「日本なかりせば…」(マハティール首相)になぞらえ「学ぶ会なかりせば…」を思う (10321) |
- 日時:2018年09月28日 (金) 18時16分
名前:破邪顕正
90歳を過ぎて、再び、マレーシアの舵取りを担うことになったマハティール首相の「親日ぶり」はつとに知られています。
しかし、それは何も、日本の戦後の高度成長を「見習おう」ということで、俄に培われたわけではありません。
むしろ、それは戦時中、既に培われていたことなのです。
マハティール氏の著書『立ち上がれ日本人』からご紹介しておきます。
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1945年、マレーシアは日本の占領から解放される。
祖国が解放されたこと自体は喜ばしいことで、青年だったマハティール氏(当時20歳)もその喜びを味わう。
しかし当時、英語学校の学校新聞の編集者をつとめていたマハティール氏は、紙面で日本占領中の苦しみを語るとともに、すでに日本の復興を願う文章も寄せていた。
「日本が原爆の悲劇を乗り越え、平和と発展に貢献してほしい」と論説で訴えていたのである。
これは占領中の経験が影響しているようだ。
占領中、マハティール氏は学費を稼ぐために屋台でコーヒーやピーナッツを売っていた。
その頃のことをこう振り返っている。
「英国人はカネも払わず勝手に商品を奪うことも多々あったが、日本の軍人は端数まできちんと支払ってくれた。町でみかける軍人は折り目正しく、勇敢で愛国的だった」
それから約30年、マハティール氏は「マレーシア食品工業公社会長」というポストについていた。
当時の首相から与えられたポストで、名前は立派だが、実際は品質の悪いパイナップル缶詰工場の責任者だった。
この時、親しくなったのが三井物産クアラルンプール出張所に赴任していた鈴木一正氏だ。
鈴木氏は自社のルートを通じて、米国のパイナップルの缶詰の作り方をマハティールに無償で教える。
その結果、マレーシアの公社が製造するパイナップルの缶詰は輸出に耐えられる品質に変わった。
そこで彼らは米国市場を目指し、実際に米食品医薬品局(FDA)の検査基準もクリアする。
こうなると、その輸出権を奪おうとする会社が三井物産以外にも現れるのは当然だろう。
多額のフランチャイズ・マネーを提示されて、公社の職員にはそちらに傾きそうになった者もいたという。
それを一喝したのがマハティール氏だった。
「ここまでの商品にできたのは、誰のおかげだと思っているのか!」
世話になった人を裏切ることが、マハティール氏には許せなかったのだ。
鈴木氏はその後もマレーシアとの親交を深め、退職後も現地に居を構え、マレーシア日本人商工会議所会頭を務めた。
マハティール氏にとって一番親しい日本人で、その日本びいきは鈴木氏によるところが大きい。
律義さ、真面目さ、恩を忘れない精神……
マハティール氏は日本人の美徳をそうしたところに見ているようだ。
そのうえで、バブル期以降低迷してきた日本人に対して、誇りをもって、立ち上がってほしい、というメッセージを常に送っている。
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大東亜戦争が単なる侵略戦争≠ナあったならば、マハティール首相のこのような言葉が、果たして、あり得たでありましょうか。
現総裁を始めとして、侵略戦争史観=自虐史観に洗脳≠ウれている人に、ぜひ、こういう話を知ってもらいたいと思い、紹介させていただきました。
さて、前置きが長くなりましたが、今回、言いたかったことは、表題にもありますように、マハティール首相の「日本なかりせば…」の話なのです。
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東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国は(同じ黄色人種である日本を模範として)あえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。
富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。
マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう。
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私は、「谷口雅春先生を学ぶ会」の16周年を迎えて、まさしく「学ぶ会なかりせば…」ということを思わないではいられませんでした。
有り難いことに、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」の先祖供養祭に教団の方も霊牌もお出しくださっています。
「聖経」「顕浄土成仏経」での霊牌供養を願われてのことのようです。
また、「神癒祝福祈願」も大変、喜んでいただいています。
それだけ、素晴らしい結果が生まれているからでありましょう。
そのことは、永代供養にも言えることです。
変な讃歌≠ネどの読誦がなされているようなところでは、故人の御霊も決して喜んではおられない。
そういうことで、既に宇治で永代供養されてるにもかかわらず、改めて、「谷口雅春先生を学ぶ会」の永代供養にお世話になりたいという方もたくさん出ています。
個人指導も組織の枠を越えてお願いされる方が増えてきました。
「教団の指導には、全然、納得がいかなかったから」ということをはっきりと言われる方もあります。
私は、信徒の皆さんに、選択肢を与えることができたこと。
これが何よりの「谷口雅春先生を学ぶ会」創立の大きな意義であると思っております。
教団の方から、「信徒をとるな」と喧嘩腰に、文句を言ってくる方があります。
そういう方には、『生命の實相』の第1巻をしっかりお読みくださいと申し上げることにしております。
《「生命」は競争者がなくては生長しない》
これに尽きるのです。
「信徒をとるな」と言うのであれば、とられないように魅力ある生長の家≠ノすればいいだけのことなのです。
当然、そのことは、諸刃の剣であって、「谷口雅春先生を学ぶ会」にも常に突きつけられていることでもあると思っています。
10年、偉大なり。
20年、恐るべし。
30年、歴史なる。
50年、神の如し。
この言葉に従えば、あと4年で「谷口雅春先生を学ぶ会」も恐るべし≠ニいうところに達します。
教団から、そう言っていただけるよう、大いに精進してまいります。
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