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「戦後の谷口雅春先生のいのちを守るご業績」  (10404)
日時:2018年11月05日 (月) 12時04分
名前:宇治学舎


「戦後の谷口雅春先生のいのちを守るご業績」

隠蔽されている谷口雅春先生の「ご業績」「高弟」 「信徒」の素晴らしい歴史にスポットを当てます。

「生長の家」の、素晴らしい歴史に目を向けていきます。



<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 

(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話〜大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105

(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」A
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


大熊先生が「戦後の谷口雅春先生のいのちを守るご業績」をまとめたのでいのちを守る親の会員には希望があれば配付するとのことでした。また、情報拡散することで、谷口雅春先生のご業績を顕彰することになると言うことで、掲示場への書き込みやインターネットへの「資料」「写真」掲載をご許可戴きました。

これから、続々と「投稿」させて戴きますので管理人様、宜しくお願いいたします。




生命尊重運動と生命の教育
 
「谷口雅春先生のご業績」     

昭和4年より「生命の絶対尊厳(尊重)を説く」

昭和21年谷口雅春先生、自己所有株式すべてと千葉の農場を売却し「戦争孤児」施設を設立。翌22年「赤ちゃんを救う」施設を「飛田給」に設立と発表。GHQの不許可で頓挫。


●昭和23年「優生保護法」成立。

(人口調節法・堕胎奨励法) と言われる。


●昭和24年「優生保護法」に経済条項が加わる。


堕胎数が24万人から
→ 昭和30年には170万人に。(実数300万人)



●昭和27年「優生保護法」に精神疾患や知的障害も強制不妊手術の対象となる。

昭和27年7月号「白鳩」巻頭言にて谷口雅春先生

「百万人の児童を救う運動を起こせ」昭和27年「生長の家」8月号「日本再建の道を拓くもの」にて「人口制限は日本を弱体化」産児制限のための「避妊と堕胎の公認性道徳を頽廃せしめる」「食糧問題、居住問題も、人類が殺人のために色々の武器を作っているが、その懸命の努力」を人口問題に注ぐことで必ず解決されると説かれる。


昭和34年8月「国民総自覚運動」提唱。

「堕胎防止」への実際運動を「白鳩会」(女性)を中心に起こすよう提起。


昭和34年8月14日第1回幹部講師全体協議会「優生保護法改正」を谷口雅春先生、御指示(宇治)。

昭和35年9月7日白鳩会による「人命尊重優生保護法改正」署名40万人中山厚生大臣、参議院議長松野鶴平氏に面会し請願。


昭和36年4月26日「優生保護法改正」署名27万余。国会へ提出請願。


昭和36年5月16日「優生保護法改正」署名12万余。国会へ提出請願。


昭和36年7月本部内に「人命尊重推進委員会」発足。相愛会(壮年)・青年会(青少年)協力体制。(昭和36年8月宝蔵神社神域に「全国流産児無縁霊供養塔」を建立。10月に祝詞奏上。


昭和36年12月22日「優生保護法改正」署名20万余。国会へ提出請願。

昭和37年4月 「優生保護法改正」署名11万5千余。国会へ提出請願。 50団体 昭和37年8月1日カトリック諸団体と共に「いのちを大切にする運動連合」結成

昭和38年6月27日 第6次請願署名11万余

昭和38年8月4日「いのちを大切にする運動」国民大会開催(東京厚生年金会館)

昭和38年8月16日「いのちを大切にする運動」国民大会開催(小坂大手前会館)

昭和39年5月8日優生保護法改正国民決起大会本部大道場にて(小林厚生大臣講演)

昭和39年8月28日 政治結社「生長の家政治連合」発足

昭和41年4月29日〜5月1日 青年会(第18回)全国大会にて 生学連結成

昭和42年4月26日バチカン駐日大使M・Bブィステンベルグ大司教主催レセプションに谷口雅春先生ご夫妻が招待される。「堕胎防止」についてカトリック教団と提携して運動を進めることを協議した。

昭和42年5月2日青年会全国大会で「優生保護法改正」「正しい日本の憲法制定」に署名38万余を持ち国会請願行進を行なう。(5月17日新教連財団法人に)

昭和43年「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」


昭和44年「人工妊娠中絶実態調査」調査費国家予算計上

昭和44年 谷口雅春先生。「昭和44年こそ昭和維新断行の年」自民党に「大政奉還せよ」と述べられる 佐藤首相に「明治憲法復元改正」を提言。)。180万人の署名を集めて国会へ提出。佐藤首相に「直訴状」提出。谷口先生は「実は300万人が闇から闇へ葬られている」と発表。

昭和46年6月号(御文章「神命の書」)昭和46年10月14日「入龍宮幽斎殿」建立

昭和46年12月号(御文章)「生長の家」明窓浄机◎「この頃は悲しい事ばかり、憂うべき事ばかり、日本国内にも、国際的にもいろいろと起こって来るのである。もうこんな世界に生きていたくないと思う事すら時にある。」

昭和48年 年頭「御題こども」

戦後ころされし胎児5千万 啾啾(しうしう)として泣く声きこゆ

昭和48年7月18日「優生保護法を改正して赤ちゃんの生命を守る全国大会」を自民党で開催。自民党は今国会での成立を約束。が、「継続審議案件」となる。

昭和48年12月「生命尊重の祈り」を12月の祈りとしてご発表。
   
昭和49年5月28日衆議院で心身障害児の中絶許可条項削除の上、修正可決。参議院で医師会の反対を受けて審議は暗礁に乗り上げたまま会期切れとなった。優生保護法改正法案は参議院において流れてしまった。

昭和49年4月提起「教育救国運動」新教連を全都道府県に設置して教育センターの役割を果たして他の教育正常化団体と共に提携して偏向教育是正運動を行い始める。


昭和49年10月号(御文章)「理想世界」谷口雅春先生◎「悲しみに目を泣きつぶし」あまりに悲しいことが続くので、私の魂は泣き続けた。見たくない日本の現状なのである。「悲しみに目を泣きつぶし」という浄瑠璃のセリフがあるが、私の魂の悲しみや、私の見たくない心が、私の家内の肉体に影を投じて、急に家内の視力が衰えて来たのであった。

昭和50年生政連「母と胎児のいのちを守る会」結成

昭和53年11月21日龍宮住吉本宮新殿祭・鎮座祭(23日28日落慶鎮座奉祝大祭)

昭和53年12月16日谷口雅春先生、実相研鑽会結語にて「吾々は住吉の大神の全身全霊である。」と述べられる。

昭和60年最後の講話(昭和60年5月26日)でも「殺すなかれ」と遺言されたという。

昭和60年(最終講話の翌月)

6月13日(朝)3時30分
 【谷口雅春師 地上界にて最後のお言葉】

 ”病なし! 迷いなし! 罪なし!” これが生長の家の根本真理であります。 それでは、神様ただ今より眠らせていただきます。(その後、眠りに入り、6月17日、眠ったまま神界へ帰幽されました。)

平成8年「優生保護法」、経済条項を残して「母体保護法」と名称変更。 

神命の書

 住吉之大神宣り給ふ 汝はわが愛する御子

 われ汝に使命を授く 往きて年間三百萬人

 の胎児を救ふべきぞ かくて日本人の業 浄まらん

 然るとき 天之岩戸開かれ 天照大御神の神靈

 出御せられて日本國 の實相あらわれん

    神命の書 受嘱 雅春

     『生長の家』誌昭和46年6月號より
 
 


     
 
「堕胎反対運動は生長の家発祥以来の運動である。」

      生長の家創始者 谷口 雅春先生

 毎日新聞の記事の尻馬に乗って、よく調査も研究もしないで浪速短大助教授と云う鈴木宗憲と云う人が『毎日新聞などが生長の家を“テロ思想”だと言うものだから、

それを打消す運動として「人命尊重」運動として、堕胎防止に関する請願をやっているのだ』と云う風に「中外日報」紙に論評をかかげているが、大学の先生ともある学者ならば、もっと、科学的に事実にもとづいて論議をすすめて頂きたいものである。

 生長の家の『堕胎罪悪論』は立教の最初から三十二年も前から説いているのであり、戦後に於いては、今は飛田給練成道場になっている建物を高亀良樹博士から買収したときも、

戦後日本へ進駐した占領軍の兵隊や将校たちとの間に妊娠した混血児を、アトが面倒であると云うので流産させるのが多いので、

その胎児をたすけたいと思って高亀博士の病院を買収し、満州から引揚げ後郷里の高知で産科婦人科医院をひらいて盛業中の徳久克己博士をわざわざ招致して院長とした産院をつくり、新聞に『私生児を妊娠して人工流産を考えている婦人、一寸待った。 相談に来い。



無痛分娩をさせて、生れた子供は引受けて育ててあげる』と云う広告をして胎児の人命救助をするつもりで、徳久博士に来て貰ったのであった。当時そのような大病院は進駐軍指令部の許可がなければ開設できなかったので、徳久博士にその交渉に当ってもらったのだが、GHQの其の係の医博のアメリカ軍婦人大尉が、『宗教で無痛分娩、アイドントノ―。医学と宗教 一ショクタ、イケマセン』と言ってどうしても許可してくれなかったのである。

それで私は已むなく産院の開設はやめて、現在のような練成道場に変更したのである。

そのように生長の家の堕胎反対運動は、生長の家発祥以来の歴史的運動であるのであって、たまたま山口二矢少年の浅沼刺殺事件に生長の家が関係あるが如く書かれたので、その打消運動として始めたような根の浅い運動ではないのである。

堕胎防止請願の署名運動も浅沼事件のズッと以前から始められていて、岸内閣時代に既に40万通の署名を得て、議会へ請願書を提出することになっていた。 (中略)

人間又は団体の一つの行為または運動にしても、それを本当に理解しようと思ったならば、それがその人間及び団体の継続せる歴史の上に於いて、その行動又は運動が如何なる位置を占めるかと云うことをよくよく考察してみなければ、その意義批判又は価値判断はできないものなのである。


吾々の団体の堕胎防止運動なども遥かに三十二年前に遡るその立教の精神から始まり、終戦直後堕胎さるべき胎児を救うために、産院まで造ってその出産児を無料で育てようと企図して高亀博士の病院を買収したことや、戦争中にも、生長の家誌友たりし派遣軍司令官たりし、将官に一人も残虐行為による戦犯者を出していない事実など、生長の家の歴史を一貫して存する“生命尊重”の事実を一貫せる系譜の中に、今回の 『堕胎防止運動』 を見出すとき、はじめて其の真実の価値と意義とが判るのである。           

    『明窓浄机』  昭和36年8月







愛知のおばさん ありがとうございます。 (10405)
日時:2018年11月05日 (月) 13時05分
名前:宇治学舎



愛知のおばさんありがとうございます。


宇治学舎さんありがとうございます。 (24195)
日時:2018年11月05日 (月) 12時30分
名前:愛知のおばさん





宇治学舎さんありがとうございます。

大熊先生から届いた緊急メールを添付させて戴きます。

今、大熊良樹先生の声がついに政治に届いたようで、「自民
と「維新」の一部の先生たちが動いており「国界質問」計画
が進んでいます。どうなるかはわかりませんが、ここまでがんばられて、素晴らしいと思います。

どうか谷口雅春先生の悲願が叶えられますように。



いのちを守る親の会3つの提言!!(1)

「母子手帳」を持たない妊婦の
      中絶を法律で禁止に!! 大熊良樹

日本を変える大きなアイデアがある。人工妊娠中絶に関して、6週で妊娠がわかっても施術が難しいので「7週」まで施術はしないことが多い。中絶はブラインド手術と言い直視による手術でなく「目をつむってやる手術」のようなものなので、危険が多くある。母胎を傷つけたり、小さい胎児の中絶は身体の一部が残り母胎に悪影響を及ぼすこともある。

12週からは中期中絶といい、実質「出産」の形で「死産」させる。そういうこともあり、中絶の7割が「6週から11週までの初期中絶」である。どちらもむごい事には変わりはない。

「母子手帳」は心音が確認される6週から10週あたりに「妊娠証明書」を医師から手渡されて、保険センタ−などで手渡される。妊婦さんは此処で初めて「育児一時金(出産助成金)」や「14枚の無料検診チケット」のことを知る。

現場で見ていて、「中絶を考えている妊婦さん」「中絶を迫られている妊婦さん」「思わぬ妊娠に戸惑っている妊婦さん」たち。ここらあたりで心を閉ざし「身動き取れなくなった妊婦さん」は周りから「堕ろせ」「堕ろせ」の大合唱を受けて、ノイローゼ状態で、相談もせず、相談もできずに、当然「母子手帳」を手渡されないから、出産するときに「育児一時金(出産助成金)」すなわち42万円も助成金が出ることや、「14枚の無料検診チケット」すなわち、検診代さえも殆どいらない事を教えられないまま、中絶してしまうことも多い。

余裕のある人など多くはないと思うが、それでも、借金をやりくりしながらでも、「助成金があるなら」がんばって産みたいと言う人は多いはずだ。反対する主人をなんとか、説得するとか、お願いするとか、相談できるという人も多いはずだ。

この「助成金」の話だけではないけれども、それでも、他の問題に加えて、出産のお金が殆ど出るなんて、なんと日本は手厚いのだろうと涙を流して喜ばれる妊婦さんも多いのが事実なのである。

双子なら84万円。カイザー(帝王切開なら保険がきくので42万支給されて、13万くらいの費用でお産ができるから29万円も余る。)お金が全てではないが、それでも「手厚い補助」がありますよと、知らせるだけで、多くの人が救われてゆく。

それに加えて、もう一つ。大事な事を思う。老人が1人でも居なくなれば大変な大騒ぎである。「山で遭難した」とか「山崩れで行方不明だ」とか言うことであれば警察官や自衛隊が出動する。100人1000人で捜索する。

しかし・・妊娠した子は「生まれました」と言う自己申告を「誤魔化せば」いのちを「人工妊娠中絶」という形で抹殺することもできるのである。「行方不明」になっても、誰も捜してもくれない。老人であれば、これは「殺人」「死体遺棄」事件である。

私は新しい御代に新しい提案をしたい。人を救い国を救うアイデアであるが、このアイデアにパテント(著作権)はない。どの政党に属するどの先生でもいい。愛と勇気のある方。誰か、この国の未来と、多くの赤ちゃんのいのちを救うために、国会で質問して戴きたい。
妊娠したら必ず医者に行き確認してもらうこと。妊娠確認が取れたらすぐに「母子健康手帳」をもらうこと。

それから、100人に2人もいないけれど・・『医療的見地からの中絶も含めて、「母子手帳」がなければ絶対に中絶できないように法律で決めるべきである。』

そうすれば未受診はゼロになる。「母子手帳」の正式名称は「母子健康手帳」である。母子の健康を守るためには、妊婦さんには一人のもれなく、曖昧にせずに、母子手帳を完全に手渡す事。

逝く者の管理も曖昧にできないように生まれるものの管理も曖昧にしないことが「国の未来において」重要である。

現在「母子手帳」は6歳までの健康状態を記入できるが、実は、20年(成人まで)分記載できる手帳もあるそうだ。

たとえ、自然流産の「死産」であってもお腹で生きた赤ちゃんの記録を書いてあげて欲しい。亡くなってしまってもその赤ちゃんに名前を付けて20年くらいは、母子手帳に、供養の記録を付けてあげて欲しい。「亡き者」どころか、「無き者」にするのは、なんともやりきれないものである。

多くの人工妊娠中絶児は二度殺される。体を殺されて、初めからいなかった事にされる。この事はいのちの尊厳までを陵辱されることである。亡くなってしまってもその赤ちゃんに名前を付けて20年くらいは、母子手帳に、供養の記録を付けてあげる行為。

それは、パス(PASS=中絶後遺症)にも抜群の効果がある。人間は忘れているようでも全てを忘れては居ない。だからこそ、人を自分を欺いてはならないのである。

「母子手帳」を持たない妊婦の中絶を法律で禁止せよ!!

このことの法制化で、「助成金」や「子供のない夫婦への特別養子縁組」中絶しなくてもよい方法はいくらでもあるのだと言うことを100%伝えられる事になる。私たちはその時に向けて年間200万人に無料で配付する小冊子「妊娠読本」の原本作成も検討しています。現在は年間100万人という出産数ですが、おそらくは200万人の出産数にたち直ることでしょう。少子超高齢化。国家存亡の危機を乗り越える事ができるのです。

「妊婦さん」への「母子手帳」完全に手渡す。中絶を「母子手帳」を持つ妊婦以外には絶対に行えないようにする(違法行為)。その事で、まれにある「医師による違法行為」も殆どなくなり、いのちを守る私たちが伝えていることの多くを、妊婦さんにもれなく伝えられるのである。

現在中絶は17万人というが、中絶は保険がきかないので実数がわからない数と言われている。推定で実数は50万から80万人。多ければ100万人は居るだろう。もし100万人が中絶されていれば1日2000人以上が殺されていることになる。

このような大虐殺が日々行われているのならば、そのような国は心理学の「自己処罰」の概念でいえば亡国となるであろう。日本は、戦後、なんと1億3千万人の赤ちゃんを中絶でひねり殺している。奇しくも日本は1億2600万人をピークに、急速な人口減少が加速し始めたという。

古事記の「いざなみ」「いざなぎ」のやりとりを思う。「1日に千人を絞り殺さむ」「それならば、1日に千五百の子を産ましめようぞ!!」
今から全身全霊で「少子化対策」に取り組まないと日本存亡の危機である。今だ。今しか無い。



いのちを守る親の会3つの提言!!(2)


  中絶に「経済」を持ち込むのなら

     保健師を介在させよ!! 大熊良樹

日本の「母体保護法」「経済条項」は実はナチスの「邪魔な者は消して良い」という「排除の思想」の系譜を継承している。

中絶は、「母子手帳」を持っている妊婦にしか施術しない事が重要である(1回、育児一時金の話を聴いている)。そして、 中絶決定前に必ず「医師」だけでなく「保健師」(妊娠問題・経済問題に寄り添える人間の介在)の立ち会わせと「承認」を!!防犯で言うのならいわゆるいのちを守るための「二重ロック」である。

もし、わたしたちのような「救命のスペシャリスト」の研修を1回でいいので「保健師」さんが受講していれば(希望者があれば前年でも受講可能)、赤ちゃんの救命率は抜群に伸びることだろう。日本存亡の危機と言われる「少子超高齢化の問題」は10年で克服の兆しが見え、20年で克服されるだろう。戦後70年のマイナスを埋めるのは相当本気でないと無理だ。子供を産むことができる女性の数自体が激減しているのだ。
    
  日本の「母体保護法」「経済条項」の問題に帰ろう。医師が妊婦の「病気」や妊婦の「体調」を理由に、母体保護の観点から中絶手術をするというのならばあり得る話かも知れない。戦前、戦中も「医療中絶」というのはあり得た。

しかし「経済状況」を理由に「中絶」をするというのは全くもっておかしな話である。「母体保護法」には「経済条項」と言う項目があり、「経済の理由で堕胎ができる」という事になっているが、医師は「経済理由」など専門外の話であるのだから、「それはいけません」とか「どうこうしなさい」などといえる話ではない。

だったら、「思わぬ妊娠」や「都合の悪い妊娠」である場合、「経済的理由」という大義名分をつけて多くの人が大事な赤ちゃんを中絶してしまうのである。なんと惨(むご)いことであろうか。

それにしても「経済的理由」とうのは「時間的理由」と同じで、「あるといえばあるが、ないといえばない」のである。

かつて「NHK」が「貧困特集」の番組を作ったが、多くの同情を集めた貧困女学生が、学費はないけれど、豪遊するお金はあったという暴露記事が出て、全国の同情した視聴者の口が、あんぐり開いたままだったとか・・。大きな話題になった。

まことに、笑うに笑えない話である。事は「命に関わる事柄」で、子を産むお金はないが、デイズ二ーランドの年間パスを買うお金はあるというお話。私は現で何度も聞いて、驚いたものである。中絶理由は「貧困」などではなく「娯楽過多方」による「借金」と言うのが実に多いのである。

例えば、車を買うのに200万300万のローンを組む。また、家を買うのに頭金500万入れて、土地を担保に銀行で2000万300万円借りる。それなのに、なぜ、赤ちゃんを産むのに「40万円」出せないのだろうか。

「車」や「家」などは代えがききます。 しかし、いのちだけは代えがきかないのです。あなたが殺されたら「あなたの人生に絶対に代わりがない」ように、その「お腹の赤ちゃん」には代わりが絶対にいないのである。 私の経験ではお母さんがいのちを掛けて「この子をどうなっても、私は守ります!!」 「いのちをかけてもいい。」こう言って守れなかった赤ちゃんは殆どありません。10代後半の女性でもそうなのです。まして、お金などは、本気でしたら、どうにかなるものです。


助成金の話をします。

しかも・・以前は、自己負担の時代もあったけれど、今の日本はまことに手厚いのです。保険さえ入っていれば「42万円」育児一時金と言う名前で出産助成金が出るのです。以前は、立替金が必要であったが、今は、必要ない。大きな声では言えないが、生活保護の女性にでも、出産費用に付けて「オムツ代」まで補助があるのである。これでも「経済的理由で出産できない」と言うのだろうか?

中絶したい人は、何にでも、経済的理由として理屈を付けるかも知れない。「子供を1人育てるのに3000万かかるらしいでしょう。」「うちは、子供は2人で十分。6千万以上は無理。貧乏になっちゃうわ。」 3人で9千万円よ。もしそれが事実なら、6人子供がいる私はどうなるのだろうか?

「いのちの中に経済があるので、経済の中にいのちがあるのではないのである。」ここを勘違いしてはいけない。それから「1人子供を育てると3千万円罹るというのは大きな嘘である。」 興味のある方は「いのちを守る親の会」の「唯物的養育費の嘘を斬る!!いのちは唯物論に嵌(はま)らず!!」を検索してお読み下さい。

実質「母体保護法」は「母体保護」と言う名目でありながら、ナチスの「優生思想」を引き継いでいるため、「時間がないから」と言うような意味で「今お金がないから」と言う理由で大事な命を絶ってしまうのである。保健師を介在させて、守れる赤ちゃんを守るべし。 お金といのちを天秤に掛けるような国は、滅ぶであろう。そういう人でも国でも会ってはならない。絶対に!!




いのちを守る親の会3つの提言!!(3)

    「母体保護法」改正

      「経済条項」削除を!! 大熊良樹



「母体保護法」によると人工妊娠中絶の可能な妊婦として下記の条件を挙げています。

(第14条 第1号) 妊娠の継続又は分娩が身体的又は《経済的理由により》母体の健康 を著しく害するおそれがあるもの。

この「経済的理由」の拡大解釈により日本は世界から「堕胎天国」と言われるような国に成ってしまいました。「優生保護法」《世間の風評をそらすために一部改訂し名前だけ変えて「母体保護法」(平成8年)とした。》ができてから日本では中絶が爆発的に増えて「堕胎天国」とまで言われるようになりました。

それにしても、誰が「堕胎天国」だなどと言い始めたのでしょうか。子供は「一人でいい。」「少なく生んで豊かに暮らそう。」「2人以上は、知的レベルが低い。」などとさえ言われたと言います。「2人以上の子がいる家庭は、文化的生活ではない。」そして・・実は、「お金」のために堕胎される赤ちゃんにとっては「天国」どころか「堕胎地獄」ではないでしょうか。

この「母体保護法」の元である「優生保護法」は、大東亜戦争(戦後の呼称は、アメリカの主観に合わせて「太平洋戦争」と呼称)が終戦して3年後。昭和23年にアメリカ占領下で制定されました(昭和27年の春に占領解除)。

この禁断の人口調節法ともいえる“出産管理法”が「優生保護法」であり、元々「優生保護法」とは1883年(明治16年)、「種の起源」で知れ知られるダーウインの従兄であるイギリスの科学者フランシス・ゴルトンが「優生学(eugenics)」という言葉を作り出したことに基く。当初は「積極優生」といい優良種の掛け合わせ(調節)を目的としたが、「消極優生」(劣勢の種を消してゆく・抹殺する)方向へと進んでいった。最初はナチスは自国内にて「F4計画」と称して「戦争の邪魔」になる「しょう害者」を大量に「抹殺」した。

「優生保護法」「母体保護法」は民族優生学やジェノサイド(民族殲滅思想)にも繋がる「排除」の思想であり、ナチスの優生思想(いのちに線引きをする考え方)を継承する思想ともいえる。

「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」という一文に始まる同法は、女性自らの心身を守るという「産まない」権利と共に、障害者を否定する「産んではいけない」という強制とが二本立てで共存する特異なる法律であったが、生命軽視が多分に含まれており、大きく疑問視されている。現在の「母体保護法」も名前は耳障りはいいが、お腹の中の「生命軽視」が多分に含まれており問題視されている。

そのことに気付かない「いのちの危機への鈍感さ」が、現代の「社会的病み(闇)」の表象化ともいえる。不登校10万人。320万人以上の精神障害。2400万人の不眠症。600万人の睡眠薬依存症。2万人の自死(不明死は17万人。遺書がないと不明に分類される。)を生んでいるのではないだろうか。喜びのない「貶め」の社会に人は「いのちを病む」のである。

実相(本来)の「いのち」は病まないが、現象世界(この世:映し世)に手て「病む」(映し身に現す)ことで「異常」や「危険」を悲鳴として現わしているのだ!!
三界は唯心の所現。この世は心の影(表象)である。

終戦直後は、貧困により、餓死者さえも出ようかという時代であった。一方、あれから70年以上が経過している(平成30年)。 マザーテレサが「中絶は胎内殺人である」といわれた言葉と共に(1)日本は豊かな国であると言われているが、(こころの)貧しい国である。(2)養子縁組制度を活用して、(殺さずに)赤ちゃんのいのちを守って欲しい。 という言葉を残しましたが、宗派や党派を超えて耳を傾け考えるべきであると思います。


現在(平成30年)、出産時に育児助成金「42万円」が出る日本。しかも病院に対する立て替え金もいらないのです。「母子手帳」をもらう時にそれ(育児助成金制度)がある事と、検診無料となる「14枚のチケット」をいただけるのです。

日本は、まことに手厚い。「思わぬ中絶を考える人の殆どは、母子手帳をもらう前に、悩むので、残念なことに、『育児助成金の事実』を知らないで「出産するお金がない」などといい、中絶する人が多いのです。」さらには・・2割の方が「帝王切開」(カイザー)を受けるため(保険が効くので3割負担ですから)例え入院費が加算されて「60万円」かかったとしても20万円で済み。20万円の助成金が余るのです。昔のような感覚での「経済難」で産めない人などは、現代では殆どありません。

全てではありませんが、よくあるのは「娯楽過多で大きな借金」(車、ブランド購入、贅沢、娯楽)が多い人です。「貧困」「貧困」と言いますが、「飢餓状態」で「失明」「短命」酷い場合「餓死」にいたる事を「危機的な飢餓・貧困」と言いますが、日本において、事実上は「栄養過多」により多くの「失明(糖尿病)」「短命(生活習慣病)」を生んでいます。NHKの「貧困特集」でやらせが発覚。学費はないが、豪遊をするお金は持っていた女学生だったという話がありました。

現行の「母体保護法」の経済条項(14条)は、事実上「空文化」しており意味を成していません。「いのち」を「お金」と天秤にかける生命に対する「冒涜的」条文であります。

即時に、削除しなければ成りません。

そして「母胎に影響」する「経済問題」に関しては、「保健師」との協力体制を取る新立法をお願いします。

このことで「国家存亡の危機」である1番大きな問題、少子化は解決します。人のいのち、国のいのち。今こそ1番大事な時です。心ある方、ご協力を。取り返しのつかないことにならぬよう。全霊で「母体保護法」改正。経済条項削除の声をあげて下さい。全霊で宜しく(お願いします。





facebook 大熊 良樹 

 (URL https://www.facebook.com/yosikio) より

       「いのちを守る親の会3つの提言!!」



補助資料「母体保護法」のその性質

「母体保護法」(特に経済条項)はナチスの優生思想の系譜を引く思想である。「堕胎推奨法」「日本滅亡推進法」である。即、改正せよ。 大熊良樹


(5年前(平成25年)の記事です。)

 優生生思想とは何でしょうか?

 また・・・・公称19万人といわれますが・・

 「日本国内では実際には、年間に何人くらい中絶されているのでしょうか?」

 私たちは、いのちをランク分けする 生命軽視の思想、「優生思想」に反対を表明します。なぜなら、全ての命は等しく、尊いからです。 貴重な資料を御紹介致します。

 私たちが反対し続ける、優生保護法〔現:母体保護法〕の生みの親、太田典礼氏の発言(おおた てんれい)

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 「中絶の届け出数が減少し始めたとよろこんでいるが、届け出数は実数の何分の一だといわれ、実数をつかむことは困難である。また中絶に対する世論がやかましくなるにつれて、指定医が届け出数に手心を加えているとも言われているから、いっそうあてにならない。


 中絶件数は年々うなぎ上りになり、100万をこえてきた。しかも、実数はすくなくともその2倍ないし3倍(200〜300万人)はあるだろうと、推測され、5倍(500万人)はあるとする意見すら出るにいたった。いずれにしても、出生数をはるかに上回っている事には疑いない。」

(1967年(昭和42年)4月「堕胎禁止と優生保護法」)

≪太田典礼≫太田 典礼(おおた てんれい(旧名:武夫)、1900年10月7日 - 1985年12月5日)は、京都府出身の産婦人科医。元衆議院議員(当選1回)。九州帝国大学医学部卒業。産児制限と安楽死を説き、子宮内避妊具である「太田リング」を考案した。


略歴

学生時代に、産児制限の推進者であるマーガレット・サンガーの思想を知り、以後避妊や人工妊娠中絶の運動を行ってゆく。1946年、第22回衆議院議員総選挙に日本共産党公認で京都全府区から立候補するが、落選。その後日本社会党に移籍し、1947年、第23回衆議院議員総選挙で京都2区から社会党公認で立候補し、当選。その後、加藤シヅエらとともに「優生保護法」(1948年施行、現・母体保護法)の制定に尽力した。その後労働者農民党に参加するが、1949年、第24回衆議院議員総選挙で落選。1962年、第6回参議院議員通常選挙に、京都府選挙区から無所属で立候補するが落選し、政界を引退した。

 また、日本の安楽死運動の第一人者としても知られる。1976年1月には、植松正らとともに「安楽死協会」を発足させる。同年6月には「日本安楽死協会」と改称、初代理事長に就任する。


 しかし、太田は老人について「ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。」と主張し、安楽死からさらに進めた自殺を提案したり、

 安楽死を説く中で、障害者について「劣等遺伝による障害児の出生を防止することも怠ってはならない」「障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。」と主張した。

 また、『週刊朝日』1972年10月27日号によれば、「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。 社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない」と放言した。


 太田のこうした言動から、安楽死が老人など社会的弱者の切り捨てや、障害者の抹殺につながるとして非難が起こった。太田はこうした批判に対して見当違いと反発したが、1983年8月には団体名を「日本尊厳死協会」に変更した。


 太田は「尊厳死」の用語を批判していたが、にもかかわらず「尊厳死」を採用したのは、「安楽死」が持つマイナスのイメージを払拭し、語感の良い「尊厳死」に変えることで世間の批判を和らげようとしたのが狙いと言われている。

 晩年は体調を崩し療養生活を送る。1985年12月5日急逝。享年85。

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以上

 生命の尊厳を何だと思っているのでしょうか。反面教師にしたいと思います。私たちは軽率な批判や人の名誉を棄損したくはありませんが・・・おそらくは、淋しい思いでお亡くなりになったのではないでしょうか。

 保険適用でない中絶の実情は、偽名で施術されているケースもあり、実数は不確かです。出生数100万人。・・・もしかすると年間中絶数が公表されている〔19万人の〕5倍以上、100万人以上である可能性もあるのです。(年間中絶20万人。科学雑誌ネーチャーでは 日本での中絶はゆうに100万人以上と 発表されている。)

 20代で毎年のように妊娠と中絶を繰り返している女性や、30代前半で、4人5人中絶しましたという女性の相談に対応したこともあります。このようなご婦人も、守りたい・・。「いのちの本当の尊さ」を知らぬがゆえの罪です。「いのちの尊さを、知る」事が大事です。

霊的な本質の真理を説きながらも、なお本質を違わず、心理学の原理を駆使して指導できるような講師になって下さい。 (10410)
日時:2018年11月05日 (月) 21時51分
名前:宇治学舎



ある日総本山で、良本峯夫総務の時に、総務以下谷口雅春先生から直接、ご指示がありました。

『 霊的な本質の真理を説きながらも、なお本質を違わず、心理学の原理を駆使して指導できるような講師になって下さい。そういう講師がこれから必要なのです。』

良本先生楠本先生ともこの話は良くしたものです。私はそういう意味では、心理学を用いて素晴らしい指導をする、大熊良樹講師を思い出します。

「個人指導や動画」さんありがとうございます。





個人指導や動画が注目されています。 (24198)
日時:2018年11月05日 (月) 17時38分
名前:個人指導や動画



個人指導や動画が注目されています。

私もこれを見始めて運命が好転し始めました。私も教区の代表でした。そして、わかったと思い込んでいました。しかし、全然わかっていませんでした。


個人指導や動画


救命ネットワーク

https://youtu.be/nghtZvZ1NBA


ブログの記事より


全国のこころある医療関係者の皆さん(医師・助産師・看護師・看護助手・准看護師・保健師・心療内科医師・相談員)救命ネットワークの皆さん(救命サポーター・会員様)がいのちを守る親の会の「100万人のいのちをまもる資料(ポスター・チラシ・リーフレット・電話相談)」を活用されています。ますますこの輪を拡げてゆきます。




感謝は人生を変える

「呪われた地蔵の話?」

https://youtu.be/-pI1F4pBX90


「5年の救命史」

https://youtu.be/pCH2zcLWlAk


「運命が変わる話」

https://youtu.be/HwU4p-vcgOk





お礼状

https://youtu.be/rhHfW6K2y3A



「人智で縁を斬るなかれ」


https://youtu.be/eNNd1TR1Zn0


「インターネット道場365日」

https://internetdojo.wordpress.com/


『百万人の児童を救う運動を起せ』谷口 雅春 先生 (10417)
日時:2018年11月07日 (水) 06時45分
名前:宇治学舎


『百万人の児童を救う運動を起せ』谷口 雅春 先生 (24239)

日時:2018年11月07日 (水) 06時35分

名前:愛知の親衛隊補佐


『白鳩』誌 昭和27年7月号 巻頭言

『百万人の児童を救う運動を起せ』谷口 雅春 先生

 世界に一つしかない法律が出来たのである。それが日本に出来たのである。人工流産の枠が外されて、一さい優生保護法指定医(開業三年後の産婦人科医)の自由裁量に任せられる法律である。産婦人科医に殺人の自由がゆるされた法律である。

 医学評論家の石垣純二氏は「こんな法律は世界中に一つもない。文明国にもないし、後進国にもない」と云っている。「人工流産は年々ふえる一方で、昭和二十五年は四十九万件であったが、二十六年は六十二万件以上とうなぎ昇りだ。


しかも、これは氷山の一角にすぎない。全医師の一割にもならない指定医が届け出た数字がこれで、このかげにどれほどのヤミ流産がかくれていることか。K市の保健所の調査では合法1につきヤミ3だったという。これを全国に当てはめてはえらいことだけれど、まあ表面に出た六十万件のかげに、その二倍ぐらいのヤミ流産があると推定される具体的証拠がある。」と。

 これによると一年間に二百万人の胎児の殺人が日本で公然又は黙認して行われていると云うことである。こうして殺人の上に築かれたる生き残っている人だけで平和がいつまでも平和でつづき得るかは疑問である。

 石垣氏は更に日本全国に千二百万人の適齢母性があるのに指定医は全国で七千人足らずしかもそれが都会に偏在していることと、この法律の堕胎公許によって堕胎を罪悪視する心がなくなることとによって素人による手軽な堕胎が到る処に行われる危険をのべ、更に(指定医だってピンからキリまである。指定医が手術したって、本質的には危険な手術に変わりがないのだ。

指定医の手術でも四、五百人に一人は死んでいるし、死なないまでも大出血や子宮穿孔などの障害のあった例は、その十倍もある。古屋公衆衛生院長が三百人ほどの指定医をしらべた報告では、十人につき一人づつ殺している指定医が四人もあったという・・・・それに流産にくる女性の二割が妊娠三ヶ月以内を過ぎてしまっていることも問題だ。九ヶ月の人工流産さえ聞く。

九ヶ月なら生きて産まれるはず。そこで頭に穴をあけて引き出すのだ。完全に殺人だ)まことに石垣氏の云うとおりである。

 最近私は龍野の婦人誌友で、骨盤の奥行が狭いから人工流産をさせるか、帝王切開分娩をしなければならぬと専門医から云われたものが生長の家の教えに触れて三度のシキリ毎に「あゝ好い気持・・・・」と快感を表現しながら無痛分娩した挙句、その婦人は股関節の先天的脱臼で右足が短くて跛を引いていたのが復旧して跛行せずに歩行出来るようになった実例をきいたのである。

これなども医師にまかせておけば、殺人される筈の子供であったのが、宗教に触れたために救われた一例である。政治に宗教が入らなければ本当に正しい政治など行えるのではない。 



御参考 (退職の辞)「赤ちゃんを救いたい」

谷口雅春先生の御悲願に捧ぐ

    生長の家宇治別格本山  (平成25年6月)
    祈願部神癒祈願課講師 大熊 良樹

▼かつて、1年間に公称30万人。闇中絶を入れると年間300万人の胎児が闇に葬られている・・と、谷口雅春先生は指摘し、全国に警鐘をならされました。そしてこのような言葉を残されています。

▼「悲しみに目を泣きつぶし」あまりに悲しいことが続くので、私の魂は泣き続けた。見たくない日本の現状なのである。「悲しみに目を泣きつぶし」という浄瑠璃のセリフがあるが、私の魂の悲しみや、私の見たくない心が、私の家内の肉体に影を投じて、急に家内の視力が衰えて来たのであった。<39年前:昭和49年10月号「理想世界」谷口雅春先生>

▼「この頃は悲しい事ばかり、憂うべき事ばかり、日本国内にも、国際的にもいろいろと起こって来るのである。もうこんな世界に生きていたくないと思う事すら時にある。」<(42年前:昭和46年12月号「生長の家」明窓浄机)>

▼近年、残酷な事件が世間を騒がせていますが、 お腹の中の子供を中絶する事は殺人であり、通常の殺人よりも、なお一層 ヒドイ殺人であるという事を師の言葉にて、あらためて思い知らされました。また、社会的に弱い立場の者を安易に「暗闇の淵」に立たせてしまう世の中こそ、じつはそのまま「こころの戦争」<修羅世界>であり、「平和」に最も遠い世界であることも知りました。そこで、目にしたのは60年近く前に書かれた、谷口雅春先生の「百万人の児童を救う運動を起こせ」<「白鳩」昭和27年12月号>という御文章でありました。

▼しかも、師は「悲しみに目が泣きつぶれる」という言葉を使っておられましたが、それを見たおり、私にとっては、「悲しみに目が泣きつぶれる」という表現は、人ごとでありませんでした。それは、東日本大震災の1か月前でした。

▼平成23年の2月。ブログにて「生命の尊厳」に関して書いた私の文章を見て、3人の赤ちゃんが「中絶」から救われたというお礼状が故郷(愛媛県)や近県(愛知・大阪)から、届いたのです。それからは、口コミで噂が全国に広がり、なんと3年間に27人の赤ちゃんが救われたとお礼状が届きました。

▼しかし、同時に「もっと早くこの記事を見ていたら中絶しなかったのに」というメールや書き込みが1年、2年、3年と年を重ねるごとに多く届くようになりました。

▼胸が痛み、眠れない夜が続きました。そんな時、谷口雅春先生の「光のような言葉」を見たのです。

▼全宇宙に響きました。「100万の子供(児童)を救え。」その時、魂の奥底から・・湧いてきたのは、年間100万人の「胎児を」救う運動への「決意」でした。

▼10年間お世話になりました。生涯この御恩は忘れません。赤ちゃんを救うことで御恩返しの一片でもお返しできれば嬉しく思います。生長の家から戴いた尊い退職金を投じて、マザーテレサの家のような谷口雅春先生に喜んでいただける「赤ちゃんを救う施設を作りたい」と思います。私は本当に本当に「生長の家」と皆さんが大好きです。10年間ありがとうございました。ありがたく、喜びあふれる10年でした。 (祈願部講師) 大熊良樹拝

   

平成の世に再び叫ぶ
 諸君、『百万人の児童を救う運動を起せ!!』

元幽斎殿祈願部講師 大熊良樹

東日本大震災の後に、私は宝蔵神社を退職した。幽斎殿というところで祈りの担当講師であった。3・11。釘付けになった文言。

《津波高潮(豪雨を含む水の害は)『流産児の涙』である》という、預言が宝蔵神社神域において、半世紀前に祝詞の中に、読み込まれていたのだ。

しかも、東日本大震災は、宮城の塩竈神社神域に向かって、前代未聞、高さ20メートル以上の大波が押し寄せたのだ塩竈神社は『しおつちの大神』(海の神=産みの神)である。

なんという暗示であろうか。私は祈りの仕事をし、直感(霊感)で、仕事をしている者である。もし殺せば殺されるという因果律が厳格にはたらけば、戦後1億3千万人を堕胎中絶している日本において、日本国民全て。一億三千万人が、ある日、突然、消失するような何かがあってもおかしくない、と、感じた。

(実際そうなるかどうかよりも、そうなるくらいに重大な問題(罪である)と認識するかどうかが重要である。)

ただし、『罪は包み(闇)』であるが、光を照らす人々の存在と、愛があることで、縮小浄化する(災害縮小する)と、私は思っている。熊本震災が東日本大震災と同じマグニチュードでも、死者数が全く違った点。その後の、堕胎数の減少。赤ちゃんポストや、多くの皆さんの愛の力だと思っている。

マザーテレサ効果という言葉がある。愛を感じると人は免疫や生きる気力が上がるという科学的実証である。そればかりか社会学者は「マザーテレサ効果」で愛深い行動を見聞きする。感じるだけで「犯罪発生率」まで下がるという。自然災害の微妙な起き方。

タイミング。それにも影響があるのではないか。仮説としても、心にとめておいていただきたい。

南海トラフは必ず来る。自然災害は定期的なものである。だが、人的被害が出るか出ないかは「タイミング」である。わたしが思い出すのは、平成26年(2014年)9月27日11時52分に起きた御嶽山の爆発である。

噴火警戒レベル1(平常)の段階で噴火したため、火口付近に居合わせた登山者ら58名が死亡した、日本における戦後最悪の火山災害である。 夜なら被害はゼロだったのに、多くの人が山頂で「昼食を取ろうと」お昼に山頂につくことを目指して登っている時の爆発であったから、最悪の事態となった。

「人・時・処」三相応。タイミングこそ重要である。地震もよし。津波もよし。ただ、被害がゼロであればいいのだ。必ず、そのようなタイミングが、ありうる。

 南海トラフ。その当日、「和歌山」「徳島」「高知」「大阪」「愛媛」「広島」「大分」「宮崎」「そのほかの地区」においてどれだけ被害をゼロに近付ける事ができるか。防災や、建築基準、危機管理も大切だ。さらには・・・

 来るタイミング。時間。場所。起き方。自然現象とはいえ、心境や心構えが大事であると思う。全ては影響し合っている。 少なくとも、大量殺戮は、良くない。まして闇中絶はあんまりだ1日二千人。現代の闇の闇である。《津波高潮豪雨は『流産児の涙』》たかが祝詞とおろそかにしてはならない。 (何度でも書かせて戴く。)

不登校10万人。320万人の精神障害。2400万人の睡眠障害。600万人の睡眠薬依存。

年間100万の中絶(子孫殺し)。この原因は、大東亜戦争で「あなたたち」のために「いのち」を掛けた人々の「生き方」と「いのち」を侮辱している世相の現れ、自己懲罰、自死行為である。安らかな「眠り」につけない大事な人があるのである。全くもって世が狂い人のあり方が「おかしい」のである。「忘恩の極み」なのである。

 毎年公称20万人(実際は100万人の お腹の中の赤ちゃんが無残に殺戮されている事実は、先祖を貶めている象徴として、子孫を「惨殺」する事で自己毀損(魂の自己冒涜・霊的自殺行為)をしているのである。(じつは、ここから、谷口雅春先生の「神命の書」は出ている。)

諸君、『百万人の児童を救う運動を起せ!!』 大熊良樹拝



 


勉強会の資料です。 (10424)
日時:2018年11月11日 (日) 08時34分
名前:宇治学舎

いただいた資料を掲載します。

勉強会でどうぞ。

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人命尊重運動 優生保護法改正の問題が解決されれば、憲法問題もおのずと解決される、と谷口総裁先生は仰せられました。

(生長の家40年史463p)


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生命誕生とは?(×生命への線引き)

◎(1) 受胎の瞬間説 

  胎児は受胎の瞬間から人間であり生命に尊厳が帰せられる倫理的人格である。

×(2) 胎動説

  母胎が胎動を感知したときに人間となる。

×(3)  母体外生育可能説

  母体外育成可能以前胎児は母体の一部にすぎないが、 
  母胎外育成可能性を堺に胎児は人間となる。

×(4) 受胎の非人間説

  胎児は出生と共にいのちが守られる人格となる。

「 生命の教育  」


   心理学の世界では・・・

     幸せになるためには。
  

心理学  セルフ エスティーム

Self esteem

自己肯定感

自尊感情 自己重要感 自己所有感  《 高いか・低いか?》

(自分を愛する気持ち)

 効能・結果

(1)自分を愛することができる

(2)他人を愛することができる。

(3)関わりを愛することができる。

(4)ありのままの自分を受け入れることができる

(5)自己生長に生きがいを感じる事ができる。

(6)愛されている実感が「宇宙いっぱい」にある。


ないと・・

  ものに依存する。

  お金に依存(金権主義)(金の亡者)

  自己毀損感情・自傷行為・自殺・鬱・不眠

  精神不安・社会不安・満たされない・親殺し・子殺し 



どうすればいいか?

@丸ごと存在価値を認める。


A否定せず(根拠ある)肯定。


B心に届く形で肯定・賞賛する。


 ☆ 実相を見る(礼拝) 認める 褒める ☆


不幸になるためには・・

先祖と断絶(誇りを喪失)させる。

人間観・自分観(セルフイメージ)・人生観をおとしめる



終戦(昭和20年8月15日)

アメリカ占領軍(GHQ)洗脳部門: C I E(民間情報教育局)

Civil Information and Education Section


W   G   I   P = 贖罪意識 擦り込み計画

ウオー・ ギルト・ インフォメーション・ プログラム


戦争 犯罪   情報     計画 



検閲部隊《スタッフ》370人

嘱託日本人 5700人

新聞記事1日500本

手紙月に400万通 検閲

朝日新聞が、出版「報道」を担当。


4大教育指令
 

昭和20年10月22日 第1指令

文部省 総理 以下公職者

管理政策 (GHQに従い政策を実施する事。)


昭和20年10月30日 第2指令

教職員 官僚 GHQに反対しそうな人物 公職追放

テスト 3千人失格 20万人自発辞職

昭和20年12月25日 第3指令

神道指令 自国の素晴らしさ教えるのを禁止
  
 建国の史実・神話・起源・精神・理念 《消す》

(軍国主義と国家神道は悪の権化) 構図教育

アメリカ《連合国》と日本の戦いでなく民衆と《1》軍国主義(軍人・財界)《2》天皇を信仰するファナシストとの戦いだと擦り込む。


昭和20年12月31日 第4指令


修身・ 歴史・「地理」禁止

15年戦争でなく、実態は、西洋諸国を中心とした、植民地政策を元とする侵略と支配のための「500年」戦争だった。

占領軍にとって、この事実を歴史から封印することが大事だった。

教育の基本「罪悪感情」「贖罪意識」を高めること。



セルフ エスティーム( Self esteem)の、逆観念。

自己肯定感 消す。

自尊感情消す。 自己重要感消す。 自己所有観消す。

          劣等感。







「歴史」・・神話 歴史 奪うと民族は滅びる。


「地理」・・見ると500年戦争の事実(真実)が暴露される。


「修身」・・500年戦争「 日露戦争の勝因 」は教育勅語



修身・ 歴史(国史)・地理


英訳 解説 喝采「教育勅語」イギリス〜欧米で2年間

     ケンブリッジ(物理数学)

菊池大麓 文部大臣 東大京大総長

※ 15年戦争→「500年戦争」わかる(地理)

   

「 母体保護法 」経済条項削除を!!


「 母体保護法 」・・・昭和23年(1948年)に制定された優生保護法のうち、優生思想に基づく部分を削除する改正を行い、題名を母体保護法に改めたもの。平成8年(1996年)9月施行。 前者の「優生保護法」は、「堕胎推奨法」ともいわれており、禁断の人口調整(削減)のために、アメリカ占領軍の統治下において制定された法律である。


「優生保護法」は、「優生学的に劣悪とされる遺伝を防止する目的の不妊手術を認めるとともに、人口急増対策としていのちに線引きをする思想を元に制定された法律。」いのちに対して「優等」「劣等」と線引きし、「劣等者」を排除する思想を「消極優生」という。当初は逆の「積極優生」を中心に研究されていたが、ナチスなどが「消極優生」を強く展開し、多くの「障害者」「ユダヤ人」「戦争反対者」を施設に収容して(最も有名な施設は強制収容所である)虐殺したことから、戦後は「優生思想」はタブー化している。「優生保護法」に関しても、障害者差別である事などから、障害者団体等からその改正が強く要望されており、平成8年(1996年)「母体保護法」として改正された。

(1)法律の目的から、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」を削る。

(2)「優生手術」を「不妊手術」とし、遺伝性疾患等の防止のための不妊手術に関する規定や精神障害者に対する本人同意によらない不妊手術に関する規定を削る。

(3)人工妊娠中絶の規定から遺伝性疾患等の防止のためのものを削る。

(4)都道府県優生保護審査会および優生保護相談所を廃止する。

などがおもな内容である。しかし、母体保護法という名称は変っても、14条の「経済条項」があることで、「経済的理由」の条文が拡大解釈できるために、ほとんど堕胎推奨法としての本質は変わっておらず「優生思想」に基く「生命軽視」「生命冒涜」の本質は変わっていない。

「母体保護法第14条」とは・・・

第1項 都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

第1号 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により
       母体の健康 を著しく害するおそれがあるもの。

第2号 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは
    拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの。

第2項 前項の同意は、配偶者が知れないとき、若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者が亡くなったときには本人の同意だけで足りる。








相模原市の障害者施設殺傷事件「優生思想」に ついてモノ申す。
京都いのちの教育センター主幹 大 熊 良 樹

 相模原市の障害者施設殺傷事件。「障害者は生きる資格がない」「重複障害者は人間ではない」と・・犯人。50分で45人を刺し、19人が死亡した。

私たちは、みな、尊いひとついのちである。「いのちひとつ」という言葉の真逆の概念。それが、「優生思想」(いのちへの線引き)である。 例えば、障害のある赤ちゃんを堕胎していいとする「残酷な選択権」なども優生思想である。歴史的に、常に弱い立場の者が、優生思想の犠牲者になることが多い。

 相模原市の障害者施設大量殺傷事件。障害者は人間ではない。家族のためにも殺す・・と今回の凶行を決行したという。こういう考え方。いのちに線引きをする考え方を「優生思想」と言います。ナチスのユダヤ人虐殺に並ぶ「いのちに線引きする思想」である。お腹の中で「ダウン症かどうか検査して」いらない子であれば堕胎するという発想と同じだ。 老人も赤ちゃんも、本来、弱くはないが、状況により、社会的弱者になりやすい。しかし、そのような立場の人をどれだけ守れるかで、社会全体の「幸せ」や「心の豊かさ」が守られ、窮極の表現をすると「戦争」と反対の生き方ができる。

これを平和といい、社会的成熟といえる。マザーテレサは日本に来日した時に、霊感で「この国は貧しい国ですね。」「赤ちゃんを殺さないで下さい」「中絶は胎内殺人です。」と述べられた。 社会的弱者になりやすい、お腹の中の赤ちゃんの人権や、尊さを伝えること啓発活動の浸透は、本当の平和のバロメーターである。陰で多くの弱者を苦境に追いやり(幸せや豊かさを山分けにする・・・)幸せになることなどできない。尊くない「いのち」などひとつもないのだ。

すべての「いのち」が無限の尊さを持つのです。社会的弱者への待遇こそ、全ての人々の未来を暗示するのである。

 最近のイスラム国を自称する「大量殺人」と組織的関連はないが、社会的には(心の世界では)実は連動しているのである。最近多発する「テロ」を口実にした大量殺人。
  自分たちの正当性を伝えたければ「悪」でなく「善」を為すべきである。良き行い、良き言葉を発するべきである。悪業が悪業を呼び、循環する。これを超える道はただ一つ。 生命への徹底礼拝である。

憎しみ連鎖。報道された時点で「心の事実として」見聞きした人の体感(体験)として認識するのである。人類暗黒化である。すなわち影響されるのである。その意味で私たちのいのちは深く影響し合っているのである。われ先にと損得ばかりを考えていると、一番大事なものを失う気がする。人を照らす生き方。人類光明化こそ重要である。
生長の家の全貌 (1) 

  〈昭和30年〉立教25年
     人類光明化運動の基礎となるもの    谷口雅春先生

 われらは神を、人間を離れて存在し、天上から人間の行動や心裡を監視していてそれ判し、人間に幸福や審判を天降す超人間的な妖怪的存在とは見ないのである。吾らは宇宙普遍の智慧であり、愛であり、生命であると信じ、その宇宙普遍の智慧と愛と生とが開して、空の星も、太陽も、月も、地球も、地球上の一切のものが顕現したと信ずるものである。

 従ってまた人間自体も、その宇宙普遍の智慧と愛と生命との顕現であるから、本来完萬であって如何なる不幸も、災難も、病気も窮乏もあり得ないことを信ずるのである。而もその不幸、災難、病気、窮乏等があらわれて来ることがあるのは、自己が心の眼完全に開かず、心が半睡状態にして、採るべきものを採らず、採るべからざるものを選採することに基因すると信ずるのである。

 それゆえに生長の家の人類光明化運動なるものは、人類の不幸、災難、病気、窮乏等を消尽するために、心の眼をひらかしむることに重点をおくのである。凡そ不幸、災難等に遭うのは神の叡智が完全に、その人の心の眼のうちにひらかれていないために誤った選択をするからである。
 
 たとえば、洞爺丸が函館沖で転覆したのは、その船長に神智がひらけず出航すべからざる時に船を出航させたことにあるのである。またその船にのって遭難した人たちもその船が転覆することを予測するところの神智が自己の心の眼がひらかれてなかったからである。日本が昭和16年12月8日に英米に対して宣戦布告したのも、心の眼がひらかていなかったために過った選択をしたのである。

 すべてこれらの問題は智慧の問題であって、そのほかの原因は従属的な原因に過ぎない。ある病人が自分に適する分量の薬剤と治療法とによって治るのも、智慧が宜しきを得たためである。生長の家は必ずしも医療を排斥するものではない。智慧なき医療を排斥するのある。多くの医者があるのに、殊更に誤った医療をほどこす医者にかかって、特異体質あるのに不適当な注射を受けて、数時間のうちに死んでしまう人の如きは、やはり智の眼が、自の心のうちに開かれていなかったからである。

 吾々が真に凡ゆる面に於いて幸福を獲得するためには、神智を啓発することである。この内には宇宙をつくった神の叡智が宿っているのであるけれども、脳髄智のみを働かせてその神智を働かそうとしないから、神智が眠っているに過ぎないのである。 生長の家はその神智を人類から呼び醒まして正しき行為の選択によって地上に至福の生活を建設せんとするものである。神智をひらく方法として生長の家では坐禅的祈りの方でる神想観を行うのである。                       
    生長の家の全貌 (2)
       〈昭和30年〉立教25年 
 
 生長の家の全貌 ― 
  生長の家は現代に何を与えるか

  人権の基礎となる「人間」の本質の把握について   谷口雅春先生

 生長の家は現代に何を与えるか ―― と云うおたずねでありますが、生長の家は人生に最も必要な根本的な「人間とは何ぞや」の魂の自覚を与えるのでありますから人の生活のどの部面にも必要なものであり、現代でも、次の時代でも、何時の時代に必要ものであります。或る一時代だけに必要だと云うものではありません。併し特に現代に何を与えるかと云う問題について今日はお答えしようと思うのであります。

 凡そ人間の生活にとって何が必要であるかと言っても「人間とは何ぞや」の自覚のほど必要なものは他にはないのであります。

 戦後、人権の自由が叫ばれ、その解放が唱えられているのでありますが、人権の自由を唱せられるのは好いとして、さて人権即ち「人間」の基本的権利の確立をハッキリさるめには、人間なるものが如何なるものであるかが先ず最初に確立されなければならないのであります。

 ハッキリこれを言うならば、人間とは物質的肉体そのものであるか、それとも人間は「霊」であって、肉体は、その霊的人間の表現のための単なる「座」であるかどうの問題であります。

生長の家の全貌

 (3)  〈昭和30年〉立教25年

     「人間」は肉体に非ず 谷口雅春先生

 この問題がハッキリ解決せられることなしに、戦後、日本に於いては人間の自由が高唱せられたのであります。

それは戦争中に極端に人間の自由が圧迫せられ、人間の自由は全く窒息せしめられたような状態に置かれたのでありますから、その反動として戦後人権自由が高唱せられるのは当然のことでありまして、寸毫もそれに間違いがないのあります。

 併し、人間とは如何なるものであるかの基本的な問題が明示せられることなしに、「人間は自由である」とせられたものでありますから、そして、その場合の「人間」とは、眼で見えるところの「肉体人間」と普通一般には認められていたのでありますから、「肉体人間のすべての本能を自由に解放することが、人間の基本的人権の自由」とせられるに到ったのあります。

 従って人間の本能のうち最も大なるものは性慾でありますから、先ず第一に性慾が自解放せられたのであります。

 「人間は恋愛する自由がある」そしてそれは主として「人間は性慾する自由がある」という意味にとられてしまいました。そして姦通罪は廃止せられました。既婚有夫の婦人も「愛する自由」はあるのでありますから、基本人権の自由を高唱する限り、「恋愛する自由」を束縛することは憲法違反になる訳であります。


 姦通罪が廃止せられますと、姦通は罪にならない ―随って姦通は罪悪ではない と云う意味にとられまして、姦通することが平気で行われる傾向を生じ、平然として通し愛情は純粋でなければならないから、愛が消え去った家庭に止まる必要はないとて、自らの移り気なことは棚に上げて恥じようとせず、そのために離婚訴訟が頻繁に行れると云ような現状であります。

 これは明らかに、「肉体の本能」を「人間の基本人権」であるかの如く思いあやまり肉体本能を満足させることを、人間の基本人権の自由と思い誤った結果であります。其に魂の純潔とか、至誠一貫とか云うことが全然わすれられていて、肉体の本能の自由のみが唱せられているのであります。

 生長の家は、斯くの如き現代に立上って「人間は肉体に非ず、物質に非ず霊なり」と説くのであります。そして肉体は霊の表現の「座」としてのみ存在価値が認められると説くのあります。

 こう云ったからとて私は「肉体の本能」を全然無視せよと言うのではありません。

 肉体は、ただの「霊」の自己表現の「座」として使われるときのみ、それは聖化せらるであります。

 例えば、肉体の本能を自由にのさばらせてその性慾を満足せしめようするき、即ち「霊」より遊離して、ただ肉体的快感のためのみに、「霊」のことを少も考えことなく、それが充足せられるとき、それはまことに醜しき感じを受けるのでります。 しかしまたその肉体的交わりが、霊的一体感に裏付けられて、霊的一体の自覚が、肉一体の行為として性慾満足となるとき、その外面より観れば同じ行為に見えるところそ行為が夫婦の神聖行事となってあらわれて来るのであります。
 この事をハッキリさせないで、ただ漠然と、人間の基本人権の自由が唱えられている対し、先ず霊的人間の自由を確立せよと主張しているのが生長の家であります。

  『霊』の自覚に伴ふ諸般の 利益と聖使命会の役割  
                
 人間は物質に非ず、肉体に非ず、霊なりと云うことが確立せられ、肉体は霊の自己表「座」であり、物質は霊の自己表現の素材であると云うことが根本的に魂の底から判まと、人間は物質的なものの奪い合いに争うことがなくなるのであります。

 人間が「霊」であるならば霊的満足を得るもの、霊の自由なる表現となるもの以外に求めることがなくなり、霊が肉体を去る時に持って行けるような永遠価値あるもの以外には求めなくなるのであります。

 従ってまた領土の奪い合いもなくなり、李承晩ラインもなくなり、竹島問題もなくな更に進んではソ連とアメリカの対立と云うようなこともなくなり、世界に平和が来るのります。

 世界に平和が確立しないのは、人間は「霊的実在である」と云う思想が世界人類に浸透しない結果であります。人を殺してまでも自国の領土を拡張したいような誤れる野望は明かに人間を霊的実在であると知らず、人間の悦びを物質的所有の拡大によるのであると考ているような間違いの人間観から来るのであります。

 人を愛する喜びのような霊的満足を味わうことこそ「本当の自分」の悦びであると云うことが分れば、人を殺すような危険を冒してまでも領土の拡張などを計画するものではないであります。

 この事に吾等が思いを致すとき、吾らが世界平和につくすべき使命は実に重大でありて、それ故にこそ今回組織せられたる吾らの「聖使命会」の人類的な責任は一日も忽(ゆるが)せにすることが出来ないのであります。

生長の家の全貌 (3) 
〈昭和30年〉立教25年
 
萬教の真理の一致を指摘して世界を平和ならしめる  谷口雅春先生

 世界平和の妨げとなっているもう一つの原因は、各種の宗教が互に対立していまして何かといえば印度教徒と回教徒とが永遠の対立をして争っているかの如く争っていることです。 日本国内に於いてすらも各種の宗派が対立していてなかなか仲良くなれない位でありますから、対立している世界じゅうの宗教が互に一つとなって仲良くなることは殆ど不可能にちかい今までの有様であったのであります。
 併し、こんなに各種の宗教が一つに仲よくなれないのは何故であるかと云うと、萬教が本来唯一つの「救いの原理」から発現したものであること、恰も無色透明の太陽光線か七の分光を生じたようなものであることを知らないからであります。

 其際、生長の家が出現して、萬教が「一」であるところの真理を闡明(せんめい)し出すのであります。

 しかもその萬教帰一は、「生長の家」の説く一宗一派の真理に萬教を服しめると云う意味に於いての萬教帰一ではなく、各宗所以(しょえ)の経典の神髄を得たところを指摘して、その甚深の意味が互に共通せるところを説いて、在来祖先等より伝せる宗の伝統を毀すことなく、「成る程、あなたの信じていられる宗教も、わたし達が信じている宗教も、本来の意味に於いては一つなんですね」と互いに打ち融けて物語れる云うような意味に於いて、各民族の各宗教が互いに一つになれるようにしたのが「生長の家」でありますから生長の家の説く萬教帰一の真理のひろがるに従って、佛教とキリストと、印度教と回教の対立と云うようなことが自ら姿を消してしまうことになるのであます。爰にも生長の家が平和に貢献し得る重要な役割を演じているのであります。

 大体、今まで佛教は婆羅門教の説く、世界の創造主としての大自在天を否定して、この世界を斯くの如き「神」の創造せる世界にあらずとして、この世界は唯心所現の世界でるとを説いて来ました関係上、正統の佛教は所謂無神論とみとめられて来ていまして天地創造主を神としてみとめるキリスト教とは、互に氷炭相容れざる者であると考えられて来たのであります。

 ところが生長の家は、唯心所現の世界を、創世記第二章以後のアダムが「智慧の樹」の実をたべてエデンの楽園から追放せられた以後の世界であるとし、「エホバ神」と云名書かれていて、人を罰したり復讐したりする神を、〈本当の神は至仁至愛の神であから単なる心の法則〈唯心所現の法則〉の擬人化(パーソニフィケーション)と解釈すことにって、「神は愛憎によって動かされず」 「神は至仁至愛なり」 との人間の天的神観一致せしめ、罰とか復讐とか云うことは、神から来るのではなく、「心の法則」よって、唯心的に現れるところの現象であることを明らかにして佛教の唯心縁起と、神罰説とを一せしめたのであります。

 それでは全然、創造神は否定せられたかと言いますと、決してそうではないのでありて、法華経の如来壽量品の自我偈に示されているところの「衆生、劫尽きて此世の焼る見るときも、我が浄土は安穏にして天人常に充満せり」とある聖句を解して。「劫きてくる此の世」を唯心所現の現象世界とし、現象世界の破滅すると否とに拘らず「に安穏して天人充満せる實相世界」を唯心所現以前の「金剛常住の神の創造り給える全なる実界」として、これを創世記の第一章に示されている神のコトバによって造られている世界としたのであります。

 これによって、佛教所説の「唯心所現の無常世界」も否定せられることなく、しかも奥に水に溺れず火に焼けず天人常に充満せる「金剛常住の神の創造界」を認めること出来佛教とキリスト教とを完全に一致せしめることが出来たのであります。

 爰に世界二大宗の対立は解け、それに倣った解き方で、世界のすべての宗教が互に和解して手つなぐこが出来るところの基本的根拠が出来上がることになったのであります。

生長の家の全貌(4) 
 
       〈昭和30年〉立教25年 

    独創的な直感による各宗教義の偏差の調整  谷口雅春先生

 斯く云えば生長の家は単に既成宗教を互に手をつながらせるだけの役目をしていて、独自のものはないのかと言う人があるかも知れませぬが、凡ゆる宗教はすべてその 出発の時代、場所、聴聞する人間の文化的範囲に従って何等かの偏りをもっているものであります。また偏りがあるからこそ、多くの宗教が無色透明普遍的になれないで互に手をつなぐことは出来ないのであります。 その偏差と云うようなものを埋めると云うことは、一つの独創的な創見又は創作でありまして、萬教を一つにつなぐ真理と云うようなものを説くことは、ただの受売りや、切貼りでは出来ることではないのであります。

 単なる受売りや切貼りの寄せ集めでありますならば、その宗教が生きた有機的なハタラキを顕して信者に無数の奇蹟的な功徳を実現すると云うようなことは到底出来ないのであります。吾らの説く萬教帰一の真理に、眼も眩い無数の星のように奇蹟的功徳があらわれるのは、生長の家が唯の寄せ集めの切貼りではなく、その宗教に有機的な生命が通っている証拠であります。

 唯物論的な人生観の横行する現代に於きまして、多くの人たちは肉体的な「人体」だ見て、「人間」を見ないのであります。到る処に「人体」は歩いているが「人間」は歩いていないのであります。どれもこれも魂のない「人体」ばかりの横行です。だから、死後の人間の霊魂の存在と云うような事は考えてもみない人が多いのです。

 「霊魂」とか「心」とか云うものは、物質が「肉体」と云う複雑な形に組合わされるき其処から放射される眼に見えぬ不思議な作用であり、肉体と云う複雑な形態が死んでしまったら、もうそんな「霊魂」とか「心」とか云う放射能は出て来ないと考えている人が多いのであります。 これは大変な間違いでありまして、こんな唯物論者には霊魂の存在と云うことがわからないから祖先の霊を大切にしなければならないと云うこともわからない。 従って祖霊の祭祀を怠っているのでありまして、其の為に霊界に於ける祖先霊の悩みの具象化によってその孫が原因不明の病気に罹っている実例は随分沢山あるのであります。
 アメリカなどではキリスト教が盛んでありながら、そのキリスト教が偏ったキリスト教であって、祖先霊の祭祀をおろそかにしているものでありますから、霊界で悩んでいる先霊波の放送のために精神病や小児麻痺の多いことは世界第一になっているのであります。

  新しき精神身体医学の樹立

 ところが生長の家では、聖経『甘露の法雨』を祖先霊に読誦供養することによって、現にそうした精神病や小児麻痺が治っているのであります。

  爰に宗教が精神身体医学接する一面が開かれているのでありまして、医学に新しい観点を与えることになっているのであります。 医学は必ずしも肉眼で見える物質方面の治療方法を講ずることのみをもって足れりとしてはならない事は当然のことであります。現に肉眼で見えない黴菌と云うようなものを顕微鏡等によって探し出し、それに対応する方法等を講じているのが医学でありますから肉眼に見えない霊魂の影響と云うようなのを処置する方法を考える事をも、医学の取扱範囲内入れても差支えないと思うのであります。

 人間は肉体と精神と霊との三重の複合体でありますから、そのうちのどの方面からもになることがあるのでありまして、あらゆる場合に於いてその一方のみに偏った治療施と云うようなことは、或る偏った偏見によるものでありまして、肉体を所縁としてる病には肉体的治療が必要であり、精神を所縁として起る病気には精神的治療が必要あり、の悩みを所縁として起る病気は霊的治療や、霊を悟りに導く宗教的行事が必要のは当然ことであります。

しかし、精神は肉体を支配し、肉体的成分を如何に配分排列して内臓其の他の新陳代行うかをリードしているのは「精神」のハタラキであります。 そして尚その「精神」上に更に「霊」の働きがあるのでありますから、肉体的治療を行わずとも真に精神的び霊の治療が行われますときには、間接に肉体も支配せられて健康化するのでありまが、肉的にいくら治療を施しても、精神方面に「病気になりたい意志」や、色々深刻精神的悩が存在する限りに於いては肉体は健康を快復することが困難なのであります。

 小児麻痺患者のウィールスの人工培養法を発見したと云って昨年度のノーベル医学賞生理学賞を受けたジョン・F・エンダース、トーマス・H・ウェラー、フレデリックCロビンス博士の如き人々もあるのであり、そして、これより製した予防ワクチンを年アリカで五十万人の小児に予防注射を試みたそうでありますが、その効果がまだ判からない。それにしても、そのウィールスは如何にして発生したか ―― その背後には亡の霊的波の存在があるのであって、これは聖経読誦によって霊的障碍を取り除くことよって、小麻痺の治癒する実例があることによって明らかなのであります。


 およそ生体〈ウィールスや黴菌をも含む〉発生の奥には「霊」があるのであって、物生物となるのは「霊」の力によるのであります。顕微鏡その他の方法によって肉眼に見える病源体を発見することが現代の医学に捧げる貢献であるとしてノーベル賞を授与られ価値があるならば、ウィールス発生のなお根元にあるところの、肉眼に見えざる神的及霊的なる病源を発見してこれを治癒に導くことが出来る生長の家は、医学に対ても著し貢献を為しつつあるものだと言わなければならないのであります。

生長の家の全貌 (5) 
 
  〈昭和30年〉立教25年 

心理学及び精神分析 に新分野の開拓 谷口雅春先生


 現代に於いては心理学及び精神分析學の進歩に従って、それを医療に応用する方法が徐々に日本の医学界にも取り入れられようとしつつあるのでありますが、在来の精神分や心理学応用の治療法に於いては、神経症とも云うべき機能的疾患は、それによって癒ることがあるとせられていて、既に肉体に大損傷をおこしている器質的疾患は単なる精指導では治らないとされていました。これに対して如何なる器質的疾患も、精神指導にって癒し得る場合があると云う実例をひらいたのが生長の家なのであります。

 こう云えばとて生長の家は決して治病宗教と云うのではないのであります。生長の家根本的に謂えば、久遠不滅の自己の生命を自覚せしむるところの宗教でありますけれども久遠不滅の自己の生命を本当に自覚せしめ得ることが出来ますならば、およそ、人生にける精神的悩みは解消する筈でありますから、精神的な悩みや、抑圧された感情が原因なっているところの病気は宗教によって悟りを開くことによって治癒せしめ得るのは当でありまして、それを治癒せしめ得ないような宗教が若しありとするならば、その宗教抑圧感情一つすら取り除くことの出来ない ―― 即ち人生に久遠不滅の悟りを与えず、従って根本的に魂の大安心を与え得ない宗教だと言わなければならなぬのであります。


 だから宗教は、治病そのものが目的ではないにしても、治病現象はその宗教が正しき「の悟り」を与え得る宗教である限り、必ず起るべき現象であるのでありまして、治病現を起し得ないような宗教は、形骸が如何に堂々としており、教義の理論的体系が如何に備しておりましょうとも、その宗教は決して「本当の魂の悟り」を与え得ている宗教だは言い得ないのであります。

 これによって是を観れば、生長の家に於いて教義の講演を聴いたり、教義の説明の本読んだりしているうちに起る治病現象をもって、生長の家を宗教の本質を逸脱せる宗教と考えるのは間違いなのであります。
 併し、宗教が単なる宗教と云う限界をつくって人間救済のことを霊的方面のみに限定る必要は当然ないのであります。生長の家は人間の久遠不滅の魂の悟りに導いて、その産物として治病現象が起ると云うことを申しましたが、その治病現象を単なる宗教の副物たらしめることなく、その治病の精神的過程を分析し綜合することによって、如何な病気が如何なる心の悩みから起るものであるかと云う事を発見し、その心の悩みを指摘しその心の状態を反省し、懺悔又は悔悟せしめることによって病気が治るとの結論に達し新しき精神分析学を学界に樹立することになったのであります。

 この新しき精神科学は、肉体を実在と見ず、人間を霊的実在と観、「霊」なる人間は「霊」の意思表示なる「心」の表象として、肉体に於いて象徴的に自己を表現している云う生長の家の宗教的教義を科学的に立証する役割をも演じているのでありまして、宗的教義と精神科学とが表裏一体となりつつ人類から病悩苦の一掃に力を尽くしつつあるであります。

 この方面の吾々の研究努力は、『健全の真理』〈基本篇〉、『健全の真理』〈生活応用篇〉『人間性の解剖』『精神分析の話』等の私の著書となってあらわれ、尚、その傍証的研書として、日本教文社よりフロイト選集全十ニ巻、メニンジャーの三部作『人間の心』『憎』『おのれに背くもの』、アイヒホルンの『手におえない子供』等を出版して、ともれば唯物論的一面観に陥ろうとする現代人に人間の精神的面を閑却してはならないこと警告しつつあるのであります。

西欧支配に対する東洋文化の対抗

 戦後、日本を襲ったところの民主主義旋風は、その旋風の名にふさわしいように、上の秩序の混乱を引起しました。権威破壊の民衆の精神的暴風は一切の特権階級を烈しくさぶり落として、天皇の権威さえも、風におののく晩秋の櫻の葉のようにいつ落葉するも知れないような有様となったのであります。


 イザナミ文明を核心とする西欧文明は「分割して支配せよ」との原理に従って、物質細かく分割して原子爆弾、水素爆弾を製作し、それによってビキニ環礁を細末に粉砕し死の灰をふらせて問題を惹き起したのではありますが、「分割して支配せよ」との西欧支配イデオロギーは、日本を弱体化するために蜘蛛の網のようにあらゆる方面に張り渡れて、著々日本弱体化が実行せられたのであります。

先ずそれは、日本国が「神なる天皇」を中心に国民は天皇の赤子であって、一大家族家であると云う信念を、細かく分断して日本国民の団結力を弱からしめようと云う方策用いられたことであった。 そのために、マッカーサーは天皇をしてみづから「神に非ず人間なり」と云う詔勅を発せしめるなど愚にもつかない子供だましの策略を行ったり、古事記及び日本書紀にあ日本上代の歴史のうち、崇神天皇までを、ただの神話であるとして、瓊々杵尊(ににぎみこと)や神武天皇を日本建国の歴史から省いてしまうことに努力したのであります。

 この西欧の「分割支配」の方策におどらされて、日本の文化人中、霊感なき唯物論的証主義者の歴史家たちは、瓊々杵尊は勿論、神武建国の記事を「社会科」の歴史教科書ら省いてしまったのであります。

かくて、日本の建国の理想は曖昧となり、戦後十数年後の学校卒業者には、神武天皇名さえ知らざる者がその大部分を占めるであろうような教育企画に乗ぜられてしまったであります。このため、神武建国を記念するところの、紀元節又は建国節は今に至るも定の運びとならない現状で、日本は建国なき国として今も亡国にちかき現状で引続いてるのであります。

生長の家の全貌 (6)  
     〈昭和30年〉立教25年    谷口雅春先生

 これに対して、生長の家の主張するところは「人間神の子」の真理により、吾々日本民がすべて「神の生命」を自己の内に宿す以上、天皇も亦、「神」の生命をやどすのであり、だから天皇も亦「神」にましますことは当然であり、吾々日本国民は、瓊々杵尊が高天原より天降られて地上に日本国を建設されれたときに、瓊々杵尊と同時に天降って来皇族又は五伴緒命(いつとものをのみこと)の子孫として互に血縁関係と云うような密接紐帯によって結ばれていると主張するのであります。

 こう云う主張をするきには、「だから生長の家は迷信だと言うんだよ。人間が天から降って来るものか」と。 私は答える ―― 私は人間を「肉体」として話しているのはない。人間を「霊」として話しているのである。だから私は、この論文の最初の項に現代の日本には、如何に多くの「人体」ばかりが横行していて「人間」がいないことでるか ―― と言って揶揄したのであります。「人体」が「人間」として生きて動き出ためには神の「霊」が天降らなければならないのであります。

 霊なき「人体」は「人間」ではなく、それは人間の「無き殻」〈なきがら〉に過ぎなのであります。人間が、人間であるためには、「なきがら」に「霊」が天降らなければらない。かくてのみ霊なき「なきがら」が人間となり、ただの「人体」が生きた「人間となり得るのであります。これを「天孫降臨」即ち「神の眞子」の天降りと言うのであます。

 古代日本人の自覚は日本民族全体を「天孫」即ち「神の眞子」の降臨だと観じたのでり、それを天孫降臨の神話として表現したのであります。これは決して単なる迷信でもければ、ただの作り物語でもない。 実に日本民族が、人間の本性を「久遠の神」の表現直観し得たところのものの表現であり、それは仏典に於いて、例えば、釈迦が、その「(たましい)」を兜卒天界より地上の摩耶夫人に降して右脇に孕んだと大無量壽経に書かているのと同様であり、キリスト教聖書に於いては、イエスの霊が天の使いにたづさえて処女マリアに懐妊したと云うのと同巧異曲で、まことに雄大な人間尊厳の自覚でありして、これをただ科学的に人間の肉体の発生を物質的精子、卵子の結合と観ずる如き、貴なる理想なく、雄渾なる夢なきただの唯物論者の見地から迷信だと断定して抹殺し去うとする如き葉は、みづから人間存在の基底を侮辱するものであって、まことに気の毒自己劣等感と言わなければならないのであります。

 真の民主主義なるものは、「神霊降下」の人間の高貴の根本自覚から出発しなければらぬのでありまして、人間が瓦礫と等しく、ただの物質的分子の集合体であるならば、間に基本人権と云うような高貴なものの存在の余地がないのであります。斯くの如く説ことによって、生長の家は、日本の神話的歴史を否定することなく、しかもそれを民主義に根拠を与えながら、人間尊厳の自覚に貢献しつつあるのであります。  
 
  日本建国の理想の復活

 神武天皇建国の歴史物語は、戦後の日本の各学校の教科書では、それが神話であって歴史的事実ではないと否定せられて来ましたけれども、これは日本建国の理想を抹殺すものでありまして、誠に由々しき大事なのであります。 神武天皇が歴史的事実上、地上に存在したか存在しなかったかと云うことは、実証的史家の研究に委ねておいてよいのでありますけれども、それよりも尚重大なことは、何故日本民族が、そのような日本建国の歴史を〈それが神話であるにせよ〉創作したかと云ことであります。

 およそ創作と云うものはその作者の性格、理想、人間観、人生観、世観等がその作中の人物にあらわされているもねであります。そうすれば、その神話には神武建国の歴史物語を創作した作者〈それは個人ではなく、日本民族であります〉の性格理想、人間観、人生観、世界観等があらわれているのであります。

 第一その天皇の御名を「神武」と呼び奉ったところに、日本の「武(ぶ)」は、決して利私慾のために動かされない、神威発揚の稜威顕現のためにのみ動かすものであると云理想が既に其処にあらわされているのであります。

生長の家の全貌 (7) 

  〈昭和30年〉立教25年  日本建国の理想の復活    谷口 雅春先生

 神武天皇、即位建都の大詔には次の如く書かれているのであります。

  「・・・・夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つる、義(ことわり)必ず時に随ふ。苟民(おほみたから)に利有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ。且当(またまさ)に山を披(ひら)き払ひ、宮室(おほみや)を経営(をさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位に臨み以て元元(おほみたから)を鎮むべし。上(かみ)は則(すなは)ち乾霊(あまつかみ)の國をけたまひし徳(うつくしび)に答へ、下は則ち皇孫正(すめみまただしき)を養ひたまふ心弘めん。然して後に六合(くにのうち)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩ひ宇(いへ)を為(せ)むこと、亦可からずや。夫(か)の畝傍山の東南(たつみのすみ)、橿原地(ところ)を観れば、蓋し國の墺區(もなか)か、治(みやこつく)るべし。」

 これを略解して見ますと、
  「思うに大人(ひじり)が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い度を立てなければならぬ。苟も人民の利益になる事であったならば、たとい聖人の制定たものであっても、その制度を変更するに何の妨げがあろうや。

 〈註:ここに日本天皇の民主主義的性格が
         あらわれているのであります。〉  

朕は、いま山林をひらき伐採て宮殿を築造経営し、恭しい心持で天皇の位に即き、人民の安寧と幸福とをはかれであう。そして上は、神が國を授けたもうた其の御神徳に答え奉り、下は皇孫以下が正しいを養成するよすがとし、そして天下を治める為の都をひらき、その徳をひろめて、世界八方の荒れたる隅々までも一つの家庭として人類は皆兄弟として互に手をつなぐべき目を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるであろう。」

 この詔勅には何処にも侵略的な精神は見られないのであります。世界を一家族として人類を兄弟とする其の中心地として畝傍山の東南の橿原の地に都をつくろうと仰せられのでありまして、まだ此の詔には「大和國(やまとのくに)」と云う国号はあらわれておませんが、此の橿原の地を中心に「大和國」と称せられることになったのでありまして、「和(やまと)」の国号そのものにも全世界の人類が一つの家族として和合すると云う建国理想があらわれるのであります。 〈私の記憶によりますと、文書として日本の国号ヤトと称せられている最初は日本書紀の神功皇后の條であります。〉

 日本建国の理想の復活

 兎も角、斯くして、日本の歴史は形の世界に神武天皇があろうがなかろうが、日本民の魂の歴史に於いては、その建国の精神の擬人化として神武天皇がましますのであります神武天皇と大和(だいわ)の理想は日本民族の魂の中に厳然として存在するところの理念ありまして、形の世界はその理念の具象化として、徐々に展開して行くものでありまして途中に色々の消長や停頓がありましても、この「神武」の理念と「大和(だいわ)」の理とを骨子として、それに具体的歴史が肉付けられて行くのでありますから、神武建国の実は歴史註中の歴史なる一大因縁の「因」をなすものとして、日本の歴史より決して抹殺去るべきものではないのであります。

 生長の家は斯う云う説き方によって、日本の國體を護持し、日本国民の自尊心を護持し現代の日本が「大和(だいわ)」の理念の展開として国際的に世界各国と手をつないで行精神的基礎を与えるのに努力しているのでありまして、そのことは、戦後私が書いた『生の書』及び『限りなく日本を愛す』の本を読んで頂ければ詳しくわかるのであり、こにはその一端を書いたに過ぎないのであります。

 これらの事は、すべて理念の世界は現象世界に先立つのであり、現象世界は理念の世を模倣して展開すると云う、根本教義から来ているのであって、取って附けたように、国精神に迎合したものではないところに注目せられたいのであります。

 
     新しき教育法の創始

 理念の世界は現象世界に先行すると云う根本原理から、生長の家は新しい教育方法を始したのであります。
 在来の教育方法は、道徳的方面では、形の方から、善の型をこしらえて、このように間は生活しなければならないと云うように指導するのでありますが、生長の家では人間「神の子」であり、その『實相』は必ず、善良であり、どんな不良と見える子供〈青年も含む〉でも、それは周囲の人々の心の投影によって、そのように見えるのであるから周囲の人々が、その子供を「不良」と観る心を捨てて、「實相の完全さ」を観じて、賞るようにすれば、必ず善良なる人間になると主張するのでありまして、単にそれが学説して主張されるだけではなく、実際に不良児童と称せられていた少年又は青年を優良児変貌せしめつつあり、医術では完全治癒が不可能であるとみとめられていたヒロポン中患者さえも完全治癒に導いて、善良なる青年として更生せしめた実例も多いのであります。

 そして、これらの児童教育方法の原理及び実際に就いての詳細は『生命の實相』第七巻第十五巻、第二十巻及び『優良児を作る』と云う本に無数の実例を挙げて説明されていのであります。








占領政策資料  (10426)
日時:2018年11月11日 (日) 19時56分
名前:宇治学舎



占領政策資料

日本人に罪の意識を!!

占領政策資料  (10427)
日時:2018年11月11日 (日) 19時56分
名前:宇治学舎



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