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広島と長崎に投下された原爆について私達が知っておかなければならないこと (9939)
日時:2018年08月09日 (木) 13時26分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 八月六日に広島に原爆が投下された後、今日、八月九日は長崎に再び原爆が投下された悲しい日です。

 何故二つの原爆が投下されたのか? 
 私達日本人はその正しい理由を知っておかなければなりません。

 少し長くなりますが、大切な事ですから、以下にご紹介させて頂きました。

ーーーーーーー

  http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3842.html


   広島と長崎に投下されたのは違う種類の原爆だった


 ひとつの時代に戦争をしている両当時国のうちの片方は、
政治権力が原爆という名のきわめて非人道的な核爆弾を使用することを止めることができなかった。


 しかもその後の時代においても、戦後70年以上を経過しても、いまだに核爆弾使用の意思決定者に対して、その責任を追求することさえできないでいる。


 これに対しもう片方の国は、政治権力が原爆という名のきわめて非人道的な核爆弾を使用することを見事に制止し、戦争が核の撃ち合いに至る愚かを未然に防ぐことができた。


 このことの持つ意味と凄みを、私達はもっと明確に認識していくべきです。

 この時期に絶対に毎年書き続けていかなければならないと思っていることのひとつが、今日のテーマです。


 8月6日に広島上空に投下された通称「リトルボーイ」は「ウラン235型原爆」、
8月9日に長崎に投下された通称「Fat Man」は「プルトニウム型原爆」、
 どちらも核爆弾ですが、両者は種類が異なっていたという事実です。


 原爆投下は、その残虐性、大量殺戮性、無辜の市民に対するはなはだしい虐殺行為として、チェルノブイリやフクシマ原発どころではない、人類史上最悪の出来事として記憶されるべき事柄です。


 この核爆弾投下によって、
広島では20万人の市民が犠牲になり、
長崎では14万9000人の市民が犠牲になりました。


 しかもただ死んだだけでなく、原爆の熱戦を浴びて、その何倍もの多くの人が、苦しみ続けました。

 それだけ大きな被害が起きた事件であり、しかも人為によって起こされた核爆発事件であるにもかかわらず、どうにも納得できないのは、広島と長崎に落された原爆の「種類」がそれぞれ違っていたという事実が、まるで語られていないことです。


 広島の「ウラン235型」も、長崎の「プルトニウム型原爆」も、どちらも核分裂による核爆弾であるという点では同じです。
技術的には、ウラン型はプルトニウム型とくらべて数が作れず値段が高い。


 プルトニウム型は、ウランより値段が安く量産しやすいけれど、放射能が強くて取り扱いが難しいという違いがあります。


 しかし問題はそういう技術的なことではありません。
「なぜ種類の異なる原爆が使用されたのか」という点に問題の核心があります。


 原爆投下のあと、米国で原爆開発のマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所は、次のステートメントを公式に発表しました。
「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」


 あの二度にわたる原爆投下を「実験」と述べているのです。

 
 つまり、「実験」だから、広島と長崎それぞれに、あえて種類の異なる原爆を投下したというわけです。


 なぜ彼らはわざわざ種類の違う原爆を「実験」したのでしょうか。

 いまだにこの二つの原爆投下について、
「軍国主義化し侵略国となった
 枢軸国の日本を懲らしめるために、
 アメリカは原爆を落した」
という人がいます。


 困ったことに、そのような「でまかせ」が日教組教育によって日本の子供たちに刷り込まれ、多くの日本人が、無批判にそんな「痴れ言」を何も考えずに受け入れています。


 しかし「懲らしめるため」だというのなら、「実験」はありえません。
 そしてたとえ「懲らしめるため」であったとしても、広島長崎合わせて35万人の人命を奪うことなど、決して行ってはならないことです。



 では、日本への原爆投下の本当の理由はなんだったのでしょうか。
これについて歴史学者のバーンスタインが次のように述べています。


 「日本への原爆投下は
 ソ連を威嚇することが根本理由であり、

 ソ連の影響力が
 日本、満州、China、Koreaに及ぶことを阻止するために、
 いわばソ連に対する威嚇攻撃として、
 日本に原爆を投下したのである。」



 しかしその目論みは大失敗に終わったのみならず、むしろ「火に油を注ぐ」結果となりました。


 なぜなら米国による原爆投下の3日後には、ソ連は一方的に日ソ不可侵条約を破棄して、対日戦線に参加しているのです。


 そして日本の同盟国である満州国に攻め込み、日本の領土である樺太、千島に侵攻しています。


 米国のトルーマン大統領は、次の公式声明を出しています。

 ***
 President Harry S.Truman Address to the Nation, 6 August 1945
 広島への原子爆弾投下のトルーマン大統領声明
 (1945年8月6日)


 今から16時間前、
 米国の一航空機は
 日本陸軍の最重要基地である広島に
 1個の爆弾を投下した。

 その爆弾は、
 TNT火薬2万トン以上の威力を持つものであった。
 それは戦争史上これまでに使用された爆弾の中で
 最も大型である英国の「グランド・スラム」の
 爆発力の2000倍を越えるものであった。
 (原文)
Sixteen hours ago an American airplane dropped one bomb on Hiroshima, an important Japanese Army base. That bomb had more power than 20,000 tons of TNT. It had more than 2,000 times the blast power of the British "Grand Slam," which is the largest bomb ever yet used in the history of warfare.
 ***


 この声明は非常におかしな声明です。

 広島を「日本の陸軍の最重要基地(=an important Japanese Army base)」と言っているからです。


 原爆被害を受けた広島の市街地は、全部陸軍の軍事基地だったのでしょうか?
亡くなられた広島市民は、陸軍軍人だったのでしょうか?


 戦時国際法は、無辜の市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。


 すなわち、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為です。
米国だって馬鹿じゃありません。
広島が一般人の住むところであることくらい、承知しています。
にも関わらず、故意に広島を「日本の陸軍の最重要基地」と言っているのです。


 さらにたいせつなことがあります。

 それは、終戦後の昭和20年9月に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」です。


 トルーマン大統領に提出された公式文書です。


「たとえ原爆が 投下されなかったとしても、
 ソ連が参戦しなかったとしても、
 本土上陸作戦が行われなくても、

 日本は非常に高い確率で
 九州上陸作戦の決行予定日である
 昭和20年11月1日から、
 12月31日までの間に、
 確実に降伏したであろう。」

 (U.S Strategic Bombing Surbey,Summary Report ( Pacific War ) ,1946、の26頁)


 原爆を投下しなくても、「日本は確実に降伏したであろう」というのです。

 昭和20年6月に沖縄戦が終了しました。

 この直後に、ブラッドレー米国統合参謀本部議長が提出した報告書には、次の一文があります。


 この文書は、米国大統領宛に提出されたものです。
 そこには、こう書いてあります。


「日本は既に事実上敗北しており、
 降伏を準備している。」


 昭和20年7月の時点で、日本はすでに制海権も制空権も失ない、陸軍も事実上、使える武器弾薬が乏しく、すでに戦える状態になかったと認識されていたわけです。



 つまり米国は、あと少しすれば、日本は間違いなく降伏するであろうと、すでに「6月の時点で」見極めているのです。


 日本国内には、それでも戦う、という議論がありました。

 もしそうしていたなら、日本はジェット戦闘機を投下し、松ヤニから精製したガソリンを使って、米国のB29をガンガン撃ち落とし、戦争を勝利に導いた、という説もあります。
私もそうであったろうと思っています。



 しかしはっきりといえるのは、仮に終戦前後において、日本にある程度の戦争遂行能力があったとしても、それはあくまで本土迎撃の範囲を出ず、


 すくなくとも日本が、米国本土や、フィリピンなど米国の占領地域に対してまで攻撃ないし報復する能力は、この時点でまったく残っていなかった、つまり日本が周辺諸国を、それこそ彼らの言葉でいう「侵略」を行うだけの力は残っていなかったし、そもそも日本には最初からその意思がありません。


 そのことを、米国はちゃんとわかっていた、ということです。


 ここで、点と線が繋がります。


 つまり米国は
「米国が日本に何をしても、
 絶対に日本から報復を
 受けるおそれがない」
と踏んだからこそ、日本に対して原爆投下をしたのです。



 一つには、ウランとプルトニウムの原爆の性能実験のため。

 二つには、ソ連に対する牽制のためです。

 三つには、日本との戦闘を早期に終わらせるため、です。


 そしてその根底にある、真実の理由はただひとつです。


 それは、
 「日本に何をしても、
 日本からの反撃を受けたり
 報復されるおそれがない」
という事実です。


 日本に原爆が投下された以降、世界各地で戦争はたくさん起こっています。


 けれど、いずれの戦争においても、これまでに核が使われたことはありません。


 なぜなら、相手国に核を打ち込めば、自国がその報復を受けるからです。


 にもかかわらず、米国は、日本に原爆を投下しました。
 しかも、悠々と「実験」のために投下しました。


 なぜそれができたのか。

 その時点で、日本に反撃能力がなく、日本から報復される心配がまったくなかったからです。


 反撃される心配がないから、日本人は、実験材料としての「モルモット」にされたのです。


 古来、モルモットは、さまざまな動物実験に用いられています。

 なぜモルモットが使われるのか。
 それは、モルモットが人間を襲う心配が100%ないからです。


 モルモットは人間の都合で、一方的に実験材料にされます。
 

 そのモルモットが、
「もう過ちは繰り返しません。
 わたしたちは二度と実験しません」

 と言ったとしても、人類は医療開発のための人類の「都合」でモルモットを実験材料に使います。


 モルモットが過ちを犯したから実験材料にされているのではありません。


 ここを意図的に日本人に履き違えさせてきたのが、戦後左翼であり、いまなお利権をむさぼる敗戦利得者たちです。



 実は日本は、広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本式原子力爆弾(これを新型爆弾と呼びました)を開発していました。


 その新型爆弾は、すでに使用できる段階まで、開発が進んでいました。


 そして軍の上層部は、この新型爆弾をもって、米国に乾坤一擲の大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しています。
記録に残っている史実です。



 そのとき陛下は、次のようにおおせであったそうです。


 「その新型爆弾によって、
 たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしても、


 そのために、
 相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、

 結果、何百万もの無辜の民が死ぬようなことになるとしたら、
 私はご先祖に申し訳がたたない。」


 陛下はそのように述べられ、原爆の製造の禁止を、その場で取り決められています。


 陛下のこの御聖断は、本来は「あってはならないもの」です。


 なぜならこのような政治的意思決定は、本来、政治を司る政治権力が責任をもって行うべきものだからです。


 権力の行使は当然に責任を伴います。
 本来、そうあるべきものです。


 けれども、政治権力は、たとえばそれが戦いであるならば、戦いに勝つことだけが目的になります。


 すると勝つためには何をやっても良いという判断が生まれます。


 そしてそれが政治上の国家最高権力者の判断であれば、たとえそれが明らかに人の道を外れた間違った判断であったとしても、正当化され、政治権力者がその実行行為に対して責任を取ることはありません。



 責任をとらないということは、無責任だということです。

 早い話、会社の経営者が一切の責任を追求されることがない存在、会社の最高の無責任者であれば、


 ライバル会社の社員を皆殺しにしたり、パンの袋に針を仕込んで同業他社の社会的信頼を損ね、

 自社のシェアを伸ばすなどということも、平気で行なっても、誰もその責任を追求できなくなってしまうのです。


 このようなことが起こらないために、我が国には天皇の存在があります。


 天皇は国家最高の権威であって、国家最高権力よりもさらに上位におわします。


 権力が戦いに勝つことを求めても、国家最高権威の御聖断は、どこまでも民を「おほみたから」とするものであり、神々の御意思に近いものです。


 そして我が国では、政治が核爆弾の投下を求めたとき、陛下がそれにNOと答えられたのです。


 これこそが我が国の誇りです。


 ひとつの時代に戦争をしている両当時国のうちの片方は、
政治権力が原爆という名のきわめて非人道的な核爆弾を使用することを止めることができなかった。


 しかもその後の時代においても、戦後70年以上を経過しても、いまだに核爆弾使用の意思決定者に対して、その責任を追求することさえできないでいる。


 これに対しもう片方の国は、政治権力が原爆という名のきわめて非人道的な核爆弾を使用することを見事に制止し、戦争が核の撃ち合いに至る愚かを未然に防ぐことができた。


 このことの持つ意味と凄みを、私達はもっと明確に認識していくべきです。


 広島の原爆のあと、日本国政府はスイスを通じて、米国政府に以下の抗議文を出しています。


 そしてその抗議文を読めば、日本が投下され爆弾を、すぐに新型爆弾(原子爆弾)だと明確に認識していたことがわかります。


 なぜわかったのかといえば、日本もまた、同時期に原爆の開発を行っていたからです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文】

 今月6日、米国航空機は、
 広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し、
 瞬時にして多数の市民を殺傷し
 同市の大半を潰滅させました。


 広島市は、何ら特殊の軍事的防衛機能や、
 そのための施設を施していない
 普通の一地方都市です。
 同市全体を、ひとつの軍事目標にするような
 性質を持つ町ではありません。


 本件爆撃に関する声明において、
 米国トルーマン大統領は、

 「われらは船渠(せんきょ)工場
 および交通施設を破壊した」
 と言っています。

 しかしこの爆弾は落下傘を付けて投下され、

 空中で炸裂し、
 極めて広い範囲への破壊的効力を及ぼすものです。

 つまりこの爆弾で、この投下方法を用いるとき、
 攻撃の効果を右のような特定目標に限定することは、
 物理的に全然不可能なことは明白です。


 そして本件爆弾がどのような性能を持つものであるかは、
 米国側は、すでに承知しているものです。

 実際の被害状況は、
 広範囲にわたって交戦者非交戦者の別なく、
 男女老幼を問わず、
 すべて爆風および幅射熱によって
 無差別に殺傷されました。
 その被害範囲は広くかつ甚大であるだけでなく、
 個々の傷害状況を見ても、「惨虐」なるものです。


 およそ交戦者は、害敵手段の選択について、
 無制限の権利を有するものではありません。
 不必要の苦痛を与えるような

 兵器、投射物その他を使用してはならないことは、
 戦時国際法の根本原則です。


 そのことは、戦時国際法である
 ハーグ陸戦条約規則第22条、及び第23条(ホ)号に
明定されています。

 米国政府はこのたびの世界大戦勃発以来、
 再三にわたって、
 「毒ガスその他の非人道的戦争方法の使用は
 文明社会の世論によって不法であり、
 相手国が先に使用しない限り、
 これを使用することはない」
 と声明しています。


 しかし米国が今回使用した本件爆弾は、
 その性能の無差別かつ惨虐性において、
 従来かかる性能を有するが故に
 使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器よりも、
 はるかに凌駕するものです。


 
 米国は国際法および人道の根本原則を無視して、
 すでに広範囲にわたって日本の大都市に対して、
 無差別爆撃を実施しています。


 多数の老幼婦女子を殺傷しています。
 神社や仏閣、学校や病院、一般の民家などを
 倒壊または焼失させています。

 そしてさらにいま新奇にして、
 かつ従来のいかなる兵器投射物とも比べ物にならない
 無差別性、惨虐性をもつ本件爆弾を使用したのです。

 これは、人類文化に対する新たな罪悪です。

 日本政府は、ここに自からの名において、
 かつまた、全人類、および文明の名において、
 米国政府を糾弾します。


 そして即時、かかる非人道的兵器の使用を
 放棄すべきことを厳重に要求します。

 昭和20年8月11日

【英文】
PUBLIC INTERNATIONAL LAW - ATOMIC BOMBING OF HIROSHIMA AND NAGASAKI WAS AN ILLEGAL ACT IN VIOLATION OF INTERNATIONAL LAW.

The Japanese Government presented a letter of protest as stated below, to the Government of the United States through the Government of Switzerland on August 10, 1945.

August 10, 1945

A New-Type, Cruel Bomb Ignoring International law; Imperial Govern-ment Protest to the Government of the United States.
With regard to the attack by a new-type bomb on the city of Hiroshima by a B-29 bomber on the 6th inst. the Imperial Government filed the following protest on the 10th inst. to the Government of the United States through the Government of Switzerland, and gave instructions to the Japanese Minister to Switzerland, Kase, to make the explanation of explanation of the same effect to the Inter-national Committee of Red Cross.

Protest against the Attack of a New-Type Bomb by American Airplane:

On the 6th of this month, an airplane of the United States dropped a new-type bomb on the urban district of the city of Hiroshima, and it killed and wounded a large number of the citizens and destroyed the bulk of the city. The city of Hiroshima is an crdinary local city which is not provided with any military defensive preparations or establishments, and the whole city has not a character of a military objective. In the statement on the aerial bom-bardment in this case, the United States President “Truman” asserts that they will destroy docks, factories and transport facilities.
However, since the bomb in this case, dropped by a parachute, explodes in the air and extends the destructive effect to quite a wide sphere, it is clear to be quite impossible in technique to limit the effect of attack thereby to such specific objectives as mentioned above; and the above efficiency of the bomb in this case is already known to the United States. In the light of the actual state of damage, the damaged district covers a wide area, and those who were in the district were all killed indiscriminately by bomb-shell blast and radiant heat without dis-tinction of combatant or non-combatant or of age or sex. The damaged sphere is general and immense, and judging from the most cruel one that ever existed. It is a fundamental principle of international law in time of war that a belligerent has not an unlimited right in chosing the means of injuring the enemy, and should not use such weapons, projectiles, and other material as cause unnecessary pain; and these are each expressly stipulated in the annex of the Convention respecting the Laws and Customs of War on Land and artices 22 and 23(e) of the Regulations respecting the Laws and Customs of War on Land. Since the beginning of the present World War, the Government of the United States has declared repeatedly that the use of poison or other inhumane methods of warfare has been regarded as illegal by the pubic opin-ion in civilized countries, and that the United States would not use these methods of warfare unless the other countries used these first. However, the bomb in this case, which the United States used this time, exceeds by far the indiscriminate and cruel character of efficiency, the poison and other weapons the use of which has been prohibited hitherto because of such an efficiency. Disregarding a fundamental principle of international law and humanity, the United States has already made indiscriminate aerial bombardments on cities of the Empire in very wide areas, and it has already killed and injured a large number of old people, children, and women and collapsed or burned down shrines, temples, schools, hospital and ordinary private houses. Also, the United States has used the new bomb in this case which has indiscriminate and cruel character beyond comparison with all weapons and projectile of the past. This is a new offence against the civilization of mankind. The Imperial Government impeaches the Government of the United States in its own name and the name of all mankind and of civilization, and demands strongly that the Government of the United States give up the use of such an inhumane weapon instantly.

Note: Japan Branch of the International Law Association, Japanese Annual of International Law, 8, pp.251-2. (Tokyo: 1964)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 原爆を「非人道的兵器」と呼び、その使用を米国政府に「放棄せよ」と言っているのです。


 原爆を投下によって無差別大量殺人をしていながら、大統領声明で「広島は軍事基地だ」と強弁した政府。


 無差別かつ非人道的爆弾は、人類としてあるいは国家として、これを使用することを放棄すべしと明確に主張した日本国政府。


 はたして、そのどちらの主張が、理にかなっているといえるのでしょうか。


 広島の平和記念公園には、「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた石碑があります。


 広島に原爆が投下され、長崎にも投下され、35万人もの犠牲者を出した日本の、では、いったい何が「過ち」だったのでしょうか。


 すくなくとも、亡くなられた広島や長崎の一般市民が「過ち」をおかしたわけではないことは、疑いのない事実です。


 では、日本という国家が、過ちを犯したのでしょうか。
 何が日本の「過ち」だったのでしょうか。


 戦争をしたことでしょうか。

 なるほど平和な現代社会から見れば、戦争は巨大なリスクです。


 けれど、その戦争によって、東南アジアはもとより、世界中の植民地となっていた民族が、国家を築き、独立を勝ち得たのです。


 もし大東亜戦争がなかったら、500年続いた欧米列強による有色人種への植民地支配は、21世紀となった今日でも、なお続いていたことでしょう。


 世界でただ一国、たったひとりになっても、正義のためには武器を持って戦う。

 その武士道の国が、世界の有色民族を、独立へと導いたのです。


 では、原爆で多くの命が失われた。
 その問題における「過ち」とは、いったいどこにあるのでしょうか。


 答えは簡単です。

 その時点で、日本に報復能力がなかったということです。


 要するに、正義には「力」が必要だ、ということです。


 そうでなければ、「力」を行使する者によって、人の命も道徳も正義も、すべて踏みにじられてしまう。


 それが、大変残念なことではあるけれど、世界の真実だ、ということです。

 
 実験材料に使われて死んだモルモットが「過ちは繰り返しません」と言ったところではじまりません。


 過ちを繰り返さないと決意したならば、相応の「力」を保持しなければ、日本人の命は何度でも、原爆同様に蹂躙されるということなのです。


 ただ、もうひとつ、たいせつなことがあります。


 それは、昭和天皇が、世界が核競争になることを未然に防ぐため、技術レベルでは原爆を開発することができ、それを米国に撃ち込むことさえできたにもかかわらず、それを人類のためにと、却下されたということです。


 このことは、終戦の詔勅にも明確に述べられています。

========

 敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

(口語訳)
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、
いくども罪なき民を殺傷し、
その惨害の及ぶ範囲は、
まことにはかりしれない。


このうえなお交戦を続けるであろうか。
ついにはわが日本民族の滅亡をも招きかねず、
さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。


そのようになったならば、
朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
========

 世界中、どこの国でも、すべてに優先するのが国益です。

 どの国も、自国の利益のためだけに思考し行動します。

 けれど、昭和天皇は、「人類文明そのもの」と述べられています。
人類史上、人類の福祉と幸福のために、身を切る覚悟とその実行をしてきたのは、昭和天皇のご意思であり、また当時の日本人の誇りであり行動でした。


 そしてこれに関連してもうひとつ。

 世界では、国家最高の存在は国家最高権力者です。

 そして国家最高権力者は、そのあらゆる行動や意思決定事項を正当化することができます。
なぜなら反対する者を粛清することができるからです。


 ということは、国家最高権力者は、責任を負うことのない人ということになります。

 つまり、国家最高権力者が、国家最高無責任者なのです。


 一切の責任を負うことがないなら、ありとあらゆる残虐非道を行うことができます。


 しかもその残虐非道に、一切の責任を負わなくて良いのです。
 これはものすごく馬鹿げたことです。


 だから日本では、上古の昔に、国家最高権力者よりも上位の存在として、国家最高権威を設けたのです。


 そうすることによって、国家最高権力者に、責任を問うことができるようになるからです。


 文民統制などというよりも、もっとはるかに進んだ社会の仕組みを私達は築いてきたのです。

私たち日本人は、そういう国の民です。

日本人って、ほんとうに凄いと思います。


※この記事は2012年から毎年この時期に掲載しているもののリニューアルです。


ーーーーーーーーー

 愛の宗教と言われるキリスト教を軸として生きて来た米国が、その教えに背く、人類史上最も残虐な殺戮を冒してしまいました。

 それ故に同じキリスト教の国々は、声高く米国を裁く事が出来にくかったと思われます。

 しかしながら最近になって、米国でも先の大戦を見直す流れが出来て来たと言います。

 勿論原爆投下についても、今まで言われて来たような理由ではなくて、本当はこの様な理由であったのだということが、示され始めています。

 米国の若い人たちの中には、「もしそうであるならば、私達は日本に謝らなければならない」と言う人達も現われて来ていると言います。

 かつて榎本恵吾先生は、「100年経てば、あの戦争に対する見方も変わって来るだろう」と言われていましたが、

 様々な文書などを始めとした証拠を挙げていくことによって、世界の国々も正しい歴史を知る時が来るでしょう。

 そして正義を行うに足る軍事力を持つことも大切だと思います。北朝鮮が拉致した日本国民を帰さないのも、軍事力の優劣によるところも大きいと思います。

 その為にも一歩ずつ、憲法改正に力を注ぐことが大切だと思っています。


 日本には天皇陛下がおわしまして、日々日本のみならず、世界の平和を祈っておられます。

 原爆が投下されたのが日本であったことは、人類の絶滅を防ぎました。どこの国とは申しませんが、血の気の多い、後先を考えない国もありますから、もしそのような国に落ちていたら、報復戦争によって、人類は絶えていたかもしれません。

その様な素晴らしい国であるのですが、私が日頃思うには、日本の未だ続くただ一つの大きな罪は、日本人による、日本人の残虐な殺人「人工妊娠中絶」が日々行われている事です。

 谷口雅春先生がおっしゃったように、その悲しみと怒りとが、近年頻々と起こる水による被害が列島に絶えないことです。

 最近はドラマなどでも、その事を訴えていますが、一日も早く法律が改められて、赤ちゃんが沢山生まれる国になってほしいと心から願っています。

 私も微力ながら自分に出来ることを行っていますが、やはり国会を動かすほどの力を持った運動にならなければならないと痛感します。

 その為にも心ある人々が団結して、頑張らなければならないと思います。有難うございます。再拝


コスモスさまのご投稿に未熟者です (9941)
日時:2018年08月09日 (木) 22時29分
名前:中仙堂

コスモスさまの投稿を拝見し、原爆投下実験≠ニ云う事は、その実験効果を調査する事は
当然のことでございましょう。

1946年11月にトルーマン大統領は原爆による後障害の調査研究をするよう、学術団体であるアメリカ学士院・学術会議に指示して、1947年3月に放影研の前身の原爆傷害調査委員会ABCCが設立されました。

そして、勝手乍ら
「日米折半」で運営管理すると定めています。
全く図々しいと云う事です。
他国一般市民を人体実験してその実験効果の調査を相手国に居り半を突きつけるとは。
冷血とはこんな事(米大統領)

被爆地ヒロシマにおける放射線影響研究所の役割

http://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_gunma30/jichiken/4/24.htm

ABCCの設立目的は、被爆者について原爆放射線の健康影響を長期的に調べることにありました。当時の日本は連合軍の占領下にあり、原爆投下を落としたアメリカが、被害者である被爆者を調べるということで、多くの批判や反発があったのは事実です。


 対象者をジープで学校などに迎えに行くとか、嫌がる人を無理やり連行したとか、拒否したら軍法会議にかけると言われた人もいるとか、人権無視の調査として、市民の目に映ったことは想像がつきます。また調査だけして治療はしないことへの批判もあり、それらが市民感情を傷つけABCCに対する反発につながったことでしょう。

放影研は、「日米交換公文」によって、財政も含め「日米折半」で運営管理すると定めています。放影研の財政はこの「日米折半」体制で運営されていますが、予算のドル立て送金のための為替変動や日米いずれかの財政事情により運営費が変わるという脆弱な基盤に立脚しています。

為替の影響は甚大で、円高時でのドルベースの目減りは、折半体制維持のために日本側も減額しなければならないということを意味します。
 

1993年以降米国が打ち出した大幅予算削減策の影響を大きく受けている上に、また2004年春、米国予算大幅削減案が浮上するなど安定した財政状況には程遠い現状です。

そして米側資金の送金が不定期であるために、私たち職員の賃金さえ支払いが危ぶまれる事態におちいる場合があり、事実、日本側の立替えにより支払われたこともあります。その上、職員の補充についても日本の予算定数の制約があるため職員数は年々減少し、現行事業の維持さえ困難になる恐れがあります。

このような状況は、放影研で働く私たちの雇用と生活を脅かす大きな問題となっています。

中仙堂さま 有難うございます (9942)
日時:2018年08月10日 (金) 00時37分
名前:コスモス


 中仙堂さま

 私は様々な事に対して勉強不足であり、元より未熟でありますので、中仙堂さまの新たなご投稿を拝見する事が出来て、新しい知識を得られることは、有難い事と感謝申し上げます。

 今後とも色々とご指導お願い申し上げます。

 願わくば、行間を開けて頂ければ、より読み易くなり、それだけ知識を得ることが楽になりますので、有難く思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。勝手なお願いで申し訳ございません。有難うございました。合掌


合掌 (9943)
日時:2018年08月10日 (金) 05時10分
名前:中仙堂

技量不足、思い遣り不足で申し訳ありません。

コピー&ペースト、気短な性格で困ってます。

極力努力致します。

思うところあり (9950)
日時:2018年08月10日 (金) 19時00分
名前:YW

> 愛の宗教と言われるキリスト教を軸として生きて来た米国が、その教えに背く、人類史上最も残虐な殺戮を冒してしまいました。

ある命題の真偽を問う時、語られていることではなく、
行われていることをしっかり観なければ、正しい判断は
出来ないもの、とかねてより思っております。

キリスト教の価値を評価するならば、
勿論このことは『生長の家』の評価にも当て嵌まることですが、
その教義内容ではなく、
その教義を信奉する人間と彼らの組織が為している行いを観て
判定すべきだろう、と思料するものであります。

僕が生長の家から離れたのは、組織の、特に本部の要職にある
人間のやっていることが、常識と良識に関して、一般社会の
平均水準を遥かに下回っている、と認識したからです。
信仰の深化において、お手本にもなるべき立場の人間の、
世俗にも劣る、愛と善意と敬愛、尊崇の念の希薄さに、
正直呆れ果てました。

さて、キリスト教は愛の宗教、との当然の如くの記述に、
僕の心には強い違和感が残り続けています。

非人道的兵器を、実験として有色人種に対して躊躇いなく
用いることが出来るメンタリティこそ、敬虔で真面目な
クリスチャンならではのもの、と認識しています。

彼らにとって、人間は白人であり、キリスト教徒になったのなら
有色人種でも、とりあえず人間と見做そう、といった感覚です。

聖書の記述や教義の中に胚胎されてきた、根深い選民意識と
人種差別と女性蔑視の思想的背景を見逃すべきではありません。

トルーマンの生い立ちや思想、信条について少しでも知ったなら、
原爆投下に何ら罪悪感も痛痒も覚えていなかっただろう、と
思わざるをえません。

人種差別主義者にして帝国主義的植民地主義者である白人
キリスト教徒の無法と暴虐を排除する目的と意義を有したのが
日本国民にとっての大東亜戦争だった筈です。

彼らは『人間でない相手』に国際法など適用しません。
だから、自分たちが国際法に違反している、などとも、
内心思ってもいません。

世界史を振り返って、キリスト教徒がどれほどの鬼畜ぶりを
見せてきたのか、枚挙にいとまがありません。
鬼畜米英、と彼らを断じた我がご先祖の、本質を見抜く
慧眼には改めて感服します。

>その教えに背く、人類史上最も残虐な殺戮を冒してしまいました。

教えに背いているのではなく、教えを学んだからこそ、
彼らキリスト教徒達は、人類史上最も残虐な殺戮の新記録を
常に更新し続けて、今日まで歴史を刻んできたのです。

彼らの非人道性の淵源には、キリスト教に源を発する、
かかる思想性、信念体系が背景として厳に存していたことを
忘れるべきではないと、はっきり申し上げたい。

YWさま 有難うございます (9951)
日時:2018年08月10日 (金) 19時16分
名前:コスモス


 ご指摘いただき、ありがとうございます。

 スペインやポルトガルのキリスト教布教に隠された真の目的、すなわち世界各国を植民地とするための活動であったことは承知しています。

 また異教徒を残虐に殺すことが神の御心に適うものとして、虐殺したとも言われています。

 聖書による教えと称するものには、あなた様が指摘されているものが含まれているのでしょう。

 私は、原始キリスト教、即ちキリストが説いたキリスト教を頭において書きましたので、違和感を感じられたものと思います。

 キリスト教布教の過程においては、到底信じられないような残虐性や卑怯なものがあったと思いますが、この点に就いてはまだよく勉強しておりませんので、今後学ぶことに致します。

 現在の生長の家教団は、最早、谷口雅春先生が創始された生長の家とは全く異質のものであり、到底、谷口雅春先生が総裁であられた頃の「生長の家」とは申せません。残念ですが。

 色々とお教え頂き、有難うございました。感謝申し上げます。


恐縮です (9959)
日時:2018年08月11日 (土) 19時34分
名前:YW

コスモス様

こちらこそ、ご文章を通して知らざる事を学ばせて頂いております。

キリスト教は愛の宗教、という定型フレーズが何らの疑義も
異議もないままに世間に広く浸透していることに、以前から
疑念を抱いておりました。
一体誰が真偽も問わずに、当然の如くにこの『命題』を世間に
受け入れさせたのか。

そもそも、須らく宗教は愛を語り、その実践の価値を伝道する
ものではないでしょうか。
殊更に、キリスト教が『愛の宗教』と言われる理由はない筈です。

もともと疑うことが不得手な日本人ですが、プロパガンダは宗教界
においても日々展開されていることに、日本人はもっとセンシティヴ
であっていいのでは、と思います。

同様に、人種でも性別でも差別する歴史が無かった日本人には
理解しがたい差別意識を、キリスト教徒の白人が抜きがたく抱いて
いることも理解しておいた方が良いと思います。

多くの国籍の外国の方と接したことがありますが、誠に残念ですが、
一部の白人キリスト教徒は有色人種を明らかに下に見ていますし、
未だに女性を自分にとって都合良く利用する存在として扱っている
男性が存在するのは事実です。
どこが一体『文明人』?この野蛮人が!と不快になるレヴェルの
男もいました。
我々日本人が、海外から発祥した人種差別や女性蔑視に関する
啓蒙的な社会運動に違和感を覚えるのも、日本社会にはもともと
欧米のような価値観や宗教的に浸透していた差別感覚がないから
だろうと僕は感じています。

話を戻しますが、GHQが連合国軍の戦争犯罪を隠蔽し、自らの
イメージ戦略を展開したように、キリスト教の教団も過去の悪行
から目を逸らさせて、いかにも平和的で清浄であるかのような
プロパガンダ活動を陰に陽に行っていることは間違いありません。

今の歴史教育の内容の取捨選択にあたっても、キリスト教が悪者に
ならないよう、巧妙にストーリーが組み立てられています。

僕も、そのことを、最近になって知りました。
日本史に関しては、戦国時代から島原の乱までの歴史で、知られざる
キリスト教徒と教団による非道が隠されています。
他にも、日本史上のみならず、世界史レヴェルで宗教の印象操作が
工作、プロパガンダとして行われていることに警戒すべきだと
僕はお伝えしたいのです。

嘘の歴史を信じないよう、騙されないよう、学び続ける必要を
感じております。
感謝 合掌

キリスト教を「導入した」ひと (9960)
日時:2018年08月11日 (土) 19時58分
名前:母の日

キリスト教を日本に「導入した」のは

豊臣秀吉の奥様と聞いております。

その時、日本人女性が大勢拉致されました。

挙句に牛や馬も食べてしまうことに

秀吉は農耕用具の牛や馬を食べられては!!

との危機感から

彼らには、猿、鹿,狸、狐、猪、モグラなど猛獣を
檻に集めておいてこれを食べるように命じたそうです。




YWさま、母の日さま 有難うございます  (9962)
日時:2018年08月11日 (土) 20時42分
名前:コスモス

YWさま

 幾つになっても、学び続けることが、非常に大切なのですね。

 幸い、私にも「学びたい」という志はありますので、今後もYWさまのように広い視野で、正しい歴史をまなんで行きたいと改めて決意できました。有難うございます。今後ともよろしくお願い致します。

 母の日さま

 珍しい事を教えて頂き、感謝いたします。

 色々な宗教についても、学ばなければならないと思います。

 中でも、谷口雅春先生が説かれた実相独在の素晴らしい教えを日々学び、理解を深めて正しく人様にもお伝え出来るようにすることは大切だと思っております。

 それによって、多宗教への正しい理解が深まると思っておりますので、頑張ります。有難うございます。


奴隷制が定着しなかった日本の歴史 (9966)
日時:2018年08月12日 (日) 20時14分
名前:YW

母の日様

九州の女性が海外に奴隷として売られていたことを知る人は
極めて稀ですが、母の日様のおっしゃる通り、
30万とも50万とも言われる大和撫子が、ヨーロッパへ
奴隷として拉致されました。

支那(唐)から律令制を導入しようとした日本でしたが、
その身分制度も模倣しようとしたものの、奴隷という存在を
社会的身分の一つとして定着させることには失敗しています。

そのくらい、日本人の感受性は、人を人として扱わないことに
違和感を禁じ得ないようにできているのでしょう。

その日本にあって、何と海外に同胞を奴隷として売るという、史上、
極めて稀で空前絶後の人権侵害犯罪が、【キリスト教徒である】
日本人の手で行われたのです。

キリスト教の布教が、日本人の精神性、感性さえも狂わせた、と
当時の為政者が判断し、憂慮と警戒の念を深めたのも当然です。
彼らは更に、九州地方の神社、仏閣も焼き払っていった。
失われた文化遺産は数知れません。

こうしたキリスト教信者の組織は、いまの日本でいえば、
オウム真理教のようなカルト教団であり、破防法適用対象
と看做されてもおかしくありません。

ところが、こうしたキリシタンの無法の歴史は教科書から消され、
何故か、無辜のキリシタンが弾圧された、悪いのは宗教弾圧した
幕府側、いう話にされてしまっています。
キリスト教側に都合のいい歴史に書き換えられているのです。

有名な遣欧使節の日記も、キリスト教やヨーロッパ諸国の
イメージを悪くする部分はほとんど紹介されていません。
しかし、この日記には、ヨーロッパの各地の路傍で、奴隷として
売られた同胞、大和撫子の無残な、悲惨な姿を見て、胸を痛め、
慨嘆している記述もちゃんと残っているのです。

キリスト教の非道の隠蔽は、結果として、自虐史観を醸成する
方向で作用している点も忘れてはならないでしょう。
多くの日本人が、史実と、その真の因果関係を知る必要があります。

母の日様のように、正しい情報を得られている方がいらして、
心強い限りです。


コスモス様

過分なお言葉で、たいへん恐縮です。

浅学非才の身で、日々が学びです。

そんな僕ですが、いま注目しているのが、田中英道
東北大学名誉教授です。

近著、「日本国史 世界最古の国の新しい物語」(扶桑社刊)
は、ぜひ一度お手にしていただきたく、お薦め致します。

感謝 合掌

過去のキリスト教(新旧共に)の教えが堕していた(植民地主義、人種差別) 事が原因でキリスト教が即惡では無いと思う。 (9967)
日時:2018年08月13日 (月) 06時14分
名前:中仙堂

人はしばしば
不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
 
人にやさしくすると、
人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、
と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
 
成功をすると、
不実な友と、
本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
 
正直で誠実であれば、
人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
 
歳月を費やして作り上げたものが、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
 
心を穏やかにし幸福を見つけると、
妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
 
今日善い行いをしても、
次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。
 
持っている一番いいものを分け与えても、
決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。
 
- マザー・テレサ -

現教団総裁(自称)様には
このマザー・テレサ女史の言葉をお送り致したいです。
クリスチャンでも限りなく愛を尽くす
実践の方はいらっしゃいます。

『アグネスからテレサの愛』
https://ncode.syosetu.com/n5824dw/
※この話しの幼少期のエピソードは創作です。
例えば
「生長の家って愛の教えかと思ったら、環境問題ばっかり!」
こんな声も有ります。
如何に優れた教えでも伝える人間の人格、思想でかくも印象が変わって来ます。

我々の一大使命です。  (9971)
日時:2018年08月13日 (月) 19時48分
名前:中仙堂

大聖師谷口雅春先生のみ教えによれば
全ての良き宗教は一つに帰一すると仰いました。
生命の實相でも他の聖典でもあらゆる宗教の根本をお説きに
成られていらっしゃいます。

一方何故先の大戦が起ったかも、東西文明の確執の中、白色人種に依る有色人種の植民地支配の
流れが歴史の根底に有る事をお説きに成られます。
キリスト教は本来愛の教えであると仰いました。
現実に恐怖すべき白色人種に依る侵略史は起きて続いている。
其処に必要なのは今の教え≠ナは無く過去の教え≠ナもない。
大聖師谷口雅春先生のお説きに成られる眞の生長の家の眞理≠アそ世を救うのだと思います。
万教帰一であります。キリスト教、佛教、イスラム教、他全ての宗教を救済する使命が大聖師の弟子たち
我々の一大使命です。



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