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笑っていなくちゃ。笑っていなくちゃ。 だって、ボクは『道化師』だから。 ボクにはそれしか『居場所』がないから。
午後三時。 あたりは相変わらず暗い。ここは昼も夜もない世界。 伯爵が初めに自分自身の世界を消滅させたのは、どんな理由があったか知らないけれどボクらにとっちゃ迷惑な話だ。時間の変化さえわからない。 ディメーンは自分のために紅茶を淹れながら、くすりと笑った。 もっともそんなもの、アノヒトにとっちゃもう何の意味も無いんだろうけれど。 ……いや、きっともっと昔からアノヒトには何の意味も無くなっていたんだろうけれど。 白いテーブルクロスにこぼさないよう、そっとティーポットを戻す。邪魔になりそうな袖口の布も器用にたくしあげ、細い指で焼き菓子をつまんで口に放り込んだ。ディメーンが動く時はいつだって、なんということもない動作の一つさえ、どこか芝居がかった優雅なものにみえた。 「また窓開けっぱなしでお茶してんの?」 後ろからの声に、ディメーンはいつもの笑顔のままふり返った。 ノックもせずにドアを開けたのはマネーラだった。お気に入りらしい黄色のワンピースが、窓からの風に少し揺れていた。 「うん。ほぼ日課なんだよね〜、ボクの」 「なーんにもないとこ見てて面白いわけ?」 無遠慮に部屋に入り込んできた少女に、彼は嫌な顔一つしない。 マネーラもそれを十分承知でこんなふうにふるまっている。窓から体を乗り出してぐるっと外を見渡し、首をかしげながら尋ねもせずにディメーンの向かいの椅子に座った。 「こんなとこホント、なーんにも見えないじゃない」 「そうでもないよ」 うふふ…と含み笑いしながらディメーンは言った。 「亡んだ世界のカケラが流れてきたり、匂いが漂ってきたり、かすかな残滓を眺めてるのは楽しいよ〜。それにこの世界特有の生暖かい風も、慣れればなかなか乙なものさ、Mademoiselle(おじょうさん)」 「…それさぁ、ホントに面白い?」 テーブルのお菓子にのびたマネーラの手は、「一個もらうね」と言った瞬間、返事も待たずに焼き菓子をつかんで口に運んでいた。ご丁寧に一番大きなものを。 ディメーンは相変わらずの笑顔のまま、その様子を見ていた。 「ボクは、面白いと思うんだけどね。消えちゃった人の生活の一部、たった今までそこにいたっていう痕跡ってさぁ〜、なんか笑えてこないかぁい?絶対この人こんな瞬間に消えちゃうなんて予想してなかっただろうなとか思うとさ、オカシクってしょうがないんだよねぇ〜。あはv流れてきた品物からお話だって作れるし。ああ、そうそう、飲みかけのお茶が流れてきた時なんてさ、そうとう笑ったよ。うふふ…みんなバカだからさ、『毎日』が永遠に続くと思ってるんだよねぇ」 そんなわけないのにさ〜とディメーンは笑みを深めた。 「…あんたって見かけによらず、けっこう暗い子よね」 「そうかな?」 「いっつもニコニコしてるくせに」 「う〜ん、まあ、ボクは魅惑の道化師だからねぇ☆」 「どんな理由よ?」 「道化師ってのはいつも笑顔でなくっちゃいけないのさ」 ふと横を向いたディメーンの瞳が、遠くを見るように細められた。 歪んだ空の色を映して、瞳の色がめまぐるしく変わる。緋から黒へ、黒から青へ、青から紫へ、紫から緋へ。 普段よりも少し低いトーンの彼の声に、言葉に、マネーラは口をつぐんで同じ方向に目を向けた。 ガラスの割れた写真立てがゆらゆらと異空間に漂っていた。 幸せそうな家族の写真が、残ったガラスにかろうじて止めつけられている。両親と5才くらいの小さな男の子。 「……あの写真からだって、物語は作れるよぉ〜」 そう言ったディメーンの声が普段通りだったので、マネーラはふっと息を吐き肩の力を抜いた。 「どんなのよ?」 「え〜と、昔々、あるところに小さな男の子がいました。その男の子はねぇ、両親に愛されて幸せに暮らしてたんだ〜」 「うんうん、それで?」 「けれどもある日、男の子の家に泥棒が入りましたぁ。その泥棒はと〜っても悪い奴でさぁ、宝物を全部盗んだ上に男の子の一番大事な両親の命までとっていきました」 「えー?いきなりものすごい展開ね」 「男の子は色々な親戚の間を、転々と移って暮らすことになりました。その子はねぇ少しばかり変わってて、人と違う特技を持っていたものだから。どこの家でも邪魔になってしまうみたいでさ〜、長くはいられなかったんだよねぇ。でもそうするうちに、男の子は自然とあることに気付きました。何かわかるかい、Mademoiselle?」 「?」 「笑顔を作れば、相手も笑ってくれるってこと☆」 「……」 「それからの男の子はいつだって笑っているようになりました。悲しみも苦しみも怒りも痛みも、全て笑顔に換える術を知ってしまったのさ。相手に笑顔のある時だけ、自分にも居場所ができた気がしたから。うふふ…けなげなもんだよねぇ〜」 「ディメーン…」 「彼は自分のことを『道化師』と呼ぶようになりました。絵本で見たピエロに自分がそっくりだったから。おどけた口調で自分を『道化師』という男の子。周りの大人たちは笑ってたけど、やっぱり気味が悪かったんじゃないかなぁ?とうとう最後に彼を孤児院に放り込みました☆」 「……」 「たくさんのつらいことが男の子の上に降りかかりました。彼の不思議な力は、孤児院に来てからも邪魔にされ気味悪がられた。どこに行ったって異質なものは異質でしかないしねぇ。違うっていうのはそれだけで罪。断罪、だ〜んざい、ヒドイ話さぁ。う〜ん、しかもその力は年々大きくなるばかりでね〜、彼にはそれをどうすることもできなかったんだ。だから男の子は何があっても、やっぱり笑っているしかありませんでした☆殴られても蹴られても水をかけられても『悪魔』と罵られても、ねぇ。いつか、自分の居場所ができる日を夢見て」 「……」 「ある日のことです。一人の男が孤児院にやってきて、男の子はその人にひきとられることになりましたとさ。けれども『新しいお父さん』も男の子につらくあたりました。今までと全くおんなじだった。その子にとっては場所がすこ〜し変わっただけの話さ。『新しいお父さん』って人は自分の自由にできる召使いが欲しかっただけでね〜。男の子には他に行く所なんて無かったしさ、『お父さん』に何を言われても聞くしかないでしょ。何を言われてもやるしかないじゃない?」 「……」 「それでもさ、彼はずっと笑顔を作り続けました☆バカの一つ覚えってやつさ〜。きっといつかは…そう思いながらねぇ。けれども数日後」 「……」 「男の子にとって災厄の日が訪れました」 「……」 「彼の中で唯一、自分の場所だった体が、『新しいお父さん』に侵された日☆」 「!……」 「痛くて苦しくて悲しくて、そしてとっても怖くて。だけどやっぱりその子は笑っていました。もう自分の場所は一つも無くなってしまって、これからもきっとできないに違いないって悟ったのにさぁ。それでも、笑うことしか、知らなかったから…」 「あんた…」 「うふふ…バカな男の子の話さ〜。面白かったかい?ボクだったら自分の場所は自分で作ることにするけどねぇ〜」 「……」 「ま、そう教えてくれたのは伯爵様だったけどさぁ〜」 「新しい世界…」 「それそれ〜☆嬉しかったなぁ、初めて聞いた時は。だからボクは伯爵様についていこうと思ったのさ」 「…さっきの話の男の子は、最後どうなるの?」 「え〜?どうって、お話はあれで終わりなんだけどなぁ」 ディメーンは紅茶を口に運び、少し冷めてしまったそれが喉をうるおすに任せた。冷めたお茶は、それでもまだ十分に香りが残っていて、美味しかった。ふっと息を吐く。 返事が無いのを気にとめ、変わらぬ笑顔でマネーラの方を見ると、少女にとっては珍しくひどく真剣な瞳で彼を見つめていた。強い視線と強い気持ちがわずらわしくて、はぐらかすように曖昧な笑みのままでディメーンは目をそらした。 「あんなところで終わっちゃダメなのよっ。続きがいるのっ」 「なんでだい?お話を作ったボクがあれでオシマイっていってるんだよ〜」 「アタシがいるって言ったんだからいるのっ」 「メンドーだなぁ〜、まったく。じゃあMademoiselle、君はどんなオシマイが良いっていうんだい?」 「わからないわよっ、あんたの作ったお話でしょ」 「……じゃあ、こういうのはどうだい?その男の子のところに、ある日アシナガおじさんがやってくるんだ。ドアからじゃなくて窓からねぇ。白いマントを身にまとった、シルクハットのアシナガおじさんさ〜。それで、その子を家から連れ出してくれる☆」 「それから?」 「アシナガおじさんの家にはもう何人か家族がいて、男の子はそこでやっと自分の居場所をみつけることができましたとさ☆」 ディメーンはそう言って微笑んだ。いつもどおり。いつもどおりに、何も変わりはないように。 マネーラはそんな彼をしばらく見つめた後、 「……その終わりだったら、まあいいわ」 と疑い深く言った。 「満足したかい?」 「一応。とりあえず」 「アハハvけっこう辛口批評だねぇ」 まいったな〜、とディメーンは首を横にふった。その様子はひどく楽しそうで。 「アタシもう戻るわ」 ナっちゃんに呼ばれてたの忘れてたし、と彼の方も見ずに椅子から立ち上がって、マネーラはドアに足を向けた。けれどもその手には、ちゃっかりもう一つお菓子を握っている。 「……言っとくけど、ディメーン。アタシはね、物語はハッピーエンドが好きなのよ」 「そう?今後参考にするよ☆」 「そうしてくれる」 「次回作にこうごきた〜い、うふふふ」 ディメーンの含み笑いはドアの閉まる音で締め切られた。 ふふ…収まりきらない笑いに口元を歪めたまま、彼もテーブルから離れ窓際に近づいた。ぐちゃぐちゃと頭のおかしくなりそうな色彩の空。亡びの匂い、腐臭のする生ぬるい風。 さっきの写真立ては、いつのまにか、どこかへ流れてしまったようだった。 「……けれども男の子は、あまりにも長い間『居場所』を探し続けていたので、それがどんなものだったのかさえ、もう忘れてしまったのでした」
これが『居場所』というものなの? 本当にそうなの? アノヒトに連れてこられたここが? ひどく危ういバランスのここが?
―――ボクニハ シンジラレナイネ―――
************** え〜と、これでちゃんと形式通りできているのか、すこ〜し不安の残る今日この頃でございます…。 お祭りに浮かれテンションに任せて、思わず書いてしまいました。 ディメたんは、きっととても不幸な過去をもった子だと思うのです。みんな訳ありで伯爵のところに来たけれど、その中でも一番病んでそうな子。この話の時は、一応伯爵の本当の計画を知らない時、という設定です。 ……でもなんだか、ディメたんもマネりんも偽者くさくてごめんなさい。 乱文失礼いたしました。
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