「生きたように死んでいく」この言葉の重みを噛みしめて (9958) |
- 日時:2018年08月11日 (土) 18時18分
名前:破邪顕正
表題は、大阪大学大学院人間科学研究科教授の柏木哲夫先生のことばです。
先生は、過去20年間ホスピスという場で、約2,500名くらいの癌の末期の患者さんに立ち会ってこられました。
その先生が、こう言われるのです。
《しっかり生きてきた人は、しっかり亡くなっていかれますし、ちょっと変な表現ですが、べたべた生きてきた人は、べたべたと亡くなります。
そして、周りの人に感謝をしながら生きてきた人は、私たち医者やナースに感謝をしながら亡くなっていかれますし、不平不満を言いながら生きてきた人は、我々に不平不満を言いながら亡くなっていかれます。
最後の一ヶ月というのは、それまでの人生の凝縮です。
ですからそういう意味で、人は、生きてきたように死んでいくのです。
それを言い換えますと、「良き死を死すためには、良き生を生きる必要がある」と思うんですね。》
これをご紹介したのは他でもありません。
『生命の實相』第28巻「久遠仏性篇下」(70〜71頁)にこうあるからです。
《われわれが霊界に行きましても、この世で生活が下手な人は霊界でも生活が下手である。
霊界で病気している霊魂もあれば、悩んでいる霊魂もある。
それはちょうど、下手な画家であれば板の上に描(か)いても布カンパスに描いても依然として下手であるというのと同じようなわけであります。…
われわれは「現世」とか「来世」とかいうカンバスに何で絵を描くかというと、念波で絵を描くのであります。
念波という絵具をもって絵を描くのでありますから、その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。
最もよい念波は何であるかと申しますと、悟りの念波、真理の念波なのであります。…
真理の念波を施すということが本当の最も根本的な供養になるのであります。》
ここに示されているように、次の世のためにも、この現世において「念波を善く」するよう努めることはとても大切なことなのです。
そして、ご先祖さまの供養をしていけは、間違いなく自らの「念波も善く」なる!
この信念をもって、ご先祖さまの供養、生長の家独特の霊牌供養に努めていきたいと思います。
もちろん、「聖経」のみの真理供養で!
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