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2011年10月23日 (日) 20時42分
未生
兄弟相争うことなかれ!!
一求道者様より、何度も具体的方法論についてお問い合わせがありますが、その件は、「学ぶ会の活動、がんばって下さい!!」の中で一度説明させていただいております。同じ問題を繰り返されても、お答えの仕様がありません。
一求道者様は、『私は自分からは「クーデター」と言う言葉は使ってはいません。』と強調されておりますが、
「法脈・血脈一体」についての、私の感想(2)の中で、自ら、
雅宣先生を総裁とする現教団の「最高首脳者会議」で谷口雅春先生の『御教え』を100%継承する御孫さまを、次期副総裁として推挙する事は、クーデターが行われない限りあり得ません。
と述べられたのは、どなたの言葉なのですか?
クーデターを主張されているではありませんか。
雅春先生の説かれた真理は、神の實相そのものを示されております。
その雅春先生のみ言葉を、自分たちだけが継承しているような発言は、神を自らの甲羅に合わせて、判断するのと、何ら違わないでしょう。
神の真理とは、その程度なのですか?
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式の教義論争は、ほとんど何ものをも生み出さしません。
自らの持てる力で、神を持ち上げて振り回しても、自らの力以上のものを持ち上げることができません。
何と「神」を微小なものにしたものであろうか!!
小生は、教義論争に興味がないのです。信仰と教義論争は、全く別のものです。
教義論争は、信仰が近い者ほど血で血を争うような激烈な争いになるのは、歴史が示しています。
あまり争うことが性に合っておりませんので、悪しからず。
小生は、「實相世界の久遠終始一貫の常住性が生長の家には現象界に歪みなく影を映すやうになつてゐる」という、雅春先生の御言葉を、絶対的に信じているのです。
現実は違うという一求道者様は、現実の奥にある「實相」を直視する必要があるのではないでしょうか?
雅春先生のお言葉は、「現実と違う」と唱えられたいのでしょうか? 先生のお言葉が、間違っていると? 何代目かも同じような発想でしたが … 。
雅春先生の生長の家の中で、「兄弟相争う」状況を、一番悲しまれるのは、雅春先生であろうと思います。
マサノブ氏の説で、間違っている点は、論理的に指摘すればよいのです。
小生とても、別の掲示板で、何度かマサノブ氏の「私説」に対して、非議を唱えてきました。
多くの人々が、掲示板などを通してマサノブ氏の非議を正してきた甲斐あってか、「小閑雑感」を閉鎖してしまいました。新たに「唐松文様」なるブログに変えておりますが、書き込みに相当気をつけているためか、慎重になってきているのは、事実です。
「机上の空論に終るような学者・評論家の類の案」であっても、から元気なクーデター論より、よほど現実的であると考えております。
マサノブ氏を、変える力があるのである。
教団外の人間が、法燈継承を決定する権利はないことは当然です。
しかし、多くの信者や講師が、このような掲示板を「覗き見」していることを、聞いています。
この掲示板を通して、どのように法燈を継承すべきかを提示できるのです。
その提示板の内容をどのように教団幹部が考えるのかは、彼らの自由です。具体的な内容は、すでに掲載済みです。新たにこの掲示板をご覧になっている方は、隔靴掻痒かもしれませんが。
しかし、マサノブ氏が、掲示板での批判に神経質になっているのと同じように、インターネットの力を過小評価してはいけないでしょう。
インターネットは、現実を変えつつあるのです。「鉄砲」よりも強力な武器となりつつあるのが、パソコンであり、それが現代のネット社会です。
ところで、たとえ雅春先生の教えに反する発言があろうとも、マサノブ氏が、現実的に、生長の家第3代総裁であることは否定しようもありません。
その現実を踏まえて、如何にして、次期総裁に継承することが、「雅春先生の法燈」を継承することになるのか、まずその方策を考えることが大事であって、現実を否定したり、教義論争に身をやつしている時ではありません。
法燈の定義論争は、皆さんのお仲間でやってください。
新たな法燈の継承のその時は「近い」のです。教義論争をしている時間は、小生にはありません。
現実のマサノブ氏を、どこかの国の「大佐」のように引き摺り下ろすことが、法燈継承になると考えること自体、異常です。どこかの国の混乱は、ますます深まるでしょう。
クーデターで、国が、教団がよくなると考えるべきではないのです。
神は法則であるから、その法則が実現できる「理」を、現実の中で求めることが必要なのです。
言葉の力で、現実を変えていく巨大な力が、このような「掲示板」にはあるのです。
ですから、小生も書き込みをしているのです。
誤った方向に行かないように、誤った発信をしないために、常に冷静に「理」を求めているのです。
一求道者様への対応に追われて、「理」を追及する時間がありませんので、その後の進展が、あまりありませんが … 。