アニメ投稿小説掲示板
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人は、死ぬことよりも生き抜くことの方がどれほどの苦痛と苦悩を背負うのか、あなたは私に語りました。 それはわかっています。けれどもあなたは、そして私も、生きることを選びました。ひとの「いのち」が、どれほど重いものであるかということを、私たちは知ってしまったから。 初めは耳について仕方がなかったエンジンの音が、いつの間にか子守唄のように懐かしい音となって、私のなかに響いていました。私たちはいま、モニカが示した合流地点に向かっています。そこで私はあなたと別れ、ラカニングという異国の地に旅立たなければなりません。 あなたは目的地に近づくにつれてだんだん無口になっていきました。あの日たき火をはさんで見せてくれた笑顔も、機体操作を間違えた私を慰めてくれた優しい微笑みも、いまアトラスの操縦桿を握るあなたの横顔からは覗うことはできません。 あなたはやはり軍人。任務を与えられた以上、それを忠実に遂行するのが全てになってしまったのでしょうか。 私は、ポケットの中のエンブレムにそっと手を当てました。出発前の格納庫で、あの時あなたから渡されたアトラスのエンブレムに。 私はあなたを信じています。今でも変わりません。 でも、でも。やはり不安をぬぐい去る事などできませんでした。「どうしたんだ。ぼんやりして」「あ、ごめんなさい。私ったら景色に見とれて」 砲手席に座っていたジョニーが不意に声をかけてきました。「アリルは砂漠の景色が好きだっていうものな。 元気出せよ。お姫さまになってもいつか逢える日もまた来るさ。俺たちのこと、忘れないでくれよな」「もちろんです。お願いします、ラカニングに行っても必ず逢いに来てください」「但しその時は目一杯御馳走してくれよ。なあ、セオ」 あなたは答えてくれませんでした。ただ一心に、アトラスのモニターを睨んでいます。「おい、少しはアリルと話をしてやれよ。もう暫くの間は会えないんだぜ」 あなたは黙ったままです。「お前はもう少し人情味があると思っていたぜ。一人で人質同然に旅立つのを前にして、よくもそんな態度が取れるな」「いいんです、私は……」「いいや、やめられるか。やいセオ、お前今更アリルの気持ちがわからないなんて言わせないぞ。お前らはお互いに」 ジョニーの言葉が終わらないうちに、あなたは突然アトラスを固定していたロープを切断し、トレーラーから急発進させました。急旋回を受けて私とジョニーはバランスを崩し、互いに寄りかかるように倒れ込みました。顔を上げようとした瞬間、鋭い金属音がアトラスの上の空気を切り裂いて飛び去って行きます。「なんだ、今のは!」「敵が現れた」 あなたが呟くように口を開きました。その言葉通り、見渡すばかりの地平線の中、唯一存在した小高い丘の向こう側から、黒い影が一つ、また一つと現れ、全部で五つの影がこちらに向かってきます。時折影がちらちらと輝くと、その度にあなたはアトラスを旋回させました。影から発射された赤い炎を曳いた砲弾は、命中する直前にあなたの回避運動によって巧みにかわされています。「ジョニーは戦闘準備。アリルは奥の座席に」「わ、わかった」 私も「はい」とうなずくと、奥の椅子に身体を固定しました。こちらは一台、敵は五台。それもアトラスよりも一回り大きな重戦車<ベア>。これから開始される激しい戦闘を前に、私は身が竦む思いでした。これを予測して、あまたは神経を張りつめていたにちがいありません。合流予定時刻まであと一時間。それまでどうあっても持ち堪えなければ。 その時、「これが最後なんだ」と、あなたが小さく、しかし確かに呟いたのを聞きました。 私はその「最後」という言葉を量りかねました。 あなたはいったい、何を最後にしようというのでしょうか。 迫り来るベアの前ではしかし、それを確かめることは許されませんでした。
1 父は、私がまだ幼い頃徴兵され亡くなったと聞いています。母も半年ほど前病に倒れ、戦時下で医薬品の不足する状況の中、間もなく息を引き取りました。 家族のいない寂しさや経済的な苦労はありました。でも、私は私に見合ったそれ相応の生活を営んでいたと思います。自分から言うのも変ですが、今までごく普通のアルステリア国民として過ごしてきました。 そう、あの日までは。 その日ローデンキルヘンの町は喧騒に包まれていました。 十数年の間交戦状態にあった、隣国ラカニングとの講和条約が成立したからです。 その時は、詳しい事などわかりませんでしたが、突然ラカニング皇帝が講和条約を受け入れたというのです。暗闇が一転して、光が射し込んだ様なもので、夜から町をあげてのお祭り騒ぎが始まっていたのです。 重苦しい戦時下という状況から解放されるというので、誰もが華やかな服に身を包み陽気に通りを練り歩っていました。私も今まで着るのがためらわれた派手な服を部屋の奥から引き出して身にまとい、自然に出来上がっていくパレードの列へととけ込んで行きました。 軽快なリズムにのって人々は舞い、踊り、笑いました。街灯は煌々と輝き、兵士は軍服を脱ぎ捨てました。見知らぬ紳士が私にダンスのパートナーを求めて来ました。私は快く受け舞い踊りました。私のダンスはお世辞にも上手とは言えません。ですが、その時は誰もが不得意でした。長い戦争の間、ダンスなど踊ることがなかったからです。ぎごちなくも歓喜に満ちた人々の輪はいつまでの町に広がって行きました。戦争は終わったのですから。 今にしてみれば、僅か数箇月前のことなのに遠い昔の記憶のようにかすんでいます。この時なぜこれほど急に講和条約が締結できたか考えた人間は、私を含めてほとんどいなかったようです。そのことが、私自身に降り掛かってくることも知らずに。 騒がしい一日が終わり、踊り疲れた私は家路を急いでいました。いつの間にかに人の波が途切れ、私は一人で暗がりを歩いていたのです。こんなことは初めてでした。不気味に思い足を早めた時、ふと周囲に異様な気配を感じました。私は数人の男達に四方から取り囲まれていたのです。男達は機械仕掛けの人形の様に近づき、私の行く手を塞ぎました。一歩だけ前に出た男が押し殺した低い声で話しかけました。「アリルエヴァ=クローゼ様で御座いますか」 雰囲気には全くそぐわない不気味なくらいに丁寧な口調で、その圧迫するような詰問の前では否定する事など出来ませんでした。「……はい」 男達は私の返答を合図にしたように、たちまちの内に私の両肩を掴むと、そのまま彼らが用意していた車へと連れ込みました。悲鳴をあげる暇もありません。やがて催眠ガスの一種と思われる何かを口と鼻に当てられ、そのまま私は意識を失いました。 その後、しばらくの間は記憶がありません。一種の薬物による催眠が行われたらしいのです。 薬物によって薄れて行く意識の中で、私に擦り込まれた記憶の断片がいくつか思い出されます。あなたはアルステリア皇帝第三王女、アリルエヴァ=クローゼですあなたは、これからラカニングの王子の第五夫人として、ラカニング王室に嫁ぐのですあなたは多くを語ってはなりません。王女は常に慎み深く、必要以上の会話は決して話してはなりません そしてこれは本当に擦り込まれたかどうかはわかりませんが、最も恐ろしい事に、あなたは命を狙われるかもしれませんが、その時は潔くしなければなりませんという言葉を聞かされた記憶が残っています。「潔く」する、ということが何を意味するか、いま考えてもぞっとします。 更に私は命じられるままに服を着替え、用意された王室の特務車両に乗り、アルステリアをあとにしていたのです。その後、何度か本来の意識が戻るのですが、そのたびごとに社内に設けられた椅子に固定され、逃げる事などできませんでした。
2 これからは、あなたから聞いた話です。 意識を眠らされ、王女に仕立て上げられた私を乗せ、特務車両2台を中心に大規模な護衛部隊が首都ローデンキルヘンから出発したのは、1カ月前のことだったそうです。 ラカニング皇帝は、講和条約締結の条件として、アルステリア王室の血を引く者との婚姻を望みました。つまり政略結婚≠ナす。 いったいなぜ、私が選ばれたのか未だにわかりません。いまさら政略結婚という習慣が残っていたとは思いませんでした。まして、その「王女」が私だったとは。 アルステリア政府は、両国間に横たわる広大な砂漠を越え、直線距離でも1千km以上の陸路を経て、私をラカニングの帝都キースウィンに送り届けるため部隊を編制しました。 敢えて空路を使用しなかったのには理由があります。 まず、両国の国境に横たわる広大な砂漠には、そもそもの戦争の原因となった、CXVという高エネルギー物質の鉱脈があったからです。強力な磁力線を発する性質を持つCXVは、産業での利用価値が高く、アルステリアとラカニングは互いに鉱脈を跨いだ国境線を主張しました。砂漠ですから目安となるようなものはありません。歩み寄りを見せることのない両国の関係は次第に悪化し、ついに戦争を始めたのでした。 しかし、帯状に広がる鉱脈は、飛行機の機材に磁力線による悪い影響を与える可能性があります。ラカニングの大型旅客機が、砂漠で墜落したとい噂(これも後で知りますが、ラカニングの穏健派か急進派が敢えて流した情報だったのでしょう)もあったそうです。 そしてもう一つの理由は、アルステリア軍のラカニング政府への示威行動、だったそうです。 編成された護衛部隊の主力には、長い間決着がつかなった戦争を、一気にアルステリア側に有利に導いた新型戦車が多数含まれていました。 それが、アトラス。そして、その一台を操縦していたのが、あなただったのです。 十数年もの間、僅かな距離を進むごとに無数の兵士の血を吸ってきた砂漠の大地を、部隊は悠然と進んで行きました。 これで戦いが終わると思うと、心の中に込み上げてくるものがあったと、あなたは言いました。「だが俺は、この直後に全てを失うことになった」 進路上に砂漠には不釣り合いな巨大な雲がそびえていました。 たちまち天候が崩れ、滝のような大粒の雨が部隊を襲いました。 雨は砂の大地を巨大な水たまりに変え、あちこちに泥沼を生み出します。 予想外の豪雨の中を進む部隊に伝えられたのは、更に予想外のことでした。三国連合が、アルステリア及びラカニングに対し、宣戦布告をしたのです。 三国連合とは、大海ソルタリアを隔てて両国とほぼ同じ距離に位置し、その名の通り、ストシェルド・サブリング・ハルコーンの三つの共和国の連合国家で、早くから帝政をやめて、共和制になっていた国です。 最初はあなたを含め、部隊の誰もが信じられなかったそうです。戦争とは縁遠い、これまで中立を貫いてきた三国連合が、突如として両国に対し宣戦することなどありえないのではないかと。 しかし既に、三国連合が送り込んだ兵器は、砂漠の真ん中で作動していました。 暴風が吹き荒び、視界が数mという最悪の状態の中、雷光に浮かび上がる巨大な影が存在しました。裕に数百mはあるのではないかというその姿は、巨大な逆三角形に見えたと言います。そしてそれが、この暴風雨を起こしていることも。 発生した磁気嵐が、全ての機能を停止させ、あなたの乗るアトラスを孤立させました。吹き荒ぶ暴風が車両同士を衝突させ、たちまち部隊は崩壊しました。 あなたの乗るアトラスは、泥沼に突っ込み埋もれました。泥の底に取り残されたあなたと2人の仲間は、互いに励まし合いながら嵐が去り、救出されるのを待っていました。 その僅かな希望を打ち砕いたのが、皮肉なことに私が乗っていた特務車両でした。 特務車両はあなたのアトラスが埋まっている泥沼に同じように突っ込み、アトラスの底面、最も装甲が弱い部分を突き破ってしまったのです。 泥水が一気にアトラスの機内に雪崩れ込みました。そして衝撃でアトラスの弾薬が誘爆してしまったのです。 爆破の衝撃で、あなたは偶然地上に浮かび上がりましたが、残りの2人はそのまま泥の底に埋もれてしまいました。 それ以上の事は、あなたもわからないと言います。 気が付くと、目の前に破壊された部隊の残骸が、照り付ける砂漠の太陽に晒されていたそうです。 こうして部隊は全滅しました。
3 あなたと初めて出会ったのは、砂漠のまん中で擱座した特務車両の中でした。「……ここは……ラカニング……」 目覚めた時、あなたは機内燈を背にして、のぞき込むように私を見つめていました。「いいえ。まだ国境地帯の砂漠の上です。あなたが王女ですか」「王女……国境……私は……私は、王女なんかじゃありません」 私の意識は、特務車両が擱座した時のショックで運良く回復していました。ですが、それと同時に有無を言わさず連行されたあの時の恐怖が襲って来たのです。 今思い返せば、酷い事を言いました。あなたを見るなり悲鳴を上げてしまったのです。「あなたは誰。人さらいの仲間? 私は嫌よ。自由にして、私を開放しなければ死んだ方がましです!」「落ち着いて。事情はよくわからないが、貴女は王女ではないようだ。いまその拘束具を外します。じっとしていて」 あなたは、私の両手両足を絞め付けていた拘束具を手早く外してくれました。私の素肌に赤いあざが残っていました。しかしこの凶悪な拘束具のおかげで、私は生き延びることができたのです。なぜなら特務車両を操縦していた乗務員達はすべて頭部を激しく打ち付けて死んでいたようですから。 あなたは、淡々と今までの出来事を説明してくれました。部隊のこと、嵐のこと、逆三角形の影のこと。たぶん、私を落ち着かせるためにわざとあんなに詳しく説明してくれたに違いありません。 あなたは、私が思い描いていた軍人のイメージとは全く違っていました。もっと殺伐として冷酷な人々の集団だと思っていましたから。「さあ、次は貴女の番だ」 あなたは飲料水を差し出しながら言いました。私は水を受け取ると小さく頷き、ひとくち水を含んでから、思い出せる限りのことをかなりの早口で話しました。「……アルステリア皇帝には2人の王女がいたそうです。けれども2人ともラカニングへ行くのを嫌がって――あたり前ですけれど――それでなぜか私が身代わりに選ばれたのです。ラカニングには、私がニセ物であることが露見しないように、王女達はしばらく隠れて暮らすとのことでした」 あなたは私が話を終えた後も、しばらくの間表情を変えずにいました。 長い沈黙を経て、あなたは言いました。「このままでは帰国できない。まずこの機体が正常に稼働するかを確認する。その後破壊された車両から燃料を抜き出し補給する。それに食料と水もいる。準備を始めよう」 私はあなたの横顔を見つめました。このまま帰国してしまえば、講和条約は締結出来ません。任務に従うのであれば、どんなことをしても私をラカニングに引き渡さなければならないのに。「計算は得意か」「え?」「この周辺にはまだ磁気が残っている。CXVの鉱脈もある。コンパスが全く効かないんだ。進路を決めるのは、夜を待って星を見ながら進むしかない。多少計算が面倒だが、天測をしながら方向を調べる。それを貴女にやってもらいたい」「はい、わかりました。私に出来る事なら何でもやります。ではまず、燃料ですね」「その前に」 あなたは座席の裏から作業服を放ってよこしました。「アリルエヴァ、これに着替えなさい。そのドレスでは作業はできない」 言われて気付きました。シルクのドレスも今は油と泥にまみれ、しわくちゃとなっています。「男物だが、いま着ているのよりはましだ」「ありがとうございます隊長さん。でも“アリルエヴァ”じゃなくて“アリル”でいいです。堅苦しくなっちゃいます」「ならば俺も“隊長さん”ではなくセオ・マドナガルだ。“セオ”でいい。アリル、燃料集めは面倒だぞ」「覚悟の上です、セオ」 私は作業服を抱えると、車両の奥に駆け込んで行きました。 それから数時間、陽射しが西に傾くまで、私たちは真っ黒になって作業しました。なぜか嬉しくて仕方がありませんでした。なぜそんなに嬉しいのか、その時はまだよくわかりませんでしたが。 何度か回収した燃料を運び終えたとき、あなたから銀色の包み紙に覆われた四角いものが投げ渡されました。「味の保証は無いがとにかく腹だけは膨れる」 あなたはジェリカンに腰かけ、携帯食らしいそれを頬張り始めました。 私も転がり落ちたアトラスの車輪に腰かけ、銀色の包みを開きました。 水気の少ないその食糧は、仄かな甘みと機械油の匂いがしました。確かに美味しいものではなかったはずなのに、私にとってはいままでに味わった事のないくらい素晴らしい味でした。 星が夜空に満ちました。私はペリスコープをのぞきながら、懸命に星座を捜しました。「方位、7時20分です」「方位、7時20分」 特務車両がゆっくりと泥を払いのけ、機首を廻して行きます。 幸い、動力は生きていました。燃料も一応の目安まで回収できました。どれくらいもつかはわかりませんが、私達はもうこれに賭けるほかないのです。「出発する」 あなたの号令は、何かを断ち切るように聞こえました。
4 水滴型をした特務車両の天井の窓は、人の頭がやっと入るくらいの小さな場所です。天測の方法は、あなたが詳しく教えてくれたおかげで、大凡の理解はできました。既に国境を過ぎ、磁気嵐とCXVのコンパスへの影響もほぼなくなっていたはずです。万が一に備えて、星座による位置確認を続けてはいましたが、昼間は特にやる仕事もありません。操縦をするあなたを時折見ながら、私はその天井の窓から砂漠の景色を見つめるのが楽しみでした。 砂漠は一時として同じ姿をしていません。遠くに見える陽炎や蜃気楼は幻想的な美しさでした。 旅に憧れていました。それも、行く先も決めない長い旅に。けれど、人は日々の生活に追われ、いつしか希望も夢も失ってしまうもの。私はいま、その失いかけていた憧れを、こうしてあなたと味わうことができたのです。「私って、やっぱり運がいいのかな」 そういった時、あなたは少し怪訝な顔をしていました。 機体は履帯がとられやすい砂地を避け、なおかつ最も燃料消費の効率がいい巡航速で走行しているため、アルステリアまでの行程は行きより二倍ほどかかっていました。少しでも長く旅を続けていたいと思っていた私にとって、それは幸福な時間でした。その間、三国連合がどこかで戦闘を行っていることなど、記憶の片隅に追いやられていたのです。 何日目かの夕方。私たちはその日も星が出るのを待っていました。携帯食の中にあったスープがその日の夕食です。炎に赤く映えるあなたの横顔を、私は黙って見つめていました。「身体の調子でも悪いのか」「……いいえ、違います」 私はこのとき、溢れつつあった気持ちを抑えられませんでした。「アルステリアに帰ったら、またお会いすることはできませんか」 あの時こんなことを聞いてしまった自分が、今になっても悔やまれます。 あなたは炎に目を落としました。「明日にはローデンキルヘンに到着するだろう。だがアリルはその手前で降りた方がいいだろう。軍に戻る私からは、極力離れた方が賢明だと思う」 激しい自己嫌悪に陥りました。あなたの言ったことに間違いはありません。あなたは命令を無視してまで、追われる立場の私を故郷に帰らせようとしているのです。独り善がりの感情に走って、あなたに迷惑をかけた自分がたまらなく愚かしく思えました。「そう、そうですよね」 私は、無理やり笑顔を取り繕いました。自分でもわかるような、ぎごちない笑いでした。 焚火は、微かな音をたてて燃え続けていました。 旅の終わりが近づいてきた頃、私たちは町の異常に気づきました。 首都ローデンキルヘンまで僅か二十キロという地点まで到達しているというのに、毎日調整している無線機には何も放送が入らず、送信しても応答がないのです。戦時下のアルステリア国営放送さえ、何の番組も放送しないということに不安が過りました。 町で何か恐ろしいことがおきたのでしょうか。一刻も早く、この目で前と変わらない街並みを確認したい私は、いつものように天測窓に顔を出していました。「あ、前から何か……アトラスです……アトラスが近づいてきます」 一キロほど前から、一台のアトラスが砂塵を巻き上げながら近づいてくるのを発見しました。ついに味方と合流したのです。 しかしあなたは、厳しい表情を崩しません。「確かにアトラスだが、変だ。小隊単位で作戦行動をするはずだし、識別信号も発していない」 見つめ続けていると、アトラスの機体脇がきらりと光りました。私は何が起きたかわかりませんでしたが、やがて鋭い音をたてて接近して来るのが、発射されたミサイルと知ったのです。 既にあなたは回避運動を始めていました。「ミサイルです、アトラスが、ミサイルを発射しました!」 言い終らないうちに、飛来したミサイルは私たちののった車両をかすめ飛び、遥か後方で爆発しました。「照準も決めないんで撃って来たか、素人だな」「敵ですか」「三国連合ではない事だけは確かだ。どこかのバカが、どさくさ紛れにアトラスを強奪したのだろう」「また来ます!」 ミサイルが再びかすめ飛び、後方で爆発を繰り返しました。「窓から下がって安全シートに身体を括りつけろ」「はい!」 エンジンが唸り、履帯の軋む音が響きました。激しく蛇行し、地面を掘り返しながら、特務車両はアトラスに向かって突進していきます。アトラスに装備されたガトリング砲の連続した炸裂音が車両周辺に響き、破片が装甲板を叩きました。 激しく揺れる機体の中、私は内臓が込み上げてくるような嘔吐感に襲われました。いま現実に、人と人との殺し合いが行われているのです。明らかな殺意を持った人と対峙するのは、私にとっては初めての経験です。 この時、私は本来のあなたを垣間見たような気がします。私が恐怖に襲われているのに、表情が変わらないのです。いいえ、冷徹に敵を仕留めようとするあなたの顔には、むしろ不敵な笑みまで浮かんで見えました。 襲いかかってきた敵は、あなたの言う様にやはり操縦に不慣れのようでした。アトラスの最大の特徴である素早さを生かし切れず、ただ闇雲に攻撃を仕掛けてきます。あなたの見事な機体操作の前では、弾丸は徒に地表を削るだけで、一発も命中しません。 いつ果てることなく続く様に感じられた銃撃が、とうとう途絶えました。弾切れになったのです。敵に隙ができました。「突っ込むぞ。舌を噛まないように歯を食いしばれ」 あなたが思いきり加速をつけました。武器を持たない特務車両が勝利を得るには、その重装甲を生かした突撃戦法しかありません。私は言われた通り歯を食いしばりました。 特務車両は、アトラスに対し機首をほぼ垂直に向けました。距離がどんどん接近して来ます。あと数十メートル、あと数メートル、あと数十センチ。 ぶつかる! 思わず目をつぶると同時に、激しい衝撃が走りました。耳をつんざく金属の摩擦音のあと、機体はゆっくりと停止しました。 機首には、後方側面を潰されたアトラスがくっ付いていました。
5「名前を聞かせてもらおうか」 アトラスに乗っていたのは、若い男性一人だけでした。操縦席を避けて突入したので、彼は軽傷を負っているだけです。機体の中から引っ張り出されてきたものの、私たちを睨みつけたままでした。「見たところ、秘密工作員でもなさそうだな。アルステリアで何をしていたんだ」「何をしただと? それは貴様らがよく知っているだろう!」 彼は吐き捨てるように言いました。「お前は何か勘違いしているようだな。我々はラカニングとの国境地帯で三国連合に襲われ、ようやく今帰ってきた部隊の生き残りだ。この車両の機首に飾られた王室の紋章を確認したのか」「なんだって……」 男性は本当に知らなかったらしく、私たちの顔を代わる代わる見直します。「もう一度聞く。お前の名前と、アトラスをどこから入手したか」 彼はうな垂れました。「俺の名はジョニー・ジグスビー。そうか、あんた達はまだ知らないんだな」「何のことだ」「ローデンキルヘンは、全滅したってことだよ」「全滅?」 ジョニーと名乗った男性は、堰を切ったように語りだしました。「三国連合は開戦と同時にローデンキルヘンにRRR爆弾(※スリーアール、残存放射能減少爆弾;Reduced Residual Radiation Bomb)攻撃を行った。住民が避難する間も無くな。俺が生き残れたのも奇跡みたいなもんだ。軍の整備員として、たまたまシェルターを検査していたからだ。 地上は地獄だった。 爆心地のグイルミールでは、人も建物も一瞬で全て消滅した」「おい待て。今爆心地を何処と言った」 あなたはいつになく表情を険しくしました。「グイルミール地区だ。あそこにはもう何も残ってないぜ」「嘘じゃないだろうな、おい貴様!」「バカ野郎! なぜこの期に及んでお前らを騙さなきゃならない。信じられないなら自分の目で確かめて来い。 もう放射能も無くなっている。だから俺はアトラスを引っ張り出して、三国連合の連中と戦うつもりで……」 ジョニーの言葉が終わらないうちに、あなたは特務車両に駆け込んで行きました。冷静さはなく、何かに取り憑かれたように。 私もあわてて後を追うと、あなたは懸命にエンジンをかけようとしていました。 焦りがあるせいか、セルモーターは何度も空回りを続けています。そしてあなたはうわ言のように「グイルミール」という地名を繰り返しています。 三度目で漸くエンジンがかかった特務車両は、あなたの気持ちを示すかのように、ローデンキルヘンの中心地、グイルミール地区へと疾駆して行きました。 ジョニーは「地獄」と言っていましたが、人間の犯した行為は、時として人間が想像できる最も残酷なものを容易に上回ります。 死体は殆どが裸でした。 爆弾の高熱から逃れるため、人々はあらゆる場所に殺到したようです。地下街入口には死体が折り重なっていました。入りきれなかった人々は、そのまま外で黒く炭化しました。中に避難した人々も、自分の上に折り重なった死体の山に動きを阻まれ、そのまま外に出られず窒息しました。 公園の池や川にも群衆が殺到しましたが、彼らは大きな間違いを犯していました。常識を超えた爆弾の発する高熱と圧力は、一瞬にして水を数百度の蒸気に変え、人々の肉体を焼き尽くしたのです。炭化した死体が少ない代わりに、骨格と人皮のみを残したものが散乱していました。 そして、どこにも逃げ場を見つけることのできなかった人々は本能を剥き出しにしました。逃げる人を捕まえ、自分の盾として、熱から身を守ろうとしたのです。もちろん、無抵抗な人はいません。炎が強まる中、人間同士の争いが繰り広げられ、死んだ者は、生きている者の炎よけとして肉体を利用されたのです。 しかし、その程度では助かるものではありません。一人倒れ、二人倒れ、死体が少し集まると、今度はその死体の下にもぐり込もうとする人が現れました。もぐり込んだまま死んだ人も多く、街のあちこちに、まるで集めたかのように死体の山が残されました。 運良く生き延びられた人々には、次なる試練が待っていました。いいえ、運が悪かったと言えるでしょう。地上の修羅場を見た上に、次には放射線の洗礼を受けたのですから。 RRR爆弾は、半減期が短い核物質を利用するため、短時間で大量の放射線を撒き散らします。それを浴びた肉体の細胞は、見る間に崩れ落ちていくのです。身体中の至るところから出血し、体組織が壊れ、腕が落ち、足が折れ、四肢を失い狂い死にます。 残留放射線が消えても、その放射線を帯びた肉体を分解できる微生物は少なく、黒焦げの人型と、壊死した人型とが、永くローデンキルヘンに残されていたのでした。 私は一生分の食べ物を吐き出した気がします。吐いても吐いても悪寒が収まらず、ついには苦い胃液までが喉を伝わって流れ出しました。 この人間に、なんの罪があるというのですか。 生きること自体が、人間の罪だというのですか。 あなたは目的地に向かって操縦しています。目の前の悲劇も映らないように。 爆心地に近づくにつれ、死体は減っていきました。 瓦礫の残る平原に、あなたは特務車両を停めました。どうやら住宅街があったようです。しかし、面影を残すのは土台のみで、人影はおろか十センチを越える高さの物はありません。 機体から降りて、しばらく彷徨っていたあなたが、ある場所で歩みを止めました。大理石の床に、傾きかけてきた夕日があなたの影を落としていました。 ところが、影は太陽に向かい伸びているのです。私は涙でぐしゃぐしゃになった目を凝らし、もう一度あなたの足元を見据えました。 私は思わず身を引きました。あなたの、もうひとつの影。それは、爆風によって蒸発してしまった、人間の影。それも大小二つ。子どもと親とを思わせる、寄り添った影です。 あなたが、膝を折って倒れ込みました。声を殺して慟哭しています。この世界全てを恨むかのように。「エミリー……モニカ……」 妻と、娘の名前だったそうです。「エミリー……モニカ……」 あなたは地面に拳を打ち付けました。手には血が滲みます。更には頭ままで打ち付けると、額からも鮮血が流れ出ました。 私はその時、私など踏み込むことのできないあなただけの生活があったことを知りました。旅の途中、まるで少女のようにはしゃいでいた私に、あなたへの慰めの言葉などかけることはできませんでした。「畜生……」 あなたの叫びは、夕日で血の色に染まったローデンキルヘンの瓦礫の平原に、無限に響き渡っていきました。