これは歴史的な文書として、その後の教団の行く末を決定づけた重要な一級資料として、前掲書の中に、全文、紹介しておくべきではなかったか…という思いを禁じ得ません。

もとより、これは当然、著作権にひっかかる案件に相当しますので、そのまま全文を掲載することはできなかったでしょう。

しかし、この「退職届」の本質的な部分を要点にまとめて、掲載することは可能だったのではないのか。

そうしていれば、その後、どうして教団が左傾化の道を歩んだのか…。

今以上に、皆がなるほど≠ニ大いに得心のいくことになったのではないのか、そう思えてなりません。

それほど、この「退職届」が暗示しているものは大きいと言わざるを得ないのです。

そう思う所以を、この掲示板を借りて、私なりに書いておきたいと思います。

長くなりそうなので、稿を改めて書き進めることにします。

副総裁(当時)の「退職届」から見えてくるもの (10504)
日時:2018年12月29日 (土) 15時26分
名前:破邪顕正


件の「退職届」は、このような書き出しから始まります。

〈私は平成11年3月末日をもって宗教法人「生長の家」を退職致しました。〉

で、その理由ですが、こう書いてあります。

〈何といっても、新しい制度下にあっては理事長に責任と権限があり、私には責任も権限もないのです。〉

つまり、「副総裁」という立場に対する、根本的な不満があった、それが「責任も権限もない」という言葉に集約されています。

そして、その後に、とても重要な指摘が続くのです。

〈…この新体制は私以外のすべての理事皆様の総意にもとづくものでした。

この冷厳な事実に気づいた時、私は自分の誤りを知りました。〉

ここで「副総裁」の言う誤り≠ニは何を指すのでしょうか。

これは私の勝手な憶測なのですが、「副総裁」は、当初、自分にはそれなりの権限があり、それを十分に揮えるという思い込みがあったのではないでしょうか。

ところが、実際は、理事皆様≠ノよって、様々な掣肘を受け、思うように権限が揮えない…。

その具体的な記述が次のように記されます。

〈理事長や松下理事等の有力者が「唯一正しい見解」であるかの如くこれを扱っているため、今や法人の意志決定過程に関与しえない私は、そのような見解を甘んじて受け入れるほか仕方ないのです。〉

法人の意志決定過程に関与しえない私

「副総裁」の不満、苛立ちが手に取るように窺える表現ではありませんか。

そして、最後、こういう文章で「退職届」は締めくくられているのです。

〈今後、私に副総裁としての手当を支給するか否かは(あるいは法的に支給できるか否かは)、すべて理事・役員の皆様の判断に任されます。

私としては今後、家族を含めた生活のこともありますから、また新たな道を模索してまいりたいと思います。

皆様、長い間、有り難うございました。〉

要するに、「副総裁」は、教団の「意志決定過程に関与」できる権限が欲しかったということなのです。

で、「副総裁」は前述したように、この「退職届」を出した翌月の4月、新年度から、「講習会時に開いていた幹部会を廃止」という挙に打って出ます。

そして、その半年あまり先に、教団の運命を決定づけることが起きます。

前出の『「生長の家」教団の平成30年史』から引きます(57〜58頁)。

〈総裁代行就任。(11月)

11月22日に生長の家総本山で行われた「生長の家総裁、谷口清超先生傘寿お祝いの会」で、谷口清超総裁が、谷口雅宣副総裁を総裁代行に任じたことを発表。〉

この発表を聞いた瞬間、法務に明るいある理事はこう漏らしたそうです。

「これで生長の家は終わった…」

総裁代行≠サれがどんな意味をもつのか…。

分かる人には分かっていた、見える人には見えていたということです。

実は、先の「退職届」の中に、こういう文章があるのです。

〈運動の方向を決定し、教団の運営を行うのは、副総裁ではなく「総裁先生と理事」の皆様なのであって、私は「助言者」としてその脇に立っているだけで、先生に助言を求められた時にのみ何かを言えばいいのでした。〉

当時の「副総裁」の怒り≠ェ眼に見えるようです。

つまり、「教団の運営」に直接、関わろうとするならば、もはや総裁≠ノなるしかない。

いずれ、このままでも「総裁」になる日はやって来るであろうが、そこまで待つことはできない!

何の権限もない「副総裁」にいつまでも甘んじて居続けることはできない!

これまた憶測ですが、「副総裁」は、谷口清超総裁先生に、総裁同様の「権限」を揮える「総裁代行」を要求したのだと私は思います。

それが叶わなければ、「副総裁」も辞するぐらいのことは言ったのではないでしょうか。

実際、「副総裁」は、それ以前にも、自分の書いたものは聖典≠ニは呼ばせない…。

それでも聖典≠ニいうのであれば、自分にも覚悟があります…。

暗に辞意を仄めかすような言動をして、最終的に、聖典等≠ノするということで一見、落着を見たという話があるのです。

「副総裁」という人は、自分の意思が通らないようなことがあると、常に、この辞意を仄めかして脅す≠ニいうようなことをやる人なのです。

裏を返せば、「副総裁」は、どこかに、どうせ自分を外すことはできないのだと見切っていた節があるように思うのです。

それが最悪の形で出たのが、この総裁代行就任≠ナあったと私は見ます。

考えてもみてください。

その当時、谷口清超総裁先生は、まだお元気で、講習会のご指導等をなさっていたのですよ。

何で総裁代行≠ェ必要でありましょうか。

実に、不自然きわまりないことだったのです。

今、思えば、「副総裁」はどうしても権限がほしかった、それに尽きるのです。

実際、「総裁代行」となるや、早速、権限を揮い始めます。

「副総裁」を縛っていた理事皆様≠ノ対する報復人事が始まるのです。

これまた『「生長の家」教団の平成30年史』から引きます(59頁)。

〈谷口貴康氏が副理事長からはずされる。

松下昭氏理事解任。(6月)〉

更に、教団の運命を決定することが翌年(平成13年)の11月20日に起きます。

拡大最高首脳者会に教規改正案が出されるのです。

ざっくり言って、これは「総裁代行」が人事も金も一手に握るというシロモノでした。

これは、まさに谷口雅宣総裁代行による教団乗っ取りにほかならないと見て、今後の行く末に危機感を抱いた心ある教化部長たちによって、この案は、一旦は継続審議に持ち込まれます。

しかし、「総裁代行」に睨まれたら、これからの将来はないと思ったのでしょう、多くの教化部長が転んで行き、翌年(平成14年)1月22日、この案が賛成多数で可決されます。

『「生長の家」教団の平成30年史』はこう書きます(62〜63頁)。

〈拡大最高首脳者会で教規を改訂し、「参議」新設。

総裁に独裁権を与える。…

※…谷口雅宣氏は、…参議制度を新設し、参議は総裁の任命で決定され、事務事項以外の案件はすべて最高首脳者会(総裁と参議等で構成)の決定で行われるようにした。

これによって、総裁(実質的に谷口雅宣氏)の教団完全支配体制が完成した。〉

つまり、谷口雅宣総裁の支配体制のはじまりは、まさしく、この「参議制度」の新設にあったと言って過言ではありません。

そして、それを遡れば、実は総裁代行就任≠ノ行き着くのです。

なぜ、それを現総裁は熱望したのか。

その根本的な理由、背景が、「退職届」の中に既に見受けられるのだということを申し上げたかったのです。

平成30年の教団の歴史は、谷口雅宣総裁の権力奪取の歴史そのものであり、その権力を笠に着て、自分好みの左傾化した「生長の家」をつくりあげてきた、その足跡に他ならないということです。

この30年の歴史、足跡を俯瞰すれば、現総裁が路線転換をはかって「谷口雅春先生のもとに戻ろう」などと言うわけがないのです。

その可能性は、些かもない、毫もない…。

もう、谷口雅宣総裁を創始者とする、尊師のつくられた「生長の家」とは全く違った「左翼・生長の家」が出来上がってしまったのです。

全ては、その認識から出発すべきなのです。

ですから、このような左翼=護憲教団≠ニははっきりと訣別して、未練たらたらとしがみつくようなことはせず、こちらも全く新たに、谷口雅春先生を心から思う信徒による組織づくりに専念したがいいというのが私の思いです。

新らしい御代は、尊師・谷口雅春先生の「生長の家」復活の時代!

それを目指して、大いに精進・前進してまいりたいと思っております。

現教団をここまで左傾化≠ウせた責任をどう取るか、私なりの思いがこれです。 (10505)
日時:2018年12月30日 (日) 14時45分
名前:破邪顕正


何故、私が、今回、このような投稿をしたのか。

何か、谷口雅宣総裁の非道さ∞悪さぶり≠言い募りたくて、投稿したかのように感じられるのでしたら、それは実に心外です。

何度も言って恐縮ですが、今思えば、あれが天下分け目の天王山だったのでしょうが、現総裁が持ち出してきた「教規」の改訂案を、一旦は継続審議にまで持ち込むことに成功はしたものの、結局はそれを阻止することはできなかったわけです。

その敗北責任は、当然、あるわけです。

問題は、その敗北責任をどう引き受けるか、ではないでしょうか。

で、私は思うのです。

それは、尊師・谷口雅春先生の「生長の家」を甦らせるしかない!

それをもって敗北責任をとる、そういうことだろうと思うのです。

そして、その拠り所として、私は「谷口雅春先生を学ぶ会」を選ばせていただいたということです。

確かに、「谷口雅春先生を学ぶ会」が存在していなかったら、どうして生長の家をこんな左傾化教団≠ノしたのかと、いつまでも文句や愚痴ばかりを言い募ったでありましょう…。

谷口雅宣総裁一人を悪者≠ノ仕立てあげて、それで溜飲を下げるというような愚を犯していたかもしれません。

しかし、私たちには「谷口雅春先生を学ぶ会」が既にあるのです。

谷口雅春先生の思いを正統に承け継ぐ拠り所があるのです。

なぜ、「谷口雅春先生を学ぶ会」が生まれたか。

実は、その生みの親は、皮肉にも谷口雅宣総裁であると言っても過言ではありません。

そのことは、「谷口雅春先生を学ぶ会」の「創刊の辞」を見たら、一目瞭然でありましょう。

現総裁なくして「谷口雅春先生を学ぶ会」が生まれる必然性はなかった…。

現総裁が覚悟して、権力奪取に賭け、それに勝利し、今のような教団を創り上げることに成功したのであれば、私たちもそれこそ、同じ様な覚悟をもって尊師・谷口雅春先生の「生長の家」を甦らせる!

それに全てを賭ける、そのことを申し上げたかったというのが私の真意であります。

現教団が目覚めることにいつまでも淡い期待を抱き、そこに恋々とするような生き方を選んでも、それは結局は儚い思いで終わりますよ。

あたら時間をそういうことに費やしていいのですか…。

後でしまった、と後悔することになりはしませんか…。

現状は決してそんなに甘くはない、その認識に立つべきではないですか…。

そういうことをどうしても知っていただきたくて、その淵源とも言うべき「退職届」から窺い知れる現総裁の本質というものを私なりにご紹介させていただいたということなのです。

今、『人生を前進する』にある「敗北の中より起ち上る勝利」に大いに励まされています。

《敗北の中から立ち上ることの出来る者こそ真の勇者である。…

原爆を受けた広島は曠野(あらの)と化して、今後数十年間は草一本も生えないだろうと言われたこともあった。

しかし生命はいつの時にも失意しないのだ。

生命は永遠に楽天的であり、復興の勇気をもつのだ。

砂漠のようになった廃墟の広島の野には、一ヶ月もたたぬうちに若草が緑の芽を吹き出して来たのである。

復興した現在の広島の街は…首都以上の立派な街となっているのである。

まことにも広島市は敗北を化して勝利となしたのである。…

生命の歴史は常に敗北の中から立ち上がる勝利の歴史だということが出来るのである。》

敗北を化して勝利とな≠キ、これ以上の責任の取り方はないのではないでしょうか。

現総裁を創始者とする「左翼・生長の家」を生み出させてしまった責任を、深く深く自覚するが故に、それを許すような敗北を喫した無力感を痛感するが故に、「谷口雅春先生を学ぶ会」は必ずや勝利する!

その思いをお伝えしたくて投稿したということでご理解いただければと思う次第です。

尊師・谷口雅春先生の御名がないのが教団の運動方針です! (10507)
日時:2018年12月31日 (月) 12時10分
名前:破邪顕正


「トキ」さんが、こういう投稿をしています。

〈2019年度(平成31年度)運動方針 (8779)
日時:2018年12月30日 (日) 16時37分
名前:トキ

(前略)

まず、この運動方針の本文を見ると、「谷口雅春先生」と言う文字が見当たりません。

付属の2019年度の主要行事日程中にある「6月17日 谷口雅春 大聖師年祭」が唯一、谷口雅春先生に言及した文章です。

その他見られるのは、全て、「谷口雅宣先生」「谷口純子先生」です。

ここまで開祖を軽視して、「法灯継承」を自称しても、説得力がないかと思います。(後略)〉

「トキ」さんの指摘している通りです。

そして、教団は、私が見なしたように、谷口雅宣総裁を創始者とする、新たな「生長の家」教団を創り上げたというべきなのです。

その認識にたって、はじめて、今の異常≠ネる教団の実体が見えてくるのだと私は言いたいのです。

「トキ」さんは、最後、こうも書いています。

〈この運動方針は、読んでもつまらないですが、要するに前例を踏襲すると言う程度のものであり、組織の実情ではなく、総裁ご夫妻に気に入られるような作文を羅列したものです。

このような運動を続けていれば、「9割ぐらいの信徒の減少」は覚悟していただくことになると思います。〉

なかなか厳しい見解ですね。

確かに、今後とも教勢が落ち目になるのは間違いないことでしょうが、しかしそれでも私は9割まで落ちるとは思えません。

白鳩会の存在があるからです。

常に白鳩会が総裁体制を下支えしていくので、そこまでの落ち込みはないのではないでしょうか。

私の投稿に対して、なぜ教団は、雅宣さんを許容してしまったのか≠ニ言われる方がありますが、ここまで尊師・谷口雅春先生の教えと外れていながら、それでも現に、谷口雅宣総裁を許容≠オている実態があるではありませんか。

私は、それについては、もう腹をくくっています。

御教えそのものよりも、それまでの人間関係が大事なのです。

組織に所属して安心するというような思いがそこにはあるのかもしれません。

現に、「谷口雅春先生を学ぶ会」に行けば、孤独になる。

周りから冷たくされる。

「葬儀が寂しくなってしまう」とまで言う方もあります。

或いは、組織にいれば、様々な役職があり、それなりに遇せられる、そういうのもあるのかもしれません。

もっと極端な人などは、「もう総裁なんか関係ない、自分たちで楽しく集いをもっているからそれでいいんだ」と、何か開き直ったような言い方をする人すらあります。

そういう諸々の事情があって、第一線は、現総裁を結局は許容≠オているのです。

昔から、寄らば大樹の陰≠ニいう言葉だってあるではありませんか。

それはそれで人情として致し方ないところもあると私は思っています。

それを十分に了解した上で、それでも信仰は処世術≠ナはない、やはり、教え、真理こそが中心でなければならない、そう思うものであります。

尊師・谷口雅春先生と外れてしまった「生長の家」に所属することは、結局はそれに手を貸す以外のなにものでもない、それを潔しとはしない…。

そう思うがゆえに、こうして、拙い投稿を紡ぎ続けているわけです。

尊師・谷口雅春先生に対して、こんな「左翼・教団」にしてしまった責任を、私なりに痛感するがゆえにです。

有り難いことに、その思いを共有しうる仲間がどんどん増えています。

信仰が処世術≠ノ堕していいのか、そう思ってくださる信徒がこれからますます増えるに違いないと私は確信しています。

敗北≠糧として、それを力にして前進していく…。

そこに賭けたいと思っております。




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