アニメ投稿小説掲示板
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あらすじ:この地球上に突如として出現した不可思議な生物、ポケットモンスター、縮めてポケモン。天から降ったか地から湧いたか、その起源は不明で、人知を超えた力を持っている。人々はそんなポケモンによる競技『ポケモンバトル』をたしなみ、絆を深めて共に暮らしている……というのは表向きの話。裏で政府は既存の生物と入れ替わる形で徐々に増えつつあるポケモンを、『いずれ地球上の全ての生命を侵食してしまう怪物』と認識し、全ては政府がポケモンを滅ぼすために仕込んだ陰謀であったのだ。それでもなお増え続けるポケモンに対して、政府ポケモン管理局は秘密裏にポケモンの『退治』を行っていた。この事実は国家機密であり、その事実は一般には知られていない。 そんな中、彼らが恐れていたものが遂に現実になってしまう。人間と全く同じ姿をしたポケモン、『ポケモンヒューマン』の登場である……登場人物フィリーネ イメージCV:川澄綾子 主人公。何らかの理由で過去の記憶を失い、倒れていた所を保護された少女。その正体はポケモンヒューマン。年齢不詳。フィリーネという名はユウトに付けられたもの。 敵に対しては殺す事を躊躇わないが、自身に友好的に接してくれる人物には敬意を払い、自らを救ってくれたユウトを『命の恩人』と呼び行動を共にするようになる。何事にも屈しない強い心を持ち、実直で真面目な性格だが、戦闘以外の事には疎く、世間知らずで天然ボケな一面も。 記憶喪失ではあるが、自らを『戦うためだけの存在』と称し、自身が人間ではない事は記憶している。剣術に優れ、自らが召喚する剣を使って戦う。感覚にも優れ、それを活かした特性『空間把握』を持つ。飛んでくる銃弾を剣で弾き返したり、ポケモンヒューマンを察知したりする事もできる。シラセ・ユウト イメージCV:野島健児 ポケモン競技には興味がなく、医者を目指して勉強していた学生。15歳。 基本的に争い事は好まない草食系男子だが、困っている人を放っておけない性格で、いざという時の行動力は周りを驚かせるほど。ガーディを所持しているが、あくまでペットとして飼っているだけで、ポケモンバトルには関心がない事から、友達は少なかったらしい。趣味は散歩。好物は野菜ジュース。 偶然記憶を失ったフィリーネを保護した事から、政府ポケモン管理局の襲撃に巻き込まれ、妹のユウミと共にフィリーネの過去を探る旅を始める。シラセ・ユウミ イメージCV:藤村歩 ユウトの妹。ポケモン競技に興味がない兄とは正反対に、ポケモントレーナーとして旅に出ていた。14歳。 性格も兄とは正反対で、気が強く口より先に手が出るタイプ。『カッコイイ女性』に憧れており、フィリーネをそんな『理想の女性』と見て慕っている。料理など家事全般が得意。ポケモントレーナーとしての実力は高く、ポケモンリーグへの出場経験もある。強いポケモンを何よりも欲している。手持ちポケモンはオーダイルなど。 記憶喪失のフィリーネに対し、過去を探す旅に出ようと提案し、政府ポケモン管理局の手から逃れるためもあり、兄、フィリーネと共に旅を始める事になる。F イメージCV:神谷浩史 秘密組織『政府ポケモン管理局』の幹部である、サングラス姿の男。その素性・本名は不明。 ポケモンという存在を強く憎んでいる。任務には忠実で、ポケモンを滅ぼすためなら非人道的な手段を使う事もためらわない。冷静な性格であるが、そのサングラスを外す時は、本気で怒った時らしい。
ポケットモンスター。縮めてポケモン。それは、たくさんの謎を秘めた、不思議な不思議な生き物。 空に、海に、山に、町に。ありとあらゆる場所に、あらゆるポケモンが生息している。その数は、100、200、300、400……まだいるかもしれない。 モンスターボールで捕まえて入れてしまえば、誰でも簡単に持ち運ぶ事ができ、簡単に手懐ける事ができる。だから『ポケット』モンスター。 人々はそんなポケモンを戦わせる競技『ポケモンバトル』をたしなみ、互いに絆を深めながら共に暮らしている…… というのが、この世界で広まっている『ポケットモンスター』に対する一般的な認識である。 だが、これはあくまで『表向き』の関係である事を、誰が思うだろうか。 写真にネガとポジがあるように、この世界にも『裏の一面』がある事を、人々は知らない。いや、知る由もなかった。 この世界の真実。それは、極秘事項となっているのだから。 * * * ここは、どこにでもありそうな、ごく普通の森。たくさんの木々が生い茂る森は、あらゆる生命の宝庫だ。それは、ポケモンにとっても例外ではない。あるものは草むらの中に。あるものは木の上に。あるものは土の中に。森には、多種多様なポケモンが生息しており、ポケモントレーナーにとっても、ポケモンのほとんどを森で捕獲している。 だが、そんな生命の宝庫であるはずの森は、一転して地獄絵図となっていた。 森のあちこちで燃え上がる炎。明らかに自然の手で起こされたものではない。そんな森の中を慌しく、走っていくポケモン達。それはまるで、何かに怯え、その手から逃げようとしているように見える。そんなポケモンの後ろから飛んでくる、殺意を持った炎の球。それがポケモン達の目の前に落ちた瞬間、大きな爆発が起きる。それにより、何匹かのポケモンは吹き飛ばされ、他のポケモンも驚いて足を止めてしまう。それを待っていたかのように、背後から殺意を持った細い光が、次々とポケモン達に襲い掛かる。ポケモン達はそれに次々と体を撃ち抜かれ、悲鳴を上げながら青い血を流して倒れ、屍と化していく。 ポケモン達の前に現れたのは、人間の兵士達だった。グレーの特殊なスーツとヘルメット、そしてゴーグルを身に着けた彼らの手には、ライフル銃が握られている。中には、大型のロケットランチャーを持つ者もいる。それが次々と火を吹く度、ポケモン達は青い血を流して倒れていく。何匹かのポケモンは、果敢にそんな人間に立ち向かおうと攻撃するが、兵士達は巧みに木々などの障害物を利用して攻撃を防ぎながら、的確に攻撃を加えていく。それによって、ポケモン達は1匹、また1匹と青い血を流して倒れていく。人間はポケモン達を相手に容赦はしない。撃たれたポケモンでもほんの僅かに動いたポケモンがいれば、息の根を止めるまで何発も銃弾を撃ち込んだ。そして逃げ惑うポケモン達を、確実に仕留めるまでどこまでも追い続けた。まるで、1匹たりとも生かすまいとしているかのように。草むらや地面に潜ったポケモンも、ロケットランチャーの砲撃によって、丸ごとえぐり出されてしまう。兵士達もポケモンの攻撃で何人かが倒れたが、倒れたポケモンの数はそれ以上だった。 こうして、気が付けば森の中にいる全てのポケモンが、屍と化していた。地面は青い血で溢れている。まさに地獄絵図としか言いようのない光景だった。 そんな森の中にゆっくりとした足取りで現れた、1人の男。サングラスをしている以外は、他の兵士達と同じ装備をしている。彼は、ポケモンの屍の山と化した森の姿を見て、満足そうに口元に笑みを浮かべた。「隊長、周辺にモンスターの生命反応がない事を確認しました」 1人の兵士が、彼の前に現れて報告する。「わかった。すぐに火を放て。証拠になるものを、何も残すな」「はっ!」 男が指示すると、兵士はすぐに目の前を後にしていく。 兵士達は、森に次々と火を放っていく。火は瞬く間に森の木々を飲み込み、森はたちまち火の海と化した。全てを焼き尽くす炎はポケモン達の屍も飲み込み、その周囲を火の粉が飛び交う。そこに、先程までの穏やかな森の姿は、原型を留めていなかった。 炎に包まれた森の中を、足早に去っていく兵士達。彼らの先には、大型のヘリコプターがいた。次々と乗り込む兵士達の中に、サングラスの男もその中にいたが、ふと足を止め、振り向いて火の海と化した森を見つめる。「いいざまだな……イレギュラーなモンスター共め……!」 男の口元が笑った。そして、男は顔を戻し、ヘリコプターに乗り込んだ。彼が乗ると、ヘリコプターのドアは閉められた。「あとは、あのポケモンヒューマンか……」 男がそうつぶやいた時、ヘリコプターは浮き上がり始め、火の粉が飛び交う空の中を飛び去っていったのだった。 ポケットモンスターの真の素顔。 それは、地球の生物を脅かしかねない、危険なモンスター。 地球の生命を減らしながら、勢力を拡大させつつある未知のモンスター。 人知を超えた力を持ち、地球上のあらゆる生命体を圧倒する、恐怖のモンスター。 地球は、この得体の知れないモンスターに、侵食されようとしているのだ。 裏の世界の人々は、このモンスターをあらゆる手段を駆使して滅ぼそうと画策していた。 そう、全てはこのモンスターを滅ぼすために、裏の世界の人々が仕組んだものであるのだ…… * * * ここは、ごく普通の平凡な町、サクラタウン。 住宅街の正面には広大な海が広がり、沈む夕日によって海面が茜色に染まっている。それでもまだ、海岸には元気に遊んでいる子供達の姿が見られる。 そんなのどかな海岸を、1人の長袖のシャツと緑のジーパン姿の、黒髪の少年が歩いていた。どこにでもいそうな、ごく普通の少年という印象だ。 彼の名は、シラセ・ユウト。この町に住む15歳の学生である。ユウトは、毎日通う学校を終え、帰宅している所だった。だがここは、彼の通学ルートではない。彼は、『いつもの日課』のためにこの海岸を訪れていたのだ。「やっぱり海は落ち着くな」 足を止め、水平線の向こうにまで広がる海を眺めながら、ユウトはふとそうつぶやく。 ユウトは、学校が終わると真っ直ぐ家に帰る、という事はしなかった。彼は寄り道のような感覚で、毎日散歩を楽しんでいるのである。ここも、彼の散歩で日常的に通う場所の1つである。 ユウトは活発に活動するタイプの人間ではないが、外の空気を吸う事が好きだった。だから毎日、外の空気を吸うために散歩を欠かさない。ここの磯の空気も、どんな事があってもユウトの気持ちを和やかにしてくれるものの1つであった。そんな心地よい空気を味わっていると、時間が経つ事も忘れてしまう。 だがその時、ユウトにとって不快な音が耳に入った。何かが互いに殴り合う音。そして、何かの生き物の力強い鳴き声、そして悲鳴にも似た鳴き声。見るとそこには、2人の子供達が互いに離れて向かい合い、その中央には互いにぶつかり合う2匹の生き物がいた。 ポケモン。人々がそう呼ぶ生き物である。目の前の2匹は、向かい合う少年達の指示を受け、チェスの駒のように動き、相手に指示された攻撃を浴びせる。所謂『ポケモンバトル』と呼ばれるスポーツである。 ――また『あれ』か…… ユウトは、ポケモンバトルに興味はなかった。自分の元にもポケモンはいるが、あくまでペットとしての存在に過ぎない。ポケモンバトルというものの面白さが、ユウトにはわからなかった。ポケモンの事を種族名で呼び、ポケモン同士を戦わせておいて、自分は後ろから指示するだけというスタンス。ポケモンが傷付いて青い血を流す様子を見ても、トレーナーは顔色1つ変えず、むしろそこに快感を覚えているような表情。それが、どうもおかしく思えて仕方がない。それのどこが面白いと言うのか。その考え方が他の人の中では浮いたものなのか、ユウトには友達は少なかった。そして周りの人達は、10歳になるや否や、ほとんどがポケモンバトルの頂点を目指して町を出て行ってしまうのだ。それでもユウトは、自分の考えが間違っているとは思わず、自分の夢である医者を目指して、勉学のためにこの町に住んでいるのである。 争い事を好まない性格のユウトは、このようにポケモン同士が戦っている所の側にいるのは嫌いだった。ユウトは仕方なく場所を変える事にした。こういう広々とした場所には、どうしてもポケモントレーナーが集まって、ポケモンバトルを行ってしまう。人気のない場所のほうがいい。周りからは変に思われるかもしれないが、誰にも邪魔される事はないし、雑音も入って来ない。何よりこの辺りの場所は、いろいろ散歩した事で知り尽くしている場所だ。ユウトは海岸に沿って、歩き始めた。 しばらく歩くと、ポケモンバトルの雑音も聞こえなくなり、波の音しか聞こえなくなる。ユウトはようやく落ち着く事ができた。 この辺りは浜辺の外れであり、浜辺が狭く、道路からも外れているため、人は滅多に入らない。ユウトにとっては通い慣れた場所だ。ここなら安心して海岸の空気を味わう事ができる。 ユウトはやっと足を止め、深呼吸をした。やはり浜辺の空気はおいしい。そう思った時だった。 近くにある大きな岩に、何やら人の手のようなものが見えたような気がした。ユウトは目を疑い、目を凝らして見てみると、それは確かに白い肌を持つ、人の手だった。ユウトの背中に一瞬、寒気が走る。誰かが倒れているのか。だとしたら大変だ。もし急病人などだったら、一刻を争う事態である事は間違いない。ユウトはすぐに、大きな岩の前に駆け出した。 岩の影を見てみる。そこは浜辺だった。浜辺に流れ込む穏やかな波の中にいたものを見て、ユウトは絶句した。 波の中に倒れていたのは、自分と同じ位の年齢に見える、1人の少女だった。流れるような黄色の髪は、首の後ろでまとめられている。そして、水色の長袖のブラウスに、ダークブルーのロングスカートを着ている。外国人風のその容姿は、美少女という言葉がふさわしいものだった。そんな少女が浜辺に打ち上げられて倒れている姿は、ずぶ濡れになった体と相まって、それなりの美しさというものを感じずにはいられない。 だが、見とれている場合ではない。ユウトはすぐに、少女の元に駆け寄る。こういう人を放っておく訳にはいかない。少女の身に何が起こったのかはわからないが、状況からみて、どこかで溺れてしまって流されてきた可能性が高い。水死での死亡率は約50%と高い。命を救うためにも、すぐに応急処置を行わなければならない。医者を目指しているユウトは、いざという時のために応急処置の方法をしっかりと身に着けていた。「おい! 大丈夫か! おい!」 ユウトはまず意識の有無を確かめるために、何度も少女の耳に向かって呼びかける。返事はない。意識を失っている。それを確認したユウトは、少女を安全な場所に運び、仰向けに寝かせてから、少女のあごを上げて、気道を確保する。そして、耳を少女の口に近づけ、充分な呼吸をしているかどうか確認する。息をしている音も聞こえなければ、呼吸で胸が動いている様子もない。ユウトは人工呼吸が必要な事を判断した。相手が異性である事に一瞬、ためらう心が湧き上がったが、そんな事を考えている場合ではない。命がかかっているのだ。ユウトは少女の鼻を塞いでから、開けた口に2回息を吹き込んだ。息が吹き込まれた事で、胸が軽く膨らんだ事を確かめる。口を放してから、反応を確かめる。10秒以内に息をしていない事を確認できなければ、今度は胸骨圧迫、所謂心臓マッサージを行わなければならないのだが、少女は再び息をし始めた事を確かめた。思っていたよりも回復が早かった事に、ユウトは少し驚いた。念のため、手首で脈を測ってみるが、しっかりとある。溺れて意識を失っていたというのにこの回復ぶり。何という生命力なのか。とはいえ、少女の命の危機は去った事に、ユウトは胸をなで下ろしていた。 この程度なら、わざわざ救急車を呼ぶ容体ではなさそうだ。そう判断したユウトは、少女の体を両手で持ち上げた。少女を自宅に連れていくためだ。ここから自宅は近い。ユウトは自宅に向かって、急ぎ足で向かい始めた。 * * * 町外れにある自宅に着いたユウトを、彼のペットが出迎えた。赤い体を持つ、小型の生き物のようなポケモン。子犬ポケモン・ガーディである。ユウトはこのガーディにブレイズという名を付けている。炎を吐ける事が由来で、ユウト自身もかっこいい名前にしたかったという理由で付けたものだ。いつもなら出迎えたブレイズの頭をなでてやりたい所だが、今は両手が塞がっているのでできない。ブレイズは、ユウトが連れてきた少女が気になるのか、顔を近づける。「ブレイズ、この子は急病人なんだ。そっとしておいてくれ」 ユウトはブレイズにそう言うと、少女をすぐに居間にあるソファに少女を寝かせ、毛布を上からかけた。後は目が覚めるのを待つだけである。ブレイズはユウトの言葉通りに、少女の姿が気になりつつも、ただ見ているだけであった。 自宅には、ユウトとブレイズ以外には住んでいない。ユウトはこの家で1人暮らしをしているのだ。ユウトの家族構成は、両親に妹が1人。ユウトは医者を目指す勉強のために実家を離れ、ここで1人暮らしをしている。10歳で大人扱いされるこの世の中では、15歳の少年が一軒家を持つ事も可能なのだ。この家は、以前他の人が別荘として使用していたものを譲ってもらったもので、住み心地は結構いい。 幸い、今日はアルバイトなどの用事はなかったため、少女が目を覚ますのを部屋でゆっくりと待つ事ができた。だがユウトには、不安もあった。何せ人助けとはいえ、見ず知らずの少女を自宅に連れてきてしまったのだ。家族以外の異性を家に連れてくる事など、ユウトは初めてだった。曲がりなりにも相手は美少女、どうしても意識してしまう。彼女は目を覚ました時、どんな反応をするだろうか。変な思い込みをされないだろうか。そして周囲の人がこの事実を知ったとしたら、あらぬ噂を広める事はないだろうか。早く目を覚まして欲しいとは思うが、心の準備ができる前に目を覚まして欲しくないという思いもあった。 ――ちょっと意識しすぎかな、俺…… ユウトはとりあえず軽く深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。こんな状況では目が覚めた時に少女に対して何も話せなくなってしまいそうだった。いくら相手が女の子だからといって、すぐに恋愛感情に結び付けるのはよくないと言い聞かせ、ユウトは時が過ぎるのを待った。 そんな時、突然玄関のチャイムが鳴り響いた。それに反応して、ブレイズが吠え出す。ユウトはブレイズに静かにするように注意してから、玄関へと向かう。「はーい、今行きますよ!」 そう言ってユウトがドアを開けた瞬間、ユウトはそこにいた人物の姿に驚き、声を上げてしまった。「ああああっ!!」 そこにいたのは、1人の少女だった。茶髪のショートヘアーの髪、普通は少女が着けている姿は見られないゴーグルに黒いフィンガーレスグローブ、胸の部分にモンスターボールの模様が描かれている赤いパーカー、そして茶色のジーパン。背中にはリュックサックを背負い、左腰にはモンスターボールの模様がついた本のようなホルダーを着けている。その少女の顔はユウトにとって、見覚えのある顔であった。「そんな言い方はないでしょ? お兄ちゃん、元気にしてた?」 ちゃっかりと玄関に立つ少女は、明るい笑顔を見せてユウトに挨拶した。「ユウミ! お前、なんでここに……!?」「なんでって、たまたまここを通りかかったから、顔を出しに来ただけよ」 彼女の名は、シラセ・ユウミ。ユウトの実の妹だ。ポケモンバトルに興味がなかったユウトとは対照的に、昔からポケモンバトルに熱中し、ポケモンを操る者の頂点に立つ存在『ポケモンマスター』を目指し、ポケモンをもらって旅に出ていた。性格もユウトとは正反対で、口より先に手が出るほど気が強い。そのため、ユウトはどうしてもユウミには頭が上がらない所があった。「この家、初めて来たけど結構いい所じゃない! じゃ、お邪魔しまーす!」「あ、いやいや!! ちょっと待ってくれユウミ!!」 ユウミは玄関を見回しながらそう言って、靴を脱いで家に上がろうとした。そんなユウミを、ユウトは慌てて止めた。何せ、居間にはあの少女がいるのだ。それをユウミに見られてしまったら、変な疑いをかけられてしまうかもしれない。そう思っていたのである。「何よ? 待ってって、一体どうしたのよ?」「いや……今はちょっと部屋が散らかっているしさ……それに、今はちょっと忙しいんだ。ここは身を引いてくれないか?」「身を引いてくれなんて、変な言い方。部屋が散らかってるなら、あたしが片付けてあげるわ。それに、どうせお兄ちゃんは家で忙しくなんてしてないでしょ?」 ユウトは何とか言い訳を考えてユウミを追い返そうとしたが、ユウミは軽くユウトの言い訳を流してしまい、家に上がろうとする。そんなユウミを、ユウトは必死で止める。「ま、待ってくれよユウミ!! 今はその……こっちの都合が悪いんだよ!! だから今はちょっと……」 ユウトがそう言うと、ユウミは急にユウトの前でにたりと笑った。「ははーん……さてはお兄ちゃん、何か見られたくないものがあるんでしょ……?」 ユウトはその言葉に、自らの心を深々と貫かれた感触を味わった。ユウミはこちらが隠し事をしている事を、完全に読み取ってしまった。あからさまにユウミを入れないように振る舞った事が、仇になってしまったと後悔する事になってしまった。「い、いや、その……そういう事じゃなくてだな……」「図星のようね。お兄ちゃんの顔がそう言ってるもん」 必死に動揺を隠すように振る舞いつつ、ユウトはごまかそうとするが、もはやユウミには焼け石に水だった。「そういうのを知っちゃったからには、余計に見たくなっちゃうのよねえ……」 ユウミはにたりとした笑みを崩さないまま、ユウトに言う。ユウトにはもはや、そんなユウミを止める事はできなかった。「という訳で、これからお兄ちゃんの家の家宅捜査を開始する!」「ちょ、ちょっと待てよ!! 何だよ家宅捜査って!!」「言い訳は、後でゆっくり聞かせてもらいますからね!」 ユウトの言葉も聞かず、ユウミはきっぱりと言い放ち、ユウトを強引に押し退け、家に上がってしまう。ああ、こりゃもうダメだ、と倒されたユウトは覚悟を決めた。 ユウミは無邪気に追いかけてくるブレイズをよそに、居間に足を踏み入れた。そして居間の光景を見た瞬間、信じられないものを見たかのように目を丸くして足を止め、一言つぶやいた。「……わお」 ユウミの視線の先には、ソファの上で眠る、あの少女の姿があった。ユウトはどう説明しようか言葉に迷いながら、恐る恐る居間に入った。「あー……いや、ユウミ、これはだな……」「……これは驚いたわ。まさかお兄ちゃんに『彼女』がいたなんてね……」 ユウミは再び、ユウトに対してにたりと不敵な笑みを向けた。ユウトの体が一瞬にして、熱くなったのがわかった。「い、いや!! そういう事じゃないんだよ!! この女の子は……」「お兄ちゃん、憎いぞ! この人、凄く美人じゃないの! こんな『彼女』ができたのなら、あたしに教えればよかったのに! このこのっ!」 ユウミはユウトの言葉を聞く前に、からかうようにユウトを肘でつつく。「いや、だからそういうのじゃなくて……」「あれ、顔真っ赤にしてるじゃない? さては図星だな?」「だから、俺の話を聞いてくれって!」「照れなくていいのよ、お兄ちゃん! 人を好きになる事はいい事だからね!」 ユウトが何度主張しても、ユウミは話を聞いてくれず、2人の話はしばらく噛み合わないまま続いたのだった。 慌しい声がする。 自分にとって、聞き覚えのない声だ。 その声を聞いて、少女はゆっくりと目を開ける。 目の前に、見覚えのない明るい天井が映る。少女は、自分が仰向けに寝ていた事に気付いた。「ここは……?」 体を起こしてつぶやくと、慌しい声が急に治まった。見るとそこには、2人の少年少女――ユウトとユウミの姿があった。初めて見る顔だ。驚いた表情でこちらを見つめている。「あ、ああ……起きたんだ。よかった」 ユウトがほっととした表情を見せて言った。そんな彼の顔を、ユウミが興味深そうに見つめている。「私は、今まで何を……?」 少女は、見ず知らずの2人に問う。少女は、なぜここにいるのかがわからなかった。気が付いたら、自分はいつの間に見慣れない場所にいるのだ。「ああ、君は海岸で倒れていたんだよ。そこを俺が見つけて……」「海岸で倒れてた!?」 ユウトの言葉に、ユウミが驚いて声を裏返した。だが、少女にとっては、海岸で倒れていたという心当たりが全くなかった。自分がなぜそうなっていたのか、少女は全くわからずにいたのだ。「そう、ですか……とにかく、助けていただいて、ありがとうございます」「え!? あ、いや……それはどうも……」 少女はソファを立ち、ユウトに向かって丁寧に頭を下げた。それを見たユウトは、頬をほんのりと赤く染めて、戸惑う様子を見せながら答えた。そんなユウトに、ユウミがにたりと笑みを見せながら、肘でユウトをつつく。「ところで1つ、お尋ねしたいですが」 少女は、自分にとって心当たりが全くない、自分が倒れていた理由を問うために、ユウトに聞く。「あ、何だ?」「なぜ、私は海岸に?」「いや……それはこっちが聞きたいよ。ひょっとして、どこかで落ちて溺れていたのか?」 逆にユウトにそう聞かれた少女は、言葉に詰まってしまった。自分は以前、何をしていたのか、思い出そうとするが全く思い出せないのである。どんなに思い出そうとしても、記憶の中は真っ白だった。そんな自分に戸惑いを隠せず、右手が自然と頭に触れた。「いえ、そうではないのですが……何だ……思い、出せない……?」「思い出せないのか? じゃあ、いいよ。後でゆっくり思い出せばいいさ。ところで、君の名前は?」「え……?」 ユウトは質問を切り替えたが、その質問に対しても、口からは裏返った言葉しか出なかった。「俺は、シラセ・ユウト。こっちは、妹のユウミだ」 ユウトが名乗り、隣にいるユウミも紹介する。「私は……私の、名は……」 少女は2人に答えるために名乗ろうとするが、名前が浮かばない。思い出そうとしても、自分の名前が何だったのか、全く思い出せない。名前の最初の言葉すら思い出せない。少女は、自分が一体どうなっているのか、全くわからずに戸惑うだけだった。「なぜだ……!? 思い出せない……!?」「思い出せない!?」 少女の言葉に、ユウトとユウミは揃って驚きの声を上げた。そんな2人をよそに、少女は戸惑い続ける。 ここに来る以前、自分は何をしていたのか。 自分の名前は、何なのか。 そもそも自分は、一体何者なのか。 頭を抱えて思い出そうとしても、それら全てが、全く思い出せないでいる。「なぜだ……私はどうして、何も……!?」 自然と口から、そんな言葉が出る。自分が何者なのかがわからない。本来なら誰でも知っているべき事がわからない。それが、とても不快に感じる。「ねえ、ひょっとしてこの人、『記憶喪失』なんじゃないの?」 ユウミが、ユウトに言う。「記憶喪失?」「何か大きなアクシデントに遭って、自分の事を全部忘れちゃったのよ、きっと。それしか考えられないわ!」 ユウミが説明すると、ユウトはそうか、と納得したようにうなずいた。それを確かめたユウミは、少女の元に立つ。「とにかく、まずは落ち着きましょうよ。自分の事は、焦らずにゆっくりと思い出していけばいいんだから」「……そうですね。申し訳ありません」 少女は気持ちを落ち着かせる。ユウミの言う通り、ここで慌てても記憶を思い出せるとは限らない。落ち着いてゆっくりと思い出す方が、確実だ。少女はゆっくりと、再びソファに腰を下ろした。「……だとしたら、困った事になったな……」 ユウトがふとつぶやく。「どうしたの、お兄ちゃん?」「自分の名前がわからないなら、俺達は君の事をなんて呼べばいいかわからないじゃないか」 その言葉を聞いたユウミは、そういえばそうだったわね、と相槌を打った。「君は、自分の名前を本当に思い出せないのか?」「……はい。心当たりも全くありません」 ユウトの問いに、少女はうなずくしかない。どんなに思い出そうとしても、自分の名前は全く思い浮かばなかったのだ。ユウトは困った顔を見せて、再び質問する。「じゃあさ、何か持ち物持ってないか? 何か手掛かりがあるかもしれない」「はい」 ユウトの言葉通りに、少女は自分の服のポケットに何か入っていないか確かめたが、何も持ち合わせてはいなかった。「……何も、持っていないようです」「そっか……じゃあ、俺達で名前決めていいか?」「構いません」 ユウトは右手で頭を掻きながら少女に聞いたが、少女はその事を気には止めなかった。自分の名前を、ユウト達が決めてくれる方が、好ましいと思っていたからだ。「うーん、じゃあ、なんて名前にしようかな……?」「『名無しのゴンベエ』とか」「バカ、そんなひどい名前にしてどうするんだよ。第一、相手は女の子なんだぞ?」「冗談、冗談」 ユウミの冗談も交えながら、ユウトは名前を考え始める。「何か見た目、外国人っぽいから、外国の名前がいいよな……だったら、『フィリーネ』ってどうだ?」 ユウトが考え付いた名前を、少女に提案した。「フィリーネ、ですか。なぜその名前に?」「いや……特に意味はないんだ。外国の名前で、何だかよさそうな感じだったのを考えて……つまり、悪く言っちゃうと適当なんだ」 ユウトは頭を掻きながら少女の質問に答える。そんなユウトに、適当じゃダメじゃん、とユウミに突っ込まれたが、ユウトはそんな事言われたって、と困った様子で答えるだけだった。「わかりました。私もその名が気に入りました。これからは、フィリーネと名乗らせてもらいます」 それでも少女は、フィリーネという名前が気に入った。そんな少女を見て、ユウトは安心した表情を見せた。「そうか。それじゃあよろしくな、フィリーネ」「はい、ユウト、それにユウミ」 少女――フィリーネは、初めてユウトとユウミの名を呼んで挨拶した。名前で呼ばれる事に驚いたのか、ユウトは少しだけ頬を赤らめた。そんなユウトの顔を、ユウミはじっと見ていた。「……じゃ、フィリーネさん。折角だから、あたしがここで手料理を御馳走してあげる」 するとユウミは、いきなりそんな事を提案した。「手料理、ですか?」「安心して。こう見えてもあたし、料理は大得意なんだから!」 ユウミは胸を張ってフィリーネに答える。「お兄ちゃんも、いいでしょ?」「ああ、そうだな。ユウミが作る料理なんて、久しぶりだからな」「じゃ、決まりね! お兄ちゃん、台所借りるよ!」 ユウミはすぐに、台所へと飛び出していった。そして冷蔵庫を開け、中にある食品を確かめる。「何これ? もっとマシな材料ないの?」「ごめんごめん、俺って、簡単な料理しかしないからさ……」「もう、お兄ちゃんはだらしないわねえ……これからは、料理ができる男がモテる時代なのよ?」 そんな2人の会話がはずむ。そんな微笑ましい光景を見て、フィリーネの顔にも自然と笑みが浮かんだのだった。 * * * マシな材料はないのか、とは言いつつも、ユウミは器用な手さばきで、料理を作ってみせた。その光景には、ユウトも感心していた様子だった。そして完成した料理は、温かいご飯に野菜スープ、そしてきれいに焼き上げられたハンバーグ。きれいに食卓に並べられたそれらの料理は、どんな人でも食欲をそそるものであった。「凄いなユウミ、腕を上げたじゃないか。これなら、どこに出しても恥ずかしくないと思うぞ」「へへん、どういたしまして。カッコイイ女性たるもの、料理もしっかりとできないとね!」 ユウトの言葉に、ユウミは見たか、と言わんばかりに胸を張った。フィリーネも、ユウミの料理の実力は素晴らしいものだと思ったが、彼女には1つ気になるものがあった。 それは、食器と一緒に横向きに置かれている、小さな2本の棒である。これは一体何に使うのか、フィリーネには全く理解できなかった。1本を手にとって、あちこちから眺めてみる。どう見ても、ただの棒にしか見えない。食べるために使うものだろうか、と思ったフィリーネはおもむろに、その棒で串のように上からハンバーグを刺した。そしてそのまま持ち上げようとするが、棒は簡単に抜けてしまう。ふと視線を感じると、ユウトとユウミが目を丸くしてフィリーネを見ていた。「フィリーネ、箸の使い方知らないのか?」「ハシ……?」 隣に座るユウトが発した、聞いた事のない名前に、フィリーネは首を傾げるしかなかった。「こうやって持って、使うの」 向かい側に座るユウミが、フィリーネの前で箸を持って見せた。そしてユウミは、茶碗に盛られたご飯を箸で挟むようにして取り、口に運ぶ。それを見てフィリーネは、『ハシ』というものは2本1組で使うものだという事を知った。見よう見まねでフィリーネも2本を組み合わせて持ってみるが、どうもユウミのようにうまく動かせない。ご飯を取ろうとしても、どうしてもうまくいかず、食卓に落としてしまう。何回やってもうまくいかないもどかしさに、フィリーネの表情は自然と歪んだ。「『ハシ』というものは、使うのが難しいですね……」 自然とそんな言葉が口からこぼれた。ふと視線を感じて隣を見ると、そこにはぽかんとした表情でこちらを見つめているユウトの姿があった。「……何を見ているのですか?」「あ、いや……フィリーネって、意外と不器用なんだな、って思って……」「それはどういう意味ですか、ユウト!」 ただでさえもどかしさで苛立っているフィリーネは、自分が侮辱されていると思い、思わずユウトに怒鳴る。「あ、ごめんごめん。そういう意味で言ったんじゃじゃないんだ。スプーンとか、持ってくるよ」 ユウトはそう言って、慌てて席を立った。そんな光景を見て、ユウミはクスクスと笑っていた。 そんなユウミは、食事をしながら何かの本を読んでいる。表紙には彼女にとって知らない男の顔写真と共に、『ポケモントレーナーガイドブック』と書かれている。「その本は?」 それが気になったフィリーネは、ユウミに聞いた。「え、これ? これはね、ポケモントレーナーの事が載ってる雑誌。あたしは毎号チェックしてるのよ」「ポケモントレーナー、ですか」「うん。あたしさ、カッコイイ女の人になりたいって思っているの。だから、やっぱりカッコイイ女の人のトレーナーはチェックせずには要られないのよね! それに……」 ユウミは1人でいろいろと語り始めたが、フィリーネにはその意味がわからないので、視線を料理に戻す。ああいう本を見た事がなかったので、興味本位に聞いてみた事を、フィリーネは少し後悔した。 そんな時に、ユウトがフォークとスプーンを持ってきた。いいタイミングだった。今まで使用に悪戦苦闘していた箸を置き、フィリーネはスプーンでご飯をすくい、口に運ぶ。これでようやくフィリーネは、出された食事を口に運ぶ事ができた。「やはり、こちらの方が扱いやすいですね」 フィリーネはつぶやいた。「フィリーネさんって、箸が使えないって事は、やっぱり外国人なんじゃない? 何か思い出したりしない?」 ユウミがふと、そんな事をフィリーネに聞いた。しかし、当のフィリーネは何も思い出さなかったので、さあ、今の所は何も、と答えるしかなかった。「そういえばフィリーネ、これからどうするんだ?」 そのやり取りを聞いていたユウトが、フィリーネに問う。フィリーネはえ、と声を出す。「記憶がない以上は、どこにも行きようがないんじゃないのか?」「確かに……そうですね……」 フィリーネは、顔をうつむけた。 自分には今、過去の記憶が全くない。自分がどこから来て、どういう経緯でここに来た事になったのか、全く覚えていない。だから、本来の居場所に帰ろうにも、その場所は全くわからない。つまり、今の自分には、帰る場所がないも同然なのである。これではユウトの言う通り、どこにも行きようがない。「それなら、俺達が……」 ユウトがそう言いかけた時、急に鳴った玄関のチャイムが、ユウトの言葉を止めてしまった。ブレイズがすぐに反応して、吠え始める。「あら、誰か来たみたいよ?」「誰だ、こんな夜中に?」 ユウトはそうつぶやきながら、玄関に向かった。 だがフィリーネは急に、玄関の向こう側に嫌な気配を感じ取った。それは、自分が以前にも感じた事があるような気配だった。なぜそう感じるのかはわからない。だが、フィリーネの『本能』とでも呼ぶべきものは、フィリーネに警告を発しているように感じられた。「待ってください、ユウト!」 フィリーネは不意に席を立ち、ユウトを追いかける。「ど、どうしたんだフィリーネ?」 ユウトは驚いて足を止め、フィリーネに振り返る。「……なぜだかはわかりませんが、危険な臭いがします」「危険な臭い? どういう事だよ?」「それはわかりません。ですが……」「訳のわからない事を言わないでくれよ。出てみないと何もわからないじゃないか」 フィリーネの言葉をユウトは無視し、今行きますよ、と言って玄関のドアを開けてしまった。そこには、グレーの特殊なスーツとヘルメット、そしてゴーグルを身に着けた、警察の特殊部隊のような、軍の兵士のような容姿の謎の集団が立っていた。フィリーネはそれを見た瞬間、全身の毛が逆立った。この集団は、見た事があるような気がする。明確な記憶は思い浮かばないが、その集団に敵意を感じ取った。「君、ここに黄色い髪の少女を保護しているな?」 集団のリーダー格と思われる人物が、ユウトに問う。「え、フィリーネの事ですか? それならここに……」 ユウトがフィリーネの方を見て答える。すると謎の集団の目付きが、一気に獲物を見つけた猛獣のような、鋭いものへと変わった。フィリーネは、それを見逃さなかった。この目付きは、明らかに自分に対して敵意を持っている証拠だ。「そうか、ならいい」 リーダー格はそうとだけつぶやくと、右手をサッと上げた。すると、兵士達が一斉に前に出てきた。その手には、黒いライフル銃が握られていて、真っ直ぐフィリーネとユウトに向けられていた。「ひっ……!? ちょ、ちょっと待ってくれ!? 一体……!?」 ライフルに驚いたユウトの顔が一気に青ざめ、体が硬直した。反射的に両手を上げるユウト。「動くな、小僧。変な目に遭いたくなければ、おとなしくその少女を引き渡せ」「な、何……!?」 ユウトはその要求に驚いたが、銃への恐怖心で、戸惑うしかなかった。フィリーネも当然、銃を向けられた状況では両手を上げ、動く事はできなかった。だが、恐怖に怯えるユウトに対し、比較的落ち着いていた。 ――間違いない。私は、彼らを知っている……! フィリーネは確信した。明確な理由こそないが、自分の知っている存在である事を。自分もかつて、こんな兵士達と対峙した事がある。そんな気がしていたのだ。「ちょっとお兄ちゃん、一体……ああっ!?」「動くな!!」 そこに、異変に気付いたのかユウミも姿を現した。すぐにユウミにもライフルが向けられ、ユウミも反射的に両手を上げる。「お、お前ら一体、何者なんだ……!? なぜ、フィリーネを……!?」「知る必要はない。さあ、その少女を渡してもらうぞ」 兵士の1人が、そっとフィリーネに近づいていく。靴のまま上がる事も構わずに。どうする。どうやら彼らは、自分を狙っているらしい。何も事情を知らないまま捉えられるのは嫌だが、銃を向けられている状況では、下手な事をすれば撃たれてしまう。フィリーネが唇を噛んでいた、その時。 どこからか急に炎の球が集団に襲いかかった。ブレイズだ。謎の集団を怪しい人物とみなし、“火炎放射”で攻撃したのである。それに驚いた集団は、怯んで慌てふためき始める。「ユウト!!」 ブレイズが攻撃は、フィリーネにとって幸運だった。その隙に、フィリーネはユウトの腕を引っ張り、居間に引き込む事ができた。「何をやっている!! 逃がすな!!」 リーダー格の声が聞こえると、銃声と共に居間に向かって銃弾が飛んできた。「わわわわっ!!」 ユウトは慌てて居間の奥へと逃げだす。ブレイズも銃撃には驚いて、逃げ出してしまう。兵士達は後を追いかけ、居間に上がり込んでくる。「何だか知らないけど、こっちも黙っちゃいられないわ!!」 するとユウミは、左腰に着けている本のようなホルダーを開く。その中には、上半分が赤、下半分が白の小さなボールが入っていた。ポケモントレーナーがポケモンの捕獲・収納に使うアイテム、モンスターボールである。ホルダーには4個のモンスターボールが入っているのが見える。ユウミはその内1個を取り出し、中央のスイッチを押した。すると、小さかったモンスターボールがユウミの手の平に収まるほどまでに一瞬で膨らんだ。「オーダイル、奴らを追い払って!!」 兵士が現れた所に、ユウミが勢いよくボールを投げた。開いたボールから光が飛び出し、それは1体のポケモンの姿に変わった。水色で、ユウミをも超える巨体を持つ巨大なワニだ。大顎ポケモン・オーダイルである。その姿に驚く兵士達を、オーダイルは吠えて威嚇し、そのまま襲いかかる。「お兄ちゃん、今の内に窓から逃げて!!」「あ、ああ!! ユウミもすぐに逃げろよ!!」「いいから!!」 ユウミにそそのかされたユウトは、すぐに庭に繋がる窓を開けてブレイズと共に出ると、フィリーネの腕を引っ張って家から出そうとする。だがフィリーネは、真っ直ぐオーダイルと戦う兵士達を見つめ、動こうとしなかった。ユウトが何度も呼びかけても、返事を返さない。 ――戦え。 自分の中の『本能』が、そんな事を言っているような気がする。そのため、逃げようという気が起きないのだ。その感情を、フィリーネは不思議と変には思わなかった。 その時、オーダイルの体を銃弾が貫いた。体から青い血を流し、オーダイルの動きが鈍る。その隙に、兵士達はオーダイルに次々と銃弾を浴びせる。それに危険を感じたユウミは、オーダイルに向けてモンスターボールを突き出す。するとモンスターボールが開き、オーダイルは光となってモンスターボールの中へと吸い込まれた。オーダイルを戻した事を確かめて、ユウミは窓から出ようとするが、まだフィリーネがそこに立っていた事に驚き、足を止める。「ちょっとフィリーネさん! 何をしているの!」 ユウミが叫んだ時、兵士達のライフルが再び火を噴く。「わあああああっ!!」 ユウミが倒れるように窓から出ようとしたため、フィリーネもそれに巻き込まれて倒される事になった。その瞬間、窓ガラスが一瞬で粉々に砕け散る。フィリーネ達は、庭に転がり落ちる。兵士達はすぐに追いかけてくる。「観念しろ。抵抗する気ならば、我々はお前達を殺すしかない。こんな田舎とはいえ、騒ぎが大きくなったらまずいからな。それに、我々の存在を知られた以上は、お前らを黙って逃がす訳には行かないんだ」 リーダー格が、既に勝利を確信しているかのように、銃を向けながら言う。「そ、そんな……!!」 ユウトは、怯えた表情を見せる。ユウミも、唇を噛んでいる。 だが唯一、謎の集団に対して鋭い視線を送っていたのが、フィリーネであった。フィリーネは無言で、ゆっくりと立ち上がった。すぐに兵士達が銃を向ける。「フィリーネ!?」「フィリーネさん!?」 ユウトとユウミが、驚いた声を上げる。そんな2人をよそに、フィリーネは謎の集団を強くにらんだ。それは、猛獣が獲物を狙う時の目そのものだった。それに、銃を向ける兵士達も驚いている。「お前、まだ逆らうならば……!」 リーダー格がフィリーネに向けて、ライフルを発砲した。フィリーネには、ライフルから飛び出し、こちらに向かってくる弾丸が、はっきりと見えた。それはまるで、スローモーションのようにも見える。普通の人では、肉眼で捉える事ができないものを、フィリーネは捉えていた。 フィリーネは飛んでくる弾丸を右手で払い除けた。払い除けられた弾丸は、フィリーネの横に落ちて、穴を開けた。「何!?」 そこにいた誰もが、その光景に驚いた。飛んでくる銃弾を手で払い除けるなど、常識で考えてあり得ない事だ。だがフィリーネはそれを、平然とやってのけた。 銃弾を払い除けた右手が、ほんのりと痛む。見ると、右手には銃弾を払い除けた事でできた傷がある。だが、傷ににじんでいる血の色は、青かった。人間の血は赤いが、彼女の血は、ポケモンと同じように青いのである。「お兄ちゃん、あれ!!」「青い、血……!?」 ユウトとユウミがそれに気付き、驚きを隠せない。だがフィリーネはそれを気にする事はなかった。その傷は、あっという間に塞がってしまったからである。それを見て、さらに驚くユウトとユウミをよそに、フィリーネは改めて謎の集団をにらむ。 ――戦え。 ――己の剣で、敵を打ち倒せ。 奥底から湧き上がる、言葉にならない感情に従い、フィリーネは両手を腰の高さに広げ、念じた。やり方を知っていた訳ではない。フィリーネの体が、自然とそうさせたのだ。 途端に、フィリーネの上半身と腕、そして足が光に包まれ、何かが浮かび上がった。その光景に、そこにいた誰もが驚いた。光が消えるとそれは、白いラインが入った、上半身を覆う青い板金鎧だった。肩には、横への大きな突き立ちが目立つ肩当て。腕も二の腕から手まで鎧で覆われており、足には脛の部分を覆う鉄靴を身に着けている。そしてその背中からは、青いマントが翻った。下半身こそロングスカートのままだったが、鎧を纏ったその容姿は、騎士と呼ぶにふさわしいものだった。 さらに右手を開くと、そこに再び光が現れ、銀色の刃を持つ両刃の剣が出現した。右手でそれを強く握りしめると、フィリーネはそれを両手で持ち、力強く構えた。「はあああああああっ!!」 フィリーネは叫び声を上げながら、剣を振りかざして向かっていく。 すぐに兵士達は、ライフルを発砲する。だが放たれる銃弾が見えるフィリーネは、剣で銃弾を弾き返してしまう。あっという間に間合いが詰まる。フィリーネは目の前にいる兵士に、ためらう事なく剣を振り下ろした。途端に兵士は赤い鮮血を流し、崩れ落ちる。 別の兵士が発砲するが、その時フィリーネは、ロングスカートをはいているとは思えないほどの軽やかさでジャンプしていた。剣を振り上げ、落下の力を活かして真下にいる兵士に振り下ろす。兵士は慌ててライフルで受け止めようとしたが、落下の力が加わった剣は、ライフルもろとも兵士を切り裂いてしまった。兵士の右腕は、根元から切られてしまう。兵士は苦痛の悲鳴を上げたが、フィリーネはさらに左胸に向けて剣を突き刺す。剣が兵士の体を貫く。兵士の悲鳴は一瞬強くなったが、それはすぐに弱まり、体は屍と化した。そこにライフルが発砲されるが、フィリーネは剣を突き刺した兵士を盾にして銃を防ぐ。銃撃が止んだ後に剣を抜くと、兵士は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。 それを見て怯んだのか、兵士達は銃を構えながらも下がる。フィリーネは剣を構え、いつでも攻撃できる態勢を取る。「遂に本性を現したか……人間の姿をした怪物め」 リーダー格が、フィリーネを見てつぶやく。だがフィリーネは、『人間の姿をした怪物』という言葉に、違和感を覚えなかった。そして、自然と脳裏に思い浮かんだ言葉を言い放った。「私は人間ではない。獣でもない。ただこの剣のみで進むべき道を切り開く、戦うためだけの存在です」続く
ユウトは、目の前の光景が信じられなかった。 フィリーネの上半身と腕、そして足が光に包まれたと思うと、彼女は白いラインが入った、上半身を覆う青い板金鎧を纏っていた。肩には、横への突き立ちが目立つ肩当て。腕も二の腕から手まで鎧で覆われており、足には脛の部分も覆う鉄靴を身に着けている。そしてその背中からは、青いマントが翻る。下半身こそロングスカートのままだったが、鎧を纏ったその容姿は、騎士と呼ぶにふさわしいものだった。 さらに右手を開くと、そこに再び光が現れ、銀色の刃を持つ両刃の剣が出現した。右手でそれを強く握りしめると、フィリーネはそれを両手で持ち、力強く構えた。それにユウトは更に驚いた。なぜ彼女が鎧と剣を一瞬にして呼び出す事ができるのか、全く理解できなかった。 そんなユウトをよそに、フィリーネは剣を振りかざして向かっていく。飛んでくる銃弾も、まるで見えているかのように剣で弾き返してしまい、あっという間に間合いを詰めたフィリーネは、次々と剣で兵士達を薙ぎ払っていく。次々と赤い血を流し、倒れていく兵士達。中には、腕を切られてしまったものもいた。その剣裁きは、まさに前時代の剣士そのものだ。ライフルを持った兵士が、前時代の武器である剣を持ったフィリーネに圧倒されている光景は、まるで自分が別世界に入ってしまったような感触を与えさせる。お世辞にも大きいとは言えない体で、大の男を剣1本で圧倒するフィリーネ。ためらいもなく人間を容赦なく剣で切り捨てるフィリーネ。そして、人間の赤い血を見ても、一切表情を変える事がないフィリーネ。ユウトはその姿にある種の優雅さと同時に、戦慄も覚えた。目の前の人間が敵だとしても、彼女は躊躇いもなく人殺しをしている事は事実なのだ。その驚きに体を支配され、声を上げる事ができない。 そんなフィリーネに怯んだのか、兵士達は銃を構えながらも下がる。フィリーネは剣を構え、いつでも攻撃できる態勢を取る。「遂に本性を現したか……人間の姿をした怪物め」 リーダー格が、フィリーネを見てつぶやく。だがフィリーネは、そんなリーダー格を強くにらみ、言い放った。「私は人間ではない。獣でもない。ただこの剣のみで進むべき道を切り開く、戦うためだけの存在です」 彼女が発したのは、ユウトにとって予想もしない言葉だった。 ――人間ではない!? 獣でもない!? ――戦うためだけの存在!? ――フィリーネ、一体何を言ってるんだ!? そんな言葉をフィリーネが自ら言った事が信じられない。先程までは、フィリーネはどこにでもいる、ごく平凡な女の子だった。それが今、鎧を纏い、剣を手にした1人の戦士となっている。しかも、自分は人間ではない、戦うためだけの存在と発言したのだ。普通の人間が言うとは、とても思えない。そして何より、先程見せた青い血。彼女は明らかに普通の女の子ではない。彼女は一体、何者なのか。「フィリーネさんってもしかして、ポケモンヒューマン……なの?」「ポケモン、ヒューマン?」 ユウミが発した言葉は、ユウトにとって聞いた事がないものだった。「知らないの、お兄ちゃん!? 人と全く同じ姿をしたポケモンの事よ! 血の色がポケモンのように青くて、ポケモンと同じ力を使って人を襲うって都市伝説があるのよ! トレーナーの間じゃ有名なんだから!」「人を……襲うって!?」 ユウトは、ユウミの『人を襲う』という言葉に耳を疑った。もしフィリーネがポケモンヒューマンなる存在だとしたら、彼女は目の前にいる兵士達と同じように、自分達も襲うというのだろうか。だが、フィリーネが自分の事を助けてくれた人を襲うなんて事はあり得ないはずだ。だが、その可能性はゼロとは言えない。もしそうだとしたら、と思うと、背筋に寒気が走る。「はあああああああっ!!」 フィリーネは再び、風を巻いて残った兵士達に剣を振りかざし襲いかかる。「応戦しろ!!」 リーダー格の指示で、残った兵士達は再び発砲する。だが、フィリーネは容易く飛んでくる弾を剣で弾き返し、間合いを詰める。そして、剣の一閃。1人の兵士が、赤い血を流して倒れる。もう1人の兵士が、ライフルを逆方向に持ち替え、フィリーネを殴ろうとするが、フィリーネの反応は早い。すぐに剣で受け止める。そして一気に払い除ける。兵士はそれによって態勢を崩してしまい、隙を作ってしまう事になった。フィリーネが剣を振り下ろすと、兵士は赤い血を流して倒れ、沈黙した。これで、兵士達は全てフィリーネの手で倒されてしまった。フィリーネはすぐに、唯一残ったリーダー格に体を向き直す。「くそっ、この怪人め!!」 リーダー格がライフルを使うには距離が近すぎると判断したのか、腰から拳銃を抜き、フィリーネに向けて連続で発砲する。だがフィリーネは、剣で弾を次々と弾き返しながら間合いを詰める。そして、下から剣を振り上げた。リーダー格が持っていた拳銃が、一瞬で真っ二つになる。リーダー格はすぐに使えなくなった拳銃を捨て、今度はナイフを抜いた。振り下ろされたフィリーネの剣を受け止める。たちまち剣とナイフの激しい打ち合いが始まった。刃が打ち合う度に、甲高い金属音が響き渡る。お互い、一歩も譲らずに刃を交え続け、遂には鍔迫り合いとなった。だが、片手で小さく軽いナイフを持つリーダー格に対して、両手で大きく重い剣を持つフィリーネの方が、明らかに押す力が強い。ナイフは次第に押されていき、剣の刃がリーダー格の顔に迫ってくる。だがその時、リーダー格は開いている左手で、別のナイフを懐から引き抜いた。「!?」 フィリーネが気付いた時には、リーダー格はナイフをフィリーネに向けて突き出していた。剣をナイフで受け止められている状態では、防ぎようがない。完全な不意討ちだった。刹那、ナイフは鎧で覆われていない、フィリーネの右の太ももに突き刺された。刺された太ももから青い血が流れ出したのが、鮮明にわかった。その瞬間、ユウトは息が止まりそうになった。「ぐ……っ!?」 刺されたナイフが抜かれると、フィリーネの体から力が抜け、がくりと膝が地面に着いた。それを確かめたリーダー格は、そのまま追い打ちをかける事なく、その場を足早に立ち去っていった。どうやら戦闘を続けるには分が悪いと判断したようだ。ナイフで足を狙ったのも、フィリーネが追いかけて来られないようにするためなのだろう。「く……逃げるな……っ!」 フィリーネは青い血が流れる太ももの傷を手で押さえつつ、後を追おうとして立ち上がろうとしたが、太ももの痛みが響くのか、足はすぐに崩れ落ちてしまう。その時、自動車のエンジンが動き出し、走り出した音が聞こえた。リーダー格が玄関前に止めた自動車で逃げ出したのだろう。ともかくこれで、危機は去った。「フィリーネ!!」 ユウトはすぐに負傷したフィリーネの元へ向かおうとしたが、ユウミに無言で止められてしまった。ユウミの顔を見るとその目は、口で言われなくとも、行ってはいけない、と言っている事がわかった。 フィリーネは傷に手を当てたまま、呼吸を整える。すると、太ももにできていた傷が、見る見る内に塞がってしまった。傷から流れていた青い血も消えてしまっている。そしてフィリーネは、何事もなかったかのように立ち上がる。何という回復力なのか。ポケモンは、重傷の傷でも安静にしていれば簡単に治ってしまうという事は聞いた事があるが、フィリーネの回復力も、まさにポケモンのものそのものだった。「フィリーネさん」 ユウミが前に出て、フィリーネに呼びかけた。その目付きは、先程までのフィリーネに対するものとは違う。口調も少し強くなっている。明らかにありがとうなどと礼を言うような表情ではない。ユウミはフィリーネを警戒している事がわかる。フィリーネがこちらに顔を向ける。「まさか……その剣であたし達も殺すつもりじゃないわよね?」「……それはどういう意味ですか? 私には理解できません」 フィリーネは、今までの自分達に対する視線と変わらない真っ直ぐな視線を送り、逆に問う。「だってあなた……ポケモンヒューマンなんでしょ……? ポケモンヒューマンは、人を襲うって……」「なぜ私がそれだけの理由で、あなた達を殺す必要があるのです?」 その問いを聞いたユウミは驚き、顔が少しだけ緩んだ。「……確かに、私は人間ではありません。ですが、それだけでそうと決めるのは語弊があります。あなた達は、私の命の恩人です。そんな人物を殺める理由が、どこにあるというのです? 私は、恩を仇で返すような外道な真似はしません」 フィリーネが言うと、その意思を体で表すように、鎧と剣が光となって消え、元の私服姿のフィリーネに戻った。彼女は、ユウミが言うような冷酷な人ではない。それがわかったユウトは、ほっと胸をなで下ろした。「そうだよユウミ、フィリーネがポケモンヒューマンだとしても、それだけの理由で俺達も殺すなんて決めつけるのはよくないよ。フィリーネは悪人なんかじゃない」「……そうね。あたし、変な思いこみしちゃってたわね。ごめんなさいフィリーネさん」 ユウトが呼びかけると、ユウミも安堵の表情を浮かべて、フィリーネに言った。そんなユウミにフィリーネは、わかればいいのです、と答えた。するとユウミは急にフィリーネの前に飛び出し、フィリーネの両手を取った。「さっきの立ち回り、凄くカッコよかったわ!! あたし、フィリーネさんのような人が理想だったの!!」「は、はあ……?」「あたしもう、フィリーネさんの事、尊敬しちゃう!! どうやったらそんな風になれるのか、思い出したら教えて!!」 ユウミは先程とは一転、まるでアイドルにでも会ったかのように目を輝かせてフィリーネの顔を見つめながら、言った。突然の態度の変わりぶりには、フィリーネも戸惑うしかない。ユウミは、幼い頃から『カッコイイ女性』に憧れていた。それは、彼女の服装からも見て取れる。最初はフィリーネを警戒していた事からその思いは浮かばなかったのかもしれないが、敵対する意志はないと確信するや否や、彼女の戦う姿が魅力的に見えたのだろう。その気持ちはわからなくもないが、周りが見えていない程の興奮ぶりに、ユウトはふう、と溜め息を1つついた。「おいおい、そんな事してる場合じゃないだろ、ユウミ。今はこいつらをどうするか考える方が先なんじゃないのか?」 ユウトはそう言って、自分のすぐ近くにある屍と化した兵士達に目を向けた。こんな事件があったとなれば、普通は警察に通報するのが先決だろう。だが、この謎の集団は、ほとんど全てフィリーネの剣によって倒されてしまった。そこが問題なのだ。下手をすれば、フィリーネが**(確認後掲載)者になってしまう可能性もある。そもそもフィリーネがポケモンヒューマンである事を説明したら、どんな反応をするのだろうかと、ユウトは不安だったのである。「あ、そうだったわね……ごめんごめん。じゃあ、すぐに警察呼ばないと」 ユウミは我に返ってフィリーネの手を離し、すぐに答えた。「け、警察呼ぶのか? だとしたら、フィリーネの事はどう説明するんだよ!?」「大丈夫。これは立派な『正当防衛』よ。そう言えば、警察もわかってくれるわよ」 ユウミは全然心配していないようにそう答えて、すぐに懐から青い携帯電話を取り出した。キーパッドがなく、ほとんど全面が画面になっている。その画面を指でタッチしてユウミは操作している。Pフォンと呼ばれるポケモントレーナー用の携帯電話だ。ユウトは、この携帯電話をテレビコマーシャルで見た事があった。タッチ画面で操作を行い、ポケモン図鑑やマップ機能、はたまたテレビにいたるまで、ポケモントレーナーに必要なアプリケーションが1つに集約されている画期的な携帯電話だという。最も、ポケモントレーナーではないユウトにとっては、全然興味をそそらされないものではあったが。ともあれ、そんなPフォンを使用し、ユウミは警察に電話をかけながら家に入っていった。「それにしても……彼らは何者なのでしょうか……?」 フィリーネがつぶやく声が聞こえた。見ると、フィリーネは屍と化した兵士達を見つめている。その瞳には、先程までの強い力は宿っていない。そして、続けてつぶやいた。「なぜでしょうか……私は、彼らを知っている……」「知っている!? 何か思い出したのか?」 その言葉に驚いたユウトは、まさかと思って聞いてみたが、フィリーネは首を横に振る。「いいえ、思い出した訳ではありません。ですが、なぜか私は、彼らと以前にも戦った事があるような気がしたのです。記憶では覚えていなくても、私の体が覚えていた、と言えばいいのでしょうか……」「そうか……まさか、フィリーネが記憶を失ったのも、こいつらが関わっているとか……?」「さあ、それはわかりません」 フィリーネは曖昧な答えを返し続ける。記憶を失っているのだから、そう言うのも無理はないだろう。だが、そうなると謎は深まる一方である。 彼らは、警察のようには見えなかった。だとしたら、一体何者なのか。 彼らの目的は、何だったのか。なぜ、フィリーネを狙ったのか。少なくとも彼らは、フィリーネがポケモンヒューマンである事は知っているようだった。 フィリーネ本人も、彼らと戦った事があるような気がする、と語っている。もしそれが真実だとすれば、彼女の失われた過去に一体何があったのだろうか。 考えれば考えるほど、その先は明かりが見えない暗闇ばかり。自分達は得体の知れない敵を相手にしていたのだと思うと、恐怖心が消えず、背中に寒気が走った。だが、ユウトはすぐに気持ちを落ち着かせた。こんな血を流して倒れている人の前にいるから、そんな事を考えてしまったのだ。自分が何も考えなくても、警察が来れば全てが解決する事なのだ。そう言い聞かせ、ユウトは体を家へと向けた。「とにかく、中に入ろうフィリーネ。俺達があれこれ考えても仕方がないさ。それに、警察が解決してくれるし」 ユウトはフィリーネに呼びかける。だがフィリーネはなぜか、先程までの表情を変えないままユウトに向け、ぽつりとつぶやいた。「ケイサツ……?」「ん、どうした?」「先程から気になっていたのですが、その『ケイサツ』とは何者なのですか?」「はあ!?」 フィリーネの予想もしなかった質問に、ユウトは思わず声を裏返した。警察といえば、知らない人はいないはずの組織だ。そんな警察とは何者なのかなど、あまりにも常識を逸脱した質問だった。それ故にユウトは答えに戸惑ったが、答えない訳にもいかず、ふと思いついた言葉で答える。「あ、いや……ほら、お巡りさんだよ、お巡りさん!」「オマワリサン……?」 その言葉を聞いても、フィリーネは首を傾げたままだった。フィリーネは、お巡りさんという言葉も知らないというのか。ユウトはまるで何も知識を持たない幼い子供を相手にしたような感触に襲われ、返す言葉に更に戸惑ってしまう。本当に何も知らないように見つめるフィリーネの視線も、ユウトの困惑を更に加速させる。誰もが知っている事を改めて説明する事は、簡単そうで意外と難しいものである。「いや、あのさ、その……聞いた事ない? お巡りさんって言葉」「いいえ、初めて聞く言葉です。それは、『ケイサツ』と関係がある言葉なのですか?」「ええっ!? って事は、本当に何も知らないのか……!?」 投げかけた質問をあっさりと否定され、逆に返される。そんなリアクションをされると、自分の方が困ってしまう。思わず溜め息が出る。かくしてユウトは、フィリーネに警察とお巡りさんという単語の意味を説明するために、しばらく時間を取られたのだった。 * * * 甲高いサイレンの音が聞こえたと思って外を見てみると、白と黒で色分けされた自動車が家の前に到着したのが見えた。それに反応して、吠え出すブレイズをユウトが静かにするように注意する。フィリーネにとっては、初めて見る形の車だった。「あれは何ですか? 随分変わった車ですね」「パトカーだよ。警察が使う車さ」 フィリーネが隣にいるユウトに聞くと、ユウトはそう答えた。どうやらあの乗り物は、警察が使うものらしい。この家は町から離れた所にあるため、警察の到着は遅いんじゃないか、とユウトは言っていたが、彼が思っていたよりも早く到着したらしい。 それよりもフィリーネは、パトカーの外観が気になっていた。フィリーネは車と聞くと、人や馬が引っ張って動かす荷車を連想していた。だが、目の前の車は誰かが引っ張っている様子もなく、自力で動いていたのである。一体あれがどうやってできるのか、フィリーネにはわからなかった。「あの車は、一体誰が動かしているのですか?」「え!? 誰って、人に決まってるだろ」「ですが、人が引っ張って動かしているようには見えません」「え……!? いや、あれは人が引っ張って動かしてるんじゃないんだよ。エンジンで動いてるんだよ」「えんじん……? それは何なのですか?」「ええ……!? そこから説明しなきゃならないの……!? フィリーネ、どこからならわかるんだ……?」 問い続けるフィリーネを前に、ユウトは困ったように頭を掻きフィリーネに聞くが、フィリーネはそんな事を言われましても、と答えるしかない。ユウトはどう説明しようか悩み、なかなか次の言葉を発しない。 そんな2人をよそに、ユウミは警察の到着を確かめると、すぐに家を飛び出した。「お巡りさーん! こっちですこっちです!」「君が通報人かね?」「はい! すぐに調べてください! お願いします!」 リーダーである警部とそんなやり取りをするユウミ。青い制服を身に纏った警官達はすぐに、警部を先頭に家の中へと慌ただしく入っていき、目の前を通り過ぎていく。「これが、『ケイサツ』という人々なのですね……」 玄関の横でそんな光景を、フィリーネはそうつぶやきながら見つめていた。フィリーネは先程、ユウトから警察の事について説明を受けたばかりだ。**(確認後掲載)を起こした人を捕まえたり、困っている人を助けたりする仕事なのだという。フィリーネはそんな組織がこの世に存在する事を、初めて知ったのである。なぜなのかは、自分にもわからない。記憶を失っている影響なのだろうか、とも思ったが、そんな事ではないような気がする。自分は本当に、警察という組織の事を知らなかったのだ。「よし、これで一安心ね!」 ユウミは安心したように、満面の笑みを見せてこちらにやって来た。するとユウトが、不安そうにユウミに声をかける。「でもさユウミ、フィリーネの事は何て言うつもりなんだ? まさかポケモンヒューマンだ、なんて言えないだろ?」「大丈夫よ、お兄ちゃん。どうせそんな事言ったって、信じてもらえないわよ」 2人は何やら、自分の事について話しているようだ。自分の事を言うと、警察に不都合な事があるような事を言っているようだが、なぜ自らの味方であるはずの彼らに、自分の事を隠そうとするのだろうか。疑問に思ったフィリーネは、2人に問う。「それは一体、どういう事なのですか?」 その問いを聞いたユウトとユウミは、驚いてフィリーネに顔を向けた。「あ、いや……フィリーネには、関係ない事だよ」「関係ない事ではないでしょう。私の事が言葉に出たのですから。私の事を、なぜ彼らに隠す必要があるのです?」「あ、いや……それはだな……」 ユウトが返す言葉に迷っていた時、フィリーネの背後に気配を感じた。振り向くとそこには、警官達のリーダーである警部が立っていた。心なしか、こちらへの視線が鋭く感じられる。「ちょっと君達」「あ、はい! 何でしょうか」 警部の言葉に、ユウミが前に出て答える。「いたずらで警察を呼ぶ事は、やめてくれないかな?」「は?」 警部の強い言葉に、ユウミは驚いて声を裏返した。フィリーネも、いきなりいたずらという言葉が出てきた理由がわからず、驚いていたのはユウミと同じだった。「怪しい集団に襲われて、何人か庭で倒したとか言っておきながら、窓ガラスが割れているだけで何もないじゃないか」「な……何を言ってるんですか!? 庭にはさっきまで奴らの死骸があったんですよ!!」 その発言に驚いたユウミはすぐに飛び出す。それはフィリーネとユウトも同じで、すぐにユウミの後を追いかける。すぐに庭を覗き込む。するとそこには、先程まで確かにあったはずの兵士達の屍が、何事もなかったかのように消えていたのである。「嘘……!?」「消えている!?」 ユウミとフィリーネは、驚きの声を上げた。自分達が庭から目を離していたのは、ほんの短い時間であったはずである。それにも関わらず兵士達の屍は、地面に流れていたはずの血の跡まで、きれいさっぱりと消えているのである。こんな事を誰かがやろうとしても、短時間ではとても不可能だ。そして何より、庭に何か気配を感じていれば、フィリーネ達も気付いていたはずである。「ごまかしたって無駄だぞ。今度また、いたずらで通報するのなら、君達をブラックリストに登録するからな。行くぞ」 警部はそう言って踵を返すと、他の警官達と共に家を去っていく。「いや、ちょっと待ってください!! 確かに本当に襲われたんですよ!! 何ならあたしを嘘発見機にかけてみてくださいよ!!」「そんな御託を並べたって、もう騙されんぞ」 ユウミが必死で呼びかけるが、警部は全く耳を貸さない。それでも呼びかけ続けるユウミをよそに、とうとう警官達は家から完全に引き上げてしまう。バタンと強く閉められたドアの前でユウミは立ち止まる。「もうっ!! 一体何なのよ!! 苦労して呼んだって言うのにっ!!」 本当に苦労したのかは別として、ユウミは誰もいないドアの向こう側に向けて叫ぶ。フィリーネも事件を解決してくれるはずの警察に、事件をいたずら扱いされた事には納得がいかない所もあったが、屍が自分達の知らない内に消えてしまった状況なら、そんな事を言われるのも当然だと思い、ユウミのように不満をそのまま口にする事はなかった。「一体、どういう事なのでしょうか……?」「俺にもわからない……」 誰もいない庭を見つめながら言ったフィリーネのつぶやきに、ユウトもそう答えた。 自分の体が覚えていた彼らは、一体何者なのか。フィリーネはその疑問を、ますます大きくしていった。 * * * 僅かな明かりしか点けていない薄暗い部屋の中に、1人の男が席に座っていた。 彼は、室内にいながらもサングラスをかけて、目の前にあるパソコンの前に座っていた。その画面には、1人の男が映っている。テレビ電話で通話しているのだ。『ご苦労だった、F。君が部隊を直接指揮してくれたお陰で、今回の殲滅作戦は円滑に、かつ隠密に進める事ができた。情報が漏れる心配もないだろう』「当然の事をしたまでです。我々の存在は国家機密です。情報統制が行われているとはいえ、外部への情報漏洩に細心の注意を払いつつ行動するのは、基本的な事です。我々の行動が、どこで見られているかはわかりませんから」 Fと呼ばれた男は、画面の前で丁寧に頭を下げつつ、答えた。『ハハハ、言うようになったな、君も。ところで話を変えるが、例の調査を行っていた、君の部隊の分隊から先程報告があった』 その言葉を聞いたFの目が見開かれた。『どうやら、例のポケモンヒューマンを発見したらしい。奴はまだ生きている』「生きていたのですか!?」『民間人に保護されていた所を発見し、連行しようとしたようだが、反撃にあって分隊長だけ残して全滅したらしい』「何!? では、民間人に我々とポケモンヒューマンの存在を……!?」 Fはその言葉に驚き、すぐに立ち上がりそうになったが、画面の中の男がすぐになだめる。『まあまあ、落ち着きたまえ。幸い、転送装置を使用して証拠は消してある。情報が広まる心配はない』「ですが、そのまま野放しにしておいては……!」『もちろん、対策はする。だが君には既に、別の任務に向かわせる事が決定している。この事についてはこちらで対応する。君は安心して、自らの任務を遂行しろ。以上だ』 そう言って、画面から男の姿が消えた。 Fは、彼の言葉がまだ信じられずにいた。あのポケモンヒューマンは、数ヶ月前の任務において、息の根を止めたはずである。死体を回収するために分隊が調査を行っていたのだが、まさか生きていたとは。しかもそのポケモンヒューマンは民間人に保護され、連行しようとした分隊は反撃にあって壊滅。調査が目的のため、最低限の武装しか施されていないとはいえ、分隊を壊滅させたという事は、そのポケモンヒューマンは既に戦闘が可能なほどまでに回復してしまっている事を意味する。何より、民間人に保護されているという事は、ポケモンヒューマンの存在だけでなく、自らの組織そのものの存在も漏れてしまう可能性がある。 すぐにでも、自らの手で早急に対処したい所だが、別の任務があるとなれば仕方がない。それでも、心の中でもどかしさは消えなかった。「あの化け物め……!」 Fは、右手をわなわなと握りしめ、そうつぶやくのだった。 * * * 翌日。 フィリーネは助けられた時と同じように、居間で睡眠をとった。個室で寝ていたユウトもユウミも、夜はいろんな事がありすぎたと言っていたためか、結構よく眠れていたようだった。そして昨夜と同じように、3人で揃って食事を取る事になる。ユウミが朝食を作っている間、フィリーネはじっとテーブルの前に座って待つ。そんなフィリーネに、ブレイズに餌をあげ終えたユウトが声をかけた。「フィリーネ、そこでじっと座ってても退屈じゃないか? テレビつけるよ」「てれび?」 聞いた事がない言葉にフィリーネが首を傾げた時、ユウトが居間にある四角い箱のようなものにあるボタンを押す。すると、四角い箱がいきなり白く光った事に、フィリーネは一瞬、驚いて少し声を上げてしまった。『おはようございます。ニュースの時間です』 間もなく光った場所には、こちらを見てそう言う男性の姿が映った。テレビというらしい箱の中に、人の姿がはっきりと見える。しかも、普通に喋っている。その光景に、フィリーネは驚きを隠せなかった。すぐに席を立ち、テレビに顔を近づけてみるが、紛れもなく人そのものである。驚くフィリーネの前でも、男は普通に喋り続けている。「こ、これは何なのですか!? この箱の中に、人が入っているのですか!?」「え!? 何馬鹿な事言ってるんだよ。テレビの中に人がいる訳ないだろ。映ってるだけだよ」「映っているだけとは、どういう事なんですか?」「え、いや、それはだな……」 またしても、ユウトは返す言葉に悩み、頭を掻く。そんなユウトの前に、ユウミが現れた。その手には皿に盛り付けられた料理が。食事ができたようだ。「フィリーネさんって、まるで昔の人みたいね。テレビを知らないなんて」 ユウミはクスクス笑いながら、テーブルに皿を置く。フィリーネは不思議だ、とつぶやきながら、席に戻る。フィリーネは茶碗を手に取り、おもむろに食べ始めようとしたが、ふとユウトとユウミがすぐには食べ始めていない事に気付き、手を止める。「じゃ、いただきまーす!」「いただきます」 2人はそう言ってから、箸を取って食事を始めた。どうやら、食事の前にはいただきます、と挨拶をしてから食べるらしい。そう悟ったフィリーネは自分の行動に気まずさを感じ、茶碗を一度置いて、2人の真似をしていただきます、と言ってから再び茶碗を取って食事を始めた。使うのは当然スプーンとフォークである。箸を器用に使って食べるユウトとユウミを見ていると、どうしてそんなにうまく使えるのかと、思わずにはいられない。テレビの中の男は相変わらず、1人で喋っている。どこかの山で大規模な山火事が発生した、という事を話していた。ユウトはそれを聞き、最近山火事多いよなあ、とテレビを見ながらつぶやいていた。「ねえ、お兄ちゃんにフィリーネさん」 ふとユウミが、声をかけた。「何だ、ユウミ?」 ユウトが答える。「夕べ考えた事なんだけどさ、あたし達で一緒に旅をしましょうよ!」「え!?」 突然の提案に、ユウトは驚いて声を裏返した。フィリーネもユウミの提案には驚いたが、ユウトほどは驚かなかった。「どういう事だよユウミ? なんで俺まで一緒なんだ?」「何言ってるのよ、お兄ちゃん! あたし達は、あの訳のわからない奴らに襲われたのよ! 変な事が起きて警察も相手にしてくれないし、このままじゃあいつら、絶対また襲ってくるはずよ! ここにいたら、襲ってくださいって言ってるようなものでしょ!」 ユウトの質問に、ユウミはきっぱりと言い放つ。「逃げるって事か!? でも俺には学校があるんだぞ!? それはどうするつもりなんだよ!?」「そんな事言ってる場合じゃないのよ!! ひょっとしたら、奴らが学校で待ち構えてるかもしれないじゃない!! 死にたくなかったら一緒に来いって事!!」 ユウミにそう言われたユウトは、さすがに反論する事ができなくなった。 逃げるって事か。その言葉にフィリーネは反感を覚えた。逃げるという言葉は、フィリーネの辞書にはないものだった。向かってくる敵は一歩も引かずに倒すのみ。それがフィリーネの考えだった。「わ……わかった……! 落ち着いて考えれば、ユウミの言う事は一理ある。警察も相手にしてくれないなら、逃げるしかないよな」「待ってください!!」 ユウトが気持ちを落ち着かせてから答えた直後、たまらずフィリーネはその場を立ち、声を上げた。その言葉に驚き、ユウトとユウミは一斉にフィリーネに顔を向ける。「なぜ逃げるのですか!? 敵が襲ってくるのならば、私の剣で斬り倒すまでです!! 私はそのような消極的な事は……!!」「フィリーネさん、落ち着いて! あたし達は奴らを倒す事が目的じゃないの! そりゃあ、全く戦わないつもりはないけど、一番の目的はフィリーネさんの記憶を探す事なのよ!」 ユウミの言葉を聞いた瞬間、フィリーネに冷静さが戻る。「私の記憶を探すため、ですか?」「うん。ここにいたって、自分の記憶の事なんて何も見つからないでしょ? あたしと一緒に旅をしていれば、何か手掛かりが見つかるかもしれないじゃない!」 フィリーネは驚いた。ユウミは自分のために、共に旅をする事を提案したのだ。自分は先程まで、敵を倒す事だけしか考えていなかった。単純にユウミは、逃げる事だけしか考えていないと思い込んでいたのだ。記憶を失っているフィリーネは、自分がこれから何をするべきなのかわからなかった。その道を、ユウミは示してくれたのである。「なるほど、そういう理由もあったのか。それには俺も賛成するよ」 ユウトも相槌を打つ。「確かに、それは合理的ですね。すみません。逃げると聞いたもので、つい……」「いいのよ! カッコイイフィリーネさんのために、あたしは力になりたいだけだから!」 フィリーネが再び腰を下ろした瞬間、入れ替わるようにユウミは立ち上がり、輝かせた目をフィリーネに向けて言った。夕べと同じような顔をされたフィリーネは、はあ、と拍子抜けした答えしか返す事ができなかった。「という訳で、決まりね! ご飯を食べたら、準備してすぐ出発!」 ユウミは席を座ってすぐに、そう宣言した。 * * * かくして、ユウトは学校があるという事を無視する形で、ユウミの旅に同行する事となった。 許可なく学校を休み続けていたらどうなるだろうか、失踪した事になるんじゃないかとも思ったが、あの謎の集団から逃れるためとなれば、ユウミの言う通りそんな事を考えている場合ではない。命あっての物種である。 ユウミの指示を受けてまとめた荷物を背負い、ユウトは人通りの少ない道を足早に駆けていた。先頭に立つのはユウミだ。その横にユウトが立ち、後ろからフィリーネが追う形である。もちろん、ペットであるブレイズも連れている。ユウトはモンスターボールを持っていないが、ブレイズは変な所へ向かう事もなく、しっかりとユウトの後をついて来ている。だが、重い荷物を背負って走るのは辛い。すぐに息が切れてしまう。「なあ、ユウミ……俺達、いつまで走ってるんだよ?」「情けないわね、お兄ちゃん! 町を出るまで辛抱よ!」 ユウトが問うが、ユウミはすぐに言い返す。ユウミはなるべく早くこのサクラタウンから離れようと急いでいる。謎の集団に気付かれる前になるべく遠くへ逃げようという寸法なのだろう。とはいえ、どこまでいけば町から出るのだろうか。ユウトの家は町外れにあるとはいえ、町と町との境界からも近い訳ではない。となると、どこまで走る事になるのだろうか、と思うと、気が遠くなりそうだった。 その時、今まで一切喋らずについて来ていたフィリーネが、不意に足を止めた。「どうした、フィリーネ?」 ユウトがそれに気付き、足を止めて問う。フィリーネはこれまで辿ってきた道路を、じっと見つめている。「……来ます!」 フィリーネが強く言い、肩越しに視線を送る。その目は、フィリーネが戦闘をする時と同じ、強い眼光が宿っていた。ちょっとどうしたのよ、と問うユウミを尻目に、来るって何が、とユウトは問うが、その答えはすぐに現れた。 道路の奥から走ってくる、黒い自動車。ジープだ。この辺りは走っているのを見た事がないものだった。そしてその中央には、誰かが何やら長い筒のような物をこちらに向けて立っている。その姿が明確に見えた直後、筒が急に火を吹いた。そして、黒い弾丸が煙を吹きながら、こちらに向かってくる。「……逃げろーっ!!」 ユウトはすぐに身の危険を感じ、思わず声を上げた。3人はすぐに散開する。その直後、弾丸は吸い込まれるように道路に吸い込まれ、ユウト達の横で大きな爆発を起こした。爆風はこちらにも伝わってきて、ユウト達の体を道路へ倒した。唯一フィリーネだけは、体勢を整えてしっかりと着地していた。 そんなユウト達の目の前に、ジープが停止する。それに乗っているのは、紛れもなく夕べ現れた謎の兵士達そのものだった。10人以上はいる。昨夜よりも大規模だ。その中には、夕べも現れたあのリーダー格もいる。兵士達はすぐにジープから素早く降り、こちらにライフルを構える。「お前達は!!」 フィリーネが叫ぶ。「家にいないと思えば、まさかここにいたとはな……」 3人の前で、リーダー格は余裕そうにつぶやく。そして、3人に鋭い視線を向ける。「だが、黙って返す訳にはいかない。お前達は、知ってはいけない事を知ってしまったからな……!」 リーダー格がライフルを構えた。その言葉を聞いて、ユウトの背筋が凍りついた。何の事なのかは知らないが、知ってはいけない事を知ってしまったとなれば、彼らがする事は1つ。知ってしまった自分達の事を消す事。「悪い事は言わない。おとなしくその少女を引き渡して投降すれば、命だけは助けてやる」「断ります」 リーダー格の言葉を、真っ先に否定したのはフィリーネだった。その目は獲物を狙う猛獣の如く、鋭い眼光を放っている。「行く手を阻む敵は、倒すのみ!」 フィリーネがそう叫んだ瞬間、上半身と腕、そして足が光に包まれ、青い板金鎧が現れる。背中から翻る青いマント。そして開いた右手には剣が現れ、フィリーネはそれを強く握る。完全に戦闘態勢になっている。「やる気か。だが、こっちもこの間のようにはいかない。こっちには切り札を用意しているからな。『毒をもって毒を制す』だ」 するとリーダー格は、懐から何かを取り出した。それは、モンスターボールだった。だが、ユウミなどが持っているモンスターボールとはカラーが違う。赤い部分が群青で塗られているのだ。リーダー格は無言で中央のスイッチを押すと、モンスターボールが開かれ、飛び出した光がフィリーネの目の前で1体のポケモンの姿に変わった。それは、炎のような模様がある卵型の赤い体、そして大砲のような円筒形の腕を持つ、人型に近い姿のポケモンだった。そのポケモンの体からは熱波が出ており、その熱さがこちらにも伝わってくる。「あれは、ブーバーン!!」 ユウミが叫んだ。すぐにユウミが取り出したのは、Pフォンだった。そして器用にタッチして操作する画面を除くと、画面には目の前にいるポケモンと同じ画像が映った。爆炎ポケモン・ブーバーン。火山の火口付近で生息し、2000℃の火球を放つという。その体温は1200℃。こんなポケモンと生身の人間が戦う事は、何をどう考えても無謀である事は、誰の目にも明白だった。じっとにらみつけるブーバーンに対し、フィリーネは攻撃に備えて剣を両手で構え、にらみ返す。彼女も引く気はないらしい。「やれ、ブーバーン!!」 リーダー格が指示すると、ブーバーンは右腕をフィリーネに突き出す。フィリーネが気付いた時には、右腕は爪を引っ込めて1門の大砲と化し、その穴から火球が飛び出した。フィリーネはすぐに剣を振り、火球を弾き返す。弾き返された火球が、フィリーネの横で爆発した。だがブーバーンは、続けて連続で火球を放つ。今度は弾き返せないと判断したのか、フィリーネはかわす。紙一重だ。マントの端が炎で少し焼かれた。それでも、一気にブーバーンとの間合いを詰める。「はあああああああっ!!」 フィリーネが剣を振る。ブーバーンの体に切り傷が走り、青い血が流れたのが見えた。だが、まだ決定打にはなっていない。ブーバーンは少しよろけて後ずさりしただけで、まだ戦えるほどの体力を残している。そんな所に、向かってきた数名の兵士達がフィリーネを狙って発砲した。すぐにフィリーネはジャンプしてかわす。人間とは思えないジャンプ力。そして、一気に横にいた兵士の背後に着地した。その兵士が気付く前に、フィリーネは剣の一閃を浴びせた。赤い血を流して崩れ落ちた兵士をよそに、すぐにブーバーンや兵士達の銃撃に注意しつつ、次の兵士に狙いを定める。「ここは任せろ。残りはあの小僧達をやれ」 リーダー格が指示すると、残りの兵士達は一斉にライフルを向けてユウト達に向かってきた。その姿に、ユウトはひっ、と怯えた声を上げてしまった。「ユウト!! ユウミ!!」 2人が狙われている事に気付き、フィリーネがブーバーンから顔を逸らしてしまう。だが、すぐに兵士のライフルが発砲され、フィリーネの左の頬を僅かに切り裂いた。そこから青い血が流れ、フィリーネは一瞬だけ顔を歪めたが、続けて飛んできた弾は、すぐにかわしてみせた。「フィリーネさん、こっちの事は心配しないで!!」 だが、ユウミは怯まなかった。左腰に着いているホルダー――モンスターボールホルダーを開け、1個のモンスターボールを取り出した。「行って、カイリキー!!」 そう叫んで、ユウミはモンスターボールを投げた。そして開かれたモンスターボールから飛び出した光が、1匹のポケモンの姿へと変わる。それは、一見すると人間のようだが、4本の手を持ち、上半身裸で筋肉質の青い体を持つ、まさにボディビルダーのような風格のポケモンだった。怪力ポケモン・カイリキーである。その姿に驚き、兵士達は足を止め、すぐにライフルを構える。「“ビルドアップ”!!」 その瞬間ユウミが指示すると、カイリキーは4本の腕で力こぶを作るように、力を込める。そこに、兵士達がライフルで発砲し、弾丸が容赦なくカイリキーを襲うが、カイリキーはものともせずに兵士達に間合いを詰めていく。生身の肉体で銃弾を跳ね返すなど、ユウトから見れば信じられない事だった。彼は知らなかったが、“ビルドアップ”は肉体を強化する事で、攻撃力だけでなく、防御力も高める事ができるのだ。「さあ、やっちゃって!! “バレットパンチ”!!」 ユウミが指示すると、間合いを詰めたカイリキーは、4本の腕で一気に目にも止まらぬパンチを連続で繰り出していく。ユウトから見れば、本当に殴っているのかもわからないほどの速さだ。それによって、次々と兵士達が殴り飛ばされ、倒れていく。たちまちパニック状態になった兵士達はライフルを撃つが、カイリキーの強化された肉体にはかすり傷すら与えられない。そんな兵士達も、次々とカイリキーのパンチで殴り飛ばされていく。中には、血を流して動かない者もいる。「す、凄い……」 ブレイズと共に戦いの成り行きを見守るユウトは、それしか言葉が出なかった。カイリキーの強さに驚いたのもあるが、何よりそんなポケモンを、ユウミが的確に操っている事に驚いていた。「フフ、カイリキーは、その気になれば1秒間に500発パンチを浴びせられるの。そんなパンチを人が受けてみなさい。本当ならこんな事したら**(確認後掲載)けど、そんな事かまってなんかいられないわ」 横でユウミが、得意気に言った。 やはりユウミは、気が強い。昔から何かに負けっぱなしでいる事は嫌いで、口より先に手が出るほどだ。このような事があっても、決して怯む事はせずに立ち向かっていくその心の強さを、ユウトは改めて感じたのだった。 左の頬の傷が痛むが、気にしてはいられない。フィリーネはブーバーンの攻撃を的確にかわしつつ、周囲の兵士達を倒していく。一時はユウトとユウミが危険にさらされると思ったが、ユウミが自身の力で対処している。こちらはこちらの戦闘に、安心して集中する事ができる。 フィリーネは遂に、援護する兵士達を全て倒した。後は、ブーバーンとリーダー格だけである。「くそっ、1人程度のポケモンヒューマンがなぜ倒せない!!」 リーダー格は思うように戦えていないからか、若干焦りが見える。それは、こちらにとって武器となるものだ。戦いというものは、冷静さを失っていった者から負けていくものなのだ。 ブーバーンが腕から火球を次々と放つ。それを剣で弾き返しつつ、間合いを詰めていく。ブーバーンはすぐに接近戦の態勢を取る。こちらを殴ってくるつもりなのだろう。「来るぞ!! 応戦しろ!!」 リーダー格の指示に答え、ブーバーンはフィリーネに向けて拳で殴ろうとした。そして、拳が突き出されようとした瞬間を見計らい、フィリーネは地面を蹴って高く飛び上がった。そのまま、ブーバーンの頭上を飛び越えてしまう。フィリーネの狙いは、ブーバーンではない。ブーバーンを操るリーダー格だ。指揮する人物を先に倒せば、有利に戦える。そういう判断によるものだ。 剣を振り上げ、落下しながらリーダー格に狙いを定める。リーダー格はこちらの存在に気付き、驚いた表情を見せている。そのためか、対処が遅い。それが命取りとなった。「おおおおおおっ!!」 フィリーネは躊躇いもなく、剣を振り下ろした。そして地面に着地した瞬間、目の前に立っていたリーダー格は、声を上げる事もなく、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。すぐにブーバーンの状態を確かめる。ブーバーンは指揮する人物が倒された事に驚き、戸惑っている。その隙を突いて、フィリーネは剣を振りかざし、一気にブーバーンに接近する。ブーバーンがすぐに気付き、火球を放とうと右腕を突き出したが、その時にはもう、フィリーネはブーバーンに剣で攻撃できる距離にいた。剣をしたから振り上げると、ブーバーンの右腕は青い血と共に肘から切断された。たちまち切断された腕は宙を舞い、フィリーネの後ろに落ちた。悲鳴を上げたブーバーンの隙を突き、フィリーネは剣を振り下ろし、更に横に切り払う。連続で切り付けられたブーバーンは遂に、目の前に倒れてしまう。流れる青い血がダメージの多さを物語っている。立ち上がる事もままならない。 止めだ。フィリーネは剣を強く握りしめる。すると、剣の刃が徐々に光を帯び、力強く輝き始める。自身のパワーを剣に集めているのだ。フィリーネは剣を後ろに引いて構える。ブーバーンがその光景を見て驚いた様子を見せたが、フィリーネは躊躇いもなく剣を振り下ろした。「“エクストリームアタック”!!」 ブーバーンの体は、力強い光を纏った剣に容赦なく一刀両断された。ブーバーンが断末魔の悲鳴を上げる。フィリーネがブーバーンに背中を向け、光が消えた剣を横で1回振った瞬間、ブーバーンはフィリーネの背後で爆発を起こした。そこに、ブーバーンの姿はもうなかった。 目の前の敵は倒した。フィリーネはすぐに、ユウトとユウミの状態を確かめるために振り向く。「フィリーネ!」「フィリーネさん!」 ユウトとユウミがこちらに駆け寄ってきた。その背後には、倒れた兵士達がいる。どうやらユウミが全て倒したようだ。それを確かめて軽く念じると、フィリーネの体から鎧と剣が光となって消え、元の私服姿に戻る。「どうやら、敵は全て倒したようですね」「ああ、ユウミがやってくれたんだ」「あたし、こう見えてもポケモンバトルは強いんだからね!」 ユウトがフィリーネに答えると、ユウミは見たか、と言わんばかりに胸を張った。ポケモンバトル、という言葉の意味はフィリーネは知らなかったが、彼女は優秀な『魔獣使い』である事は、すぐに理解できた。「フィリーネ、怪我は大丈夫か?」 ユウトがふと、そんな事を問う。そう言われて、フィリーネは頬に傷がある事を思い出した。今までその事を忘れて、ひたすら戦っていたのだから。「気にしないでください。この程度の傷、すぐに治せます」 フィリーネはそう答え、頬の傷に右手を当てた。すると、すぐに傷は塞がり、青い血と共に痛みも消えていった。それを見てユウトはよかった、とつぶやいた。「さ、片付いた事だし、さっさとここを離れましょ! またあいつらの援軍が来たら、たまらないからね!」「ああ」「はい」 ユウミの言葉に、フィリーネはユウトと共にうなずいた。そして、ユウミに続く形で、その場を駈け出して行った。 自分の記憶を探すための旅はまだ、始まったばかりである。これから先、自分の前にどんな敵が現れるのかはわからない。だが、目の前に立ちはだかるものは、自らの手で倒すまで。自分の進むべき道は、自分の手で切り開く。そして失った記憶を、必ずや取り戻してみせよう。 フィリーネは心の中で、そう誓うのだった。続く
フィリーネは立っていた。 彼女の周囲は、燃え盛る赤い炎に包まれている。焼けて廃墟となった建物のようなものもいくつか見えるが、具体的にどこなのかはわからない。 そして目の前にいるのは、グレーのスーツを身に着け、ライフルを手にした兵士達。それは、ユウトの家にも押し掛けてきた、あの集団の兵士達であった。その数、10人、20人、30人……彼女にはわからない。彼らはこちらに真っ直ぐライフルの銃口を向け、発砲してくる。 敵が何人いようと関係ない。私の剣で倒すのみ。 フィリーネは剣を強く握った。 そして、目の前を飛んでくる銃弾を剣で弾き返しつつ、兵士達に突撃していく。あっという間に間合いが詰まり、フィリーネは兵士達を次々と剣で薙ぎ倒していく。次々と悲鳴を上げ、倒れていく兵士達。 だが、何人倒しても、次々と現れる兵士達。そして、止む事のないこちらへの銃撃。それでも、フィリーネは怯まない。この程度の敵は、彼女にとって雑魚に過ぎないのだ。いつ途切れるのかわからない兵士達の群れが、フィリーネを取り囲む。それでもフィリーネは怯む事なく剣をふるい続け、兵士達を倒し続けたのだった。 * * * フィリーネの目が、一気に開かれた。 目の前に移るのは、テントの天井だ。日の光で照らされて、ほのかに明るくなっている。どうやらもう朝になったらしい。それを見て、フィリーネは今までテントの中で眠っていた事を思い出した。寝袋の中に入れていた体を、ゆっくりと起こす。「今のは、夢……?」 その事にようやく気付いたフィリーネだったが、妙に違和感を覚えた。 夢の中で、自分は戦っていた。あの時現れたものと同じ兵士達と。夢にしては、妙にはっきりと覚えている。現実に起きた物事と同じように。だが、あのような場面は自分の記憶にない。あれは、失った自分の記憶の一部なのだろうか。もしそれが事実ならば、あの集団を見た時に、彼らを知っているような気がしたという事実は気のせいではないという事になる。 とはいえ、それ以上考えても記憶の鍵は見つからない。朝起きた直後から、失った自分の記憶の事についてあれこれ考えている事は、気分がいいものではない。フィリーネはそっと立ち上がり、テントの外に出た。 外に出ると、明るい日差しが、彼女の目を刺激した。そして、目の前に広がるのは立ち並ぶ木々の葉が風で揺れる、森の景色だ。自分達は、森の中でキャンプを張り、一夜を過ごしていたのである。同時に、漂ってくる何かを焼くいい香り。その先には、用意されたテーブルの周囲にいるユウトとユウミの姿が見えた。「あ、フィリーネ、起きたのか。お早う」「フィリーネさん、お早う」 2人がフィリーネの姿に気付き、挨拶する。ユウトの足元にいたブレイズも、一声鳴いて挨拶した。ユウミを見ると、テーブルの上で何かの台のようなものの上にフライパンを置いて、卵を器用に焼いている。ユウミが実際に調理している場面を見るのは初めてだったが、彼女は火を一切使わずに調理しているのだ。その事に、フィリーネは驚いてユウミの側に駆け寄り、フライパンを置く台のようなものをじっと見つめる。「おいフィリーネ、ユウミは料理中だから邪魔するなよ」 その姿に気付いたユウトが注意する。そんなユウトに、フィリーネは自らの疑問を口にした。「いえ、なぜ火を使わずに料理ができるのか、不思議で……」 その言葉を聞いた瞬間、手を動かしながらユウミがクスクスと笑った。「フィリーネさん、これはIH調理機って言って、火を使わないで料理できるのよ」「火を使わずに!? ならば、どうやって焼いているのです!?」「まあ、簡単に言うと火の代わりに板を直接温めて火の代わりにするの。だから空気も汚さないし、掃除も簡単なの」 手を動かしながらのユウミの説明を聞いたフィリーネは、なるほど、不思議な機械だ、とつぶやいた。世の中には、不思議な機械が多いものだ、とフィリーネは思わずにはいられない。ユウトとユウミの周りには、なぜこういうものが多いのか、と疑問に思ってしまう。 そんなフィリーネの前で、目玉焼きが焼き上がった。それを紙製の皿に盛り付け、テーブルに置く。その時、ブレイズも興味深そうに、その目の高さでは見えないであろうテーブルの奥を見つめていた。それを見たフィリーネは、ブレイズが何か『言葉を発した』事に気付いた。それを確かめたフィリーネは、ユウトに聞く。「ブレイズには、それを与えないのですか?」「え? 何言ってるんだよ。ブレイズには別にエサを用意しているから……」「ブレイズは、『これを食べたい』と先程言っていました。それなのに与えないというのは不公平なのではないですか?」「え……?」 フィリーネの言葉を聞いた瞬間、ユウトとユウミは食事の準備をしていた手を止めてしまった。その時、ブレイズがまた、『言葉を発した』事に気付いた。ブレイズはユウトの足元にやってきて、何かを催促するように前足でユウトの足に飛び付く。「ほら、今も『早くちょうだい』と……」「まさかフィリーネ、ポケモンが言っている事がわかるのか!?」「ええ、ブレイズのようなポケモンの言葉は、何となくですけど聞き取れますが……何か?」 ユウトの問いに、フィリーネは普通にうなずいた。 フィリーネには、ブレイズが先程目玉焼きを欲していた事を、鳴き声を聞いただけで理解できていた。人間の言葉とは違うものだが、フィリーネはごく自然に理解する事ができたのである。といっても、実際に人の言葉として聞こえるのではなく、その鳴き声の意味が何となくわかる、に過ぎないのだが。「……そっか、フィリーネさんはポケモンヒューマンだから、同じ存在のポケモンの言葉がわかるのは当然の事なんじゃない? ポケモンは全部鳴き声が違うけど、違う種族同士でもコミュニケーションは取れるって話だしね」 ユウミは納得してつぶやいた。へえ、ポケモンってそんな事ができるのか、と納得するユウトに、そんな事くらいポケモントレーナーの常識よ、と返すユウミ。フィリーネも、ユウトと同じく、そのような知識はなかった。自分の事を『ポケモンヒューマン』と呼ばれるのも、それが所以なのだろう。何せ自分は、ユウミが『ポケモントレーナー』と呼ぶ存在ではないのである。そもそもフィリーネは、『ポケモントレーナー』がどんな存在なのかも理解していなかった。「で、あげないのですか? ブレイズに」「あのなあフィリーネ、いくらポケモンが欲しがってるからって言って、何でもかんでもあげたらわがままになっちゃうだろ。こういう事はしっかりしつけなきゃダメなんだよ」 フィリーネが問うが、ユウトはそう答えてブレイズの前足を下ろさせ、欲張りを言うなよブレイズ、と注意し、予め用意していたというエサを差し出した。それは、茶色の小さな塊で、フィリーネから見ればあまりおいしそうには見えなかったが、ブレイズは特に味に関しては文句を言っているようには見えなかった。ユウトが言った言葉が一理あった事もあり、フィリーネはそうですか、と反論する事はなかった。 何はともあれ、これで3人は朝食を取る事となった。ユウミが作った目玉焼きは、やはりうまく焼き上がっていて、文句なしの出来であった。そんな目玉焼きを欲するように、ブレイズがフィリーネに近づくが、フィリーネは贅沢はいけませんよ、としっかりと注意した。「さて、テレビでもつけるか」 ユウミがふとそうつぶやくと、懐からある機械を取り出した。ユウミが警察を呼ぶ時に使った、あの機械である。その画面を器用に何度かタッチしてから、折り畳んでいた細長い棒のようなものを伸ばし、テーブルに置く。『……では、次のニュースです』 画面に映ったのは、以前フィリーネが見て驚いた、テレビと同じように、小さな画面に男の姿が映り、やはり普通に喋っている。その光景に、フィリーネは当然驚いた。ただでさえ、ユウトの自宅にあったテレビにも驚いたのに、このような手に簡単に収まるほどの小さい機械の中に、人の姿があるのである。「こ、これはテレビ……!? こんな小さいものの中に、なぜ人が!?」 思わず声を上げ、Pフォンを手に取るフィリーネ。それでも画面に映る男は平然と喋り続けている。それを見て、ユウトは呆れた表情を見せたが、ユウミはそれを予想していたように、クスクスと笑っていた。「驚いたでしょ、フィリーネさん。このPフォン、テレビとしても使えるんだよ」「ユウミ、これは一体どういう……」「遠くにいる人の様子を映しているのよ」「遠くにいる人の様子を……!? 一体どうやってそれを!?」「難しく考えちゃダメよフィリーネさん。『なるものはなる』って考えればいいじゃん」「なるほど……」 なるものはなる。その言葉に納得したフィリーネは、それ以上詮索するのを止めて、Pフォンを元通りに置く。「そうかユウミ! なるものはなるって言葉があったか! よく思いついたなあ!」「お兄ちゃんが説明力不足なだけよ」 ユウトとユウミがそんなやり取りをする中でも、画面の中の男は、相変わらず喋り続けていた。この間と同じ、また山火事が起きたと話している。かなり広範囲が焼けたものの、どうやら死傷者は出ていないらしい。フィリーネは彼がなぜこのような事を自分達に話してくれるのか、不思議に思っていた。だが、先程ユウミが言った通り、そこは難しく考えてはいけない。「なるものはなる」 フィリーネはそうつぶやいて自分を納得させ、食事を続けた。「また山火事……? 最近何だか変だよね……次から次に山火事が起きるなんてさ……」 ユウミが画面を見て、そうつぶやく。「そういえばそうだな……確かに何か起き過ぎだよなあ……」「まさか、天変地異の前触れとか言わないよね……?」 ユウトとユウミは、そんなやり取りをしている。その時、画面の中の人物が、話題を切り換えた。変な事と言えば。フィリーネは、昨夜の夢の事を思い出した。「そういえば、昨夜私は夢を見ました」 フィリーネが口を開くと、ユウトとユウミの視線がこちらを向く。「え、夢って……どんな夢?」「あの謎の集団と、戦っている夢でした。私は炎が燃え盛る見知らぬ場所で、彼らと戦っていたのです。あの光景、夢にしては今でもはっきりと印象に残っていて……」 フィリーネは説明する。それと同時に、あの夢の光景が鮮明に蘇る。やはり夢でありながら、ここまで鮮明に記憶が残るのは不自然だ。「もしかしてそれって、フィリーネの失った記憶かもしれない、って事か?」 ユウトの言葉に、フィリーネはうなずいた。「はい、やはり自分は、彼らの事を知っていた事に、間違いはないと思います。ですが、あそこは一体……? なぜ、私はそこで……?」 フィリーネは顔をうつむけた。考えれば考えるほど、謎は深まる一方である。自分の知らない場所で、あの集団と戦っていた自分。炎に包まれたあの場所はどこなのだろうか。そこでなぜ自分は、あの集団と戦っていたのだろうか。心当たりは全くない。「まあ、そう考え込まなくていいよフィリーネ。まだ手掛かりは集まってないしさ」「せいては事を仕損じるって言うでしょ。その手掛かりをこれから集めていくために、あたし達は旅を始めたんだから」「そう、ですね……」 ユウトとユウミに諭され、フィリーネはそこまでで考えるのを止めた。ここでいくら考えた所で、手掛かりは何も見つからない。だが、それでもフィリーネは、バラバラになったパズルのピースを手探りで探すようなもどかしさを隠せなかった。そして、そのパズルが完成して現れる絵が何を映し出しているのか、不安な部分も僅かにあったのである。『では、次のニュースです。昨日、サクラシティ郊外の住宅において、2人の学生とポケモントレーナーが、殺害されているのが発見されました』 画面の中の人物が、話題を切り換えた。サクラシティという言葉に反応し、ユウトとユウミが顔を画面に向けた。だが、そこに映っている映像を見て、2人は絶句し、食事の手を止めた。画面に映っていたのは、紛れもなくユウトの自宅だったのだ。『殺害されたのは、この住宅に住んでいた学生、シラセ・ユウト15歳と、ポケモントレーナー、シラセ・ユウミ14歳で……』 そして画面から発せられたのは、紛れもなくユウトとユウミのフルネームだった。2人がなぜ殺された事になっているのか。ユウトとユウミはもちろんの事、フィリーネも驚きを隠せなかった。ユウトとユウミの手から、フォークがテーブルに滑り落ちた。「どういう事だよ……!? なんで俺とユウミが殺された事になってるんだよ!?」「あたし達、まさか死んだ事を忘れてる、なんて事ないよね……? ねえフィリーネさん! あたし達は殺されて幽霊になってなんかいないわよね!」 動揺を隠せないユウトと、フィリーネに念を押すように問うユウミ。「は、はい……」 だが、当のフィリーネも驚きを隠せない状態だったため、拍子抜けした返事しか返せなかった。それでもユウミは、よかった、と胸をなで下ろしていた。ユウトとユウミは、間違いなく生きている。だがテレビの中では、なぜか2人が殺された事になっているとは、一体どういう事なのか。フィリーネには全く理解する事ができなかった。 * * * 地平線の彼方にまで広がる森の上空。 そこに、不意に複数のヘリコプターが空から浮かび上がるように姿を表した。それは地味なカラーで塗装され、ボディには本来描かれているべき所属を表すものがどこにも描かれていない。『彼ら』は、その存在を一般には知られていない。それ故に、その存在が一般に知られる事があってはならない。だから、自らの存在を隠蔽するために、所属を表すものは描いていないのだ。今までヘリコプターの姿を隠していたのも、同じ理由だ。カモフラージュステルス。そう呼ばれる装置が、ヘリコプターのカラーを周囲の景色に同化させる事により、『姿を消して飛ぶ』という事を可能にしているのである。これはポケモンの技“保護色”を解析して生み出されたシステムであり、『彼ら』はこのような装備『モンスター・アームド』を複数所持している。全ては、これから行う目的のためだ。 ヘリコプターの機内では、複数の兵士達が、無骨な席に腰を下ろし、目的地に到着するのを待っている。その中に、彼――Fの姿があった。彼は、このような機内であってもサングラスを外していなかった。「F隊長、まもなく目標地点に到着します」 1人の兵士の言葉を聞いて、Fは顔を上げた。「……わかった。各員、戦闘準備を整えろ」 すぐに、周囲の兵士達に指示を出すと、兵士達はすぐに自らが持つライフルのチェックなど、身の回りの最終確認をする。全員の顔が緊張している。兵士たるもの、誰だって死にたくはないのである。それはFとて例外ではないが、幾多のミッションをこなしてきたFにとっては、この感触も心地よいものに感じる。むしろ彼には、自分にとって憎い『モンスター』――人々が『ポケットモンスター』、略して『ポケモン』と呼ぶ存在を再び駆逐する事ができる事への、一種の楽しみが湧き上がっていた。 ヘリコプターが、ゆっくりと降下を始めた。それと同時に、後部にあるカーゴベイが開かれ、強めの風が吹き込んでくる。兵士達は席を立ち、いつでも行動できる態勢を整える。森の中にある開けた平原に、ヘリコプターはゆっくりと降り立った。「よし、行くぞ!! 戦闘開始だ!!」 その瞬間、Fの指示で兵士達はライフルを構え、一斉にヘリコプターから飛び出した。Fももちろん、共にヘリコプターから降りる。別のヘリコプターに目を向けると、中から機関銃を積んだジープが降りてくるのが見えた。全ての人員を降ろしたヘリコプターは、離脱するために再び空に飛び上がった。 彼らの目の前にいるのは、驚いた様子でこちらに視線を向けているポケモン達。中には、多数の人間が現れた事に驚き、その場を離れていくものもいた。この森にいるポケモン全てが、自分達にとって敵だ。 Fはすぐに手で合図を送る。すると兵士達は、そんなポケモン達に向けて、容赦なく攻撃を開始した。たちまち飛んでいく銃弾の雨。ポケモン達はすぐに一斉に逃げ出したが、多くのポケモンは銃弾の雨に貫かれ、青い血を流して沈黙する。もちろん、ポケモン達もすぐに応戦し、たちまち激しい戦闘が始まった。人知を超えた能力を持つポケモンに対して生身の人間が挑む事は、多分に冒険的な部分が大きい。だが、彼らは対ポケモン戦闘の厳しい訓練をこなしてきた専門家達だ。ポケモンに対してどのように戦うべきなのかは、熟知している。ポケモンに対して一歩も引かずに立ち向かい、地形を利用してポケモンの攻撃から身を守りつつ、次々とポケモンを倒していく。「モンスター共めが!!」 前線で指揮を取るFも、手にしたライフルを使い、残弾に気を配りつつ、目の前に現れたポケモンから狙いを定め、トリガーを引いていく。その度に、ポケモン達は目の前で青い血を流し倒れていく。自分にとって忌まわしき存在が、自分に手によって倒れていくその光景に、Fは快感を覚えていた。 すぐ横で、爆発が起きる。何人かの兵士が吹き飛ばされたのが見えた。その光景に驚き、兵士達は一瞬怯んで動きを止める。「怯むな!! 攻撃の手を緩めずに前進しろ!!」 Fは大きく声を出して近くの兵士に指示する。あちこちから攻撃が飛び交い、爆発が起こる最中では、叫ぶように声を出さないと近くの兵士にも指示は届かないのだ。それを聞いた兵士達は、後方からの援護射撃を受けつつ、攻撃を続行していった。 かくして、この森もまた、地獄絵図となろうとしていた。 * * * 食事を終え、道のない森の中を歩き出したユウトとユウミ、フィリーネの3人。道路を歩く方が危険は少ない事は明白だが、ユウミ曰く「旅のポケモントレーナーはみんなそうしてる」らしい。どうやら野生のポケモンを捕まえながら旅するなら自然とこうなるとの事である。フィリーネはその言葉に従い、他の2人と共に森の中を歩いている。森の中の空気そのものは心地よいものであったが、今の3人には違う空気が覆っていた。「やっぱり考えうる理由は1つよ……あいつらよ! あの訳わかんない集団がきっと、何かニュースに仕込んだんだわ……! 情報統制って奴ね……!」 ユウミはそうつぶやいて、わなわなと右手の拳を震わせた。「でもそうだとしたら、どうしてあいつらは俺達を殺した事にしたんだよ?」「きっと、あいつらは秘密組織なのよ! 自分達の事が知られたらマズイ事があるから、逃げ出したあたし達の存在を抹消したのよ! 映画とかでよくあるでしょ? それに実際に、騒ぎが大きくなったらまずいからな、って言ってたでしょ!」「まあ、確かにそうなら納得いくけど……これから俺達、どうするんだよ? このままずっと……」 ユウトとユウミは、そんなやり取りをしている。2人は自分達が勝手に殺された事になってしまったあのニュースに、動揺を隠せない様子が今でも続いている。出発した時から、この事ばかりを話しているのである。 だが、フィリーネはそれとは別に、気になる事があり、2人の話をあまり聞いていなかった。 先程から、遠くで小さく響く爆発の音。それが聞こえてくる方向から何か妙な気配を感じており、気になって仕方がないのだ。その気配は、自分にとって『危険な臭い』であるように感じるのである。「そういえばフィリーネ、さっきから黙ってるけど……どうしたんだ?」 ユウトの言葉が耳に入り、フィリーネは現実に引き戻される。「いえ、何か妙な気配を感じて……」「ひょっとしてあの爆発音の事? あれなら、きっと誰かがポケモンバトルでもしてるのよ。気にしないで」 フィリーネの言葉には、ユウミが答えた。だが、フィリーネは『ポケモンバトル』という言葉を初めて聞いた。ポケモンという単語の意味こそわかるが、ポケモンバトルという言葉が意味するものを、理解する事ができなかった。「ポケモンバトル……?」「ああ、ポケモン同士を戦わせる競技の事よ。あたしだって、それをやってるポケモントレーナーの1人なんだからね」「そんな競技があったのですか……」 フィリーネはユウミの説明に納得した。ポケモン同士が戦うとなれば、あれだけの音は起きて当然だ。それに、ユウミが以前に言っていた『ポケモントレーナー』という言葉の意味も理解できた。このポケモンバトルをする人の事が、ポケモントレーナーなのだ。ポケモンを収納していたモンスターボールというらしいカプセルも、そのための道具なのだろう。ユウミの説明にユウトは、俺はそれあまり好きじゃないけどな、とつぶやいた。「そうだフィリーネさん、せっかくだからなぞなぞでも出すわ」 ユウミが不意に、そんな提案をした。こういう時こそ、気分を明るくしないとね、と言葉を付け足す。「なぞなぞ……?」「では問題。パンはパンでも、食べられないパンって、なーんだ?」 ユウミの出したのは、1つの問いだった。その問いを、フィリーネは少し考えみる。そして、自分が導いた答えを言った。比較的簡単なものだ。「パンはパンでも食べられないパン……それは、『腐ったパン』なのではないですか?」「はあ!?」 それを聞いた瞬間、問いを出したユウミも、2人のやり取りを聞いていたユウトも、声を揃えて裏返し、足を止めた。フィリーネも、なぜそんなリアクションをされたのかが全くわからずに、自然と足が止まった。そのまましばしの沈黙。「な、何ですか、その反応は……?」「いやフィリーネさん、確かにそうだけどさ……これはなぞなぞなんだよ? もう少し捻って考えてみてよ」「捻って考えてみてって言われましても……」 フィリーネの回答は合っていたようだが、間違っていたらしい。一体どういう事なのだろうか。フィリーネは言われた通りに本当の回答を考えてみるが、『捻って考える』の意味がどうも掴めない。とりあえず、フィリーネは思いついた答えを言ってみる。「では、『焼き過ぎたパン』ですか?」「違う違う!」「では、『味が悪いパン』……」「だから違ーうっ! もう正解言うわ。フライパンよ」「何……!?」 フィリーネは答えを聞いて愕然とした。答えとなっていたものは、パンとは似ても似つかないものだったのだ。フィリーネは納得がいかずに食い下がった。「それは一体、どういう事なのです!? フライパンはパンではないでしょう!?」「いや、だって名前に『パン』ってあるじゃない。ダジャレよ、ダジャレ」「ダジャレ……何を訳のわからない事を! 何をどう言おうと、フライパンはパンとは別物です!」 フィリーネは、『ダジャレ』という言葉の意味を全く知らなかった。そんな事を言われたユウミは、一瞬言葉を失ってしまった。「フィリーネさん、ダジャレも知らないの……?」「ほら、『蒲団が吹っ飛んだ!』とかいう奴だよ」 驚くユウミに代わり、ユウトが説明したが、フィリーネには蒲団が吹っ飛んだ、という何の変哲もない言葉に何の意味が込められているのか、全く理解できなかった。「……それが何だと言うのですか?」 フィリーネが返した言葉に、ユウトとユウミは完全に閉口してしまった。再びしばしの沈黙。するとユウミが、何か思いついたように、ユウトに言った。「ちょっと! ダジャレを言ってるのは誰じゃ!」「何を言ってるのです? それは、ユウトしかいないでしょう?」 ユウミの問いに、フィリーネはすぐに答えた。そのような事をわざわざ問わなくてもわかるでしょう、と思いつつ。それを聞いて、ユウトとユウミは再び閉口して、フィリーネに視線を送った。フィリーネは、ユウミが発した言葉がユウトの発した言葉と共通点がある事に、完全に気付いていなかったのである。「な、何ですか?」「やっぱりフィリーネって、ダジャレわかんないんだ……」 フィリーネは視線が気になって恐る恐る問うと、ユウトが残念そうに肩を落とし、困ったような表情を浮かべてぽつりとつぶやくだけだった。「もういいわ。ダジャレの事は今度教えてあげるから」 ユウミも、半ば諦めたような表情を見せて、フィリーネに言って、歩き出した。続けて、ユウトも歩き出す。 フィリーネも歩き出そうとした、その時。 フィリーネは不意に、気配を感じ取った。背後から、何者が迫ってくる気配を。足を止めて振り向くと、すぐ近くの森から、どたどたと重い足音が聞こえてくる。間違いなく何かがいる。フィリーネはその先を強くにらみ、身構える。「フィリーネ?」 ユウトの声が、背後から聞こえた。その瞬間、森の中から何かが飛び出した。背の高い人くらいはある大きさだ。その影は、真っ直ぐこちらに襲いかかってきた。その影の正体を確かめるまでもなく、フィリーネは念じると、体が板金鎧とマントに包まれ、剣が手元に現れる。「はあっ!!」 フィリーネは剣を横に強く振る。その瞬間、影から青い血が飛び、フィリーネの頬に少しかかった。そして、影は重い音を立てて崩れ落ちた。改めて、影の姿を見てみる。それは、胸に白い輪が描かれている、茶色の熊だった。胸にはフィリーネの剣で切り裂かれた、青い血を流す大きな切り傷がある。「な、何なんだ一体?」「これは、リングマね!」 驚いて駆け寄ってくるユウトとユウミ。ユウミはすぐにPフォンを取り出し、器用に画面をタッチして操作すると、画面に目の前にいるものと同じ姿をしたポケモンの画像が映し出された。冬眠ポケモン・リングマ。その巨体に似合うパワーの持ち主で、前足で太い幹を簡単にへし折ってしまうほどである。フィリーネもその画面が気になって覗いていたが、わずかの間にそのような画面が映った事に、驚きを隠せなかった。「ユウミ、これは……?」「ポケモン図鑑よ。どんなポケモンの事も、これ1つでわかるんだから」 どうやら画面に映っているのは、ポケモンの図鑑らしい。だが、書いてある字がフィリーネには読めない。字が小さくて読めないのではなく、書いてある字が初見であり、何を意味しているのかがわからなかったのだ。「何と書かれているのですか?」「何って、自分で読んでみてよ」「いえ、この字は初めて見るもので……」「え!? もしかしてフィリーネ、字も読めないのか!?」 ユウトが驚いて声を上げた時、フィリーネは再び何かの気配が迫ってくるのを感じ、Pフォンの画面から顔を戻す。「また来ます!! 気をつけて!!」 フィリーネが言うとすぐに、今度は複数のリングマが一斉にこちらに走ってきた。かなり数は多い。その顔はどれも、何かに慌てふためいているようにも見える。上げている鳴き声も、意味を持たない叫びにしか聞こえない。それでもフィリーネは怯まない。誰であろうと、襲いかかる敵は倒すのみ。フィリーネは剣を構えた。「な、何なのこのリングマ!? フィリーネさん、なんて言ってるかわかる?」「どうやら我を忘れて暴れているようです!!」 フィリーネはユウミの質問に答えてから、剣を振りかざし、リングマに向かっていった。ちょっと待って、とユウミの声がしたが、それは耳に留めなかった。目の前に向かってくるリングマを、次々と剣で薙ぎ払っていく。あるものは最初のものと同じように腹を切り裂かれ、あるものは両腕を一気に両断され、怯んだ所をさらに切り裂かれ、倒れる。ふとユウトに目を向けると、ユウトの目の前にリングマが迫っている。ブレイズが炎を吐いて応戦しているが、リングマはそれでも止まらない。そのままリングマは、ユウトを体で跳ね飛ばしてしまった。「ユウト!!」 フィリーネはすぐに飛び出した。跳ね飛ばされ、倒れたユウトに、尚もリングマは向かってくる。このままでは容赦なく踏まれてしまう。フィリーネはユウトの前に素早く回り込み、リングマの前に立ちはだかる。そして、リングマの胸に剣を突き刺した。リングマの体を貫く刃。途端にリングマは動きを止めて悲鳴を上げる。フィリーネが素早く突き刺した剣を抜くと、リングマは崩れ落ちた。「無事ですか、ユウト!」「ああ、助かったよフィリーネ……」 フィリーネの言葉に、ユウトは安心した表情を見せて答えた。だが、それを長々と見ている暇はない。すぐにまた向かってきたリングマを迎え撃つ。リングマを次々と倒していく中で、フィリーネはユウミに目を向けた。 ユウミはなぜか、ただこちらを見ているだけだった。右手にはモンスターボールを握っているにも関わらず。これまではこのような敵に襲われた時は、ポケモンを呼び出して応戦していたのに。「ユウミ! なぜ見ているのです! あなたも応戦を!」 フィリーネは、援軍が欲しい訳ではない。戦う事はしないユウトならまだしも、ポケモンを呼び出して自分と共に戦っていたユウミが、戦う姿勢を見せない事に違和感を覚えたのである。呼びかけてはみたものの、ユウミは言葉を返さない。いつまでもそんなユウミを見てはいられないため、フィリーネはすぐに視線を戻し、リングマを倒す事に専念する。 向かってきたリングマを、また1頭倒した。そして、次のリングマに挑みかかろうとした時。「フィリーネさん、止めて!!」 ユウミはいきなり、そんな悲痛の声を上げた。「な!?」 フィリーネはその言葉に驚き、剣を振り上げようとした手を止めてしまった。そこに、1匹のリングマが飛び込んでくる。フィリーネがその気配に気付いた時には、リングマの体はフィリーネの目の前にあった。「ぐあっ!!」 フィリーネの体は、リングマの体に一気に跳ね飛ばされた。剣を手放してしまい、倒れたフィリーネに、尚も向かってくるリングマ。応戦しようにも剣は手元にない。フィリーネは素早く、体を横に転がせて攻撃をかわした。リングマは、フィリーネのすぐ横を通り過ぎて行き、森の奥へと消えていった。その後から現れるリングマの姿は、もうなかった。周りにいるのは、フィリーネが倒したリングマだけだ。全てが屍と化している。そんなリングマの中で、ユウミはただ立っていた。そんなユウミに、フィリーネは立ち上がって問う。「どういう事ですか、ユウミ!! なぜ敵に対して攻撃を止めろと……!?」「フィリーネさん……このリングマ達、何だかあたし達を襲う気はなかったみたいに見えたよ……それなのに、敵だと判断して殺すなんて……」 ユウミの強い視線が、フィリーネに突き刺さる。「何を言うのです!! このポケモン達は、私達に危害を加えようとしたのではないですか!! そんな敵に対して、情けをかけろと言うのですか!?」「だからって殺すの!? 敵だからって理由で!? 敵と判断したら、どんなポケモンでも関係なく殺す気なの!? フィリーネさんは、武士の情けって言葉を知らないの!?」 ユウミの訴えに、フィリーネは言葉を詰まらせた。ユウミ、というユウトのつぶやきが聞こえた。あの時は普通に謎の集団にポケモンで立ち向かっていたはずのユウミが、なぜそのような事を言うのだろうか。フィリーネには理由がわからなかった。フィリーネは、決して冷酷な性格ではない。彼女にとって、敵は倒す存在なのだ。何より、敵と戦うとなれば、相手の命を奪う事は必然的に起こる。それをためらえば、待つのは自らの死。戦いというものは、命の奪い合いなのだ。戦いに身を投じる者に、その事へのためらいがあってはならない。フィリーネはその理をしっかりと理解していた。ユウミはその理に逆らい、敵でありながら命を救えと言うつもりなのだろうか。「ユウミ、あなたは……!」 フィリーネが言おうとしたその時。「おいお前、何者だ!?」 突然見知らぬ声が、フィリーネの耳に入ってきた。見るとそこには、あの謎の集団の兵士達が、こちらに銃を向けている。結構な数だ。その後ろにはジープも数台見える。フィリーネは驚きを隠せなかった。今までユウミへの主張に夢中になって、その存在に気付けなかった事もあるが、ここにも彼らの手が及んでいた事は、思いもしていなかったのだ。「わっ!! お、お前達は……!!」「あの時の……!!」 ユウトの体が一気に強張った。ユウミもすぐに先程とは一転した驚きの視線を向けた。「何事だ?」「F隊長、部外者が紛れ込んでいたようです」 そこに現れた、サングラス姿の男。どうやらリーダーのようだ。兵士の1人はすぐに、彼に報告した。何、とサングラスの男は驚き、こちらに視線を向けた。サングラスによってその具体的な顔付きは見えなかったが、フィリーネは不思議とその顔付きをどこかで見たような感触がした。「すぐに始末しろ。我々の行動を見られた場合は、すぐに抹殺するのが鉄則だ」「抹殺!?」 ユウトが震えた声を上げた。やはり彼らは、自分達の命を狙っているらしい。フィリーネは、顔を動かさずに視線を横に向ける。その先には、先程手放してしまった剣が落ちている。隙を見て剣を拾い、彼らを倒す。フィリーネの本能は既に、戦うという選択肢を選んでいたのである。「む、お前は……!?」 その時、サングラスの男の視線がこちらに向いた。サングラス越しの目付きは見えないが、驚いているのは明白だった。「おい!! 奴は取り逃がしたポケモンヒューマンだ!! すぐに始末しろ!!」 サングラスの男はすぐにフィリーネを指差し、叫んだ。彼が自らの正体を知っていた事に驚いたフィリーネだが、考えている暇はない。兵士達は突然の指示に驚きながらも、こちらにライフルを向けた。フィリーネはすぐに駆け出した。すぐさま飛んできた銃弾。その音に驚き、ユウトがその場に伏せる。フィリーネは飛んでくる銃弾をかわしつつ、落ちている自らの剣に向かい、素早く拾い上げた。その時、目の前に飛んできた大型の弾。ロケットランチャーから放たれたロケット弾だ。フィリーネ、とユウトの声が聞こえる。フィリーネは素早く剣を横に振った。途端にロケット弾はフィリーネの真横に弾き飛ばされ、爆発した。サングラスの男が唇を噛んだ。「はあああああああっ!!」 フィリーネは叫び声を上げながら、剣を振りかざして向かっていく。すぐに銃弾が飛んでくるが、全て剣で弾き返す。あっという間に間合いが詰まっていく。危険を察知した兵士達はすぐに散開するが、フィリーネは逃げ遅れた兵士に狙いを定め、剣を振った。その不幸な兵士は悲鳴を上げながら、赤い血を流して倒れた。すぐに飛んできた銃弾を剣で弾き返しつつ、次の兵士に挑みかかる。「サンダース、フィリーネさんを援護するわよ!!」 ユウミはユウトと共に銃撃を防ぐために木の陰に身を隠しつつ、ホルダーからモンスターボールを取り出し、強く投げた。開かれたモンスターボールから飛び出した光が、1匹のポケモンの姿へと変わる。それは、全身が鋭い刺で覆われた、黄色の犬のようなポケモンだった。雷ポケモン・サンダースである。「“10万ボルト”!!」 ユウミの指示で、サンダースは正面にいる兵士に向けて電撃を放った。その電撃に驚いて兵士達が散開するが、1人の兵士が電撃を浴びて倒れた。続けざまにサンダースは電撃を放ち続ける。そんなサンダースの援護を受けたフィリーネは、近くにいる兵士達から次々と倒していく。「味方がやられたからといって慌てるな!! モンスター・アームドを使用しろ!!」 サングラスの男の指示が聞こえた。彼の姿が、フィリーネの視界に入った。彼は手に持ったライフルを下ろし、何やら調整を行っている。「隙あり!!」 フィリーネはすぐに飛び出した。敵が構えを解いた時ほど、攻撃するチャンスはない。フィリーネは一気にサングラスの男に間合いを詰め、剣を振り上げた。だがその時、サングラスの男はライフルを向けた。だが、この距離なら銃撃しても弾き返せる。フィリーネはそう判断し、速度を緩めなかった。 サングラスの男がトリガーを引いた。すると、ライフルの下に付いていた銃口から、弾が放たれた。だが、今までのとは違う。それは鉛の塊ではなく、白い光の粒に見えた。フィリーネが剣を振り下ろす。すると、白い光はフィリーネの前で一気に広がり、白く光る透明な壁を作り出した。それに、剣が受け止められた。そしてすぐに、強い衝撃でフィリーネは後方に弾き飛ばされた。「ぐあっ!?」 予想もしない壁の出現。フィリーネは驚きを隠せなかった。フィリーネの体は体勢を崩し、地面に強く倒れてしまった。サングラスの男が構えたライフルから、銃弾が飛んでくる。かろうじて剣を握っていたフィリーネは、剣を振って弾き返しつつ立ち上がる。あの壁は何だったのか。今はサングラスの男の前から消えている。ならばもう一度、とフィリーネは再び、剣を振り上げてサングラスの男に駆け出し、剣を振る。 だが、サングラスの男が何もしていなかったにも関わらず、白く光る壁が再び現れた。再び剣が受け止められる。「何!?」 フィリーネが驚いた直後、体は再び後方に弾き飛ばされる事になった。体が再び地面に叩きつけられた。 ライトスクリーンジェネレーター。彼らが使用するモンスター・アームドの一種だ。ポケモンの技“光の壁”などを解析して作られたこの装置は、防御用のフィールドを一定時間展開する事ができるのである。だが、そんな事を知る由もないフィリーネには、何が起きているのか全く理解できなかった。「どういう事だ……!?」 そうつぶやいた直後、横から兵士が狙っている事に気付く。フィリーネはすぐに持っていた剣を振ろうとしたが、飛んできたのは銃弾ではなく、雷のごとき電撃だった。電撃は一瞬でフィリーネの体を通り抜けた。これは剣では防ぐ事は不可能だ。「があああああああっ!!」 何とも例えがたい激しい痛みが、フィリーネの全身を通り抜けた。悲鳴を上げるしかないフィリーネ。しかも電撃はこれで終わりではなかった。兵士達が次々とライフルの狙いを定め、あの白く光る壁と同じように、ライフルの下に付いていた銃口から電撃が放たれる。次々と電撃がフィリーネの体を襲い、体を通り抜ける痛みは更に激しくなっていった。フィリーネは知る由はなかったが、このモンスター・アームド、ディスチャージャーは“放電”などの電撃系の技を解析して作られた、電撃光線を放つモンスター・アームドなのだ。 すぐに電撃が止む。攻撃は一瞬の出来事であったが、フィリーネの体には既に、かなりのダメージが蓄積していた。自力では立ち上がるのは困難だ。剣を杖代わりにして、かろうじて立ち上がれた。「フィリーネ!!」 ユウトの声が聞こえた。ユウミはサンダースに援護に向かうように指示を出したが、他の兵士達の攻撃が激しく、近づけない。「お前の手の内はわかっている。ポケモンヒューマン、ブリッツ」 サングラスの男が手に手榴弾を持って言った。「ブリッ、ツ……!?」 ブリッツ。そう呼ばれた事に、フィリーネは戸惑いを隠せなかった。ブリッツとは何を指しているのか。なぜ彼は自分をそう呼ぶのか。それを考える余裕はなかった。サングラスの男が、手榴弾を投げたのだ。フィリーネはすぐに剣を振って弾き返そうとしたが、体が言う事を聞かずにふらついてしまう。手榴弾はフィリーネの目の前で、容赦なく爆発した。「ぐわあああああっ!!」 体が再び、地面に叩き付けられた。爆発によって上半身を覆っていた鎧が砕け、水色のブラウスが剥き出しになってしまっている。腹から流れる青い血。頭からも、血が流れている事をフィリーネは感じ取った。鎧がなければ即死だっただろう。「フィリーネ!!」 ユウトの悲痛な声が聞こえてきた。「さあ、これで終わりだ!!」 とどめとばかりに、サングラスの男はライフルを向けた。く、と唇を噛むフィリーネ。満身創痍のフィリーネにはもはや、立ち上がれるほどの体力はなかった。ここで最期なのか、とフィリーネは思ったが、死ぬ事への恐怖は不思議となかった。 だがその時。 突然、他の兵士達が悲鳴を上げたと思うと、次々と倒れていく。「何だ!?」 サングラスの男も驚いて辺りを見回すと、彼にも一筋の槍のごとき閃光が襲いかかった。サングラスの男はそれに気付き、素早くその場を動いてかわす。閃光は地面を貫き、小さく爆発する。その後も、どこからともなく兵士達に降り注ぐ閃光。銃弾のようだが、それは紛れもなく光そのものだった。「だ、誰だ……?」 フィリーネは残された体力で体を僅かに起こし、閃光が飛んできた方向に目を向ける。そこに、いつもとは違う何かの気配を感じる。人間のようにも感じるし、ポケモンのようにも感じる。フィリーネにとって、初めて感じる気配だった。 そこに、1人の人影があった。 赤いライダースーツを身に纏い、紫色の髪を持つ、2枚目という言葉がふさわしいクールなマスクを持つ男だ。手には、2つの銃口が横に並んだ、古風な外観のピストルが握られており、それは真っ直ぐ兵士達に向けられていた。「これは驚いた。まさかここにも俺の『同類』がいたなんてな」 その男はぽつりとつぶやき、こちらに歩いてくる。フィリーネは驚きを隠せない。彼は一体、何者なのか。自分と同類という事は、まさかポケモンヒューマンだと言うのか。少なくとも、自分に敵対する意志はないようだが。「あなたは、一体……?」「安心しろ、俺が来たからにはもう大丈夫だ。『正義の味方』ってものは、ギリギリになって颯爽と現れるものだからな」 男はフィリーネの前に出ると、フィリーネの問いに肩越しの視線を送りながら見た目通りのクールな口調で答えた。そして顔を戻すと、驚きを隠せない兵士達に、手にしたピストルを真っ直ぐ向けたのだった。続く
「ぐわあああああっ!!」 サングラスの男、Fが投げ付けた手榴弾がフィリーネの目の前で爆発し、彼女の体は地面に叩き付けられた。爆発によって上半身を覆っていた鎧が砕け、水色のブラウスが剥き出しになってしまっている。腹から流れる青い血が見える。頭からも血が流れている。「フィリーネ!!」 銃弾を避けて木の裏に隠れていたユウトは動揺し、思わず悲痛な声を上げた。これまでの戦いとは異なり、フィリーネは謎の集団の巧みな攻撃の前に圧倒されている。目の前で1人の少女が傷付いていき、血を流す光景を目の当たりにし、ユウトの心は完全にパニック状態になっていた。だが昔から争い事が嫌いなユウトは、前に出る事などできず、傍観者としてただ見ている事しかできない。「さあ、これで終わりだ!!」 とどめとばかりに、Fはライフルを向けた。く、と唇を噛むフィリーネ。満身創痍のフィリーネにはもはや、立ち上がれるほどの体力はなかった。ああ、このままじゃ、フィリーネが……! ユウトが思わず止めろ、と叫び出しそうになった、その時。 突然、どこからともなく一筋の閃光が飛んできて、1人の兵士を貫いた。糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる兵士。その後も閃光は次々と兵士達を襲い、兵士達は次々と悲鳴を上げて倒れていく。「何だ!?」 Fも驚いて辺りを見回すと、彼にも一筋の槍のごとき閃光が襲いかかった。Fはそれに気付き、素早くその場を動いてかわす。閃光は地面を貫き、小さく爆発する。その後も、閃光は兵士達に降り注ぎ続ける。「何、今の!?」 ユウミが声を上げた。ユウトはユウミと共に、閃光が飛んできた方向に目を向けた。「だ、誰だ……?」 フィリーネも残された体力で体を僅かに起こし、閃光が飛んできた方向に目を向ける。そこに、1人の人影があった。 赤いライダースーツを身に纏い、紫色の髪を持つ、2枚目という言葉がふさわしいクールなマスクを持つ男だ。手には、2つの銃口が横に並んだ、古風な外観のピストルが握られており、それは真っ直ぐ兵士達に向けられていた。「これは驚いた。まさかここにも俺の『同類』がいたなんてな」 その男はフィリーネを見てぽつりとつぶやき、フィリーネの元へ歩いていく。ユウトは驚いた。フィリーネと同類という事は、まさか彼もフィリーネと同じポケモンヒューマンだと言うのか。その外観だけでは、ポケモンヒューマンだと判断する事はできないが。「あなたは、一体……?」「安心しろ、俺が来たからにはもう大丈夫だ。『正義の味方』ってものは、ギリギリになって颯爽と現れるものだからな」 男はフィリーネの前に出ると、フィリーネの問いに肩越しの視線を送りながら、見た目通りのクールな口調で答えた。そして顔を戻すと、驚きを隠せない兵士達に、手にしたピストルを真っ直ぐ向けた。「これ以上お前らの好き勝手にはさせないぞ!!」 男が叫ぶと、手に持ったピストルの引き金を引いた。銃口から放たれる閃光。兵士達はすぐに散開し、閃光をかわす。その閃光は、その先にあったジープを簡単に貫いた。すぐさまジープは乗っていた兵士を巻き込んで爆発し、炎に包まれた、ただの鉄屑と化した。「ジープを一撃で!?」 ユウトは驚いた。ピストルから放たれたのは、明らかに銃弾ではなかった。ポケモンが使うもののような、一種の光線だった。普通のピストルで、ジープ1台を銃弾1発で破壊するなど、常識的にあり得ない事だ。そんなものが、この世に存在するはずがない。やはり彼は、ポケモンヒューマンと見て間違いないようだ。ユウトは確信した。「何をしている!? 応戦しろ!!」 Fが、すぐに指示を出した。それを受け、兵士達が銃弾を浴びせる。だが、男はすぐにその場を走り出して銃弾をかわす。そして、ピストルの引き金を引き続ける。放たれる光線が、数人の兵士を貫いた。男はすぐに木の陰に転がり込み、飛んでくる銃弾から逃れると、木の陰からピストルを突き出し、再び発砲する。光線に貫かれ、次々と倒れていく兵士達。男と同じように木の陰に身を潜める兵士もいるが、男はそんな兵士達が身を潜める木に発砲する。すると、光線は木を一撃で貫き、木は音を立てて倒れ始める。倒れてくる木から逃れようと兵士達が飛び出してきた所を、男は狙い撃つ。「凄い……」 その光景を見詰めるユウミの口から、そんな言葉が漏れた。ユウトも、彼女と全く同じ気持ちであった。2人はフィリーネと共に固唾を飲んで、戦いの行方を見守る。「くそっ、奴もポケモンヒューマンなのか……!?」 木に身を秘めながら発砲するFが、唇を噛んだ。そこにも、男が狙いを定めた光線が飛んで来る。木が一撃で音を立てて倒れ、Fもその場から追い出されざるを得なくなる。そこに男は銃撃を浴びせる。Fは足を止めずに光線をかわしつつ、手榴弾を男の元へ投げ付けた。それに気付いた男は、すぐに素早くその場を離れた。彼の後方で起こる爆発。爆風に吹き飛ばされながらも、地面を転がって受け身を取り、すぐに応戦する。お互い、足を止めずに狙いを定めさせないようにしながら発砲を続ける。だが、男が放った光線が、Fの持つライフルに命中し、爆発した。ライフルを失ってしまったFはすぐに引き下がるしかない。それをフォローして、兵士達が銃撃を浴びせる。それを素早くかわしつつ、近くにあった木に身を潜める男。「さて、そろそろ決めてやろうか」 男がそうつぶやくと、木の陰からピストルを突き出す。すると、ピストルの銃口が強く発光し始めた。まるで、銃口からエネルギーを吸収しているかのように。「受けろ! “ギガブラスター”!!」 男の叫びが、銃口から太く凄まじい光線となって放たれた。兵士達は、その閃光に容赦なく飲み込まれていく。男はピストルを動かし、光線から逃れようとする兵士達にも光線を薙ぎ払うように浴びせる。兵士達は次々と、光線に飲み込まれていく。そして爆発。目の前が一瞬、炎に包まれた。その中には、飲み込まれた兵士達の姿は、血の一滴も残さずに消えていた。まさに蒸発という言葉がふさわしい。見ていたユウトも、震えが来る破壊力だった。「く……!!」 そこに、地面に身を伏せていたFが姿を現した。兵士達も全て光線に飲み込まれたという訳ではなく、何名かの姿は確認できる。だが、先程と比べると明らかに数は少ない事は明白だ。「……作戦中止だ!! 撤退する!!」 Fがそう言うと、兵士達は風のようにその場を立ち去っていった。そんな兵士達を、男は追いかけようとはせず、勝ち誇るように手の中でピストルを器用に回してみせた。「ま、待て……!!」 一方のフィリーネは、逃げていく兵士達を追おうと僅かに体を起こして手を伸ばすが、そこまでしかできなかった。フィリーネの目が重くなるように閉じたと思うと、彼女の体は力を失い、がくりと崩れ落ちてしまった。「フィリーネ!!」 ユウトはすぐに気付き、倒れたフィリーネの元に駆け寄った。「しっかりしろ!! フィリーネ!! フィリーネッ!!」 フィリーネに何度も呼びかけ、体を揺さぶってみるが、返事がない。完全に意識を失ってしまっている。大量出血している中で更に意識を失ってしまったとなれば、フィリーネの命が危ない。ユウトは直感的にそう判断していた。「そう心配するな」 その時、背後から男の何事もなかったかのような声が聞こえた。こんな緊急事態によく平然と見ていられるなと、ユウトは不快感を抱いたが、それはすぐに、男の言葉に遮られた。「彼女は気を失っただけだ。傷なら休ませれば治る。彼女はポケモンヒューマンなんだろう?」 男の言葉に、ユウトははっとした。自分は、フィリーネを『普通の人間』と見ていた事に気付いたのだ。「そうよお兄ちゃん。考えてみればこのくらい、ポケモンでいえば『戦闘不能』状態なだけよ。しっかり休ませさえすれば、ちゃんと元気になるわよ」 ユウミも、言葉を続けた。 ポケモンという生物は、人間などの普通の生物に比べて、遥かに高い自然治癒能力を持っている。重傷のような傷を負っても、安静にしていれば短時間で回復できる。中には自らの技を使って、戦闘中であっても瞬時に自らの傷を回復してしまうポケモンもいるほどだ。その程度の知識は、ユウトも持っていた。実際にユウトは、フィリーネがナイフで刺された傷などを、目の前で瞬時に回復させたのを目の当たりにしている。「そうだお兄ちゃん、これ使えばいいよ」 ユウミは、懐から何かを取り出し、ユウトに差し出した。それは、ポケモントレーナーなら誰でも持つ、ポケモン捕獲用にしてポケモンを持ち運ぶためのカゴと言えるアイテム、モンスターボールだった。それを見て、ユウトも男も目を丸くした。「モンスターボールじゃないか……ま、まさか……!?」「そうよお兄ちゃん。モンスターボールはポケモンにとってゆりかごのようなものよ。これほど打ってつけのものはないでしょ?」 ユウミは自分に、フィリーネをモンスターボールに入れるように提案している事を、ユウトは確信した。しかし、相手はポケモンと同じ存在とはいえ、見た目は人間と何も変わらない存在だ。人間をモンスターボールに入れるという行為には、その人間を牢屋に閉じ込めるような感触を抱いてしまい、どうしても抵抗を覚える。ましてや、フィリーネは異性の少女だ。そんな存在をモンスターボールという道具で縛りつけてしまうとなると、嫌でも考えがよからぬ方向に行ってしまいそうだ。「いや、そんな事言ったって……フィリーネは……」「何言ってるの? ポケモンヒューマンはポケモンと同じ存在なんだから、モンスターボールに入れても平気なはずよ?」 ユウミの意見は、冷静に考えれば理に適ったものであった。現在、さまざまな道具をデータ化してパソコンの中に収納し、必要に応じて引き出す事が可能である事は、当たり前の事になっている。あまり多くの荷物を持てないユウミが調理用の道具や食材を用意できるのも、そのお陰である。だが生物、特に動物の場合は不確定要素が多く危険であり、原則として人や動物に使用する事は堅く禁じられている。しかし、ポケモンだけは体のデータ化に適応できる体質を持っていたため、モンスターボールへの収納、はたまたモンスターボールごとポケモンをパソコンに預けるという事が可能になったのである。つまり、人間と全く同じ姿を持つポケモンと言える存在のポケモンヒューマンが、モンスターボールに収納できる事は、決して不自然な事ではないのである。 ちなみに、かつて『ポケモンがモンスターボールに入れるのは、ポケモンが衰弱した時に、体を縮小化して狭い所に隠れる能力を活かしたものだ』と噂された事もあるが、これは『ガセ』である。ポケモンにはそのような能力はない事は、既に科学的にも証明されている。「それに、モンスターボールには、ポケモンの回復を促す効果があるのよ」 そしてユウミは続ける。モンスターボールにはポケモンの自然治癒能力を促す効果があり、ポケモンを収納して少し置いておくだけで回復させる事ができる。『モンスターボールの内部は、ポケモンにとって快適な環境に調整されている』という言葉は、それに由来するものだ。現在では改良が進み、以前に存在したモデルよりも居心地のよさはベッドのようによいものになっている。ユウトは、その言葉を聞いてはっとしたものの、やはり抵抗は消えない。「いや、だけどさ……フィリーネは女の子なんだぞ……?」「何変な事言ってるのよ、お兄ちゃん。フィリーネさんの事が心配なら、こうする事が一番の得策だと思うんだけど?」「じゃあ、ユウミがやればいいじゃないか」「なんであたしがやるのよ? フィリーネさんを助けたのはお兄ちゃんでしょ?」 ユウミに唆されたユウトは、勝手にフィリーネの保護者扱いされた事に戸惑いつつも、改めて倒れた傷だらけのフィリーネに目を向ける。迷っている時間はない。放置していたら、容体が悪化してしまうかもしれない。ユウトは決心を固め、わかったよ、とつぶやき、しぶしぶユウミの手からモンスターボールを受け取った。そして、倒れたフィリーネに体を向け、彼女の横にしゃがむ。「ごめんな、フィリーネ。こんな事して」 ユウトの口から自然と、その言葉が出た。実際に聞いているかどうかは別として、事前にそうでも言っておかなければ、このような行動はできなかった。 ユウトはモンスターボールを使用する事は初めてだったが、使い方はポケモンに当てればいいだけ。その事は、ユウトも知っていた。フィリーネの額にモンスターボールを軽く叩くと、モンスターボールが開き、フィリーネの体は光となってモンスターボールに吸い込まれた。そのまま閉じるモンスターボール。普通にポケモンを捕獲する際は、中のポケモンはボールから出ようともがき、ボールが動くものだが、フィリーネは意識を失っているため、ピクリとも動かない。意外にすんなりと入ってしまった事に、ユウトはとりあえず一安心した。ボールの中に入れればポケットに入ってしまう存在、だからポケットモンスターと呼ばれる事が、この事で改めて実感できたような気がした。「どうお兄ちゃん? 愛しのフィリーネさんを『捕獲』できた気分は?」 するとユウミが背後からいきなり、からかうようにニヤリと笑みを浮かべながら言った。「ば、馬鹿!! 提案したのはそっちだろ!!」 ユウトの顔が、一気に真っ赤になった。思わず声を上げてしまう。その姿を楽しんでいるように、ユウミはクスクスと笑う。ユウミはこの事を意識していて、自分にフィリーネをモンスターボールに入れさせたというのか。そう思わずにはいられない。「さて、一段落ついた所で……そろそろいいか?」 その時、今まで黙っていた男が言葉を発した。ユウトとユウミは我に返り、男に顔を向けた。「君達は、なぜあの集団に襲われていたんだ?」 男は、単刀直入に聞いた。ユウトはすぐに答えた。「いや、いきなりリングマの大群がこっちに来て、フィリーネが倒してくれたんだけど、その後にあいつらが現れて、フィリーネをいきなり狙い始めて……」「そうか、奴らがリングマを追いかけていた所に巻き込まれてしまった、という事か……」 ユウトの説明を聞き、男はぽつりとつぶやいた。「とにかく、助けてくれてありがとうございました」「何、礼などいらない。たとえ何があろうとも、無償で危機に陥った人々を助けるのが、『正義の味方』ってものさ」 ユウトはすぐに礼を言ったが、男はクールに言葉を返した。随分と気障な事をいう人だなあ、とユウトは思った。「俺の名は、ナガト・リュウ。『正義の味方』として、この森を荒らす『あいつら』と戦っている」 男は自己紹介をした。自己紹介をされたら、こちらも自己紹介で返すのが礼儀というものだ。ユウトもすぐに自己紹介した。「俺はシラセ・ユウトです」「あたしは妹のシラセ・ユウミです」 ユウトに続けて、ユウミも自己紹介したが、その時、リュウはいきなりユウミの前に出た。ユウミが少し驚き、目を丸くする。「ユウミというのか……なかなかいい名前だな。君のような女の子は、俺好みのタイプだ。ここで会ったのも、何かの縁に違いない」「は、はあ……?」 ユウミを真っ直ぐ見つめるリュウの言葉に、ユウミは戸惑いを隠せない。リュウは、ユウミをナンパしようとしている。ユウトはすぐにその事を理解したが、あまりにも突然の事だったため、どうすればいいのかわからない。だがそんな時、リュウはユウミの右手を取ってしまった。「どうだい? 君さえよければ、是非いろいろ話を……」「リュウ様!!」 リュウの行動がエスカレートしそうになった時、彼の背後からいきなり甲高い声が聞こえたと思うと、背後から頭を何かで思い切り叩かれた。パンと、大きな音が響く。リュウはいてっ、と思わず声を上げ、頭を抱えて屈み込んだ。何が起こったのか、ユウトにもユウミにも一瞬、理解できなかったが、屈み込んだリュウの背後に、1人の少女の姿があった。流れるような黒いロングヘアーに、黄色のシャツと白のミディスカートに身を包んだ、幼い顔立ちの少女だった。年齢は10歳程度だろうか。右手には、ハリセンが握られている。リュウを叩いたのはこれだろう。そして左手には、何やら円と三角で構成された魔法陣のような模様が表紙に書かれている、1冊の本を抱えている。「な、何だイザナミか……」「何だじゃないでしょ!! いつまで経っても戻って来ないと思ったら、こんな所でナンパなんてしてたなんて!!」 リュウが少女の姿を確かめてつぶやくと、イザナミと呼ばれた少女は、年上の相手に対してとは思えないほど強くリュウに怒鳴った。「いや、違うんだイザナミ。彼らは、あいつらに巻き込まれていた所を助けたんだ」「あら、そうだったんだ……」 リュウが気持ちを落ち着かせてイザナミに言うと、イザナミはユウトとユウミに視線を向けた。「ごめんなさいね、リュウ様が迷惑をかけてしまったみたいで」 少女は笑みを浮かべて言った。その言葉に、リュウはおいちょっと、と声を上げたが、イザナミは完全に無視している。彼女は、リュウとどういう関係なのだろうか。見た所、兄妹のようには見えない。「で、君は……?」 ユウトが尋ねると、イザナミは持っていたハリセンと本を一旦置き、スカートの端を軽く持ち上げ、丁寧に頭を下げて名乗った。「あたしはイザナミ。リュウ様のサポートをしているの。『正義の味方』には、支えてくれるヒロインが必要でしょ?」 そう言うとイザナミは、ユウトの前で振り撒くように満面の笑みを見せた。「は、はあ……」 正義の味方の次は、それを支えるヒロイン。そんな事を自称するこのコンビは、どういう人間なのだろうか。ユウトは思わずにはいられなかった。そう思っていた時、本を手に取ったイザナミが、こちらに視線を送っている事に気付いた。「そのモンスターボール……何か普通じゃない気配がするけど……入っているのはポケモンヒューマン?」 ユウトはぎくりとして、手に持っているモンスターボールに目を向けた。モンスターボールの中身は、外から確認する事はできない。それでもイザナミは、気配が違うといって、中身を見破ってしまったのだ。『人が人をモンスターボールに入れている』事を見破られた以上、何を言われるかわからなかったユウトは、慌てて反論した。「あ、いや、これは、ただ……さっきの戦いで倒れた所を回復させているだけなんだよ……!」「……ふーん、そうなんだ。モンスターボールに入れられたポケモンヒューマンなんて、初めて見た」 イザナミは、感心したようにつぶやいた。とりあえずは、変な風には思われなかったようだ。ユウトはほっと一息ついた。「でも知ってる? モンスターボールに入れられたポケモンは、『入れた人のものになって』管理システムに登録されるんだよ?」 だが、続けたイザナミの言葉を聞いた途端、ユウトの顔が一気に熱くなった。イザナミの表情は、先程のユウミの表情と同じものに見えた。 モンスターボールで捕獲されたポケモンは、IDナンバーを与えられてモンスターボール管理システムに登録され、捕獲した人物が『親』となる――つまり、捕獲した人物の『所有物』と認められるのだ。同時に、捕獲されたポケモンに捕獲した人物を『従うべきリーダー』であると認識させ、その指示に従うように促す。つまりモンスターボールは、ポケモンとの『契約』するための道具という側面もあるのである。これで、人間は晴れてポケモンを操る事が可能になるが、逆に言えば、モンスターボールなしでポケモンを操る事は、一般人にはほとんど不可能なのである。モンスターボールというアイテムがあったからこそ、誰でもポケモンを手軽に育てられるようになり、ポケモンバトルというスポーツが普及したのだ。 モンスターボールにフィリーネを入れたという事は、つまりフィリーネをシステム上でも『自分のものにした』事を意味してしまう。それに気付いたユウトは、自分がしてしまった行動を、後悔する事になった。回復したフィリーネと顔を合わせた時、自分は何と言えばいいのか。そんなユウトの表情を、ユウミが見てクスクスと笑っていた。 * * * 傷が癒えたフィリーネは、ゆっくりと目を開けた。だが、そこには見た事がない光景が広がっていた。 そこは、銀色の壁で覆われた、球体の部屋の中だったのだ。「ここは……!?」 フィリーネはすぐに立ち上がった。彼女にとって、全く見覚えがない部屋だ。窓らしいものは見当たらないが、明かりがついているように明るい。手を伸ばせば壁に簡単に触れられるほど狭い割に息苦しくなく、むしろ快適に感じられる。居心地自体は悪くない。 自分は今までどうしていたのかを、思い返してみる。謎の集団との戦闘で深手を負った所で、ピストルを持ったポケモンヒューマンが現れ、集団を退けた。逃げる集団を追おうとした時に、意識を失ってしまった。そして気付いてみれば、この全く身に覚えのない部屋にいたのである。自分が気を失っていた間に、一体何が遭ったというのか。まさか、敵の手に捕らえられてしまったとでも言うのだろうか。 ふと壁の向こう側から、何やら声が聞こえてくる。具体的にどんな事を言っているのかは聞き取れないが、その声は、フィリーネにはユウトやユウミの声に聞こえた。「ユウト!! ユウミ!! そこにいるのですか!! ユウト!! ユウミ!!」 フィリーネは壁を強く叩きながら、壁の向こう側に呼び掛けた。しかし、返事は返ってこない。かくなる上は、剣でこの壁を壊すしかない。フィリーネが一瞬、そんな事を考えた時、部屋がいきなり激しく揺れ出した。「な、何だ!?」 フィリーネは倒れそうになる体を、壁で支える。しかし揺れは、意外と数秒と経たずに治まった。今のは一体、と思った直後、部屋の中央から、横一直線の光が部屋を割るように伸びた。そしてその光は一瞬で広がり、フィリーネの視界を飲み込んでいった。 その瞬間、フィリーネは目覚める前までの森の中に立っていた。何が起こったのか、フィリーネには一瞬、理解できなかった。「よかった、傷が治ったんだ」 背後から、ユウトの安心した声が聞こえてきた。振り向くとそこには、いつも通りのユウトとユウミの姿があった。2人の身には特に何も起こっていないようだ。ユウトの手には、なぜかユウミがポケモンを呼び出す時に使用するモンスターボールがあった。「ユウト、私は今まで……」「あ、ああ、いや、それはだな……倒れたフィリーネを回復させるために、ユウミの提案で、このモンスターボールに入れてたんだ」 フィリーネが言い終わる前に、ユウトは苦笑いを浮かべつつも、手に持つモンスターボールを見せて答えた。「そ、それにですか!?」 フィリーネは驚きを隠せなかった。先程自分がいた場所は、手に収まるほどの小さいボールだったのだ。それほどまでに、自分の体は縮まっていたというのだろうか。ユウミはどうやってあのボールからポケモンを呼び出しているのかと疑問には思っていたが、こういう事だったとは。「あ、いや! 気を悪くしたならごめん! 別に、変な目的があってフィリーネを入れた訳じゃないんだ! それだけは、わかってくれ!」 ユウトはフィリーネの表情を見るや否や、なぜか慌てた表情を見せて、頬を真っ赤にして、早口でそう言った。そんなユウトを見て、ユウミはなぜかクスクスと笑っていた。「いえ、そんな事はありません、ユウト。突然、見知らぬ場所にいたので驚いただけで……私の事を気遣っていただき、ありがとうございます」「え? ああ、それはどうも……」 フィリーネが礼を言うと、ユウトは一瞬声を裏返したものの、頬を赤くしたまま、頭を掻きながら答えた。そんなユウトに、ユウミがにたりと笑みを見せながら、肘でユウトをつつく。 ユウトのフィリーネを回復させるため、という言葉をフィリーネはしっかりと聞いていたのだ。ユウトは岸に流れ着いていた自分を救い、名前を思い出せない自分にフィリーネという名を与えてくれた、恩人だ。彼は今回も、傷付いた自分を気遣っていたのだ。そんな人物に、礼を言うのは当然の事だ。「やっと目覚めてくれたか」 その時、背後から声が聞こえてきた。振り向くとそこには、あの時ピストルを使って謎の集団を退けた、あのポケモンヒューマンの男の姿があった。「確か、フィリーネって言ったな。俺はナガト・リュウ。『正義の味方』として、あいつらとここで戦っていたんだ。まさか自分の『同類』と会えるなんて、俺は思ってもいなかったよ」 男は自己紹介した。どうやら彼もフィリーネと同じく、他のポケモンヒューマンに会うのは初めてのようだ。「で、こっちが……ってありゃ? あいつ、また勝手にいなくなりやがった!」 リュウは他にも紹介する人がいたのか、顔を横に向けたが、そこには誰もいない。リュウは慌てて、周囲を見回す。「イザナミ、どうしたんですか?」 ユウミが問う。どうやらリュウが紹介しようとした人物の名は、イザナミというらしい。「いや、あいつはたまに目を離した隙にどこかに行っちまう悪い癖があってな……まあ、いつも何事もなかったかのように帰ってくるんだがな」 リュウが紹介しようとした人物は、どうやらイザナミというようだ。ユウトとユウミには、既に紹介されているのだろう。探さなくていいんですか、とユウトが問うが、あいつの事だ、ひょっこり戻ってくるさ、とリュウはあまり心配していない様子だった。「リュウ、1つ聞きだい事があるのですが」 とりあえずイザナミという人物の事は置いておき、フィリーネはリュウに尋ねる。「何だ?」「あの集団と戦っているのなら、彼らが何者なのか、知っているのでしょう? ならば、私に彼らの事を教えて欲しい」 フィリーネの言葉を聞いて、リュウは目を丸くした。「フィリーネは、あいつらの事に興味があるのか?」「フィリーネには、昔の記憶がないんです。でもあいつらは何だか、フィリーネの事を狙っているみたいなんです。だから、あいつらの事を知れば、フィリーネの記憶の手掛かりを見つけられるかもしれないんです」 リュウの問いには、ユウトが代わって答えた。そうか、とつぶやくリュウ。そして間を置き、リュウは答えた。「実は俺も、あいつらの事はよく知らない。奴らは一体何者なのか、目的が何なのかは、俺にもわからん。ただ、1つだけ言える事がある」「1つだけ、とは……?」 フィリーネが問うと、リュウの視線が鋭いものになった。そして、リュウは答える。「奴らは、野生のポケモンを抹殺しようとしている」「野性ポケモンを抹殺!?」 リュウの言葉に、ユウトとユウミは揃えて声を裏返した。「理由はわからんが、奴らはあちこちの森とかに現れては、ポケモンを無差別に大量虐殺している。そして火を放って、世間には『山火事』という事にして巧妙に誤魔化している」「山火事……という事は!」 ユウミが声を上げた。「ああ、最近ニュースでよくやってる山火事は、全てあいつらの仕業って事さ……!」 リュウの言葉を聞いた3人は、一気に体が硬直した。 フィリーネも、テレビでその情報は耳にしていた。以前からユウトやユウミは変だと思っていたようだが、その通りになってしまった。「そんな……そんなの自然破壊じゃないか!! 自然破壊なんてしたら……!!」 ユウトが声を上げた。それに、リュウはうなずく。「ああ、間違いない。だが、奴らはそれを、隠し通してまでやる理由があるって事さ。少なくとも言えるのは、奴らはポケモンを嫌っているらしい事だけだ」「ポケモンを嫌っている……!?」 ユウミが声を上げる。 フィリーネも当然、その事に驚いていた。リュウが説明する謎の集団の行動は、全くもって意味不明だ。敵対したのならフィリーネにもわかるが、『無差別』という事は、敵対する、しないの関係なしに殺している事になる。そんな行動は、フィリーネも納得はいかない。彼らの素顔は、一体何なのか。フィリーネはますます、疑問を膨らませていくのだった。 * * * ユウミが、回復したフィリーネのために食事の支度を始めた。フィリーネは、待っている間風に当たろうと思い、皆から少し離れた場所に立っていた。 森に流れ込む風は心地いいものだ。すぐ近くで、あの集団との戦闘が起こっていたとは、何も知らない人が見れば誰も思わないだろう。 フィリーネは、あの夢の事を思い返してみる。燃え盛る炎に包まれた見知らぬ場所で、あの集団の兵士達と戦っていた夢。 リュウは、あの集団は野生ポケモンを抹殺しようとしている、と言っていた。夢の中の彼らも、そのために現れたのだろうか。だが、夢の中でポケモンらしきものは見ていない。そもそも自分は、なぜ彼らと戦っていたのだろうか。 物思いにふけっていた時、フィリーネは背後に何かの気配を感じた。リュウの存在に気付いた時と同じ感触だ。またポケモンヒューマンか。「誰だ!?」 背後に振り向き、姿の見えない存在に向けて叫ぶ。すると、少し離れた木陰の中から1人の幼い少女が顔を出した。流れるような黒いロングヘアーに、黄色のシャツと白のミディスカートに身を包んでいる。手には、何やら円と三角で構成された魔法陣のような模様が表紙に書かれている、1冊の本を開いて持っている。「凄いわね、あたしが来ている事に気付けちゃうなんて。相当な感覚を持ってるポケモンヒューマンのようね」 少女は感心したようにつぶやき、笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってきた。彼女は何者なのか。フィリーネはいつでも戦えるように、すぐに身構えようとした。「敵じゃないから安心して。あたしはイザナミ。リュウ様のサポート役をしているのよ。あなたがフィリーネって言うんでしょ?」 少女はほほ笑んだ。イザナミ。その名前を聞いて、フィリーネは構えを解いた。どうやら彼女が、リュウが紹介しようとしていた人物らしい。「あなたがイザナミだったのですか……今まで何をしていたのですか?」 フィリーネが問うと、少女はちょっとそこまでね、と答えて本を閉じただけで、具体的に何をしていたのかは語らなかった。「で、こっちも1つ聞きたい事があるんだけど、いい?」 すると今度は、イザナミが質問した。「何です?」「あなた、あの集団と戦っていたみたいだけど、一体何のためにあいつらと戦っていたの?」 イザナミの真っ直ぐな視線が、フィリーネに向けられる。イザナミの目は、ただの子供のものとは思えないような眼光を放っているように思えた。「何の、ために……?」 イザナミの質問に、フィリーネは返す言葉が出なかった。とは言うのも、あの集団と戦っているのは、自分が本能的に敵だと判断したからに過ぎない。フィリーネは、明確な理由を持って彼らと戦っている訳ではないのだ。「どうしたの?」 イザナミが、フィリーネの顔を覗き込む。いつまでも言葉に躊躇していては、問うた本人であるイザナミに失礼だ。フィリーネは、思いついたできる限りの言葉を使い、答えた。「私には、過去の記憶がないのです。私の本当の名前が何なのか、私がかつて何をしていたのか、全く思い出せないのです。ですが、なぜか彼らの事は、私は敵だと判断できました。なぜか、彼らとかつて戦った事があるような気がするのです」「彼らと戦っていけば、自分の記憶に関する手掛かりが見つかるかもしれない……って事?」 イザナミの言葉に、フィリーネはそうかもしれません、と答えた。「そうなんだ……なら、戦いなさいフィリーネ」 イザナミの言葉に、フィリーネは驚いた。イザナミのような少女が、このような事を言うとは思ってもいなかったのだ。「あなたが思う通りにね。そうすれば、道は自然と開けるわ」 イザナミの口元が笑った。フィリーネは、その表情にイザナミの得体の知れなさを感じ取った。彼女は、ただの少女ではない。彼女は一体、何者だというのか。「イザナミ、あなたは……?」 フィリーネが問おうとした、その時。フィリーネは、誰かがやって来る気配を感じ取った。「イザナミ! お前、こんな所にいたのか!」 そんな声を上げてこちらにやって来たのは、リュウだった。「あ、リュウ様! ごめんなさい、またちょっと用事があって……」 イザナミはすぐに先程までの表情が嘘のように少女の顔に戻り、リュウに駆け寄って答えた。「用事って何なんだよ、全く……ま、いつものように戻って来たからいいけどな。出かけるなら、せめて一言ぐらい言ってからにしてくれって言わなかったか?」 リュウは呆れたようにつぶやくと、イザナミは軽く舌を出しながらごめんなさい、と笑ってみせた。「ま、ちょうどいい時に見つかってよかった。食事ができたから、フィリーネを呼ぼうと思っていた所だ。お前も来な」「うん!」 リュウの言葉に、イザナミは元気よくうなずいた。どうやら、食事ができたようだ。「フィリーネも行こう!」「あ、はい」 リュウの後について行くイザナミに呼び出されたフィリーネは、すぐに彼女の背中を追いかけて行ったのだった。 * * * ヘリコプターの機内で、Fは携帯ノートパソコンの画面と向かい合っていた。その画面には、上司であるあの男の姿が映っていた。『何? ポケモンヒューマンが妨害?』「はい、突如として介入してきたポケモンヒューマンの妨害により、我々は戦力に大打撃を被りました。これ以上の任務続行は不可能です」 Fは、上司に向かってそんな報告をする事が辛かった。自分の手で指揮していた任務を失敗してしまい、それを自分の口で報告しなければならない事は、誰だって抵抗を抱くだろう。何より、今まで数多くのミッションを完遂してきた自分が、ポケモンヒューマンという存在によって妨害されてしまった事で、自分のプライドを大きく傷付けられたのだ。だが、隠し通す訳にもいかない。成果が良かろうと悪かろうと、結果は自分の手で報告しなければならないのだ。それが仕事というものだ。「一方は、かつて我々が息の根を止めたはずのブリッツでしたが、もう一方は拳銃を使う、我々が初めて遭遇するポケモンヒューマンでした」『ふむ、送られてきたデータを確認してみたが、どうやらナガト・リュウで間違いないようだな』 彼に対しては、この戦闘で得られた画像のデータを事前に送信している。この組織の兵士達は、最先端のコンピューター技術を使用した高度な歩兵戦闘システムを常に装備しており、戦闘のサポートを行うだけでなく、それを使用してビデオカメラ機能があるヘルメットで得られた画像を司令部等に送信する事が可能になっているのだ。「ナガト・リュウ……」『ああ、ここ最近、我々の事を嗅ぎつけ、行動を妨害しているポケモンヒューマンの1人だ。つい最近まで正体が不明なままであったが、やっと情報が掴めたのだ』 世間にはその存在を知られていないはずのこの組織ではあるが、その存在を嗅ぎつけ、妨害行動を行う存在が、最近になって増加している傾向になる。そのほとんどは、ポケモンヒューマンである可能性が高いと報告があるらしい。この組織の存在や活動を第3者に知られた場合、機密保持のために抹殺するのが掟だ。だが、ポケモンヒューマンである彼らは高い戦闘能力を持っているため、なかなかうまく事が運ばないのが現実だ。現に、Fの分隊が発見した『ブリッツ』というポケモンヒューマンも、彼女を保護した民間人もろとも取り逃がしてしまったが、現時点では情報を漏らす危険性は少ないと判断され、優先目標ではなくなっている。だがその『ブリッツ』も、自分の前に現れ抵抗し、こちらがあと一歩まで追い詰めたものの、こちらに大きな損害を与えた。今後の活動に支障をきたさないためにも、優先目標にする事を進言しなければならないだろう。「ともかく、本当に申し訳ありません。自分の力不足により……」『君がそこまで謝る必要はない。こちらの情報不足もあった事だ。とにかく作戦は中止、君の部隊は一時撤退だ。証拠隠滅に関しては、こちらで対応する』「了解」 Fは、上司にもっと注意されるのではないかと思っていたが、意外と柔らかく対応した事に、胸をなで下ろした。 テレビ電話を切る。Fはすぐにノートパソコンを閉じ、席を立った。これから自分がやらなければならない事は、たくさんある。「すぐに発進しろ。我が部隊はこのエリアを離脱する!」 Fが指示すると、慌ただしく兵士達は動き出した。兵士達がそれぞれのヘリコプターに素早く乗り込むと、ヘリコプターは地面から浮き上がり、空へと舞い上がった。その瞬間、カモフラージュステルスが始動し、ヘリコプターの姿は空に溶けるように消えた。見えなくなったヘリコプターの中で、Fは自分に痛い敗北を味わわせた、2人のポケモンヒューマンの打倒を誓うのだった。 * * * フィリーネ達が、この森を離れる時間になった。あの集団が再びここに来る前に離れた方がいいという、リュウの言葉によってだ。フィリーネ達の目的は、失われたフィリーネの記憶を探る事にある。あの集団と戦う事ではないのだ。その事は、フィリーネも充分理解していた。「この先を行けば、トビシティという町がある。あそこは大きな町だ、手掛かりを探すにはうってつけの場所のはずだ。だが道は険しいから、迷わないように気を付けろよ」「わかりました。ありがとうございます、リュウさん」 向かい合っているリュウの言葉に、フィリーネの右隣にいるユウトが礼を返す。「それに、『奴ら』に狙われているみたいなら、充分に気を付けろよ」「問題はありません。彼らが行く手を阻むのならば、私が退けるのみです」 リュウの言葉に、フィリーネが答える。その言葉を聞き、頼もしい事だな、とリュウはつぶやく。そしてリュウは徐に、左隣にいるユウミの前に出た。「まあ、君のような女の子とここでお別れになる事は辛い事だが……また、会える事を楽しみにしているよ。あの、君が作った料理の味は決して忘れないだろう」 リュウはわざとクールに振る舞っているかのようにそう言い、ユウミの前でウインクをしてみせた。そんなリュウに、ユウミははあ、と拍子抜けした返事しかする事ができなかった。「リュウ様!!」 その時、すかさず横にいたイザナミが、どこからともなく持ち出したハリセンで、リュウの頭を思い切り叩いた。いてっ、と思わず声を上げ、頭を抱えて屈み込むリュウ。そんなリュウをよそに、イザナミは何事もなかったかのように笑みを見せて前に出た。「今のは気にしなくていいから! ごめんなさいね!」 イザナミの言葉に、おいイザナミ、とリュウが声を上げたが、イザナミは完全に無視している。その光景には、3人は唖然とするしかない。「そ、それじゃあ、あたし達行きましょっか!」「ああ、そうだな!」「あ、はい」 ユウミの言葉に、ユウトとフィリーネは慌てて答え、リュウ達に背を向け、歩き出した。もちろん、挨拶としてリュウとイザナミに手を振る事も忘れない。「気を付けて行くんだぞ! 何かあったら、『正義の味方』の俺はすぐに駆け付けてやるからな!」 リュウの声が聞こえる。 楽しみにしているわよ、フィリーネ…… その時、イザナミがそうつぶやいたような気がし、フィリーネは思わず振る手を止めた。イザナミが、こちらに普通の少女とは違う、何かを秘めたような真っ直ぐな視線を向けている事が、フィリーネにはわかった。そのまま、リュウとイザナミの姿は小さくなっていく。「フィリーネさん?」 ユウミの言葉が耳に入り、フィリーネははっと我に返った。「あ、いえ、何でもありません。どうかしましたか?」 フィリーネはすぐに顔をユウミに向け、答えた。「折角だから、またなぞなぞ出そうと思って」 ユウミの言葉を聞いたユウトが、またフィリーネになぞなぞ出すのか、と言ったが、いいじゃない、とユウミは流し、問題を出した。「では問題。上は大水、下は大火事。これなーんだ?」「上は大水……下は大火事……」 ユウミが出した問いを、フィリーネは考えてみる。前回のなぞなぞの答えは、なぜか自分には納得のいかない答えだった。今回も、何か普通ではない答えがあると思ったが、フィリーネには、答えが1つしか思い浮かばない。「それは、『天変地異』ですか?」「はあ!?」 フィリーネの答えを聞いた瞬間、ユウトとユウミは前回と同じく、声を揃えて裏返した。「な、何ですか、その反応は……?」 フィリーネはなぜ2人がそんな反応をしたのか、全く理解できなかった。そしてフィリーネはこの後、このなぞなぞの『風呂』という答えを知るまでに、また一悶着を起こしたのだった。続く
ここは、都会の町トビシティ。 中心部には無数のビルが立ち並び、まさに都会という言葉にふさわしいものになっている。それらは、夜になっても光を失う事がなく、人や自動車が行き交っている。眠らない、と例えられるのはこのためだ。とはいっても、ビル群から離れた場所になれば、しんと静まり返った暗い街並みが広がる。光を失わないビル群に対する、影になっているかのように。 そんな暗い街並みの裏通りを、1人の若い男が走っていた。彼は焦っていた。息が切れるのも構わずに走っている。まるで、何か見てはいけないものを見てしまい、それから必死で逃れようとしているかのようだった。明かりの少ない通りの不気味さが、尚更彼が恐怖心に煽られているように感じさせる。 その時、彼を飛び越えるように、何かの影が男の真上を通り過ぎた。そして、走る彼の目の前に着地する。男は驚き、尻餅をついてしまう。 目の前に立っていたのは、1人の人間だった。短い黒髪に白い肌を持つその顔立ちは、男のようにも見えるし、女のようにも見える。服装こそ紫のパーカーにジーンズというスタイルだが、その右手には円錐型をした槍ランスを、左手には五角形の盾を持っている。前時代の武器を持つその得体の知れない姿は、男を恐怖させるのには充分なものであった。「フフ……逃げ回っても無駄だよ」 謎の人物の口元が笑った。その少年のような声もまた、男のようにも聞こえるし、女のようにも聞こえるものだった。男は一歩後ずさりしようとするが、恐怖心に体を支配されているのか、体がぎこちなくしか動いていない。「さあ、早く君のポケモンを渡すんだ」 謎の人物はランスを男に向け、要求し、ゆっくりと歩み寄ってくる。男は手を震わせつつも、懐に手を伸ばし、1個のモンスターボールを取り出した。謎の人物にモンスターボールを渡すと思われたその時、男は震える指でスイッチを押した。途端にモンスターボールが開かれ、中から光が謎の人物目掛けて飛んできた。謎の人物は危険を感じ、素早く下がる。謎の人物の前に現れた光は、1匹のポケモンへと姿を変えた。鋼の鎧を持つ、2足歩行の恐竜のようなポケモンだ。鉄鎧ポケモン・ボスゴドラである。ボスゴドラは、繰り出した男とは対照的に、謎の人物を威嚇するように吠える。だが、謎の人物は微動だにしない。「……僕とやり合うつもりなの?」 謎の人物が問うが、男は体を震わせつつもボスゴドラに指示を出した。「ボ、ボスゴドラ!! あいつを倒せ!!」 指示を受けたボスゴドラは、真っ直ぐ謎の人物に突撃していった。その太い尾を謎の人物に向けて降る。謎の人物は素早くジャンプして回避する。それでもボスゴドラは怯まず、今度は頭を謎の人物に向け、頭突きで攻撃しようと襲いかかってくる。その頭部が発光する。“諸刃の頭突き”だ。回避した直後を狙われた謎の人物は、かわす事ができない。だが、代わりに盾を突き出し、ボスゴドラの巨体を反動で少し後ずさりしただけで受け止めてしまった。「そんな!?」 その光景を見た男は、驚きを隠せない。人間よりも大きな体を持つボスゴドラの体を、盾を使っているとはいえ体格の差が大きい人間が受け止める事など、常識的に考えて不可能だ。それが、目の前で起きているのである。「そこまでやる気なら、仕方がないね……!!」 謎の人物はそうつぶやくと、ボスゴドラを受け止めていた盾を思い切り押し、ボスゴドラを突き飛ばしてしまう。ボスゴドラは不意に押し出されてバランスを崩し、倒れてしまった。その隙に、謎の男はランスを向けて飛び出した。ボスゴドラが起き上がろうとした瞬間、ランスがボスゴドラの体に突き刺さった。鋼の鎧を持つボスゴドラだが、それがないも同然のように、ランスはボスゴドラの鎧を容易く貫いてしまった。刺された箇所から青い血が流れ、ボスゴドラが悲鳴を上げる。謎の人物はランスを引き抜き、更に続けて突きを浴びせる。ボスゴドラの鎧はあたかも紙のように貫かれ、いくつもの刺し傷ができてしまったボスゴドラは、悲鳴を上げてその場に倒れてしまう。「ああ、ボスゴドラ!!」 声を上げる男をよそに、謎の人物のランスが激しく発光し始めた。ボスゴドラにとどめを刺すつもりだ。ランスを引き、謎の人物は叫ぶ。「“ハードクラッシュ”!!」 叫びと同時に、突き出されたランスが満身創痍のボスゴドラの体を深々と貫いた。同時に、ランスから凄まじいエネルギーがボスゴドラの体内に流れ込み始めた。それは、ボスゴドラの体を内部から破壊していき、ボスゴドラは悲鳴を上げるしかない。その悲鳴も、どんどん弱くなっていく。そして、謎の人物がランスを引き抜いた瞬間、ボスゴドラは力を失って倒れ、爆発した。「そ、そんな……!?」 男は目の前で起こった事が信じられず、呆然と謎の男を見つめるしかなかった。そんな男に、謎の人物は振り返る。「これでわかっただろう? 力の差っていうものを」 謎の人物は勝ち誇ったように言う。男は再び別のモンスターボールを取り出そうとするが、その時謎の人物が一気に男の前に飛び出した。男が気付いたその時には、男は謎の人物のランスに胸を深々と貫かれていた。手にしていたモンスターボールを力なく落とし、ランスを引き抜かれた瞬間、男は赤い血を流して崩れ落ちた。「悪いね。これ以上、『目当てのもの』を無駄にしたくはないんだ」 謎の人物がそうつぶやくと、手にしていたランスと盾が光となって消える。そして、男が落としたモンスターボールを拾い上げるが、男が携帯していたバッグも手に取り、中を開けて探ると、数個のモンスターボールを取り出した。それを見て、謎の人物の口元がふっ、と笑った。手にしたボールを全て懐に収めると、謎の人物はその場で一気に跳躍し、近くにある民家の屋根に飛び上がった。人間とは思えない跳躍力。それを活かし、謎の人物は飛び石のように民家の屋根の上を飛んで行き、姿を消した。 そんな謎の人物を道端で見つめていた、1人の少女がいた。それは、あのイザナミだった。「ポケモンヒューマン、クサリ……」 イザナミは、この事件のただ1人の目撃者であるにも関わらず、慌てる様子もなく口元に笑みを浮かべ、つぶやいただけで、その場をゆっくりとした足取りで去っていったのだった。 * * * フィリーネは、降り注ぐ太陽の光を手で遮りつつ、頭上の光景から目を離せずに歩いていた。 雲にまで届かんと思うほどに天高くそびえ立つ建物――ビルに目を奪われ、その姿に見入ってしまっているのである。フィリーネは、このような建物を見たのは初めてだった。このような高さの建物を、人の手で作り出せるとは。しかもそんな建物が、1つだけでなく複数存在するのである。近くで見ると、遠くから見るよりもどれだけ高さがあるのか実感できる。「フィリーネ!」 横からユウトの声が聞こえたと思うと、不意に右腕を掴まれ、後ろに引っ張られる。フィリーネははっと我に返る。上げていた顔を戻し、隣にいるユウトに顔を向ける。「赤信号なのに道路に出て行く所だったぞ! よそ見しながら歩いたら危ないって!」「あ、すみません」 ユウトに注意され、フィリーネはすぐに謝る。何事もよそ見しながら行う事はよくない。だが、彼の言っていた『赤信号』とは、一体何なのかは、フィリーネにはわからなかった。「しかし、『アカシンゴウ』とは……?」「え? いや、あれだよ」 フィリーネの問いに、ユウトは正面を指差した。 見ると、目の前には自分達が歩いている道を横切る道路があり、十字路を作っている。目の前を慌しく通り過ぎていく自動車。そしてその端から端までは、白い縞模様が描かれた部分で繋がっているが、その向こう側に赤く光る明かりがあるのを見つけた。その中心には、何やら立っている人のシルエットが描かれている。「あれですか?」「ああ、『止まれ』って意味なんだよ」 ユウトの説明に、フィリーネはなるほど、とつぶやいた。このような自動車が目の前を通り過ぎていく状況は、渡るには危険な状況である事はフィリーネも理解できた。赤信号はそれを警告するためのものだと知り、フィリーネは納得した。 すると、目の前を通り過ぎていく自動車が急に停止したと思うと、赤信号は急に緑色に変わった。中心のシルエットも、歩いている人のものに変わっている。周囲の人々が、一斉に歩き出した。「あ、色が変わった」「『青信号』は『進んでいい』って意味だよ。行こう」 ユウトが言うと、ユウトも歩き出した。フィリーネも後に続き歩き出す。止まる事を警告する赤信号の他にも、進んでよい事を知らせる青信号も存在するとは、フィリーネは思ってもいなかった。世の中には便利なものがあるものだとつくづく思わされる。「フフ、フィリーネさん。ここは初めて見るものでいっぱいでしょ?」 ユウトの隣にいるユウミが問う。その言葉通りだと、フィリーネは思う。先程の信号はもちろんの事、慌しく道路を通って行く自動車達、道を行き交う大勢の人々、そして見た事のない建物。この町、トビシティには、今までフィリーネが見た事がないもので溢れているのである。世の中には、こんな場所もあったのかと、つくづく思わされる。「ええ、これが『トカイ』なのですね……」 フィリーネは、ここに来る前にユウトやユウミが言っていた言葉を、口に出してみる。 その後もフィリーネは、トビシティの街並みを散策した。ユウミの買い物に同行し、店に並べられた、見知らぬ商品を眺めたり手に取ってみたり、はたまたユウミが使う電子マネーという目に見えない通貨にも目を丸くしたりと、フィリーネには驚きの連続だった。 ユウミが買い物を終え、町中にある公園で休憩を取る事になった。その時、ユウミが通りすがりの少年からポケモンバトルをしないか、と提案された。ユウミはその提案をあっさりと引き受けた。かくして公園の専用コートを利用して、ユウミはポケモンバトルを行う事となった。初めてポケモン同士を戦わせるポケモンバトルというスポーツを見られるだけあり、柵で囲まれたコートの外からフィリーネは観戦する事となったが、ユウトはなぜか浮かない表情を見せており、あまり見たそうにはしていない様子だった。逆にブレイズは、バトルの様子が気になっている様子だったが。「勝負は2対2のシングルでいいか?」「いいわよ!」 ユウミと少年はそんなやり取りをする。何が2対2なのかはフィリーネにはわからなかったが、1つだけわかるのはポケモンバトルが間もなく始まる事だ。その証拠に、お互いモンスターボールを手に取っている。「じゃ、あたしはこれで行くよ! グライオン!!」 まずはユウミがモンスターボールを投げた。そしてその中から現れた光は空へと飛び出し、空中で1匹のポケモンへと姿を変えた。それは、一見するとサソリのようにも見えるが、背中にはマントのような羽を持ち、口には大きな牙を持つポケモンだった。牙蠍ポケモン・グライオンだ。「行け、マグマラシ!!」 少年もポケモンを繰り出した。そのポケモンは、しなやかな体の頭と腰から激しい炎を燃やしている。火山ポケモン・マグマラシである。かくして、ユウミと少年は各々のポケモンに指示を与え、2匹のポケモンによる激しい戦いが幕開けた。 先手を取ったのはマグマラシだった。マグマラシは全身を炎の球にして突撃する技“火炎車”を披露したが、空を飛べるグライオンは、それを簡単に上昇してかわしてしまう。マグマラシの体は重力には逆らえず、一度態勢を立て直して着地する。だがそれを、グライオンは見逃さなかった。グライオンはすかさず、地面に向けて腕から衝撃波を放つ。すると、衝撃波が当たった場所から、衝撃波が波紋のように広がり、地面を激しく揺らした。その揺れは、こちらにも伝わってくる。衝撃波に飲み込まれるマグマラシ。効果は抜群だ。それでもマグマラシは退かない。再び“火炎車”でグライオンに向かっていく。今度は命中だ。だが、グライオンはタフだった。あまりダメージを受けたようには見えず、すぐに態勢を整えた。「よし、その調子よ!!」「何の!! 負けるなマグマラシ!!」 ユウミと少年の声にも力が入っている。その後も2匹の技のぶつかり合いが続き、お互い一歩も引かない戦いが続く。フィリーネはそんな試合の行方を、手に汗握って見守っていた。「フィリーネ」 そんな時、ユウトに背後から声をかけられた。振り向くとユウトが何やら手に袋のようなものを持っている。袋には何か書いてあるが、字が読めないフィリーネには何と書いてあるのかはわからない。「折角だから食べようよ。こんな所で試合見ているだけじゃ、つまらないだろ?」 ユウトが持っているのは、どうやら何らかの食べ物のようだ。そういえば、ちょうど昼食の時間になっていた頃だ。ユウトはユウミのバトルが始める少し前に、昼食を仕入れに行っていた事を思い出す。「いえ、そんな事はないですが……折角ですからいただきましょう」 フィリーネがそう言うと、ユウトは袋の中から白い紙に包まれた食事をフィリーネに差し出した。手に取って見ると、それは丸い形をしている。焼けた肉のいい香りがする。中にどんな食べ物が入っているのか気になりながら開けてみる。中に入っていたのは、丸いパンの間に肉と野菜が挟まれているものだった。フィリーネにとって、初めて見る食べ物だった。「これは……?」「ハンバーガーさ。おいしいぞ」 フィリーネの疑問にユウトが答える。だが、食べてみろと言われても、どうやって食べればいいのかがわからない。フィリーネはおもむろに、挟んでいるパンの一方を取り、それから食べようとした。「いやいや、普通に挟んだまま食べていいんだよ。そんな事したら、具を挟んでる意味がないじゃないか」 ユウトがそれに気付き、すぐに呼びかける。フィリーネはユウトに顔を向けると、その言葉通りユウトは、具を挟んだままハンバーガーを食べている。なるほど、と食べ方を理解したフィリーネはパンを元に戻し、ユウトの真似をしてハンバーガーを一口食べる。実際に食べてみて、この料理はパンと具の味を合わせて楽しむものだという事がわかった。少々脂っこさは気になるものの、こういう料理も結構おいしいものだ。 ハンバーガーを食べながら、改めて試合の様子を見る。どうやら最初の勝負が着いたようで、青い血に塗れ倒れたマグマラシを少年がモンスターボールに戻している。それを見ていたユウミが、グライオンを褒めている。ユウトに声をかけられた事で試合の様子を見られなかったフィリーネは、どのような形で勝負が着いたのか見られなかった事を少し後悔した。「なあ、フィリーネ」 その時、ユウトが声をかけた。「何ですか?」「ポケモンバトル……見てて面白いか?」 ユウトが意外な事を質問した。自分が面白いと思っているものを面白いか、と問うのは、まるでユウトがポケモンバトルを面白いものと思っていないように感じた。「見ていて面白いものだと思いますが……何か?」「そうなのか……」 フィリーネが答えると、ユウトはなぜか浮かない表情を見せる。何を思ったのか気になり、フィリーネは問う。「ユウト、一体どうしたのですか?」「いや……実は俺、ポケモンバトルって好きじゃないんだ。だって、ポケモンが血を流して倒れるまで試合をしてるのに、トレーナーは平気な顔をして後ろから指示するなんて、何かおかしいと思わないか?」「別に、変だとは思いません」 ユウトは答えると同時にフィリーネに問うが、フィリーネはすぐに答えた。「戦いで傷を与えるのは当然の事です。戦う者が血を見て怯えているようでは、本末転倒ではないですか」「ず、随分残酷な事言うなあ、フィリーネ……」「残酷も何も、戦いとはそういうものです」 フィリーネは事実を伝えただけであったが、ユウトはやはり浮かない表情を変える事はなく、再びフィリーネに問う。「フィリーネ……抵抗はないのか、戦いで相手を殺す事とか……?」「当然です。敵と判断した者に、容赦などしません」 フィリーネの答えを聞いたユウトは、はあと溜め息を1つ付き、ハンバーガーを頬張る。理由はわからないが、ユウトはどうやら、戦いというものを嫌っている節があるようだ。フィリーネは思った。「そこのお2人さん、ちょっといいかな?」 その時、不意にフィリーネは声をかけられた。振り向くとそこには、頭に巻いたオレンジ色のバンダナが目立つ、1人の男の姿があった。「あの、誰ですか?」「ああ、僕はフリーカメラマンのテイク・ケリー。ちょっとお時間をもらって話を聞かせて欲しいんだけど、いいかな?」 ユウトの問いに答える形で男は自己紹介をし、そんな提案をした。「ふりーかめらまん……?」「ああ、フィリーネはいいよ。俺が話すから」 フィリーネは男が名乗った言葉が何なのか理解できなかったが、ユウトが自分に任せてというような言葉を言ったので、ここはその言葉通り、彼に任せる事にする。「で、話って何ですか?」「今僕は、巷で噂になっている、『ポケモンヒューマン』の事について取材しているんだ」「ポケモンヒューマン!?」 テイクが発した言葉に驚き、ユウトとフィリーネは声を揃えてしまった。まさかこんな見知らぬ人の口から、そんな言葉が出てくるとは思ってもいなかったのだ。「君はこんな都市伝説を知っているかい? 最近起きているポケモン強盗殺人事件は、ポケモンヒューマンの仕業だという……」「あ、いや……俺達は外から来た者ですから、そういう事は知りません」 ユウトはテイクの言葉に、丁寧に答える。「そうか……なら君は、ポケモンヒューマンの存在を信じるかい?」「え……!?」 テイクの問いに、ユウトは戸惑ってしまう。その姿を見て、フィリーネは自分の事をポケモンヒューマンだと言っていたのに、その事を問われてなぜためらうのかと疑問に思い、思わず前に出た。「ポケモンヒューマンも何も、私がポケモ……」 前に出て私がポケモンヒューマンと呼ばれている、と主張しようとしたフィリーネであったが、その直前にユウトに口を無理やり塞がれ、言葉を遮られてしまった。「あ、いや!! 別に何でもないです!! 俺、都市伝説とかそういうのにあまり興味ないんですよ!! じゃ、用事があるんでこの辺で!!」 ユウトは慌てた様子でそう言い張ると、フィリーネを強引に引っ張り、テイクの前から逃げるように離れて行ってしまう。フィリーネは必死に何をするのです、と主張しようとするが、口が塞がれているために、思うように話す事ができない。口を塞ぐ手を放そうとするが、ユウトは頑なにフィリーネの口から手を放そうとしなかった。テイクからある程度離れた場所にまで来て、ユウトはふう、と安心したように一息つき、フィリーネの口を塞いでいた手を緩めた。フィリーネはすぐに口を塞いでいたユウトの手を振り解き、なぜこのような事をしたのか聞こうとしたが、その行為は別の声に遮られた。「そこで何してんの、2人共?」 はっとして正面を見てみると、そこにはコートから出ていたユウミの姿があった。いろいろ話をしている間に、どうやらポケモンバトルは終わってしまったようだ。「あ、いや……別に、何でもないよ」 ユウトはすぐにフィリーネの口から手を離し、何事もなかったようにユウミに答えた。ユウミは答えを聞いてきょとんとした表情を見せていたが、すぐにその表情は不敵な笑みへと変わった。「……ははーん。さてはあたしがいない間、2人で互いの関係を育てていたりしたのかな?」 ユウミの問いを聞いた瞬間、ユウトの顔が一気に真っ赤になった。フィリーネは関係を育てていた、という言葉が意味しているものがわからず、首を傾げていたが。「いやいやいやいや!! そんな変な事してた訳じゃないよユウミ!!」「本当にそうなの、お兄ちゃん? 顔真っ赤じゃない?」「それは、ユウミがそんな事言うからだろ!!」 すぐにユウトは前に飛び出して主張し、ユウミと言い争いを始める。2人の話の内容がどうも掴めないフィリーネは、そんな2人の間に入り、先程までの事情を冷静に説明する。「いえ、私はユウトと少し話をしていたのですが、そこに『ふりーかめらまん』とかいう人が現れて、私が答えようとした時に、なぜかユウトがいきなり口を塞いで……」 その言葉を聞いた時、2人は言い争いを止め、フィリーネの話を聞いた。するとユウミが再び、ユウトに顔を向ける。「……どういう事なの、お兄ちゃん?」「いや、長くなるから、後で説明する……」 ユウミの問いに、ユウトはそうとだけ答えた。 * * * 日はすっかりと沈み、トビシティの町並みは暗くなっていき、町のあちこちに明かりが灯り始める。 結局この1日は、町の散策で終わってしまった。フィリーネの記憶に関する手掛かりも探そうとは思っていたのだが、何から探せばいいのかわからず、結局後回しになってしまったのだ。まあ、焦る必要はないか、とユウトは自分に言い聞かせた。 ともあれ、今日の宿泊先を探す事になった。だが、ユウミは迷いもせずに宿泊先に1つの場所を選んだ。それが、今目の前にある施設だ。 ポケモンセンター。いわばポケモンの病院であり、ポケモントレーナー達の交流の場所でもある施設だ。ペットとしてポケモンを所有しているユウトも、世話になった事はある施設だ。この施設は、ポケモントレーナーのための宿泊施設も有しており、旅のトレーナーにとって、たどり着くと安心する場所でもある。 ユウミはすぐに受付へと向かい、部屋の手配をする。当然ながら、宿泊は有料だ。どれほどの値段がするのかはユウトにはわからないが、ユウミは特に問題はない値段だと言っていた。ポケモントレーナーは基本的にポケモンジムや大会で得た懸賞金で生計を賄っていて、長くトレーナーとして旅をしてきたユウミには、充分な金の貯えがあるのだと聞いている。そのため、旅の中での生活費は全てユウミが賄っている。 受付を行うユウミから、ユウトはフィリーネに目を向けた。だが、隣にいるはずのフィリーネの姿がない。辺りを探してみると、そう離れていない場所にいた。フィリーネは、ロビーにある自動販売機の前に立っていて、興味深そうな目で自動販売機を見つめている。まるで幼い子供がするような手付きで、あちこちを触れてみるものの、当然の事ながら金を投入しなければ動かないので、何も起こらない。 そんなフィリーネの仕草を見ていると、彼女が剣を持って激しく戦うポケモンヒューマンであるようには見えなくなってくる。どこから見ても、とぼけた印象の美少女だ。昼間の残酷とも思えた発言も、嘘のように思えてしまう。その子供っぽい仕草を、ユウトは可愛らしいなと感じたが、いつまでもあんな事をしていると、周りの人々からフィリーネが不審者のように思われそうなので、すぐに彼女の元に向かった。「フィリーネ、それは自動販売機だよ。飲み物を売っているんだ」 ユウトが説明すると、フィリーネはこちらに顔を向けた。「飲み物を?」「ああ。よかったら、買ってやるよ」 折角だからという事で、ユウトは自動販売機がどんなものか見せるためにも、フィリーネに飲み物をおごる事にした。フィリーネはいいのですか、と尋ねたが、ユウトはいいよいいよ、と答えて電子マネーのカードを認証口にかざし、ボタンを押す。フィリーネにどんな飲み物が好みなのか聞き逃してしまったが、聞いてもわからないだろうと割り切り、とりあえず誰でも好みそうなジュースを選んだ。下の取り出し口に缶ジュースが現れた事に、フィリーネは一瞬驚いた表情を見せた。ユウトは缶ジュースを手に取り、フィリーネに差し出す。「ほら」 フィリーネは無言で缶ジュースを受け取る。だがフィリーネは、缶というものを初めて見たのか、目を丸くして手に取った缶をあちこちから眺めている。缶の開け方がわからないのか、と確信したユウトは、すぐに説明した。「ほら、このタブを上に引いて開けるんだよ」「あ、そうですか」 ユウトが説明すると、フィリーネは言われた通りに、蓋に付いているタブを上に引き、飲み口を開けた。これで飲めるとわかったフィリーネはすぐに飲もうとしたが、引いたタブを戻していなかったので、ユウトはすぐに注意する。フィリーネは言われた通りにタブを戻し、ようやくジュースを口に運んだ。 まるで子供に教えてるみたいだ、とユウトは思ったが、フィリーネのそういう天然な所が可愛らしいとも思った。やっぱりこう見ていると、フィリーネはただの女の子だ。こんな子を、剣で激しく戦うポケモンヒューマンなんて、誰が思うだろうか。缶ジュースを飲むフィリーネの横顔を見つめながら、ユウトは思わずにはいられない。「……ユウト?」 ふと、フィリーネの目がこちらを向いた。ユウトの視線に気付いたようだ。その言葉でユウトは、フィリーネの顔に見とれてしまっていた事に気付いた。「あ……どう、おいしいか?」 ユウトは慌てて誤魔化そうと、頬を赤らめながらも思い付いた事をフィリーネに問う。「いえ、初めて飲んだものでしたが、おいしいと思います」「そ、そうか、よかった……」 フィリーネの答えにユウトはそうつぶやき、自然と苦笑いが浮かんだ。「……っ!?」 その時、フィリーネがいきなり、何かに気付いたように目を見開き、顔をロビーの窓へ向けた。「どうした?」 フィリーネの様子に気付いたユウトは問う。フィリーネは何も答えずに、ロビーの窓に映る外の様子をにらんでいる。その目付きは、先程までとは一転して戦闘時の鋭いものになっていた。だがユウトには、外で何か異変があったようには見えない。「誰だ……!」 フィリーネは強い声でつぶやくと、不意にその場を駆け出した。「お、おい! フィリーネ!」 ユウトはすぐにフィリーネを呼び止めようとしたが、フィリーネはユウトの言葉を聞かず、そのままポケモンセンターを飛び出してしまった。 フィリーネは一体、どうしたというのか。ユウトはすぐに後を追う。受付から戻ったユウミが驚き、お兄ちゃん、と声をかけたが、ユウミとやり取りをしている時間はない。ごめん、すぐ戻る、とだけ答え、ポケモンセンターを飛び出した。 暗くなった道を左右見回す。だが、フィリーネの姿は既になかった。まだ道を走っていると思っていたユウトは驚きを隠せなかった。なんて足が速い事か。これも、フィリーネがポケモンヒューマンである故なのだろうか。「あいつ……一体どうしたんだよ!」 だか、迷っている時間はない。もたもたしていると、フィリーネがどこに行ったのか完全にわからなくなってしまう。何か足取りを探す方法はないのか。そう思っていた時、ユウトの足元で聞き慣れた鳴き声。ブレイズだ。そうか。ユウトは探す方法を思い付いた。「ブレイズ、フィリーネの匂いがわかるか?」 ユウトが問うと、ブレイズははっきりとうなずいた。「よし、じゃあそれを辿ってフィリーネを探してくれ!」 ユウトが言うと、ブレイズは任せて、と言わんばかりに一声鳴いた。ブレイズは訓練されたポケモンではないため、どこまでやれるのかはわからないが、今はブレイズに賭けてみるしかない。 ユウトは真っ先に飛び出したブレイズに続き、駆け出していった。 先を走るブレイズに従い、町の中を駆けて行くユウト。どこをどう走ったのか、わからなくなってきていた。気が付けば、町の明かりは遠くに見え、周囲は明かりの少ない裏通りとなっていた。フィリーネは一体どこまで行ったんだ、と思わされる。 だが、匂いがなくなったためなのか、素人故の限界なのか、ブレイズはとうとう足を止めてしまい、立ち往生する。この辺にいるのか、と思いユウトは周囲を見回すが、周囲にはフィリーネの姿はおろか、人影1つ見当たらない。普通ならば、こんな所を1人で通ろうとは思わないだろう。こんな所に1人でいると、スリなどに襲われそうに思わずにはいられない。「わあああああっ!!」 その時、通りの奥から何者かの声が聞こえた。フィリーネの声とは明らかに違う低い声だが、どう聞いても悲鳴だ。しかも近い。ユウトの体が戦慄した。 そんなユウトの目の前に、通りの角から1人の見知らぬ男が現れた。何かに追われるように、しきりに背後を気にしながら必死に走っている。そんな男の背後に、何かが降り立つ。そして男の胸を太く鋭い何かが背後から貫いた。男は胸から赤い血を流し、崩れ落ちた。「ひっ……!?」 そんな殺人の現場を目の当たりにしてしまったユウトの背中に寒気が走り、体が石のように硬直してしまった。ここにいてはいけないとは直感的に思ったのだが、体に力が入らない。 倒れた男の背後には、1人の人物が立っていた。短い黒髪に紫のパーカーにジーンズというスタイルだが、その右手にはランスを、左手には盾を持っている。こんな前時代の武器を持つ人間が、いるはずがない。ユウトの恐怖心が、更に高まる。こちらの姿に気付いたのか、謎の人物は顔を上げる。だが、街灯の死角にいるため、顔はよく見えない。「お、女……!?」 ユウトの口からそんな言葉がこぼれた。顔がよく見えず、髪型は男にも女にも見えるものだったが、ユウトにはその顔が女のもののように思えた。「女……だと……?」 すると、謎の人物が反応した。どうやら聞こえてしまったらしい。まずい、とユウトが思った瞬間、謎の人物はこちらに迫ってきていた。「僕を女と言ったなあああっ!!」 謎の人物は怒りの声を上げ、手にしたランスをユウトに真っ直ぐ向ける。街灯に照らされ、その顔立ちがはっきりと見えてくる。その顔立ちはやはり男にも女にも見える。だが、謎の人物は女ではないようだ。 そんな事はどうでもいい。逃げなければ……!「わ……わああああああああっ!!」 ユウトは思わず悲鳴を上げ、背を向けて逃げ出す。だが、謎の男が迫ってくる速度が速い。あっという間に近づいてくる事をユウトは感じ取った。 このまま、殺されるのか……!? そう思った時。 背後で、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。「む!?」 今まで迫っていた謎の男が、下がったのを感じた。ユウトは足を止め、振り向く。そこには、背中から青いマントをなびかせ、両手で剣を構える、板金鎧を纏ったフィリーネの姿があった。「フィリーネ!?」 ユウトは驚き、声を上げた。探していたフィリーネが、こんな形で現れるとは思ってもいなかった。彼女は今まで、何をしていたのだろうか。「……先程感じた気配は、お前のものだったのか!」 フィリーネは謎の男を真っ直ぐにらみ、言った。気配。ユウトはその言葉が引っかかった。まさかフィリーネは、この男がいる事を感じ取って、飛び出したというのだろうか。だがここは、先程までいたポケモンセンターとは全然違う場所だ。そんな場所にいるこの謎の男の存在を、どうやって感じ取ったのだろうか。これも、ポケモンヒューマン故の能力なのだろうか。「お前……何者だ?」 謎の男が問う。「敵に対して、名乗る名前などない!!」 だがフィリーネはその質問を一言で切り捨て、剣を振りかざして謎の男に風のごとく向かっていく。あっという間に間合いが詰まる。謎の男もすぐに応戦する。振り下ろされた剣を、ランスで受け止めた。そしてすぐに払い除ける。だがフィリーネは、隙を与えまいと言わんばかりに、続けざまに剣をふるう。謎の男も、ランスを棒術のように振り受け止め続け、隙を見て突きを浴びせようとするが、フィリーネはうまくそれを受け流している。だがフィリーネの方も、剣より長いリーチを持つランスの前に、なかなか懐に飛び込めないように見える。お互い互角の状態だ。 2人は一度距離を取り、間合いを探るように互いをにらみ合う。「く……なかなかやるね……!」 謎の男が唇を噛んだ。だがフィリーネはその言葉に答える事なく、真っ先に飛び出した。謎の男はランスの突きで応戦しようとするが、フィリーネは突き出されたランスの前で飛び上がった。謎の男には一瞬、消えたように見えたかもしれない。謎の男が驚いている間に、フィリーネは謎の男の背後に着地した。「はあああああああっ!!」 背後を取ったフィリーネは、すぐに飛び込み、剣を振り下ろした。謎の男が気付いた時には、フィリーネの剣は既に目の前にあった。ランスでは対応できないだろう。フィリーネの剣が謎の男を切り裂く。そう思われた時だった。 振り下ろされた剣は、謎の男の目の前で受け止められた。剣を受け止めていたのはランスではなく、左手に持っていた盾だった。「何!?」「隙あり!!」 今度はフィリーネが驚く番であった。剣を受け止められ、動きを止めた隙を突き、謎の男のランスがフィリーネに突き出された。「フィリーネ!! 危ない!!」 ユウトは思わず声を上げた。フィリーネはとっさにかわそうとしたが間に合わず、フィリーネの右肩をランスは肩当てごと貫いた。その光景を見て、ユウトは絶句した。「ぐっ!!」 フィリーネが顔を歪めた。ランスが引き抜かれると、穴が開いた肩当てから、青い血が流れ出しているのが見えた。フィリーネはその傷を左手で抑える。するとそれを見て、謎の男が目を見開いた。「ほう……そうか、君も僕と同じポケモンヒューマンだったのか! 面白い!」 その言葉を聞いて、ユウトは初めて謎の男がポケモンヒューマンである事を知った。ランスと盾という前時代の武器を持ってはいたが、ユウトは見た瞬間の恐怖で彼がポケモンヒューマンであるかを考える余裕がなかったのだ。 謎の男が再び、ランスを向けてフィリーネに襲いかかる。「な、何をっ!!」 だがフィリーネも怯まない。傷口を抑えていた血みどろの左手を再び剣に戻して握り、剣を振りランスを受け流す。再び打ち合いが始まったが、右肩を刺されたフィリーネの顔は歪んだままだ。右手は剣を振るのが辛くなっているのだろうか。剣を振る速度も心なしか落ちているように見え、謎の男のランスについて行くのがやっとのようにも見える。それでもフィリーネは、目の前で振られる剣を受け止める。そのまま鍔迫り合いになるが、右手が悲鳴を上げているのを無理に抑え込んでいるのか、フィリーネの顔が苦痛に満ちたものになる。「う……ぐ……っ!」「いつまで無理をしている気だい?」 謎の男がフィリーネの目の前で余裕そうな笑みを見せ、挑発する。フィリーネは力を入れて押し込もうとしているようだが、やはり右腕に力が入っていない。次第に謎の男のランスに押されていく。そして遂には、ランスに剣を振り払われてしまい、無理して出していた力が一気に抜けたように、フィリーネは大きく体勢を崩してしまった。その隙を、謎の男は逃さない。すぐにランスが突き出され、フィリーネの左腕を貫いた。「があっ!!」 フィリーネが悲鳴を上げた。青い血が流れ、左手が力なく落ちる。だが、謎の男の攻撃はまだ終わらない。ランスを引き抜くと、今度はランスを勢いよく横に振り、フィリーネを思い切り殴った。容赦なく弾き飛ばされ、背後にあった電柱に叩き付けられるフィリーネ。「フィリーネ!!」 ユウトは思わず声を上げる。その時、謎の男のランスが激しく光り始めた。以前、フィリーネが“エクストリームアタック”なる攻撃を使用した時と同じように。という事はまさか。ユウトの確信は現実のものになった。「さあ、覚悟を決めるんだ!! “ハードクラッシュ”!!」 謎の男が叫ぶと、ランスをフィリーネに一気に突き出した。そして、フィリーネの腹を一気に深々と貫く。再び、フィリーネは悲鳴を上げた。だが、それだけで終わらない。ランスからフィリーネの体に、稲妻のようなものが走り始めたのだ。「があああああああっ!!」 いつにない悲鳴を上げ、もがくしかないフィリーネ。ユウトはその光景を前に、冷静さを完全に失っていた。これでは、森で謎の集団と戦った時と同じだ。このままだと、フィリーネは今度こそ本当に殺されてしまう。その瞬間、ユウトの理性は完全に吹き飛んでいた。「止めろおおおおおっ!!」 なぜそんな事をしようと思ったのかはわからなかったが、気が付くとユウトは、謎の男を止めようと全力で飛び出していた。謎の男はユウトの姿に気付き、素早く盾を突き出す。それに阻まれ、ユウトは跳ね飛ばされてしまったが、フィリーネはその隙を突いて、力を振り絞り右手に握る剣を振った。謎の男がそれに気付き、離れようとしたが、その前に剣の一閃は謎の男の体を切り裂いた。「ぐっ!」 ランスを抜き、その場を離れた謎の男は、フィリーネと同じく青い血を流し、がくりと膝を突く。満身創痍のフィリーネは、その場を動く事はなく、荒い息をしていたが、剣を真っ直ぐ謎の男に向けていた。「くそ……ここは、一度引き上げるしかないか……! グレート・ロケット団から、金はもらえないけど……!」 謎の男はそうつぶやくと、一気にジャンプし、近くの建物の屋根に飛び上がったと思うと、そのまま夜の闇の中へと姿を消した。「ま、待て……がはっ……」 フィリーネは後を追うように一歩踏み出したが、そこまでで口から青い血を吐き、その場に倒れてしまった。同時に、手に持っていた剣がアスファルトの地面に力なく落ち、フィリーネが身に着けていた鎧と共に光となって消えた。「フィリーネッ!!」 ユウトはすぐに、フィリーネの元に駆け寄り、体を仰向けにして起こす。フィリーネは意識を失ってはおらず、肩でかろうじて息をしている状態だった。腕や腹、そして口から青い血を流す痛々しい姿に、ユウトは胸を痛めた。「しっかりしろ!! 大丈夫か!!」「は、はい……何とか……あの時、ユウトが割って入らなければ、私は、死んでいた……」 フィリーネは弱った声でユウトの呼びかけに答える。「どうしてだよ……なんでこんな風になるまで、君は……?」 ユウトは今にも泣き出してしまいそうになっていた。だが、それを見られまいと必死でこらえ、フィリーネに問う。「き、傷付く事を恐れて……戦いが、できますか……?」「そうだけど……確かにそうだけど……!」 こんな状態でも、フィリーネがこのような事を言っている事に、ユウトは更に胸を痛めた。確かに戦いというものは、お互いを傷付けるものだ。だが、目の前でフィリーネが戦いで傷付いていく姿は、ユウトには耐え難いものだった。フィリーネは自分でも言っていた通り、『戦うためだけの存在』なのかもしれない。だが、その容姿はどう見ても少女だ。そんな事を言う存在である事が、とても思えない。ユウトはどうしても、フィリーネが普通の少女に見えてしまい、彼女に戦いは似合わないと思ってしまう。「……とにかく、ボールに入って休んでくれ」 ユウトはこれ以上言葉を続ける事ができず、そう言ってモンスターボールを取り出し、スイッチを押した。ボールが開いた瞬間、フィリーネの体は光に包まれ、ボールの中へと吸い込まれた。その直前、フィリーネがすみません、と言ったように聞こえた。 フィリーネを収めたモンスターボールを見つめながら、ユウトはゆっくりと立ち上がる。そんな彼の元にユウミがやってきた事に気付いたのは、それからすぐの事だった。続く
新キャラの紹介を忘れていたので書きます。ナガト・リュウ イメージCV:三木眞一郎『正義の味方』を自称するポケモンヒューマンの青年。外見年齢は16歳。 自らが得たポケモンヒューマンの力に使命感を感じ、各地でのさばる悪を退治するために旅をしている。政府ポケモン管理局のポケモン大量虐殺を知った事から、政府ポケモン管理局にも戦いを挑んでいる。二枚目でクールな性格だが、ユウミに一目惚れしてしまい、事ある度に近づこうとする。 召喚する武器は大型の拳銃。外観は古風だが、放たれるエネルギー弾の射程・威力は並大抵の銃を大きく超えたものになっている。特性は『狙い撃ち』。必殺技は全てのパワーを集めた拳銃から、ビルをも一撃で破壊する光線を放つ『ギガブラスター』。また、ライダースーツには防弾チョッキの機能も持っている。イザナミ イメージCV:門脇舞以 リュウによって命を救われた10歳の少女。それ以降、「正義の味方には、支えてくれるヒロインが必要」と称して、行動を共にしている。 無邪気な性格で、リュウを慕っている。そのため、リュウがユウミに絡もうとする時は、必ず突っ込みを入れる。見た目によらず万能で、いかなる物事にも高い実力を発揮する。その一方で、どこへともなく姿を消してはまた戻ってくる、どこか世間を知り尽くしたような発言など、謎めいた行動が多い。魔法陣のようなものが表紙に書かれた辞書のような本を常に携帯しているが、それを誰にも見せようとはしない。クサリ イメージCV:朴ロ美 人々からポケモンを奪う事で恐れられる集団『ロケット団』に雇われているポケモンヒューマン。中性的な容姿を持つ男。 人間とは違う存在であるという自覚故に、犯罪に手を染めて生きるようになった重犯罪者。それに目を付けたロケット団にスカウトされたが、あくまで金で雇われているに過ぎず、実際に所属している訳ではない。漂々としており適当な受け答えが多く、他人とは絶対に馴れ合おうとしない。女に見られる事を嫌悪する。 召喚する武器はランスと盾。高いパワーと防御力を活かし、敵の攻撃を恐れずに正面から突撃する戦法を取る。特性は『当て逃げ』。必殺技はランスで突き刺した敵に破壊エネルギーを流し込む『ハードクラッシュ』。アキスギ・セイル イメージCV:伊藤静 グレート・ロケット団の女性幹部。その実力は高く、ボスからも信頼されている。 プライドが高く、雇われた存在のポケモンヒューマンであるクサリには強い対抗心を抱いている。クサリの監視役的存在だが、その役目を嫌っている。任務では確実に達成するためにさまざまな知恵を巡り合わせる。手持ちポケモンは全て違法な肉体改造が施されたポケモンである。シロガネ・ユキナ イメージCV:根谷美智子 トビシティで活動している私立探偵。スーツ姿が特徴的な女性。 一見すると生真面目な印象だが、実際には胸の奥に熱い心を秘めた、正義感の強い性格であり、ユウミからもカッコイイと言われて慕われている。ポケモンを操る能力が高く、大会での優勝経験もあるという。まだ、射撃技術もずば抜けている。口癖は「あなたの罪を吐かせてもらうわ!」。 グレート・ロケット団の事件を捜査する中でユウト達の事を知るが、彼らが既に『殺されている』人間である事を知り、独自調査を始める。
グレート・ロケット団。 それは、ポケモンを不正に捕獲し、さまざまな悪事に利用する事で人々から恐れられているマフィアである。その行動はさまざまで、珍しいポケモンを密猟して裏市場に売りさばく、ポケモンに違法な改造手術を施す、はたまた世界征服を狙っている、などという噂まで流れている。かつては『ロケット団』という名前で活動していたが、50年以上前に一般トレーナーの手によって壊滅。だがそれでも、組織での活動で多くの利益を得た人々の欲望は活動を止める事はなく、やがて彼らのような残党勢力によってグレート・ロケット団として再結成される事となる。そして今でも、ポケモン**(確認後掲載)の代名詞的存在としてその名を轟かせているのである。その強大さは、警察でさえどんなに団員を捕まえても勢力の衰えを見せないほどである。 グレート・ロケット団のアジトは、巧妙に偽装されており、警察などに発見されないようになっている。そんなアジトの一室の中に、ランスと盾を持って人々を襲っていた、あの謎の男の姿があった。正面にある大型スクリーンに映る強面の男の前に立っている。その背後には、黒い制服に身を包んだ、複数の団員達が姿勢を正して立っていた。『今回は珍しく失敗したようだな、クサリ』「そこは申し訳なかった、ボス。だけど、朗報もありますよ。だからこうやって話しているのではないですか」 クサリと呼ばれた男は、敬語そこ使っているものの上下関係などあまり気にしていないような態度を見せて、ボスと呼んだ男の言葉に答えた。『ほう、何だ? 話してみろ』「ポケモンヒューマンですよ」『ポケモンヒューマン?』 ボスが繰り返すと、クサリの口元が少し笑った。「そう。僕は偶然、そいつに出くわしたんですよ。剣と鎧を召喚して戦う、少女のポケモンヒューマンでしたよ。少し手違いがあってそいつは倒し損ねてしまいましたが、むしろそうなってよかったと思いますよ。こうやってボスに報告する事ができたんですから」 クサリは自信たっぷりな笑みをボスに見せる。その表情を見たボスは、なるほど、と一言つぶやいた。『確かにそいつは捕える価値がありそうだな。管理局の連中に持っていけば喜ぶかもしれん』「では、決まりという事ですね、ボス」 ボスの言葉を聞いたクサリは尋ねる。その言葉に、ボスはすぐに相槌を打ったのだった。 ボスとのやり取りを終え、クサリはアジトの廊下を歩いていた。 何人か通り過ぎる団員達と異なり、彼だけは制服を身につけていない。というのも、ロケット団の正式なメンバーではないからである。クサリは、『ポケモン1匹奪うにつき70万円』という報酬で雇われているだけなのだ。そのため、彼はボスに対する忠誠心というものも特にない。あくまで自分のやりたい事のために、ロケット団に雇われているに過ぎないのである。 気が付けば、周囲には歩く団員の姿はいつの間にかなくなっていた。だがクサリにとってはそれが心地よいものだった。彼は煩わしい存在である他人といるより、1人でいる方が落ち着くのだ。自分はポケモンヒューマンであって、人間とは違う。クサリはそう思っていた。「ポケモンヒューマン、クサリ」 その時、目の前から急に聞き慣れない、幼い声が聞こえた。足が自然と止まる。すると、目の前にある廊下の曲がり角から、1人の少女が姿を現した。流れるような黒いロングヘアーに、黄色のシャツと白のミディスカートに身を包んだ、幼い顔立ちの少女だった。年齢は10歳程度だろうか。手には何やら円と三角で構成された魔法陣のような模様が表紙に書かれている、1冊の本を持っている。どう見ても民間人だ。ロケット団の人間ではない。しかも、自分の呼び名を知っている。「な、何者だ!? どうやってこのアジトに侵入した!?」「フフ、安心して。あたしはイザナミ。あなたの敵じゃないから」 イザナミと名乗った少女は、目の前で無邪気に微笑んでみせる。それが尚更、クサリには不気味に見えた。敵ではないと言ってはいるが、その言葉が信じがたい。このような少女が普通、アジトに入れるはずがないのだ。その笑みの下に隠れた本心では、油断させて攻撃を仕掛けてくると考えているのかもしれない。「何が目的でここに来た!?」「それは、あなたに会うためよ、クサリ」 クサリの問いに、イザナミはすぐに答えた。その返答に、クサリは更に驚いた。彼女はなぜ、自分の事を知っているのか。驚いている間に、イザナミは話を続ける。「あなた、このグレート・ロケット団って組織にいて、満足してる?」 その質問に、クサリは更に驚かされた。少女はなぜ、そんな質問をするのか。その真っ直ぐな目は、ただの少女のものとは思えないような眼光を放っているように思えた。「そんな事を聞いてどうする!? 一体何が目的だ!?」「……まだわからない、か。だけどその内わかるよ。ここがあなたの本当の居場所じゃないって事がね」 クサリは問うが、イザナミの言葉はやはり、何を言いたいのかが理解できないものだった。この少女は、一体何者なのか。目的は何なのか。明らかに、普通の少女ではない。クサリはそれを何とかして問いただそうとしたが、その前にイザナミは背中を向けてしまう。「じゃあね。また、会いに来るから」 イザナミはそう言って、廊下の角へと去っていく。待て、とすぐに後を追いかける。だが、彼女が去って行った角を見ても、そこには誰の姿もなく、先程まで誰かがいた事が、まるで嘘のように静まり返っていた。尚更イザナミの正体に得体の知れなさを感じる。まさか、幽霊だとでもいうのか。クサリはその場に立ち尽くすしかなかった。「よっ、クサリ!」 その時、クサリは不意に声をかけられた。振り向くとそこには、1人の女性が壁に背中をもたれかけて立っている。他の団員とは異なるグレーの制服を身に着けており、銀色の癖毛が特徴的だ。顔立ちは誰だって美人と言うであろうものであったが、クサリにとってはあまり関わりたくない人物だった。「セイルか」 クサリは、その女の名をつぶやいた。「こんな所で何をしているのかしら? さてはこの間の失敗をボスに厳しく注意されて、落ち込んでいたのかしら?」 セイルと呼ばれた女性は、そう言ってからかうように笑ってみせる。あまり関わりになりたくなかったクサリは、すぐに話を終わらせようと言葉を返す。「勘違いしないで欲しいな。僕の方からボスに連絡を入れただけだよ。そんな事言ってる暇があったら、少しは次の任務の事でも考えたら?」 そう言って、クサリはセイルの前を通り過ぎ、元来た廊下を逆方向に歩いていく。 よく言うよ、金で雇われたよそ者のくせに。通り過ぎた後、セイルが嫌味そうにそうつぶやいたのを、クサリは聞き逃さなかったが、無視して廊下を歩いて行くのだった。 * * * 時間は多少前後する。 事件の直後、ユウトは探しに来たユウミと合流し、すぐにユウミに事実を話した。 フィリーネが急に感じて飛び出した事。 追いかけて行った時に、謎のポケモンヒューマンに襲われた事。 そこにフィリーネが現れて戦ったものの、謎のポケモンヒューマンに危うく殺されそうになった事。 その事件には当然、ユウミも驚いた。彼女が以前言っていたように、人を襲うポケモンヒューマンが本当にいたのだ。ともあれ、ユウミはすぐに事件の事を通報した。現場には複数のパトカーが集まり、厳重に封鎖した上で現場の調査が始まっていた。「なあ、ユウミ」 ユウトは、ユウミに尋ねる。「何?」「警察呼んで、大丈夫なのか?」 ユウトは不安だった。ほとんどの人にとっては実在するかどうかもわからない噂の存在に過ぎないポケモンヒューマンの事を言っても、誰も信じてもらえないと思っていたからである。初めてフィリーネの戦いを見た時のように、警察に相手にされなくなるのではないだろうかと思わずにはいられない。「しょうがないでしょ、事件が起きたのに通報しない訳にはいかないじゃない。ポケモンヒューマンの事は何とかしてごまかすしかないわよ」「まあ、そうだけどさ……やっぱり嘘を言うのはまずいんじゃ……」 ユウトがそこまで言いかけた時、ふとユウミが、顔を横に向けた。見ると、そこにはこちらに走ってくる1台の自動車が。だがそれはパトカーではなく、どう見ても普通の自動車だった。それが目の前に停止すると、運転席のドアが開かれた。そこから現れたのは、しっかりと整えた背広に身を包む、眼鏡をかけた女性だった。見た所、警察官ではなさそうだ。では誰なのだろうか。「わあ、カッコイイ……!」 その姿を見た途端、ユウミが目を輝かせてつぶやいた。相変わらずユウミはカッコイイ女性には目がないのか、とユウトは少し呆れてしまう。そんな2人の前に、女性はやってきた。「君達は、もしかしてこの事件の関係者?」「あ、はい! 警察に通報した者です!」 女性の問いに、ユウミははっきりと答えた。「あの、あなたは……?」「ああ、ごめんなさい。私は私立探偵のシロガネ・ユキナ。警察の依頼で、事件の調査をしているの」 ユウトの問いに、女性は義務的な口調で名乗った。「シロガネさんですね!! 探偵にこんなカッコイイ女の人がいるなんて、思ってもいませんでしたよ!!」 するとユウミはいきなり人気アイドルにでもあったように興奮しながら前に出て、女性に尋ねる。そんなユウミに、女性も少し驚いている様子だった。「あ、はあ……?」「あたし、あなたみたいなカッコイイ女の人に憧れているんです!! どうやったら、あなたみたいになれるのか教えてください!!」「お、おい止めろよユウミ!! 失礼だろ!!」 今出会ったばかりの人物にこんな態度で迫る事は失礼極まりない。我を忘れてユキナに言い続けるユウミを、ユウトは間に入って必死に止める。「そ、そう……で、こちらはいつ本題に入ればよろしいの?」 ユキナは、ユウミの態度に少し呆れている様子だった。それに気付いたユウミは、すぐに頬を赤くしてごめんなさい、と一言謝り、一歩下がる。ユウトもすみません妹が、と一言謝るが、ユキナは別に構わないわ、と答え、咳払いを1つした。「まず、2人の名前を聞かせてもらえるかしら?」「あ、はい。シラセ・ユウトです」「シラセ・ユウミです。旅のトレーナーです」 ユウトとユウミは、それぞれ自己紹介した。シラセ・ユウトさんにシラセ・ユウミさんね、と自らの口で名前を確認してから、ユキナは問い始めた。「最初に聞きたい事があるのだけれど、君達は犯人の姿を目撃しているそうね」 ユキナが言うと、ユウミがほら、第一発見者、とユウトに声をかける。自分が答えるべき場面だ、と気付いたユウトはすぐに答えた。「あ、はい! そうです! こっちも危うく襲われそうになったんですけど、そ、その……」 ユウトは言葉に迷った。犯人がポケモンヒューマンだったという事を話しても、信じてもらえないかもしれない。かと言って、嘘を言う事にも抵抗がある。戸惑っている間に、ユキナが先に口を開いた。「その犯人ってもしかして、槍と盾を持っていなかったかしら?」 その言葉を聞き驚いたユウトは、え、と声を裏返してしまった。まさか、あの謎の男がポケモンヒューマンだという事は、もう知られている事なのだろうか。ユウトはそう思いつつ、答えた。「あ、はい……」「やはりね。この辺りでグレート・ロケット団による強盗殺人事件が頻発しているのだけれど、その目撃情報で槍と盾を持った人物を見た、というものが多いのよ。遺体からも槍のような鋭利なもので刺された傷跡があるものが見られたのだけれど、その正体は未だ不明のまま……」 ユキナは説明した。どうやら謎の男そのものの目撃情報は多いようだが、ポケモンヒューマンである事はまだ認識されていないらしい。悪名高い秘密結社グレート・ロケット団がこの周辺で事件を起こしているようだが、ユウトは謎の男がグレート・ロケット団の名を口にしていた事を思い出した。「そういえば、言っていましたよ。グレート・ロケット団が何とかかんとかって……」「それは本当なの!? やはりその人物はグレート・ロケット団と関わりはあるらしいわね……」 ユウトの言葉を聞いたユキナは、すぐに手帳を取り出し、ペンで書き込む。サスペンスドラマでよく見られる光景だ。ユキナは、謎の男について真剣に調べているようだ。自分が思っていた事が外れてよかったとユウトは思ったが、念のために聞いてみた。「あの、シロガネさん」「何かしら?」「もしかして……その人物が、ポケモンヒューマンだって考えたりしてるんですか?」 その質問を聞いたユキナは、一瞬目を丸くしたが、すぐに答えた。「……確かに、そんな噂はあるみたいね。それは私にもわからないけど、目撃情報が多い以上、でたらめな存在ではない事は確かね。少なくとも、そういう噂には必ず裏があるものよ。空想の産物に過ぎないポケモンヒューマンが、実在するはずはないのだから」 ユキナは謎の男をポケモンヒューマンとは認めていないようだが、謎の男の存在そのものを否定している訳ではないようだ。ユウトが確信した時、ユキナの背後からいきなり声が聞こえてきた。「それは違いますよ探偵さん! ポケモンヒューマンは実在するんだよ!」 ユキナは突然の声に驚いて振り向く。そこには、ユウトが見た事のある顔の男が映っていた。昼間、公園で会ったフリーカメラマンだ。確か、テイク・ケリーという名前だったか。「僕はかつて実際に見たんだ、槍と盾を持った謎の男が、青い血を流している所を! 写真も撮ったけれど、見せても誰も信じてもらえなくて、相手にされなかった! だが、これは本当なんだ! 目撃者の君達もわかるだろう……」 ユキナが入り込む隙もないほどに熱弁するテイクであるが、そこまででたまりかねたユキナに強引に止められてしまう。「今は聞き込み捜査の真っ最中です! 邪魔をしないでください!」「おいっ、こら待て!! 僕は本当の事を話しているだけだぞ!! 離せーっ!!」 ユキナに強引に押されながらも、テイクは叫び続けるが、それも空しく彼は退場となった。その光景を、ユウトとユウミは黙って見つめるだけであった。まさか彼は、ポケモンヒューマンが本当にいるという事を信じているのだろうか。それは同胞として嬉しいような気持ちもあったが、フィリーネらの存在を知られたらどうしようという不安もあった。 テイクを追い出してから、ユキナは改めて事件の経緯をユウトに尋ねた。ユウトはフィリーネの事を話しても信じてもらえないだろうと思ったため、嘘をついているという罪悪感を抱きながらも、謎の男からは何とか逃げ切った、と誤魔化したのだった。 * * * 翌日。 傷を癒したフィリーネは、モンスターボールから解放された。ここは、ポケモンセンターの宿泊室だ。どうやらあのまま、朝まで眠ってしまっていたようだ。「なあフィリーネ。あの時なんであんな事したんだ?」 開口一番、ユウトはフィリーネに尋ねた。「あんな事、とは?」「とぼけるなよ! あの時勝手に出て行ったのはどうしてなんだって聞いてるの!」 ユウトはなぜか怒っている様子だったが、その言葉を聞いて、フィリーネは自分がポケモンセンターから出て行った理由を聞かされている事を理解した。「あの時、不意に何かの気配を感じ取ったのです。普通の人ではない気配を」「普通の人でない気配?」 ユウミが、フィリーネの言葉を繰り返した。「ええ。ですから私は、敵なのかと思ってすぐに行動したのです。そして探してみればやはり、その人物は私と同じポケモンヒューマンで……」「だからって、勝手な行動はしないでくれよ! こっちは急に出て行ったフィリーネを探そうとして、あのポケモンヒューマンに襲われる羽目になったんだぞ!」 フィリーネが言い終わる前に、ユウトは強く言い放った。フィリーネは驚いた。偶然あのポケモンヒューマンを発見した時、ユウトがなぜそこにいるかフィリーネも疑問に思ってはいたが、まさか自分を探すために出て来ていたとは。「お兄ちゃんの言う通りよ、フィリーネさん。勝手な行動は周りに迷惑をかけるって事くらい、わかってるでしょ?」 ユウミも言葉を続ける。考えてみれば、ユウミの言う通りだ。フィリーネは思った。あの時、気配を感じた瞬間、自分は何も考えずに本能的に飛び出してしまった。それが結果的に、ユウトが危機に晒されるきっかけを作ってしまったのだ。つまり、責任はフィリーネ自身にある。「とにかく、今度からは何か感じても勝手に行動しないでくれよ」「はい、すみません」 自らの責任を感じたフィリーネは、軽く頭を下げ、はっきりと謝った。わかってくれればいいんだ、と言葉を返したユウトの表情が元に戻った。「それにしてもフィリーネさん、どうしてポケモンヒューマンがいるって事がわかったの?」 ユウミがフィリーネに尋ねた。「そんな事を言われましても……ただ、リュウと会った時と同じ感触がしただけで……」「リュウと会った時……そうか、わかった! 多分フィリーネさんって、ポケモンヒューマンの気配を感じ取る事ができるんだわ! これって結構奴に立つかもしれない!」 ユウミは納得して手を一度叩いてつぶやいた。「フィリーネさん、ポケモンヒューマンの気配を感じたら、あたし達に知らせるようにして」「あ、はい」 ユウミの言葉に、フィリーネはうなずいた。自分は、この2人と行動を共にしている事をあまり意識していなかったのかもしれない。これからは、この2人としっかり歩調を合わせていかなければならない。2人は、自分の記憶を探す事を手伝うために、ここにいるのだから。 食事を終え、3人はポケモンセンターを後にした。だがしばらく歩いて人の集まるビル街の外に出た時、3人の前に突然、思いもしなかった人物が現れた。「やあ、君達! 探したよ!」「あ、あなたはあの時の……!?」 それは、あのフリーカメラマン、テイク・ケリーだった。彼の突然の出現に、ユウトとユウミは驚いた。一方のフィリーネは、ユウトとユウミはフィリーネがモンスターボールに収納されている間に会っている事を知らないので、それほど驚きはしなかった。むしろ、なぜ2人がそこまで驚いているのかがわからなかった。「何も驚く事はないだろう? 僕は君達に聞きたい事があって来ただけだよ」「聞きたい事って……何ですか?」 ユウミが恐る恐る尋ねる。「この間の事件の事ですよ」 テイクの口元がなぜか笑った。そしていきなりフィリーネを指差し、堂々と尋ねた。「お嬢さん、君は、ポケモンヒューマンとしてあの槍と盾を持ったポケモンヒューマンと戦っていただろう?」 フィリーネはその問いに驚いた。彼とは一度しか会っていないはずなのだが、それだけで自分がポケモンヒューマンだという事を見破ったというのか。「な、何を訳のわからない事を言ってるんですか! フィリーネはポケモンヒューマンなんかじゃ……」 ユウトが慌てた様子でテイクとフィリーネの間に入り反論するが、テイクはそれでも自信があるように懐から何かを取り出した。「では、この写真は何かな?」「シャシン……?」 テイクがフィリーネにとって聞き慣れない言葉を発すると、取り出したものを見せる。それは小さな紙に描かれた絵だった。そこに描かれていたのは、紛れもなくフィリーネが昨夜、謎のポケモンヒューマンと戦っている様子だった。ユウトとユウミはそれを見て驚きの声を上げたが、フィリーネは自分が映っている事よりも、まるで目で見たものをそのまま映し出しているような絵の出来栄えに驚いていた。「こ、これは……!? あなたが描いた絵なのですか!? 何と上手な……」「フィリーネ!! そんな所に驚いてどうするんだよ!!」 思わず発したフィリーネの言葉に、ユウトがすぐに突っ込みを入れた。「どうするも何も、ここまで上手な絵を私は見た事がありません」「当たり前だよ!! それは写真なんだから!!」 フィリーネとユウトはそんなやり取りをする。テイクはその光景に少し驚いていたが、とにかく、と強く言って2人を止めてから、言葉を続けた。「僕は夕べあの場所にいたんだ。前から追っている槍と盾を持ったポケモンヒューマンをカメラに収めるために。その時偶然、君があのポケモンヒューマンと戦う様子を見たんだ。僕も思っていなかった。まさかもう1人ポケモンヒューマンがいたなんてね。結局、本来の目的だったポケモンヒューマンには逃げられてしまったけど、収穫は大きかった! なぜなら、君というもう1人のポケモンヒューマンの存在を確かめられたのだから!」 テイクは入り込む隙もないほどに目の前で熱弁する。その熱の入りぶりは、フィリーネも少し引いてしまいそうになるほどだった。「だから是非とも、君の話を聞かせて欲しいんだ! そうすればきっと、いや必ず、メディアの連中も信用するに違いないはずだ!」「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!! いきなりそんな事言われても困ります!!」 テイクはフィリーネに詰め寄るが、そこにすかさず、ユウミが間に入って制止する。「困るってどういう事だい? メディアで取り上げられれば、有名人になれる事間違いなしなんだぞ?」「いや、そういう問題じゃありません!! あたし達には、都合というものがあるんですよ!!」 テイクの言葉に、ユウミは反論し続ける。それを聞いていたフィリーネは、メディアという言葉の意味がわからず、2人がどういう事を話しているのかが全く理解できなかった。「あの、『めでぃあ』とは一体……?」「ああ、後で説明するよ……」 フィリーネはユウトに問うが、ユウトは一言返しただけだった。 その時。フィリーネの感覚が、何かの気配を捉えた。昨夜と同じ感触。まさか、あのポケモンヒューマンか。周囲を見回すが、あのポケモンヒューマンの姿は見えない。だが、フィリーネの感覚は確実に気配を捉えていた。こちらに徐々に近づいている。「ユウト!! ユウミ!!」 フィリーネはすぐに、2人に呼びかけた。ユウミに言われた通り、気配を感じた事を知らせるためだ。「どうした、フィリーネ?」 ユウトが問う。テイクと言い争っていたユウミもフィリーネの呼びかけに気付き、言い争いを止めてフィリーネに顔を向ける。「来ます! ポケモンヒューマンが!」 フィリーネはそう答え、気配を感じる方向をにらむ。その言葉にユウトとユウミは驚き、テイクはえ、ポケモンヒューマンだって、と何やら期待しているような声を上げる。 すると、建物の合間から、空を飛ぶ何かが姿を現した。円盤型の青い金属のボディを持ち、4本の足と思われるものを外側に広げて、音もなく飛んでいる。ポケモンだ。その上に、人が乗っている。「あれは、メタグロス!!」 ユウミが声を上げた。鉄足ポケモン・メタグロス。その見た目通り、鋼タイプを持つポケモンだ。その上に乗っている人は2人。1人は胸にRという文字が書かれた灰色の服を着ている女だったが、もう一方は紛れもなく昨夜のポケモンヒューマンだった。2人を乗せたメタグロスは、真っ直ぐこちらに向かってくる。 フィリーネはすぐに飛び出した。地面を強く蹴った瞬間、体が板金鎧とマントに包まれ、右手に現れた剣を強く握る。体は勢いよく宙を飛び、あっという間にメタグロスとの間合いが詰まっていく。すると、あのポケモンヒューマンもメタグロスからこちらに向かって飛び出した。その両手に、ランスと盾が現れた。あっという間に距離が詰まり、2人は空中で刃を打ち合った。反動でお互いの体は後方に飛び、落ちていく。2人は体勢を整え、着地した。その横に、メタグロスは足を伸ばしてふわりと着地した。「あの制服は、グレート・ロケット団!?」 ユウミがメタグロスの上に立つ女を見て声を上げた。グレート・ロケット団という名はフィリーネにとって初めて聞くものだったが、その事を問うている暇はない。敵は目の前にいるのだ。「おおっ!! あれは、あのポケモンヒューマンじゃないか!! これはなんてグッドタイミングなんだ!!」 テイクは謎のポケモンヒューマンの存在を確かめるや否や、興奮した様子、鞄の中を手で探り始めた。「あんたが、夕べのポケモンヒューマンね!! 一体何者なの!?」 ユウミが、謎のポケモンヒューマンに向けて叫ぶ。「……君達に名乗る名前はないけれど、あえて言うなら『鎖』だね。人々を固くきつく締め上げ、自由を奪い取る鎖さ」「クサリ……」 謎のポケモンヒューマンの答えを、ユウトがそっと繰り返す。どうやらそれが、彼の名らしい。「セイル、サポートを頼むよ」「あんたに指図される筋合いはないよ!!」 クサリがセイルというらしいメタグロスの上の女に言うと、女は不満げに言い返しつつもモンスターボールを取り出し、スイッチを押す。するとモンスターボールが開かれ、中からポケモンが姿を現した。首周りから闘志を表すように炎を噴き出しているそのポケモンは、火山ポケモン・バクフーンだ。「やってやろうじゃないの!! オーダイル!!」 バクフーンの姿を見たユウミも、すぐにホルダーからモンスターボールを取り出し、投げ付ける。その中から現れたのは、オーダイルだった。オーダイルはバクフーンを強くにらみ、いつでも攻撃できる態勢だ。「フィリーネ、とか言ったね。今日は君に用があって来たんだ。悪いけど君には、ここでお縄になってもらうよ!」 クサリはフィリーネにランスを向け、堂々と告げた。それに驚き、フィリーネが狙いなのか、とユウトが驚いて声を上げた。「断ります。行く手を阻む敵は、倒すのみ!」 フィリーネははっきりと言葉を返し、剣を構えた。「そうか……なら、強引にでも黙らせるまで!!」 クサリはそう返すと、ランスを向けて一気に向かってきた。「今回は昨夜のようは行かないぞ!!」 フィリーネも剣を振りかざし、向かってくるクサリに真っ直ぐ飛び込んでいった。剣とランスが、目の前で打ち合おうとした、その瞬間。 フィリーネの視界が急に、真っ白になった。そして、周囲の風景が一瞬にしてがらりと変わる。それは、銀色の壁で覆われた、球体の中。モンスターボールの中だった。「こ、これは!? ユウト!! どういう事です!!」 ユウトだ。ユウトが自分をモンスターボールに入れたのだ。だが、これから戦おうという時に、なぜ。フィリーネは壁の向こう側に向けて呼びかけるが、その声は向こう側には届く事はなかった。 向かってきたフィリーネが急に消えた事に驚き、クサリは足を止めた。そして、すぐにユウトに顔を向けた。 ユウトは、フィリーネがいた場所にモンスターボールを向けていた。そのモンスターボールは強く震えている。フィリーネの闘争心の強さを表しているかのように。だがユウトは、モンスターボールを開けるつもりはなかった。「ユウミ、ここは逃げよう!!」 ユウトはクサリに背を向け、一目散にその場から逃げ出した。えっ、ちょっと、とユウミが驚いている間に、セイルのバクフーンがオーダイルに攻撃を仕掛けてきた。ユウミはやむなくオーダイルを呼び出し、ユウトの後を追う。このような状況でもカメラを取り出していたテイクはおい、と叫びつつ、カメラを構えたまま追おうとしたが、目を逸らした瞬間、クサリのランスに体を貫かれた。赤い血を流し、崩れ落ちるテイク。それに気付いたユウトは、尚更逃げなくてはならないと焦った。逃げなければ、次にああなるのは自分だ。「逃がすか!!」 だが、クサリは黙っていない。すぐにユウトの後を追ってくる。セイルのメタグロスとバクフーンも共に追う。ユウトは追いつかれまいと必死で走る。「どういう事よ、お兄ちゃん!!」「相手はあのグレート・ロケット団だぞ!! 変な事して関わりにならない方がいいだろ!!」 追いついてきたユウミの言葉に、ユウトは答える。だがその理由よりも強い理由が、ユウトにはあった。 ユウトは、フィリーネを戦わせたくなかった。昨夜の戦いのように傷付いて欲しくないと思っているのだ。彼女がポケモンヒューマンである事はわかっているが、ユウトにとっては、やはり普通の少女に過ぎないのである。ユウミやフィリーネは納得いかないかもしれないが、いくらフィリーネやポケモンがいるからと言って、戦いで事態を解決するなんてとんでもない。ここは逃げて、専門家に解決を任せた方がいい。争い事を好まないユウトは、そう考えていたのである。 ポケモンを操るための手綱であるモンスターボールの拘束力は強い。中に入れられたポケモンはデータ化されているため、ロックが掛かっている限りはモンスターボールから勝手に飛び出す事はできない。フィリーネを自ら拘束してしまう事には抵抗はあったが、そうしなければ戦おうとするフィリーネを止められないと思い、仕方なしにフィリーネを強制的に収納するしかなかったのだ。 だがクサリは、あっという間に追いついてきた。ランスと盾という重そうな武器を持っている事が嘘のように。正面に回り込まれたユウトは、反射的に足を止めた。「驚いたよ。ポケモンヒューマンをモンスターボールに閉じ込める輩がいたなんて。そうやって奴隷にでもしているのかい?」 クサリの口元が笑う。ユウトは答えなかった。「でもそれなら、持ち運ぶのに都合がいい。それを渡すなら、君の命を助けてやろうか?」 クサリは、そんな提案をする。背後では、ユウミに襲い掛かろうとしているバクフーンと、オーダイルが既に戦い始めている。ユウトも、ポケモンのタイプに相性がある事は知っており、水は炎に強いという基本的な事はわかっている。だが、あのバクフーンはレベルが高いのか、ユウミのオーダイル相手にも優勢に戦っている。下手をすれば、そのまま挟み撃ちにされてしまう。 握っているモンスターボールは未だに震えているが、ユウトはクサリの言葉に何も答えずに、横に走り出した。「非暴力、不服従って奴かい? だけど、僕にそんな事をしたって無駄だよ!!」 クサリはすぐに追ってくる。追いつかれまいとユウトは全力で走る。だが、目の前には運が悪い事に、コンクリートの塀が立ちはだかっていた。足を止め、すぐに振り向く。そこには、ランスをユウトに向けて突き出したクサリの姿が映った。 反射的に体を伏せる。突き出されたランスが頭上を通り抜け、塀に突き刺さった。コンクリートでできた塀をも容易く貫くその威力に、ユウトは震えが止まらなくなる。すぐに駆け出しクサリから離れようとするが、クサリの反応は早い。すぐに後を追う。ブレイズが果敢にも飛びかかったが、振られたランスに殴られ、簡単に弾き飛ばされてしまう。そして、ユウトに向けてランスを突き出す。かろうじてよける事ができたが、そのために足がもつれ、転んでしまう事になった。それでも、震え続けるモンスターボールだけはかろうじて握っていた。ユウトが顔を上げた瞬間、ランスの矛先が目の前にある事に気付き、体が硬直した。「さあ、もう鬼ごっこは終わりだよ。君の負けだ。早くそれを渡すんだ」 ランスを突き付け、勝ち誇るように告げるクサリ。このままだと、間違いなく殺される。だが、フィリーネを渡す事もできない。「い……嫌だ!! そ、それだけは勘弁してくれっ!!」「命乞いかい? そんな事をして、僕が見逃してくれるとでも思っているのかい? そういう奴ほど、おいしい獲物はないんだ」 もはや命乞いをするしかないユウトであったが、それもあっさりと切り捨てられた。よく考えれば、そんな言葉一言であきらめるのなら、こんな事態にはならない。何とかして逃げたいが、ランスを突き付けられている状態では身動きができない。ユウミは劣勢なオーダイルから目を離す事ができないため、救援は望めない。ならば、残された手段はただ1つ。フィリーネを解放し、戦わせる事。だが、それはどうしてもできない。完全に八方ふさがりだ。ユウトは絶望した。今の自分は、もはやまな板の鯉だ。「恨むのなら、自分の迂闊さを恨むんだね」 クサリはそう言って、ランスを引く。そして、一気に突き出された。ユウトの体は、反射的に突き出されたランスをかわそうとした。ランスはユウトの体にこそ刺さらなかったが、矛先はユウトの右腕にかす当たりした。右腕に痛みが走る。思わず声を上げ、反射的に右腕が上がってしまい、手にしていたモンスターボールをその勢いで投げ飛ばしてしまった。 地に落ちたモンスターボール。それは何度か跳ねた後、地を転がり続け、そして、近くにあった電柱に止められた。 その時、偶然電柱によってスイッチが押され、モンスターボールは開いた。 中から飛び出した光がクサリ目掛けて飛んでいき、剣を振りかざすフィリーネへと姿を変える。「おおおおおおっ!!」「何!?」 フィリーネに気付いたクサリは、反射的に振り下ろされた剣をランスで受け止め、後方へ下がる。だがフィリーネは、尚もクサリに向かって行き、剣を振るい続ける。クサリは油断していたのか、剣を受け止めるのに精一杯で、防戦一方だ。「フィリーネ……!?」 ユウトは痛む右腕を左手で抑えながら、目の前に現れたフィリーネに驚きを隠せなかったが、彼女を止める事はなかった。どうしてモンスターボールが開いたのかは知らないが、彼女のお陰で自分は助けられたのだ。そんな彼女を、今更止める事はできない。 刃を打ち合う剣とランス。お互い一歩も譲らない打ち合いが続く。だが、フィリーネは隙を見て一気に飛び込み、剣を振る。クサリはランスでかろうじて受け止めたが、フィリーネに押し返され、反動で体勢を崩して隙を作ってしまう。「はあっ!!」 その隙を、フィリーネは見逃さない。すかさず飛び込み、剣を振り下ろした。だが、クサリも黙っていない。すぐに盾をかざし、振り下ろされた剣を受け止めた。前回と同じ展開だ。まさか、とユウトは一瞬、危惧した。クサリの口元が笑う。その隙にランスをフィリーネに突き刺そうとする。だがフィリーネは、それに気付いていた。受け止められた剣で盾を強引に押し、クサリの体勢を崩させた。そのために、ランスで突きを繰り出す事ができなかった。再び体勢を崩したクサリの懐に、フィリーネは容赦なく飛び込み、剣を振り上げた。「があっ!!」 剣はクサリの体を切り裂き、青い血が飛ぶ。クサリはその場に背中から倒れこんでしまった。それを見たフィリーネは、すぐに剣を強く握りしめて構える。すると、剣の刃が力強く輝き始めた。止めを刺すつもりだ。そして剣を振り上げ、真っ直ぐクサリに向かって行く。「“エクストリームアタック”!!」 剣がやっと立ち上がったクサリに向けて振り下ろされる。クサリは反射的に盾を構えて剣を受け止めた。そのまま硬直したかに見えたその時、2人を爆発が包んだ。「ぐわああああああっ!!」 衝撃で弾き飛ばされ、倒れるクサリ。盾は完全に破壊されていた。フィリーネも爆発で弾き飛ばされたが、体勢を崩す事なく踏み止まった。「クサリ!?」「これ以上は分が悪い……ここは態勢を立て直して撤収するぞ……!」 クサリの姿に驚くセイルに、クサリはかろうじて立ち上がりつつ答えた。セイルはすぐに、身構えるフィリーネの姿を確かめると、仕方ないわね、と不満気につぶやき、クサリと共にメタグロスの背中に飛び乗る。「待て!!」「バクフーン、“噴煙”!!」 フィリーネはすぐに後を追おうとしたが、セイルの指示によってバクフーンが放った炎が、周囲に降り注いだ事で行く手を阻まれてしまう。その隙に、セイルがバクフーンを回収すると、メタグロスは空に浮かび上がり、風のように飛び去っていった。追えないと判断したフィリーネは、鎧と剣を光にして消し、元の私服姿に戻る。とりあえず、危機は去った。前回のようにフィリーネがやられそうにならなかった事に、ユウトはほっと胸をなで下ろす。「フィリーネさん!」 そこに、ユウミがフィリーネの元に駆け寄ってくる。ユウミの隣には、傷だらけになったオーダイルの姿がある。ユウミはそんなオーダイルをモンスターボールに入れた。「本当に助かったわ! こっちはもう、オーダイルがやられそうになる寸前だったもの!」「そうですか。それより……」 すると、フィリーネの視線がユウトに向けられた。そして、ユウトに歩み寄ってくる。ユウトは自分を閉じ込めた事に関して何か言うのではと思い、緊張で胸が高鳴る。フィリーネはユウトの前に立つと、問うた。「ユウト。なぜ、あの時私にあのような事をしたのです?」 その問いは、ユウトの予想した通りのものだった。その目付きも戦闘の時ほどではないが、強い。「あ、いや、その……戦いになるのが、嫌だったんだよ……」 ユウトはさすがにフィリーネに傷付いて欲しくなかったとは言えず、そう答えた。「なぜ戦いを拒んだのです?」 更にフィリーネは問う。ユウトはその問いに言葉が詰まったが、答えない訳にもいかず、答えた。「だって俺は……フィリーネとは違うんだ! 何でもかんでも戦いで解決するなんて、嫌なんだよ! 暴力反対なんだよ!」「だから戦いを拒んだのですか? 敵に刃を向けられても」 すぐに返されたその言葉に、ユウトははっとした。 ――非暴力、不服従って奴かい? だけど、僕にそんな事をしたって無駄だよ!! ――命乞いかい? そんな事をして、僕が見逃してくれるとでも思っているのかい? そういう奴ほど、おいしい獲物はないんだ。 クサリのあの言葉を思い出す。ユウトは頑なにクサリとの対決を拒み続けたが、戦意があるクサリにとっては、抵抗しない故に自分の思い通りにできる『おいしい獲物』でしかなかったのは明らかだ。喧嘩を売ってきた人なら誰だって、抵抗しないと判断した者には安心して拳を振るうだろう。フィリーネが現れて戦ってくれなければ、自分は確実に殺されていたのだ。「戦意を持つ相手に、そのような思想をぶつけても無駄です。刃を向けられたのならば、こちらも刃を向けなければなりません。さもなくば、殺されるだけです」 フィリーネの言葉が、やけに正当なもののように聞こえる。だからと言って、あの時戦えばよかったのか、やられたらやり返すって事が正しいのか、と考えるのも納得がいかない。とはいえ、ユウトはフィリーネの言葉を否定する事はできなかった。自分が今生きているのは、フィリーネが戦ったお陰なのだ。その事実を否定する事はできない。「ユウト。あなたは戦いというものが嫌いなようですが、その心のままでは、いずれ彼らに容易く殺されてしまいます。もっと現実を見るべきです」 フィリーネがそう告げた時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。続く
ヒイラギ・カホ イメージCV:植田佳奈 ポケモンヒューマンであった父親を殺されたため、復讐のために各地を転々としながら政府ポケモン管理局と戦うポケモンヒューマンの少女。自称16歳。 自分がポケモンヒューマンである事に誇りを持っており、表向きは人当たりがよいが、実際には人間を『旧人類』と見下している。そのため人間に『捕えられた』存在であるフィリーネの事を嫌っているが、可能な時には共闘を提案するなど、復讐のためならば手段を選ばない。ハッキングで情報を収集している。 サイキッカーであり、召喚するブーメランを念力で自在に操る。基本的に使い捨てだが複数召喚可能。特性は『負けん気』。他にも念力で防壁を展開できる他、浮遊する事により簡単な飛行も可能。必殺技は切れ味を増幅させたブーメランを次々と召還し、敵に連続攻撃を浴びせる“ブレードストーム”。
「これは……!?」 手にした写真を見たユキナは驚きの声を上げた。 またしても起きた、グレート・ロケット団による一般人襲撃事件。しかも今回は、白昼堂々の犯行だった。被害者は、先日もグレート・ロケット団に襲われたという、シラセ・ユウトと、その妹であるシラセ・ユウミ。同じ人物が続けて襲われたという例は初めてだ。そんな事件の証拠品として、押収したカメラがある。その事件に巻き込まれて殺されてしまったジャーナリストで、あの時ポケモンヒューマンは実在すると言い張った男、テイク・ケリーが持っていたカメラである。調べによると、事件に巻き込まれながらも、彼は犯人の姿を撮影しようとしていたという。そのため、このカメラに写された写真を見れば、事件の手掛かりが掴めると、ユキナは判断したのである。 そして、現像された写真には、ユキナによって信じられないものが写っていた。目撃情報に聞く、槍と盾を持った人物の姿が、はっきりと写されていたのだ。それだけではない。その人物と対峙しているのは、青い板金鎧を身に纏い、剣を構えている少女だった。その顔には、見覚えがある。捜査の時、シラセ兄妹と行動を共にしていた少女だ。確か名は、フィリーネと言ったか。そう言えば彼女は捜査の時、発言をやたらシラセ兄妹に止められていたような気がする。シラセ兄妹も、彼女が剣を持って槍と盾を持った人物に立ち向かったという趣旨の発言はしていなかった。 そして、もう1枚の写真がある。こちらには何と、シラセ・ユウトが最初に襲われた時の様子を映し出していた。写っているのは、やはり槍と盾を持った人物と、鎧を纏った少女フィリーネだった。2人が出血している様子が写されていたが、事件の捜査では人間の血痕は確認されていない。暗いため血の色は写真ではよく確認できないが、2人がこの写真でいる場所からは、ポケモンの血痕しか確認されていなかったはずだ。この事に関しても、シラセ兄妹からは何も聞いていない。ましてや、この事件にもフィリーネが関与していたという話は初耳だ。 これらの写真が、トリック写真であるような形跡はない。 槍と盾を持った人物に次いで現れた、鎧を纏った少女フィリーネ。 そして、2人の血の謎。 シラセ兄妹は、何か事件に関する重大な事実を隠している。それを自分に言わなかった事には、何か理由があるはずだ。まさかあの2人は、空想の存在であるはずのポケモンヒューマンだというのだろうか。 もう一度調べてみる必要がある。ユキナはすぐに、自らの事務所から動き出したのだった。 * * * 都会の町、トビシティ。 今日も行きかう人々と自動車でにぎわう道路を、ユウトは1人で歩いていた。手には、買い物袋が握られていた。これまでこの町で二度事件に巻き込まれているだけに、自分1人でいるとまた襲われるのではないか、と嫌でも思ってしまうが、頼まれ事をされたのなら仕方がない。ユウトはそう割り切って、ブレイズと共に歩いていた。 ユウトは、ユウミに頼まれて買い物をしていたのである。ユウミは、ポケモンのトレーニングをするという理由で手が離せないらしい。フィリーネも、そんなポケモンのトレーニングに興味を持ち、残る事になってしまった。ユウミが言った理由はどう聞いてもこじ付けのようにしか聞こえなかったが、ユウトはその性分からユウミに逆らう事はできなかった。という訳で、ユウトは1人で買い物をする羽目になったのである。どうせ暇でしょと言われて、妹に買い物を押しつけられるなんて、俺はそれでも兄なのか、と情けなく思えてしまう。 とはいえ、そんな買い物も今は終え、後はポケモンセンターに帰るだけである。ユウトも勉学のために1人暮らしをしていただけあり、買い物は苦手という訳ではない。何より、散歩を日課にしていたユウトは、このように1人で歩く事は好きな方であった。「……あれ?」 だがユウトは、ある事に気付いてしまった。 もうそろそろポケモンセンターが見えてくるはずだったのだが、目の前に見えるのは全然違う建物だ。これまで来た道を逆に辿ってきたはずだったが、いつの間にか違う場所に来てしまっている。慌てて周囲を見回すが、周りは似たようなビルばかりで、自分がどこで道を間違えてしまったのかが見当がつかない。とりあえず違う道を歩いてみるが、いつまで歩いてもポケモンセンターは見えない。それ所か、ますます自分がどの辺りにいるのかわからなくなってきた。「まずい、迷った……!?」 ユウトは愕然とした。見知らぬ町を地図もなしで歩いた結果だからだろうか。まさかこういう時に道に迷ってしまうとは。到着が遅れたら、ユウミ達は心配するはずだ。足元にいるブレイズが、不安そうにユウトの顔を見上げている。 とにかく、まずは気持ちを落ち着かせよう。こういう時に慌てたら、余計に迷ってしまうかもしれない。そして、冷静に対処法を考える。この辺りに、ポケモンセンターを示す案内標識はない。地図はない。電話もない。 ならば方法はただ1つ。誰かに道を尋ねるしかない。早速ユウトは、声をかけてもよさそうな人を探す。道を尋ねて、確実に教えてくれそうな人に声をかけないと不安だったのだ。声をかけても冷たく断られるなんて事は、誰だって嫌だろう。 ふと、ユウトの目に留まったのは、こちらに向かって歩いてくる1人の少女。肩ほどまでの長さがあるツインテールの群青の髪、黄緑のシャツの上に羽織っている緑色のジャンパーに黒いスカートの服装が特徴的だ。年齢はユウトと同年代だろうか。彼女は道を歩きながらも、ノートパソコンを手にして画面を見つめながら歩いている。それでも、目の前からやってくる人とぶつかる事なく、ユウトの横を通り過ぎた。その整った顔立ちは、誰が見ても美少女である事を否定しないであろうものだった。その可憐な表情に目を奪われた、という訳ではないが、ユウトは彼女なら道を聞いても答えてくれそうだと思い、声をかけてみる。「あ、あの、すみません」 その一言を言うだけで、なぜかかなりの勇気を使ったような気がした。人に道を尋ねるという行為が恥ずかしかったからかもしれないし、相手が異性だという事もあるかもしれない。「ん?」 少女がユウトの声に気付き、足を止めてこちらを向いた。「あの……失礼しますけど、ポケモンセンターって、どこへ行けば行けますか?」「……何? そう言ってあたしをナンパでもするつもりなの?」 少女はユウトの問いを聞くや否や、手にしているノートパソコンを閉じながらそんな疑問を返した。突拍子もない事を言われたユウトの顔は、一瞬で熱くなった。「あ、いえ! そんなつもりはないですよ! 道に迷ったのは本当で……」 ユウトは慌てて反論するが、それを見た少女はクスッと笑った。「何本気になってるのよ。ちょっと冗談を言ってみただけ。ポケモンセンターなら知ってるわよ」 少女の言葉を聞いて、ユウトはほっと胸をなで下ろした。あらぬ疑いをかけられて、道を教えてもらえないのかと一瞬思ってしまったが。「ここからだと、ちょっと行き方複雑なんだけど……いいわ、あたしが案内してあげる」「え、いいんですか? ありがとうございます!」 少女は、自らポケモンセンターへの道を案内してくれるようだ。自分の用事もあったであろうに、なんて親切な人なのだろうか。ユウトは礼を言わずにはいられなかった。「いいのよ、別に。それに、堅苦しいからいちいち敬語なんて使わなくていいわよ」「あ……ああ、ごめん」 初めて会うという人が相手でも、敬語を使わなくていいと言うとは。そんな少女の心の広さにユウトは一瞬動揺してしまったが、彼女の言う通り敬語を使わずに答えた。「じゃ、ついて来て」 そう言って、少女は歩き出した。ユウトは彼女の後をついて行く。とりあえずはこれで帰る事ができるようになり、ユウトはほっと胸をなで下ろした。後は、少女の案内通りについて行けばいいだけである。「ねえ」 その時、不意に少女に声をかけられた。もう声をかけられる事はないと思っていたユウトは、大きく動揺してしまった。「あ……な、何?」「ここに来るのって、初めてなの?」 少女の質問そのものは、何の変哲もない平凡な質問だった。ユウトは気持ちを落ち着かせて答える。「あ、ああ、そうなんだよ。でも、どうしてそんな事聞くんだ?」「別にいいでしょ。ただ歩いているだけじゃ退屈するじゃない」 ユウトが問い返しても、少女は肩越しに視線を向け、まるで友達に対するように言葉を返すだけだった。まあ、そうだけど、と答えるユウトは、初めて会った人とは思えないほどに親しく接してくる少女に、若干戸惑いを隠せなくなっていた。嫌でも異性として意識してしまいそうになる。「で、聞くけど、もしかして旅のポケモントレーナーなの?」 少女は顔を戻し、改めてユウトに問う。「あ、いや、俺はポケモントレーナーなんかじゃないよ。俺、ポケモンバトルって嫌いなんだ」「へえ、そう。私も同感よ」 ユウトの答えにも、少女は平然とした言葉を返した。ユウトは意外さを感じた。ポケモンバトルが嫌い、という言葉には変だとも何とも言わない。彼女はむしろ同感している。今までユウトは、ポケモンバトルが嫌いだと言うと周りから変な目で見られたものだが、自分と同じ考えを持っている人がいたとは。ユウトは少女に親近感を抱かずにはいられなかった。「『剣闘士』って知ってる? 名前だけ聞けばカッコイイものだけど、昔人々の見せ物にするために無理やり戦わされた、戦争で捕獲した捕虜とか奴隷とかの事よ。ポケモンバトルなんて、それと全く同じじゃない。血生臭い戦いを見て喜ぶなんて、今の人間はおかしくなってると思うわ」「俺もそう思うよ……そんな事の、何が面白いのかわからないんだよ」 少女の言葉に、ユウトは相槌を打つ。そんなやり取りをしていると、少女が不意に足を止めた。見ると、その先には赤信号が灯っている。もう交差点に来ていたのだ。2人の目の前を、自動車が慌ただしく通り過ぎていく。「……意外ね、あんたとは気が合いそう」 少女の視線が、再びユウトに向けられた。「え……!?」「まさか、あたし以外にもそんな事考えてる人がいるなんて、思ってなかったから」 少女が笑みを見せる。気が合いそう、と言われたユウトは、胸の鼓動が一気に高鳴ってしまった。異性と気が合ってしまったのかと思うと、返す言葉に困ってしまう。「あ、いや……それは、どうも……」 苦笑いを浮かべて誤魔化しながら、ユウトは思い付いた言葉を答える。それが苦笑いだと見抜かれているのか、少女がクスッと笑い、顔を戻す。 信号の色が青に変わった。少女は周囲の人々と同じように、横断歩道を歩き出した。ユウトも、その後に続いて歩き出す。横断歩道を渡り切った時、少女はこちらに体ごと顔を向けた。「ねえ、あんたの名前は?」「ええ!?」 少女の問いに、ユウトは動揺を隠せなかった。ただ道を尋ねるために声をかけただけなのに、少女がまさか自分の名前を尋ねてくるとは。名前を教えるという行為は、お互いの距離が縮まる事を意味する。まさか少女は、自分と付き合おうとでも言い出すのではないのだろうか。そんな極端な考えが嫌でも浮かんできてしまう。「何よ、別に恥ずかしがる事じゃないじゃない、名前を教える事くらい」 少女がユウトの顔を覗き込む。恥ずかしがる事だから問題なんだろう、と心の底で突っ込むユウトだが、とても口に出して言う事はできない。「あたしはヒイラギ・カホ。あんたは?」 ユウトが戸惑っていると、少女の方から名乗ってしまった。先に名乗ってこちらに名乗る事を促すつもりか。だが、名乗られた以上は、こちらも名乗らない訳にはいかない。それが礼儀というものだ。「シラセ・ユウトだけど……」 ユウトは少女――カホから少し目を逸らし、恐る恐る名乗る。「シラセ・ユウト……?」 するとカホは、その名前に少し驚いたように目を丸くした。まるで、その名前を聞いた事があるかのように。そんな反応が不自然に見えたので、ユウトは声をかけようとした。「ユウト!」「お兄ちゃん!」 その時、ユウトの耳に聞き慣れた声が入ってきた。見るとそこには、こちらに向かってくるフィリーネとユウミの姿が。ユウミはこちらに手を振っている。「ユウミ! フィリーネ! どうしてここに?」「いや、フィリーネさんが何か気配を感じてここに来たんだけど、こんな所で会うなんてまさに奇遇ね」 ユウミはいつもと変わらぬ表情を見せる。その横ではフィリーネが、なぜかカホをにらんでいる。そんなフィリーネに、カホも少し驚いている様子だ。「ユウト、その人は……」「あ、ああ、ちょっと道に迷っちゃって、道案内してもらった人だよ」 フィリーネの言葉に、ユウトは慌てて答えた。変な疑いを抱かれたくなかったからだ。それを聞いて、フィリーネの表情は緩む。「なるほどね……」 すると、カホは何か納得したようにつぶやいた。「どうしたんだ、ヒイラギ?」 カホの反応が気になったユウトは、聞いてみる。「いいえ、何でもないわ。こっちの話よ。それにしても、シラセは幸せ者ね」「幸せ者って、どういう事?」「女の子2人に挟まれて旅なんてね」 その言葉を聞いた瞬間、ユウトの顔が一気に熱くなった。「え……あ、いや、その、俺だって好きでそんな事してる訳じゃないんだよ……! だ、断じて!」 ユウトは慌てて否定するが、そんな反応を見たカホは、クスッと笑った。彼女は、自分の事をからかっているのだろうか。ユウトは思わずにはいられない。「ま、とにかく、これで一件落着ね。シラセ、機会があったらまた会いましょう」 するとカホは、そう言ってこちらに背を向けると、軽く手を振って去って行った。ユウトは彼女の背中を黙って見送ったが、機会があったらまた会いましょうと言われても、旅をしている身としては、本当にまた会えるのか、と疑問が浮かぶ。「『旧人類』にも少しはああいう奴がいるのね……」 カホは去っていく時、そんな事をつぶやいていたような気がしたが、ユウトにははっきりと聞こえなかったので、気付かなかった事にする。カホの姿はそのまま、人混みの中へと消えていった。「お兄ちゃ〜ん?」 するとその時、ユウミがユウトの顔を覗き込む。その顔は、にたりと笑っている。「な、何だよユウミ!?」 驚いたユウトは、少しだけ後ずさりする。「買い物行ってる間に、一体何してたのさ〜? あんな美人さんと一緒にいたなんて……?」 ユウミはからかうように、ユウトを肘でつつく。「いや、言ったじゃないかユウミ! 道案内してもらっただけだって!」「ふーん、本当にそうかな〜? ただ道に迷ったからって、あんな美人さんと一緒になるものなの〜? フィリーネさんの事といい、お兄ちゃんは見る目があるね〜!」 ユウトは慌てて反論するが、それでもユウミはからかってくる。これ以上話を続けていたら、ユウミのペースに飲み込まれてしまいそうだ。「う、うるさい! ところでフィリーネ、気配を感じたって聞いたけど……」 ユウミの言葉を一方的に切り、ユウトはフィリーネに問う。フィリーネはなぜか、カホが去って行った方向をじっと見つめていた。「あ、はい。私には、先程のヒイラギという人がポケモンヒューマンに思えたのですが……」「ええ!?」 ユウトはフィリーネの言葉に驚き、声を裏返してしまう。「だけど、俺にはそんな風には見えなかったぞ……?」 ポケモンヒューマンは人間と外観的な違いはないため、はっきりと断定できる証拠はないが、ユウトは雰囲気的にとても彼女がポケモンヒューマンであるようには見えなかったのだ。「ですが……」「まあ、いいじゃない。そうだとしても敵じゃなかったみたいだしね」 フィリーネが言いかけようとした時に、ユウミが首を突っ込む。その言葉を聞いたフィリーネは、そうですね、と納得してうなずいた。「とにかく、ポケモンセンターに帰りましょ!」「そうだな」 ユウミの言葉にユウトはうなずき、3人はポケモンセンターへと戻っていったのだった。 * * * ポケモンセンターでユウトが買った物をまとめた一行は、ポケモンセンターを出発した。一行は今日、トビシティを出発する予定だ。ユウトの買い物の目的は、この町を出る前に、必要になったものを仕入れるためであったのである。 フィリーネの前を、ユウトとユウミが並んで歩いている。2人は何やら、話をしている。「いい、お兄ちゃん。ポケモンという生き物を育てる時にはね、トレーナー自身が『自分がリーダーだ』って事をポケモンに認めさせなきゃならないの。対等に見られたらダメなの。モンスターボールの機能はそれを促してくれるだけで、実際にリーダーとして認めてもらえるかどうかはトレーナーの力量にかかっているのよ」「……だから何だって言うんだよ?」「まだわからないの? フィリーネさんにお兄ちゃんがリーダーだって認めさせて、『自分の言う事を聞け』って注意してやれって事!」「そんな事言ったって、フィリーネは人だし、女の子なんだぞ? それに俺は、ポケモントレーナーなんてものじゃ……」「何言ってるのよ! モンスターボールにフィリーネさんを入れた時点で、お兄ちゃんはフィリーネさんのトレーナー同然なのよ! お兄ちゃんが、フィリーネさんの面倒をしっかり見なきゃいけないんだから!」「ボールに入れた方がいい、って言ったのはどこのどいつだよ……」 ユウミはユウトに何やら強く主張しているが、ユウトはあまり興味がなさそうに聞いている。話の内容はよくわからないが、自分の名前が出てきたという事は、自分の事に関する事だろう。「私の事で、何か?」 フィリーネは気になったので聞いてみるが、それを聞いたユウトとユウミは、驚いてフィリーネに顔を向けた。「あ、いや……別に何でもないよ」「こっちの話だから、フィリーネさんは気にしなくていいから」「そう、ですか……」 2人の返答は、何やら聞かれたくないものを聞かれた時のようなものではあったが、フィリーネは深く問い詰めようとは思わず、それ以上追及する事はしなかった。 その時、一行の目の前に、1台の自動車が現れた。それは、見覚えのある形をした自動車だった。自動車は、すぐ近くで停車する。「あれ、あの車って……?」「シロガネさんだ! 間違いないよ!」 ユウトとユウミもその車に気付く。自動車から降りてきたのは、背広に身を包む、眼鏡をかけた女性だった。ユウミが言った通り、先日の事件に捜査に現れた、シロガネ・ユキナだ。彼女は、事件などの事を調査する探偵という仕事をしている事を、フィリーネはユウトから聞いていた。「よかったわ、来るのが間に合って。探したのよ」 ユキナはこちらに向かってきて、声をかけてきた。どうやら自分達に用があるらしい。一体何があったのだろうか。「シロガネさん、一体どうしたんですか?」「先日の事件について、1つ聞きたい事があるのよ」 ユウトの問いに、ユキナは事務的な口調で答える。「先日の事件について……?」 ユウミが首を傾げる。するとユキナは、ユウトとユウミに鋭い視線を送り、真っ先に問うた。「シラセ・ユウトさん、シラセ・ユウミさん。あなた達は、あの時の事件について、何か隠している事があるでしょう?」「え……!?」 ユウトとユウミは、揃って驚きの声を出した。「フィリーネさんの事について」 ユキナは言葉を続けると、フィリーネに視線を向けた。いきなり向けられたその視線に、フィリーネも少し驚く。「改めて聞くけどフィリーネさん。あなたは事件があった時、何をしていたの?」 単刀直入にユキナは問う。フィリーネは、その質問にすぐに答えようと思った。何せフィリーネは、捜査の時に自分が戦ってクサリというポケモンヒューマンを退けた、という事実を話そうとしたが、なぜかユウトやユウミに止められてしまったのだ。ユキナはもしかすると、それを確かめに来たのかもしれない。「私はあの時……」「あ、いや! フィリーネも危うく、襲われそうになったんですけど……」 フィリーネが話そうとした時、いきなりユウトが間に入って、フィリーネに代わって答えてしまった。前回と同じパターンだ。「ユウト……!」「あなたには聞いていません。私はフィリーネさんに聞いているの」 フィリーネが割って入ったユウトを止めようとする前に、ユキナが先にユウトを止めた。それでもユウトは、食い下がる。「いや、その……そうじゃなくてですね……!」「あなた、この前もそうだったわよね? フィリーネさんが発言しようとすると、フィリーネさんを押し退けてまで自分が発言しようとする……まるで、何か私に言うと不利になる事があるように」 ユキナの鋭い指摘に、ユウトも言葉を詰まらせてしまう。ユキナは、自分が発言を妨害されている事に気付いていたようだ。それを知ったフィリーネは、ユキナが自分の発言の味方になってくれる事を悟った。「そうです、私が話そうとしても、ユウト達はなぜか私を止めて……」「フィリーネ!」 フィリーネの言葉を聞いて、思わずユウトが叫ぶ。「ではユウトさん、この写真は何ですか?」 するとユキナが、1枚の紙を取り出して、こちらに見せる。それは、前にも見せられた写真というものだった。あの時のクサリと、対峙するフィリーネの姿が明確に映し出されていた。「そ、その写真は!?」 ユウトとユウミが驚いて声を上げる。「先日の事件で殺害されたカメラマン、テイク・ケリーさんのカメラから現像したものよ。事件の中でもカメラで何を撮影していたのかと思ったけど、こんなものが映っていたとは私も思わなかったわ」 ユキナに突き付けられた写真の前に、ユウトも遂に言葉が出なくなってしまう。「フィリーネさん、あの時、あなたはこの槍と盾を持った男と、剣を持って戦っていた……あなたは、一体何者なの?」 ユキナの視線が、真っ直ぐフィリーネに向けられた。写真によって、ユキナはフィリーネがクサリと戦っていた事に気付いていた。そしてどうやら、自分が『人間ではない』事にも気付いているようだ。だがフィリーネは、それを隠そうとは思っていない。隠す理由などないと思っているからだ。だから、前回ユキナには自分がクサリと戦った事を話そうと思っていたのだが。「私は……」 フィリーネは真実を話そうとした時、不意にフィリーネは何かの気配を感じ取った。何かが、こちらに迫ってくる。すぐに気配を感じた道路に目を向けた。「フィリーネさん?」「……来ます!」 ユキナの言葉に、フィリーネは一言答えた。すると、フィリーネの言葉を合図にしていたかのように、道路の向こう側から無数の炎がこちらに降り注いできた。「わあああああっ!!」「危ない!!」 ユウトとユウミは揃って悲鳴を上げる。ユキナはそんな2人をかばい、共に素早く道の隅に身を潜めた。フィリーネは素早く念じて鎧を身に着け、手にした剣で飛んで来る炎を弾き返していく。炎の雨が治まると、こちらに向かってくる1匹のポケモンの姿が見えた。先日の事件でも見た、火山ポケモン・バクフーンだ。バクフーンはフィリーネに向け、先程と同じ炎を連続で放ち、攻撃してきた。先程の炎は、バクフーンの“噴煙”だったのだ。フィリーネはバクフーンの姿を確かめるや否や、すぐに炎を剣で弾き返しつつ突撃する。「はあああああああっ!!」 一気に間合いを詰め、フィリーネは剣を振る。だがバクフーンは身軽な動きで剣の一閃をかわし、一度距離を取る。そして剣を構えるフィリーネの前で、その闘争心を表すように首周りから炎を激しく噴き出し、フィリーネに向けて激しく吠えた。「あのバクフーンは!?」 炎の雨が治まり、バクフーンの姿を確かめたユウミは、驚いて声を上げた。「フィリーネさん……やはりポケモンヒューマンだったの……!?」 そしてユキナは、フィリーネの姿を見て驚き、そうつぶやいていた。「フフフフフ……! なかなかの剣さばきね」 すると、バクフーンの背後から別の声が聞こえてくる。見ると、バクフーンの背後には、いつの間にか鉄足ポケモン・メタグロスがいて、その上には女が立っている。先日の事件の時にいた女だ。確か、クサリはセイルと呼んでいた。そして彼女の周囲には、いつの間にか彼女と同じような黒ずくめの服を纏った集団がいる。待ち伏せでもしていたのだろうか。「グレート・ロケット団!?」 ユウトとユウミが、揃えて声を上げた。「お前は、あの時の!!」 フィリーネは女に向かって叫び、剣を構える。「いかにもその通り。この間はやられてしまったけど、今回はそうはいかないわ。私達に捕らえられる覚悟をする事ね、フィリーネとやら!」 セイルは自信たっぷりにフィリーネを指差し、堂々と告げた。「グレート・ロケット団!! 探偵として、あなたの罪を吐かせてもらうわ!!」「あたしだって!!」 ユキナがすぐに前に出た。ユウミも続く。そしてモンスターボールを取り出し、スイッチを押したが、何も反応がない。スイッチを押しても、ボールが拡大されないのだ。「ボールが開かない!?」「どうなってるの!?」 ユキナとユウミは何度もモンスターボールのスイッチを押すが、モンスターボールは沈黙したままだ。「フフフ、無駄よ。今私達は、ボール管理システムを利用して、この範囲内の全てのモンスターボールを支配下に置く装置を起動させているわ。ポケモンで戦おうとしたって、そうは問屋が卸さないわ」 セイルの言葉を聞き、く、とユキナは唇を噛んだ。グレート・ロケット団は、とある装置でモンスターボール管理システムにハッキングし、一定範囲内にいる敵トレーナーのモンスターボールをシャットダウンさせていたのだ。そんな装置の存在など知らないフィリーネにとっては、訳もわからずに多数の敵相手に1人で戦う状況になってしまった。だがそれでも、フィリーネの心は怯む事はない。「何をしたのか知らないが、姑息な真似をした所で!!」 フィリーネは剣を振りかざし、目の前のバクフーンへと向かっていく。あっという間に間合いが詰まり、フィリーネは剣を振り下ろす。だが、バクフーンは身軽な動きで剣をかわした。「まだ状況がわかってないみたいね。あなたは平気かもしれないけど、後ろの3人はどうかしら……?」 セイルの口元が笑う。そして、右手をゆっくりと挙げて合図を出すと、彼女の周囲にいた集団が、一斉にモンスターボールを投げた。その中から一斉に現れたのは、巨大な顎を持つ巨大な蝙蝠だった。蝙蝠ポケモン・ゴルバットだ。ゴルバットは一斉に、ユウト達3人に襲いかかっていく。 フィリーネはそれを見て初めて、自分が置かれている状況に気付いた。グレート・ロケット団は、ポケモンを出せなくする事でユウト達を無防備にし、ユウト達から先に攻撃するつもりだ。ユキナは懐からとっさに拳銃を取り出し、近くにいるユウミをかばうように撃って応戦するが、2人から離れていたユウトは慌てて逃げようとするものの、たちまちゴルバットに囲まれてしまう。ブレイズも数の多さに怯んだのか、攻撃する様子がない。「ユウト!!」 フィリーネはすぐにユウトの元に向かう。そして、ユウトに群がろうとするゴルバットを剣で薙ぎ払っていく。フィリーネ、とユウトの声が聞こえたが、顔を確かめている暇はない。目の前のゴルバットを倒す事に集中する。 ――だって俺は……フィリーネとは違うんだ! 何でもかんでも戦いで解決するなんて、嫌なんだよ! 暴力反対なんだよ! あの時のユウトの言葉を思い出す。ユウトは、戦う事を好んでいない。そんな人間が敵意を持ったものに襲われれば、まず先に殺されてしまう。 そんな彼を、自分が守らなくては。そうしなくては殺されてしまう。フィリーネは自然とそう考えていた。それが、ユウトによってモンスターボールに入れられた事で、『ユウトの手持ち』となった事による影響の現れでもあるという事を、フィリーネは知る由もない。「わわわっ!!」 ユウトが悲鳴を上げて、身を屈める。見ると、背後からもゴルバットが襲いかかろうとしている。フィリーネはすぐに、そんなゴルバットも薙ぎ払う。だが、周囲をゴルバットに囲まれているせいで、どの方向からもユウトに襲いかかってくる。フィリーネはそんなゴルバットへの対応に精一杯になっていた。完全に防戦一方だ。「く……っ!!」「フフフ、さすがのポケモンヒューマンも、守りに精一杯でしょう? その『お荷物』がいて、さぞかし不幸な事でしょうね!!」 セイルの声が聞こえてくると、バクフーンがこちらに向かって“噴煙”を放ってきた。それに気付いたフィリーネはすぐに飛んできた火球を剣で弾き返す。セイルもユウトを狙うつもりなのか。「ぐあっ!!」 その時、背後からユウトの悲鳴が聞こえた。ふと背後を見ると、ユウトが倒れている。頬には殴られたような跡が。ゴルバットの翼で殴られたのだ。そんなユウトに、尚もゴルバットが襲いかかってくる。「ユウト!! くっ!!」 フィリーネは隙を見計らい、すぐにユウトの元に駆け付け、ゴルバットを追い払う。だがそのために、バクフーンに対しては背中を向けてしまう事になった。「隙ありね!! バクフーン、“鬼火”!!」 セイルの声が響く。フィリーネが背後から迫る何かの気配を感じた時には、既に青い火球がフィリーネの目の前にあった。とっさに剣を振ろうとしたが間に合わない。火球はそのまま、フィリーネの右の二の腕に命中した。「がああっ!!」 二の腕に、激しく焼ける熱さを感じ、悲鳴を上げるフィリーネ。思わず二の腕を左手で抑える。フィリーネ、とユウトの声が聞こえた。二の腕は鎧に覆われているが、熱までは防ぎきれず、二の腕に熱が伝わる事になり、火傷を負ってしまったのだ。「メタグロス!!」 そこに、セイルの指示により、メタグロスが地面すれすれに飛行しながら襲いかかってきた。火傷が強く痛むが、そんな事を気にしている場合ではない。敵が迫っているのだ。フィリーネはすぐに剣を構える。そしてメタグロスは、その鋼鉄の塊である右腕を強く振った。剣で受け止めるフィリーネ。だが、火傷の痛みのせいで、腕に力が入らない。そのため、メタグロスの腕を押し返す事ができず、むしろ逆に押し返されている。そして遂には、一気に剣を振り払われてしまう。その強烈な力で、体勢を崩してしまった。そして、メタグロスは続けざまに左腕を振った。今度は受け止められない。「ぐあっ!!」 フィリーネの体が、一瞬で後方へと吹き飛ばされた。そして背中から地面に思い切り叩き付けられた。その衝撃で、剣を落としてしまった。剣がなくては、戦う事はできない。だがそれを許さぬように、メタグロスが更に迫ってくる。フィリーネが立ち上がろうとする間も与えないまま、メタグロスは右腕を振り上げ、強く振り下ろした。「があああっ!!」 体に激しい衝撃が走る。その衝撃は、上半身を覆っていた鎧に大きなヒビを入れてしまう。メタグロスは更にもう一撃加えようと、右腕を振り上げる。意識がもうろうとし始めていたフィリーネにはもはや、それを止める事はできなかった。そしてそのまま、腕は振り下ろされた。「があああああっ!!」 その一撃で、フィリーネの意識は一瞬で吹き飛んでしまった。上半身の鎧は砕け散り、口からは青い血が吐き出され、腹には爪が食い込んで青い血が流れている。フィリーネの体はそのまま力を失い、動かなくなってしまった。「フィリーネッ!!」「フィリーネさん!!」 ユウトはユウミと共に、思わず声を上げた。ユウトが恐れていた事が、再び現実のものになってしまった。メタグロスによって殴られたフィリーネは、メタグロスに踏みつけられたまま動かなくなってしまっている。まさか、殺されてしまったのか。最悪の展開が脳裏を過る。 するとメタグロスは、体を浮かび上がらせると動かなくなったフィリーネの体を2本の腕で器用に掴み、そのままセイルの元へ戻っていく。それを確かめたセイルは、勝利を確信したように笑みを浮かべた。「フフフ、捕獲成功ね。ポケモンヒューマンって、意外と大した事ないのね。全員、撤収するわよ!」 セイルが呼びかけると、今までユウト達を襲っていたゴルバットが素早く下がり、団員達もセイルの元に下がる。「待て! フィリーネをどうするつもりなんだ!?」 ユウトは思わず叫んだ。「あんたに答える筋合いはないわね。だけど、ポケモンヒューマンなんて珍しい素材を見つけたんだから、いろんな事の材料にしない手はないでしょ?」 セイルは勝ち誇ったように、ユウトの問いに答えた。「フィリーネさんを離して!!」「あら、そんな負け惜しみを言ったって、返す訳がないでしょう? このポケモンヒューマンは私達グレート・ロケット団の手で、有効利用させてもらうわ。殺してはいないから、それだけでも感謝しなさい」 セイルがユウミの言葉に答えた時、どこからもなく、黒ずくめのトラックが現れた。セイル達の背後に停車すると、団員達はトラックに素早く乗り込んでいく。セイルも、メタグロスの背中に乗り、バクフーンを回収した。ユキナは、そんなセイルに手にしていたピストルを向ける。「変な行動は起こさない事ね、探偵さん。私はそうするつもりならいつでも、このポケモンヒューマンを殺す事ができるのよ」「く……!」 ユキナは唇を噛むしかなかった。人質を取られている以上は、銃を向けていても迂闊に発砲する事はできない。ピストルはただセイルに向けられているだけで、引き金が引かれる事はなかった。「せいぜいその場で悔しがっている事ね!」 セイルが言うと、トラックは激しいエンジン音を轟かせて動き出した。セイルのメタグロスも、トラックを追いかける形で飛び去っていった。「フィリーネッ!!」 ユウトは思わず叫ぶが、足早に去っていくトラックとメタグロスの背中を黙って見送る事しかできなかった。そのまま、トラックとメタグロスは近くの曲がり角へと消えていった。「くっ、グレート・ロケット団……!! すぐに追わないと!!」 ユキナはわなわなと右手の拳を振るわせると、すぐに自らが乗っていた自動車に乗り込もうとした。「シロガネさん、あたしも行きます!!」「ちょっと、何言ってるの!? ポケモンを持っているからって、あなたのような素人が行くのは危険すぎるわ!!」「だからって、さらわれたフィリーネさんを放っておけませんよ!!」 ユウミが、そんなユキナを止めて主張する。ユキナとユウミはそのまま互いに主張し続けるが、ユウトにはそんな2人のやり取りなど耳に入っていなかった。「俺の……俺の、せいなのか……!?」 口から自然とそんな言葉がこぼれ、がくりと膝が地面に着いた。 ――ユウト。あなたは戦いというものが嫌いなようですが、その心のままでは、いずれ彼らに容易く殺されてしまいます。もっと現実を見るべきです。 先日のフィリーネの言葉が、脳裏に蘇る。 フィリーネは、ゴルバットに襲われた自分を守ろうとした。戦おうとしない自分の代わりに、戦おうとしたのかもしれない。その結果として、フィリーネは隙を晒してしまい、グレート・ロケット団に捕まってしまう結果となった。それは、グレート・ロケット団に対して無防備な姿を晒していた自分のせいだ。自分が完全に、フィリーネの足を引っ張ってしまった。自分がもし戦っていたら、フィリーネは捕まらずに済んだのかもしれない。そんな罪悪感に襲われてしまう。あの時のフィリーネの言葉の意味が、今になってようやく理解できたような気がした。「俺が……何もしなかったから……フィリーネは……!?」 ユウトの体が、僅かだが震え始めた。 初めて会った時から、まだほんの少ししか経っていない。失った記憶を探す手伝いもまだしていない。そんなフィリーネを不幸にしてしまう事になったきっかけを作ってしまったのは、自分自身だ。ユウトの体の力が抜け、自然と倒れこんだ。「そんな……そんな……そんなあああああっ!!」 ユウトは歩道を拳で叩きながら、そう叫ぶしかなかった。その叫びは、町中に空しくこだまするだけであった。 * * * そんな事件の一部始終を、離れた場所にある建物の屋上から見つめていた人物がいた。風でなびく群青のツインテールに緑色のジャンパー、そして黒いスカート姿の少女。ユウトが先程会った少女、ヒイラギ・カホであった。その両手には、ブーメランが握られていた。「やっぱりそういう事だったのね、シラセ……」 カホはつぶやいた。 偶然出会った少年に、興味本位で名前を聞いた時、帰ってきた名前は聞いた事のある名前だった。そしてまさかと思って後に確認してみた結果、シラセ・ユウトは自分が探していたポケモンヒューマンを保護していた人物に間違いなかった。何という偶然だったのだろう。 すぐに行動に移したカホであったが、後一歩遅く、探していたポケモンヒューマンはグレート・ロケット団の手に落ちてしまった。このままでは、『奴ら』の手に渡るのも時間の問題だ。それを何としてでも阻止しなければならない。「こうしちゃいられないわ」 泣き崩れているようにも見えるユウトだが、構っている暇はない。元々カホは、ユウトを助けるという慈愛の精神でここに来たのではないのだ。 すぐにその場から駆け出すカホ。彼女はそのまま、屋上から一気に飛び出した。普通ならそのまま、地面に吸い込まれてしまう所だが、カホはまるで重力に逆らっているかのように、街の上を体1つで飛んでいったのだった。続く
「俺の……俺の、せいなのか……!?」 ユウトの口から自然とそんな言葉がこぼれ、がくりと膝が地面に着いた。 フィリーネは、ゴルバットに襲われた自分を守ろうとした。戦おうとしない自分の代わりに、戦おうとしたのかもしれない。その結果として、フィリーネは隙を晒してしまい、グレート・ロケット団に捕まってしまう結果となった。それは、グレート・ロケット団に対して無防備な姿を晒していた自分のせいだ。自分が完全に、フィリーネの足を引っ張ってしまった。自分がもし戦っていたら、フィリーネは捕まらずに済んだのかもしれない。そんな罪悪感に襲われてしまう。 ――ユウト。あなたは戦いというものが嫌いなようですが、その心のままでは、いずれ彼らに容易く殺されてしまいます。もっと現実を見るべきです。 そんなフィリーネの言葉の意味が、今になってようやく理解できたような気がした。「俺が……何もしなかったから……フィリーネは……!?」 ユウトの体が、僅かだが震え始めた。 初めて会った時から、まだほんの少ししか経っていない。失った記憶を探す手伝いもまだしていない。そんなフィリーネを不幸にしてしまう事になったきっかけを作ってしまったのは、自分自身だ。ユウトの体の力が抜け、自然と倒れ込んだ。「そんな……そんな……そんなあああああっ!!」 ユウトは歩道を拳で叩きながら、そう叫ぶしかなかった。だが、そんな事をしても、フィリーネが戻ってくる訳ではなく、罪悪感は消えない。その叫びは、町中に空しくこだまするだけであった。「俺が……俺が………俺が…………!?」 それでも足りず、自問自答を繰り返すユウト。ブレイズがそんなユウトの顔を心配そうに覗き込んでいた。そんな時に、耳に入ってきたユウミとユキナの声。「あなたは、自分がどんな事をしようとしているか、わかって言っているの!? 悪人を懲らしめる事は、ポケモンバトルとは違うのよ!! 相手はスポーツなんかで勝負は仕掛けてこないのよ!! あなた自身の身にも、危険が降りかかって来るのよ!! 放っておけないからって理由だけで……」「わかっていますよ、それくらいは!! そんなものが怖くて、助けに行けますか!! それにあたしは、旅で危険な目になんて、これまで何回も遭ってきました!!」 ユウミは、自らフィリーネを助けに行くと名乗り上げているようだ。いかにも正義感の強いユウミらしい行動だ。ポケモンという力を持っているから、こういう事が言えるのだろう。 そんな彼女に比べて自分は、何もできない人間だ。フィリーネが戦っている様子も、黙って見ている事しかできない男だ。だから、フィリーネがピンチに陥っても、何も助ける事はできなかった。だが、そんな自分では駄目だ。自分は他人の役に立ちたいという理由で、医者を目指そうと決めたのだ。そんな人が他人を不幸にしてしまうという事は、本末転倒以外の何物でもない。自分のせいでフィリーネが捕まってしまったのなら、何とかしてその罪償いをしなければ。こんな自分に何ができるのかはわからない。だが、そうしなければ、自分の罪悪感を晴らす事はできない。ここで罪償いをしなければ、一生後悔するかもしれない。 ユウトの心の中に、そんな思いが湧き上がっていた。そして横で顔を覗き込んでいるブレイズに顔を向けた。「なあ、ブレイズ……俺がフィリーネを助けたいって言ったら、俺の力になってくれるか……?」 ユウトはブレイズに問う。ブレイズは少しの間黙ったままユウトの顔を見つめていた。こんな事言ってもわからないか、とユウトは一瞬思ったが、ブレイズはユウトの目を真っ直ぐ見て、ゆっくりとうなずいた。「ブレイズ……!」 ブレイズは、自分の気持ちを理解してくれた。たったそれだけの事が、なぜかとても嬉しく思えた。ブレイズの気持ちを確かめたユウトは、自然と体を起こして立ち上がり、ユウミとユキナに顔を向けた。「だけど……!!」「俺も行かせてください!!」 尚もユウミに反論するユキナに割り込む形で、ユウトは言葉を発した。それに驚き、ユウミとユキナがユウトに顔を向けた。「お兄ちゃん!?」「ユウトさん!?」「ユウミと一緒に……俺も行かせてください、シロガネさん!!」 ユウトは改めて、真っ直ぐユキナの顔を見つめてはっきりと言った。断られるかもしれないとは思っているが、ユウトはどうしてもそうしないと気が済まなかった。「な……何をあなたまで!? 何をしようとしているのかわかって……!!」「俺はあいつに……フィリーネに……罪償いがしたいんです……俺のせいで、俺が足を引っ張ったせいで、フィリーネはあいつらに捕まった……だから……助けに行かないと……俺は……!!」 ユウトの言葉に驚いたのか、ユキナは目を丸くしたままだった。だがそんなユキナとは逆に、ユウミは驚きつつも感心したような表情を見せていた。「ほら、お兄ちゃんだって、ああ言っているんです。あたし達は、覚悟はできています。ですからシロガネさん、一緒にフィリーネさんを助けに行かせてください!!」 ユウミはそう言って、ユキナの前で頭を下げた。ユウトはユウミが反発してくるのではないかと思っていたために、自分を擁護してくれた事に少し驚いた。ユウミはそんなユウトの前で、ウインクしてみせる。 ユキナはユウミの態度に驚き、目を丸くしてしばらく言葉を失っていたが、ふう、と一息した後、言葉を発した。「……そう言うなら、断る事はできないわね。過去にも、一般トレーナーの力が悪の組織を打ち破る事に貢献した例はあるもの。だけど、無茶はしちゃ駄目よ。プロとして私の指示には、従ってもらうわ」 ユキナの言葉を聞いた瞬間、ユウミの表情に笑みが浮かんだ。「ありがとうございます!! シロガネさんの言葉通り、あたし達はシロガネさんの指示に従います!!」 ユウミはわざわざ敬礼までして、ユキナの言葉に答えた。ともかく、自分達が同行してもらえる事は許可してもらえた事に、ユウトは胸をなで下ろした。それにしても、昔にも悪の組織に戦いを挑んだ一般トレーナーがいた事には驚かされた。やはりポケモントレーナーは、ポケモンという力があるからこそ、そういう事ができたのだろう。それが逆に危ないような気もしなくもないが。「車に乗って!」 ユキナはそう言って、自らの自動車に乗り込む。ユウトとユウミもすぐにユキナの後を追い、自動車の後部差席に乗り込んだ。ブレイズが乗った事を確かめて、ユウトがドアを閉めた時、ユウミはユキナに問う。「ところでシロガネさん、あいつらをどうやって探すんですか?」「いろいろ話していたせいで、もう後を追いかけるのは無理だわ。だけど、私には心当たりがある場所があるの」 ユキナは自動車のエンジンをかけながら、ユウミの問いに答える。「心当たりがある場所、って?」 今度はユウトが問う。「私だって、グレート・ロケット団が犯行を起こすのを黙って待ってなんかいないわ。これまで起きた事件の情報を集めて、活動拠点にしている場所の目星は付けていた所なの」「なるほど、さすがは探偵ですね! じゃあ、そこに乗り込むって事ですか?」 相槌を打つユウミに、ユキナはうなずいた。そしてじゃ、行くわよ、とユキナは言うと、アクセルを強く踏んで自動車を走り出させた。 いよいよフィリーネの元へ向かう。だがそれは、敵の本拠地に乗り込む事を意味する。何が起きてもおかしくない。だが、そこに行かなくてはフィリーネを助けられない。虎穴に入らずんば虎児を得ず、というものだ。ユウトは少し緊張していたが、その時ユウミが声をかけた。「それにしても、どういう風の吹き回しなの、お兄ちゃん?」「え、何が?」「だって、まさかお兄ちゃんがフィリーネさんを助けに行きたいって言うなんて、思ってなかったもん」 ユウミの言葉が、自分をからかっているように聞こえたユウトは、少し苛立ってユウミから顔を逸らす。「何だよ、おかしいか?」「お兄ちゃんにも意外と男前な所があるんだな、って思っただけよ。そういうのは、あたし嫌いじゃないよ」「ユウミ……」 驚いてユウミに顔を向けると、ユウミの顔は少し微笑んでいた。ユウミとユウトの考えが一致するのは珍しい事だった。対照的な性格故に、昔から2人の意見の食い違いはよくあったもので、最後には気が強いユウミの意見が通ってしまうのが日常的だったのである。こういう時には意見が一致するというのは、やはり兄妹だからなのだろうか。「そんな思いを見せられたら、フィリーネさんもお兄ちゃんに惚れちゃうかもね」 だが、ユウミが続けた言葉を聞いた途端、ユウトの顔が一気に熱くなった。「お、おいユウミ!!」「冗談、冗談」 すぐ反論したユウトに、冗談とは言ったユウミであったが、ユウトのリアクションを見てクスクスと笑っていた。だがユウミはすぐに笑うのを止めて、再びユウトに問う。「でもお兄ちゃん、一体どうやってフィリーネさんを助けるつもりなの? ポケモンバトルろくにした事ないくせに」「う……」 ユウトはその問いに、言葉を詰まらせてしまった。ポケモンバトルの経験はないが、戦う事ができなくても、自分が何かできる事をしようと思っていたが、具体的に何をしようとは考えていなかったのだ。その時ブレイズが、ユウミに何かを主張するように吠えた。そんなブレイズを見たユウミは、何かに気付いてつぶやいた。「……そっか、ブレイズなら戦えなくても役に立てるかも」 * * * フィリーネは、ゆっくりと目を開けた。 目の前に広がるのは、見知らぬ建物の天井だった。自分はあの時、メタグロスに敗れてから、何をしていたのだろうか。そう思いつつ、フィリーネは体を動かそうとした。だが、体が動かない。体を起こそうとしても、手足を動かそうとしても、何かに固定されているように動かせない。見ると、上げている状態の両手が金属のようなもので覆われ、強く固定されている。そして足も同じように固定され、腹にも太いベルトのようなものが巻かれて固定されている事に気が付いた。 自分は何やら台のようなものの上で体を縛り付けられ、拘束されている。その状況にやっと気付いた時、フィリーネの顔を覗き込む人物が現れた。「フフフ、お目覚めかしら?」 それは、あの時メタグロスを操っていた、グレート・ロケット団のセイルだった。見ると周囲には、セイル以外にも団員の姿が複数見える。中には、あのクサリの姿もあった。「お、お前は……!! ここは、どこだ!!」「自分の立場がわかっていないようね。ここは我がグレート・ロケット団のアジトよ」「な……!?」 フィリーネは驚いた。自分はいる場所は、敵の本拠地。そこに拘束されているという事は、自分が囚われの身になってしまった事を意味する。フィリーネはようやく、自分の置かれている状況を理解できた。「思っていたより回復は早かったわ。さすがはポケモンヒューマンって所ね……どう、我がアジトの居心地は?」 セイルは挑発するようにフィリーネに問う。「私を捕えて、何をするつもりだ!! すぐに離せっ!!」 フィリーネはすぐに縛り付けられる状態から逃れようともがくが、手足や体の拘束具は頑丈で、どんなに力を入れても外す事ができない。手が完全に塞がれているために、剣を召喚する事もできない。「あんたの要望なんか聞く筋合いはないわ。ポケモンヒューマンとはいえ縛り付けられている以上、私達に逆らう事はできないのだから」「く……!!」 余裕たっぷりに言うセイルに何もする事ができず、フィリーネは唇を噛むしかない。「あんたには我々の『実験材料』になってもらうわ。これから少しサンプルを取らせてもらった後、『ある所』に引き取ってもらってね」「実験材料、だと……!?」「そう。我々もあの人達も、あんたのようなポケモンヒューマンの事を詳しく知りたいからね」 セイルがにやりと笑う。自分がこんな縛り付けられた状態で、物のように扱われる事は、当然フィリーネは許せない。「ふざけるな!! 私はお前達などに、屈服するつもりはない!!」 ここにいてはグレート・ロケット団の思う壺だ。何としてでもここから抜け出さなくては。フィリーネは手足を力任せに動かし、拘束から抜け出そうともがくが、やはり拘束具を自力で外す事はできない。それでもフィリーネはあきらめずにもがき続ける。「……あんまりうるさくしない方が身のためよ」 すると、セイルがそう言うと、台から数歩離れて右手を軽く上げた。団員が近くの機械についているレバーを倒すと、突然フィリーネの全身を、激しい痛みが通り抜けた。「があああああああっ!!」 悲鳴を上げるしかないフィリーネ。フィリーネの体には、拘束具を通して激しい電流が流れ出していたのだ。電流はすぐに止んだが、それはフィリーネの全身の力を奪うには充分なものであった。もがいていたフィリーネの体は、一瞬で沈黙してしまう。「この台には、電流を流す仕掛けが付いているわ。自分の体を大事にしたいなら、大人しくしている事ね」「く……!!」 口元で笑うセイルを前に、フィリーネは唇を噛むしかなかった。その一方で、セイルの近くに立っていたクサリは、台の上のフィリーネを見たくないかのように、無言で目を逸らしていた。「さあ、わかったらあんたの血を少しだけもらうわよ。作業にかかって!」 セイルが指示すると、団員が周囲にある機械を操作し始める。すると、フィリーネの前に伸びてきた銀色の腕。その先端には、細く鋭い針が付いている。その針が、ゆっくりとフィリーネの元に向けられる。「な……何をする気だ!?」「言ったでしょ、あんたの血をもらうって。もしかしてあんた、注射が怖いの?」 セイルがからかうようにフィリーネに問う。フィリーネは、注射器というものを見た事がなかった。これを使って、自分の血をどうやって奪うというのか。何も知らないフィリーネは戸惑いを隠せない。 針が、ゆっくりとフィリーネの首に迫ってくる。誰だって、自分の体に傷を付けられる事は好まない。フィリーネは針を指してくる事に気付き、拘束を外そうともがくが、やはり体の拘束を外す事はできず、遂に針はフィリーネの首に刺さった。一瞬の痛みをフィリーネはこらえる。すると、針に付けられていた管から、青い液体が通り抜けていくのが見えた。それが自らの血である事に、フィリーネはすぐに気付いた。そしてすぐに、針はフィリーネの首から抜かれた。「これがポケモンヒューマンの血……やっぱり見てみると気持ち悪いくらい青いわね」 採集したフィリーネの血を見て、セイルは満足げにつぶやいたのだった。そんなセイルの顔を、フィリーネは黙って見ている事しかできなかった。 * * * ユキナが自動車で向かった先は、トビシティの都会からは離れた、郊外だった。都会の町とは言っても、全ての道が都会になっている訳ではないのだ。そして自動車を停車させて、降りた場所にあったのは、1つの大きな建物だった。もう長い間使われていないのか相当さびれていて、それが不気味な印象を与えている。「ここは……?」「工場の跡地よ。今はもう使われていないはずの場所なんだけど、ここにグレート・ロケット団のアジトがある可能性が高いのよ。恐らく、フィリーネさんも……」 ユウミの問いに、ユキナは答えた。確かに、ここは町の郊外だから人が集まりにくい場所であり、何よりこんなさびれた建物に誰も近づこうとは思わないだろう。悪人が隠れ家とするのに、これほどうってつけな場所はないだろう。 ここに、フィリーネが捕まっているのか。ユウトの緊張は、更に大きくなっていく。だが、ここで覚悟を決めて飛び込まなくては、フィリーネを救う事はできない。ユウトは、ごくりと息を飲む。「いい、私が先頭になるから、2人は後からついて来て。私がいいと言うまで仕掛けようとしないで」「はい」 敵陣の近くというからか、ユキナの声が小さくなった。ユウトとユウミも、それに合わせて小声で答えた。そして、ユキナはピストルを取り出すと、足音を立てないように、かつ素早く工場へと向かっていった。ユウトとユウミもそれに続く。 開いていた倉庫の中に、見覚えのあるトラックが止まっているのを見つけた。あの時団員達を乗せて去っていった、あのトラックだ。その周囲には、黒ずくめの制服に身を包んだ何人かの団員が、辺りを見回りしている。見張りのようだ。その姿に気付いた3人は、すぐに壁に身を隠す。やはりフィリーネが捕えられているのは、ここで間違いないようだ。「どうやらここに間違いなさそうね……!」 ユキナがつぶやくと、懐からモンスターボールを取り出す。そしてスイッチを押して開けると、中から1匹のポケモンが現れた。寸胴な人型の体を持ち、赤く鋭い目が不気味な印象を放つポケモンだ。シャドーポケモン・ゲンガー。山で遭難した人の命を奪いに現れるともいわれる、ゴーストポケモンだ。ゲンガーは、音もなく団員に近づいていくと、目からエネルギー波のようなものを放つ。それを浴びた団員は、一瞬で倒れてしまった。相手を眠らせてしまう技、“催眠術”だ。ゲンガーは同じように、見張りをしていた団員達を“催眠術”で次々と眠らせていった。「す、凄い……!」 ユウミは小さくつぶやいた。戦いになるのかと思っていたユウトだったが、考えてみれば何も、正面から強引に突破する事だけが全てではない。あからさまにそんな事をすれば、気付かれて応援を呼ばれ、不利な状況になってしまうかもしれない。それを避けて、敵に気付かれないように潜入する作戦なのだろう。いいと言うまで仕掛けるな、と言ったのはこのためだったのだ。 安全を確認したユキナは、周辺を警戒しつつ、倉庫の中に素早く入り込む。ユウトとユウミも続く。「お兄ちゃん、ブレイズの出番よ」「ああ。ブレイズ、フィリーネの匂いがわかるか?」 ユウトは足元にいるブレイズに問う。するとブレイズはしきりに、床の匂いを嗅ぎ始める。以前にもブレイズは、勝手に飛び出していったフィリーネの行方を匂いで探り、完全ではなかったにせよ、フィリーネと合流する事に貢献している。その匂いを使用して、フィリーネの居場所を突き止めようという方法だ。 ブレイズはしばらく匂いを嗅いでいたが、ある程度すると、急に吠え出した。どうやら方向がわかったらしい。「ユキナさん!」「ええ、わかったわ」 ユウトはユキナに呼びかけてから、先に飛び出したブレイズを追い、工場の中を進んでいった。 誰もいなさそうな外部からの印象とは逆に、内部は比較的整備されていて、人がいてもおかしくなさそうな雰囲気であった。途中遭遇が避けられなさそうな団員に遭遇した時は、ユキナのゲンガーが“催眠術”で眠らせ、対応した。その適切な対処のお陰で、まだ気付かれている様子はない。 ――無事でいてくれよ、フィリーネ……! ユウトはただ、そう祈り続けていた。グレート・ロケット団は、ポケモンに違法な改造手術を施していると聞いた事がある。有効利用させてもらうと言っていた以上は、下手をすると人体実験まがいの事をされているかもしれない。彼女がそんな目に遭っていない事を祈りつつ、ユウトは通路を進み続けたのだった。 * * * フィリーネの体は、既にかなり消耗していた。 あれかもフィリーネは、拘束されている体を何とか自由にしようと、もがき続けていた。フィリーネの心には、『諦め』という言葉はないのだ。だがその結果、フィリーネは強引に大人しくさせるために何度も電流を浴びせられる結果となってしまった。フィリーネが足掻こうとした結果として、自らの首を絞めてしまう事になっていたのである。既に息は荒くなり、体には力が入らない。既に立つ事はままならない状態かもしれない。いつ気を失っても、おかしくない状態だった。それでもフィリーネは、足掻く事を止めなかった。「あんた、随分としぶといわね……!」 セイルがフィリーネを見て言った。「言っただろう……!! 私はお前達などに、屈服するつもりはないと……!!」「そんな体で、強がり言っちゃって。いい加減理解しなさいよ、ここからあんた1人で逃げる事は不可能だって事をね。それに、誰も助けになんか来ないわよ」 セイルは余裕たっぷりに笑みを浮かべる。その言葉に、フィリーネは唇を噛むしかない。だがフィリーネは、それを受け入れようとはしなかった。このような状態で、足掻かずにいる事はできなかった。この命がある限りは、敵に屈服するなど許さない。その心だけが、フィリーネの意志を強く保っていたのである。「わかったらいい加減に、そこでおねんねしてなさい!」 セイルはそう言って、自らレバーを倒した。そして、フィリーネの体に何度目かわからない電流が流れた。「があああああああっ!!」 悲鳴を上げるしかないフィリーネ。意識が吹き飛びそうになるが、フィリーネはそれをこらえ続けた。電流が止まる。何とか耐えしのぐ事ができたが、既に体は限界に来ている。次に電流を浴びてしまえば、本当に気を失ってしまうかもしれない。「う……く……」「こんな状況で、いつまで強がりを言っていられるかしら?」 セイルは余裕の表情を崩さずに、笑っている。この状態のままでは、敵の思う壺だ。その事実を否定する事はできない。どうする。フィリーネが思っていた、その時。 フィリーネは不意に、誰かがこの部屋に近づいてくる気配を感じ取った。それは不思議と、敵の気配ではないような気がした。そしてその直後、部屋のドアがいきなり爆発を起こし、吹き飛んだ。「な、何だ!?」 白い煙が部屋を包み、セイル達は困惑し始める。そして白い煙が晴れた時、フィリーネはドアの前に見慣れた人影を見た。「フィリーネッ!!」 その声の主は、紛れもなくユウトだった。ユウミや、ユキナの姿もある。「ユウ、ト……?」 フィリーネは驚いた。フィリーネは、助けがやってくる事を期待していた訳ではなかった。なので、まさかユウト達がここに助けにやってくるとは思ってもいなかったのである。「お、お前達は……!?」「グレート・ロケット団!! あなたの罪を吐かせてもらうわ!! 観念して、その少女を解放しなさい!!」 ユキナはピストルを構え、強く叫んだ。団員達は突然の予期せぬ来訪者に困惑しているが、セイルは唇を噛みつつも冷静に対応した。「フンッ、ここまで乗り込んできた事は褒めてあげるわ。だけど、私達も黙ってこのポケモンヒューマンを渡す訳にはいかないの」 セイルはそう言って、あのレバーに手をかける。また電流を流すつもりだ。「この拘束具には電流を流す装置が付いているわ。あんた達が変な真似をするつもりなら、このポケモンヒューマンに電流を流すわよ!」「何!?」 セイルの脅迫に、さすがのユキナも動揺する。フィリーネを人質に取っている状態には、ユキナ達は手が出せない。「さあ、わかったら……!!」「それはどうかしらね?」 その時、セイルの背後に何者かの影が現れた。セイルが驚いて振り向こうとした時、セイルはいきなり突き飛ばされ、床に倒れた。完全な不意討ちだ。 セイルの背後に立っていたのは、1人の女性団員だった。同士打ちか。その光景に誰もが驚く間もなく、女性団員はなぜか倒れたセイルの姿を見て口元に笑みを見せると、すぐに機械を操作し始めた。「おいお前!! 何の真似だ!!」 他の団員達がすぐに反応して近づこうとするが、女性団員は機械を操作したまま、無言で左手を突き出した。すると、近づこうとした団員達が、一瞬で吹き飛ばされてしまい、セイルと同じように床に倒れる。女性団員は他の団員達に一切触れていないのに、左手1つで軽く吹き飛ばしてしまった。そんな事は、人間にできるはずがない。フィリーネの驚きをよそに、女性団員が機械の操作を続けると、フィリーネを拘束していた拘束具が外れ、フィリーネはようやく自由の身となった。「フィリーネ!!」「フィリーネさん!!」 すぐにユウト達か駆け寄ってくる。フィリーネは自力で台から降りようとするが、電流でのダメージが大きく、起き上がる事ができずに台から落ちそうになった。そんなフィリーネの体を、ユウトが受け止め、そのまま両手で持ち上げた。「大丈夫か、フィリーネ!?」「え、ええ、何とか……しかし、なぜユウトが……」 ここにいるのか。フィリーネが問おうとした時、床に倒れていたセイル達が起き上がった事に気付く。すぐにユキナとユウミが身構える。「く……あんた……どういうつもりよ……!?」 セイルの視線は、機械を操作した女性団員に向けられていた。すると女性団員は、ゆっくりとセイルに顔を向けた。「悪いわね、この体はほんの少し『借りていた』だけなの」 女性団員がそう答えると、その姿が急に変化し始めた。女性団員の姿に重なるように現れたのは、全く別の姿の人物。群青のツインテールに緑色のジャンパー、そして黒いスカート姿の少女だ。その姿は、フィリーネにも見覚えがあるものだった。少女の姿が、まるで虫が脱皮するように女性団員の体から離れると、女性団員は意識を失ったようにその場に崩れ落ちた。そのあまりにも現実離れした光景に、誰もが驚きを隠せなかった。「お、お前は……ヒイラギ!?」 ユウトが驚き、声を上げた。そう、その少女は紛れもなく、ユウトが道案内をしてもらったという、会ってそう長く経っていない少女――ヒイラギ・カホその人であった。あの時ポケモンヒューマンのような気配を感じたとはいえ、ごく普通の一般人にしか見えなかった彼女がなぜ、ここにいるのか。「な……何者だ、お前は!?」 クサリが驚きを隠せないまま、カホに問う。するとヒイラギは鋭い視線を返し、答えた。「あたしはポケモンヒューマン。あんた達『旧人類』の上位種よ!」「ポケモン、ヒューマン……!? 旧人類……!?」 カホの言葉を聞いて、セイル達は驚きの声を上げた。「そんな……!? ヒイラギは、やっぱりポケモンヒューマンだったのか……!?」 ユウトも驚きを隠せない。出会った時、ポケモンヒューマンのように見えなかったと言っていただけに、驚きは相当大きいものだろう。最初会った時のような明るい表情とは打って変わり、鋭くセイル達をにらんでいるカホの表情は、もはや普通の少女のものではなかった。「ちっ、何のつもりか知らないけど……!! すぐに奴を捕らえるのよ!!」 セイルはすぐに部下達に指示を出す。団員達は一斉にモンスターボールを構え、投げようとする。だがそれよりも前に、カホの両手に刃物のようなものが現れた。くの字型に曲がっているその刃物――ブーメランを、団員達がモンスターボールを投げるよりも先にカホは投げ付けた。「はっ!!」 投げられた2つのブーメランは、回転しながら真っ直ぐ団員達目掛けて飛んでいく、と思いきや、複雑な軌道を描いて団員達に襲いかかってきた。予想外の方向から飛んで来るブーメランに驚き、戸惑っている間に団員達は次々とブーメランに切り裂かれ、赤い血を流して倒れていく。そのブーメランの軌道は、明らかに自然に起こるものではない。まるで、人為的な何かに操られて動いているように、的確に団員を狙っているのだ。しかも、こちらには一切飛んで来ない。あの武器はただの武器ではない。カホが何か力を働きかけて操っている。その事に、フィリーネはすぐに気付く事ができた。「な、何なのこれ!?」 驚いているセイルの元にも、ブーメランは襲いかかって来た。セイルは反射的にかわそうとしたが時既に遅し。ブーメランはセイルの右肩を切り裂いた。左手で肩を抑え、屈み込むセイル。「あんた達がポケモンを出す事を許すほど、私はお人好しじゃないわ。『旧人類』なんて、ポケモンがいないと何もできない生き物だもの」 倒れている団員を鋭く見つめながら、カホはつぶやいた。その鋭い表情といい、威圧的な言葉といい、最初に会った時のカホとはまるで別人のような冷酷さを感じ取れる。その姿には、一度会っているユウトやユウミも困惑を隠せない。もちろん、それはユキナも同じようだった。「くっ、貴様!!」 そんなカホの前に、クサリが立ちはだかる。その両手にランスと盾が現れ、身構えるクサリ。そんなクサリを見たカホは、少しだけ驚いた顔を見せた。「あら、あんたもポケモンヒューマンだったの? 悪名高きグレート・ロケット団で、『旧人類』と一緒になって悪事に手を染めている、って訳? 同じポケモンヒューマンとして、恥ずかしいわ」「ふざけるのもいい加減にしろ!! そういう事は、手に武器を持ってから言うんだな!!」 カホの挑発的な言葉に、クサリは強く言い返し、ランスを向けて向かっていった。今のカホは、手に何も武器を持っていない。ブーメランは投擲武器である故に、投げたらそれで終わりだ。ちなみに、ブーメランといえば投げると手元に戻ってくるという印象があるが、それはあくまで『おもちゃ』のブーメランの話で、戦闘用のブーメランは投げても戻ってくる事はないのだ。 丸腰であるにも関わらず、カホは微動だにしない。そのまま、クサリのランスが突き出される。その瞬間、カホの両手に、再びブーメランが現れた。そして、突き出されたランスを、ブーメランを短剣のように使い、受け止めてみせた。「何!? 一度手放した武器を……!?」 クサリは驚いた。それは、フィリーネも同じだった。1回の戦闘で、二度同じ武器を召喚したのだ。そんな芸当は、フィリーネにはできない。きっとクサリも同じだろう。「あんたのような『ポケモンヒューマンの屑』と一緒にしないでくれる?」 カホはそう言うと、ランスをブーメランで振り払った。何を、とクサリは再度ランスの突きを浴びせようとするが、今度はカホの周囲が透明な壁のようなもので覆われ、ブーメランを使わずにランスを受け止めてしまった。「何……っ!?」 クサリは再度驚く事になった。透明な壁を張れるポケモンヒューマンがいたのか。フィリーネも再度驚かされた。 カホの口元が笑った。そのまま、カホは手にしているブーメランを横に投げ付けた。ブーメランはランスを受け止められているクサリを挟むように襲いかかって来た。クサリがすぐに気付き、かわそうとしたが既に遅く、ブーメランはクサリの背中を切り裂いた。「ぐっ!!」 クサリが体勢を崩す。カホの両手に、更にブーメランが現れる。二度までではなく、三度まで。カホは相当な能力を持つポケモンヒューマンのようだ。フィリーネは感じ取った。その時、カホの視線がこちらに向いた。「シラセ! いつまで戦いを傍観してるつもりなの! 逃げるなら早くここから逃げなさい!」「あ、わかった!」 突然向けられたカホの言葉に、ユウトは驚きながらも答えた。「みんな!!」「ええ!!」 ユウトの言葉に、ユウミもユキナもすぐにうなずいた。ユウトはフィリーネを抱き抱えたまま、素早く部屋を後にしていく。本心ではフィリーネも戦いたいと思っていたが、立つ事もままならないほど消耗している状態では、いくらなんでも無理がある。フィリーネはユウトに運ばれる事に従い、部屋を後にする事にした。先陣を切るユキナが、近くにあった窓ガラスを強引に破り、外に飛び出す。ユウト達もそれに続く。「くっ、逃がさないで!!」 だが、グレート・ロケット団も黙っていない。セイルはすぐに反応し、部下を呼び出す。かろうじてブーメランの攻撃を免れた団員達が、すぐに後を追いかけてくる。クサリも、カホとの戦闘を中断し、すぐに飛び出す。だがそれに、カホも反応していた。「残念だけど、あたしもあんた達を黙って見過ごす訳にはいかないのよね……!!」 カホはつぶやき、団員達を追って窓の外に飛び出した。そして目を閉じて両手のブーメランを構えると、カホの力を受けたようにブーメランが力強く発光し始める。そしてカホの周囲にもブーメランが多数現れ、浮いたまま回転を始めて同じように発光し始める。「させるか!!」 カホの動きに気付いたクサリが、すぐに後を追う。背後からランスで突こうとするが、カホの周囲を覆う透明な壁が再び現れ、ランスは弾き返されてしまう。カホは妨害される事なく、強く目を開き叫ぶ。「“ブレードストーム”!!」 カホは、手に持ったブーメランを投げ付けた。同時に、カホの周囲のブーメランも飛び出し、一気に団員達目掛けて風のように飛んでいく。そして団員達はたちまち、ブーメランの嵐に飲み込まれる事になってしまった。複雑な軌道を描きつつ、団員達の背後から、上から、横から次々と襲いかかっていくブーメランから逃れる手立ては、団員達にはなかった。ブーメランに次々と切り裂かれていった団員達は、一瞬にして全滅してしまった。「す、凄い……!!」 ユキナはその光景に驚き、自然と言葉を漏らした。ユウトとユウミも、驚きを隠せない。あれだけいた複数の敵を、一瞬にして殲滅してしまうとは。フィリーネも、カホは相当な実力を持つポケモンヒューマンである事を悟った。その戦闘能力には、セイルやクサリも動揺を隠せないほどであった。「……さあ、まだやるつもりかしら?」 カホは再び手にブーメランを持ち、建物に残っているセイル達に刃を向け、挑発するように言った。「く……!! 全員、この施設を放棄して撤退するわよ!!」 セイルは唇を噛み、残った団員達に指示する。建物の中に残っていた団員達は、セイル達と共に素早く逃げていく。「まさか、他のポケモンヒューマンにも妨害されるなんてね……くっ!!」 クサリもそうつぶやいた後、セイル達の後を追って引き上げていった。撤退していくグレート・ロケット団を、カホは黙って見つめていた。手にしていたブーメランが光となって消えると、カホはフィリーネ達に顔を向けないまま何も言わずに、その場を去ろうとした。「お、おい、待ってくれヒイラギ!」 ユウトがすぐにカホを呼び止める。カホの足が止まる。「……何?」「いや……どうして俺達を助けてくれたんだ?」 カホは顔を向けないまま言う。冷たくも聞こえたその声に戸惑いながらも、ユウトは問う。「勘違いしないで。あたしは、あんた達を助けるために来た訳じゃないの。ただ、あたしにとっても都合の悪い事があっただけよ」 ユウトの問いに顔を向けないまま答えたカホ。予想外の答えだったのか、ユウトは少し驚いた様子を見せた。カホは再び歩き出した。そんな彼女を、ユウトは再び呼び止めた。「とにかく、ありがとう」 その言葉を聞いたカホは、引っ張られたかのように再び足を止めた。「……そう。その言葉は受け取っておくわ」 カホは相変わらず顔をこちらに向けていなかったが、その声は少しだけ最初に会った時のように柔らかくなったように聞こえた。するとカホは、いきなりジャンプしたかと思うと、そのまま重力に逆らうように遠くへと飛んで行った。「……あのヒイラギって人、何者なの?」「わかりませんけど、何だかクールでカッコよかったー! あたしもああいう人になれたらなあ……」 ユキナのつぶやきに、ユウミが言葉を続けた。カッコイイ女性に憧れているユウミは、カホの姿も魅力的に見えたらしい。ともかく、戦いは終わった。ユウトがふう、と大きな息をしたのがわかった。「フィリーネ」 ユウトがふと、フィリーネに声をかけた。フィリーネがユウトに顔を向けると、ユウトは言葉を続ける。「ごめんな……俺のせいで、フィリーネをこんな目に遭わせちゃって……俺を守ろうとしたから、フィリーネは……」 ユウトはなぜか、フィリーネに謝った。ユウトが謝るとは思っていなかったフィリーネは、少し驚いた。確かにユウトの言う事は事実だが、フィリーネはユウトのせいでそのような結果になったとは思っておらず、ユウトの事を責めるつもりはなかった。そして何より、ユウトの苦しそうな顔。最初にクサリと戦って負傷した時もそうだが、なぜ傷を負った自分の姿を見て、そんな表情をするのだろうか。フィリーネには理解できなかった。「何を謝っているのです……? あの時は、純粋に私の力が及ばなかっただけに過ぎません」「フィリーネ……」 ユウトはその言葉に少し驚いた様子だった。何か言われると思っていたのだろうか。ユウトは少し間を置いた後、また言葉を続けた。「だけど……今度から俺、フィリーネの迷惑にならないように気を付けるから……何か手伝える事があったら、言ってくれ」「ユウト……」 ユウトはあの時無防備な状態であった事に、責任を感じているようだ。そのために、自分に償いとして何かしようとしている。そのユウトの感情が、フィリーネにはわからない。だが、それにフィリーネは今まで感じた事がなかった『何かの暖かさ』を感じ取っていた。「うーん、何だかいい雰囲気ね、お兄ちゃん? さっきからずっとフィリーネさんを『お姫様抱っこ』してるじゃない?」 その時、ユウミがにたりと笑いながら顔を出した。いきなり現れたユウミにユウトは驚き、顔が一気に赤くなった。「な、何だよユウミ!! 俺はただ、フィリーネに謝っていただけだよ!!」「冗談、冗談。それより、帰るよあたし達も。シロガネさんが呼んでいるよ」 慌てて反論するユウトだが、ユウミの言葉を聞いて、何とか気持ちを落ち着かせた。「な、何だその事か……わかったよ」 ユウトはそう言って、ユウミと共にフィリーネを抱えたまま歩き出した。その先には、あの時ユキナが使用していた自動車がある。ユウト達はあれに乗ってここに来たようだ。既にユキナが乗り込んでいるようだ。 それにしても、ユウトはなぜ自分の事を言われると、あれだけ表情を変えるのだろうか。フィリーネは疑問に思った。その理由をまだ、この時のフィリーネには知る由がなかった。 * * * かくして、事件は解決した。グレート・ロケット団のアジトには警察が入り、厳重な捜査が行われた。だが、警察は事件を『単なる誘拐事件』として扱っており、事件にポケモンヒューマンが関わっていた事が一切知られる事はなく、テレビで流れたニュースでも報道される事もなかった。「へえ、ポケモンヒューマンが関わった事は隠したんだ。あいつらがやりそうな事ね」 ビルに設置されている大型テレビから流れているニュースを歩道から見ていたのは、あのイザナミであった。彼女はしばらくの間ニュースを見ていたが、ニュースが変わると見るのを止め、街の中を歩き出した。「……あのポケモンヒューマン達の事は、もう少し様子を見た方がよさそうね。まだこっちの準備も整っていないし、本当に同志になってくれる意志があるかどうか、見極めなきゃならないもの」 イザナミはそうつぶやきながら、街中を歩く人ごみの中に溶け込むように、姿を消したのだった。続く
果てしなく広がる荒地。ここには目立って大きな植物は生えておらず、人の姿も全く見られない。所々には倒壊した建物のようなものも見え、長い時が経っているのかどれも土埃を被っている。そういう意味では、荒地というより廃墟と言うべき場所なのかもしれない。暗い夜にその光景を見ると、この世のものとは思えないような光景に見え、吹いている風の音は、どことなく虚しさを感じさせる。 そんな動物が住んでいないと思われるような場所にも、ポケモンの姿は見受けられる。環境適応力が高いポケモンは、普通の生物では住めないような場所にも平然と住んでいる種類が多い。この荒地に生息している主なポケモンは、サボテンポケモン・サボネアやその進化形の案山子草ポケモン・ノクタスだ。 そんなサボネアとノクタスの集団に、足音を立てて迫ってくる影があった。気配に気付き、サボネアとノクタス達は音がする方向に目を向ける。すると、いきなり黒いエネルギー弾が何発か飛んでくる。その直撃を受けたサボネアやノクタスは、一撃で次々と倒れていく。 向かって来ていた影が姿を現した。人のような姿をしているが、顔は凶暴な顔付きの狼になっており、前進は黒い体毛で覆われ、手足には鋭い爪と牙が生え、尻には尾が生えている。それはまさに、『狼男』であった。一見するとポケモンのように見えるが、その姿はポケモンとは異なる生物のようにも見える。 狼男は、口から次々と黒いエネルギー弾を放つ。サボネアとノクタスは、その一撃で次々と倒れていく。もちろん、サボネアとノクタスも黙っていない。口から種の弾丸“タネマシンガン”を放って応戦するが、狼男は身軽にかわしながら、間合いを詰めてエネルギー弾を放ち続け、サボネアとノクタスを次々と倒していく。 1匹のノクタスが、果敢にも狼男に向かっていった。腕でパンチを繰り出すが、狼男は身軽にかわし、逆に腕を掴んでノクタスを投げ飛ばしてしまう。そして、倒れて起き上がろうとしたノクタスに、手に付いた爪の斬撃を浴びせた。ノクタスが胴体から青い血を流し怯んだ所に、すかさず狼男はノクタスの首筋に噛み付いた。ノクタスは悲鳴を上げながら、狼男を離そうと足掻くが、次第に力を失い、動かなくなってしまう。狼男が口を離すと、ノクタスは首から青い血を流しながら、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。そして、すぐに狼男は次のノクタスに挑みかかる。 こうして、狼男の周囲で動くサボネアとノクタスはいなくなった。狼男は勝ち誇るように、夜空に向かって吠えた。すると、狼男の姿が光になったと思うと、どこかへと飛んでいく。その先には、開いたモンスターボールを掲げている男の姿があった。閉じた黒いモンスターボールを満足そうに見つめるその男は、あのFだった。「……素晴らしい! 長く研究を重ねてきた甲斐があったというものだな! まさに対ポケモン用の究極兵器だ!」 Fは歓喜の声を上げた。周囲にいた部下達も、テストは成功ですね、と喜びの声を上げていた。「これさえあれば、いかなるポケモンも敵ではない。ポケモンヒューマンが相手でも、互角に戦える事間違いなしだ……!」 Fはその喜びを表すかのように、黒いモンスターボールを握る手に力を入れた。 一方で、そんな彼らの様子を遠く離れた瓦礫の上から見ていた人物がいた。風で緑色のジャンパーと群青のツインテールをなびかせる、ヒイラギ・カホだ。「ポケモノイド……管理局の奴ら、あんなものを作り出していたなんて……」 カホは、鋭い視線を送りながらつぶやいた。こうしちゃいられないわ、とつぶやき、その場から動こうとした時だった。「とんでもない奴らね、命を自らの技術で作り出すなんて」 カホの背後から幼い少女の声が聞こえた。誰かと思って振り向くと、そこには流れるような黒いロングヘアーに、黄色のシャツと白のミディスカートに身を包んだ、幼い顔立ちの少女がいた。カホにとっては、初めて見る顔であった。「人間って生き物は、どんな事にも興味を持って、その本質を細かく探らないと気が済まない……そういう意味では凄い生き物だとは思うけど、それが人間をいい方向にも、悪い方向にも発展させている……」 少女は手にしている辞書のような本を開いていて、暗い夜でありながら本に目を向けながら冷静につぶやいている。「……誰?」「あたしはイザナミ。敵じゃないから安心して」 カホが問うと、少女は本を閉じて、スカートの端を軽く持ち上げながら丁寧に頭を下げて名乗った。こんな所に、彼女のような子供がいる事はおかしい。ここは、荒れ地である故に人がほとんど近づかない場所なのだ。しかも、なぜ敵ではないとわざわざ言うのだろうか。普通の人間が見ず知らずの人物に対してわざわざ言う言葉ではない。それはあたかも、彼女がカホ自身の立場を知っているようにも見える。「あなた、あそこにいる奴らと戦っているんでしょ。ポケモンヒューマン、ヒイラギ・カホ」 イザナミの言葉に、カホは驚いた。自分があの敵と戦いに身を投じている事を、はたまた自分がポケモンヒューマンである事や、名前まで知っている。そんな事を、こんな10歳程度にしか見えない子供が、なぜ知っているのか。「な、何者なの、あんた!?」「驚いちゃった? でも安心して。あたしはあなたのような人を探していたんだから」「探していた……?」「そう、探していたの」 イザナミの言葉に、カホは耳を疑った。そんなカホの前でイザナミは微笑むと、問うた。「で、聞きたい事があるんだけど」「聞きたい事って、何?」「あなたはどうして、あいつらと戦っているの?」 カホは再び驚いた。イザナミのような子供が、何も考えなしに戦う理由を聞くはずがない。やはりこの少女は、只者ではなさそうだ。カホは答えを返す事はなかった。敵ではないと本人は言っているが、その素性がわからないため不審に思った事と、その理由自体が個人的に他人に対して答えたい事ではなかったからだ。「……どうしたの? 奴らと戦っている事に、理由くらいあるでしょ?」 イザナミは再度問う。彼女のような子供の相手をする事に苛立ってきたカホは、こんな素性の知れない相手との話をすぐに終わらせようと思い、言葉を返した。「あんたみたいな子供には、関係ない事よ」 カホはそう言って背を向け、イザナミの前から去ろうとした。「あ、そう……でもいいや。たとえ中身が何であろうとも、理由があれば何事にも屈しない、強い意志を持ち続ける事ができるから。それはあなたにとって、大きな武器になるわ」 その時イザナミが言った冷静な言葉は、とても子供が言うようなものではない。カホはそんな言葉を返されるとは思っていなかったため、驚いて足を止めてしまった。「だから、あなたが信じる通りに戦えばいいわ。あたし、期待しているから」「あんた、一体……!?」 カホは再度何者なのか尋ねようとすぐに振り向いたが、そこには既にイザナミの姿は消えていた。周辺にはイザナミが移動したような跡はなく、まるで最初からそこに誰もいなかったかのようだった。イザナミが立っていた場所には、風だけが吹いている。カホはその光景に、驚きを隠せなかった。 イザナミは一体何者なのか。なぜ自分の素性を知っていて、自分に接触したのか。明らかに普通の子供ではない。本当に味方なのかはわからないが、彼女自身が言っていたように、少なくとも敵対する意志はない様子だった。もし自身の援助をしてくれるのならば、彼女の目的が何であれ、味方にしておいて損はない。存在を公にはしていない『奴ら』の存在を知っているとなれば、『奴ら』のデータベースに名前が載っているかもしれない。まずは彼女の正体を探らなければ。 カホはそう考えつつ、『奴ら』に発見されないように足早にその場を立ち去った。 * * * 日差しが差し込む中、荒地の中をフィリーネ達は歩いていた。周辺には、人の姿は一切ない。かなり前に倒壊したと思われる建物もある。それはまるで、廃墟のようにも見える場所だった。今まで見た場所とは全く異なる殺風景な景色を、フィリーネは歩きながら見回していた。 フィリーネ達はトビシティを出発した後、この荒地にやってきた。次の目的地は、ウグイスシティ。聞けば、ユウトとユウミの故郷らしい。その町への一番近い道として、この荒地を通る事になったのである。ユウトはこの『何もない場所』を通る事に反対していたが、旅のトレーナーはこういう場所も通るの、とユウミに言い聞かされて受け入れ、現在に至る。「この場所、まるで……」 フィリーネはふと、つぶやいた。 この風景を見ていると、夢で見たあの戦いを思い出す。燃え盛る炎の中で、無数に現れるあの謎の集団の兵士達に、1人で立ち向かっていたあの戦い。その時自分が戦っていた場所も、ここと同じような廃墟だった。「それにしても、随分とひどい荒地だな、ここ……」 ユウトがふとつぶやいた。もう長い間同じような場所を歩いていたために、代わり映えのしない風景に飽きているのかもしれない。「そりゃそうよ。ここは昔、町だった場所だったんだから」 ユウトの隣にいるユウミが言った。「昔町だった場所って……もしかして、あの?」「そうよ、『ワールド・クライシス』」 ユウトの問いに、ユウミはすぐにうなずいた。「わーるど・くらいしす? それは一体……?」 自分にとって聞いた事のない言葉だ。フィリーネはすぐに2人に聞いた。「ああ、50年以上前に、世界が崩壊しそうになった事件の事だよ」「世界が崩壊……!?」 ユウトの言葉に、フィリーネは驚いた。「ええ、その時活動していた『ギンガ団』って組織が、神と呼ばれしポケモンの力を使って、世界を作り変えようとしたのよ。幸い、それは止められて世界が作り変えられる事はなかったけど、その影響で世界は壊れかけちゃったから、今あたし達がいる場所みたいな不毛地帯があるって訳」 更に、ユウミが説明する。どうやら世界が崩壊しそうになるような事件が、昔に起きていたらしい。その事件の名が、ワールド・クライシスというようだ。しかし、世界が崩壊しかけたと言われても、スケールが大きすぎてなかなか実感が湧かない。「だけどこの事件で、神話の世界にしかいないと思っていた神が、実在するって事がわかったのよ! そんなポケモン、捕まえられたらいいよねえ……」「おいおい、神様がいるんだったら、捕まえちゃまずいだろ。触らぬ神に祟りなしって言うし、ワールド・クライシスだって、そんな事しようとしたから起きたんじゃないのか?」 ユウミの言葉に、ユウトが首を突っ込んだ。するとユウミは、不満そうにユウトに顔を向ける。「もう、お兄ちゃんって、夢がない男なのね……!」「いや、そういう問題じゃないだろ? 神の力を変な事に使おうとしたから……」「じゃあ何? お兄ちゃんはあたしをそんな悪い人間だって言うつもりなの?」「いや、そんなつもりはないよ! ただ俺は……」 ユウトとユウミが、そんなやり取りを始めた。「神、ですか……」 フィリーネはふと、神という言葉に何かを感じたような気がしたが、自分でもそれはよくわからなかったため、気付かなかった事にする。 その時だった。フィリーネは不意に、何かの気配を感じ取った。思わず足を止める。この感覚はポケモンヒューマンではないが、何かが向かってきている。こちらに真っ直ぐ、かつ速く。「どうした、フィリーネ?」 フィリーネが止まった事に気付いたユウトが問う。「何かが来ます!!」 フィリーネの目が、すぐに鋭くなった。何かが来る、とユウミがつぶやいた時、フィリーネが気配を感じた方向から黒いエネルギー弾が複数飛んできた。フィリーネはすぐに行動に映す。召還した鎧が体に装着され、剣を握り締めると、すぐさま飛んでくるエネルギー弾を剣で弾き返していく。フィリーネの横で、弾かれたエネルギー弾が地面に当たり、爆発を起こした。「な、何だいきなり!?」「野生ポケモン!?」 ユウトとユウミは、突然攻撃された事に驚いている。フィリーネは剣の構えを崩さず、攻撃が飛んできた方向をにらむ。すると、攻撃してきた主が姿を現した。人のような姿をしているが、顔は凶暴な顔付きの狼になっており、前進は黒い体毛で覆われ、手足には鋭い爪と牙が生え、尻には尾が生えている。それはまさに、『狼男』であった。「な、何だあれ? 狼男……!?」「あんなポケモン見た事ないわ!?」 それを見たユウトとユウミが、驚きの声を上げた。2人にとっては見た事がないポケモンらしいが、そんな事はフィリーネにはどうでもいい事だった。目の前に現れた敵は、誰であろうと倒すのみ。「もしかしてあたし達、あのポケモンのテリトリーに入っちゃったんじゃ……! フィリーネさん、ここは逃げた方が……」 ユウミの声が聞こえるが、フィリーネは無視して飛び出した。自分ができる事は、戦う事だけ。敵を目の前にして引くなど、フィリーネにとってはあり得ない事だったのだ。狼男はすぐに口からエネルギー弾をフィリーネに向けて放つ。フィリーネは剣で弾き返しつつ、間合いを詰めていく。「はあああああああっ!!」 振り上げた剣を振り下ろす。だが、かわされた。狼男は既に、横に回り込んでいる。動きが早い。すぐに爪を振りかざして襲いかかる狼男。とっさに後方に下がりかわす。そしてすぐに剣の横薙ぎで反撃する。だが、腕を受け止められた。その隙に、狼男はフィリーネの腹に蹴りを浴びせた。「ぐっ!!」 蹴られた事で後方に押し出されたフィリーネ。狼男は再度爪で攻撃しようとするが、すぐにかわす。そのまま一旦間合いを取り、仕切り直すフィリーネ。狼男はすぐ、エネルギー弾を放ってくる。それを剣で弾き返しつつ、再度間合いを詰める。そして剣を振った。だが、またかわされた。ジャンプして、背後に回り込んでいる。それに気付いたフィリーネは、すぐに振り返り剣を振る。だが、剣を握る両手をがっしりと掴まれ、受け止められてしまった。 両手を抑えつけようとする狼男と、それに抗おうとするフィリーネの力比べが始まる。狼男の力は強く、なかなか両手を離させてはくれない。お互いの力は拮抗している。その時、狼男が口を開けたのが見えた。口の中では、黒く光るものが。エネルギー弾を放つつもりだ。すぐに気付いたフィリーネは、とっさに頭を反らした。その瞬間、狼男の口からエネルギー弾が放たれた。顔のすぐ横をかすめていくエネルギー弾。「この……っ!!」 フィリーネは腕に力を込めて強く振り、狼男の腕を振りほどく事に成功した。そしてすかさず、体勢を崩した狼男に剣を振り下ろした。そのまま剣は狼男の体を切り裂いた、かに見えたが、何と狼男はとっさに両手を伸ばし、剣を挟み込む形で受け止めてしまった。所謂『真剣白羽取り』である。「何!?」 フィリーネは驚いた。まさかポケモンにこのような芸当ができるものがいたとは、思ってもいなかったのである。フィリーネが驚いている間に、狼男はフィリーネの腹に蹴りを浴びせた。フィリーネはそれに一瞬、気付くのが遅れてしまった。「ぐあっ!!」 弾き飛ばされ、背中から倒れたフィリーネ。この衝撃で、剣を手放してしまった。その剣は今、狼男の手にある。狼男は興味深そうに手にしていた剣を少し見つめていたが、すぐに背後に投げ捨ててしまった。「しまった!! 剣を……!!」 当然の事ながら、剣がなければ戦う事はできない。フィリーネはすぐに剣を取り戻そうと飛び出したが、その前に狼男が立ちはだかった。そして容赦なく、フィリーネに向けて拳を振った。「ぐっ!!」 強い衝撃が胸に走った。衝撃で倒れそうになるが、何とか踏み止まる。だが狼男は尚も、パンチを浴びせようとする。それを回避し、剣が落ちている場所に向かおうとする。だが狼男はそれを許さないかのように、フィリーネの腕を掴んだ。すると、体が宙に浮いたのを感じた。狼男がフィリーネを強く投げ飛ばしたのだ。一瞬、体が飛んだと思うと、思い切り地面に叩き付けられた。「があっ!!」「フィリーネ!!」「フィリーネさん!!」 土埃が舞い上がった。同時に聞こえるユウトとユウミの声。フィリーネはすぐに立ち上がるが、そこに狼男が放ったエネルギー弾が飛んできた事に気付いた。本来なら、剣で弾き返したい所だが、剣がない状態では当然できない。そして、今の状態ではかわす事は無理だ。「があああああっ!!」 エネルギー弾は容赦なくフィリーネの体に命中した。鎧によって体に傷を負う事は避けられたが、鎧にはひびが入り、衝撃までは完全に防ぐ事はできず、その場に倒れてしまった。すぐに体を起こすが、更に飛んでくるエネルギー弾。とっさに顔の前で腕を交差させる。籠手がエネルギー弾を防ぐが、ひびが入ってしまう。衝撃もかなり強い。このままでは押し出されてしまう。2発目は何とか耐え抜いたが、3発目では遂に籠手は砕けてしまった。「ぐあっ!!」 腕に強い痛みが走り、フィリーネはまた衝撃で倒れてしまった。両腕から、青い血が流れているのが見えた。だが、それを確認する間もなく、エネルギー弾は飛んでくる。今度は直撃こそしなかったが、爆風の衝撃により、体が吹き飛ばされてしまった。「があああああっ!!」 再び体が、地面に叩き付けられる。このままでは剣に近づく事ができない。狼男はまるで、剣を奪えばまともに戦えなくなる事を知っているようだ。そして剣がなければ、エネルギー弾も弾き返せない事も知ったのか、先程からエネルギー弾でばかり攻撃している。狼男は、見た目以上に知的だ。「く……このままでは……!」 フィリーネは唇を噛むしかなかった。何とかして剣を取り戻さなければ、一方的にやられるだけだ。 その時だった。フィリーネの横を、誰かの影が素早く通り過ぎた事に気付いた。お兄ちゃん、とユウミが叫ぶ声が聞こえた事から、それがすぐにユウトだとわかった。ユウトは狼男がいる事も構わずに、飛び出している。「ユウト!? 何を!?」 ユウトの思いもしない行動に、フィリーネも驚いた。よく見ると、ユウトの視線の先には狼男の背後に落ちている剣だ。まさかユウトは、剣を取り戻そうとしているのか。 だが、狼男がユウトが近づいて来ようとしている事に気付かないはずがなかった。フィリーネへの攻撃を止めると、ユウトに風を巻いて襲いかかる。「わあっ!!」 ユウトは繰り出されたパンチをかろうじてかわし、尚も剣に向かっていくが、狼男はあっという間に間合いを詰め、ユウトの腕を掴んだ。その力の強さに、ユウトは抗う事はできない。「ブ、ブレイズッ!!」 そのまま投げ飛ばされるかと思われたユウトだったが、呼びかけられたブレイズは果敢にも狼男の腕に噛み付いた。それに驚いた狼男は驚き、ユウトを離した。ブレイズは狼男が腕を一振りすると簡単に投げ飛ばされてしまったが、その隙にユウトは剣を拾う事ができた。「フィリーネ!!」 ユウトはフィリーネの元に向かおうとしたが、狼男に背後から首を掴まれてしまった。もがき苦しむユウトを、狼男はゆっくりと持ち上げる。「うぐ……う、受け取れ……フィリーネッ!!」 だがユウトは、力を振り絞ってフィリーネに向けて剣を投げた。剣は地面に落ちると、フィリーネの元に滑っていく。フィリーネはすぐに飛び出し、剣を拾い上げた。そして、すぐに狼男に目を向ける。ユウトは狼男に投げ飛ばされてしまっていたが、無事でいるようだ。狼男はユウトに目を向けており、こちらに気付いていない。「はあああああああっ!!」 フィリーネは迷わず剣を振りかざし、飛び込んだ。狼男がフィリーネに気付いた頃には、フィリーネは既に狼男を剣の間合いに捉えていた。「はあっ!!」 フィリーネは剣を振り下ろした。剣は狼男の体を切り裂いた。狼男は悲鳴を上げて胸から青い血を流し、衝撃で地面に倒れる。起き上がろうとする狼男に、更に剣を振り下ろすフィリーネ。狼男はフィリーネの腕を受け止めたが、先程より動きは鈍くなっている。フィリーネが腕を払い除け、再度剣を振るとそのスピードには対応できずに、再び体を切り裂かれる事となった。 更に動きが鈍くなった隙を突き、フィリーネは狼男の胸に剣を突き刺した。刃は、狼男の体を深々と貫いた。狼男は悲鳴を上げたが次第に弱くなり、遂には動かなくなった。そしてフィリーネが剣を引き抜くと、狼男はフィリーネの前で崩れ落ちた。フィリーネが勝利した瞬間だった。「やった!! 勝った!!」 ユウミが歓声を上げた。これで、敵はいなくなった。フィリーネは軽く念じると、体から鎧と剣が光となって消え、元の私服姿に戻る。「フィリーネ、怪我は大丈夫か?」 ユウトがそう言って、フィリーネの元にやってくる。「はい、この程度の傷は問題ありません」 フィリーネは答えると、呼吸を整えて両腕の傷に手を当てる。すると、傷はすぐに塞がっていった。「それにしてもユウト、先程はありがとうございました」「え?」 フィリーネはユウトに礼を言おうと思い、ユウトに声をかけたが、ユウトは驚いたのか、声を裏返してしまった。「あの時、ユウトが剣を取り戻してくれたからこそ、私は勝つ事ができました」「あ、いや……だって、俺言ったじゃないか、『手伝える事があったら、言ってくれ』ってさ……フィリーネが苦戦しているのを、見てられなかったんだ……」 フィリーネの言葉を聞いたユウトは、目を少し逸らしつつ、頬をほんのり赤く染めて答えた。「やれやれ、一時はどうなる事かと思ったけど、やっぱりお兄ちゃんもやる時はやるんだね。お兄ちゃん、かっこいいぞ!」 すると、ユウミが割って入ってきた。「おいユウミ……」「言っておくけど、あたしは本当の事を言っただけだからね。さてと」 ユウミはユウトの困ったような言葉に笑みを見せて返すと、倒れている狼男に体を向けた。そして、腰に着けているホルダーから、モンスターボールを1個取り出した。「成り行きとはいえ、こんな見た事ないポケモンを倒せたなら、捕まえておかない手はないよね!」 ユウミはそう言って、モンスターボールを狼男に投げ付けた。モンスターボールは狼男の体に当たると開き、狼男を光に包む。モンスターボールは、投げてポケモンに当てればポケモンを捕獲できると、フィリーネは聞いていた。だが、その後は何も起きず、ボールはそのまま閉じて狼男の横に落ちてしまった。「あれ!? 入らない!?」 ユウミは驚いた。「おいユウミ、そのモンスターボール、壊れてるんじゃないのか?」「いや、そんなはずはないわ……もしかしてこのポケモン、人のものって事!?」 ユウトの言葉を否定したユウミは、そうつぶやく。フィリーネは、ユウミがなぜそのような結論を出したのかがわからなかったが、その疑問はユウトが代わりに尋ねた。「人のものって……どうしてそんな事がわかるんだ?」「お兄ちゃん、知らないの!? 一度捕獲されたポケモンは、泥棒されるのを防ぐために他のモンスターボールで捕まえる事ができない仕組みになっているのよ! それくらい常識よ!」 ユウミはユウトに強く答える。ああ、そうだったのか、とユウトは納得してつぶやいた。「しかしなぜ、そのような事ができるのですか?」「フィリーネさん、そういうのは難しく考えちゃダメって言ったでしょ。『なるものはなる』って事よ」 フィリーネはそれでもなぜ入れる事すらできないのかが疑問に思って聞いたが、ユウミの言葉で『なるものはなる』という言葉を思い出し、それ以上詮索するのを止めた。「そうですね、なるものはなる、でしたね」 フィリーネはそう言って自分を納得させる。ちなみに実際の所は、モンスターボールで捕獲されたポケモンには、肉眼では見えない識別用のコードが捕獲時に体のどこかに刻まれており、それが他のモンスターボールにデータ化されて入れられる事をブロックする役目がある、というのが事実である。「とにかく、このポケモンが人のものだったって事は、誰かがあたし達を狙っているかもしれないわ!」「何だって!?」 ユウトは、ユウミの言葉に驚いた。一方のフィリーネは、驚く事はなかった。「確かに、何者かが私達を狙ってこのポケモンを送り込んだと考えれば、納得がいきますね」「その通りよ、フィリーネさん。もしかしたらグレート・ロケット団か、あの謎の集団かもしれないわ。とにかく変な事にならない内に、ここから離れた方がよさそうね」「そうだな」 ユウミの言葉に、ユウトも相槌を打った。そして、2人は足早にその場を後にしていく。フィリーネは狼男を少しの間見つめていた。狼男を送り込んだ敵の正体は気になるが、周囲には何も気配は感じない。フィリーネは先に行ったユウト達の後を追い、その場を後にしていった。その背後で狼男は、不気味に沈黙していた。 * * * フィリーネとの戦いの様子を遠くから見ていた集団がいた。グレーのスーツを身に付けた兵士達で占めている集団の中心にいるのは、Fだ。Fは先程の戦いを、双眼鏡を使って密かに監視していたのである。「F隊長、ワーウルフが倒されてしまいましたが……」 横でFと同じように監視をしていた部下の1人が、不安そうに問う。だが、Fは双眼鏡を下ろし、顔を向けないまま答えた。「何を勘違いしている? ポケモノイドはあの程度では死なん。しばらくすれば活動を再開するはずだ」 その言葉に部下ははっとして、申し訳ありません、と謝ったが、Fは何も謝る事はない、と言葉を返す。 ポケモノイド。それは、『彼ら』がポケモンに対抗するために、複数のポケモンの細胞を組み合わせて人工的に生み出した生物兵器である。『ポケモノイド』の名は、『ポケモン』に『もどき』を意味する接尾語『oid』をつけて名付けられたものだ。その名の通り、ポケモノイドはポケモンとは似て非なる生物であり、戦闘能力も並みのポケモンを遥かに凌ぐ。これまでは、データを収集する目的も兼ねて数種のポケモンを使用していたが、このポケモノイドの登場によって、戦力は大きく強化された。 現在送り込んでいるポケモノイドは、ワーウルフという名で、長い研究の末に実戦での使用が可能と判断された、初のポケモノイドだ。実際、先程の戦闘でも、ワーウルフはフィリーネに対して高い能力を存分に発揮した。今回の戦闘では敗れはしたが、それも計算済みの事だ。体内に入った修復用のナノマシンの恩恵で、ポケモノイドは肉体が存在する限りは、完全に活動を停止させられる事はない。ワーウルフはフィリーネの能力を学習し、次の戦いでは有利に戦えるだろう。「よし、我々も行動に移るぞ!」 Fが指示すると、兵士達は一斉にその場から動き出した。すると時同じくして、ワーウルフの腕が僅かに動いた。そしてそう時間を置かない内に、ワーウルフは再びゆっくりと立ち上がり、力強く天に向かって吠えた。フィリーネとの戦いで負った傷は、既に癒えていた。その姿を見たFは、口元に笑みを浮かべたのだった。「目にもの見せてやる、ブリッツめ……!」 * * * フィリーネはふと、後方から何か声が聞こえたような気がした。思わず足を止め、背後を確かめるが、何も気配は感じない。今の声は、空耳だったのだろうか。「フィリーネさん、どうしたの?」 ユウミが声をかける。「……いえ、何でもありません」 気のせいか。フィリーネはそう思って顔を戻し、ユウト達の後を追う。ユウミも何でもないならいいけど、とつぶやき、ユウトと共に再び歩き始める。「なあユウミ、そろそろ休憩にしないか? いい加減、歩くの疲れてきたよ……」 ユウトは長く歩いてきたからか、疲れた表情を見せている。「情けないわねえ、お兄ちゃんは。だけど、あたしもそろそろ休憩したいって思ってたし、どこか適当な場所で休憩にしましょ」 ユウミが笑みを見せると、ユウトはやった、と笑みを見せた。ユウミは周囲を見回す。休憩ができそうな場所を探しているのだろうか。そして、すぐに何か見つけたらしく、ある方向を指差した。「……そうだ、あの場所なんてどうかな?」 そこにあるのは、石でできた建物のようなものだった。今まで見てきた建物と同じく、壊れている所もあるが、足を休めるのには特に問題はなさそうな場所だった。だがフィリーネは、その場所にどこか懐かしいものを感じた。まるで、一度見た事があるかのように。「あれは……?」 フィリーネは、数歩進んでユウミが指差した石の建物を見る。壊れてはいるが、あの形にはやはり見覚えがある。「あれは、遺跡っぽいな。こんな所にも遺跡があったのか……」 ユウトはつぶやく。「あの場所……どこかで見た事がある……?」「え!?」 フィリーネが漏らした言葉に、ユウトとユウミは声を揃えて驚いた。「本当なのか、フィリーネ?」「はっきりとはわかりませんが……あの場所は、どこかで見た事があるような気がするのです……」 フィリーネは記憶を探ってみるが、明確な風景は浮かび上がって来ない。だがやはり、あの遺跡というらしい場所は、どこかで見た事があるような思いがしてならない。もしかすると、自分の失われた記憶と関係があるのだろうか。「……もしかして、あそこに行ったら、フィリーネさんの記憶について何かわかる事があるかもしれないんじゃない?」「そうかもな。行ってみよう!」 ユウトの提案に、ユウミとフィリーネはすぐにうなずいた。3人はすぐに、遺跡に向かって走り出した。 遺跡の前にやってくると、遺跡が最初に思っていた以上に大きい事に気付かされた。一部が崩れた状態とはいえ、その遺跡の形状は、フィリーネには確かな懐かしさに感じられた。やはりこのような場所は、見た事がある。間違いない。なぜその思うのかはわからないが。フィリーネはその感性に任せるままに、ゆっくりと遺跡に足を踏み入れていく。所々壁や天井が崩れかけている所があるので、慎重に進んでいく。遺跡の中は3人の足音と、所々崩れている場所から入ってくる風の音以外は聞こえず、独特の空気を作り出している。「凄いねお兄ちゃん、この遺跡……」「ああ……こんな遺跡が、荒地の中にあったなんて……」 遺跡を見回すユウミの言葉に、相槌を打つしかないユウト。そんな2人をよそに、フィリーネは吸い込まれるように足を進めていく。「フィリーネ、本当にこの場所、見覚えがあるのか?」「……はい、間違いなくこのような場所は、見覚えがあります」 ユウトの問いに、フィリーネは遺跡を見回しながら答えた。「じゃあ、もしかしてここが、フィリーネが記憶をなくす前にいた場所なのか……?」「だけどこの辺りって、海がないじゃない。フィリーネさんは、海岸に打ち上げられた状態で見つけたんでしょ? だったら、近くに海がないとおかしいじゃない」 ユウトのつぶやきに、ユウミはそう主張する。「どうしてなのかはわかりませんが、このような場所を私は、どこかで見た事があります。間違いありません」 フィリーネが言った。ここが、本当にフィリーネが記憶を失う前にいた場所なのかと問われると、実感が湧かず疑問符が出る。ただ、このような場所を自分がどこかで覚えていたのは間違いない。思い出そうとして頭の中を探ってみるが、夢で見たあの場所に、この遺跡のような場所があったような気がするだけで、具体的にどんな場所だったのかは、まだ思い出せない。「少なくとも、何か手掛かりは見つかるかもしれない、って事だな」 ユウトがつぶやいた。 その時、フィリーネの目に何かが止まった。近くにある壁に、何かが描かれている。フィリーネの歩みが自然と速まった。「お、おい! どうしたんだ?」 ユウトがフィリーネの動きに気付き、ユウミと共にすぐにフィリーネの後を追う。 フィリーネが向かった先にある壁に描かれていたのは、何らかの文字だった。それは、1つの丸い大きな目玉のようなものから、手足とも角ともつかない棒状のものを何本か枝のように生やし、まるでそれ自体が何らかの生物のようにも見える不可思議な文字だった。フィリーネがユウト達と行動を共にする中で見てきた無機質な文字とは大きく異なる文字だが、それとは異なり、フィリーネには書かれている事が読めるような気がした。覆っている土埃をそっと手で払う。所々にひびが入ってはいるが、フィリーネは書かれている事を理解する事ができた。『WATASHITACHI ICHIZOKU KOTOBA KOKONI KIZAMU』「私達、一族、言葉、ここに、刻む……?」 フィリーネは一行を口に出して読んでみた。「ちょっと……これってアンノーンじゃないの!?」 するとユウミがフィリーネの横に顔を出すと、文字を見て驚いた顔を見せた。「アンノーン……?」 ユウミが発した言葉は、フィリーネにとっては聞き覚えのない言葉であった。「ポケモンよ! アルファベットに似た姿をしている、謎だらけのポケモン!」 ユウミは手短に説明すると、懐からPフォンを取り出して何度か操作する。そしてほら、と言ってPフォンの画面を見せると、そこに映っているのは確かに壁に描かれているのと同じ文字、いや、同じ姿をしているポケモンだった。「文字の姿をしているポケモン? そんなポケモンがいたのか?」 アンノーンの事はユウトも知らなかったのか、Pフォンの画面を見たユウトは驚きの声を上げた。フィリーネも、このようなポケモンがいるとは思いもしなかったが、不思議とユウトほど驚く事はなかった。まるでそれを、最初から知っていたかのように。「フィリーネさん、ちょっと退けて! ひょっとして、ここから飛び出てきたりしない?」 ユウミはフィリーネの前に出ると、アンノーンというらしい文字をいきなり手で強く叩き始めた。「お、おい止めろよユウミ! そんな事したら壁が壊れるって! 遺跡が崩れたらどうするんだよ!」 そう言ってユウトに制止させられたユウミは、やっぱり駄目か、とつぶやいて壁から離れた。ユウミが一体何をしようとしていたのかはフィリーネにはわからなかった。飛び出てきたりしない、と言っていたからには、壁からアンノーンが飛び出してくるとでも思っているのだろうか。「そういえばフィリーネさん、普通の字は読めないのに、なんでアンノーン文字は読めたの?」 ユウミはふと思い出したように、フィリーネに顔を向けて尋ねた。「え……? そんな事を聞かれましても……」 フィリーネはその問いに何と答えればいいのかわからず、言葉に迷った。自分でも理由はわからない。だが、なぜか読む事ができたのだ。やはり自分の失われた記憶に関連しているのだろうか。「確かにこの字、普通に見るだけじゃ、何て書いてあるのかわからないよなあ……?」「簡単よお兄ちゃん。アルファベットに似てるって言ったじゃない」 ユウトは壁のアンノーンを見つめてつぶやいたが、ユウミの説明を聞いてああ、なるほど、と納得した。そして、ユウトは改めて壁のアンノーンを見た。「だけど、アルファベットも読めなかったフィリーネさんが、アンノーン文字だけ読めるなんておかしいわ……考古学者だって、長い間解読できなかった文字だもの……」 ユウミは顎に手を当て、つぶやく。「って事は、もしかしてフィリーネがいた場所って、ここみたいなアンノーンと関係がある場所、って事か?」「……可能性はあるわね。だからフィリーネさんが、どこかで見た事がある場所って言う訳よ」 ユウトの言葉に、ユウミはうなずいた。 その時。フィリーネはふと、何かの気配を感じ取った。この特徴的な気配は、ポケモンヒューマンだ。すぐに周囲を見回すが、まだ姿は見えない。フィリーネはすぐに、ユウトとユウミに呼びかけた。「ユウト! ユウミ!」「どうした、フィリーネ?」「ポケモンヒューマンの気配がします!」 フィリーネの言葉を聞いて、ユウトとユウミは驚く。敵か味方かは、実際に会ってみないとわからない。フィリーネはすぐにいつでも武具を召喚して戦えるように、身構えつつ気配を感じる方向をにらむ。そこは、遺跡の奥だった。そこから、ゆっくりとした誰かの足音が聞こえてくる。何者かがこちらに来ている証拠だ。それを聞いて実感が湧いたのか、ユウトとユウミの表情に緊張が現れる。そしてフィリーネ達の前に、1人の人影が現れた。「……あら、もう気付いていたのね。あたしの事に」 聞こえてきたのは、聞き覚えのある女性の声だった。この声、とユウトが言葉を漏らした。そして、人影の姿が明確に現れた。肩ほどまでの長さがあるツインテールの群青の髪、黄緑のシャツの上に羽織っている緑色のジャンパーに黒いスカートの服装の少女だ。その姿には、見覚えがある。「ヒイラギ……!」 ユウトが、その少女の名を言った。ヒイラギ・カホ。トビシティでフィリーネがグレート・ロケット団に連れ去られた際に現れ、理由は不明だが脱出を手伝ったポケモンヒューマンだ。そんな彼女が、なぜここにいるのだろうか。「こんにちは、シラセ」 カホはユウトの顔を確かめると、笑みを浮かべた。そして、その視線は次にフィリーネに向けられた。「そして、あんたとちゃんと話すのは初めてになるわね。ポケモンヒューマン、ブリッツ」「ブリッツ……?」 ブリッツ。以前あの謎の集団の男、Fにもそう呼ばれたが、なぜカホも自分をそう呼ぶのか。ブリッツとは一体何なのか。フィリーネは疑問を隠せなかった。続く
遺跡の奥から、ゆっくりとした足音を立てながらフィリーネ達の前に現れた人物。それは、トビシティでフィリーネがグレート・ロケット団に連れ去られた際に現れ、理由は不明だが脱出を手伝ったポケモンヒューマンの少女、ヒイラギ・カホだった。「ヒイラギ……!」「こんにちは、シラセ」 カホは驚くユウトの顔を確かめると、笑みを浮かべた。そして、その視線は次にフィリーネに向けられた。「そして、あんたとちゃんと話すのは初めてになるわね。ポケモンヒューマン、ブリッツ」「ブリッツ……?」 ブリッツ。以前あの謎の集団の男、Fにもそう呼ばれたが、なぜカホも自分をそう呼ぶのか。ブリッツとは一体何なのか。フィリーネは疑問を隠せなかった。フィリーネの表情に、カホも疑問を抱いた様子だった。「……どうしたのよ、自分の名前を忘れたような顔して」「自分の、名前……?」 ブリッツというのは、自分が忘れてしまった本当の名前だというのか。フィリーネはカホの言葉に、更に疑問を抱いた。試しに思い出そうとしてみるが、自分が本当にブリッツという名前だったのか、思い出す事ができない。「ヒイラギ、どうしてフィリーネの事をブリッツって呼ぶんだ?」「もしかして、フィリーネさんの本名って事?」 ユウトとユウミが、それぞれカホに尋ねる。「フィリーネ?」 するとカホは、フィリーネという言葉に一瞬、驚いた顔を見せた。そして思い出したように、そういえばあの時もフィリーネって呼んでいたっけね、とつぶやく。「じゃああたしも聞くけど、なんであんた達はフィリーネって呼んでいるの?」 カホはユウトの問いをそのまま返すような形で、逆に問い返した。その問いに、フィリーネが自ら答えた。「フィリーネという名は、ユウトから頂いたものです」「頂いたって……シラセから?」 カホの驚きを表した視線が、ユウトに向けられた。「ああ、理由はわからないけど記憶喪失になってて、自分の名前が思い出せないから……」「記憶喪失……そういう事だったのね」 ユウトの話をカホは途中で区切り、納得したようにつぶやいた。「だったら知らないのも当然ね。この遺跡を見て、驚いた様子を見せるのも……」「まさか、私の事について何か知っているのですか!?」 フィリーネはすぐにカホの前に出て問う。カホは見るからに、自分の失われた記憶の事について何か知っている事は間違いない。なら、カホに直接聞けば、自分の記憶の事を知る事ができる。こう考えれば、問わずにはいられない。「知っているわよ。『旧人類』が作ったモンスターボールに入れられて、『シラセのものにされた』事もね」 カホの鋭い視線がユウトに向けられた。その視線にユウトはたじろいでしまう。フィリーネも、その事をカホが知っていた事に驚いたが、ユウトのようにたじろぐ事はなかった。ユウトのものにされた、という言葉の意味そのものも、フィリーネには理解できなかったが。「ど、どうしてそれを知っているんだ、ヒイラギ……?」「偶然知っただけよ。まさか『旧人類』がポケモンヒューマンにもそんな事やっているなんて、思ってなかったけどね。入る方も入る方だけど」 カホはまるで、ユウト達を軽蔑しているような素振りを見せてユウトの問いに答える。「ちょっと、さっきから『旧人類』って……!!」「い、いや! 違うんだヒイラギ! ただ、ボロボロになったフィリーネを助けたいって思って、ユウミの提案でそうしただけで、別に変な事考えてそうした訳じゃ……!」 ユウトは頬を赤く染め、慌てて反論する。ユウミは別の理由で反論しようとしていたが、ユウトの反論に遮られる形になってしまった。「何!? あたしのせいにするつもりなの、お兄ちゃん!? あたしの提案を飲んだのはお兄ちゃんじゃない!!」 ユウミは自分に罪を被せられたような事に不満を抱いたのか、ユウトに反論する。だがカホの表情は変わる事はなく、カホはふう、と溜め息をついた。「……ま、だけどあたしが今話したいのは、そういう事じゃないの」 カホはユウトの反論に何か言う事はなく、すぐに話題を切り換えてしまった。自分の記憶の事が聞けると思ったフィリーネは、答えを言わずに話題を変えられた事に不満を抱かないはずがなく、すぐに食い下がる。「待ってください! 私の問いの答えをまだ聞いていない!」「私はね、ここにあんたの記憶の事を話しに来たんじゃないの」 カホの鋭い視線がフィリーネに向けられた。知っているのなら、なぜ自分に教えてくれないのか。フィリーネはカホのその目付きに、苛立ちを覚えた。「私が用があるのは、シラセの方なの」 カホはユウトに、目付きを緩めて顔を向けた。「え、俺に?」 驚いて声を裏返すユウト。「シラセ。あんた達を追いかけている組織が何者だか、知ってる?」 カホはいきなり、そんな事をユウトに問う。だが、そんな問いを返した所で、ユウトが知っているはずがない。フィリーネ自身も、自分達を追う謎の組織が何者なのか、全く知らないのだ。そもそもカホは、その組織そのものの事を、自分達がその組織に追われている事を、なぜ知っているのだろうか。「え!? どうしてそんな事……!?」「いいから答えて」「いや、そんな事言われたって……俺にはわからないよ」「……そっか。野暮な質問をしちゃったわね。知らなくて当然よ。『あいつら』の事は、この世界では秘密となっているんだもの」 カホはユウトの答えを聞いて、そうつぶやく。そして、言葉を続けた。「なら、教えてあげる。あいつらの組織名は、『政府ポケモン管理局』」「政府ポケモン、管理局……?」 ユウトは、カホの言った組織の名を繰り返す。「奴らは、ポケモンが存在する事をよしとしない組織なの。世間の目を、情報操作を使って誤魔化しながら、ポケモンを絶滅させようと画策しているの。それには、あたし達ポケモンヒューマンも含まれているわ」 カホの言葉の聞いた3人は驚きの声を上げる。フィリーネは以前リュウが、あちこちの森とかに現れてはポケモンを無差別に大量虐殺し、火を放って世間には『山火事』という事にして巧妙に誤魔化している、と話していた事を思い出した。カホの言っている事は、あの時リュウが言っていた事と一致する。そして、その対象にポケモンヒューマンも入っていたとなれば、自分が政府ポケモン管理局というらしい組織に狙われていた事にも納得がいく。しかし、何のためにそんな事をするのだろうか。「ポケモンを絶滅!? なんでそんな事!?」 ユウミが問う。「考えてみれば簡単な事よ。ポケモンは、『旧人類』の手に余るほどの強大な力を持っているんだから。そんな生物が、自然の中にうじゃうじゃいるのよ。『旧人類』の事よ、見る人が見れば、排除しなきゃ危険だって判断するのはおかしくないと思わない?」 その言葉を聞いて、ユウトとユウミは硬直した。フィリーネは強大な力を持つ故に危険と判断する、という考え方を理解できず、ますます管理局の行動の意味がわからなくなる。だがユウトとユウミは、その意味を理解しているように見えた。「そうだけど……だからって……!!」「あんた達も知っているでしょ、この世界にポケモンって生物が発見されて以降、時代が進むに連れてポケモンがこの星の生物と入れ替わっていったって事くらい。奴らはこのまま行くと、世界がそんな得体の知れない生物に侵食されて、いずれ自分達も滅ぶんじゃないかって考えているのよ」「滅ぶ……!?」 滅ぶという言葉にユウトが驚く。だがフィリーネは、自分にとってよくわからない説明が続き、カホの言おうとしている事がよく理解できずにいた。「……それはつまり、どういう事なのですか? よくわかりません。わかりやすく説明してくれませんか?」 フィリーネはカホに問う。するとカホはフィリーネの質問に驚き、やや苛立った様子を見せた。「わかりやすくって……まあそうね、このままポケモンが増えていったら、自分達が攻撃されて全滅するんじゃないかって考えてる、って事よ」「なるほど」 その説明で、ようやくフィリーネは納得した。管理局が考えている事は、一種の防衛本能だ。それは、フィリーネにも理解する事ができる。つまり彼らは、自分達がやられる前にやろうとしているのだろうという事を、フィリーネは理解した。だがそれでも、無関係なポケモンまで関係なく殺す事は、あるまじき事である事に変わりはない。更にユウトは、そのような行為は自然破壊だと言っていた。過度に自然を破壊していけば、簡単に修復できなくなり人間の暮らしにも悪い影響が出るのだという。「でも、だからってそんな理由で自然破壊なんてしたら、人間だってただじゃ済まなくなるじゃないか!」「とにかく管理局は、あんた達が考えている事とは真逆の事を考えているって事よ」 カホはそう言った後、弱い『旧人類』が考えそうな事だわ、と吐き捨てた。するとユウミが、何か不満そうに前に出て、強気でカホに告げた。「ちょっとあんた、さっきから旧人類、旧人類ってばっかり言ってるけど、あたし達の事バカにしてるつもりなの!?」「あたしは事実を言っているだけよ。自分達の快適な暮らしばかり考えて、森を切り開いて、海や川を汚して、自然を破壊して環境をどんどん駄目にしていっているじゃない。それに、ポケモンをポケモンバトルだなんて『くだらない見世物』に使うためにどんどん捕まえて、挙句の果てには神と呼ばれるポケモンまで利用しようとして、ワールド・クライシスを起こして世界を滅茶苦茶にした……これほどひどい生物なんている?」 カホの挑発しているような言葉を聞いて、ユウミは怒りの表情を見せてカホに食い下がる。「あんたねえ、あたし達のような旧人類だって環境問題の事ぐらい、考えてるって事くらいわからないの!?」「わからなくはないわ。でも、気付いて対策し出すのが遅いって事よ。『旧人類』は、そうやって追い込まれてみないと自らの過ちに気付かないんだから」 カホの口調は変わらない。ユウミの頭に血が昇っているのか、顔全体が赤く染まり始めている。「言わせておけば……偉そうにっ!!」 ユウミはとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、強く拳を握り締めカホに殴りかかる。止めろユウミ、とユウトが呼び止めようとしたが、ユウミは耳を貸さない。 だが、カホは顔色を1つ変えないまま左手を突き出した。すると、ユウミはカホの体に触れる前に、見えない何かに殴られたように思い切り後方に吹き飛ばされてしまった。そのまま床に倒れるユウミ。土埃が舞い上がった。 カホはユウミに一切触れていないにも関わらず、ユウミを軽く吹き飛ばした。グレート・ロケット団に対しても使用した、あの力だ。一切触れずに相手を吹き飛ばす不可思議な力に、フィリーネは目を奪われてしまった。「うぐっ……!!」「ユウミ!! だから止めろって言ったじゃないか……!!」 倒れたユウミに、すぐにユウトが駆け寄る。ユウミは顔を歪めながらも、ゆっくりとだがすぐに起き上がった。「逆ギレは止めてくれない? そんな事実を受け止められないから、『旧人類』は……」 倒れたユウミを鋭く見つめるカホは、そう吐き捨てた。「あんた……あたし達みたいな旧人類に何か恨みでもあるの……!?」「ユウミ、もうよせって!!」 それでも食い下がろうとするユウミを、ユウトが止める。ユウミはバカにされて悔しくないの、とユウトに主張するが、だからって喧嘩はよくないだろ、とユウトは言い返す。「……だけど、あんただけは例外よ。シラセ」 すると、カホの表情が緩んだ。え、とユウトは驚いた声を出す。「初めて会った時に言ったでしょ、『あんたとは気が合いそう』って。まさか『旧人類』にも、あんたみたいな奴がいるなんて、あたしも思わなかったわ」「え……」 その言葉にユウトは目を丸くし、頬が一気に赤くなっていく。「ええっ!? お兄ちゃん、あんな奴に好かれちゃってたの!?」「い、いや!! そういう意味じゃないって!!」 ユウミが声を上げると、ユウトは慌ててすぐに反論した。カホも溜め息を1つつき、勘違いしないで、と一言ユウミに告げた後、話を続けた。「だから、あんたに1つ提案したい事があるの」 カホは、顔の横で右手の人差し指を立てた。「て、提案?」 ユウトは首を傾げた。そしてカホがその提案を話そうとした時、フィリーネは不意に、何かの気配を感じた。遺跡の外だ。すぐに遺跡の入口に顔を向けた。その先には人の姿は見当たらない。だが、確実に何者かが近くにいる。フィリーネの目付きは、自然と鋭くなった。「……どうしたの、フィリーネさん?」 ユウミがフィリーネの様子に気付き、尋ねた。その言葉を聞いて、カホとユウトもしようとしていたやり取りを止め、フィリーネに顔を向けた。「何かがいます……! この遺跡の近くに……!」「ええっ!?」 フィリーネの言葉に、ユウトとユウミは驚いて声を裏返した。「何かがいるって……ここから何も見えないじゃない!? あんた本当にわかるの!?」 特にカホの驚きは大きかった。「はい、間違いなく感じます。何者かの気配を」 フィリーネは迷わずにうなずいた。その時。 ドン、と大きな爆発音が聞こえたと思うと、不意に遺跡中が激しく揺れ始めた。それは、フィリーネ達もその場に立っていられなくなるほどのものだった。そして天井や壁には亀裂が入り始め、土埃が落ちてくる。「な、何だ!? 地震か!?」「いや……これってまさか……!!」 カホが何か確信したようにつぶやいた瞬間、爆発音が次々と鳴り響く。反射的にフィリーネ達は身を屈めるが、その時揺れに耐えられなくなった天井や壁が、瓦礫となってこちらに向かって落ちてきたのが見えた。「わあああああああっ!!」 ユウトとユウミは悲鳴を上げて、頭を抱え込む。2人のように悲鳴を上げる事はなかったフィリーネであるが、落ちてくる壁を自分ではどうしようもできない。 瓦礫の下敷きになってしまう。そう思った瞬間だった。 一同を潰すように思われた瓦礫が、まるで一同をよけているように周囲に落ちていく。一同に襲いかかろうとする瓦礫は、1つもなかった。かくして、一同がいる部分には、瓦礫による小さなドーム状の部屋ができあがった。ふと見ると、カホが右腕を真上に突き上げている。よく見ると、その右腕を中心として張られた、透明な壁が一同を覆っている。あの時、攻撃を防ぐ時にも使った能力だ。カホは、自らの力を利用して瓦礫に押し潰される事を防いでいたのだ。「……あれ?」 ユウトとユウミも、無事である事に気付き、顔を上げた。そしてカホの姿に気付くと、ユウトがヒイラギ、と驚いて言った。「……あんた、凄いわね。敵の気配を目を使わないで感じ取れるなんて……ドンピシャだったじゃない」 カホはフィリーネの前で、笑みを浮かべた。 だがそれも束の間、今度は周囲を覆っていた残骸がいきなり炎に包まれた。いきなり燃え上がった炎にフィリーネは驚き、ユウトとユウミも声を上げた。「こ、今度は何だ!?」「間違いないわ。あいつらよ……!!」 カホの目付きが鋭いものに変わった。「あいつら……って!?」「『ファイアブラスター』を使って、あたし達を瓦礫の中で焼き殺すって寸法ね……だけど!!」 カホはそうつぶやくと、ファイアブラスターとは何なのかとフィリーネが尋ねる間もなく、突き上げていた右腕を正面に突き出し、目を閉じてじっと念じ始めた。すると、正面の瓦礫がいくつか震え始める。カホが瓦礫に力を送り、取り除こうとしている事がすぐにわかった。カホの閉じているまぶたに力が入り、眉間にしわが寄る。瓦礫がなかなか動かない辺り、結構力を使っているようだ。積み重なった瓦礫を取り除く事は、彼女の力をもってしても難しいようだ。「ヒイラギ、大丈夫なのか!?」「やっぱり、瓦礫を退けようなんて、簡単な事じゃないけど……これくらい……!!」 不安になったユウトが問うが、カホは眉間にしわを寄せながらも答える。「……ふんっ!!」 そして、カホが自らの力を解き放つように声を上げると、正面の瓦礫が一気に吹き飛ばされた。そして、正面の視界が開けた。正面の瓦礫が吹き飛ばされた事で炎も同時に吹き飛ばされ、人が通れるほどの1つの道ができあがっている。「やった!! 開いた!!」 ユウミが歓喜の声を上げた。一方でカホは、かなりの力を使ったためか、息を荒くして少し屈み込んでいた。瓦礫の中から抜け出せた事も束の間、その時フィリーネは、正面に何者かの姿を見つけた。「あれは……!!」 フィリーネは声を上げた。 一同の先にいたのは、銃を構えているあの謎の集団――政府ポケモン管理局の兵士達だった。結構な数がいる。その中心には、サングラスをかけたリーダー格、Fの姿も見える。兵士達は一同が瓦礫の中から姿を現したのを見て、驚いている様子を見せている。「政府ポケモン管理局……!!」 ユウトが声を上げた。フィリーネもすぐに反応した。召還した鎧を身に纏い、剣を握って身構え、兵士達をにらむ。「やっぱりあんた達だったのね、管理局……!」 カホの表情が鋭くなった。「くそっ、まだ生きていたのか、しぶとい奴め……!」 Fはフィリーネの姿を確認するや否や、唇を噛んでつぶやいた。「残念だけど、あんた達の好きなようにはさせないわ!」 Fのつぶやきに答えるように、カホがゆっくりと前に出た。兵士達を睨むその鋭い目からは、強い意志と同時に、怒りのようなものも感じ取れる。すると、管理局の兵士達はようやくカホの存在に気付いたのか、再び驚いた様子を見せた。「む、お前は……!?」「一族の敵(かたき)を取るためにもね……!!」 カホがつぶやいた瞬間、カホの両手にブーメランが現れた。それをカホは強く握り締めて構える。それに気付いた兵士達は、すぐに手にしている銃を撃とうとする。「覚悟なさいっ!!」 兵士達が銃の狙いを定めるよりも先に、カホはブーメランを投げ付けた。ブーメランは回転しながら真っ直ぐ兵士達に向けて飛んでいく。驚いた兵士達はすぐにかわそうとするが、ブーメランはカホの力を受けて複雑に軌道を変え、兵士達に襲いかかる。変則的な軌道を描き襲いかかってくるブーメランを、兵士達はかわす事ができずに次々と切り裂かれ、倒れていく。カホは再度ブーメランを召喚して投げ付けつつ、兵士達に向かっていく。「はあああああああっ!!」 もちろん、フィリーネも黙っていない。自らも剣を振りかざしながら兵士達に向かっていく。カホのブーメラン攻撃をかろうじて逃れた兵士がフィリーネの姿に気付き銃撃するが、フィリーネは銃弾を剣で弾き返しつつ間合いを詰め、兵士の1人を剣で切り裂いた。赤い血を流して倒れた兵士の姿を確認する間もなく、すぐに次の兵士に狙いを定める。「あたしだって!! オーダイル、カイリキー、あいつらをやっつけちゃって!!」 ユウミもすぐにホルダーから2個のモンスターボールを取り出し、投げ付けた。開いたボールから現れた光が、オーダイルとカイリキーへと姿を変える。そしてオーダイルは、その巨体からは想像できない素早さで兵士達に向かっていくとその太い尾を勢いよく振り、複数の兵士達をまとめて薙ぎ払った。カイリキーも後に続き、素手での格闘で兵士達を殴り倒していく。「ちっ、何をやっている!! 応戦しろ!!」 Fの指示で、攻撃を免れた兵士達はすぐに攻撃しようとするが、カホのブーメランがそれを許さないように襲いかかり、次々と兵士達を倒していく。そしてカホ自身も、手にしているブーメランを短剣のように使い、近くにいる兵士を切り裂く。銃撃を浴びせられても、カホは透明な防壁を展開して防いでしまう。兵士達はカホのブーメラン攻撃によって混乱し、満足に反撃ができない。その状況下なら、こちらが有利だ。フィリーネは攻撃の手を緩めずに、飛んでくる銃弾を剣で弾き返しつつ、次々と兵士達を剣で薙ぎ倒しながら突き進む。 そして、フィリーネの視界に入ったのは、指揮をしているFの姿だ。Fもこちらに気付いている。敵のリーダーを倒す事に、理由は何もない。フィリーネは迷わずにFに向かっていく。「はあっ!!」 剣の間合いに捉えたフィリーネは、剣を振り下ろした。だが、Fも黙っていなかった。手にしていたライフルで、剣を受け止める。その銃口には、槍のような小さな刃、銃剣が付いている。「ち……っ!!」 Fは舌打ちしつつも、銃剣をフィリーネに向けて槍のように突き出す。フィリーネはすぐにかわす。Fは連続で突きを繰り出してくる。それを的確にかわしつつ、隙を見てフィリーネは剣を振る。だがFは、的確にフィリーネの斬撃を受け止める。必然的に打ち合いになり、なかなか切り込む事ができない。Fは接近戦でもかなりの技量の持ち主である事を、フィリーネは感じ取った。 お互い、一歩も譲らずに刃を交え続け、遂には鍔迫り合いとなった。2人の力はほとんど互角であった。フィリーネは一度仕切り直すために銃剣を振り払った後、一度間合いを取る。「あの時と変わらぬ剣裁きだな、ブリッツ」 Fが言った。またブリッツという名。そして今度は『あの時』という単語が出てきた。彼は一体、何の事を言っているのだろうか。「『あの時』とは何だ!」「……だが、しかし!!」 フィリーネは問うが、Fは答えなかった。Fは左手で懐から何かを取り出した。それは、黒いモンスターボールだった。Fがそのスイッチを押すと、中から光が飛び出し、1匹のポケモンへと姿を変えた。その姿を見て、フィリーネは驚いた。現れたのは、先程フィリーネ達に襲いかかり、フィリーネの手によって倒されたはずの、あの狼男だったのだ。フィリーネは確実に殺したと思っていたが、まさか生きていたとは。狼男は姿を現すや否や、天に向かって吠えた。「あれって、あの時の狼男!?」 ユウミが声を上げた。ユウミはこの狼男を倒した後に、モンスターボールに入れられなかった事から、狼男が人のもので、何者かが自分達を狙っているかもしれない、と言っていたが、その考えは的中してしまった。「紹介しよう。これはワーウルフ。我らが長年の研究の末に生み出した、ポケモノイド第1号だ!」 Fは自信たっぷりに紹介した。「ポケモ、ノイド……?」 聞き慣れない言葉だ。どうやらポケモンに似てはいるが、ポケモンではなかったらしい。フィリーネは剣を構える。「先程お前達と戦わせたのは、あくまで威力偵察に過ぎない。今回は本気で行かせてもらうぞ! やれ、ワーウルフ!!」 Fの指示を受けた狼男、ワーウルフは真っ直ぐフィリーネに襲いかかった。フィリーネも怯む事なくワーウルフに向かっていく。 剣を横に振る。だが、かわされた。ワーウルフはジャンプしてフィリーネを飛び越えたのだ。すぐにフィリーネも素早く振り返る。「“ダークバースト”を見舞いしてやれ!!」 Fが指示すると、ワーウルフは以前の戦闘でも使った、あの黒いエネルギー弾を口から放った。フィリーネはエネルギー弾を剣で弾き返しつつ間合いを詰める。そして再度剣を振るが、横にかわされた。そして、素早くフィリーネの右腕に噛み付いた。「オーダイル!!」 その時、ワーウルフの背後からユウミの指示を受けたオーダイルが現れた。オーダイルのタックルによってワーウルフは弾き飛ばされ、フィリーネは離れる事ができた。「そんなポケモンごときに!! やれ!!」 すると、ワーウルフはオーダイルに体を向き直し、再び“ダークバースト”を放った。その一撃を、オーダイルはもろに受けてしまった。オーダイルはそのまま胸から青い血を流して沈黙し、その場に倒れてしまった。「そんな!?」「ポケモノイドを、ただのポケモンと一緒にしてもらっては困る!!」 驚くユウミを尻目に、Fは堂々と勝ち誇ったように言った。僅か1発の攻撃でオーダイルを倒してしまうとは、改めてワーウルフの能力の高さを思い知らされる。 その時、ワーウルフの背後に飛んできたブーメラン。ワーウルフはそれに気付き、手でブーメランを弾き飛ばした。ワーウルフが顔を向けた先には、両手にブーメランを手にしたカホの姿がある。「そんな作り物のエセポケモンを、ただのポケモンと一緒にするな、ですって? 自惚れるのにも程があるわね!!」 カホはそう言って、両手のブーメランを投げ付ける。2つのブーメランは複雑な軌道を描きワーウルフに襲いかかる。ワーウルフは1つを手で弾き飛ばす事ができたが、もう1つは背後から襲ってきたためかわす事ができずに、斬撃を受けてしまった。背中から青い血を流すワーウルフ。「くっ!! 何をやっているんだワーウルフ!!」 Fは唇を噛みながら、ワーウルフに叫んだ。「ここは2人で奴を追い込みましょう」 するとカホはフィリーネの横に立ち、フィリーネに言った。「カホ」「いい、奴は普通に倒そうとしても、すぐに復活するわ。完全に倒すには、強力な技を使って肉体を完全に破壊するのよ」 思わぬ提案に驚くフィリーネの前で、カホはワーウルフをにらみながら説明した。カホはどうやら、ワーウルフの弱点を知っているようだ。普通に倒そうとしても、すぐに復活するのならば、あの時倒しても今のように生きていた事も説明がつく。「……わかりました!」 フィリーネは、カホの提案を飲んだ。そして、カホと共に再びワーウルフをにらむ。「あたしがブーメランを投げたら、後に続いて!!」 カホはそう言って、再び召喚したブーメランを1つ投げ付けた。それは真っ直ぐ、ワーウルフに向かっていった。正面から真っ直ぐに飛んでいくブーメランを、ワーウルフは容易く両手でキャッチした。その隙に、フィリーネはワーウルフの懐に飛び込む。ワーウルフは両手が塞がっているために、フィリーネに対応する事ができない。先程カホが投げたブーメランは、牽制に過ぎなかったのだ。「はあっ!!」 フィリーネは剣を振り上げた。ワーウルフの両腕は、青い血と共に肘から一気に切断された。悲鳴を上げたワーウルフの隙を突き、更に剣で体を切り裂く。連続攻撃を受けたワーウルフは、たちまち倒れてしまう。そこに、カホは追い打ちをかけるようにブーメランを投げ付けた。ブーメランはフィリーネをよけるように弧を描いて飛んでいくと、起き上がろうとしたワーウルフの腹に突き刺さった。ワーウルフは再び倒れる事になってしまう。 この隙に。フィリーネは剣を強く握り締めて構える。力を込めると、剣の刃が力強く輝き始めた。そしてフィリーネは、再び起き上がろうとしたワーウルフに真っ直ぐ向かっていった。「“エクストリームアタック”!!」 立ち上がったワーウルフの体を、フィリーネはすれ違い様に切り裂いた。背後でワーウルフが断末魔の悲鳴を上げたのがわかった。フィリーネが動きを止め、光が消えた剣を横で1回振った瞬間、ワーウルフはゆっくりと倒れ、爆発を起こした。フィリーネの完全な勝利が決まった瞬間だった。「ば、馬鹿な……!?」 Fはワーウルフが敗れた事に驚きを隠せないのか、声が震えていた。「さあ、これであんたの切り札はなくなったわ。覚悟をする事ね!!」 カホが、再度召喚したブーメランをFに向ける。そんなカホの姿を見たFは、歯噛みするしかない。「……くそっ!!」 Fは手にしているライフルをカホに向けた。カホはすぐに反応し、ブーメランを投げ付けようとしたが、Fが引き金を引く方が早かった。ライフルの下に付いていた銃口から、凄まじい火炎が放たれた。その炎は一瞬で射線上の周辺に燃え上がり、フィリーネにも迫らんとするもので、フィリーネはとっさにかわした。だが、カホは驚いたその瞬間に、その炎に一瞬で飲み込まれてしまった。 フィリーネには知る由もなかったが、これこそが先程遺跡を炎で包んだ張本人である、『ファイアブラスター』である。モンスター・アームドの1つであるこの武器は、ポケモンの技“大文字”などを解析して作られた、強力な火炎放射器なのだ。 炎を撒き散らした隙に、Fは生き残った部下達を呼び、その場を風のように去っていく。どうやら状況を不利だと判断したようだ。「逃げるな!!」 フィリーネは後を追おうとするが、燃え盛る炎に阻まれて追う事ができない。Fは退却するために、ファイアブラスターを使用してフィリーネ達を足止めする事が狙いだったのだ。少し時間が経つと、炎も次第に弱くなっていったが、その頃には既にF達管理局の兵士達は、荒地の奥へと姿を消してしまっていた。引き際をしっかりと心得ているようだと、フィリーネは思わずにはいられない。「フィリーネ! 大丈夫か!」 すると背後から、ユウトの声が聞こえてきた。振り返ると、こちらに走ってくるユウトとユウミの姿が。「ユウト、ユウミ。私なら大丈夫です」「そうか、よかった……でも、ヒイラギは……?」 ユウトが問いを聞き、フィリーネははっとした。カホは、ファイアブラスターの炎に飲み込まれてから、姿を見ていない。もしかすると、炎に焼かれてしまったのだろうか。「あたしならここにいるわよ、シラセ」 すると、横からカホの声が聞こえた。見るとそこには、炎に飲み込まれたにも関わらず、火傷1つ負っていないカホの姿があった。「ヒイラギ! 無事だったんだな!」「ええ、あたしはあんな正面からの攻撃を防げないほど、バカじゃないからね」 カホは余裕を見せるように、無事を喜ぶユウトに答えた。それを聞いて、フィリーネはカホが防壁を展開する能力を使用して、炎を防いだ事がすぐに想像できた。「それにしても、まんまと逃げられてしまったわね……まあいいわ。あいつらが作ったエセポケモンを、ぶち壊してやれたから」 カホは、管理局が去って行った方向を見つめ、舌打ちした。カホは彼らに逃げられてしまった事を、快く思っていないようだ。だが、逃げられてしまったものは仕方がないと思ったのか、すぐに顔を戻した。「なあ、ヒイラギ。なんであいつらの事知ってたんだ?」 ユウトがふと、カホにそんな疑問を口にした。するとカホは何か思い出したように、ユウトに顔を向けた。「そうそう、もう戦いも終わったから、あの時の話の続きをしないと」「あの時の話……って?」「何とぼけてるのよ。提案したい事がある、って言ったでしょ?」 カホの言葉を聞いたユウトは、そういえばそうだった、と思い出してつぶやいた。カホは、戦闘が起きる前にしていた話の続きをしようとしているようだ。「で、何なんだ? 提案したい事って?」「シラセ。あたしと一緒に、管理局と戦う気はない?」 カホは単刀直入にユウトに告げた。その予想外の提案にユウトはもちろん、フィリーネもユウミも驚いた。「た、戦うって……どういう事だよ!?」「そのまま言った通りの事よ。さっきの質問に答えるけど、あたしは、訳あってあいつらを倒したいって思っているの。そして、あんた達は管理局に追われていて、逃げるためには戦わなきゃならない身。あたしもシラセも、管理局と戦うって所は一致している。つまり、『敵の敵は味方』って事ね」 驚くユウトに、カホは説明を続ける。「だから、俺に管理局と戦えって言うのか?」「そう。あんたは『ポケモンヒューマン使い』だからね。あいつの力があれば、管理局と戦う事はできるでしょ? だから、共闘って事。同じ敵を持つ味方がいれば、あんただって管理局から身を守る事ができるじゃない」 カホはフィリーネに顔を向けて言った。ユウトは『ポケモンヒューマン使い』という言葉を聞いて、少し顔をしかめた。フィリーネも、カホの言葉には納得していた。共に戦う味方がいれば、それほど心強いものはない。そもそもフィリーネには、戦いを拒む理由などない。「あんただって、そう思うでしょ?」「私も同感です」 カホの問いに、フィリーネは迷わずに答えた。「どう、シラセ。彼女だって納得しているんだし、もちろん賛成してくれるわよね?」 カホはユウトに顔を戻し、笑みを見せて問うた。だがユウトは、少しの間黙っていたかと思うと、すぐに強く言葉を返した。「じょ……冗談じゃないよ! あいつらと自分から戦いに行くなんて! 俺は好きであいつらと戦っている訳じゃないんだ! むしろ巻き込まれた被害者なんだよ!」 ユウトの言葉は、紛れもなくカホの問いに反対の意志を示すものだった。その答えに、カホは驚いた表情を見せた。「まだそんな事を言っているのですか、ユウト! そんな事を言っているようでは、殺されるだけです! 以前言ったではありませんか!」 フィリーネはたまらずユウトに反論した。 ユウトは以前にも戦いになるのが嫌、という理由でこれから戦おうとしたフィリーネを強引にモンスターボールに入れて逃げようとした事があった。結果、ユウトは無抵抗のまま殺されそうになり、すんでの所でモンスターボールが開いたためにフィリーネはユウトを救う事ができた。あの時の幸運がなければ、ユウトは確実に死んでいただろう。自分はフィリーネとは違う。何でもかんでも戦いで解決するなんて、嫌なんだよ、とユウトは言っていたが、フィリーネは『戦いを避ける』というが嫌いなのだ。襲いかかってくる敵は、自らの剣で斬り倒すまで。ためらえば、自らの死。そんな考えの持ち主なのである。なので、ユウトが戦いを拒む理由を、フィリーネはどうしても理解する事ができなかったのである。「待ってくれフィリーネ! 俺達が旅してる目的は、あいつらと戦う事じゃないんだ! フィリーネの記憶を探すためなんだ! ユウミだって言ってただろ!」 フィリーネはその言葉を聞いて、はっとした。一番の目的は、フィリーネさんの記憶を探す事。一緒に旅をしていれば、何か手掛かりが見つかるかもしれない。ユウミがそう言っていた事を思い出した。そして実際、先程自らの記憶に近づく手掛かりを見つける事ができた。2人はフィリーネの事を考えているのだ。もし戦いに専念する事になれば、その記憶の手掛かり探しが疎かになってしまう事を、フィリーネはすぐに気付いた。「うんうん、あたしも反対! あんたみたいな、人間をバカにする高飛車なポケモンヒューマンなんかの誘いなんて、乗りたくないもんね!」 ユウミが相槌を打った。それにユウトは意外そうな反応を見せていた。フィリーネも、戦いに積極的な存在だと思っていたユウミが、個人的な事情でカホの誘いを断るとは思っておらず、驚いた。「という訳で、あたし達兄妹はあんたの誘いには応じないわ!」 ユウミはきっぱりと、カホに向けて強い口調で告げた。それは、いつもユウトに対して向けている口調そのものだった。それを聞いたカホは、両腕を組みながら苛立ちの表情を見せた。「……ああ、そう。所詮『旧人類』って、そういうものだったのね。失望したわ」 カホは不満気につぶやいて、背中を向けた。そして、言葉を続ける。「管理局のやり方に踊らされて、捕まえたポケモンに戦いを任せて自分だけ戦おうとしない、臆病な『旧人類』に期待したあたしがバカだったわ」「何ですって……っ!?」 吐き捨てられたカホの言葉に怒りを隠せなくなったのか、再びユウミがカホに向かっていこうとする。よせよユウミ、とユウトがすぐにユウミを引き止める。「最後に1つだけ教えてあげる。あんた達の居場所は、モンスターボール管理システムを通じて管理局に筒抜けになっているわ。どこへ逃げても管理局の追手からは逃れられないと思った方がいいわよ」 カホは背中を向けたまま、そう告げた。その言葉に、ユウトもユウミも驚いた。すると、カホはその場を勢いよくジャンプした。そのままカホは、重力に逆らっているかのように浮かび上がり、そのまま音もなく飛び去って行ってしまった。そんなカホの後姿を、しばらく見送るしかなかった。「そんな……あいつらに俺達の場所が筒抜けだって……!?」「だったらこれからも、あいつらが追ってくるって事!?」 ユウトとユウミは、どういう原理なのかは知らないが、追手が自分達の居場所を知っている事実を知って動揺していた。だがフィリーネには、2人のような恐れの感情などなかった。どんな理由で敵が現れても、自らの剣で斬り倒すまでなのだ。「弱気になってはいけません。行く手を阻む敵は、倒すのみです。進むべき道は、私自身の手で切り開きます」 フィリーネは、2人に告げた。それを聞いて、ユウトとユウミは顔を上げてフィリーネに顔を向ける。「私達は、旅を続けましょう。先程も、私の記憶に近づける手掛かりを見つけられたのですから」「フィリーネ……」 フィリーネの言葉に、ユウトは少し驚いた様子で言葉を漏らした。「……そうね。こんな事で、弱音なんか吐いてられないわね!」 フィリーネの言葉を聞いたユウミの表情が晴れた。「……凄いな、フィリーネは。こんな事でも挫けないなんて……そんなフィリーネがいれば、きっと大丈夫だな」 ユウトも、安心したような表情を見せた。「これからもよろしく頼むよ、フィリーネ。俺も手伝える事はするから」「はい」 ユウトの言葉に、フィリーネははっきりとうなずいた。私を救ってくれたユウトとユウミのためにも、私は剣を振るおう。私の失った記憶を取り戻すまでは。フィリーネは改めて、心に誓ったのだった。 * * * そしてユウト達は、廃墟と化してしまった遺跡を出発した。この遺跡がフィリーネの記憶に語りかけたものとは何だったのか。それはわからないが、失った記憶の大きな手掛かりである事に変わりはない。この手掛かりから、必ず次の手掛かりを見つけ出す事ができるだろう。 記憶を探す旅の道のりは、まだまだ長いのである。そして、これから歩む戦いの道のりも。続く
タテヤマ・スズ イメージCV:下屋則子 自然を愛する心を持つポケモンヒューマンの少女。外見年齢は15歳。 ポケモンヒューマンである事を隠すために各地を転々としつつ、暇さえあれば動植物の観察をしているポケモンウォッチャー。心優しい性格の持ち主だが、それ故に自然を汚そうとする存在は誰であろうとも許さず、これまで幾多の事件を起こしているエコテロリスト。『ワールド・クライシス』の目撃者でもある。 召喚する武具は胸部を覆う和風の鎧と乳切木(ちぎりぎ)。伸縮自在の鎖分銅による攻撃と、棒による打撃攻撃を間合いによって使い分ける。必殺技は破壊エネルギーを込めた鎖分銅を敵に打ち込む“ボルテージシュート”。また、生命エネルギーを分け与えて他の生物を回復させる特性『大地の恵み』を持つ。
ポケモンと人間との関係。それは、人間の長い歴史の中で、大きく変わっていった。 遥か昔、人間がまだ科学技術を発達させていなかった時代においては、強大な力を持つポケモンは、人間とっては人知を超えた能力を持つ『魔獣』であった。その強大な力は、当時の人間には手に負えない代物であり、常に人間は魔獣の力に怯えながら暮らしていた。その中で、やがては崇拝の対象となったものもいた。故に当時の人間は、魔獣を捕獲しようなど誰も考えていなかった。現在のポケモントレーナーのような、魔獣を使役する人間は全くいなかった訳ではないようだが、そんな人間も周囲からは『化け物』と呼ばれ、畏怖の対象になっていたという。 だがそれは、人間が科学技術を発達させていくと、急速に変化していった。ある発見によって魔獣を捕獲し、操る事ができる技術が登場すると、人間は魔獣が一度使役させれば有用な生物である事に気付き、『魔獣を捕獲し、使役する』という文化が現れ始める。そして、魔獣の強大な力を自在に操れる事に魅了された人間は、魔獣を自らの力として使役するようになり、戦争のような争いにも投入される事となった。更に、現代になって『モンスターボール』という誰でも魔獣を簡単に操る事ができる装置が発明されると、魔獣はポケットに入ってしまうモンスター、『ポケットモンスター――略してポケモン』と呼ばれるようになり、ポケモンを操って戦わせるスポーツ『ポケモンバトル』が誕生。たちまち広まったポケモンバトルの魅力に魅入られた人間は、より強いポケモンを手にするべく、挙ってポケモンの捕獲を行うようになった。こうして、野生のポケモンは常に人間による捕獲の圧力に晒される事となり、捕獲されたポケモンも『ただ持ち主が「力」を必要とした時にだけ呼び出される存在』へと成り果て、いつしかポケモンと人間の立場は、逆転する事になってしまったのである。ポケモンは知性がないために、人間はそんな世界が当たり前だと思い込んでいるために、この世界のあり方に疑問を抱く者は、ほとんどいない。「おかしな話ね……最初は人間を畏怖させていた存在が、今となっては人間にとって『体のいい便利屋』に成り果ててしまったなんて……」 イザナミはそうつぶやきながら、手にしている本を閉じた。 彼女が今いる場所は、緑に覆われた森の中だ。森は自然の宝庫である。森の木や草村の中には、大小さまざまなポケモンが暮らしている。流れる風の音や、聞こえてくる鳥ポケモンの鳴き声は、聞く者全てを癒させるであろう。イザナミは、そんな森の木々を木陰から見上げた。 だがその時。そんな癒しの一時を打ち破るかのように、どこからか大きな爆発音が響いた。それに驚いた鳥ポケモン達が、一斉に空へと飛び上がる。同時に漂ってくる煙の臭い。イザナミはすぐに、煙の臭いに引かれるようにその場を駆け出した。 いくつもの木々を抜けていくと、目の前に1つの建物が現れた。ポケモンの病院であり、ポケモントレーナー達の交流の場所でもある施設、ポケモンセンター。このような町から離れた森の中にも、旅のトレーナーのためにポケモンセンターが設置されている所があるのだ。そんなポケモンセンターから、煙は上がっている。火災が起きているらしい。だがそんなポケモンセンターの中から、慌しい物音が聞こえる。まるで中で、何者かが暴れているような。どうやらただの火災ではないようだと、イザナミはすぐに気付いた。 するとポケモンセンターの非常口から、1人の少年が飛び出してきた。大慌てでポケモンセンターから飛び出したその少年の姿は、火災から避難しようとしているのと何ら変わりはないように見える。だが、そんな少年の背後から、分銅が付いた鎖が伸びてきた。鎖は、一瞬で少年の体に巻き付き、少年を拘束する。少年の足が止められると、少年は鎖によって後方へと思い切り引っ張られ、背中から倒れてしまう。鎖が少年の体から解かれると、鎖が伸びた先から1人の人物が現れた。 それは、黒を基調にしたワンピースに身を包み、赤いロングヘアーを持つ少女であった。だが、その目付きは怒りを表すように鋭く、明らかに殺意を宿していた。更に、胸部は剣道着の胴のような和風の鎧で身を包んでいる。両手には長い棒を持っており、その先端から先程少年を捕らえた鎖分銅が伸びている。棍棒に鎖分銅を付けた、乳切木(ちぎりぎ)と呼ばれる武器だ。少女はゆっくりと少年へ近づいて行く。少年はその姿を見て怯え、起き上がって逃げ出そうとするが、転倒した際の痛みからか、立ち上がる事ができない。「許さない……!」 少年をにらむ少女は、つぶやいた。恐怖心に支配され、後ずさりしようとする少年に尚も迫ろうとする少女。「身勝手な目的のために、ポケモンを捕獲し続ける、あなた達を……!!」 少女は更に続けると、乳切木(ちぎりぎ)を構えた。鎖分銅に電光が走り始める。それを見た少年が怯えた声を上げ、慌てて逃げ出そうとしたが、既に遅かった。「“ボルテージシュート”!!」 少女が叫ぶと、乳切木(ちぎりぎ)の鎖分銅は、少女の怒りを乗せたように少年に向けて一気に伸びていった。分銅は、少年の体を容赦なく打った。少年はたちまち弾き飛ばされ、木に打ち付けられた後、崩れ落ちて動かなくなった。その体からは、赤い血が流れていた。少女は動かなくなった少年を、ただじっと見つめていた。 そんな少女の元に、1匹のポケモンが現れた。スマートな白い体を持つ4足歩行のポケモンで、頭には横向きに付いている、鎌のような形の黒い角が目立つ。そのポケモンが一声鳴くと、少女はポケモンの存在に気付いて顔を向けた。「アブソル」 少女が、そのポケモンの名を言った。このポケモンは、禍ポケモンの別名で呼ばれるポケモン、アブソルだ。その名の通り、人間からは『禍を呼ぶ存在』として忌み嫌われているポケモンだ。少女はアブソルと目を合わせると、それだけで何かを悟ったようにうなずき、アブソルと共に煙を上げるポケモンセンターの前をゆっくりと後にし、そのまま森の中へと姿を消した。「……なるほど」 一部始終を見ていたイザナミは、そうとだけつぶやいた。その口元には、少しだけ笑みが浮かんでいた。少女の姿を見られた事を、嬉しく思っているように。「そうだ、もうそろそろ戻らなきゃリュウ様に怒られちゃう」 するとイザナミは、はっと思い出したようにそうつぶやくと、すぐにその場を後にしていったのだった。 * * * 木々を揺らす風が、心地よく吹いている。そして、木の枝の間から差し込む太陽の光。フィリーネ達は森の中でキャンプを張り、しばしの休息を取っていた。食事を終えたフィリーネは、食後もテーブルの前から動いていなかった。それは、目の前にユウミのPフォンがあるためである。『おはようございます。ニュースの時間です』 画面に映る男――ニュースキャスターが頭を下げるのに合わせて、フィリーネも頭を下げた。挨拶をされたら、何も返さない訳にはいかない。『では、次のニュースです』 そして、ニュースキャスターが言うのに合わせて、フィリーネはうなずいた。フィリーネは今、Pフォンのテレビ機能によって流れている、ニュースを見ているのである。『昨日、アカネ山にあるポケモンセンターで火災が発生し、中にいた従業員、一般人が全員死亡しているのが見つかりました』 フィリーネはうなずく。アカネ山といえば、確か今自分達がいる山だったはず、と思いながら、フィリーネはニュースキャスターの言葉に耳を傾ける。『火災が発生したのは午前11頃で、ポケモンセンターから「爆発が起きた」と119番通報があり、駆け付けた消防によって火災は鎮火されましたが、内部にいた従業員、一般人が全員遺体となって発見されました。調べによりますと、ポケモンセンターの窓ガラスに何者かによって割られたような跡があった事から、何者かが放火したか、野生のポケモンに攻撃された可能性もあると見て、警察で調べを進めています』 画面に、火災が起きたというポケモンセンターの映像が映し出される。既に火災が消火された後の時のようで、炎が燃えていない代わりにポケモンセンターは黒く焼け焦げていた。ニュースキャスターの言葉の要所要所で、フィリーネはうなずき続けた。テレビというものは、フィリーネによって摩訶不思議な機械であった。手に収まるような小さなサイズでも、内部に人が入っているように見える。そして、中の人はなぜ、自分達にいろいろな情報を話したり、芝居のようなものを見せたりするのだろうか。話しかけても中の人は答えてくれない。『なるものはなる』とはいえ、テレビというものが一体どういうものなのか、フィリーネはやはり気になってしまう。そして気が付けば、フィリーネはテレビというものに釘付けになっていたのである。やはりテレビというものは興味深いものだと、フィリーネは思う。「ごめん、フィリーネさん」 すると不意に、Pフォンが誰かの手によって持ち上げられてしまう。フィリーネは思わずあっ、と声を漏らしてしまった。Pフォンを手にしているのは、ユウミだった。「テレビ見てる所悪いけど、使わせてもらうね」「ま、待ってください! 私はまだ……」 フィリーネの言葉も聞かず、ユウミはテレビを切ってしまう。一方的にテレビを切られてしまった事に、フィリーネは不満を抱かずにはいられない。「言っとくけどフィリーネさん、このPフォンはあたしのものなんだからね。フィリーネさんのためだけにあるんじゃないんだから」 フィリーネはユウミに注意されてしまう。そんなユウミの言葉を、フィリーネは否定する事はできず、しぶしぶユウミの行動を受け入れるしかなかった。「あ……すみません」「それにしてもフィリーネさん、ニュースなんて見ててそんなに面白い?」 するとユウミは、笑みを浮かべてそんな問いを投げかけた。フィリーネはその問いに、少し驚いた。ユウミはニュースというものが面白くないように思っているようだが、フィリーネにとっては、ニュース番組も自分にとって興味深いものに変わりはないのだ。「何を言うのです。面白くなければ見るはずがないではありませんか」「フフッ、そういう所、フィリーネさんらしいね」 ユウミはフィリーネの返答を聞いて少し笑うと、Pフォンを手にしたままフィリーネの前を去って行った。ユウミが向かっていく先には、ユウトが立っていた。その足元にはブレイズもいる。そういえば2人は、先程から何やら話をしていた事をフィリーネは思い出した。そんなユウトに、ユウミはPフォンを手にしたまま話し始めた。「いい、お兄ちゃん。ポケモンバトルで勝てるようにするためには、まず自分のポケモンがどんな能力を持っているのかを知る事から始めるの」「まあ、それはわかるよ。『己を知り、敵を知れば百戦危うべからず』っていう事だろ?」「そうそう、そういう事。そういう時に役に立つのが、『ポケモン図鑑』なの」 ユウミはユウトに、Pフォンを見せて言った。「ポケモン図鑑、か? 図鑑で何がわかるって言うんだ?」 ユウミの言葉に、首を傾げるユウト。「わかってないわねえ、お兄ちゃんは。ポケモン図鑑っていうのはね、ただの図鑑じゃないの。ポケモンをスキャンすれば、どんな技を覚えているかとか、どんな能力を持っているかとかがすぐにわかるのよ」 ユウミは得意気にユウトに説明する。「へえ、そうなのか。ポケモン図鑑って、そんなに凄いものだったのか」「そういう事。とにかく、まずは使ってみて。実際に動かしてみればわかるから」 ユウミはそう言って、ユウトにPフォンを差し出した。Pフォンを受け取ったユウトは、画面をタッチしていろいろ操作しているが、具体的にどんな事をしようとしているのかはフィリーネにはわからない。フィリーネは2人が何をしているのかが気になり、2人の元へと向かった。「先程から何をしているのですか?」「ああ、お兄ちゃんにポケモンバトルの事、教えているだけよ」 ユウミの答えを聞いて、フィリーネは思い出した。ユウトが以前、ユウミに話していた事を。「俺、フィリーネにどんな事を手伝えばいいのかな?」 そんな事を、ユウミに訪ねていた事を聞いた事があった。するとユウミは、意外とすぐに答えを返した。「決まってるじゃない。そんなの簡単よ。ブレイズを戦わせて、フィリーネさんを援護すればいいでしょ」「ええ!?」 ユウミの言葉に、ユウトは驚いていた。戦いというものが嫌いなユウトにとっては、戦えばいいという答えは信じられなかったのかもしれない。「だ、だけど、そんな事言われたって……ブレイズを戦わせるなんて、俺には……」「ちょっと、まだそんな事言ってるの!? それがフィリーネさんだって、心強い事だって思うはずでしょ! それにお兄ちゃん、あの時フィリーネさんを勝手にモンスターボールに入れて逃げようとして、ひどい目にあったばかりじゃない! お兄ちゃんは、その生ぬるい平和主義とフィリーネさんの命とどっちが大事な訳!?」 戸惑うユウトに、ユウミが詰め寄る。ユウトはそんなユウミを前に言葉を詰まらせ、何も言い返す事ができずにいた。「言っとくけど、あの時みたいな落とした剣を拾いに行くようなだけじゃダメ! 本気でフィリーネさんを助けたいなら、一緒に戦うのが一番の方法よ! お兄ちゃんは男なんだから、誰かを守るために歯を食いしばれるくらいの覚悟を決められなきゃダメでしょ!」「は、はあ……」 ユウミの言葉に、ユウトは拍子抜けした返事しか返さなかった。「……いいわ。だったら、あたしがお兄ちゃんの根性を鍛え直してあげるわ。明日からお兄ちゃんとブレイズは、ポケモンバトルの勉強と特訓!」「ええええ!?」「言い訳は聞かないわよ!」 そして、ユウミが突然切り出した言葉に、ユウトは声を上げたが、ユウトはユウミの言葉に逆らう事はなかった。ユウトは兄でありながら、妹であるユウミには正反対の性格故か、いつも頭が上がらないようだ。半ば強引にではあるが、ユウミもこうでもしないとユウトの心を変えられないと思っているのだろう。フィリーネも、ユウトにとって戦いというものを知るいい機会になるだろうと思っている。こうして、ユウトはユウミにポケモンバトルを教わる事になったのである。「へえ、本当だ。ブレイズが使える技が出ているよ」 ユウトはPフォンを見て、感心したようにつぶやいた。「わかった? じゃ、早速始めるわよ。準備して! まずは実際にやってみる事が大事!」「ああ」 ユウミが言うと、ユウトはうなずいてブレイズと共に開けた場所へ行ってユウミと間合いを取る。ユウミもホルダーからモンスターボールを取り出し、スイッチを押して開ける。中から現れたのはサンダースだ。ガーディのブレイズとも体格差はあまりなく、練習相手には最適だと言えるだろう。サンダースはいつでも攻撃できるように身構えている。ブレイズも怯む事なくユウトの前に飛び出した。ブレイズ自身は戦闘する意志が強いようだ。フィリーネは少し離れた場所から、稽古の様子を見物する事にした。「じゃお兄ちゃん、始めるわよ」 ユウミはユウトに呼びかけた。ユウトは一瞬、躊躇するような表情を見せたが、すぐに視線を真っ直ぐに向け、ブレイズに呼びかけた。「よし、やるぞブレイズ! 攻撃だ!」 ユウトが叫ぶと、ブレイズは真っ直ぐにサンダースに向かっていった。だがサンダースは、真っ直ぐ向かってくるブレイズに対して、電撃を放った。電撃は容赦なく、ブレイズの体を通り抜ける。ブレイズは一瞬で、サンダースを前にして倒れてしまった。一瞬で勝負は決まってしまった。「ああっ!!」 ユウトは、思わず声を上げた。「あーあ……全然話にならないわねこれじゃあ。戦闘経験がなさすぎね」 ブレイズの姿を見たユウミは、呆れた様子でつぶやいた。ユウミの言う通りだ、とフィリーネも思った。何も考えずに正面から真っ直ぐ向かっていっては、返り討ちにあってしまうのは当然の事だ。「おいブレイズ、大丈夫か!?」 ユウトはすぐにブレイズの元に駆け寄る。ブレイズはかろうじて立てるようだ。「大丈夫そう? なら、続けるわよ」「ええっ、まだやるのか!? 少し休ませた方が……」「何言っているのよ。ここで終わりにしちゃったら、特訓にならないじゃない?」 ユウミの言葉に驚いたユウトだが、ユウミの言葉に文句を言う事ができずに、しぶしぶ元の位置に戻る。「いい、お兄ちゃん。ポケモンバトルっていうのはね、単純に攻める事をポケモンに指示すればいいってものじゃないの。状況をしっかり見極めて、ポケモンが気付いていない事に気付いたら、その都度的確な指示を与えて、バトルを有利に進めないとダメなの。ポケモントレーナーは指揮者なんだから。何もしてなきゃ、ただの見物人よ」「ああ、わかったよ」 ユウミはユウトに指導する。その言葉にユウトはうなずく。そしてブレイズは再度体制を整え、サンダースとの稽古を再開した。 ブレイズは、相変わらずサンダースに対して有効打を与えられず、サンダースに一方的に打ちのめされている。そんな単調の繰り返しだ。その光景に呆れてしまったフィリーネは、これ以上見ている事が退屈になり、2人が稽古をしている間に水浴でもしようと思い、その場を離れたのだった。 フィリーネ達がキャンプを張っていた場所の近くには、大きな池がある。そこは深さもちょうどよく、水浴をするにはうってつけの場所であった。旅路の中では何日も風呂に入れない事が多いため、場所が許せば水浴は必ずするのである。 適度な深さの場所で、フィリーネは座って肩の辺りまで水に浸かり、体を流す。そしてふう、と大きく息を吐いた。どんな時でも、入浴の時は気持ちが落ち着くものだ。フィリーネが着ていた服はというと、彼女の周辺にはない。というのも、ポケモンヒューマンは道具を自らの力で生み出せる故に、自らが着る衣服も自分で用意でき、必要ないと判断すれば消滅させる事ができるからである。 その時。フィリーネは不意に、何かの気配を感じ取った。すぐに立ち上がり、周囲を見回す。この特徴的な感触。ユウト達の気配ではない。ポケモンヒューマンか。周囲には人影は見えないが、間違いなく気配を感じる。敵かもしれない。フィリーネはすぐに水から上がり、念じると着ていた服を一瞬で身に纏う。そして、気配を感じる方向に向かっていった。 森の木々の間を、フィリーネは感じる気配に導かれて歩いていく。気配はそう遠くない場所に感じる。敵なのか味方なのかは会ってみないとわからない。フィリーネは慎重に足を進めていく。 すると、視界に1人の人影が見えた。赤いロングヘアーに、黒を基調にしたワンピース姿。少女のようだ。こちらには背中を向けている形のため、顔はわからない。その隣には、白い体と顔の横から伸びている鎌状の角を持つ、4足歩行のポケモンがいる。彼女は、目の前にある木の前で、顔を上げて何かを見ているように見える。そして顔を下げて何かしていると思うと、またすぐに顔を戻す。一体何をしているのだろうか。フィリーネはゆっくりと少女に近づいていくが、その時少女の隣にいた白いポケモンがフィリーネの姿に気付き、不審に思っているのかこちらに鋭い視線を送っている事に気付いた。すると、少女が白いポケモンの動きに気付き、こちらに顔を向けた。その表情は、戦意を持つ者の顔ではなかった。「あの……誰ですか?」 少女は至って普通にフィリーネに尋ねた。その口調に、フィリーネは敵意を感じなかった。至って普通に問われたフィリーネは少し戸惑ったが、問いに答えない訳にはいかない。「あ、いえ……そこで、何を?」 フィリーネはまず何をしているのかが気になったので、そう尋ねた。「観察です」「カンサツ……?」 少女が言った初めて聞く言葉に、フィリーネは首を傾げた。すると少女は、見てください、と言って木の上を指差した。言われた通りに少女の隣に来て木の上を見てみると、そこには木の枝にとまっている、何羽もの鳥ポケモンの姿がいる。「あの鳥ポケモンを、見ていたのですか?」「はい」 少女はフィリーネの言葉に答えると、頭を下げた。見ると、手には手帳と鉛筆が握られていて、木の枝にとまっている鳥ポケモンの絵を手帳に丁寧に書いていた。その絵はとても上手で、以前見た写真のように、見たものそっくりの姿で描かれていた。「なぜ、このような事を?」「だって、自然を見る事って、面白いじゃないですか。森に、山に、海に、川……それぞれがそれぞれ、違った顔を持っていて、住んでいる生き物達も違う……同じ森や川でも、同じ顔を持つものは、世界のどこにも存在しない……それに、どこのどんな自然も、美しいって思いません?」 少女は手を止めて、フィリーネに問う。どうやら少女は、自然を見るという事が好きなようだ。だがフィリーネは、自然を見るなんて事を思った事がなかったため、少女の口から発せられた言葉に、何と返せばいいのかわからず、少し戸惑ってしまった。「だから私は、『ポケモンウォッチャー』としていろいろな自然を観察しているんです」「ポケモン、ウォッチャー……」 フィリーネは、少女が言った聞き慣れない言葉を口にしてみる。ポケモントレーナーとはまた違う職業らしい。恐らく、観察をする仕事なのだろう。「ところで、あなたはどうしてこの森に来たんですか?」「え?」「まさか、あの鳥ポケモン達を捕獲しに来た……とか?」 少女の顔に、少しだけ不安が浮かんだ。フィリーネは、少女の質問に少し驚いた。少女はフィリーネが、観察している鳥ポケモンを捕獲しに来たのではと疑っている。理由はわからないが、表情からして少女はその事を望んでいないように見える。「いえ、私はただ、ポケモンヒューマンの気配を感じてここに……」 フィリーネはすぐに自分が来た理由を説明する。すると少女は、その言葉に驚いた表情を見せて、フィリーネに尋ねた。「ポケモンヒューマンの気配……? という事は、まさかあなたは……?」 * * * 目の前で必死にユウミのサンダースに攻撃しようとするブレイズだが、さすがポケモンバトルの経験者だけあり、ブレイズは何度も退けられてしまう。殴られ続けるブレイズを後ろから指示するだけで、自分だけ何もしないというスタンスにはどうしても疑問が湧いてしまうが、仕方がない事だとユウトは割り切る。フィリーネと共に戦うには、これしか選択肢がないのだ。 ――ユウト。あなたは戦いというものが嫌いなようですが、その心のままでは、いずれ彼らに容易く殺されてしまいます。もっと現実を見るべきです。 そんなフィリーネの言葉を思い出す。あの時、ユウトは襲ってきたグレート・ロケット団のポケモンヒューマンに対して戦いを挑もうとしたフィリーネを強引にモンスターボールに入れ、逃げようとした。だが、そうした事でかえってユウトは追い込まれてしまう事になり、後一歩で殺されてしまう所まで追い詰められてしまった。幸い、落としてしまったモンスターボールが偶然開いた事でフィリーネに助けられる形になった。その後、フィリーネにその言葉を言われた。 そしてもう1つ。その次に襲ってきたグレート・ロケット団に対して、フィリーネは戦わないユウトの事を守ろうとして戦った結果隙を晒してしまい、グレート・ロケット団に捕らえられてしまった。後に救い出せたからよかったものの、ユウトは戦おうとしなかった自分のせいで、フィリーネは捕まる結果になったと後悔した。その時になって、ユウトはフィリーネの言葉の意味を理解できた。 自分だけ戦いから逃れる事はできない。襲ってくる敵に対して、自分の力で戦わなければならない。そうすれば、戦うフィリーネの足を引っ張る事もなくなり、何よりあの時のように、フィリーネが戦いで傷を負っても自分の力で救い出せる。だからユウトは、ユウミに強引にポケモンバトルの特訓を決められた時もそれを断る事はしなかった。こうやってポケモンバトルを教わる事を決めたのは、ユウト自身の意志でもあるのだ。「やれやれ……これじゃブレイズを強くするよりも、強いポケモンを捕まえて育てた方が早いかもしれないなあ……」 一方的に打ちのめされてばかりのブレイズを見て、ユウミは呆れたようにつぶやいた。ブレイズが強くなれる見込みはない、と言っているも同然の言葉に、ユウトは少し不満を抱いた。「何だよ? ブレイズは強くなれないって言うのか?」「まあね。本当にポケモンバトルに勝ちたいって思うなら、誰だって素質のあるポケモンを見極めてから育てるもの。あたしもそうやってるし」 ユウミの言葉を聞いて、ユウトはポケモントレーナーというのは理不尽な人間なのか、と思わずにはいられなかった。確かに、素質というものは大切だとは思うが、それでポケモンの価値そのものを決めてしまうというのは、ペットとしてブレイズと共に過ごしてきたユウトには理解し難いものだった。「だからって、ブレイズに見切りをつけるのか?」「言っとくけどね、お兄ちゃん。私のようなポケモントレーナーはね、『ポケモンバトルに勝つために』ポケモンを育てているの。そりゃあ、ポケモンの事を大切に思うのは大事だけど、ペットとかと同じだと思っちゃダメよ。育てるポケモンの本質は、ポケモンバトルにあるんだから。だから育てるポケモンが強くないと、意味がないでしょ」 ユウトは食い下がろうとしたが、ユウミは鋭い視線を向けて言葉を返した。ユウミの真剣そうな眼差しでにらまれたユウトは、それ以上反論する事ができなくなった。ポケモンバトルのプロフェッショナルというのは、こういうものなのか。ユウトはユウミに何を言っても無駄だろうと割り切り、ユウミから目を逸らした。 するとユウトは、先程まで近くにいたはずのフィリーネの姿がない事に気が付いた。ユウトが見た時には、特訓の様子を見ていたはずなのだが。「あれ? フィリーネは? まさかあいつ……」 ユウトは思わずユウミに問う。それを聞いたユウミは辺りをざっと見回し、フィリーネがいない事に気付く。「……そういえばいないわね。さっきまでいたと思ってたんだけど」「俺、ちょっと探してくるよ。また勝手に変な所に行ってたら……」 ユウトはすぐに、その場から動こうとした。以前フィリーネは、ポケモンヒューマンの気配を感じた事で勝手に飛び出してしまい、結果として後を追いかけた自分が襲われる羽目になった。その後、勝手な行動はするなと注意したはずなのだが、まさかまた勝手にどこかへ行ってしまったのだろうか。「待ってお兄ちゃん、変に探さない方がいいかもしれないよ」 するとユウミが、何か思い出したようにユウトを呼び止めた。「え、どうして?」「近くに池があるから、そこで水浴びしてるかもしれないし」「え……!?」 その言葉を聞いて、ユウトの頬が一気に赤くなった。そんな事を言われた後では、自分が何だか『覗き』に行くように見えてしまう。あらぬ疑いをかけられまいと、ユウトはすぐに反論した。「いや、待てよユウミ! 確かにそうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないじゃないか! もし、本当にフィリーネに何か……」「……ははーん。そんなにフィリーネさんの事が心配なんだ。お兄ちゃん、いつからそんな悪い人になっちゃったの〜?」 するとユウミがにたりと笑みを見せ、からかうようにユウトに言った。ユウトの顔が、一瞬で熱くなる。「いや、だから違うって!! 俺は別にそんなつもりで……!!」「わかったわ。そんなに心配なら、あたしも一緒に行くわ。お兄ちゃんがあらぬ事しないようにね」 反論するユウトを前にユウミは、サンダースをモンスターボールに入れてそう言った。あらぬ事って何だよ、とユウトはすぐに言い返した。ともあれ、ユウトはユウミと共に、いなくなったフィリーネを探しに森の中へと入ったのだった。「おーい、フィリーネー!」「フィリーネさーん!」 ユウトが『あらぬ事をしないように』と、ユウミが先頭になって歩きながら、ユウトはフィリーネの名を呼び続ける。だが、探していたフィリーネは、ユウト達が思っていたより、意外とすぐに現れた。正面からこちらに向かってくる人影。それは、紛れもなくフィリーネであった。フィリーネもどうやら、その優れた感覚でユウト達が来ている事に気付いていたようだ。だが、その隣には見慣れない人がいる。黒を基調にしたワンピースと、赤いロングヘアーの少女だ。その顔立ちはおとなしく、そして優しそうな印象を与える美少女だった。年齢はユウトと同年齢くらいだろうか。その隣には、白い体と顔の横から伸びている鎌状の角を持つ、4足歩行のポケモンがいる。「ユウト、ユウミ!」「フィリーネ、一体どこへ行ってたんだよ! 心配で探したんだぞ!」 合流したユウトは、すぐにフィリーネに尋ねた。「すみません、ユウト。先程まで水浴をしていたのですが……」「え……!?」 その言葉を聞いて、ユウトは驚いた。ユウミが言った通りの事になっていた事に。ほらね、とユウミが怪しげな視線を横から送っていたが、ユウトは気にせずに何だそうだったのか、と誤魔化してつぶやいた。その態度が気になったのか、フィリーネは首を傾げているように見えた。「で、フィリーネ。その人は?」 ユウトは、フィリーネの隣にいる少女に目を向けて、フィリーネに聞く。「タテヤマ・スズです。偶然この森で知り合ったポケモンウォッチャーです」 フィリーネが紹介すると、少女――スズは初めまして、と丁寧に頭を下げた。そしてフィリーネは説明を続ける。「スズといろいろと話している間に時間が経ってしまって、申し訳……」「ちょっと、そのポケモン……!」 フィリーネの説明が終わらない内に、ユウミが急に驚いた声を上げた。ユウミが指差していたのは、スズの隣にいる白いポケモンだった。ユウミが白いポケモンを指差す手はなぜか震えていたが、白いポケモンもユウミに対して唸っているように見える。「禍ポケモン・アブソル……あんた、一体何者……!?」 ユウミの恐れを表しているような表情が、そのままスズに向けられた。スズの表情が、少しだけ変わったように見えた。ユウトは禍ポケモン、という言葉が気になり、持っていたユウミのPフォンのポケモン図鑑を使い、調べてみた。禍ポケモン・アブソル。現れた場所には必ず災害が起こる事から、禍を呼ぶポケモンとして恐れられている、と記述されていた。そんなポケモンがいた事を今まで知らなかったユウトは、驚いてアブソルに目を向けた。「……じゃあ、私は行きますね、フィリーネ」 するとスズは、まるで空気を読んだかのようにフィリーネにそう告げた。フィリーネがはい、とうなずくと、スズはユウト達には何も言わないまま、アブソルと共にその場を後にしていく。それはまるで、自分の事でトラブルになる事を避けて、自分から逃げていくようにも見えた。「何、あの人……? ま、いっか。さ、お兄ちゃん。戻って特訓再開よ! 今度はポケモン捕獲の事も教えてあげる!」「あ、ああ……」 ユウミに促されるままに、ユウトはフィリーネと共にキャンプへと戻って行った。ユウミの言葉を聞いたスズが、その言葉を聞いて足を止めた事に気付かずに。 * * * キャンプに戻ると、ユウミの言葉通りすぐに特訓は再開された。ユウミは再びモンスターボールからサンダースを出す。そして、ブレイズも再びサンダースと対峙する。先程強いポケモンを捕獲した方が早いのでは、と言ってはいたが、もう少しブレイズの実力を見極めてみるとの事だ。「さ、特訓を再開するわよ! かかって来なさい!」 ユウミはブレイズ相手に余裕だと思い始めているのか、堂々と言い放った。とはいえ、特訓は特訓である。ここでユウミの言葉を受けなければ意味がない。ユウトはすぐにブレイズに指示を与えようとした。「ユウト! ユウミ!」 その時、フィリーネがいきなり声を上げた。ユウトもユウミも、その言葉に驚いてフィリーネに顔を向けた。「どうした、フィリーネ?」「何かがここに来ます!」 ユウトの問いにフィリーネはそう答え、森の中をにらみつける。フィリーネが、何かを感じたらしい。するとフィリーネの言葉が正しいと示すように、森の中の草むらが急に揺れ始めた。「何だ!?」「野生ポケモンね!」 ユウトは驚いたが、ユウミは逆に目を輝かせているようにも見えた。そして、草むらの中から姿を現したポケモン。それは、頭から伸びた大きな角が目立つ、カブトムシのようなポケモンだ。その顔はこちらには向いておらず、まだこちらには気付いていないようだ。「ヘラクロス!」 ユウミが、そのポケモンの名を呼んだ。ユウトはすぐに、Pフォンのポケモン図鑑で調べてみた。1本角ポケモン・ヘラクロス。自分の体重の100倍の重さがあるものも軽々と投げてしまうというポケモンだ。その姿を確かめたフィリーネは、すぐにヘラクロスに向かっていこうとするが、ユウミが手を伸ばして静止した。「フィリーネさん、ここはあたしにやらせて。あいつを捕まえてやるから」 ユウミは自信たっぷりにフィリーネに言った後、前に出た。フィリーネは言われた通りに、ヘラクロスに向かっていく事はしなかった。「お兄ちゃん、見ていて。ポケモンを捕まえる事がどんなものかを、ね。サンダース!」 ユウミがサンダースを呼ぶと、サンダースは一気にヘラクロスへと飛び出した。速い。ヘラクロスが気付いた時には、サンダースは既にヘラクロスに向けて電撃を放っていた。放たれた電撃は、容赦なくヘラクロスを通り抜けた。その一撃で、ヘラクロスは膝を付いてしまうほどのダメージを受けた。見守っていたユウトは驚いた。ユウミのサンダースが強いのか、それともブレイズと同じようにヘラクロスが弱いだけなのか。「よし!」 ユウミはすぐに、ホルダーからモンスターボールを取り出す。そしてスイッチを押して構えた。「……何だ?」 その時、フィリーネが急に周囲を忙しなく見回し始めた。また何かの気配を感じ取ったのか。ユウトは聞いてみる。「どうしたんだ、フィリーネ?」「この気配は……ポケモンヒューマンか!」 フィリーネのつぶやきに、ユウトは驚いた。今度はポケモンヒューマンが近くにいるというのか。 そう思った直後。 どこからともなく、分銅が付いた鎖が伸びてきた。その気配に気付いたフィリーネがすぐに飛び出そうとしたが遅く、分銅は今まさにモンスターボールを投げようとしたユウミの右手に命中した。「きゃっ!!」 ユウミは思わずモンスターボールを投げようとした右手を引っ込める。その手には、先程まで握られていたモンスターボールはない。見るとユウミの足元には、粉々に砕け散ったモンスターボールの破片が落ちていた。先程の鎖分銅によって、壊されてしまったようだ。「ユウミ!!」 ユウトはすぐに、ユウミの元に駆け寄る。その一方でフィリーネは、一瞬で鎧を身に纏い、剣を構えて戦闘態勢になり、鎖分銅が飛んできた方向をにらむ。「誰だ!!」「ここでポケモンを捕獲する事は許さない……!」 フィリーネが叫ぶとそんな聞き覚えのあるような声が聞こえたと思うと、森の中から分銅で攻撃してきた主がヘラクロスの元に正体を現した。それは、黒を基調にしたワンピースの上に、胸部は剣道着の胴のような和風の鎧で身を包んでいる、赤いロングヘアーの少女だった。両手には、長い棒に鎖分銅を付けた武器――乳切木を持っている。その姿は、見覚えがある。いや、つい先程見たばかりだ。「お前は……!?」 フィリーネもその姿に、驚きを隠せなかった。それは紛れもなく、先程フィリーネと共にいたポケモンウォッチャーの少女だった。確か、タテヤマ・スズと言ったか。その隣には、アブソルの姿もある。スズの表情は先程の優しそうな表情とは一転し、明らかに殺意を宿している鋭いものだった。「さあ、今の内に逃げて」 スズは緩めた表情をヘラクロスに向けて告げると、ヘラクロスはすぐに逃げ出していった。そして、スズは再び表情を戻してこちらをにらみつける。「あんたは、あの時の……!?」「ポケモントレーナーに、この美しい自然を汚させない……!」 スズはそうつぶやくと、乳切木を強く振る。その勢いに乗って、鎖分銅がこちらに向かって真っ直ぐ飛び出した。その鎖は、明らかに普通ではなかった。スズが姿を現した時は、明らかにこちらには届かない長さだった鎖が、一瞬で目の前にまで伸びてくる。まるで、鎖そのものがゴムのように伸びているようだ。「わあっ!!」 ユウトとユウミは反射的にその場に屈み込む。だが鎖分銅は、とっさに飛び出したフィリーネの剣によって弾き返された。そしてすぐに、フィリーネはスズに向けて剣を振りかざして飛び出す。鎖分銅を弾かれた事に驚いたスズは、とっさに乳切木の棒を素早く逆に持ち替え、棒の鎖分銅が付いていない側で剣を受け止めた。「何の真似だ、スズ!! 私達を、騙し打ちするつもりだったのか!!」 フィリーネはスズに強く言い放つ。「フィリーネ……同じポケモンヒューマンなのに、なぜあんな人間の味方をするの……!?」 スズは剣を受け止めたまま、フィリーネにそんな疑問を投げかける。その言葉を聞いたユウトは、驚きを隠せなかった。スズはポケモンヒューマンだとは、フィリーネは言っていなかった。そんな彼女が、ポケモンヒューマンだったとは。「同じポケモンヒューマン……!? じゃああいつ、ポケモンヒューマンって事!?」 ユウミも驚いてつぶやいた。 その時、ユウトとユウミの前に、カッター状の衝撃波のようなものが飛んできた。それに気付いた2人は、慌てて衝撃波をかわした。通り過ぎた衝撃波は、そのまま背後にあった木に、鋭い切れ込みを入れた。まともに受けていたら、その木と同じようになっていたと思うと、ユウトの背筋が凍りついた。 すぐに正面に目を向ける。そこには、アブソルの姿があった。アブソルは全身の毛を逆立て、鋭い目付きでにらみながらこちらをにらんでいる。「ユウト!! ユウミ!!」 フィリーネはすぐにアブソルに気が付いたが、気を逸らしてしまった隙に受け止められた剣をスズに振り払われてしまい、棒で腹への鋭い突きを浴びせられてしまう。フィリーネの助けは、期待できそうにない。「ちっ、やってやろうじゃないのよ……!」 それでもユウミは、強くアブソルをにらみ返した。その足元には、アブソルをにらみ返すサンダースの姿があった。そう、ユウミはポケモンを使って戦う事ができる事を、ユウトは思い出した。続く
「フィリーネは、人間がポケモンを捕獲する事を、どんな事だと思います?」 スズと最初に会った時、お互いがポケモンヒューマンである事を確かめたスズは、そんな疑問をフィリーネに投げかけた。「え? いや、それは……捕獲と言われましても……」 スズに問われたフィリーネは、答えに戸惑ってしまった。何せポケモンの捕獲については、ユウミのようなポケモントレーナーが行っていると話に聞いた程度で、フィリーネは今まで考えた事がなかったのだ。「……そう。なら、考えてみてください。人間がポケモンを捕獲する目的は、『ポケモンバトル』って競技でポケモンを戦わせるため。だから、人間がポケモンに求めるのは、力だけしかない。それだけの理由で、野生ポケモン達が捕獲されて、戦いに使役される事は、おかしいと思いません?」「え……?」 自ら戦う事が当たり前だと思っているフィリーネは、スズが言っている事が理解できなかった。「それだけの理由で捕獲され続けていたために、野生ポケモンの数は昔より大きく減っているんです。このまま行けば、自然の生態系が崩れてしまう事も知らないで、ポケモンを捕獲し続ける人間の考えが、私には理解できません」 スズは顔をうつむけながら、話し続けた。目は伏せられていて見えないが、その声は僅かに震えており、悲しんでいるように聞こえる。フィリーネは、その言葉を聞いてユウトが言っていた『自然破壊』という言葉を思い出した。スズの言っている事は、間違いなく自然破壊に定義できるものだ。スズの言葉が正しいとすれば、まさかユウミのようなポケモントレーナーは、自らの手で自然破壊を行っているというのだろうか。だがフィリーネは、ポケモンの捕獲に関する事はよく知らず、ユウミが政府ポケモン管理局と同類のようには思えなかった。「ひどい生き物ですよね、人間は……」 スズは顔をうつむけたまま、ぽつりとつぶやいた。スズの言っている考えが正しいのかわからず、何と言葉を返せばいいのかわからなかったフィリーネは、ただスズの顔を見る事しかできなかったが、そのスズの表情は、強く印象に残っていた。 * * * フィリーネには、そんなスズが戦士のようには見えなかった。だが、今襲いかかってきているのは、紛れもなく乳切木(ちぎりぎ)を手にしているスズだ。彼女がまさか自分達に襲いかかってくるとは思わなかったが、驚いている暇はない。敵である以上は、戦うまでだ。「何の真似だ、スズ!! 私達を、騙し打ちするつもりだったのか!!」 剣を乳切木の棒で受け止められたフィリーネは、スズに強く言い放つ。「フィリーネ……同じポケモンヒューマンなのに、なぜあんな人間の味方をするの……!?」 スズからそんな疑問を投げかけられる。フィリーネには、その疑問の意味が一瞬わからなかった。 その時、ユウトとユウミの前に、アブソルが飛び出した。アブソルは、角からカッター状の衝撃波のようなものを2人に向けて放つ。それに気付いた2人は、慌てて衝撃波をかわした。通り過ぎた衝撃波は、そのまま背後にあった木に、鋭い切れ込みを入れた。「ユウト!! ユウミ!!」 フィリーネはすぐにアブソルに気が付いたが、気を逸らしてしまった隙に受け止められた剣をスズに振り払われてしまい、乳切木の棒による腹への鋭い突きを浴びせられてしまった。反動で倒れそうになるが、踏み止まって体勢を立て直す。「ポケモンを戦わせて楽しむなんて身勝手な理由でポケモンを捕獲して、自然に住むポケモンの数を減らしている人間に、なぜ味方するの!?」 再度問いながら、スズは乳切木を持ち替え、鎖分銅をフィリーネに向けて伸ばした。すぐにフィリーネはかわす。フィリーネの背後で鎖分銅が地面を叩いたのがわかった。その言葉を聞いて、フィリーネはあの時のやり取りを思い出した。あの時語っていた考えが、スズを戦わせている理由なのだろうか。「お前が何と言おうと……敵として立ちはだかるならば、この手で倒すのみ!!」 だが、だからと言って戦いを止める事はしない。余計な事は考えない。立ちはだかる敵は、誰であろうと倒すまで。フィリーネは、剣を振りかざしてスズとの間合いを詰めていく。そして、剣を振り下ろした。スズは、乳切木の棒で受け止めた。「どうして……? 同じポケモンヒューマンなら、わかると思っていたのに……」 剣を受け止めたスズは、そんな事をつぶやいた。そして、剣を振り払うと、一度フィリーネと間合いを取る。すぐにフィリーネは後を追うが、スズはすぐに鎖分銅を伸ばす。フィリーネは伸びてくる鎖分銅をかわそうとしたが、横を通り過ぎていった鎖は、そのままフィリーネの体に巻き付いてしまった。一瞬で体を拘束されてしまったフィリーネは、スズが強く棒を振るのに合わせて、投げ飛ばされてしまった。そのまま強く地面に叩き付けられるフィリーネ。「く……っ!!」 叩き付けられた拍子に巻き付いていた鎖が解かれたので、すぐに体勢を立て直す。あの武器はなかなか侮れない。鎖分銅を使い、間合いが自在で変則的な攻撃が繰り出せるだけでなく、棒を直接使った接近戦もこなせる。間合いに死角がない。そしてそれを自在に使いこなすスズも、相応の実力を持っている事をフィリーネは確信したのだった。 ユウトとユウミの正面には、アブソルの姿があった。アブソルは全身の毛を逆立て、鋭い目付きでにらみながらこちらをにらんでいる。「ちっ、やってやろうじゃないのよ……!」 それでもユウミは、強くアブソルをにらみ返した。その足元には、アブソルをにらみ返すサンダースの姿があった。そう、ユウミはポケモンを使って戦う事ができる事を、ユウトは思い出した。フィリーネがスズとの対決に集中している以上、頼れるのはユウミだけだ。相手は1匹なので、ユウミ1人で問題はないだろう。ユウミ自身も、たかが1匹のポケモン相手に半人前な自分の助けを借りたいとは思わないはずだ。ユウトは自然とユウミの背後に下がった。「サンダース、あいつをやっちゃって!!」 ユウミが強く指示すると、サンダースはすぐにアブソルの前へと飛び出していった。アブソルはすぐにサンダースに気付き、身構えた。「“10万ボルト”!!」 ユウミが指示すると、サンダースの刺々しい体に電気が走り始める。そしてそれを一気に放電攻撃として放とうとした時、アブソルはいきなりサンダースに向かって飛び出した。瞬間移動したかと見間違えるほどに、一瞬でサンダースとの間合いを詰めたと思うと、アブソルは前足の爪で鋭い一撃を浴びせた。その一撃でサンダースは跳ね飛ばされ、“10万ボルト”は放てずに終わってしまった。「は、速い!?」 ユウトは驚いて声を上げた。「ち、“不意討ち”ね……!!」 ユウミが唇を噛んだ。“不意討ち”は先手を取れる技の1つで、相手が攻撃態勢を取っている時に限り、成功するトリッキーな技である。サンダースはかなり深手を負ったらしく、立ち上がってもふらふらしている状態だ。その体からは青い血が流れている。「なら、こっちも有利な奴に……!!」 ユウミはそう言ってモンスターボールを取り出し、サンダースを戻すためにスイッチを押して開けた瞬間だった。 サンダースが光に包まれた時、アブソルが再び飛び出した。そして、光となってモンスターボールに戻ろうとしたサンダースに、再び一撃を与えた。サンダースは光となる前に弾き飛ばされてしまう。「サンダース!?」 ユウミは驚いて声を上げた。ユウミの背後で倒れたサンダースは、そのまま動かなくなっている。完全に戦闘不能だ。く、とユウミは唇を噛んだ。「な、何だあいつ!? モンスターボールに戻す瞬間に攻撃するなんて……」「“追い打ち”って技よ。さすが悪タイプ、手段を選ばない攻撃をするのね……!!」 驚くユウトに、ユウミが説明した。“追い打ち”は、逃げる相手に大きな威力を発揮する技なのだ。こんな卑怯な戦法が技なのか、とユウトは驚いたが、それなら『悪』タイプと呼ばれるのも納得がいく。悪タイプの攻撃手段にはその名に恥じず、形振り構わないものが多いのである。 サンダースを倒されてしまったユウミは、すぐにサンダースをモンスターボールに回収する。さすがにアブソルは、倒れた相手に更なる“追い打ち”をかける事はしなかった。ユウミは悔しそうにサンダースを回収したモンスターボールを見つめていたが、すぐにホルダーに戻すと別のモンスターボールを取り出す。「ど、どうするんだユウミ……?」「お礼はきっちり返させてもらうよ! こいつでねっ!!」 ユウトの問いに、ユウミはアブソルをにらんで叫ぶ形で答えると、手に取ったモンスターボールを投げ付けた。それが開くと、中の光がポケモンへと姿を変えた。それは、カイリキーだ。カイリキーはアブソルをにらみつつ、力強いフォームで身構えた。「相性はこっちが有利、今度は“不意討ち”や “追い打ち”は通じないわよ?」 ユウミは勝てる自信があるのか、余裕を見せて挑発するように言った。ユウトは、ポケモンバトルの特訓に当たって、ポケモンバトルの基本としてタイプの相性というものも教えられていた。確かカイリキーは格闘タイプ。悪タイプの攻撃に耐性を持ち、かつこちらの攻撃は悪タイプに効果抜群。悪タイプに対しては有利なタイプだ。だがユウトは、相性を考えて戦わせるポケモンを選ぶ事がポケモンバトルの基本だと教わったのと同時に、相性の不利なタイプのポケモンと戦う事になってもいいように、不利なタイプの弱点となるタイプの技を覚えさせるのもポケモンバトルの基本だとユウミから教わっている。そのため、決して安心はできない。「さあ、やっちゃってカイリキー!! “インファイト”!!」 ユウミが指示すると、カイリキーは4本の腕を構え、真っ直ぐアブソルに向かっていく。そして、その中の1本の腕を引いて、アブソルに殴りかかろうとした。だが、その拳を、アブソルは身軽にかわしてみせた。そして、すぐにカイリキーの背後に回り込む。「後ろ!!」 ユウミはすぐに叫んだ。その言葉に反応し、カイリキーは背後に振り返る。カイリキーが背後のアブソルに気付いた時には、アブソルは角にパワーを集中させており、角が発光していた。そして首を振ると、角から衝撃波がカイリキーに向けて放たれた。アブソルに最初に攻撃された時と同じ、カッター状の衝撃波だ。カイリキーはユウミのお陰で気付けた事もあり、すぐにかわせたかに見えたが、完全にはかわしきれなかったようで、左腕の片方から青い血が流れている。「ち、“サイコカッター”……!」 ユウミが舌打ちした。“サイコカッター”は、格闘タイプが苦手としているエスパータイプの技である。ユウトが思っていた通り、相手も格闘タイプに対抗できる技を覚えていたのである。 アブソルは“サイコカッター”がかわされたのを確かめると、すぐにカイリキーと間合いを取る。カイリキーもすぐに後を追い、殴りかかろうとするが、アブソルは反転すると口を大きく開ける。その中では、赤い炎が燃え上がっていた。その炎は、球となってカイリキーに放たれた。カイリキーは驚いて足を止める。カイリキーの目の前で、炎が燃え上がった。その炎は、大きく『大』の字を描いている。「“大文字”……!」 ユウミが驚いて声を上げた。アブソルは更に、“大文字”を連続で放つ。カイリキーはかわす事に手一杯になり、アブソルに近づく事ができない。その名の通り肉弾戦が主体となる格闘タイプでは、接近できない事は痛手となる。「く、間合いを取られるとこっちが不利ね……」 ユウミが唇を噛んでつぶやいた。「どうするんだよユウミ……?」「お兄ちゃんは黙ってて!! まだろくにポケモンバトルもできないんだから!!」 不安になったユウトはユウミに聞くが、気が散るのか逆にユウミに怒鳴られてしまった。そうしている間に、アブソルは再び“サイコカッター”を放った。カイリキーはすぐに気付いてかわそうとするものの、周囲で炎が燃えているために、動きが取れない。そのため回避する事ができないまま、“サイコカッター”の直撃を受けてしまう事となってしまった。効果は抜群だ。カイリキーは倒れるものの、まだ戦えるだけの体力は残しているらしく、すぐに立ち上がる。「ち……意外とやるわね、あの疫病神……」 ユウミはそうつぶやき、口元に笑みを浮かべた。だがその笑みが、喜びを表しているものではない事は、ユウトにはすぐにわかった。こういう時には、人は逆に笑ってしまうものだ。 強い。ユウトは思った。相性が不利な相手でも、ここまで渡り合う事ができるとは、しかも驚く事は、トレーナーと言える存在のはずのスズはフィリーネと戦っているために、アブソルに全く指示を出していない。つまり、アブソルは自力で相性の不利な相手と互角に戦えるだけの判断力を持っているという事だ。あのアブソルは、意外と切れ者のようだ。そんな相手にユウミが勝てるかどうか、ユウトは不安になった。 ユウトはふと、フィリーネの様子が気になり、フィリーネの戦いの様子に目を向けた。 間合いを取れば鎖分銅の攻撃。詰めれば棒での打突。隙のない間合いで繰り出される攻撃を、フィリーネは凌ぎつつ攻撃の機会を窺う。 正面から飛んでくる鎖分銅を、フィリーネはかわす。それでもスズは鎖でフィリーネの体を捕らえようと鎖を振ったが、同じ手は二度も通用しない。縄跳びのように飛び上がって鎖をかわすと、剣を振りかざし、一気に間合いを詰める。「おおおおおおっ!!」 自らの間合いに捉えたフィリーネは、一気に剣を振る。スズは間合いを詰められた事に驚き、受け止められないと判断したのかとっさに身を引く。そのため、決定打を与える事はできなかったが、剣はスズの頬を僅かに切り裂いていた。その証拠に、スズの頬には切り傷があり、青い血が流れている。スズは一度離れると、頬を流れる青い血を腕で拭う。 再度間合いを詰め、剣を振り下ろすが、今度は棒で受け止められた。続けざまに剣を浴びせるが、スズは的確に棒で受け止め続ける。そして隙を見ては、棒を振って反撃しようとする。一進一体の攻防が繰り広げられていた。攻めの糸口を掴みたいフィリーネは、スズが反撃しようとした時を見計らい、地面を強く蹴って飛び上がった。そのままスズを飛び越え、空中で1回転して背後を取って着地する。だが、スズの反応は早かった。フィリーネが剣を降ろうとした瞬間、スズはとっさに背後に鎖分銅を振ったのだ。分銅はフィリーネが剣を振る直前に、フィリーネの胸に命中した。「ぐっ!!」 鎧のお陰で致命傷にはならなかったものの、強い衝撃が胸に走った。反動で倒れそうになるが、踏み止まって体勢を立て直した。だがそれが、スズに対して隙を晒す事になってしまった。体勢を整えた隙に、鎖が再びフィリーネの体に巻き付いてしまい、フィリーネは体を拘束されてしまう。スズは先程と違い投げようとはしないので、すぐに鎖を解こうともがくが、鎖はきつく巻き付いており、なかなか解けない。「なぜなの……? なぜあんな身勝手な人間の味方をするの……? フィリーネも見ていたでしょう、あの人間がポケモンを捕獲しようとしていた所を! あなたはそれを黙って見過ごすと言うの……?」 スズは表情を緩め、フィリーネに問う。またあの質問だ。フィリーネは、アブソルと戦っているユウミと、その隣にいるユウトに目を向けた。スズは、ユウトやユウミをあの時言った思想から悪だと思っているようだ。だが、それは違う。2人は自分を救ってくれた人間なのだ。「何を言う……ユウトやユウミは、悪い人間ではない!!」 フィリーネはそう叫び、力任せに体に巻き付いている鎖を解いた。そしてすぐに剣を構える。「……あなたのようなポケモンヒューマンとは、戦いたくはなかった。だけど、どうしてもあの2人に味方すると言うのなら……!!」 スズは再び鋭い視線を向け、乳切木を構えた。フィリーネが再びスズに向かって行こうとした時。「フィリーネ!! 止めるんだ!!」 不意に、ユウトの言葉が耳に入った。フィリーネはすぐにユウトに目を向けた。ユウトの隣では、ユウミもどういう事よ、と言って驚いていた。「ユウト!?」「よく考えたら、謝れば済む話じゃないか!! だから、戦うのを止めてくれ!!」 ユウトの言葉に、フィリーネは驚いた。ユウトはスズに謝れば、この事態が解決すると思っているようだ。以前グレート・ロケット団に襲撃された際、フィリーネを強引にモンスターボールに入れて逃げようとしたのと全く同じパターンだ。そんな事で解決するほど、戦いは甘くはないのだ。「ユウト、まだそんな事を……!!」「フィリーネがどうしてもって言うなら、こんな事したくないけど、ボールに入れてでも止めさせる!!」 フィリーネは反論しようとしたが、ユウトはモンスターボールを取り出してフィリーネに見せた。どうやらユウトは、あの時と同じように強引にモンスターボールに入れてまで止めたいようだ。だが、そのモンスターボールに、スズが反応した。「モンスターボール……!? まさか、あなたがフィリーネを……!!」 スズはそう言うや否や、ユウトを鋭くにらみつけ、乳切木を構えて真っ直ぐユウトに向かっていった。ユウトを攻撃するつもりだ。「お、おい!! 待ってくれ!! 俺は君に……!!」 ユウトはスズを止めようとするが、スズは聞く耳を持たない。スズは何も答えを返さずに、鎖分銅をユウトに伸ばした。身の危険を感じたユウトは、慌てて鎖分銅をかわし、逃げる。「ユウト!!」「お兄ちゃん!!」 フィリーネとユウミはすぐに反応し、スズの元へ向かう。ユウミはカイリキーを呼び出して何か指示しようとしたが、スズはそんなユウミに気付き、伸ばしていた鎖分銅をユウミに向けて伸ばした。ユウミが気付いた頃には、分銅は既にユウミの目の前にあった。「あぐっ!!」 ユウミの体を分銅が直撃した。ユウミの体は一瞬で跳ね飛ばされてしまった。そのまま倒れたユウミは、動かなくなってしまう。「ユウミ!!」 ユウトとフィリーネは揃って声を上げた。ユウトはすぐにユウミの元へ駆け寄るが、その隙にスズはユウトに狙いを定め、一気に間合いを詰めて棒で殴りかかろうとしている。ユウトは目の前に迫ってくるスズを前に動けず、逃げる事ができない。「させるかあっ!!」 フィリーネはすぐに、スズに背後から詰め寄る。スズがフィリーネに気付いた時には、フィリーネはスズの目の前で剣を振り上げていた。フィリーネは躊躇う事なく剣を振り下ろした。「ああっ!!」 剣はスズの体を切り裂き、青い血が飛ぶ。スズはその場に倒れてしまう。すぐにフィリーネは追い打ちをかけるが、スズはかろうじて棒で受け止めた。「く……アブソル!!」 その時、スズが叫ぶと、フィリーネの横からアブソルが飛び出し、フィリーネに襲いかかった。アブソルの気配に気付いたフィリーネは、とっさにスズから離れた。アブソルが振り下ろした爪が、空を切った。「アブソル……ここは逃げましょう……!」 その時、スズはそう言うとアブソルの背中に乗る。するとアブソルは、勢いよく走り出し、フィリーネの前から去っていく。待て、とフィリーネは後を追おうとしたが、アブソルの足は速く、森の中という事もあり、あっという間に見失ってしまった。「逃げられた……か」 フィリーネは足を止めてつぶやく。そして軽く念じると、体から鎧と剣が光となって消え、元の私服姿に戻る。「ユウミ!! しっかりしろ!! ユウミッ!!」 ユウトが叫ぶ声がする。振り返って様子を見てみると、ユウトは倒れたユウミに必死に呼びかけている。倒れているユウミの腹からは、血が流れているのがわかった。フィリーネはすぐに、ユウトの元に駆け寄った。「ユウト、ユウミの状態は?」「完全に意識を失ってる……すぐ手当てしないと!!」 ユウトはそう言うと、すぐにユウミの手当てをするべく動き出した。フィリーネは、倒れたユウミの顔を見つめる。 ――フィリーネも見ていたでしょう、あの人間がポケモンを捕獲しようとしていた所を! あなたはそれを黙って見過ごすと言うの……? スズのあの言葉を思い出す。 スズはユウミのようなポケモントレーナーがポケモンを捕獲したために、野生ポケモンの数は減っていると言っていた。その言葉が正しければ、ユウミも政府ポケモン管理局と同じく自然破壊を行っているという事になる。だがフィリーネは、ユウミがそんな事をする人間のようにはやはり見えなかった。 * * * ユウトは医者を目指していたらしく、テントの中でユウミへの手当てを慣れた手付きで行っていた。適切に止血を行い、包帯を巻く。ユウトはいざという時にために応急処置の方法をしっかりと身に着けているという。ユウトの隣で手当ての様子を見守っていたフィリーネは、その手捌きのお陰で自分も救われたのだと思うと、感心せずにはいられなかった。ユウトは戦いを避ける人間ではあるが、このような一面にフィリーネは、『何か』を感じる部分があった。その『何か』が何なのかは、フィリーネにはまだわからなかった。「……ふう、とりあえずはこれで大丈夫だろう」 包帯を巻き終えたユウトは、ふう、と大きく息を吐いてつぶやいた。ユウミの容体は安定しているようで、後は目を覚ますのを待つだけだ。「ユウトは私の事も、このように救ってくれたのでしょう?」 フィリーネは、ユウトに声をかけた。ユウトはその言葉に驚き、え、と声を裏返した。ユウトの頬が、少しだけ赤く染まっている。「あ……まあ、そうだな」 ユウトはそう答えると、戸惑った様子でフィリーネから目を逸らしてしまう。またあの表情だ。自分の事を言われた時に、ユウトはいつもそのような戸惑ったような表情を見せる。一体なぜなのだろうか。「ユウト、前から思っていたのですが、なぜそんな表情をするのです?」 フィリーネは、疑問をそのまま口に出した。すると、それを聞いたユウトの頬は更に赤くなった。「あ、いや……き、気のせいだよ、気のせい! 別に、何でもないから!」「そう、ですか……」 ユウトは慌てた様子で、視線を戻してフィリーネの言葉に答えると、今度は顔を逸らしてしまった。その答え方は、どこか誤魔化しているようにも見えなくはないが、なるものはなる、か、と思ったフィリーネは、そこまでで詮索するのを止めた。眠っているユウミに顔を戻した時、フィリーネは手当てを終えたらユウトに尋ねようと思っていた事を思い出した。「……そう言えばユウト、1つ聞きたい事があるのですが」「え、何?」 ユウトの顔が、再びフィリーネに向いた。「ユウミは、ポケモンを捕獲して『自然破壊』を行っているというのは本当なのですか……?」 その問いを聞いたユウトは、頬の赤みが戻り、驚いた表情を見せた。しばしの沈黙。「ど、どうしてそんな事聞くんだ?」「いえ、スズが言っていたのです。人間がポケモンバトルのためにポケモンを捕獲し続けたために、野生ポケモンの数は減り続けている、と。このままでは、自然の生態系が崩れてしまう、と……」 フィリーネの説明を聞いたユウトは、そうか、と一言つぶやいた。そして少し考えると、ユウトは寝ているユウミを見つめながら、フィリーネに答えを返した。「……確かに、ユウミのようなポケモントレーナーは、そういう事になっちゃうのかもしれないなあ。ポケモンだって無限にいる訳じゃないし、みんながみんなしてポケモンバトルのためにポケモンを捕まえてたら、そうなっちゃうのも無理はないと思う。だから俺は、ポケモンバトルが嫌いなんだ」「では、ユウミはあの政府ポケモン管理局と同類だと……?」 フィリーネが問うと、ユウトは驚いた表情を見せた。「な……何言ってるんだよ!? ユウミが悪い奴みたいな事言って!? 確かに、ポケモンバトルの事は俺も納得がいかない所はあるけどさ、ユウミは悪い奴なんかじゃないさ。あいつらみたいな過激な事はしないよ。ユウミは昔から口より手が先に出るくらい、正義感が強いからな。俺は兄貴だからさ、そういう所は一番よく知ってる」「そう……ですか。すみません、ユウミの事を疑ってしまって」 ユウトの説明を聞いたフィリーネは、ユウトに謝った。やはりユウミは、スズが言うような悪い人間ではない。それを確信したフィリーネは安心した。フィリーネの言葉を聞いたユウトは、いやいいんだよ、と言葉を返した。 * * * 日が暮れ始めたが、ユウミは未だに目を覚ます気配がない。ユウトはそんなユウミを心配し、片時もユウミから離れる事はなかった。フィリーネも、そんなユウトの隣でユウミの様子を気にしていた。 そんな時。フィリーネは不意に、何かの気配を感じ取った。この特徴的な感触は、紛れもなくポケモンヒューマンのものだ。フィリーネはすぐに立ち上がった。「どうした、フィリーネ?」「ポケモンヒューマンの気配です。まさか……!!」 ユウトの言葉に答えると、フィリーネはすぐにテントから飛び出した。ユウトもすぐに後を追う。フィリーネは念じて召喚した鎧を身に纏い、剣を構えて攻撃に備える。フィリーネは気配が感じる方向に目を向けた。するとそこから、1つの人影が姿を現した。それが紛れもなく、スズであった。隣にはアブソルの姿もある。だが、先程と違い、乳切木は持っておらず、和風の鎧も身に着けていない。表情も最初会った時と同じように緩んでおり、見る人が見れば戦いに来たようには見えない。「君は……!?」 ユウトが声を上げた。「スズ……!!」 丸腰とはいえ、何を企んでいるのかはわからない。油断は禁物だ。フィリーネは剣を握る手に力を入れた。「フィリーネ。私は今、ここであなたと戦うつもりはないの。話がしたいだけ。だから剣を下ろして」 スズはフィリーネに言った。その言葉に敵意は感じない。フィリーネは一瞬驚いたが、またあの時のように騙し打ちするのではないかと思うと、気は抜けない。フィリーネは剣の構えを解く事はなかった。「そんな言葉に騙されるとでも……!」「フィリーネ、止めろ! 今はタテヤマの話を聞こう。だから言う通りにするんだ」 フィリーネはスズに向かっていこうとしたが、ユウトに呼び止められた。フィリーネは仕方なく剣を下ろすが、スズへの疑いは消えた訳ではない。「何を企んでいるのかは知らないが、妙な動きを見せるなら容赦しないぞ」 フィリーネはスズに言い放つが、スズは何も言葉を返さなかったものの、その表情は変わる事はなかった。「で、話って何なんだ?」 ユウトが問う。すると、スズは話を切り出した。「フィリーネ。あなたはそこの人間に、共に行動したり戦ったりする事を強制されているの?」 スズの目はユウトに向けられていた。その質問に、フィリーネもユウトも驚いた。一体なぜ、そのような問いをするのだろうか。「……どういう事だ!」「あなたはモンスターボールの力で、そこの人間に操られているかもしれない。もしその自覚があるなら、私はフィリーネを解放してあげたいの」「ちょ……ちょっと待ってくれ! 操ってるってどういう事だよ! 俺はそんな事して……」「私はあなたには聞いていない」 ユウトはすぐに口を出したが、スズに止められてしまう。そして、スズの顔はフィリーネに向けられた。「モンスターボールには、ポケモン心を操る力を持つ『ヒプノクォーツ』という特殊な鉱石が使われていて、その力で捕獲したポケモンを操っているの。フィリーネももしかしたら、その力に縛り付けられているかもしれない。だから……」「何を言う! 私はユウトに指図など受けていない! ユウトは私を救うために、モンスターボールを使っただけだ! ここにいるのは、私自身の意志だ!」 スズの口から、フィリーネにとっては初めて聞く言葉が出てきたが、それでも構わずフィリーネは反論した。「本当にそうなの? あの人間はそのような『建前』を使って、邪(よこしま)な心を持ってあなたをモンスターボールに入れたのかもしれない。モンスターボール越しの絆は、偽りのものでしかないって事がわからないの?」「違う! ユウトはそんな人間ではない! ユウトは私の恩人だ! その心が建前なはずはない!」 スズの主張を跳ね除け、フィリーネは強く言い返した。その言葉を聞いたユウトは、フィリーネ、とつぶやいた。するとスズは、落胆した表情を見せた。「……ああ、完全に心を奪われてしまったのね。強引にでも目を覚ましてもらわないと駄目なのね……!」 そう言うと、スズは両手を構える。すると、両手に乳切木が召喚され、更に胸に和風の鎧が現れる。「お前……!!」 やはりスズは、戦う意志がなかった訳ではなかった。確信したフィリーネは素早く剣を構えて応戦しようとした。「ま、待ってくれ! 俺はフィリーネを操ろうと思ってモンスターボールを使った訳じゃないんだ!」 すると、ユウトが急に声を上げた。フィリーネとスズは、驚いてユウトに顔を向ける。「タテヤマの考えている事もわかる……俺だって、ポケモンバトルの事は嫌いなんだ。人がポケモンを操って戦わせるって事はどうかって思ってるんだ。だから俺は、フィリーネにそんな事をさせようと思った事はないんだ! モンスターボールはただ、回復を促す力があるって言うから、使っただけなんだ! 本当なんだ! 信じてくれ!」 ユウトの強い主張を、スズは黙って聞いていた。「そんな言葉、私は信用できない。モンスターボールは、ポケモンを操るための道具。それを操る意志がないまま使うなんて、あり得ない」 だがスズは、冷たくそうつぶやき、ユウトをにらんだ。そしてユウトに1歩歩み寄る。「待ってくれタテヤマ、どうしてすぐに戦って物事を解決しようとするんだよ……? 話し合うとか、別の方法もあるんじゃないのか!? 何でもかんでも戦いで解決するのは、よくないじゃないか!」 ユウトはスズに強く主張した。フィリーネは、まだユウトがそんな事を言っている事に苛立ちを覚えたが、フィリーネが言うよりも先に、スズが言葉を返した。「話し合いだけで全て解決するくらいなら、こんな事はしない」 スズの言葉に、ユウトは愕然とした。スズは、更に言葉を続ける。「……本当なら私も、こんな事はしたくない。命を奪うのは、私だって嫌。だけど、言葉だけじゃポケモンを捕獲し続ける人間を止められない。そんな人間を止めるには、力を使うしかない。だから私は、ポケモンを身勝手な目的のために捕獲して、操ろうとする人間を殺す……!」 スズの眼差しが強くなった。そしてスズは、乳切木を構えた。ユウトはそんなスズを前に、何も反論する事はなかった。何を言っても無駄だと思ったのだろうか。「だから、私はあなたを……!!」 スズは一気に、乳切木を振り上げた。鎖分銅でユウトを攻撃するつもりだ。そうはさせない。フィリーネはすかさず、ユウトの前に飛び出した。その瞬間、鎖分銅がユウトに向けて伸びてくる。フィリーネはそれを、剣で素早く弾き返した。その光景に、スズは驚いた。「スズ……ユウトを殺すと言うのなら、まずは私を倒してからにしろ!!」 フィリーネは剣を構えてスズを強くにらみつつ、スズに言い放った。フィリーネ、とユウトがつぶやいたのが聞こえた。スズはく、と唇を噛みつつ、フィリーネをにらんでいた。まさに一触即発の状況。緊迫した空気が漂う。スズの隣にいるアブソルが、スズに加勢しようと前に出ようとしたが、スズに呼び止められた。そしてスズは乳切木の構えを解き、フィリーネに背中を向けた。それを見たフィリーネは、スズの戦う意志がなくなった事に気付いた。「アブソル、帰りましょう」 スズが言うと、アブソルも攻撃の構えを解いた。そしてスズは背中を向けたまま、言った。「フィリーネ、あなたの思いが本物なのか偽りのものなのか、私には判断できない。そのユウトっていう人から離れろとは強制しないけど、本当にあなたが思う通りの人間なのか、見極めた方がいいよ」 スズはそう言って、アブソルと共に森の中へと去っていった。フィリーネは、自分の事を認めたような言葉を言ったスズを、追いかけようとはしなかった。フィリーネは構えを解き、軽く念じると、体から鎧と剣が光となって消え、元の私服姿に戻る。「なあ、フィリーネ……」 背後で、ユウトの声が聞こえた。フィリーネはユウトに体を向ける。「フィリーネは俺の事、信じているのか……?」 ユウトはそんな問いをフィリーネに投げかけた。フィリーネはユウトがそんな問いをしてくるとは思っておらず、少し驚いたが、すぐに答えた。「何を言っているのです。ユウトは記憶を失った私を救い、名を授けてくれた恩人です。それにユウトは、今まで何度も私を助けてくれたではないですか」 フィリーネは答えると、意識せずとも自然と笑顔が作られた。それがなぜなのか、フィリーネにはわからなかった。このように笑顔を作ったのは、初めてのような気もする。「私は、ユウトが邪な人間ではないと信じています」 その言葉を聞いた瞬間、ユウトの頬が赤く染まった。ユウトはそのまま戸惑った様子で、視線を泳がせながら答えた。「え、いや……あ、ありが、とう……」「ユウト、またその表情……どうしたのですか?」 フィリーネは再び頬を赤くした表情を見せたのが気になり、尋ねるが、ユウトはただ何でもない、と答えただけであった。ユウトが抱いている感情を、フィリーネはまだ知る由もなかった。 * * * 翌日。 意識を失っていたユウミは、目を覚ました。ユウトの手当てが功を成し、ユウミはいたって元気そうな表情を見せていた。その日にはもう、ユウミの手料理を再び味わう事ができた。そして、ユウトとのポケモンバトルの稽古も再開された。ユウトは昨日と違い、いつになく稽古に真剣だった。まだまだユウミには敵わないが、積極的に攻撃を指示するようになってきている。そんな稽古の様子を、フィリーネは見物していた。「サンダース、“10万ボルト”!!」 ユウミが指示すると、サンダースが電撃を放つ。正面からブレイズに襲いかかってくる電撃だが、それを前にしてもブレイズは怯まなかった。「“火炎放射”だ!!」 ユウトが指示すると、ブレイズは指示通りに口から炎を吐いた。炎は、サンダースが放った電撃と正面からぶつかり合った。どちらかが破られる事もなくぶつかり合った炎と電撃は、そのまま爆発する。正面の視界が、爆発の煙によって遮られた。視界が見えない状況では、下手に動きは取れない。状況がわからずに飛び込むのは危険だからだ。「よし、今だ!!」 すると、ユウトが不意に叫んだ。するとサンダースの目の前に、煙の中から飛び出したブレイズが現れた。その姿に、サンダースは驚いている。完全に不意を突いた。「“火炎車”!!」 ユウトが指示すると、ブレイズの体が炎に包まれ、そのままユウミのサンダースに向かっていく。サンダースは慌ててかわそうとしたが1歩遅く、ブレイズの体当たりをもろに受けてしまった。ここまでサンダースに攻撃が決まったのは、初めての事だった。「へえ、やるようになったじゃない、ブレイズもお兄ちゃんも。まさか爆発の煙で視界が遮られた隙を突くなんて思わなかった……」 ユウミは驚いてつぶやいた。「ブレイズは鼻が利くからな。それを活かせば、煙の中でもサンダースの位置がわかるって思ったんだ」「なるほど、これなら将来有望かもね!」 ユウトの説明を聞いたユウミは、実力を挙げたブレイズに感心し、思わず拍手している。「だけど一体どうしたの、お兄ちゃん? こんなに積極的になるなんて」「何だよ、おかしいか? 俺だって戦わなきゃならないって思ってるだけさ」 ユウミの問いに、ユウトは自信を持って答えている。そんな答え方も初めてだ。フィリーネは、ユウトがスズの言葉の影響で、稽古に積極的になったのではないかとわかったような気がした。「遂にお兄ちゃんもフィリーネさんを守るために本気を出したって事ね!」「お、おい! フィリーネを守るって……!」 ユウミがからかうように言うと、ユウトは頬を赤くしてユウミに言い返す。またあの表情だ。ユウトはなぜ、自分の事を言われると案な表情を見せるが、フィリーネは不思議でならない。 ユウトの反応を見てクスクスと笑っていたユウミは、とにかくそう来なくっちゃね、とうなずき、すぐに稽古を再開した。スズは、ユウミのようなポケモントレーナーを悪のように見ていたが、やはりユウトの言葉通り、ユウミは悪人ではない。ユウトと同じように、信用できる人間だ。これからも自分は、失った記憶を探る旅を2人と共に続けていきたい。フィリーネは思っていた。 * * * とある森の中を歩いている1人の少女。それは、森に風景を眺めながら歩いているイザナミだった。「タテヤマ・スズ……あのポケモンヒューマンも、私と一緒に戦ってくれる『同志』になってくれそうね……」 イザナミは歩きながらつぶやいた。そして、ふと足を止めて空を見上げる。「そして、リュウ様、ヒイラギ・カホ、クサリ、フィリーネ……この5人の事は、もう少し様子を見た方がよさそうね。本当に私の『同志』になってくれる意志があるのか、しっかり見極めなきゃならないもの、ね」 イザナミは木々の間から見える青い空を見つめながら、言葉を続けた。その目には、ただの少女のものではない眼光を放っているように見えた。「さ、そろそろリュウ様の所に帰らないと」 イザナミは普通の少女の表情に戻ってつぶやくと、右手を目の前に突き出した。すると、イザナミの目の前に白く光る楕円形の穴が現れた。その大きさは、ちょうどイザナミが入れるほどの大きさを持っていた。イザナミは、その中に足を踏み入れていく。イザナミの姿が先の見えない光る穴の中に入って見えなくなると、光る穴はそのまま森の風景に溶けるように消えたのだった。続く