《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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天皇の神聖性について (10307)
日時:2018年09月24日 (月) 19時22分
名前:高英

国のいのち・人のいのち

天皇・国家・人間の神聖性について


 『生長の家 総裁 谷口雅春』



天皇の神聖性について


「君民同治の神示」(『秘められたる神示』に収録)には次のように

書かれてあるのである。

「身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。 観る心の要請が身体に於いては脳髄の存在となり、国に於いては永遠の元首なる『無』にして『絶対』であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところからくる。、、、、、、」この様に書かれているのである。


ここに『観る者』というのは人間自身の心なのであるが、ここでは、『日本民族の心』であります。その『観る者』なる心の中に
変わらざる『永遠なる中心者』がある。それが自己表現して、自分の住んでいる世界に『永遠の中心者』なるものをそこへ造り出すということになっているのである。



天皇と他国の元首との相異


以上の神示に「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである」と示されているのであるがこの無にして『絶対』であるところの中心は、他の国家の元首に於いてはみられないものである。 それは諸国の王や王に代置せられている権力者等は、みなある武力、暴力或いは策謀によって、過去の権力者を
打倒して自分が権力者の座にすわったのであるから、それは決して『無』ではないのであって、それは権勢欲や支配欲や所有欲等の欲望の固まりであるのである。


ところが日本の天皇は決して武力や権力で過去の権力者を打倒して、自分が権力の座にすわったのではないのであるから、ある欲望をもって君臨しているというのではないのである。










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