《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《連載》「しろうさぎ」さんの一連の投稿が果たしている貢献 その(1)…今の総裁が「真理」にうとい〝浅薄総裁〟であることを明らかにした (5406)
日時:2017年03月15日 (水) 15時07分
名前:破邪顕正


「しろうさぎ」さんの一連の投稿が際立っているのは、現教団の今の、ナマの現状を具に報告していただいていることにあります。

私などは、教団から去って随分と時間が経っていますので、組織の現状は殆ど伝聞に頼るほかはありません。

しかし、「しろうさぎ」さんは、数カ月前まで、教区の幹部として活躍し、また人脈の広がりもあるために、極めて正確な、所謂、第一次情報が入る立場にいるということは実に大きいと思います。

それだけに、教団の圧力、当たりも自ずとキツイものになっていかざるをえない…。

それはそれで致し方ないことではないでしょうか。

だって、それは教団にとって大きな傷手となるのは間違いないことなのですから…。

それを覚悟の上で、それをものともせず、こうして投稿していただいていることに、心からの感謝を申し上げる次第です。

さて、一連の投稿において、最初にとりあげるべき貢献は、表題にも掲げましたように、〝背教総裁〟は「教え」に背いているという以前に、「教え」そのものが実は本当にはわかっていない、いわば〝浅薄総裁〟だったのだということを明らかにした点にあると私は思います。

〝浅薄総裁〟が舵取りする〝船舶〟に乗船している教団信徒は、いずれ待ち受けているであろう坐礁に遭遇して、はじめて目が覚めるのでありましょうが、それでは遅すぎる…。

その前に何とかして下船するように導く使命が「谷口雅春先生を学ぶ会」にはあるのだと改めて痛感した次第です。

それでは、〝浅薄総裁〟と称するゆえんを「しろうさぎ」さんの投稿から、思いつくまま列挙することにいたしましょう。


①「鼓腹撃壌はメタボリック…だから聖経の補強が必要である」

総裁は、「鼓腹撃壌」をメタボだと捉えていたという、まさに「驚天動地」の解釈をしていて、それを根拠に「聖経」の補強を主張した…。


②「天界の諸神は第2義と返答」

総裁は、教えの根幹とも言うべき「神の三義」すら深く理解していないということがこれで満天下に晒されました。

以上の2点については、例えば、この投稿が参考になります。

○「鼓腹撃壌」はメタボリック。「天界の諸神」は第2義の神と言う総裁 (4425)
日時:2017年01月08日 (日) 22時37分
名前:しろうさぎ

前回の投稿で、数年前、隣の教区の講習会の午後の講話で、総裁がおもむろに聖経を開いて「天使の言葉」の終わりのところの「鼓腹撃壌」を「メタボリックですね」と解説されたことを書かせていただきました。

あの時、「炊煙春の霞の如く……は、炊事していて、ご飯を炊く煙が立ち込めてる……。住民悉く鼓腹撃壌し、……これは腹一杯食べて、メタボリックですよね。

其処はただ常楽の世界を現じたりき…とありますが、雅春先生の時代は、食べるものも不足していて、栄養失調で亡くなったり、結核が不治の病だった。

ところが、今はどうでしょう?

メタボリックで病気になる時代でしょう。

ですから、聖経にもやはり補強が必要なんです。」

そう言い放った。

私、ノートに書き留めていますもの。

そして、その時の質疑応答で、「私は講習会に初めて参りました。午前の総裁先生の講話に、神に三義あり…とありましたが、天界の諸神は何義になるのでしょうか?」と質問されたのに対し、総裁は「初めてご参加くださったんですね。ありがとうございます。いいご質問ですね。天界の諸神悉く真理のコーラス雨降らし…のところですね。2義です。」

そう答えられました。

応化神は第三義ではないでしょうか。


③「『如意宝珠観』の、我が父誰それは身健やかに、心美しく…が言えなくなった」

総裁は、どうも、この『如意宝珠観』、この世に生きている人しか念頭においていないようです。

おそらく、総裁は『如意宝珠観』を実修していないのではないでしょうか。

だって、念ずる言葉として、こうあるのですから。

《この大調和の實相の大海原に…》

これが出てくるのは、次の投稿です。

○「離婚するのは生長の家の教えに背くことになる」そう言いきった教化部長。教えに背いているのはどちらでしょうか? ~教区練成会編~ (4813)
日時:2017年02月05日 (日) 22時29分
名前:しろうさぎ

(前略)

総裁が、清超先生がご昇天されたあとのスピーチで、「清超先生がいらっしゃらなくなって、『如意宝珠観』の、我が父誰それは身健やかに、心美しく…が言えなくなった」なんて、信徒が理解に苦しむ発言をされた際にも、教化部長に「如意宝珠観の、我が父、我が母誰それというのは、実相の父母であって、現象の父母ではありませんでしょう?」とお聞きしても、「総裁先生は清超先生がご昇天されて、ショックを受けていらっしゃるので、そこを信徒は配慮申し上げて、そんな重箱の隅をつつくようなことを言うことはやめてください」


④総裁は、「四無量心を行ずる神想観 新バージョン」をつくっていながら、肝心の「四無量心」への理解が浅い

そもそも新たに「神想観」をつくることそのものが、不遜であります。

結局、これまた、総裁が「神想観」も補強しなければならないと思っている、何よりの証拠だと言えます。

それにしても、「神想観」に〝新バージョン〟などとつけますかね…。

この問題については、次の投稿が参考になります。

○総裁と信徒の真理の判釈 ~講習会および総本山編~ (4730)
日時:2017年01月30日 (月) 23時09分
名前:しろうさぎ

現総裁は講習会で「四無量心を行ずる神想観 新バージョン」の説明の中で、「みなさん、一切衆生の衆生というのは、人間ぐらいだと思っているでしょう?ですから、鉱物を入れたんです」

そうおっしゃいました。

尊師・谷口雅春先生は「善と福との実現」の中でも、一切衆生の衆生は生きとし生けるものすべてである、地球も生命体であるということを、お教えくださっております。

尊師・谷口雅春先生は「鉱物も神、仏の生命の現れである」とお説きくださっていますから、私たち信徒は、衆生を人間ぐらいだなどと思っておりません。

それなのに、あぁそれなのに…現総裁は、ご自分がこの程度のレベルでしか、み教えを理解されていないのを、私たち信徒に対して、上から目線で「あなたたちがわからないだろうから」と思われてか、こんな発言をされたのです。

お言葉を返すようですが、私たち信徒のほうが尊師のお説きくださったみ教えを理解しているように思いますが、間違っておりますでしょうか?


⑤「法施」と「物施」との違いがわかっていない

私も、まさか、総裁がそんな違いも分からないとは思ってもみませんでしたが、事実はどうもそうではないようです。

これは、次の投稿に出てきます。

○「法施」と「仏施」の違いもわからない、現総裁 (4590)
日時:2017年01月16日 (月) 23時33分
名前:しろうさぎ

(前略)

講習会での講話で、現総裁はこういうことを言われました。

「仏教でいう布施には、『法施』と『物施』がありますが、仏前でお経を誦げるのは『物施』で、仏前にものをお供えするのは『法施』になります。」

えっ?? 物をお供えするのが「物施」で先祖の悟りのために仏前でお経を誦げるのが「法施」であると尊師・谷口雅春先生はご教示くださっていますが、現総裁は「霊供養入門」を読まれていないのでしょうか?

○これで「宗教目玉焼き論」?「法施」と「物施」の違いがわからない総裁 Part2~講習会編~ (4710)
日時:2017年01月28日 (土) 08時03分
名前:しろうさぎ

(前略)

講習会で現総裁は「法施と物施」について、「真理の話をして病気が治るようなことが有るとすれば、それは「物施」になります」そう言われました。

真理の話をして、根本から人を救うのは「法施」と教えられてきましたが、ここでも、現総裁は尊師・谷口雅春先生のお教えくださったことと真反対のことを平気で言われています。


⑥「縦の真理の縦は、創造神と被造物の関係であるんです」

「経の真理」については、例えば、新版『真理』別冊「生死を超える道」(89頁~)には、こうあります。

《経(たて)の真理と云うのは終始一貫変らないと申しましたが、何が変らないかと云うと、人間は大生命から生れた、即ち「人間神の子」と云う真理であります。

これは永遠にかわらない。

即ち人間は神の子であり、円満完全であって、決して病気にもかからなければ、老衰もしないし、死にもしない。

何処にも欠陥のない万徳円満のすばらしい神の命が人間そのものであります。

これが永遠かわらない「縦の真理」であります。》

生長の家の教義の根本であります。

ところが、総裁はそれがよくわかっていないようであります。

これは、次の投稿に出てきます。

○「縦の真理」について~総裁の解釈 講習会での講話編~ (4650)
日時:2017年01月20日 (金) 20時41分
名前:しろうさぎ
生長の家では、縦の真理、横の真理について学びますけれども、「縦の真理」について、尊師・谷口雅春先生は「創造神と被造物の関係ではない」と、お教えくださいました。

このことについて、現総裁は講習会の午前の講話で「縦の真理の縦は、創造神と被造物の関係であるんです」と明言されました。

「午後の質疑応答の時間に、午前中の私の講話の中での疑問点等あれば、お答えしますから書いて出してください」と、総裁ご自身が言われるので、そのまま、「縦の真理は創造神と被造物の関係ではないと谷口雅春先生はお教えくださいましたが、総裁先生は先程のご講話で、創造神と被造物の関係であると仰いました。納得がいきませんのでお答えください」と書いて出しました。

その質問は無視、見事にスルーされました。


以上、6点にわたって紹介させていただきましたが、これだけを見ても、やはり現総裁を〝浅薄総裁〟と呼んでもいいのではないかと改めて思った次第です。



日々の祈り  (5407)
日時:2017年03月15日 (水) 15時17分
名前:童子

天照大御神の御徳を讃嘆する祈り


 ・・・ 天照大御神は「愛なる神」の別名である。キリストの愛の別名である。自ら与えて代償を求めない「アガペー」の象徴である。また、三十三身に身を変じて衆生を救い給う観世音菩薩の別名である

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/prayers/2005/10/post_57a5.html


これは嘲笑ものです


 

「童子」さんへ (5408)
日時:2017年03月15日 (水) 16時20分
名前:破邪顕正


本当に、これはヒドイ!

ある知人が、「日々の祈り」を読むと「日々の迷い」となると言っていましたが、こんなことが書いてあれば、それも当然です。

総裁は、「教え」が本当にわかっていないということが、これだけでもよくわかります。

『国のいのち 人のいのち』には、はっきりと「天照大御神と毘盧遮那如来との一致」として、こう記されています(19頁~)。

《この日之大神は、すなわち仏教では釈迦牟尼仏がお説きになったところのヴェローシャナ仏のことであります。

ヴェローシャナというのは、梵語すなわちインドの古代の言葉で、「遍一切所」という意味であり、「光明遍く照らす」という意味だとも言われているのであります。》

しかし、ご存じのように、この『聖典』は絶版されています。

信徒は、これを学ぶことができないわけです。

それをいいことに、こんなデタラメを書いて、何ら恥じることがない…。

笑止、というほかはありませんね。



支離滅裂、背教総裁。 (5412)
日時:2017年03月15日 (水) 21時57分
名前:そーれ!!

背教総裁は、天照大神を、賛嘆されています。

では何故、総本山から、天照大神 の御神符が、突然

消えたのでしょうか?

生長の家大神は、住吉大神。

住吉大神の御神符も突然消えてしまいましたね。

そのうち、○宣大神の御神符が出現するかもしれません。

勿論、かまぼこ板に、あの文字で・・・。

ご自分だけ白木の 御神符では、造化の三神に失礼

であります。

さすがにそれは無い。いえいえ十分あり得ます。

将来ご自分が、大聖師に成るために、清超先生を、大聖師に

したではありませんか。これ、御法度(ゴハット)ですよね。

そもそも大聖師とは、人がそう呼ぶべき御名であって、

自分に着けるものではありません。

ああ、本当に、”日々の迷い”の世界ですね。

皆様、 ”完全墓穴惨禍新バージョン”にもご注意下さい。


その(2)…信徒がなぜ〝浅薄総裁〟についていくのか、その心理を明らかにした! (5416)
日時:2017年03月16日 (木) 09時33分
名前:破邪顕正


「しろうさぎ」さん自身が、つい最近まで教団組織にいたわけです。

そして、自分は、なぜ、組織にい続けたのか。

その自己分析、心理分析を投稿という形で示してくれました。

その内容は、今なお組織に残り続けている一般信徒の心情を見事に言い当てている…。

であれば、「しろうさぎ」さんが、組織を退会するにいたった経緯は、そのまま信徒を目覚めさす、好個の材料を提供しているように私は思うのです。

果たして、「しろうさぎ」さんを呪縛し続けたもの、それは、やはり「中心帰一」でありました。

次の投稿がそのあたりのことをアリアリと示しています。


○「現総裁に彼は中心帰一できないなんて…」~総裁のつぶやき編~ (4752)
日時:2017年01月31日 (火) 22時18分
名前:しろうさぎ

(前略)

この頃から、教団に不協和音が漂い始めていたのを私も感じておりました。

でも、教団を離れるなんて考えてもおりませんでした。

「生長の家の大神ー総裁・副総裁ーみ教え」

それを片時も忘れてはならない…そう妄信していたからです。

(略)

ここ4、5年は就寝前にいつも「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」「中心帰一中心帰一」と繰り返し繰り返し唱えていました。
副総裁は不在ですけれども。

今になって気づいたんです。

私は教団に洗脳されたというより、「総裁に中心帰一しなければならない!」と自分につよく言い聞かせ、自己催眠をかけていたのでした。


この投稿からも、如何に信徒が「中心帰一」に縛られているかが、はっきりと看て取れます。

その呪縛から解き放つために、私は次のことを知らしめていくべきであると思っています。

①「生長の家大神」は変わった!

「生長の家大神ー総裁・副総裁ーみ教え」という場合の「生長の家大神」とは「住吉大神」であります。

それが谷口雅春先生の教えであります。

ところが、総裁は、「造化の三神」を勝手に勧請し、「住吉大神」を脇に追いやり、あまつさえ、その神符まで下賜しなくなったのですから、生長の家の神様は変わってしまったのです。

加えて、副総裁だっていまだに不在なのですから、これが成り立つと思う方がオカシイといわざるをえません。

神様を変えておいて、一方で、信徒をこの論理で縛り付ける…。

余りにも、それはご都合主義、手前勝手というものではありませんか。

よし、本当に「中心帰一」を言うのであれば、生長の家大神=住吉大神=鎮護国家、これを変えてはならなかったのです。

②盲目的に何でもハイをするのが「中心帰一」ではない!

これについては、かつて谷口輝子先生がこういうお話をされたことがあります。

「夫にハイ」だからと言って、夫が「子供を堕ろせ」と言った堕ろす、というのでは、それは本当の「ハイ」ではありません。

實相の夫に「ハイ」するのが、「生長の家のハイ」です。

大変、厳しいご指導でありました。

ですから、総裁の言うことに何でも「ハイ」するのが本当の「ハイ」ではないということです。

「ハイ」する前に、それが本当に「教え」に適っているか否か。

それを見極める必要があるということです。

このことについては、「しろうさぎ」さんがいみじくも指摘したように、総裁は谷口雅春先生の「教え」を充分に分かっていない…。

「教え」がわかっていない人についていってはいけない。

それが、「しろうさぎ」さんが退会することを決断した一番の理由です。

改めて、谷口雅春先生の「教え」をしっかりと学ぶこと。

それが「中心帰一」の洗脳から信徒を解放させる、大事な道なのだと改めて思った次第です。


『歎異抄』 の生長の家版である (5419)
日時:2017年03月16日 (木) 11時11分
名前:童子


 『歎異抄』 とは 親鸞聖人のあと弟子たちが夫々に勝手な解釈で教えを弘めていることを歎いて 僧唯円 が書き記したものとされています。



 「ああ、なんということだろう。 つくづく情けないきわみである。 胸がはりさけそうである。

 それというのも、わが師、親鸞さまの説かれた教えが、最近ではすっかりまちがったかたちで世間にひろまっているからである。

 親鸞さまは、そんなことはおっしゃらなかった。 このわたしが、この耳できき、直接に教えていただいたのだから、まちがいない。

 本当の信心とは、どういうものか。 正しい信心とはどのようなもか。

 わが師は、それをはっきりと教えてくださったのだ。 そのお声、そのお顔は、いまもまざまざとわたしの心にきざまれている。

 いま世間で説かれている念仏の教えは、親鸞さまのお考えとはちがう。 それでいいのか。 いや、このままでは、この先、親鸞さまの信心が、まちがったまま世の中にひろまり、人びとを迷わすことになりかねない。 やがて念仏ノ教えそのものに疑いをもつ人すらでてくるだろう。  ・・・ (中略) ・・・

 くれぐれも自分勝手に親鸞さまの教えをねじまげたり、見当ちがいの解釈でおしとおしたりしてはならない。 なによりも大事なことは、親鸞さまのおことばをそのまま正しく受けとることである ・・・ 」

      (五 木 寛 之 現代語訳 より)


 
 同じ文章、同じ言葉で 愛する生長の家について語らねばならぬことの歎き寂しさを感じます

 あんなに沢山の聖典が、CD、ビデオが残されているのに、まるっきり違うモノになってしまったのは、ただ一人の人物のみならず、教祖開祖 ・・・ から直接教えを受けたという自称弟子ら取り巻き連にも因があります


 “SIN一派”の間違いの訂正を求め批判する行為に対して嫌悪を覚えるという人がいますが、彼らが「生長の家」の看板を掲げているいじょうは正して行かねばなりません


 
 ※『歎異抄』 は 谷口雅春先生著 『光明道中記』8月~9月 で解釈されています

 

他宗教の歴史も参考になるかもしれません (5420)
日時:2017年03月16日 (木) 11時52分
名前:サマリア人

たまに出てくる者です。

実は私も、いわゆる「善鸞義絶」事件など、気になっているところです。
(なお、善鸞義絶については、何分古い話で、諸説あるようですが。)

生命の実相だったか、あるいは雅春先生の他の御著書だったか、
忘れてしまいましたが、

「善鸞が『親鸞聖人が言い忘れたことを私が知っている』というと、
不安に思った信徒たちが集まって話を聞きに来た。
しかし、この信徒たちの信仰とは、その程度だったのか……」

みたいな記述があったと思います。
(どの本だったか御存知の方、また記憶違い等ございましたらご指摘下さい。)

その他、禅宗の、米つき男から六祖となられた慧能禅師の話
(これも、生長の家でもよく取り上げられていた話と思います)、

(以下はあまり生長の家では論じられていないと思いますが)
さらには、カトリックの腐敗からプロテスタントが生まれた経緯やその後の両派の歴史や現状、

また、そもそも、キリスト教最初期からの異端問題(キリスト仮現説等)、

旧約聖書を共通の聖典とする、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の近親性と、それゆえの対立、

新興宗教での分裂の歴史(大本教、霊友会、天理教…)等々、

他宗の法統継承や、分裂の歴史を考えると、
現在生長の家で起きていることも、もちろん、宜しくは無いのだけど、
一方、それほど特異なことではない……と思えますし、
これらから、何かしら学ぶこともあるのではないか、とも思います。

もうちょっとまとまったら書こうかな、とも思っていたのですが、
とりあえず素材だけ提示しました。

これらにお詳しい方がいらっしゃれば、また御意見等伺えればと存じます。

その(3)…「お孫さんで法燈継承された方」だからついていくという心情にどう反駁するか? (5425)
日時:2017年03月16日 (木) 19時31分
名前:破邪顕正


なぜ、総裁に疑問を抱きながらもついていくのか。

その理由の一つが表題に掲げたものです。

これについては、この投稿が参考になります。


○再び「あさがお」さんへ (4600)
日時:2017年01月17日 (火) 11時59分
名前:しろうさぎ

(前略)

「やっぱり総裁はおかしいんだ」と思いながらもなかなか抜けることはできませんでした。

抜けられない理由は1つや2つではありません。

色々な要素が複雑に絡み合ってのことです。

教団がここまでおかしくなったのは、教団幹部のせいだけでしょうか?

教義の間違った解釈や偏狭な考え方をする総裁に、「総裁先生は素晴らしい。総裁先生は谷口雅春先生のお孫さんで法燈継承された方だから総裁先生についていけば間違いない。

『生長の家の大神ー総裁・副総裁ーみおしえ』と教えられているからと、それこそ盲目的に信じてついていった私たち信徒が、ここまでこの総裁の独裁を後押ししたのではないでしょうか。


やはり、ここにも示されていますように、所謂、総裁が谷口雅春先生のお孫様であること、そして“法燈”継承者であることがネックになっているようです。

これをどう突き崩すか?

私は、「生長の家教規」をもって反論するのが一番だと思っております。

平成8年9月3日改正の生長の家教規第10条にはこうあります。

とても重大なことがここには記されています。

《本教の創始者を総裁とし、総裁の生存中、その継承者に決定されたる者を副総裁と定む。

副総裁は総裁の逝去によって総裁の位置を襲ぐ。

新総裁襲任する時は、新総裁がその期間中にその継承者を創始者の家系に属する者、その他の「生長の家」の信仰厚き者のうちより適当なる者を選び、選ばれたる者は次期総裁候補として副総裁の位置につく。(後略)」(『歴史から何を学ぶか』162~163頁)

現総裁が副総裁に選ばれた平成3年には“その他の「生長の家」の信仰厚き者”という文言は入っていませんでした。

それを強引に入れ込んだのは誰だと思いますか?

総裁自身なのです!

つまり、総裁自身は、生長の家の4代目以降を、必ずしも谷口家に限定して考えてはいなかった…。

だからこそ、総裁は、一時期、楠本前総本山総務に副総裁を打診したのです。

何のことはない、“お孫さまだから、谷口家の方だから”というのを、総裁自身は案外、嫌っていたということなのかもしれません。

それはともかく、何より重要なのは、次の文言です。

“選ばれたる者は次期総裁候補として副総裁の位置につく”

「副総裁」という立場は、必ずしも「次期総裁」と決定しているのではなくて、あくまでも、その“候補”でしかないということなのです。

つまり、総裁は、谷口清超先生から、「法燈は副総裁になったときに既に決まっていた、と言われた」との趣旨の発言をし、“法燈”は既に継承されていたということにして押し切ったわけですが、そもそも本当に谷口清超先生がそう仰ったか、誰もそれを証明し得る人はいないわけです。

ただ、総裁が一方的に、勝手に、突然、そう語っただけで、案外、騙ったのかもしれない…という不信、疑念は今なお拭えないでいるわけです。

だから、今の総裁は、自称“法燈”継承者だとも揶揄されるわけです。

問題は、よし、それが事実だったとして、教規によれば、それはあくまでも「次期総裁候補」になったにすぎない、ということなのです。

「副総裁」になったからといって、決して「次期総裁」がそこで確定したということにはならないのです!

それは「組織」のあり方からして、当然と言えば当然のことであります。

「副総裁」にしたものの、その後の言動からして「総裁」には相応しくないと判断されれば、いつでも外される…。

それであってはじめて「組織」は護られていきます。

そのことを「生長の家教規」は語っているのではないでしょうか。

以上、見てきたことからもわかりますように、“法燈”は副総裁に就任したときに既に決定済みという総裁の論理は、生長の家教規の精神にもとるということであります。

“お孫さんで法燈継承された方だから”ということで、盲目的についている信徒に対して、幾ばくかの反論を試みた次第です。

とにかく、今の総裁を絶対視することなく、〝背教総裁=浅薄総裁〟であることを念頭において、まずは谷口雅春先生の教えに帰って真理を学び直す、そういう信徒であってほしいと願わずにはいられません。


その(4)…「宗教目玉焼き論」に丸め込まれている信徒をどう救うべきか?! (5433)
日時:2017年03月17日 (金) 17時43分
名前:破邪顕正

〝背教総裁=浅薄総裁〟は、教えを「黄身」と「白身」に分けて、教えの中心は何も変わっていないことを強調して、信徒を安心させています。

これが総裁のダマしの手口だということを「しろうさぎ」さんは、以下の投稿で抉り出してくれました。


○これで「宗教目玉焼き論」?「法施」と「物施」の違いがわからない総裁 Part2~講習会編~ (4710)
日時:2017年01月28日 (土) 08時03分
名前:しろうさぎ

現総裁は講習会等でことある毎に「みなさん、もうお馴染みの…」とスライドで目玉焼きの絵を見せられ、「黄身の部分は【真理】で変わることがないが、白身である周辺部分…この周辺部分というのは、その説かれる時代によって変わっていくものである」とこれまでずっと主張なさってこられています。

「どんな宗教であっても、教祖の説いた教えを一言一句、同じように伝えなければならないというのは【原理主義】である」

講習会の午前の講話、「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」の時間にそう教えられます。

長いこと、この「宗教目玉焼き論」によって、「真理は不変で、尊師のお説きくださったもの、周辺部分は、総裁先生のご教示される〈環境問題〉はじめ、今の教えであるのだ」と私は思い込んで参りました。

(中略)

現総裁が、おかしなことを言われても、多くの信徒さんは「宗教目玉焼き論」を信じて、「教えの根本は谷口雅春先生の説かれたものと変わっていない。周辺部分は変わっていくのは時代の変化」そう思っているかもしれません。

果たしてそうでしょうか?

黄身の部分である、生長の家のみ教えの根本である、尊師・谷口雅春先生のお説きくださった【真理】そのものがこうやって現総裁によって変えられていっているのです。

生長の家の教えが「中心帰一」であるのをいいことに、間違った解釈をする現総裁に「中心帰一」させている教団は正しいことをしているとは到底思えません。

間違ったトップに中心帰一なんてしてはいけない。

「宗教目玉焼き論」「中心帰一」を駆使して、ご自分の都合のいいように生長の家のみ教えを変えていこうとする現総裁のやっていることは「宗教目玉焼き」でなく、尊師のみ教えとご自分の持論を一緒くたにした「宗教スクランブルエッグ論」です。

(以下、略)


谷口雅春先生は「二元論は悉く誤れり」とご教示なさっています。

ですから、そもそも、教えを「黄身」と「白身」とに分けることそのものが、既に間違った考え方なのです。

よし、それを容認するとしても、総裁は、何が「黄身」に当たるのか、何が「白身」に当たるのか、それを一切、明らかにしてはいないのです。

たから、「しろうさぎ」さんが指摘しているように、それは目玉焼きではなくてスクランブルエッグだろうというわけです。

でも、まだスクランブルエッグならばいいのです。

食べられて、栄養にもなるからです。

しかし、総裁のやっていることは、それを食せば“サヨク”という害毒にやられてしまう、そういう代物なのです。

そこが一番の問題なのです。

ある方がこんな喩えを紹介してくれています。

《現在の教団の伝える真理について、真理卵論なるものがあります。

つまり中心真理(黄身)は不変であるが、周辺真理(白身)は時代によって変化するという考え方です。

しかしながら卵の例えを使うなら、卵には有精卵と無性卵があることを知るべきです。

有精卵なら卵の黄身の中に赤い点があります。

それは精子がはいっている証です。

鶏の有精卵なら21日間温めれば孵化して雛が生れてきます。

無性卵ではいくら温めても雛は生れてきません。

いな腐って有害な物質が発生します。》

実に、言い得て妙ではないでしょうか。

〝背教総裁〟がやっていることは、それこそ有害にしかならないということなのです。

ですから、信徒に対しては、まずは何が「黄身」で、何が「白身」か?

それを尋ねていくべきではないかと私は思っております。

もし、「黄身に当たるのは人間神の子の教え」と答える信徒がいたら、すかさず、こう言いましょう。

「凡庸の唄」をどう思いますか?

これが「人間神の子」の教えと同じと思いますか?

違うでしょう!

だから、「黄身」の部分は何も変わっていないというのはマヤカシ以外のなにものでもない、すべて変わってしまったのです。

「黄身」とか「白身」とか、もはや、そんな次元の話ではなくなってしまっているのです。

谷口雅春先生の「生長の家」の教えは、〝背教総裁〟によって、完全に変えられてしまったのです。

第一、神様さえ変えたのですから、「何も変わっていない」なんて、そんな強弁は一切、通用しません。

そうはっきりと伝えていくべきであると思うものであります。



「破邪顕正」さまへ。心より感謝申し上げます。 (5451)
日時:2017年03月18日 (土) 16時27分
名前:しろうさぎ

「破邪顕正」さま、今回このような≪連載≫という形で「しろうさぎ」の投稿を編集してくださいましたこと、大変に恐縮ではございますが、素直に嬉しく思います。

心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

思い起こすこと、2年前…「破邪顕正」さまのご投稿を拝読し、
勇気を奮って
「私は教団の地方の信徒です。総裁にも教団にも、色々と疑問を感じ、揺らいでいます。
陰ながらエールを送らせていただきます」

そう書いて、送信直前に、キャンセルして消去したことを懐かしく思い出しております。

そして昨年、「総裁には、必死で生きている末端信徒の気持ちなんてわかっていただけないのでしょうね」

そういう投稿をしましたら、「破邪顕正」さまが、
「しろうさぎさん、必死で生きていると書かれておりましたが、
『谷口雅春先生を学ぶ会」』が何かのお役に立てるかもしれません」
と、返信くださいましたね。でも、私はそれにはお応えしませんでした。


その時までは、まさか今のようになろうとは、思いもしませんでした。

ではなぜ、私が投稿させていただくようになったか…

それは、「破邪顕正」さまから、「しろうさぎ」に宛ててくださいました、ご投稿の中に、
「体験こそが最も説得力を持つ」「どうか、お力添えをお願いできればと思います」

そのお言葉をいただいた時でした!!

「私も立ち上がろう!総裁が如何に間違っているかをを白日の下に晒して、総裁の独裁と、それを支える現教団に立ち向かって行こう!
心優しい信徒さんたちに気づいていただくために、動いていこう!」

そう心に決めたのでした!

「破邪顕正」さまと¨並走¨などということは、とてもとても失礼な言葉ですので、どういう言葉を使うのが適切なのか、うまく見つけられないのですが、私でお力になれるのなら、お力になりたい…

その思いでいっぱいです。

そのことにより、今後も受けるであろう現教団からの圧力には屈しない!そう思っております。

もとより、「破邪顕正」さまは現教団からだけでなく、本流と言われる人たちの中にあっても様々な圧力といいますか、厳しい批判を向けてこられている…

でも、谷口雅春先生のお説きくださった、み教えを正しく後世に伝え残すべく、邁進なさっています。

その尊いお姿に私は心からの尊敬の念を抱いております。

誰かが変えていかないと、何も変わらないと思います。
今が声を上げていく時なのだと私は思っております。

私の力なんて、小さな小さなものです。
でも、この思いを貫き、永遠の教祖である、尊師・谷口雅春先生への報恩感謝に生きて参りたいと決意しております。

今後ともご指導をよろしくお願いいたします。「しろうさぎ」より


その(5)…「総裁はオカシイ、だから無視すればいい」と言う信徒にどう対応するか? (5456)
日時:2017年03月18日 (土) 18時54分
名前:破邪顕正


総裁のオカシサは、心ある信徒には、今や、どんどん知れ渡るようになってきました。

オカシイからついてはいけない。

当然、そうであれば「退会」ということに普通はなるわけです。

しかし、それでも辞めない。

そのとき、言われるのが、表題に掲げた言葉なのです。

それを如実に物語っているのが、この投稿です。


○「総裁なんて無視すればいい。『学ぶ会』に行ってもいいが、教団施設に出入り禁止ですよ」~訳のわからない地方講師~NEW (5428)
日時:2017年03月16日 (木) 23時11分
名前:しろうさぎ

(前略)

「先生、僕も、総裁先生にはついていけません!退会して『谷口雅春先生を学ぶ会」に行きたいです。辞めさせてください」

その地方講師は、「あなたも、しろうさぎさんから引っ張られてるんでしょう?しろうさぎさんと、あなたは幼なじみだから、次は、あなたを「学ぶ会」に連れて行くことくらい、みんなわかってますよ。しろうさぎさんと去年、病院でバッタリ会いました。歩くのもやっと、という感じで、とても可哀想でした。

『総裁先生に中心帰一できません』と言っていたので、『別に中心帰一なんかしなくていいじゃない!無視すればいい。雅宣さんは普通じゃないんだから!』と言ったんだけどね…」

そう話されたそうです。》

こういう、謂わば〝総裁無視論者〟には、どう対応したらいいか。

まずは、「組織」に残る以上は、いくら総裁を無視しようとも、総裁体制を支えることにしかならないということを理解させるべきだと思います。

「総裁はオカシイ」というのであれば、そのままにしていてはいけない、何らかの抗議の意思を表明すべきである。

「退会」は、その一番の手段になると思うからこそ退会するのです。

これが私なりの総裁に対する抗議の意思表明なのです、そう言うべきだと思うのです。

その上で、「総裁を無視」し得ても、信徒を無視することはできないのではありませんか、と言うべきだと思います。

「信徒」が間違った教えに洗脳されていくのを、ただ、関係ないとして無視を決め込んでいいものなのでしょうか?

それが果たして、谷口雅春先生の説かれた愛の道に適うのでしょうか?

そこまで言うべきだと私は思います。

つまり、「総裁無視論者」は、私に言わせれば、自分だけ善ければいいという、個人主義の人としか思えないのです。

オカシイのがわかっていて、無視したらいい、というのは、少なくとも私の生き方とは違います。

谷口雅春先生の教えを歪めず、過たず、純粋にそのまま後世に伝え遺す。

その使命感に立たない限り、谷口雅春先生への報恩感謝の生き方とはならない。

私たちは、あくまでも、谷口雅春先生へのご恩報じのみを目指して生きていく。

その生き方を貫いていく。

その生き方をもって「総裁無視論者」とは、袂を分かつべきであると思うものであります。




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