| 「和解」の前に必要なのが〝悔い改め〟なのですね… (136) |
- 日時:2016年01月13日 (水) 15時02分
名前:破邪顕正
表題は、『新編 生命の實相』第8巻を学んでいて実感したことであります。
同巻の91頁以降に「癇癪は病を招く」と題して、山本という青年の話が出てまいります。
〝カンシャク〟もちは、最後に「ク」が付いているように、常に「苦」がついてまわる。
その「苦」から逃れたいのであれば、その「ク」を取ったらいい。
〝カンシャク〟から「ク」を取れば、〝カンシャ〟が残る。
ということで、〝カンシャク〟もちの人生は感謝の心に返ればいい!
確かに、そうなのですが、その「感謝」の前になくてはならないのが「悔い改め」であります。
この山本青年、癇癪が昂ずると手当たり次第に母に当たる。
で、母親はそれに耐えかねて、家を出てしまう。
自分は自分で肺病を患ってしまい、入院を余儀なくされる。
そういうところに、佐藤勝身さんを通じて『生命の實相』が届く。
それを読むや、山本青年、何と二日で退院。
みるみる健康を回復していく。
一ヵ月が過ぎた頃、山本青年が家を出た母親の所へ往ってこういう。
「お母さん、今迄私が悪うございました。これ迄のところはお許し下さい。これからどんなお世話でも致しますから、どうぞ家へお帰り下さい。」(同書93頁)
この項の最後、こう結ばれています。
「これは聖典『生命の實相』で病気が治るばかりか、心が変り、親子の不仲がスッカリ良くなった美談であります。」(同書94頁)
息子が心から「悔い改め」たからこそ、親子の「和解」が成り立ち、この美談が生まれたのであります。
母親が家を出た話。
とても他人事とは思えなかったので、敢えて、紹介させていただいた次第です。
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