《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

今の教え≠ニいう表現に象徴される根本的な問題 (10361)
日時:2018年10月13日 (土) 10時41分
名前:破邪顕正


毎朝、聖経「真理の吟唱」、聖経「続真理の吟唱」を拝読させていただいております。

拝読させていただきながら、よくぞ、このようなお悟りのご文章に出逢えたものだと、本当にありがたく、至福の時間を過ごさせていただいております。

教団にいる信徒の皆さんにお願いしたいことがあります。

この聖経「真理の吟唱」、聖経「続真理の吟唱」は絶版になっていません。

ですから、ぜひ、これを毎朝、拝読してほしいと思います。

そうすれば、現総裁の言っていることが、如何に、「真理」からほど遠いか、理解していただけるのではないかと思うからです。

例えば、総裁が言い始めた今の教え≠ニいう表現。

本来の生長の家の教えからすれば、そもそもこういう表現は絶対に有り得ないものだと言わざるをえません。

因みに、聖経「続真理の吟唱」の中にある「新たに生まれる言葉」を拝読してみてください。

そこにはこうあります。

《…人間が既に霊≠ナあることは、この肉体の衣裳を脱いでから霊≠ノなるのではなく、「今」すでに霊≠ネのである。

この「今」を悟ることが大切である。

「今」の中に一切があるのである。

一切を内に蔵する此の「今」は、過去・現在・未来と称せられて、流れ去り、流れ来(きた)るところの時間の中の「現在」を指すのではないのである。

「現在」は忽(たちま)ち過ぎ去って「過去」となる。

それは常住するものではないのである。》

総裁が言う今の教え=Aそこで言われる「今」とは、さしずめ、

流れ去り、流れ来(きた)るところの時間の中の「現在」を指

して言われているに過ぎません。

尊師の言われる

「今」を悟ることが大切である

の「今」とは根本的に次元を異にしているのです。

つまり、総裁の言っていることは、言うなれば現在の教え≠ニいうことであって、実に平べったい、現象世界のことを言っているに過ぎないのです。

しかし、尊師のお説きになられた「今」とは、実に深い宗教的な悟りのご表現であるのです。

そのことを、「新たに生まれる言葉」は続けてこう言います。

《茲(ここ)に言う「今を悟る」の「今」というのは、過去・現在・未来をその内に包蔵して、時間の流れを超越せる「超時の今」なのである。

それは種子の中にある「生命(せいめい)」の如きものである。

種子の中には「今」既に、発根し、発芽し、葉を伸ばし、枝を生じ、蕾を含み、花をひらき、実を結ぶ全過程が、そこに、そのまま存(あ)るのである。

北畠親房は「天地のはじめは今≠はじめとする理(ことわり)あり」と宣言し、金光教祖は「今、天地の開くる音を聴け」と教えた。

黒住教祖は「生きものをつかめ」と説いた。

生きもの≠ヘ「超時の今」の中に生動(せいどう)する生命の実相≠フことである。

この生命の実相≠悟ることが新生である。

過去・現在・未来は過ぎ去り、過ぎ来(きた)って、常住なく、常住なきものは「本当には」非実在のものである。

「超時の今」のみが常住であり実在であるのである。

それゆえにこの「超時の今」を「常今(つねいま)」とも謂い、「中今(なかいま)」ともいう。

「超時の今」が自分の内に宿っているのである。

そこに一切存在の過去・現在・未来が悉く包蔵されていて、時来(きた)れば、心の動きに従って、それが現象界に姿を映し出すのである。…》

まさしく、「今」とは、そのまま「生命の実相≠悟ること」なのです。

「超時の今」であり「常今」であり「中今」であるのです。

それを説いてこそ、宗教の名に値するというものではないでしょうか。

ということで、尊師がお説きになられた「今」を知ったら、とてもではありませんが、今の教え≠ネどという表現にはとてもついてはいけない…。

ことほど左様に、「今」という捉え方一つとってみても、尊師と総裁とでは、全然違うのです。

それがどうして、「総裁先生も谷口雅春先生と同じ真理を説いておられる。ただ時代に即応して説き方が違うだけだ」などと言えるのか。

私には、実に不思議でなりません。

説き方が違うのではない、悟っているか、悟っていないか。

その差が如実に出ているのです。

私はそう確信するものであります。

とにかく、聖経「真理の吟唱」、聖経「続真理の吟唱」を拝読してみてください。

その違いを目の当たりにされるであろうと思う次第です。




今の教えについて、思うこと (10370)
日時:2018年10月14日 (日) 18時41分
名前:なないろ

総裁先生の今の教えは、講習会でもお話されましたが、

「生長の家では人間は神の子と説くが、神の子は無限に向上する、というのはただ上に向かって上るのではなく、《凡庸の唄》の中に書いてあるように
先を目指し 縦方向に上ることにしのぎを削る人たちが、もっと周囲に気を配り、横方向に意識をひろげ、競争するのではなく
協働することに喜びを見出す生き方に・・・・そういう縦でなく横に広がることが大切ではないか」と。

それから
「今の地球環境では真理を伝えるだけでは足りない、ライフスタイルを変える運動を世界的にやっていきたいと生長の家では考えます。プロジェクト型組織運動では、オーガニック家庭菜園部、
クラフト部、自転車部とありまして、自転車は別に自転車だけでなくていい、ウォーキングでも山登りでもランニングでもいい、災害が起きたら車には乗れません。

畑のない人、マンションやアパートに住んでいる人はベランダにプランターを置いて作れます。
自然災害が起こっても、自分の菜園で食べられます。

クラフトは自分で作れるものは作りましょうということです。
大量生産、大量消費、大量廃棄の今の現代に警鐘を鳴らしましょう

われわれがこういった運動を展開していくことで政治家に頼らなくてもいいということを是非一緒にやっていきましょう」

これを聞いて、ある相愛会員は
「本当に良い話をされる。これであの総裁がアカでなかったらなー」
と言い・・・・
組織をとっくに離れて、総裁先生の批判をしていた、ある白鳩会員は「いつもこんな話なら誰もやめていかないのにねー」
と言い・・・・

教化部長は
「もし、現代の世に、谷口雅春先生がご存命であれば、きっと今の総裁先生以上に環境問題に取り組まれたに違いない」
と言われ・・・

いつのタイミングで「私、退会します」と言うのか・・・・答えを出せないまま今日に至っています。

東日本大震災の起こった年に宇治に祥月命日供養祭にお参りしたとき、練成会もされていたので2日間だけ受講しました。そのとき、
楠本先生が御講話で

「今回のあの大津波、迫り来る津波をテレビを通してみたとき、
流産児たちの無念の涙だ、これはなんとしても優生保護法をかえて
この国から人工中絶をなくさないといけない。
このままだと少子高齢化が進んで、日本は、なくなってしまう。
優生保護をかえることは谷口先生の御悲願だったからね。

今こそ谷口雅春先生のみこころをわが心とし、憲法改正に向けて、運動していきましょう」とお話なさいました。

皆さん感動しておられました。もちろん私も感動しました。

そのあと楠本先生とお話しする時間をいただき、個人指導してくださり、そのとき
「先生、環境問題は生長の家でいちばん大事でしょうか?」と
お尋ねしたら
「環境問題は・・・・現象だよ」
と、ひとことだけおっしゃいました。

あのときの楠本先生のお顔、お言葉・・・・。
そして、この掲示板で、谷口雅春先生のみ教えをわかりやすくご指導くださる「破邪顕正」さんのご投稿・・・。

いろいろな思いが交錯し、また本日も訳のわからない投稿をしてしまいましたこと、おゆるしください、



名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板