《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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なぜ、総裁がつくった『経本』等を読むと具合が悪くなるのか、その理由がここにありました! (7076)
日時:2017年07月20日 (木) 15時50分
名前:破邪顕正


今、新編『生命の實相』は第25巻まで発刊されています。

頭注版『生命の實相』で言えば、第15巻「人生問答篇」に当たります。

それを読んでいて、ハッと思ったのが表題に掲げたことです。

新編『生命の實相』第25巻50頁に、杉野さんの話が出てきます。

夫婦揃って「生長の家」にお入りになり、心境が実に朗らかになられた。

ところが、その杉野さんが、急に憂鬱になってしまわれた。

そのために、仕事も何もかもがうまくいかなくなってしまった。

どうして、こうなってしまったのか。

その理由をこう語られるのです。

《…どうして私の心にこういう朗かでない心境が起って来たのであるかどうも判らない。

ところがよくよく反省してみますと四、五日前に『三日会会報』というのが来ました。

それをポケットに入れて電車の中で読んだのであります。

いつでも会社へ往復の電車の中では聖典『生命の実相』を読むようにしていましたのですがちょうど『三日会会報』が来たものですから、この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、読んでいると『生長の家』と少しちがうところがあるような、変な不安な憂欝な気がしてきたのです。

何だかその理論は物質の存在を認めているような、小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がして来たのです。》

察しの良い方は、これで私が何をいわんとしているか、おわかりになったと思います。

そうです、現総裁が書いているものは、上の表現を借りれば、「現象も存在する」という、いわば『三日会会報』みたいなものであるわけです。

環境問題≠ノ拘れば、当然、そうなることは火を見るより明らか。

杉野さんの問題は、決して、過去の話ではすまされません。

今、進行中の問題でもあるのです。

杉野さんは、『生命の實相』と『三日会会報』とを混ぜ合わせて読んでしまったために、オカシクなってしまいました。

今の教団も然り。

「聖経」と「経本」とを混ぜて読んでしまっています。

ホンモノとニセモノとは甄別しなければなりません。

洗剤だって、混ぜれば、時として毒ガスすら発生することがあります。

第二、第三の杉野さんを輩出しないためにも、総裁のつくったニセモノは読まないに限る!

そう、教えてあげるのが、愛念の証なのだと思う次第です。

怖いことだと思います。 (7079)
日時:2017年07月20日 (木) 23時27分
名前:そーれ!!

あのお経を読んで、頭痛、吐き気をもよおした人、大勢いらっしゃいます。
大半の人達は、強制持以外は読まない様ですが、無理して読むと、慣れて来て、
頭痛、吐き気が無くなるそうです。

魂が、後退して行くからだと解釈します。

全て自己責任ではありますが、人類暗黒化運動は、いかがなものでしょうか。
それって、CO2より毒性が強い様に思います。

左翼思想の言葉は不幸を招く (7081)
日時:2017年07月21日 (金) 08時27分
名前:中仙堂

幸福な人生を歩んでいる人は、
言葉の使い方を知っています。
言葉は選んで使いなさい。
言葉の選択一つで、
人生は明るくも暗くもなるのです。
 ジョセフ・マーフィー

特に日本のやまとことば≠ノは
言霊と云うものがあります。

わたくしは詳細は存知ませんが

『言霊』(ことだま)とは、
一般的には日本において言葉に宿ると信じられた
霊的な力のこと。
言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、
森羅万象がそれによって成り立っているとされる
五十音のコトタマの法則のこと。


言葉の選択一つで、
人生は明るくも暗くもなるのです。
そうそう!

「そーれ!!」さんへ (7082)
日時:2017年07月21日 (金) 08時53分
名前:破邪顕正


>大半の人達は、強制持以外は読まない様ですが、無理して読むと、慣れて来て、頭痛、吐き気が無くなるそうです。<

この箇所を読んで、思いついたことを書かせていただきます。

それは、ナレ≠フコワサです。

ナレ≠フ漢字を辞書で引くと、こうありました。

<慣れ>

@その状態に長く置かれたり度々それを経験したりして違和感がなくなり通常のこととして受け入れられるようになること。例「その土地の気候に慣れる」

A経験を重ねてうまくできるようになること。例「手慣れた手つき」

B道具などが、からだになじむこと。例「履き慣れた靴で出かける」

それに対して、この馴れ≠烽ります。

<馴れ>

@その人に対して、違和感がなくなる。その人に親しみの気持ちをもつようになること。例「新しい上司に馴れる」

A動物が人間に対して警戒心などを抱かなくなる。例「人に馴れない馬」

では、慣れ≠ニ馴れ≠フ違いは?

慣れ≠ヘ物や経験など人以外に対して、馴れ≠ヘ人に対して使うという違いがあります。

これに倣うならば、今、教団信徒は、総裁という人に馴れ=Aそしてその人がつくった「経本」に慣れ≠トいっているということではないでしょうか。

では、その行き着く先に待っているものとは何か?

私は、犭篇のついた狎れ≠フ世界ではないかと見ています。



ある教区の早朝行事に愕然としました! (7095)
日時:2017年07月24日 (月) 08時39分
名前:破邪顕正


ある教区の「一泊見真会」のプログラムが送られてきました。

驚いたのは、表題にありますように、その早朝行事です。

こう記してあったのです。

>神想観

「万物調和六章経」読誦

「聖使命菩薩讃偈」読誦

「観世音菩薩讃歌」読誦<

ご覧のように、見事に、聖経「甘露の法雨」読誦が外されているのです。

もちろん、テキストに『生命の實相』は入っていません。

おそらく、これは、この教区だけに限ったことではないように思います。

今の教団の、これが早朝行事の一般的なプログラムなのではないでしょうか。

『生命の實相』なき、「聖経」なき「生長の家教団」!

果たして、これを「生長の家」と呼んでいいんだろうか。

そんなことを改めて思ったことでした。



正直 気がくるっちゃいますね。 (7106)
日時:2017年07月24日 (月) 19時22分
名前:中仙堂

「万物調云々」読誦

「聖使命云々」読誦

「観世音云々」読誦<

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
正直 期がくるっちゃいますね。

これは 間違い無く 洗脳です。

信仰とは もっと 清々しく

自由で、高貴なものの 筈でしょう。



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