《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「谷口雅春先生を学ぶ会」は悪口≠言うから嫌いだ!という方へ (9910)
日時:2018年08月04日 (土) 08時43分
名前:破邪顕正


表題のような声は、昔は、たくさんありました。

ところが、次第に、そういう声も少なくなってきたような印象をもっています。

「谷口雅春先生を学ぶ会」が言ってきたことは、決して悪口≠ニして切ってすませられない。

指摘されたことは、まさしく正鵠を射ている!

そういう理解がどんどん拡がってきていることが多分に影響しているのではないでしょうか。

却って、教団・本部の方が、「谷口雅春先生を学ぶ会」への悪口≠ェスゴイという皮肉な現象を今は見せているようです。

しかし、それでも、ある掲示板を覗いていると、表題のようなことを言われる方が、ままあります。

実は、その気持ち、私なりにわからなくもないのです。

だって、生長の家は、和願・愛語・讃嘆がモットーで、信徒にとってみれば、総裁というのは、謂わば、自分達の親みたいな存在。

それを否定されるような言動は、どうしても感情的に受け入れられない。

こちらが、いくら、それは事実≠セと言ってみても、すべて悪口≠ニしてしか受け止めてもらえないというのも、けだし、宜なるかな。

やはり、悪口≠ニしか受け取らないような方は、教団に対して、未だにシンパシーを抱いておられるのであろう…。

総裁や教団に対して、何だかんだと悪態をついても、それでも教団組織とは訣別できない。

平たく言えば、教団愛≠ノ溢れている方なのだろうと私は勝手に推測しています。

その教団に、真っ向から対峙し続けているのが「谷口雅春先生を学ぶ会」ですから、そこに憎しみにも似た悪感情を抱いてしまうのも、それはそれで致し方ない。

今は、そう考えるようにしています。

とは言え、こちらの指摘していることをすべて悪口≠ナ片付けられてしまうのも、些か悔しくもあり、残念でもありますので、無駄だとは思いつつも、一応の反論はさせていただこうと思います。

そういう方に、ぜひ、お読みいただきたいのが、実は『新版 真理』第6巻「人生篇」の第七章「果して讃めるばかりが好いか」(62頁〜)なのです。

その冒頭、宮川修氏が、谷口雅春先生がある記事を指摘して「非なりとして攻撃されて」いるのは、「他人の悪を攻撃する勿れ」という“真理”と相矛盾するのではないかと質問されます。

それに対する尊師のお答えが極めて重要なのです。

《御たずねに関しては『生命の實相』倫理篇の終に近きところに、詳しく説明してございますから、それをお読み下さいませ。

その要点を摘記しますと、「非真理」を駁撃するのは「真理」を宣揚し、「真理」を却って調和する所以となると云う一語につきるのであります。

相手の「非真理」を絶滅し、「真理」を宣揚するのには「讃嘆門」と「折伏門」とがありますが、生長の家では「讃嘆門」をより多く使っているのであります。

人、時、処三相応と云う事を言っていまして、讃嘆以外に採るべき手段を失ってしまうときは、自由を失うのであります。

だから生長の家は「ねばならぬを解放する教」とも云われております。…

その人の説くことが「非真理」であれば、非真理崇拝者(迷える人、救われない人、真理帰一に背く人)が多く出来る。

これはそれらの人の為にも国家の為にも甚だよくないことなのであります。》

私は、現総裁の「占領憲法」を擁護する護憲論≠ヘ、「国家の為にも甚だよくないこと」であり、まさしく虚説≠ナあると思っています。

だからこそ、どんなに悪口≠ニ難じられようが、その非を問い続けることに決して怯んではならない。

「非真理崇拝者(迷える人、救われない人、真理帰一に背く人)」を、これ以上、輩出させてはならないと思うが故です。

敢えて、先ほどの尊師の御言葉を借りて言わせていただけば、

《「非真理」を駁撃するのは「真理」を宣揚し、「真理」を却って調和する所以となる》

つまり、私にとっては、総裁の虚説≠駁撃すること、そのことが調和する%ケに他ならないということなのです。

私にとっての「調和」「和解」とはそういうことなのです。

もとより、それが当たっているか否か?

それは、読者の皆さまに委ねればいいことであって、敢えて、論争するまでもないことだと私は思っています。

だって、そもそもの立つ位置が異なるのですから。

同じ土俵には立てない以上、その違いを読者の皆さまに知っていただければいいだけのこと。

その相互の立ち位置の違いに、いちいち目くじらを立て、あげくは感情的言辞を弄して、読者の皆さまに不快な思いをさせない方がいい。

そう思って、私は今後とも、こちらの掲示板にて、自らの信念、覚悟を皆さまに披瀝させていただくのみであります。


「どうせ潰れる、ダメになる。やめとけ」と言われたことが今は懐かしい! (9915)
日時:2018年08月05日 (日) 09時58分
名前:破邪顕正


こんな笑話があります。

なぜ、神様は、日本人の足を短めにお造りになられたのか?

答え。

どうせ、足をひっぱられるから。

何かに挑戦するしようとすると、すぐ「やめとけ」という人がいます。

言うところの、「ドリームキラー」といわれる人がそれです。

実は、「谷口雅春先生を学ぶ会」もその「ドリームキラー」みたいな人達にいろいろと言われてきた過去があるのです。

折角、入会しようとしている人がいるのに、「やめとけ。やめとけ。どうせ学ぶ会はそのうち潰れるから!」

「光明思想社」もそうだったようです。

現教団のある大幹部の方から、捨て台詞のように「どうせ潰れるんだから」と言われたそうです。

今となっては、どれもこれもが本当に懐かしい。

そして、それがどれだけ私たちの励みになってきたことか。

その意味では、「ドリームキラー」の人達も現教団のある大幹部の方も、みんな私たちの応援者、支援者なのではないかとすら私は思っています。

だって、ここまで、潰れないできたのですから。

やはり、潰れないできた、その一因には、ならば、そういう人達のご期待を見事に裏切ってやろうではないか≠サんな思いもどこかにあったのではないのか、そんな気がしております。

私たちをして発憤させていただき、心から感謝申し上げます。

ただ一つ、私が残念なのは「ドリームキラー」の皆さんは、それでは一体、何をするのか、それが見えてこないことなのです。

「やめとけ」というのはいいのです。

では、そういうあなたは、一体、何をするのですか?

それに対する答えを出していただければ本当にありがたいと思う次第です。



人類光明化運動 やるき有るの?生長の家は誰の物?その看板で一生暮らして何が残るの? (9920)
日時:2018年08月06日 (月) 08時51分
名前:中仙堂

「谷口雅春先生を学ぶ会」は悪口≠言うから嫌いだ!

大体悪口を云うから嫌いだ
何て云う事は哲学とか信仰、思想の世界では
余り次元の高い事では無い
そんな気が致します。

当方、保育関連のスタッフを生業に致してます。
大人の世界も 子供の世界も大して変わらない

そんな気が致します。

もっと建設的な考えが高等生物の人間としては
大切では無いでしょうか。

云った 云わない
もうそんな発想は止して

何処が違うんだろう。
向こうではこう云ってるが

信仰で一番たいせつな事は何で有ろうか。

祖師、お釈迦様の 弟子たちが、
○○ちゃんが斯う言ったから 嫌い

でも無いと思います。

作麽生 ?
説破!!

そうで有りたいです。
その先に 本物を発見すると思います。

大体 
「お釈迦さんのお話は古い」
とか
「お釈迦さんのお話には間違いがあるから
 今風にアレンジしましょ。」

そんな弟子は お釈迦さんの弟子では有りません。
佛弟子とはお釈迦さんの弟子です。

違うと思ったら即 止めれば良いと思います。

「お釈迦さんの教えは古い今の教え≠ノしなきゃ。」
それは佛教では有りません。

軒を貸して母屋を盗られたような話しです。














「あなた、占領憲法を護るのは尊師に弓引くことになります。きっぱり辞めましょう!」 (9929)
日時:2018年08月08日 (水) 08時50分
名前:破邪顕正


表題は、夫婦揃って、長年、光明化運動に尽力されてきた奥さんがご主人に投げかけた言葉として私の耳に入ってきたものです。

どこで、教団に見きりをつけるか?

最後の一線をどこに引くか?

私は、それが、その人の信仰の中核を如実に物語るものだと考えています。

で、この奥さんは、それを「憲法」に見出されたわけです。

言うまでもなく、尊師・谷口雅春先生は今の占領憲法をして諸悪の因≠ニ評されました。

ところが、ビックリしたことに、「今の憲法にもいいところがある、総裁先生はそれをご紹介くださっている」と擁護する人が、一方にはいるわけです。

諸悪の因≠ネのにいいところもある=H??

結局、そういうことを言い募るのは、端っから総裁擁護ありき!

だから、常に為にする論≠ノしかならない。

そういう人といくら話し合っても、決して実りあるものとはならない。

だって、最初から、総裁擁護と結論が決まっているのですから!

更に、言わせていただけば、教団の「護憲論」は、単にいいところもある<激xルで済まされる話でもないのです。

それが証拠に、共産党は、今の生長の家教団をして同志≠ニまで讃仰しているではありませんか。

それほどまでに、教団の「護憲論」は、まるで共産党と見紛うようなシロモノなのです。

「与党とその候補者を支持しない」

「再び、与党とその候補者を支持しない」

改めて、その両者をよーく読んでみてください。

なるほど、これでは共産党が同志≠ニいうのも宜なるかな。

そう言いたくもなりますよ。

だからこそ、先の奥さんは、共産党と一緒だと言われるような生長の家教団とはきっぱりと縁をきる。

それでは、大恩ある尊師に顔向けできない。

そう判断なされたのだろうと思います。

「和解論」を未だにいう人達は、今の教団が共産党から同志≠ニ見られていることを、どう考えているのでしょうか。

この事態をどれだけ深刻に受け止めているのでしょうか。

余りにも軽く視すぎではないでしょうか。

だって、谷口雅春先生は共産党と「和解せよ」などと言われたことはありませんよ。

「光」は「闇」とは和解できません!

私が一貫して、立ち位置の違いを言うのは、こういう現総裁、或いは現教団に対しての認識が余りにも違い過ぎるからなのです。

もはや、今の教団は谷口雅春先生の創始せられた「生長の家」ではないのです。

すべてはその認識から出発すべきであると思うものであります。

「生長の家」ではないものとは、和解≠オようにも和解≠オようがないでしょう…。



「本流」が互いに切磋琢磨してともに生長することを願っています。 (9936)
日時:2018年08月09日 (木) 08時35分
名前:破邪顕正


他の「掲示板」において、「谷口雅春先生を学ぶ会」を離れた方から、「谷口雅春先生を学ぶ会」を思えばこその、有り難い、いろいろな声を聞かせていただいておりますこと、この場を借りて心から感謝申し上げます。

私は、以前から、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、教団を退会した方の受け皿を目指すと申し上げてきました。

それと同時に、その一方で、「谷口雅春先生を学ぶ会」だけで、それがすべて担えるなどとは毫も思ってはいないのです。

実際、「谷口雅春先生を学ぶ会」が常に教団と対峙しようとしていることへの違和感。

或いは、「日本会議」の改憲運動を支援することへの反発、反感。

更には、「あの人がやっているから」というような感情論の類まで、様々な理由で、「谷口雅春先生を学ぶ会」から離れた方があることを、私なりによく承知しているからです。

入会するもよし、退会するもよし。

それでいいと私は思っているのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は伸び方が小さい、とか、或いは、もう末期だとか。

いろんなことを言う方がいます。

そのすべてを、「谷口雅春先生を学ぶ会」を思えばこその、私どもを発奮させるための愛情表現≠セと捉えさせていただこうと思っています。

ただ、私が思うのは、「本流」は何も「谷口雅春先生を学ぶ会」だけではないということなのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に見きりをつけたのであれば、ぜひ、他の「本流」組織で頑張ってほしいと思うのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に絶望して、今は、ここで頑張っています、そういう発言をこそ私は期待しているのです。

「本流」には、選択肢があるところがいいのですから、「谷口雅春先生を学ぶ会」に対する失望を他の「本流」組織での希望に変えていただけたらと切に願う次第です。

今、何をされているか。

私が、敢えて、それを問うたのは、そういう願望があればこそなのです。

他の「本流」の組織に所属しなくても、例えば、自分の身の回りに、『生命の實相』勉強会を起ち上げて、仲間作りを行っています…。

「組織」に裏切られたというばかりではなく、だからこそ、こういう「組織」を自分なりにつくりはじめました…。

何か、そういう前向きな、積極的な発言が飛び交えば、もっともっと「本流」の運動も活性化するのではないかと思う次第です。


こんな「生命学園」に大事な子どもは預けられない! (9945)
日時:2018年08月10日 (金) 09時11分
名前:破邪顕正

国旗「日の丸」を掲げない。

国歌「君が代」を斉唱しない。

これが、今日の教団の「生命学園」です。

ところが、それとも知らずに、ある信徒さんが、子どもを「生命学園」に入れた。

入れて、びっくり!

まざまざと、今日の教団の変質、変貌ぶりを目の当たりにしたからです。

で、表題の言葉と相なったという次第です。

この話を伺って、信徒の中には、まだまだ昔のイメージで、生長の家を愛国団体と見ている方がたくさんおられるのだろうと思った次第です。

しかし、現実は、私どもが考えている以上に深刻です。

時間とともに、その実態がどんどん第一線の信徒にまで知られていくようになります。

それとともに、愛国者である信徒の皆さんは、教団から心が離れていくでありましょう。

逆に、国旗、国歌等に関心のない、それに違和感をもたない、そういう信徒が教団をどんどん支配することになるだろうと私は見ています。

現総裁の本当のネライもまたそこにあるのです。

そうです、信徒の入れ替えです。

現総裁が「総裁」である限り、この路線が変わることはありません。

そう覚悟して、ならば、自分達に何ができるか。

それを考え、実行に移すことが、今の私たちに求められていることなのだと私は思っています。





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