三重教区教化部長 寺川昌志氏にあてられた投稿
日頃から、教化部長先生は、谷口雅春先生と谷口雅宣先生とは同じだと仰っておられますから、さぞかし、参加者の声をお聞きになられて、舞い上がられたのでしょうが、ちょっと舞い上がられすぎましたね。
「『生長の家としてふさわしいか』を基準として選択し」このお言葉は、勇み足過ぎたのではないでしょうか。
日頃の教化部長先生をみていて、これ以上、もはや黙ってはおられなくなりました。
これは、心ある信徒の気持ちであるということで、お聞きくださいませ。
①先生の息子さまは、にんじんがお嫌いですね。
それはそれで仕方がないとは思います。しかし、だからと言って、青少年練成会でにんじんを使ったら、いけないのですか?
そのとき、「子供がにんじんを食べるか!」と言って、先生は怒鳴られましたね。
一所懸命につくられた厨房の皆さんが、どんなお気持ちだったか、先生はおわかりになりますか?
少なくとも、生長の家の先生であれば、好き嫌いがないように教え導くのが、教化部長先生としての務めではないのでしょうか?
これは、『生長の家としてふさわしい』でしょうか?
②先生は、教化部の規則を変えて、団参の日当をもらうようにされましたね。
今回の団参でも、当然、おもらいになられたのでしょうね?
これは、『生長の家としてふさわしい』でしょうか?
③先生は、教区内の巡幸でも、日当をもらうように、規則を変えられましたね。
回れば回るほど、給料とは別に、日当が入る仕組みに変えられました。
これは、給料の二重盗りにあたらないのでしょうか?
これは、『生長の家としてふさわしい』でしょうか?
④先生は、家族旅行をしたいがために、職員の研修旅行について、急にみんな家族を連れて行っていいというように変えましたね。
家族の費用を自分が払うのなら誰も文句はいいません。
この家族の交通費等を、教区に払わせたのは、如何に何でも、やり過ぎですよ。
これは、『生長の家としてふさわしい』でしょうか?
⑤団参に、息子を参加させるために、青少年の参加については資金援助するということを勝手に決められましたね。
貰うものはかっちりもらう。しかし、自腹を切るのは極力避ける。
余りにも、セコ過ぎますよ。
これは、『生長の家としてふさわしい』でしょうか?
最後に、尊敬すべき教化部長先生に対して、尊敬できないでいる信徒が多数、いることをどうぞお忘れなく。
教化部長先生、本当に自ら襟を正してもらわないと、先生が谷口雅宣先生を持ち上げれば持ち上げるほど、却って谷口雅宣先生の御名を貶めることになりはしないでしょうか?
上が上なら下も下、上が教団を私物化するから、それを見て、下の教化部長も教区を私物化するんだと。
信徒の真心で支えられてきた教団が、こんな風にして、壊れていくのかと思うと泣くに泣けない気持ちでいっぱいです。
「日時計主義」ということで、見て見ぬふりをしてきましたが、それは決して生長の家のためにはならない、そんな思いで投稿させていただきました。再拝