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(1382) なぜ総本山ではいけないのか 投稿者:取材者

森のオフィス問題でやっと今になって何故長崎総本山ではいけないのか・・・という疑問が信徒間に拡がってきているようです。

 しかし、その疑問を10年ほど前の早くから雅宣総裁に投げかけられていたのは、谷口貴康理事だということが取材で明らかになってきました。以下が取材で解ったその当時の理事会でのやり取りの概略です。

貴康理事 「私はしばらくの間長崎の本山で生活して自然と調和し      ながら運動してきましたが、それと今回の森のオフィ      ス計画との違いを教えていただけないでしょうか」

雅宣代行 「そういうレベルの問題ではありません、他に意見は       ありませんか」

貴康理事  「私が唯今したような質問を信徒さん等からされた場       合はどう答えたら良いのか質問しているのですから       是非理解力の無い私に対してお答えをいただきたく       思います」

雅宣代行  「他にご意見はありませんか」(と完全に質問を遮り       無視)

    (この問題について質問できない雰囲気が漂い場内沈       黙・・・)

このようにして森のオフィス問題は当時の理事ですら理解できないまま強引に進んでいったようです。


2012年07月21日 (土) 02時02分


(1385) 宗教者谷口貴康元理事 と  娯楽愛好家 谷口雅宣総裁 投稿者:愛国本流会計士




宗教者谷口貴康元理事 と  娯楽愛好家 谷口雅宣総裁の印象はぬぐえません。

谷口雅春先生の「御声」を聴いておられる方は・・宗教者谷口貴康元理事 のように思えるのですが・・。

なぜ、教団から排除されるのかわかりません。

「原宿教団」という左翼系の新興宗教に排除されているのでしょうか。


2012年07月21日 (土) 08時18分


(1386) 貴康氏退職までの経緯 投稿者:取材者

貴康氏が宗教者であったかどうかは異論が出るところですが、創始者と先代の総裁から厚い信頼と期待がかかっていたことは複数の人から聞くことが出来ます。総本山が落慶する際に、谷口雅春先生より「名代」として、ご神体を奉遷したのは谷口貴康氏であり、谷口雅宣氏はその時は本部職員でもなかったので当時の雰囲気では貴康氏が三代目になるのではとの感触を本部内では持っていたようです。しかし、貴康氏本人は自分に過去がある(自伝参照)のでそれを頑なに拒み、兄である雅宣氏が本部に入り後継者になってもらうことを強く希望していたようです。

さて、その雅宣氏が本部に入り広報編集部長から講師部長へとなるころまでは、両者の関係は上手くいっていたようです。特に雅宣氏は講師部長でありましたが管轄する練成会の指導経験も無いことから、総本山勤務の貴康氏に講師部次長として練成課を担当させたこともあるようでした。
関係がギクシャクし始めたのは、雅宣氏が副総裁に、貴康氏が国際部長に任命されその後副理事長になったころのようです。国際部長としての活躍は良い部下と海外・特にブラジルとの良好な関係や適切な支援で、次々と各地の拠点が増えていきました。現在国際平和信仰運動と称されている運動のほとんどはこの貴康氏が国際部長をしていたころに出来上がっていたものです(むしろ現在のほうが全体的に教勢は落ちています)
 このあたりから雅宣氏は貴康氏に対して嫌悪感をむき出しにするようになり特に雅宣氏が副総裁として初めての海外巡錫(北米)の企画段階では貴康氏を排除する勢いであったようです。この北米巡錫はのちに宮澤潔氏とのトラブルの原因にもなり、生長の家の歴史上最悪の歴史の始まりと言えるかも知れません。
☆谷口貴康を排斥したこと 国際部長→講師部長→青年会担当(副理事長より理事に降格)→総本山総務(この途中で理事更迭)
☆宮澤潔氏を北米から排除したこと。→オーストラリア特命講師→ゆには担当講師(この前時点で退職される)
☆英語圏の活動は自分が行うとしたこと
☆この方針により功労者であった日系人排斥が始まり教勢は転落、☆さらに『生命の實相』英語出版の停止(雅宣氏が自分の本で布教すると主張する)
☆国際練成道場を北米に作ると宣言するも実現せず。
 このように自分の主張をごり押しして意見の食い違うものを排除した結果は、すべてにおいて成功せずに失敗。キズだけが残りました。
 貴康氏はそれでも最後の奉職の地として、大恩ある雅春先生のお気持ちのこもった総本山と墓を御守りするつもりで清超先生に特別に許されて総本山に行ったのですが・・・一年半後に突然に理事会において移動の提案。その提案は総裁(清超先生)にも相談無く密かに進められた模様で、理事会において「慎重に検討しなさい」との総裁のおことばを「わたしが議長なんです」と雅宣氏は制止して強行に採決するという事態になるわけです。
 この時点で「総裁を無視する雅宣氏」に完全に失望して、この団体に前途なしと判断。その日のうちに退職届を理事長に提出したとのことです。この左遷人事はもちろん「退職させるための」者であったようで貴康氏が退職届を出した事に対して、雅宣氏や理事各位からの慰留や説得も無かったことが「ためにする」提案であったということを示唆しているわけです。


2012年07月21日 (土) 12時17分


(1387) さらなる追放と本部の詭弁 投稿者:取材者

貴康氏の退職は当時幹部間に衝撃を与えた。幹部どころか総裁に置かれましても大変な悲しみであったことは、ご体調を崩されたことにそのお心が表れていると拝察される。

本部は貴康氏の退職理由の質問に答えるために詭弁を用意した。
「谷口貴康さんは自分の好きなことをしたいと思って生長の家をやめた、総裁も雅宣先生も大変遺憾に思われている」というものであった。のちにその好きなこととは「整体と田舎暮らし」であると解説されていた。しかし取材すると実際はそうではない。特に辞めた後に教団からの貴康氏にたいする排除の徹底ぶりと監視は尋常ではないことが、総本山退職者の証言で明らかになった。

 貴康氏の後任に雅宣氏が送り込んだのが菅原氏である。この菅原氏もかつては北米教化総長にまでなった人であるが、雅宣氏の方針に従っていないと総長を更迭され、函館の教化部長となり後に宮城の教化部長になっていた人物で、雅宣氏の恐ろしさに懲りて家族ともども雅宣氏に逆らえない精神状態になっていたときであった。
 貴康氏の任期はあと三ヶ月あったが総務を解任され総務は菅原しになり、貴康氏は一切練成で講話することも許されなくなった。退職前の送別会を職員で行うさいにもその他の移動した人と並列で行われた。退職後にただちに管理職の職員は菅原総務に言い渡されるる。
①貴康さんに会いに行ってはいけない。
②貴康さんが本山に来たら時間まで報告すること。どんな小さな道 具などで も貸してはいけない。どんな会話をしたかも報告する ように。
③年祭(雅春先生と輝子先生)には参加してもらうことが禁止とな っているので駐車場に来られても止めさせてはいけない。
このようなことを言い渡されたという。
 つまり、貴康氏は生長の家から追放されたということなのだ。
「辞められてから数ヶ月は本山に来られて皆さんと仲良くされておられましたが、総務の命令で顔も合わせられなくなりました」とその人は証言する。貴康氏は生長の家を辞めたのではなく、辞めさせられ、出入りを事実上禁じられたということが事実のようだ。

 宮澤潔氏が依願退職を懲戒免職にされ、裁判にて破産させるまで追い詰めようとしたり、宮澤氏はもちろん貴康氏にも祖父祖母の年祭に参加すら許さない仕打ちをしたりする「宗教家」とはいかなるものであろうか。普通の人であっても思想信条が違っていても、葬儀や年祭から排除することは異例のことでアル。
「村八分」ということばがあるが、他のことの八分は相手にしない処分をしても、身内の葬儀になどに当たる二分は例外とされている日本の感覚からも外れる非人道的なことがまかり通るのだから恐ろしいことだと思う。


2012年07月21日 (土) 13時48分




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