これまた虫の知らせというか
「昔、購入した空想科学読本を
久し振りに読み返す」というのが
マイブーム化していた、ここ最近。
新刊が出て欲しいなぁ、とは思っていたけど、そろそろ出るとか、もう出てるとか、
全く知らなかったのに、ナイスタイミングで出てるんだもの!
昨日、別の買い物で大型書店に立ち寄ったら、
ちょうど最新刊が出てるのを発見して購入したですよ。
最近、どうも、音楽やテレビやゲームでは、いまいちストレス解消にならない
という不全感が強かったんだけど、それを解消してくれたのが、
この「空想科学読本読み返しブーム」なんですよ。
DIE丸にとって、単純に、
理科雄先生の思想や文章能力が大好き、ということもあるし、
読みながら声を出して笑える、というストレス解消になるし、
本文・脚注中に登場する数字が「何阿僧祇、何千何百何十何恒河沙、・・・」
という単位!
これを快感と言わずして、今生に如何なる他の快感があろうか!?
「ちょ〜キモチいい〜。」ですよ。
(↑っていうか、こんな歪んでるから、不全感を感じるのかも…。)
常用対数で68(という説が主流っぽいが、理科雄先生曰く、他説もあり)が
無量大数なんだから、常用対数で二桁を超えると、もう“量”としての実感がない…。
あ〜、キモチいい〜♪ マグニチュード100気持ち良い! 100万デシベル気持ち良い!
ところで、
私が柳田理科雄氏のどこがそんなに好きかと言えば、
以下の二点を挙げよう。
まず第一に、文系・理系偏らない知識(又は、少なくとも知的好奇心)があること。
これは、単純な知識量も大事だが、それ以上に大事なのは、その姿勢である。
よほど突き抜けた天才を除き、
「市場のニーズや社会の影響を考慮出来ない理系人間」や、
「数学的根拠、物理的現象に疎い文系人間」といった人種は、
非常に魅力のない存在だし、そもそも当人の知的好奇心や向上心のレベルを疑いたくなる。
その点、理科雄先生は、物理以外の生物・化学にも積極果敢に取り組みつつ、さらには
空想科学上の社会・経済状況、人間関係、心理分析、適法性をも考慮するのが魅力です。
そして第二は、科学に対する哲学である。
自分は見たことないけど、話には聞く分に、大槻教授みたいな人がUFOを科学で否定する
とか言ってるらしく、それは結構なんだが、
「科学者だから非科学的なものは信じない」という姿勢は、
これは大変な誤解を世に大宣伝してくれてないかい?
逆ですよ。
「非科学的なものを否定することほど非科学的な行為はない!」
これは、大昔も現代も、理系人間に必要不可欠な資質であり続けているはず。
どうも、前時代的なマンガとか、大槻教授とかの影響か、逆のイメージが
世間(俺の年老いた両親とかも、平気でそんな偏見持ってるし。)にあるように思う。
閑話休題、
理科雄先生曰く
「わかっていることと、わかっていないことの境界面が「謎」だとしたら、
わかっていることが増えていけば、謎も増えていくのも当然のことかもしれない。」
アシモの開発者あたりの人物が「ガンダムを作りたいと憧れて…」なんてコメントする風景は
よくテレビが好んで使っているように思うが、その意図は、お茶の間の皆様に
「アシモみたいな難しい発明をする学者が、ガンダムみたいな非科学的な下らないものを?」
というリアクションを提供することを期待してるのかなぁ、なんて穿った見方も出来る。
実際は、一流企業の一流技術者でなくても、現代の現役の技術者なり機械科の学生なりは
大抵みんな、そういうことを言っているんだけどねぇ。
理科雄先生の“非科学に挑む科学の姿勢”については、ご本人が「まえがき」「あとがき」で
たびたび言及されているので、ここは評論しませんが、非科学を仮説の上で肯定することから
始まるのは当然の科学哲学の基本であり、ここも魅力です。
まぁ、追加して三点目を挙げるなら、彼の人格だろうか。
東大合格というエリートでありながら、行間に見え隠れする九州男児精神。
プロレス・相撲に目が無いと言う、スポ根精神とエンターテイメント精神の両立。
元学習塾経営者という目線の、ときに教育的でもあり、ときに青春賛歌的でもある思想。
こんな、「DIE丸の脳みそを気持ち良くしてくれるエッセンス100%」の文章を
10年近くに渡り、大量に提供してくれている柳田理科雄先生には謝辞に尽きません。
おかげさまで、私ことDIE丸、
布団に入っても電気を付けたまま、空想科学読本を読みふけり、
「那由他、不可思議、無量大数、・・・あひゃひゃひゃひゃ・・・!」
と、トリップしながら、電気を付けたまま眠りに落ちる、
そんな独身中年の毎日。。。
・・・まぁ、客観的に振り返ると
「DIE丸は、空想とか科学とかは程々にして、現実に帰って来い!」って話です。