《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

コピペで文字に色や下線をつけて太字にする方法
 

 

「和解」論は、もはや机上の空論と化してしまっている… (38)
日時:2016年01月05日 (火) 11時32分
名前:破邪顕正


表記は、“生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)”の「トキ」さんのこの投稿を読んでの感想です。

>元旦の感想 (34)
日時:2016年01月02日 (土) 00時37分
名前:トキ

本日は、飛田給に行ってきました。

久しぶりにお会いする人も多く、いろいろと話をしましたが、だいたいが景気の悪い話が多く、危機感すら憶えてしまいました。

「うちの総連会長さんが、最近、姿が見えなくなった。学ぶ会に行ったらしい。」

「久しぶりに誌友会に行ったら、新経本を読まされたので、気分が悪くなり、抗議をした。」

「総裁の書かれている事は、意味がわからない。読む気も起こらない。」

「私は講習会の受講券は買いました。それは仕方がないと思います。しかし、白鳩会の上のほうからは、参加促進もしろと言われましたが、”あの内容では、私は、他の人を誘えません”と断りました。誰も誘っていません。」

と組織に対する文句ばかりが出ました。

例のヒルクライムで自転車のチームを作った某教区の人は、「自転車チームを作って宣伝したら、それに魅力を感じて入る人もいると思います。」と自慢しておられました。

生長の家は、いつから自転車を崇拝する信仰になったのかしら?

ちなみに、谷口雅春先生は、そういうやり方を嫌っておられてと聞いています。

夜、生長の家宇治別格本山に参拝した友人と電話で話をしたら、今年の参拝者も奉仕員も激減しており、驚いたという話をされていました。

宇治ですら、そんな状況みたいです。

繰り返しますが、本部が、谷口雅宣先生の解釈で現在の教団を統率しようとしていますが、それはもはや破綻しています。

もはや、残された道は唯一つ、本流復活派と話し合いを始め争いを止め、谷口雅春先生の教えへと戻ることしかありません。

谷口雅宣先生のことを本当に心配するのなら、それを総裁に直言すべきだと思います。<

最後は決まって、このような「べき」論で終わるのが、「トキ」さんの投稿です。

そして「直言すべきだ」といいつつ、それを他の誰かに期待してしまう。

そこまで言うのであれば、「トキ」さん、あなた自身が行動に移せばいいのに…と思うのは、果たして私だけでしょうか。

何を申し上げたいか。

岡氏は、「トキ」さんが言うように、「直言」したのだと思うのです。

その結果、どうなりましたか。

岡氏は、その「直言」を自ら、削除してしまったのです。

つまり、「直言すべき」という論はここにいたって完全に破綻したということです。

にもかかわらず、性懲りもなく、いつまでもこういう「べき」論に拘るというのは、谷口雅宣総裁、そして〝SNI教団〟の本質に目を背けているがゆえだと私は思います。

ザックリ言わせていただけば、「和解論」そのものが机上の空論と化しているのです。

「和解論」の皆さんにとっては、最後通告のような形になるかと思いますが、敢えてこの「事実」を突きつけることにいたしましょう。

ある教区の幹部が、このままでは生長の家がダメになると心底、憂慮して、谷口雅宣総裁にこう「直言」しました。

>総裁先生、どうして裁判で争うのですか。「和解」こそが生長の家の教えではありませんか。「和解」していただくわけにはいきませんか?

それに対して、谷口雅宣総裁はこう言って、プイと顔を背けたのです。

>相手は私を辞めさせようとしてるんですよ。そういう相手と和解などできるわけがないではありませんか!

谷口雅宣総裁が「和解」に応ずることなどないということが、これでハッキリしたのではないでしょうか。

勿論、この幹部は、この後、「直言」した責任をとって、その要職を辞任します。

「トキ」さんは、こういうネットの世界で「直言すべきだ」と簡単に書いていますが、それを行動に移した瞬間、どういう状況に追い込まれてしまうのか、一顧だにしたことがあるのでしょうか。

現実を無視した「和解」論は、まるで今の「安保法制反対派」の論と見紛うばかりです。

これは余談ですが、どこかの女優が、「武器を手にしないことが積極的平和主義です」などとノタモウたそうですが(仄聞するころによると、その女優の家そのものが日本共産党だったとのことです)、こんな平和ボケの“サヨキスト”によって第九条は支えられているのです。

同様に「和解論」も現実を無視したところに成り立っているということです。

何度も書いて恐縮ですが、谷口雅宣総裁を「和解」のテーブルにつかせるには、自らの路線の失敗を思い知らせるしかないのです。

「本流」が〝SNI教団〟に伍するほどの組織に発展するしか他に道はない!

そういう思いで、私は私の立ち位置で「谷口雅春先生を学ぶ会」の発展に尽力していきたいと決意している次第です。



「和解」の前に必要なのが〝悔い改め〟なのですね… (136)
日時:2016年01月13日 (水) 15時02分
名前:破邪顕正


表題は、『新編 生命の實相』第8巻を学んでいて実感したことであります。

同巻の91頁以降に「癇癪は病を招く」と題して、山本という青年の話が出てまいります。

〝カンシャク〟もちは、最後に「ク」が付いているように、常に「苦」がついてまわる。

その「苦」から逃れたいのであれば、その「ク」を取ったらいい。

〝カンシャク〟から「ク」を取れば、〝カンシャ〟が残る。

ということで、〝カンシャク〟もちの人生は感謝の心に返ればいい!

確かに、そうなのですが、その「感謝」の前になくてはならないのが「悔い改め」であります。

この山本青年、癇癪が昂ずると手当たり次第に母に当たる。

で、母親はそれに耐えかねて、家を出てしまう。

自分は自分で肺病を患ってしまい、入院を余儀なくされる。

そういうところに、佐藤勝身さんを通じて『生命の實相』が届く。

それを読むや、山本青年、何と二日で退院。

みるみる健康を回復していく。

一ヵ月が過ぎた頃、山本青年が家を出た母親の所へ往ってこういう。

「お母さん、今迄私が悪うございました。これ迄のところはお許し下さい。これからどんなお世話でも致しますから、どうぞ家へお帰り下さい。」(同書93頁)

この項の最後、こう結ばれています。

「これは聖典『生命の實相』で病気が治るばかりか、心が変り、親子の不仲がスッカリ良くなった美談であります。」(同書94頁)

息子が心から「悔い改め」たからこそ、親子の「和解」が成り立ち、この美談が生まれたのであります。

母親が家を出た話。

とても他人事とは思えなかったので、敢えて、紹介させていただいた次第です。



じっくり考えれば宜しい (139)
日時:2016年01月13日 (水) 19時15分
名前:中仙堂

相手は私を辞めさせようとしてるんですよ。そういう相手と和解などできるわけがないではありませんか!

そう云う場合は素直に辞めれば良いだけの事です。
辞めて、大好きな自転車なり、ライフワークに没頭すれば、正しく我が世の春です。

上述
そういう相手と和解などできるわけがない
と云って居られる、
その言葉の通り

和解とは何と和解するのか、
じっくり考えれば宜しい、
妥協が通用する程、信仰の世界は甘く無い筈。

達磨大師の弟子は入門の為に両腕を失った。
それは極論かも知れませんが、志しは高く有るべし。

山本青年はなぜ〝悔い改め〟たのか (160)
日時:2016年01月15日 (金) 09時27分
名前:破邪顕正


ここで大事なのは、やはり、肺病を患ってしまったことなのだと思います。

「肺病」がきっかけで、自分を見つめなおした。

だからこそ、『生命の實相』の真理の言葉が深く穿ち入ったのではないかと思うのです。

何を申し上げたいか。

「和解」に至るには、どうしても「今のままではいけない」との気付きが必要になってくるということです。

何でも自分の思うようになり、好き放題のことができていれば、誰しも「このままでいい」と思う。

「このままではいけない」などと思うわけがないと思うのです。

何か、行き詰まりが生じないことには、「気付き」も生まれ得ない。

谷口雅宣総裁に、その「気付き」のきっかけを与えなくてはならない。

本当にそう思います。

それもまた〝愛〟の一種ではないかと思っている次第です。




名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板