《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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生長の家を環境専門店≠ノしたことは大いなる間違いではなかったか? (10108)
日時:2018年08月28日 (火) 10時35分
名前:破邪顕正


@まずは、こんなエピソードから。

来日したロシアのある司教が、通訳者と一緒に街を歩いていた。

とある教会の前を通り過ぎようとしたら、ドアの横に貼り紙がしてあるのが目に入った。

司教は「あれは何と書いてあるのですか?」と通訳者に尋ねた。

通訳者はロシア語でこう答えた。

「あそこには『禁酒・禁煙』と書いてあります」。

すると、司教は激しく怒りだし、その教会堂に向かってこう叫んだ。

「そんなことは保健所に任せて、教会は福音を宣べ伝えろ!」

これを今の教団に喩えたら…。

「森のオフィス≠ナは何をしているのですか?」

「環境に配慮した生活を目指しています。」

「そんなことは役所に任せて、真理の布教に力を尽くしなさい!」


A続いて、斎藤一人さんの『変な人が書いた驚くほどツイてる話』から。

〈「自分は下駄屋をしている」と思うと、下駄が売れなくなると、つぶれてしまいます。

ところが、「自分は履物屋(はきものや)なんだ」と思えば、靴を売ればいい。

だから下駄が売れなくなってもつぶれない。…

自分をあまり狭めてしまうと、いいことないんです。〉

宗教団体であるのに、それを環境専門店≠ナやっていこうとしているのが、今の教団のように思えてなりません。

環境問題ばかりに特化するから、どんどん先細りしてしまう。

「人を救い、国を救う」

生長の家本来の使命に立ち帰ることが今、本当に大事なことなのだと思うのですが…。


B最後に、マザー・テレサの言葉から。

「あなたのような影響力のある人が、なぜ、戦争反対の声をあげないのですか?」と聞かれて、こう答えたそうです。

「私は、戦争反対の活動には参加しません。しかし、平和賛成という活動には喜んで参加します。」

「心の法則」からして、戦争反対と言うと、却って戦争を引き寄せてしまう。

「白髪よ黒くなれ」と祈れば、却って白髪が増えてしまうのと同じです。

最初の言葉が強く印象に残る、それを暗示してしまうからです。

それ故、尊師・谷口雅春先生は、『いつまでも健康で若々しくなる祈り』の中でこう祈るようにお諭しされたわけです。

《龍宮無量寿のいのち頭髪に注ぎ込まれ毛根は25歳の若さに返るのである。

 黒髪密生(くろかみみっせい)、黒髪密生…〈7回念ずる〉》

その顰みに倣うならば、「反原発」とか「脱原発」とかを声高にいうのもまた、実に考えものだと思う次第です。

新エネルギーの開発!

こういう方が、よほど対立を生まず、明るい未来が想望されて、より好ましいのではないかと思うのですがね…。



環境問題も大事だと思います (10129)
日時:2018年09月02日 (日) 16時54分
名前:なないろ

初めて投稿させていただきます。

《「森のオフィス≠ナは何をしているのですか?」

「環境に配慮した生活を目指しています。」

「そんなことは役所に任せて、真理の布教に力を尽くしなさい!」》

破邪顕正さんはこのように書かれておりますが、私は果たしてそうであろうか疑問を感じます。

谷口雅春先生も清超先生も環境問題に関したご教示を聖典の中でお教えくだされています。
今の総裁先生のお考えや、反自民・反安倍政権には私も反発を感じますが年々異常な暑さ、または大雪など、今年の夏だって40度を超す猛暑で。私の友人の家では裏の山でバナナが実をつけたといい、私も見に行きました。
日本は明らかに亜熱帯になっています。
そして冬の雪も異常なほど降ります。

ですので、「役所に任せて、真理の布教」と言われるのには違和感を感じます。

地球も国家も生命体なのですから、私たちは役所に任せて真理の布教だけをしていればいいと言うのは、いかがなものでしょうか

私自身、生長の家を長く信仰してきて、総裁先生のお考えについていけず、今は組織から離れ、聖使命会費だけを納めています。

同じような考えの人と10名足らずですが集まって輪読会をしています。

そのときにネットでこの掲示板を開いてネットをしない方たちにも読んであげたりもしています。

学ぶ会にみんなで行こうという意見も出ていましたが、破邪顕正さんの総裁先生批判は生長の家の光明思想とは相反するものであると
いう思いの人が多くいます。

私は教団から心が離れていましたが、今年の夏の異常な猛暑を体験し、総裁先生のご教示もすべて間違っていない、
そう思うようになりました。

今月、近隣の県で講習会があるようなので、そこに行って実際にお話を聞いてみようと思います。そして質疑応答でストレートに質問しようと思います。

環境問題も大切ですが。 (10130)
日時:2018年09月02日 (日) 17時14分
名前:そうでしょうか?

でも、御神祭を勝手に変えたり、お経を勝手に変えたり、

もっとびっくり、反日思想になったり・・・。

聖典・聖経まで捨ててしまた現教団。

更には、反谷口雅春先生に成ってしまった現教団。

申し訳ありませんが、環境問題は、目先変更の手段なのでは?

地球温暖化を、一番喜んでいるのは誰でしょう。

なないろさん、温暖化のみならず、豪雨の原因は、

何だとお思いですか?

と小生は思っています。 (10131)
日時:2018年09月02日 (日) 17時52分
名前:中仙堂

なないろさま

私は教団から心が離れていましたが、今年の夏の異常な猛暑を体験し、総裁先生のご教示もすべて間違っていない、
そう思うようになりました。    とありますが、

現総裁のご教示の柱である環境問題は今多くの環境問題の専門家からの情報の切り売りの様に思えます。
一々納得する理屈も有るのですが、矢張り餅屋は餅屋。
例えば概略ですが、
今の温暖化の原因は人類が産業革命以来大気中に放出したCO2が原因で其れを改めれば宜しいと云うご意見の様です。
ネットで見ていると環境問題は奥深く、そう単純な事では無いらしいです。
例えばCO2と大気温の変動ですが、今迄はCO2が原因だと云われて来ましたが、専門家の研究に依りますと、
地球の大気温の上昇のグラフとCO2の増加のグラフを重ねると、CO2が増えてから大気温が上がるのでは無く、大気温が上がるとCO2が増えて居るといいます。何らかの因果関係は有ると思います。

CO2は植物の光合成で酸素を排出してバランスが取れています。
地球の森林が減少して居ると大騒ぎされて居ますが、最近は逆に世界中の森林が増えて居る結果が報告されています。
唯其れに関しては、増えて居る森林は当然人工林で、無いより宜しいのですが、自然林と違い、植生にアンバランスがあり、未だ未だ好環境とは言えないそうです。

地球の大気温が上昇して危機的な状況では有りますが、その原因はCO2よりも、どうやら地球の全体の流れが、現在氷河期と氷河期の境である、間氷期に当り確かに世界中が熱波に襲われて大変な事態ですが、いま氷河期に地球は向かって冷えつつ有ると云う説も有ります。

また、最近良く云われます事は、確かに大気温が上がって来ています。
北極の大気温も上昇しています。
氷山も溶けていますが、南極の有る地域では異常な程雪や氷が増えて居るそうです。

北極海からブクブク噴出する「温室効果ガス」の衝撃映像
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180902-00022800-forbes-soci

こでは、北極圏の永久凍土が溶解して出来た湖から、メタンガスや二酸化炭素などの温室効果ガスが放出されている状況が報告された。
確かに危機的状態は事実です。氷河期説の間氷期だとすれば早急に冷えて欲しいものです。
大聖師雅春先生のお話では、國の乱れも、地球の環境の乱れも、地球人類の心の乱れが反映(心の顕われ)と云う事なんでしょう。
大調和の教団総裁が、生長の家の神様を他の造化の三神と勝手に差し替えたり、人類光明化の霊的拠点 原宿本部会館を破壊したり、個人救済を平気で止めたり、
またまた、ご先祖の奥津城で、何を血迷うたのか、自転車レース。
教団全体の心の顕われ????如何。
人類救済の教団が本来の宗教活動を疎かにして居る反動なのでは。

と小生は思っています。






同感です (10132)
日時:2018年09月02日 (日) 18時58分
名前:素浪人

>>学ぶ会にみんなで行こうという意見も出ていましたが、破邪顕正さんの総裁先生批判は生長の家の光明思想とは相反するものであるという思いの人が多くいます。

同感です

おやおや。 (10133)
日時:2018年09月02日 (日) 19時29分
名前:そーれ!!

雅宣さんの、谷口雅春先生批判は、生長の家の

光明化思想に相反するものであるという思いの人が

多くいます。素浪人様は駄丈夫でしょうか。

現総裁批判、マトモな人の証ですよ。

>学ぶ会へみんなで行こうと言う意見の人<

素晴らしいじゃないですか。破邪さんの場合、

批判ではなく、正論なのですが・・・・・。

多くの人が、解っている事実です。


「なないろ」さんへ−森から木を見て考えてほしいと願います (10141)
日時:2018年09月04日 (火) 17時34分
名前:破邪顕正


拙稿に対して、初投稿していただいたとのこと、有り難く思います。

私が、生長の家が環境問題専門店≠ニ化したことをなぜ、問題視しているか。

改めて、説明させていただきます。

理由は、3つあります。


@総裁が持ち出した環境保護運動とは、それまでの「日本国実相顕現運動=人類光明化運動」へのアンチテーゼとして意図的につくられた運動である。

その象徴的事件が、総本山から「住吉大神」を実質上、外したことにあります。

単に、環境保護をやるだけだったら、何も、ご祭神を変える必要は些かもありはしません。

何故、そうしたのですか?

谷口雅春先生のもとでの、かつての運動を否定したかったからではありませんか。

更に付言するならば、なぜ、「与党支持せず」の声明とか、「占領憲法」を擁護するようなことを言うのですか?

そもそも、これは環境保護の運動とは関係ない話なのではありませんか。


A環境保護が教団内で巾をきかせたために、宗教的な香りが教団から消え去ってしまった。

その象徴が、早朝行事の廃止です。

二酸化炭素が出るからとか、いろんなところで、それを理由にして、先人たちが大事に護り抜いたものが壊されていきました。

地球環境が危機に瀕しているから、人一人を救っているヒマなどはない!

そんなことがまことしやかに言われてしまうような教団になってしまいました。

そういう危機感を一方で煽りつつ、その一方では、自転車漕ぎや、クラフトなんかに興じているのですから、何をか況んや。

開いた口が塞がらないとはこのことです。


B総裁の環境保護路線は、尊師・谷口雅春先生の御教えから導き出されたものではない。

谷口雅春先生もかつて、公害問題等で、環境問題にも言及されたことがあります。

「勿体ない」とは物体ない≠フ精神からきている等、いろいろとご教示くださいました。

しかし、総裁は、決して、そういう観点から環境保護を説いたりしませんでした。

ザックリ言って、総裁のそれは、唯物論からの話でしかない。

だから、総裁の話は、尊師とは違うと思ったのです。

なかんずく、これは許されないと思ったのは、「聖経」には環境保護の観点が抜けているとして、それを補強≠キる必要があるなどと強弁し讃歌≠勝手につくりあげ、実質上、それを「聖経」と同列においたことです。

噴飯なのは、鼓腹撃壌≠メタボの意味に解釈したことです。

「生長の家総裁」として、これは本当に恥ずかしい話だと私は思います。

因みに、鼓腹撃壌≠フ語源を書いておきます。

出典は『十八史略』です。

中国の古代、「尭(ぎょう)・舜(しゅん)の治」と呼ばれる聖天子の時代がありました。

尭は即位してからというもの、ひたすら心を傾けて、天を敬い、人を愛する政治をとり行い、天下の人々から大いに慕われていました。

「その仁徳は天の如く万物を覆(おお)い、その知は神の如く微妙な点までゆきわたる」

(訳…その仁は天のように広く、その知恵は神であるかのように人並み外れてい、近づいてみると、その心は太陽のように温かく、遠くから見ると、雲が大地を覆い、恵みをもたらすかのように偉大であった)

太平無事の月日が続き、あまりの平和さに、尭の心にはかえって一抹の不安がきざしました。

「いったい天下は、いま本当にうまく治っているのだろうか?

人民たちは本当にわしを天子に戴くことを願っているのだろうか?」

そこで、尭はそのことを自分の目で視、耳で聴いて、直接に確かめようと思い立って、ある日のこと、目立たぬ衣服に身をやつし、こっそりと町中にしのび出ることにしました。

鼓腹撃壌≠ニいう文言は、まさに、ここに出てくるのです。

尭が見た光景がこう紹介されています。

〈白髪の老百姓がひとり、食べもので口をもごつかせながら、木ごま遊びの撃壌(壌をぶちつけあって勝負をきめる遊び)に夢中で、お腹を叩いて拍子をとりながら、しわがれた声でつぶやくように、だが楽しげに歌っていた。

「日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)う。

井(い)を鑿(うがち)て飲み、田を耕(たがや)して食(くら)う。

帝力(ていりょく)我に何かあらんや」

(訳…日が出りゃ、せっせと野良仕事、日ぐれにゃ、ねぐらで横になる。

のどの渇きは、井戸を掘ってしのぐ、腹の足しには、田畑のみのり。

天子さまなぞ、おいらの暮しにゃ、あってもなくても、同じことさ)

それを聞いて、尭の心はパッと明るく晴れ上がりました。

「そうか、これでよいのじゃ。

人民たちが何の不安もなく鼓腹をうち撃壌をして自分たちの生活を楽しんでいてくれる。

これこそ、わしの政治(無為の治)がうまくいっている証拠というものじゃ」

皆さん、読まれて如何ですか?

鼓腹撃壌≠フ、どこをどう読めば、メタボ≠フ話になるのですか。

つまり、総裁は、端っから「聖経」に難癖をつけたかったのだと思います。

自分のお経をつくる以上、それが大前提となるからです。

環境保護の重視が、「聖経」にまでイチャモンをつけることになったことを、私は決して軽視してはならないと思っています。

ともあれ、私にしてみれば、総裁の言う地球環境保護の運動とは、尊師・谷口雅春先生のつくりあげられた運動の完全否定でしかないということです。

「なないろ」さんには、環境保護という木だけを見るのではなく、ぜひ、森そのものを見ていただきたい。

総裁が、環境保護主義という名のもとで、どんなことを言い、やってきたのか。

「森に行こう」ではなくて「森から木を見てみよう」

そういう観点から考えていただきたいと思い、駄弁を弄した次第です。





環境問題を言うのならば、こういう観点から言ってほしかった! (10158)
日時:2018年09月06日 (木) 09時24分
名前:破邪顕正

尊師・谷口雅春先生は、『美しき日本の再建』の中でこう書いておられます。

《吾々日本人は、お米でも、御飯でも、あるいは野菜の一枚の葉でも、悉くこれは物体じゃないんだ≠ニ、神様の生命がここに姿を現しているのであるから大切にしなければならないという精神でもったいない≠ニ言ったのであります。…

谷口輝子先生の本に『いのちを拝む』というのがありますが、この物体ない≠ニいう気持で一切のものに接する事が生命を拝む≠ニいう事なんであります。

すべてのものがただの物質だったら、いのちを拝むということはないわけです。

物質じゃない。物体(もったい)ないんだ≠ニ、「これは物質じゃない、物体じゃない、神様の生命が、そこに現れているのである」というのが、古(いにしえ)から伝承して来た日本人の思想である。》(10〜12頁)

ここに言われる日本人の思想≠広めることが、今日の環境問題においてもとても重要です。

こういう観点から、環境問題を取り上げていたら、もっと違った展開を見せていたのではないでしょうか。

現に、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんは、それを世界に発信したわけですから…。

マータイさんは、こう言いました。

環境 3R + Respect = もったいない

Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉が「もったいない」。

マータイさんはこの美しい日本語を環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱したわけです。

ところが、教団は、何故か、この「MOTTAINAI」を広めるような活動には実に消極的でした。

今にして思います。

日本人の思想≠ェ嫌だったんだと…。

鎮護国家≠外したことを見ても、それは明らかではないでしょうか。

環境路線は、結局、それまでの愛国運動を否定する為の、まさしく為にする路線≠ニしてあったと私が考える所以がそこにあります。



re:環境問題を言うのならば、こういう観点から言ってほしかった! (10162)
日時:2018年09月06日 (木) 20時03分
名前:生長の家やめれてなかったので揉めてます。

ところが、教団は、何故か、この「MOTTAINAI」を広めるような活動には実に消極的でした。
今にして思います。
日本人の思想≠ェ嫌だったんだと…。
-----
自国の文化へのリスペクトを無くすことで国際的な運動を国境を超えて発信できると考えたのかも知れませんが。他国であっても他国の文化へのリスペクトを欠いた不躾な行為は大変に失礼にあたるかと思います。「顕斎殿に土足で上がる行為」を外国への運動展開でも行っているのでは?と勘ぐりたくなります。今は札束でひっぱたいて留学生を補助金で受け入れているようですが。留学生が生長の家の信徒であるとは、機関紙のどこにも書いてないですね。ところで。教化部の生長の家を脱会できてなくて機関紙をもう1年取る事になりました。退会するのは携帯電話のキャリアを解約する時みたいに人づてにたらい回しにされて大変面倒くさいです。

退会届。 (10166)
日時:2018年09月07日 (金) 00時07分
名前:そーれ!!

私は「退会届」を教団からもらって署名捺印し、

正式に退会しました。数年前の話ですが、

たぶん今でも「退会届」の用紙はあると思いますよ。

教化部会館でもらえます。

引き止め工作も予想されますが、意見を通すことが、

カギとなります。

あまりお勧めは出来ないのですが、教団を批判すれば、

案外あっさりと退会できる様ですね。

批判と書くと、またオブジェクションが帰ってきそうですが、

要は、現教団のおかしなところを、みっつよっつ、指摘して

あげれば良いのです。

Re:退会届。 (10172)
日時:2018年09月07日 (金) 12時01分
名前:生長の家やめれてなかったので揉めてます。

そーれ!!さん。
退会届を教化部に出向いて直接請求するのは非常に心苦しいので会費の取扱いの方にお願いしておいたのですが。覚悟を決めて教化部で「退会届を出してくれ」と言わないといけないようですね。

心中お察し致します。複雑ですね。 (10178)
日時:2018年09月07日 (金) 17時09分
名前:そーれ!!

長年お世話になった、教化部会館と職員達。

そこへ退会届を貰いに行くのは苦しいですよね。

私の仲間にも、その事で悩んでいる人達がいます。

私の場合も、会費や、聖使命会はそのままにしておいて、

波風立てない方が良いのではと、随分悩みました。

でも、私のお金が、反日勢力の資金になる事や、

反谷口雅春先生の運動資金になる事は、とても

耐えられないとの思いで、思い切って退会しました。

波風立てず、教団に残る人も、案外多いのですが、

その人達の子や孫が、お付き合いで教団行事に参加し、

やがて洗脳されて反日本思想に成ることは、

恐ろしいと思います。

三国一 (10181)
日時:2018年09月07日 (金) 22時34分
名前:中仙堂

小生が教団を去り、学ぶ会に入会しましたのは、
愛妻が癌の再発で余命幾許も無い時でした。
ともかく家内の悩みを軽くし、こころ静かに旅立たせて
上げたいと思って居ました。
当時、教団の白鳩講師に個人指導をお願い致しました。
当たり障りの無い話しで、死に行く家内の安心感は
得られませんでした。
学ぶ会を頼りに車椅子を押して、哀しい外出でした。
何処をどう歩いたかは憶えて居ません。
その日対応してくださったのは、忘れもしません、
副代表先生でした。

「世の中には様々な法則があります。
 物質的法則があれば、
 こころの法則も有ります。
 肉体は無限に生き続ける物では有りません。
 雅春先生の無限に生きる生命とは、
 肉体の奥底に有る魂の事です。
 今、お悩みが有るなら、
 全て肩から降ろして、神様にお任せなさい。
 こころが軽く成るのが佛さまのこころですよ。」
その様なご指導だったと思います。
副代表先生の涙を流してのご指導に、
家内もこころが軽く成ったのか、
其れこそ ぽかりと天に浮かんで行く様に
召されて行きました。
もちろん学ぶ会に入会は家内の快諾あって、
目出度くお仲間入りさせていただきました。
あれから六年息子に三国一の笑顔花嫁さんをいただき、
つい、先日子宝に恵まれました次第です。

天界で家内も喜んで居る様です。

退会届 (10182)
日時:2018年09月08日 (土) 00時56分
名前:チリチリ

私の教区では電話で退会届の郵送してもらい、退会した人もいますよ。

教区にもよるのかもしれませんが、そんなに大変ではないですよ。

森から木を見る、そうありたいです (10184)
日時:2018年09月08日 (土) 17時33分
名前:なないろ

前回の私の投稿に対し、いろいろな方からコメントを頂戴し、ありがたく思います。

<地球温暖化を、一番喜んでいるのは誰でしょう。

なないろさん、温暖化のみならず、豪雨の原因は、

何だとお思いですか?>という「そうでしょうか」さんのご質問に対し、私の考えは、人工中絶をした無数の胎児の悲しみの涙であるとお答えします。

大変ご多用の身でおられる「破邪顕正」さんの
環境保護の重視が、「聖経」にまでイチャモンをつけることになったことを、私は決して軽視してはならないと思っています。

ともあれ、私にしてみれば、総裁の言う地球環境保護の運動とは、尊師・谷口雅春先生のつくりあげられた運動の完全否定でしかないということです。

「なないろ」さんには、環境保護という木だけを見るのではなく、ぜひ、森そのものを見ていただきたい。

総裁が、環境保護主義という名のもとで、どんなことを言い、やってきたのか。

「森に行こう」ではなくて「森から木を見てみよう」
のお言葉は私の信仰姿勢を問われているように思い、考えさせられました。

北海道で大変な地震がありました。

もう少し気持ちの整理をして、いつかまたここに投稿させていただきます。

なないろ様。 (10186)
日時:2018年09月08日 (土) 21時45分
名前:そーれ!!

「そうでしょうか?」は、実は「そーれ!!」です。

私は、谷口雅春先生の み教えに触れさせていただき、約50年。

ですので、優生保護法改正の真直中で活動して来ました。

現在も、命を守る諸団体とは交流がありますし、出来得る限りの

協力、応援は、勿論させていただいています。

昨今の異常気象は、勿論、堕胎された胎児の涙ですよね。

私が危惧するのは、雅宣さんが、自説展開のために、生長の家教団を、

利用している事なのです。

聖経・聖典を、廃止したいが為に横取り裁判を企て、失敗。

環境問題を利用し、教団を左傾化。

谷口雅春先生の、み教えを潰すために、ありとあらゆる手段で、

日々、奮闘されていますね。御神祭まで変えるのですから、

その本気度は、マックスです。

ですので、私達も、本気で、谷口雅春先生の み教えを

守らなければ、と、日々、鼓舞する毎日です。

再び「なないろ」さんへ (10202)
日時:2018年09月10日 (月) 09時02分
名前:破邪顕正


大変、有り難い投稿をいただき、心から感謝申し上げます。

>総裁が、環境保護主義という名のもとで、どんなことを言い、やってきたのか。

私なりに、この30年余り、総裁の言動を見てまいりました。

その結果を、私の観点から、この掲示板において投稿してきたつもりです。

口幅ったいようですが、私なりに見て来た「森」について、お話してきたように思います。

で、「なないろ」さんに、お考えいただきいこと、追加してここに書いておこうと思います。

それは、どうして、「宇宙浄化の祈り」を教団はしなくなったのかということなのです。

本当に、「環境保護」を謳うのであれば、私からすれば、「宇宙浄化の祈り」をこそ、本気で実修しなければならないのではないのか。

今回の台風や地震等、すさまじいまでの自然災害を目の当たりにするにつけ、今ほど、住吉大神のご出御を仰がなければならないときはない。

そのように思うのです。

「環境保護」を謳いつつ、一方で、「宇宙浄化の祈り」を実修しない…。

所謂、造化の三神を新たに勧請して、恰も住吉大神を脇に追いやるかのようなことをやってのける…。

素直に、私が、「環境保護」の運動に賛同しえない。

どうしても、括弧つきでしか、それを表しない。

少なからぬ不信感、訝しさを、そこに感じてしまうのです。

今までの運動の上に、環境問題にも取り組むというのであれば、何もここまで抵抗することもなかったと思うのです。

なぜ、環境問題専門店≠ノしてしまったのか。

すべては、その一点につきます。

「なないろ」さんとの間に、実に、意義あるやりとりができたことを、この場を借りて改めて感謝申し上げます。

ありがとうございました。



生長の家の環境問題に関して「森から木を見る」ことができそうです (10220)
日時:2018年09月15日 (土) 20時27分
名前:なないろ

「そうでしょうか?」さんは「そーれ!!」さんでしたか・・・
どちらの教区のお方か存じませんが、いつも前向きで真摯な信仰姿勢に頭が下がります。

「破邪顕正」さん、おいそがしい中、私のような未熟な者の投稿に誠意ある温かい長文の投稿をくださり、大変恐縮いたしております。心より感謝申し上げます。

《「なないろ」さんに、お考えいただきいこと、追加してここに書いておこうと思います。

それは、どうして、「宇宙浄化の祈り」を教団はしなくなったのかということなのです。

本当に、「環境保護」を謳うのであれば、私からすれば、「宇宙浄化の祈り」をこそ、本気で実修しなければならないのではないのか。

今回の台風や地震等、すさまじいまでの自然災害を目の当たりにするにつけ、今ほど、住吉大神のご出御を仰がなければならないときはない。

そのように思うのです。

「環境保護」を謳いつつ、一方で、「宇宙浄化の祈り」を実修しない…。

所謂、造化の三神を新たに勧請して、恰も住吉大神を脇に追いやるかのようなことをやってのける…。
なぜ、環境問題専門店≠ノしてしまったのか。

すべては、その一点につきます。》

上記のご投稿を何度となく繰り返し読ませていただき、私なりに考えました。

それは、昨年の講習会のご講話の中で、総裁先生が、
「かつては我々の仲間であり本部講師であった人たちが勝手に教団を飛び出して我々を批判する別の団体をつくっている
そして、今、生長の家が取り組んでいる環境問題を¨おかしい¨
と言って、憲法改正運動のような時代錯誤のことをやっている。

彼らは、日本だけのことしか考えていない、雅春先生が鎮護国家や宇宙浄化の祈りの必要性を説かれたのは東西冷戦の時代に日本を守るためだった。

もうソ連は崩壊し東西冷戦は終結した。
今我々が進むべき、目指す方向は、「人間も自然界の一部である」という「神・自然・人間が調和した世界の実現であります」
と、おおまかにこのようにおっしゃられました。

私はこの夏、熱中症で大変な目に遭いました。
なので、総裁先生のおっしゃることが正しいような気持ちにもなりました。

でも「破邪顕正」さんのおかげで「環境問題」という木だけでなく
森から見ることができそうです。

「鎮護国家」「宇宙浄化の祈り」いずれも、東西冷戦などという現象的なレベルではなく、日本国実相顕現のために外せない、外すべきではないと思うのです。

そもそもが「鎮護国家」を外したから、今の総裁先生が現れてしまった、これこそが、まさに『国難』のような気がいたします。



「なないろ」さんへ、感謝の思いを (10275)
日時:2018年09月20日 (木) 10時27分
名前:破邪顕正


すぐにでもお礼を申し上げなければと思いつつ、今になってしまいました。

申し訳ありません。

私がとりわけ、感謝申し上げたいと思った箇所はここです。

>それは、昨年の講習会のご講話の中で、総裁先生が、「かつては我々の仲間であり本部講師であった人たちが勝手に教団を飛び出して我々を批判する別の団体をつくっているそして、今、生長の家が取り組んでいる環境問題を¨おかしい¨と言って、憲法改正運動のような時代錯誤のことをやっている。

彼らは、日本だけのことしか考えていない、雅春先生が鎮護国家や宇宙浄化の祈りの必要性を説かれたのは東西冷戦の時代に日本を守るためだった。<

総裁は、講習会で、このような話をしていたのですね。

これだけでも、総裁は、尊師のお心が少しも分かっていないと判ずることができます。

谷口雅春先生は、「東西冷戦の時代」だから、鎮護国家や宇宙浄化の祈りの必要性を説かれた≠フでしょうか。

そして、総裁は、もはや「東西冷戦」は終わったから、その必要性はなくなったと考えて、鎮護国家を外し、「宇宙浄化の祈り」の実修も無くした…。

そう考えたわけですよね。

しかし、それは、はっきり言って、谷口雅春先生のご文章を全く理解していないが故の妄言≠ニいう他はありません。

だって、谷口雅春先生は、総本山御造営の意味をこう仰っておられるのですから(『生長の家』誌・昭和50年9月号より)。

《私はこの日本の国をなんとか良くしたいと思っても人間の力ではどうすることもできない。

そこでどうしても神様の御力を呼びだして日本人の魂の世界を浄めるより仕方がない。

龍宮から住之江大神の御神威の出現を願ってこの世界を浄化して頂いて、天照大御神の御光を六合に照り徹らせて頂く道を開いて頂き、日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する。

それが龍宮住吉本宮≠ナあります。(一部要約)》

日本国家を千万年安泰にする

ということは、「東西冷戦」とかを遙かに超えた次元の話ではありませんか。

私が、残念でならないのは、ことほど左様に、総裁は、「真理」を勝手に矮小化して憚らないというところなのです。

自分の都合の良いように、勝手に解釈してしまう。

それについては、先に鼓腹撃壌≠フ際にも申し上げました。

そして、何かというと、「生長の家総裁」だけが、唯一、教えの解釈権を持っているのだと嘯くのです。

だから、今の総裁が説いていることが、「生長の家の教え」となってしまうのです。

総裁一人に、教えの解釈権を握られてしまっている以上、それに異議を唱える者は、結局は、教団を出て行かざるをえない。

尊師の教えを純粋に学びたい者は、教団とは別に、真理の学びの場を設けるほかはない。

好むと好まざるとにかかわらず、必然的に、そうなっていかざるをえないのではないのか。

私にとっては、それが「谷口雅春先生を学ぶ会」であったということです。

「なないろ」さんには、今回のやりとりを通して、尊師の教えに帰る、そのきっかけにしていただければと心から願って已みません。

ありがとうございました。


「破邪顕正」様へ 感謝の意をこめて (10317)
日時:2018年09月26日 (水) 20時22分
名前:なないろ

「破邪顕正」さんに私のほうこそ、お礼とお詫びを申し上げなければなりません。このスレッドの親記事に生長の家が何故、「環境専門店」になってしまったのかを投稿していらっしゃるのに、私が「環境問題も大事。総裁先生のおっしゃることもすべて間違いではない」と総裁先生を擁護するようなコメントを書きました。

実は私の生長の家の友達が言いますのには、この掲示板を教化部長が読んでいるらしく、私のコメントを見て
「やっとまともな人が出てきた。もっともっと総裁先生の正しさを投稿してほしい。自分たちがあれこれ言わなくとも、賢い信徒は善悪の区別がつくんですね」

と、私の投稿を褒めてくださったそうです。
しかし、私なりに考え、「環境問題」という木だけを見ることの危うさに気づかされ、その後も投稿させていただきましたら、そこの教化部長が大変嘆いておられたんだそうです。

まず最初に、私が先の投稿で、総裁先生が講習会でおっしゃったことを書く、その勇気を与えてくださったのが「しろうさぎ」さんです。最近まったく投稿されませんので、私も「しろうさぎロス」の1人です。

しろうさぎさんはきっと、相応の圧力をかけられていたと想像します。それでも講習会での総裁先生のご発言をきちんとメモして勇気を持って教えてくださいました。

私もしろうさぎさんに見習って、講習会で聖典の中売りだと講話のメモがとれないので、違うお役を受けて、あれれ。何か変というところはメモに残しました。

そのひとつが先の投稿です。
もうひとつ。質疑応答の時間に「総裁先生、私は急性骨髄性白血病です。余命3ヶ月と宣告されました。死への恐怖で毎日が地獄のようです。どうしたらよいでしょうか?」

という質問の方に対し、総裁先生は何てお答えになられたか・・
「これはですね・・・病院をかえてみる事をお勧めします。別の病院で違う医師に診てもらったら、また違う治療法が見つかるかもしれない。セカンドオピニオン、サードオピニオン、そのあともある、だからまず病院をかえてみられたらいい」でした。

谷口清超先生は、ご存命中、総本山の団体参拝の質疑応答で、やはり癌を患っている方の質問に対し
「癌が不治の病であるというのは迷信。人間は肉体とともに消滅するという人間消滅間を人間不死不滅の実相感にかえていかないといけない」と力強くご指導くださいました。

まだ書きたいのですが今から夜勤ですのでこれで終わらせていただきます。

タンポポの根でコーヒーを (10318)
日時:2018年09月27日 (木) 12時04分
名前:チリチリ

私が講習会に参加した時の午後の講話は“タンポポコーヒー”の作り方でした。

タンポポの根は長いので注意深く掘り出し乾燥させる。

乾燥した数本のタンポポの根つき写真を紹介されました。

その乾燥させた根をローストして砕いてコーヒーにするそうです。

最近ではタンポポもあまり見かけないし、道端に咲いているのは犬のおしっこの洗礼を受けているでしょうから・・・

なかなか万人向けのコーヒーではないと感じました。

今回の「なないろ」さんの投稿で感じたこと (10320)
日時:2018年09月27日 (木) 17時18分
名前:破邪顕正


>この掲示板を教化部長が読んでいるらしく、私のコメントを見て「やっとまともな人が出てきた。もっともっと総裁先生の正しさを投稿してほしい。自分たちがあれこれ言わなくとも、賢い信徒は善悪の区別がつくんですね」と、私の投稿を褒めてくださったそうです。<

そうですか、教化部長も、ここを見ていますか?

嬉しいですね。

なんだかんだ言っても、やはり気になるから、ここを覗いているのでしょう。

だったら、ますます張り切って投稿していきます。

賢い信徒は善悪の区別がつく

私もそう信じて…。

今回もまた講習会での質疑応答をご紹介いただきましたこと、心から感謝申し上げます。

しかし、質問者に対して、「生長の家総裁」ともあろう人が、こんな回答をしているとは!

これを読んでいるという教化部長先生。

こんな回答をする総裁の、どこがどのように正しい≠フですか?

「余命3ヶ月と宣告されました」

そういう中で、この方は、講習会を受講されているのですよ。

それこそ、本当に藁をもすがる思いで、無理に無理して受講されたのではないかと拝察されます。

まずは、それに対する心からの感謝の表明があって然るべきではないでしょうか。

私も、切羽詰まった方からの相談に預かった経験があります。

経験上、そういう方に、神想観とか聖経読誦とかをお勧めしても、とても実修できるような精神状態ではないことを思い知らされます。

そういうときには、とにかく、「神癒祈願」をお勧めしています。

「谷口雅春先生を学ぶ会」では「神癒祝福祈願」と申してやらせていただいておりますが、それを出すことでホッと一安心される…。

実際、「神癒祝福祈願」をお出しになった方から、そのような喜びの感想をたくさんいただいています。

神様に全托する。

神様にすべておゆだねさせていただきます。

そういうところから、不安、恐怖の心を平安の心へともっていく。

その上で、お勧めしたいのが、尊師・谷口雅春先生のCDを拝聴することです。

神想観も聖経読誦もできない、そういう方でもCDを聴くことはおできになるのではないのか。

とにかく、尊師のお声に包まれて、真理漬け≠フ日々を送る。

死に対する恐怖≠乗り越える上で、一番、心に響くのは、尊師の愛深い御声ではないのかと思い、私はそれをお勧めさせていただいております。

実際、尊師の御声は、本当に癒されます。

何かの参考になればと思い、ご紹介させていただきました。



再び、再び「破邪顕正」さまへ 感謝をこめて (10324)
日時:2018年09月29日 (土) 19時18分
名前:なないろ

「破邪顕正」様のこの投稿に理屈抜きで感涙しました。

《「余命3ヶ月と宣告されました」

そういう中で、この方は、講習会を受講されているのですよ。

それこそ、本当に藁をもすがる思いで、無理に無理して受講されたのではないかと拝察されます。

まずは、それに対する心からの感謝の表明があって然るべきではないでしょうか。

私も、切羽詰まった方からの相談に預かった経験があります。

経験上、そういう方に、神想観とか聖経読誦とかをお勧めしても、とても実修できるような精神状態ではないことを思い知らされます。》

《死に対する恐怖≠乗り越える上で、一番、心に響くのは、尊師の愛深い御声ではないのかと思い、私はそれをお勧めさせていただいております。》

今の教団の多くの講師さんが忘れたふりをしていることだと思いました。
「病院をかえてみたらどう?」なんていうのは、隣のおじさんでも言ってくれますから。

私がもっと驚いたのは、地元では有名な地方講師が「だいたい、総裁にこんな質問することじたいおかしい。総裁に期待するからだ」なんて言うことです。
だったら総裁先生には環境に関する質問だけしかできないってことでしょうか。

さて(なないろノート)よりひとつ投稿します。

講習会で総裁先生が『雅春先生が「鎮護国家」「宇宙浄化の祈り」をされたから日本は安泰になった・・・なんていうことをいまだに信じている講師がおりますからね〜』
と冷笑されたとき、私はこの総裁先生は、谷口雅春先生のお心を継承されていないのだと思いました。

『生長の家では「神想観」という瞑想法を雅春先生が¨考案¨された』ですとか、『生長の家では「四無量心」という仏教の考え方を¨採用¨しています』
という具合に、考案だ、採用だと不適切発言をされます。

私の生長の家の友達は、自分の教区の講習会で、総裁先生が八ヶ岳のスライドを見せられ、白樺の木の幹にペットボトルを巻きつけて
樹液を採取して、それを煮詰めてメイプルシロップを作る工程を講話された、「手作りのシロップで食べるパンケーキは格別だとお話された。総裁先生ってスゴイ!
「凡庸の唄」の動画も感動的な編集だった・・と嬉々として電話かけてきてくれました。なんか、友達やめたくなりました。

講習会では総裁ご夫妻が入退場される扉を開け閉めする係りがいますが、お昼に一旦退場されるとき、高齢の信徒さんはトイレに間に合わず、総裁先生の出られる扉から何人も出ようとするものですから、本部の随行職員が神経質に注意するんです。

私から見たら、受講している高齢者が優先されるはずって思うのですが、みんなで総裁先生を「特別扱い」神格化してるように思えます。
「破邪顕正」さま、私の尊敬する地方講師さんが
「総裁は唯物思想で左翼的な考えだけれども、必ず浄化の働きが現れるから、もう少し残って一緒にがんばろう」と昨日も言われました。しかし、私はもう限界に来ております。

講習会の閉会式で壇上に総裁ご夫妻が再び登壇されるシーンで、総裁先生からはなんともいえない光が差している、この方こそ真の継承者だという教化部長。

私はここ数ヶ月、仕事していても、家事をしていても「心ここにあらず」の状態が続いています。
おいそがしいところ、こんな投稿して申し訳ございません。



「なないろ」さん、これからもぜひ、ご投稿を! (10331)
日時:2018年10月03日 (水) 09時42分
名前:破邪顕正


>こんな投稿して申し訳ございません。

そんなことはありません。

私の周りは、今、俄「なないろ」ファンでいっぱいです。

それほど、「なないろ」さんの投稿は、衝撃を与えたのです。

そうでなければ、こんなにも注目度は上がらなかったでしょう。

講習会がどんなものか。

教団にいる信徒は、どんな思いでいるか。

よくぞ知らせてくれたという、それは感謝の表明に他ならないと思います。

さて、今回の投稿で、私が思ったことのいくつかを書いておきたいと思います。

まずは、これです。

>「総裁は唯物思想で左翼的な考えだけれども、必ず浄化の働きが現れるから、もう少し残って一緒にがんばろう」

果報は寝て待て≠ナはなくて果報は練って待て≠ナはないかと私は常々、思っています。

自分から、何か、働きかけていくことをしないといけないと私は思うのです。

だって、総裁によって、教団は、日々左翼的な考え≠ノ晒されていっているのですから。

問題は、そのことをどう捉えるかということに尽きるように思うのです。

例えば、憲法改正の国民投票となった場合、教団はどう出るでしょうか。

アベノニクシ≠フ総裁・教団は、おそらくは、憲法改正反対の動きを活発化させるでしょう。

「必ず浄化の働きが現れる」と言われますが、それはいつなのですか?

時間はどんどん過ぎ去っていくわけです。

いつなのか、だれも見通せない、そんな不確かなことに、人生を委ねていっていいのか。

人生、振り返って、一番、後悔するのは、なぜ、あのとき行動しなかったのか。

そういうことだと言われます。

成功の反対語は失敗ではないというのは、よく言われることです。

本当の反対語は、何もしないこと。

私は、「何もしないこと」の正当化として、「必ず浄化の働きが現れる」という言葉が利用されているのではないのか。

それをこそ最も恐れます。

もう一つ、言わせていただきます。

>講習会の閉会式で壇上に総裁ご夫妻が再び登壇されるシーンで、総裁先生からはなんともいえない光が差している、この方こそ真の継承者だという教化部長。

人は食いようでものの言いようも変わる≠ニいう表現がありますが、ザックリ言って、教化部長という立場が、そう言わせているのではないでしょうか。

人は、見たいものを見たがるという傾向があります。

「総裁先生の後ろに、谷口雅春先生がニコニコと微笑んで立っていらっしゃった!」

私だって、それに似たような話をどれほど聞かされてきたことか。

しかし、本当に大事なことは、総裁が何を言い、何を書いているのか。

それに尽きるのではないでしょうか。

だから、(なないろノート)が本当に重要なのです!

その(なないろノート)をもって、今後ともご判断いただければと思うばかりです。

「なないろ」さん、何かとご多用のことかとは思いますが、引き続き、ご投稿いただければ大変、ありがたく思う次第です。



「なないろ様」へ。浄化の働き。 (10332)
日時:2018年10月03日 (水) 18時04分
名前:そーれ!!

私も生長の家教団が浄化され、正常に戻ることに

期待する一人なのですが、普通、浄化には自壊作用

が伴いますよね。

生長の家は、勿論、恐怖の教えではありませんが、

現教団が、重症に成れば成るほど、自壊作用も大きく

なるかもしれません。

続々甘露の法雨に、

   高く立ちたる建物の壊くるときには
   轟然たる響きを発せん。

   迷いの建物低ければ激動少なし、
   迷いの建物高ければ激動多し。

と、あります。

どんどんおかしく成り続ける生長の家教団。

気ずいたら、やはり、正常化を目指す行動が大切ではないでしょうか。

無策で、ただ待っていたら、大変な事に・・・・・。

と言うより、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、谷口雅春先生の

み教えを、純粋に正しく学び、伝えて行く会なので、

とても楽しく、とても明るい会ですよ。

いつもながら、上記は私の、独り言でございます。



やっぱり、環境問題専門店・・・・になりましたね (10346)
日時:2018年10月10日 (水) 20時31分
名前:なないろ

「なないろノート」の1ページに走り書きをしていました。

昨年、講習会で総裁先生が
「私はこれまで『大自然讃歌』をつくって『観世音菩薩讃歌』もつくりました。
でも、あとひとつ「人間讃歌」をまだつくっていなかった。
ですからこうして「凡庸の唄」をつくって発表したわけです。
ほかの讃歌同様、毎日お読みください」
とおっしゃり、私の周りの信徒の中には「甘露の法雨より読みやすい」と「凡庸の唄」をメインに誦げる人まで出てきました。

教化部長の講話も「凡庸の唄」をテキストにしたものがとても多いです。
「甘露の法雨」こそが最高の人間讃歌ではないでしょうか。

昨今の自然災害は「奪うものは奪われるの法則」で私たち人間が自然を破壊した報いなのだそうです。

浄心行で唱える文章は生長の家本部の雪島達史先生という・・・・本部講師の中でも偉い先生と聞きましたが、その先生が書かれたものが配られました。

自然に感謝・・・・なのだそうです。やっぱり「環境問題専門店」と化したのでしょうね。


思い出した話を… (10348)
日時:2018年10月11日 (木) 09時36分
名前:破邪顕正


今回の投稿で、懐かしい名前を見ました。

>生長の家本部の雪島達史先生という・・・・本部講師の中でも偉い先生と聞きました<

これから書くことは、あくまでも伝聞です(でも、その後の経緯からして、事実であると私は判断しております)。

昔の話です。

まだ、理事会に谷口清超先生、恵美子先生がご臨席なされていた頃のことです。

ここに出てくる雪島先生が、とくとくと今の教え≠フ素晴らしさを語っていたのだそうです。

それが終わるや、恵美子先生から、「今の教え≠ニいう言い方はおかしいですね」と仰った。

それはそうでしょう。

真理に、古い、新しいもない。

真理に、今も昔もないですから!

きっと、恵美子先生も、その場で初めて今の教え≠ネる言葉を聞かれたのではなかったのでしょうか。

だから、当然のことを仰ったのだと思います。

予想だにしていなかった恵美子先生の反撃≠ノ、面食らったのは雪島先生。

助け船を求めて、谷口雅宣副総裁の方を見ると、実に苦々しい表情であったとか…。

以上が、伝聞での情報です。

もともと、心ある信徒は今の教え≠ネんてオカシイと思っていたのです。

しかし、それを表だってはなかなか言いづらい。

そういう雰囲気のときに、恵美子先生がそれを仰ったから、みんな「よくぞ言っていただきました!」と快哉を叫んだ…。

ということで、この話がどんどん拡がって行き、私の耳にも届いたということではないかと思っております。

今、思うと、もう既に、この時点において、谷口雅宣総裁は、恵美子先生を煙たく思っていたのではないかしらん。

そんな気がしております。


「鎮護国家」を外したら、もはや「生長の家」の教えではないという根拠を! (10356)
日時:2018年10月12日 (金) 09時10分
名前:破邪顕正


私が「生長の家」に触れた頃(ということは、相当、昔ということになりますが)、諸先輩たちから、

尊師・谷口雅春先生は、キリスト教、仏教を完成させるために出現された

ということを、よく、聞かされておりました。

そのときは、こちらも、まだ教えの理解が浅く、何か、途方もないことを言われているようで、なかなかピンとは来ませんでした。

しかし、学ぶにつれ、諸先輩達の言っておられたことがなるほど≠ニストンと腑に落ちるようになって参りました。

尊師も、はっきりと、こう仰っておられます。

《生長の家はこの世に光をもたらした釈迦・キリストの御教えを現代的に説くだけでなく、その教えを完成させるために誕生したのであった。

釈迦は人々を生老病死から解脱せしめんとしたのですが、老いについては説いていない。

老人になるということはどういうことなのかということをお釈迦さんは説いていない。

また、釈迦・キリストは家庭を持たなかったから、夫婦は如何に生活すべきかを、あるいは家庭生活の真理、児童教育の真理については説いていない。

それを余すところなく説き、それを実践し、人々が幸せになるように導く、それが生長の家の使命なのです。…

それから国家の問題、国の重さ、これを説いているのは生長の家のみであります。

本当の宗教というものは、万般にわたって人を救えないといけないのです。

だから釈迦・キリストの教えを完成させるものとして、生長の家は生れて来た…》(昭和55年1月の「聖使命新聞」より)

何を申し上げたいか。

表題に掲げましたように、「鎮護国家」を外したら、それはもはや谷口雅春先生の創始せられた「生長の家」ではないということなのです。

どんなに「生長の家」の看板を掲げていようとも、それはニセモノの「生長の家」であって、別の宗教(そもそも宗教と言えるのかという疑問もありますが…)という他はないということなのです。

何度も申し上げて恐縮ですが、今ほど、真贋を見抜く目を培わないといけないときはないとつくづく思う次第です。

それには、やはり、尊師のご文章に親しむに如くはなし。

なるほど、総裁は、尊師のご文章に触れられると、自らのニセモノっぷり≠ェ誰の目にも明らかとなる…

だから、それをこそ恐れて、次から次と聖典を絶版に処したのです。

心ある信徒の皆さんには、総裁の、その、さかしらな意図をぜひ、見抜いていただきたいと心から念願する次第です。


「トキ」さんへ−私の誤解≠フ背景を説明していただき、感謝申し上げます。 (10375)
日時:2018年10月16日 (火) 08時51分
名前:破邪顕正


楠本先生のことに関しての私の投稿が波紋を呼んでいるようです。

問題とされたのは、この箇所です。

〈楠本先生は、もはやウソの教義≠広めることに利用されることには耐えられない。

それは自らの良心に反することである…とお考えになられて、自らの意志で、教団を去られたのだと解しています。

だから、「なないろ」さんには、そのいとこさんに対して、楠本先生が教団を脱退されたことをお知らせして、その理由の一つが、総本山での件の話を後悔なさってのこととお伝え願えたらと思う次第です。〉

早速、「トキ」さんが、こう投稿しています。

<愛国本流掲示板>から引きます。

〈楠本加美野先生は、宗教法人 生長の家を、高齢または病気で 退職はされたかもしれませんが、脱退は されては いないと 思います。〉

「退職」が何故、「脱退」というように受け止められるような誤解≠招いたのか。

その背景を「トキ」さんはこう書いています。

〈日時:2018年10月15日 (月) 00時23分
名前:トキ

(前略)

ただ、楠本加美野先生は、京都府宇治市にある介護施設に入居されています。

施設は生長の家宇治別格本山とは比較的近い場所にあると聞いています。

常識的に考えたら、宇治本山の行事などに頻繁に出席されてしかるべきだと思います。

しかし、大祭などを除けば、毎月1回、本山の行事に出席されるだけだと聞いています。

少なくとも、楠本先生のご功績と至近距離に住んでいるという事実を考えると、「冷淡」とも言える扱いだと思われます。

この点については、事情を知る人から聞いた話では、本山の職員にはある種の「命令」がされており、その結果、本山の行事に楠本先生を公的に招待することは禁じられているという話を聞きました。

(お見舞いなど私的な接触は可能であり、お見舞いにはみなさん行かれているみたいです。)

そのため、楠本先生は宇治本山とは指揮命令系統が違う地元の単位相愛会の誌友会や輪読会などに出席をされているみたいです。

また、楠本先生とお話をしたい人の中には、そちらへ行く人もいるとも聞きました。

この「命令」の存在については、複数の人から聞きましたが、それを証明する物証はないので、正確性については保障しませんが、楠本先生が宇治本山の行事にそれほど行かれず、行かれた場合も原則として「参加者」というスタンスであるのは申し上げておきます。

この生長の家宇治別格本山の「冷淡」な対応が、誤解を生み、破邪顕正さんの誤解の遠因になったのではないかと想像しています。〉

「トキ」さん、懇切丁寧なご説明、誠にありがとうございました。

私が誤解≠オたという背景を、私も敢えて説明させていただきます。

「トキ」さんほどではありませんが、私にも少し耳にした情報があります。

まずは、それをかいつまんで書くことにいたします。

勿論、これもまた伝聞ですので、そこは予めご承知おください。

楠本先生が京都に戻ってこられたということで、楠本先生を囲む会を催すことになった。

京都からは勿論、大阪など近県からも数多くの出席者があった。

ところが、その情報が入るや、京都では、そこへの参加を思いとどまるような指令が出た。

その理由が、楠本先生は教団を退職されたから、もう教団とは関係ない人だ。≠ニいうものだった…。

で、このまま参加したら教団から睨まれると思ったのでしょう、京都の信徒は、以降、その集いに参加しなくなった…。

私が耳にした情報は、そのようなことです。

「トキ」さんが指摘している「命令」というのは、きっと、このことではなかったのでしょうか。

楠本先生は教団を退職されたから、もう教団とは関係ない人だ。

「退職=教団とは関係ない人」

これは決してデマ情報ではないと私は思っています。

実際、退職後、そのような扱いを受けた方を何人も知っているからです。

そして、「トキ」さんは、こういう投稿をしています。

〈私見です (6541)
日時:2018年10月15日 (月) 22時58分
名前:トキ

(前略)

…楠本先生が宇治でご講話をされなくなってから、宇治本山の練成会は閑古鳥が鳴いており、「地元の教区主催の練成会よりも参加者が少ない」「手で数えるほどの参加者だった」と言う惨状みたいです。

だったら、楠本先生が ご講話やご指導を されたら、盛り返すのは 明らかなのに、それをしないのは 不思議なことだ と思っています。〉

「トキ」さんは、こう言って、不思議がっていますが、どうして不思議がるのか、そちらの方が私にはよほど不思議です。

だって、その理由は、もはや明らかではないかと思うからです。

そこで、私なりに、楠本先生に関しての、本質の問題を提起させていただきたいと思う次第です。

つまり、楠本先生は、「退職」後、なぜ、そんなに「冷淡」な扱いを受けなければならないのかという問題であります。

普通に考えて、楠本先生はそのまま宇治におられた方が、どれだけ幸せだっただろうかと思うのです。

現に、楠本先生は、退職後、総本山からわざわざ京都に赴かれたわけですから、それだけ、京都への思いが強かったということでありましょう。

教団は、なぜ、わざわざ宇治から総本山へと出講を命じたのか。

やはり、楠本先生をそのまま宇治に残せば、陰に陽に、影響力を及ぼしてしまう。

それは教団にとっては、好ましくない影響である…。

だから、それを恐れた、それが疎ましかったということなのだろうと思うのです。

その理由の一つが先に明らかになりました。

これは極めて重要な情報だと思いますので、改めて、ここに引かせていただきます。

〈(23553)
日時:2018年09月21日 (金) 18時13分
名前:のぶお

>楠本長老のインターネット道場が消えた理由を知りたいです。

「総裁室」から辞めろと言われたようです。

「大東亜戦争」は「侵略じゃない」という内容の講話があり、全部消されたようでした。

もう、10年以上経ちました。〉

更に、重要な情報が「なないろ」さんより提供されました。

〈…東日本大震災の起こった年に宇治に祥月命日供養祭にお参りしたとき、練成会もされていたので2日間だけ受講しました。

そのとき、楠本先生が御講話で

「今回のあの大津波、迫り来る津波をテレビを通してみたとき、流産児たちの無念の涙だ、これはなんとしても優生保護法をかえてこの国から人工中絶をなくさないといけない。

このままだと少子高齢化が進んで、日本は、なくなってしまう。

優生保護をかえることは谷口先生の御悲願だったからね。

今こそ谷口雅春先生のみこころをわが心とし、憲法改正に向けて、運動していきましょう」

とお話なさいました。

皆さん感動しておられました。

もちろん私も感動しました。

そのあと楠本先生とお話しする時間をいただき、個人指導してくださり、そのとき「先生、環境問題は生長の家でいちばん大事でしょうか?」とお尋ねしたら「環境問題は・・・・現象だよ」と、ひとことだけおっしゃいました。〉

楠本先生の、このお言葉は、間違いなく、今の総裁、教団の方針と真っ向からぶつかるものです。

これを総裁が許すわけがありません。

だからこそ、楠本先生は宇治からの追放となったのではないのか。

やはり、楠本先生の宇治追放の背景には、重大な思想的問題が介在していたのだというのが私の思いです。

最後に、これだけは申し上げておきたいと思います。

「環境問題は・・・・現象だよ」

そう仰った楠本先生が、所謂、造化の三神の勧請を「谷口雅春先生の御心にかなったことである」と本気で思われた筈がないと、今回、改めて確信しました。

実際、そう仰ったとしたら、それは、やっぱり、言わされたのです!

もし、私が楠本先生の立場だったら、それは本当に苦しい思いに苛まれることであって、その内面の葛藤たるや、筆舌に尽くしがたいものがあったろうと推測する次第です。

私は私なりに、その楠本先生のお気持ちを忖度して、私が信ずる楠本先生であればそう思われたに違いないということで、冒頭に掲げたような文章を書かせていただいたということを付言しておきます。


「トキ」さんの投稿に対する私なりの「私見」を書かせていただきます (10377)
日時:2018年10月19日 (金) 10時20分
名前:破邪顕正


「トキ」さんが「私見です」と題してこういう投稿をしています。

--------------------------

〈日時:2018年10月18日 (木)
名前:トキ

(前略)

ここで信徒に意識して欲しいのは、職員は別にして、宗教団体の信徒は あくまでも ボランティアに 過ぎないこと、教団からの命令に従うか、どうかは 各人の自由意志に 任されていること、教団の指導は あくまでも 開祖の教えに 基づくものである べきだという点です。

教団からの命令には 絶対に服従する義務は 信徒にはありません。

総裁が 肉を食べるな、コーヒーを飲むな というのは 勝手ですが、信徒は 無視しても 構いません。

大事なことは、「教え」が先にあることで、「組織」は後に来ることです。…〉

---------------------------

この文中にある

教団の指導は あくまでも 開祖の教えに 基づくものである べき

全く、その通りだと私も思います。

ところが、その「トキ」さんが「追伸」でこういうことを書いているのです。

----------------------------

〈日時:2018年10月18日 (木)
名前:トキ

後、教団と本流復活派は、お互いに不倶戴天の敵だと思っているみたいです。

まあ、信徒の取合いという視点では、商売敵なんでしょうが、見ていて 見苦しいです。

教団で言うと、偉い先生が誌友会などに来て講演をするときには、「総裁に問題があるように見えても、裁いてはいけません。実相直視で行きなさい。」

とご指導をされるのですが、一旦、話題が「分派」に行った講師の話になると、「あれは、教団にいる時から大したことがなくて、使い物にならなかったのだ」云々とクソミソにけなします。

どうやら、総裁や教団は 「実相」を 見なければならないが、「分派」は、「現象」を見て 裁くのが教団の信仰みたいです。

他方、「本流復活派」は、やたらと「教団を脱退しない」と信徒に迫るみたいです。

これもある意味余計なお世話で、人それぞれに事情があるのですし、やりすぎだと思います。…

所属する団体の差はあっても、お互いに 生長の家の信仰を 持っているのですから、仲良くしたら良いと思います。〉

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上記の二つの文章を読んで、「不思議だなあ」と思ったことは、そういう「トキ」さんは、果たして仲良く≠ナきているのだろうかという、素朴な疑問なのです。

「教団」も「本流復活派」も、どっちもどっちだといわんばかりに貶しておいて(だって「見苦しい」とまで言われるていのですからね)、そういう人から仲良くしたら良い≠ニ言われても、正直、ナンダカナアと思ってしまうのです。

「トキ」さんの方こそ、双方から、嫌がられているのでは…とすら思ってしまいます。

それはそれとして、私が今回、「トキ」さんに申し上げたかったのは、このことなのです。

お互いに 生長の家の信仰を 持っているのですから

私と「トキ」さんとが、根本的に相容れないのが、まさにここにあると改めて痛感した次第です。

私が思う「生長の家の信仰」とは、「トキ」さんの表現を借りれば、

教団の指導は あくまでも 開祖の教えに 基づくものである べき

ということになります。

ところが、「トキ」さんも嘆いているように、教団の実態は、そうはなっていないわけです。

これは、もはや「生長の家」ではない!

というのが私なりの「私見」なのです。

そのことを、私なりに、別の角度から申し上げてみたいと思います。

「トキ」さんが、いつも、教団の内情を紹介していただいていることに私はとても感謝しています。

今回の投稿で、興味深かったのは、ここです。

一旦、話題が「分派」に行った講師の話になると、「あれは、教団にいる時から大したことがなくて、使い物にならなかったのだ」云々とクソミソにけなします。

これは、明らかな個人攻撃≠ナすよね。

つまり、教団の「本流復活派」批判とは、それが説いている教えではなくて、むしろ人格攻撃でしかないということなのです。

それに対して、少なくとも私は、一貫して、今の教団が説いていることが尊師の教えとは違っているということを中心に投稿してきた…。

総裁の説いている今の教え=A思想性≠サのものが根本的な問題なのだと主張してきたつもりです。

どちらが、より本質的な問題なのでしょうか。

私は、ここに、今の教団と「本流復活派」との明確な違いが鮮明になっているのではないのかと申し上げたいのです。

それでもって、「トキ」さんは、両者の関係を不倶戴天の敵≠ニ評したわけですが、私に言わせれば、そもそも今の教団は、尊師の創始せられた「生長の家」ではないのだから、別物(敢えて、言わせていただけばニセモノ)だという認識なのです。

つまり、今の教団は、有り体に言うならば、「生長の家」の看板を借りたマサノブ教≠アそが本質なのだということです。

そのマサノブ教≠ェいいと言う人に、私は「脱退せよ」などと迫る気は微塵もありはしません…。

それこそ、その方の勝手ですし、「トキ」さんが言うように、「余計なお世話」だと私も思います。

ただ、私は、信徒の中には、マサノブ教≠ヘ嫌だ、尊師の本当の教えを学びたいと思っている方が少なからずおられると確信するが故に、そういう心ある信徒に向けて、情報発信していきたいと願っているに過ぎません。

実際、有り難いことに、そういう相談に預かる機会もどんどん増えています。

先日も、讃歌≠読まされるのが耐えられない、あれを読むと具合が悪くなると言ってこられた方もあります。

「トキ」さんのように、真贋の見極めが利く人はいいかもしれませんが、「中心帰一」に縛られ、スリーパー・セル≠ナはいけないと洗脳されている信徒に、

教団からの命令には 絶対に服従する義務は 信徒にはありません。

それが、どれだけ、説得力を持つのでしょうか。

組織の締め付け、圧力、監視の目…等々を余りにも軽視しすぎではないでしょうか…。

長々と駄弁を弄しました。

私が言いたかったことを最後に申し上げておきます。

私が、教団を離れたのは、今の教団が生長の家の信仰を 持っている≠ニは思えない、全くの別物だと思ったからに他なりません。

別物と、妥協してまで、仲良く≠オようとは思わない、それに尽きます。

何となれば、信仰とは純粋でなければならないと思うが故です。

「トキ」さんには、申し訳ありませんが、またもやここでも和解論≠ノは与しないという結論になったようです。


?! (10378)
日時:2018年10月19日 (金) 11時39分
名前:相良武雄

《教団からの命令に …… 信徒は無視して構いません》

信仰って何でしょうか?

朝のテレビの星占いじゃあるまいし

この点は信じるけれど、その他はイヤじゃ


教団の指示に従わない信徒がいたら大変だね

飛田給で造化の三神祭祀 (10379)
日時:2018年10月19日 (金) 19時40分
名前:下総の野人

https://www.sni-tobitakyu.or.jp/article.php/20180712155227661

マサノブ教ですね。

あり得ないことだ。

「破邪顕正」様へ。気持ちが揺れ動いています (10382)
日時:2018年10月24日 (水) 19時44分
名前:なないろ

久しぶりに投稿します。
私の投稿が気になって仕方ない教化部長が、とその教区にいるようです。

ところでこのたび教文社から誌友会のためのブックレットシリーズが出版されましたね。
「病気はこうして治るー実践」「病気はこうして治るー原理」それと併せて昨年1月に出された「戦後の運動の変化について」も一緒に読むよう指導がありました。

「戦後の運動の変化について」は生長の家では教えの周辺は変わっていても中核部分は変わっていないことが強調されています。

私の生長の家の親友でいちばん心を許す女性は生長の家を熱心に信仰していますが長年、パニック障害で苦しんでいます。
そのせいで総本山や宇治にもなかなか行けません。

その友達が講習会の質疑応答で思い切って総裁先生に「幼い頃から信仰しているのにパニック障害の発作のため日常生活に支障をきたしています。環境問題どころではありません。
どうしたらいいでしょうか」
と書いて出したところ、総裁先生が「ふつうは個人的質問には答えないんですが・・・」と前置きされ「パニック障害とか、そういった神経系の病気が最近多いですね。
この方の場合、幼い頃から熱心に信仰されているようですので、このまま信仰を続けていただいて・・・これは流産児の供養をしてください。
もしあなたになければ、ご両親にあるかもしれない。
流産児の供養をしながら、信頼できるお医者さんにも診ていただいて、薬も飲まれたほうがいいです。
必ずよくなりますから」とお答えくださったのです。

その友達も周囲のかたも感動していました。

「病気はこうして治る」はとても読みやすく、価格も安いので私の周りの皆さんも大量購入して配布されています。

楠本先生は「中心帰一は神意に中心帰一だよ。日本は生まれてくる子供の数より堕胎される子供の数のほうが多いんだ。
日本人の死因は癌や脳卒中なんかじゃない。中絶なんだよ。
このまま少子高齢化が進むと、日本の国力が弱って、この国はなくなってしまうんだよ。マッカーサーが日本をなくすためにそういう憲法を押し付けたんだよ。もう自分は年をとってしまったけど、あんたたちはまだ若いからな、是非、憲法改正運動をやってもらいたいんだよ」
とおっしゃいました。

私のいとこは団参で、楠本先生の長男さんの講話をきいて
「現総裁先生が示される方向をハイと言って一緒に向かしていただくのが弟子の務め、と言われた」と言います。

そのあとで個人的になのか、献労の時間に楠本先生の長男さんに
「住吉大神が生長の家の大神で、鎮護国家、宇宙浄化の祈りは外せないとわたくしは信じておりますが、先生はどのようにお考えでしょうか」と質問したら、「その通りです」とお答えになられたんだそうです。
いとこはいい加減なことは申しません。

ブックレットで誌友会を開催すると人が集まるし、「総裁先生はやはり素晴らしい」と言う信徒がいるのです。

何が言いたいか訳のわからない、文章になってしまい、お叱りを受けるのを覚悟で投稿しました。

「総裁先生の問題点は左翼ということだけだ。環境問題は大事だ」と私の尊敬する地方講師さんは言います。
迷ってばかりで、今月も退会の届けが出せずに、月日ばかりが過ぎてしまいます。

「流産児供養」 (10384)
日時:2018年10月25日 (木) 15時42分
名前:ちょっとびっくり。

そりゃあ雅宣先生から「流産児供養」なんて言われたら、ちょっとびっくり。
でも、新米の地方講師でも言いますわなあ。
楠本先生が、「鎮護国家」を言うのなら、聴衆の前で言ってほしいと思います。



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