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タイトル:私も拙詞を一つ投稿しますので、御批評お願いいたします。
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投稿者:泊 大輝
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嵯峨野慕情(さがのぼじょう)
たったひとつの 言葉にも ほんの僅(わず)かな 仕草(しぐさ)にも 数え切れない 思い出がある つらさ三分(さんぶ)に 愛(いと)しさ七分(しちぶ) それを未練と 人は言い 抱いた私は 嵯峨野妻(さがの づま)
都大路(みやこおおじ)の 真ん中で おんな心を 嘲笑(あざわら)う 鞍馬(くらま)おろしに 背中を向けて カラのお銚子(ちょうし) 転(ころ)がしながら 赤い暖簾(のれん)に 身を沈(しず)め こぼす涙は 嵯峨しぐれ
千代(ちよ)の古道(こどう)に 春を呼ぶ 都忘れを 待ちわびて そっと顔出す ツクシのように 叶(かな)うあてない 幸せよりも すぐに掴(つか)める 夢を追い いつか嵯峨野を 後(あと)にする
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[62]2016年09月05日 (月) 13時46分
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投稿者:はまだ ゆうこう
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拙作へのアドバイスありがとうございます。 泊先輩の作品にどうのこうのは、ちょっと畏れ多いですが、「いいですね」というだけでは白々しいですね。そこで、ある通信教育を受けていたときに志賀大介先生がよくおっしゃっていたことに「タイトルをもっと引き寄せて…」ということを思い出しました。 嵯峨野慕情での二、三番では嵯峨野を感じさせれるフレーズがありますが、一番では、終行に初めて嵯峨野妻というフレーズがきましたが、導入部での嵯峨野情緒的なものはは? どうなんでしょうか。ご無礼の段お許しを。
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[63]2016年09月05日 (月) 18時02分
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はまださん、早速のご高評ありがとうございます。
いやぁ、痛いところを突かれましたねえ。
ほかの作詞家様から率直なご意見をいただくことは、なかなか難しいので助かりますし、大変ありがたいです。
確かに1番には、2番3番にはある「嵯峨野情緒的なもの」がありません。これは志賀大介先生のお言葉には反しているかもしれません。
しかしながら『歌詞』になる作詞は、「ご当地ソング」としての演歌・歌謡曲ではありますが、ともすれば『地名や観光地名』がたくさん入った単なる『観光PRソング』になってしまいかねません。 私は決して単なる『観光PRソング』を否定したり、侮蔑するわけではありません。
現実に水森かおり歌手の歌のように、各連に情緒豊かな『地名や観光地名』をふんだんに取り入れる手法もあろうかと思いますが、私的には1連から3連までをひとつの物語と考え、特に「慕情」という意味を1番で強調するため『地名や観光地名』は最小限に抑え、サビの一か所だけにとどめたものです。 とはいえ、感情表現と情景表現の折衷ということは作詞をしていく上で大変むつかしいところであることは間違いありませんが、最終的に行き着くところは、「自分が納得できるかどうか」にかかっているのではないかと思っております。
今後とも辛辣なご批評をよろしくお願いいたします。
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[64]2016年09月06日 (火) 10時50分
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