〝法燈継承〟の疑惑の数々 (9612) |
- 日時:2018年07月02日 (月) 16時31分
名前:破邪顕正
阪田先生の論文には、続いてこうあります。
《雅宣氏は先の発言の中で〈生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば〝個人的〟に〝内密〟に行われるのではなく、公に発表する形でも行われるし、そのことを「教規」に書いてきちんと制度下している〉と言っています。
しかし雅宣氏は副総裁に就任した時に、龍宮住吉本宮の御神前で〝奉告の儀〟をしたかといえば、手持ちの「聖使命」紙で確認しても、そのような記事はなく、ただ11月21日の夕方、総本山の練成道場で「副総裁就任祝賀会」が行なわれ、その時の雅宣副総裁の〝言葉〟と、祝賀会の模様と、会の冒頭で総裁谷口清超先生が「本当に全てが神様の御心にあることでありまして、ただ感謝するのみであります」と、わずか一分半という短いご挨拶をされたと報じているだけで〝法燈の継承〟に関することなど一切ありません。》
本当に、この時に〝法燈継承〟がなされていたとするのであれば、「聖使命」紙の扱いがこの程度ですむわけがありません。
どう考えても、無理やり、後付けしたとしか思い得ないのです。
更にオカシイのは、総裁の言っていることとやっていることとが余りにも違い過ぎるという点であります。
総裁は、こう言っているわけです。
《生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば〝個人的〟に〝内密〟に行われるのではなく、公に発表する形でも行われる》
ところが、実際はどうであったか。
《この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって、「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」》
何のことはない、総裁は
《「師と弟子」の二者間でいわば〝個人的〟に〝内密〟に行》
っているのです。
法燈継承は
《公に発表する形でも行われる》
そう言うのであれば、その場に谷口清超先生においでいただいて、みんなの前で、谷口清超先生から直に、法燈継承者は誰か、表明してもらうべきだったのではないでしょうか。
ところが、現総裁は、そうしなかったのです。
阪田先生は、これについて、こうはっきりと疑いの眼差しを向けています。
《すると清超先生は「不思議そうな顔をされましてですね。
〝それはあなたが副総裁になった時に…〟とおっしゃった。」 私はこれを聞いた時、それを証明するいわゆる第三者はおらず、ましてや清超先生ははっきりと「副総裁になった時」と明言されたのではなく「時に…」のあと言葉が続いていないのです。
そのことを証言する立会人はいないのであるから、悪く言えば雅宣氏の〝一人芝居〟と疑うこともできなくはない。》
法燈継承という宗教的にとても重大なことが、 《雅宣氏の〝一人芝居〟と疑うこともできなくはない。》
と言われてしまう。 そういうスッキリしない、何とも釈然としない空気が、ずっと三代目の法燈継承にはまとわりついているのです。
そして、阪田先生は、この論文の中で、はっきりとこう書いてもいます。
《このような人が三代目になったことはそもそも間違いであったのです。》
今の教団がどんどん教勢を落とし、日本共産党から〝同志〟の如き扱いを受けるまでに「護憲=左翼化」としているのを見れば、阪田先生ならずとも、そう嘆かざるをえないのではないでしょうか。
ともあれ、私は、今後、教団信徒が「総裁先生が唯一の法燈継承者である」ことを拠り所として「総裁先生に中心帰一せよ」と声高に叫ぶのであれば、「何の証拠があって法燈継承者であると断言するのか?」と逆に問いただしていこうと思っています。
阪田先生が、〝事実〟をもって、そこに横たわる重大な問題を抉り出していただきましたので、それをもっともっと大いに広げていきたいと思う次第です。
だって、何度も申し上げて恐縮ですが、その一点こそが、教団にとって致命的な弱点であると思うからです。
法燈継承は〝一人芝居〟だったという疑いが持たれているんですよ!
その疑いは、今、いろんな事実から指摘されているんですよ!
それを信じるか信じないか、まずはこの資料を読んでみませんか?
これは『生長の家五拾年史』を書き上げられた阪田先生のお書きになったものですから、決して眉唾ではありませんよ!
そう言って、広めていこうと考えています。
皆さんの周りに、「総裁先生に中心帰一せよ」と言い張って聞かない信徒がいたら、ぜひ、そう進めていただきたいと念願する次第です。
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