五感六感を超えるものが世の中には存在する (9842) |
- 日時:2018年07月29日 (日) 10時21分
名前:中仙堂
もし幸福な生活を送りたいと 思う人々が ほんの一瞬でも 胸に手を当てて考えれば、 心の底から しみじみと感じられる喜びは、 足下に生える雑草や 朝日に燦めく 花の露と同様、 無数に有る事が判るでしょう。 ヘレン・ケラー
ヘレン・ケラー女史と言えば 視力・聴力・言葉を失いながらも 教育、社会福祉の普及を世界に呼び掛けたアメリカの偉人のお一人で有る事は周知の事であります。 一口に三重苦と言ってもどの様に、 成長されて、達見を我が物とし、 世界に発信為さったのか。 それ等は自伝に拠りますが 卑近な例えですが、 パソコンのハードディスクから コード類が外れると、 情報が流れず、パソコンは機能しなく成ってしまいます。 正しく彼女の体験程の奇跡は、 キリスト、仏陀の功績に匹敵すると 小生は思います。 花の露や、朝日の輝きを どの様に知ったのでしょう。
ある年のこと、私は福岡での生長の家講習会の帰途、下関の或る小学校の講堂で講演をした。その講演の中で私はこう云う話をしたので有る。 「或る学校で或る先生が【蜆貝が黒いのは保護色であって、その住む周囲が黒いものだから、その周囲の色に似せて自分をカムフラージュするのです】と教えた。すると、一生徒が手を挙げた。【先生は蜆が周囲の色が黒い泥であることを知っていて自分の貝の色を黒くして身を保護すると言われますが、蜆には眼がありません。】と言った。」 先生は、生徒に返す言葉が無かったと云います。(谷口雅春先生ご高著「無門関解釈」引用) 此れより先は上述書をご参照下さい。 五感六感を超えるものが世の中には存在すると云う事でしょうか。
見えざる物を見せ、聞けざる声をきかせるものは、神の愛と言えるのでは無いでしょうか。
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