《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「現象無し」と「現象無視」とを混同するなかれ! (40)
日時:2016年01月05日 (火) 18時40分
名前:破邪顕正


表題は、岡氏のこの投稿を読んでの感想です。

>「この世の中には困ることは何もない

 悩むことは何もない

 苦しむことは何もない

 悪い人は一人もいない

 親切な人しかいない

 愛深い人しかいない

 善いことのほかには何もない

 この世界は全知全能にして

 円満完全なる 神様がお創りになった世界だから

 心配することは何もない」

 ――と年賀状に書いて下さった人がいました。

 また、

 「神はすべてを知り給う。合掌」

 ――と書いて下さった方もありました。

 私は、それを信じて、ただ感謝と喜びの毎日を送ります。

 ありがとうございます。合掌<

これは、私の立ち位置からすれば、完全な「現実逃避」であります。

換言すれば、谷口雅宣総裁、SNI教団≠ノ対して、一切の関心を払わないとの宣言とも受け取れます。

「現象無し、実相独在」

それが尊師・谷口雅春先生のお悟りだからと言って、尊師は現象に対して、何の働きかけもなされず、神想観三昧の世界に引きこもられていたでしょうか?

決して、そうではありませんでした。

私のハンドルネーム「破邪顕正」に対して、「破邪」は余計だ、と言ってきた方があります。

現象にひっかかっているから、そんな「破邪」が出てくるのだ。

生長の家の教えでは、「顕正」だけでいいのだ、という趣旨のようでした。

岡氏の道がそれに当たるのだろうと思う次第です。

谷口雅春先生のお説きになられた「真理」の言葉を引用し、それに対して自らの思い等を綴っていく。

「組織」に残ると決断した以上、岡氏に残された道はそこにしかないでしょう。

しかし、私は、あくまでも「破邪顕正」で参ります。

谷口雅宣総裁、SNI教団≠フどこが「邪」であるか、それを満天下に知らしめること、それなくして「顕正」もまたありえないというのが私の立ち位置であるからです。

その「邪」を指摘することをもって、批判や悪口はもうウンザリだ、という方は、それはそれで致し方ないことだと思います。

すべては、その人の立ち位置が決めることであると思うからです。

谷口雅春先生が、なぜ、敢えて政治運動に入っていかれ、愛国運動を展開なされたのか。

その「お志」を継承しようというのが「谷口雅春先生を学ぶ会」の理念であり、設立の根本使命だと私は理解しております。

『生命の實相』の冒頭に、かくあります。

>「生長の家」は人類の思想中よりその顛倒妄想を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現した<

この「全面」という文言の中には、当然、政治も入らなければおかしいのです。

「現象無し」を説かれながら、なぜ、その最も「現象」に深く関わっている政治にまで谷口雅春先生が関与なされたのか。

その深い「お志」から、決して目を背けてはならないというのが私の思いです。

その思いを込めて、「破邪顕正」というハンドルネームにさせていただいた次第です。

ここにおいて、岡氏とは、完全に立ち位置が違ったということを申し上げておきたいと思います。

そして、それは「組織」の中にあっては絶対になしえないことであるからこそ、「退会」なくして谷口雅春先生の「お志」にお応えする道はありえないとも申し上げているのです。

そして、この道にしか、本当の「和解」の世界もありえないというのが私の一貫した主張でもあります。

だって、「谷口雅春先生に帰れ!!」は、谷口雅宣総裁が絶対に呑めない言葉であるからです。

相手が呑めないことをどうして「和解」の条件に出せますか。

谷口雅宣総裁が自ら深く悔いることなくしては、それは絶対にありえないと考えるのは、火を見るより明らかなことではありませんか。

そこに至るまでは、孜々として力をつけていくことに徹するということを改めて強調しておきたいと思います。


谷口雅春先生が、なぜ敢えて政治運動に入っていかれ、愛国運動を展開なされたのか。 (70)
日時:2016年01月08日 (金) 16時06分
名前:雅春先生の時代を知らない信徒


私は入信30年、雅春先生の熱く、真理を説法された素晴らしい時代をしりません。

しかし、この雅春先生に天下った、生長の家の教えは本物であるという事は、頭でなく、<魂>が教えてくれます。


なぜ、雅春先生が政治にまで深く関わられてらしたのか、良く解りませんでした。

その意味が、少し解った感じがします。




>>谷口雅春先生が、なぜ、敢えて政治運動に入っていかれ、愛国運動を展開なされたのか。

その「お志」を継承しようというのが「谷口雅春先生を学ぶ会」の理念であり、設立の根本使命だと私は理解しております。

『生命の實相』の冒頭に、かくあります。

>「生長の家」は人類の思想中よりその顛倒妄想を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現した<

この「全面」という文言の中には、当然、政治も入らなければおかしいのです。

「現象無し」を説かれながら、なぜ、その最も「現象」に深く関わっている政治にまで谷口雅春先生が関与なされたのか。

その深い「お志」から、決して目を背けてはならないというのが私の思いです。

その思いを込めて、「破邪顕正」というハンドルネームにさせていただいた次第です。<<




名は体を表すと申しますが、「破邪顕正」を貫く事は、大変な事だと言う事は、

昨年からの、物凄いバッシング、足引っ張り、嫌がらせ、を見ても良くわかります。

普通の信仰心では、もう、とっくの昔に消えていたことと思います。


<破邪顕正>素晴らしい御名前です。

どうぞ、この名のとうり今年も<破邪顕正>であり続けて下さい。



合掌

「雅春先生の時代を知らない信徒」さんへ (78)
日時:2016年01月08日 (金) 21時30分
名前:破邪顕正

投稿、誠にありがとうございました。

>昨年からの、物凄いバッシング、足引っ張り、嫌がらせ、を見ても良くわかります。

普通の信仰心では、もう、とっくの昔に消えていたことと思います。<

今のこの混沌とした状況下にあっては、精神的にタフでなければ到底、つとまらないという気がしております。

先だっても、「谷口雅春先生を学ぶ会」の会員さんから、組織に残っている信徒さんから、まるで犯罪者≠ナあるかのような扱いを受けたという話を耳にしました。

SNI教団≠ノしてみたら、「組織」を退会すること、そのこと自体が既に犯罪≠ニして受け止められているということのようです。

こういう形で締め付けることでしか「組織」を維持できないところまで来ているということなのかもしれません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に入るということは、こういう組織からの弾圧、抑圧、強圧を覚悟しないとやっていけない面がありますから、私は、人によっては「退会しなくてもいいですよ」とアドバイスしたりもします。

「人を見て」というのは、とても大事なことだと思うからです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に入会したことで、却ってその方を苦しめるようなことになったら、それこそ不本意でありますから。

ですから、「退会」したいという方には、当然の覚悟を求めたりもします。

村八分≠ノ合うことを覚悟できますか?

それまでの人間関係も壊れてしまいますが、それでもいいですか?

実際、私自身、「谷口雅春先生を学ぶ会」に入ったため、年賀状が途絶えた方が何人もあります。

長年の年賀状のやりとりがこうして消えてしまうということは、正直、一抹の寂しさを伴うものであります。

その代わり、「谷口雅春先生を学ぶ会」で出会った新しい方との年賀状のやりとりが増えましたが。

「退会」するということは、これまでの人間関係にピリオドを打ち、新たな人間関係が始まる、ということなのだろうと思います。

過去のしがらみに捉われないで、常に前を向いて生きていく。

その覚悟で生きていこうとしないと、「退会」の決断も鈍ってしまうように思います。

どういう人生を送りたいのか。

また、どういう人生を送ろうとしているのか。

この「退会」という一事についても、その人の人生観が深く関わっているような気がしてなりません。

「退会」して本当に良かった!

その悦びを、身をもって証し立て、それを伝えることもまた自分の使命ではないかと思っているところです。




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