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(992) 総裁がなぜ自信をもっているのか 投稿者:gassyou

 総裁がなぜあそこまで自信をもっているのかといいますと、「リベラル」という思想体系が「世界的」だと思っているからです。
 あれすべて総裁の個人的意見ではなくて「リベラル」からの受け売りです。

 だから学ぶ会も内部の人も総裁個人を批判すれば生長の家が変わると思ってらっしゃるようですが、「リベラル」というものが存在する限り、総裁が改心するはずはないのです。

 そこで総裁に反対する信者がすべきことは、「リベラル」というものに「生長の家」の思想を照らし合わせてどこがおかしいか、さぐることです。

 いかに総裁がただただ「リベラル」に依存しているかがわかります。

 参考までに「リベラルについて」かかれている一般人の文章がありますので掲載しておきます。
 


2012年06月20日 (水) 10時31分


(993) リベラルとは 投稿者:gassyou


※これは「gassyou」の文章ではなく引用です。


「リベラル」とは
某ソーシャルネットワーク上で、あるキリスト教徒である会員のプロフィールの「嫌いなもの」という欄に「リベラルな考え」と書かれているのを見ました。「リベラルな考え」とは一体どういう意味なのでしょうか。

キリスト教における「リベラル」は「自由主義神学」を意味するようです。元々は、カトリック教会に対して、より柔軟で自由な考えを持つことが可能なプロテスタント教会を表現する言葉であったのだろうと思うのですが、実際にはカトリック教会内にもリベラルなグループがあるようですし、プロテスタントでも原理主義的でリベラルとは表現しにくいグループもあるようです。

「リベラル」の対極を「原理主義」とすることは最適ではないかもしれないのですが、仮にそうしてみることにして考えますに、どのような組織であっても、必ずこの両者に分類できるグループが組成されるようです。世の中リベラルのある所に原理主義が無い所無く、逆もまた然りです。そして互いに「リベラル」「原理主義」となじり合って相手にダメージを負わせて楽しんでいるようですが、互いに、その肩書きは己の自負するところであるわけですから何一つダメージは負わないわけです。

そして、キリスト教世界における「リベラル」と「原理主義」両者に共通の特性としては、いかに上手に神を定義できるか、ということを競い合うことでしょう。リベラルは、この世は進化によって実現されたと主張し、原理主義者は神が手ずから土を捏ねて作ったのだと主張します。そうして、そのどうでもいいような馬鹿げた話を延々と展開して楽しんでいるのです。彼らはそのようにして神の性能と業績を「自分たちが理解できる範囲内」で定義しようとしているわけです。リベラルにはリベラルが定義した神が存在し、原理主義には原理主義が定義した別の神が存在します。神なんていうものはこうして人が定義するものなのです。自分たちが気に入る神を自分たちが好きなように定義して他人を傷つける道具にする、それが宗教なのです。

ところで、イエス様はどうだったのでしょうか、聖書を見てみましょう。

マタイ伝 12:1-8 (日本聖書協会 新共同訳聖書より)

そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自身も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。

この律法主義者を「原理主義」だと見るのであれば、イエス様の主張は「リベラル」な発想によるものであると評価できるのではないでしょうか。イエス様は「神殿よりも偉大なものがここにある」と言って宗教には何の価値もないのだと説明しました。また「人の子は安息日の主なのである」と言って、安息日は神ではなくて人のために定められたのだと説明しているのです。

というと、原理主義者よりもリベラルに分があるかのように聞こえるかもしれませんが、現代のリベラルは、ただ大勢に反逆したいだけだと思います。人が黒といえば白と、白といわれれば黒だと言って意味の無い自己主張をしているに過ぎません。

キリスト教のリベラルは「サル」、原理主義者は「イヌ」程度のたとえで十分です。


2012年06月20日 (水) 10時33分


(994) ようするに 投稿者:gassyou

 上の文章をお読みになればお気づきかもしれませんが、ようするに「生長の家」ではその思想上「原理主義」も「リベラル」も存在しようがないのに、総裁が自己主張の為に無理やり「リベラル」を持ち込もうとするので、わけのわからない状態になっていることに、総裁本人も総裁支持者も反対者もそのほとんどが気が付いていないのです。


2012年06月20日 (水) 10時43分


(995) リベラル(参考) 投稿者:gassyou

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1245.html

■6.本来の意味の「自由主義者」と「リベラル」(=偽装した社会主義者)を区別しよう
日本でも、“護憲リベラル”の社民党や、菅直人首相・仙石官房長官を初めとする民主党の大部分の議員や、加藤紘一ら自民党内の左翼など、本来の自由主義から程遠い“社会主義者“が、ずうずうしくも「リベラル(本来の意味は“自由主義”)」と名乗っています。

◇F.A.ハイエク(オーストリア出身・イギリスに帰化したノーベル賞受賞経済学者・政治思想家)『致命的な思い上がり』(1988年)



例えば「リベラリズム」という言葉を流用することにおいて、アメリカの社会主義者は意図的な詐欺を行ったのである。・・・同じことは欧州の中道政党にもますます当てはまりつつある。・・・すでに1911年には、L.T.ホブハウスは『リベラリズム』というタイトルで正しくは『社会主義』と呼ばれたであろう書物を出版していたし、ほどなく『社会主義の諸要素』と題する著書も出されている。この特別な変化は重要であるが、おそらく今では修復不可能である。





いわゆる「リベラル」が左翼だと気が付かない、現生長の家。


2012年06月20日 (水) 12時00分


(996) リベラルですばらしい!? 投稿者:gassyou

上記のような事実を知らないで、信徒の中には「リベラルですばらい」と総裁をほめる人もいる。


2012年06月20日 (水) 12時03分


(998) カッコつけ 投稿者:gassyou

カッコつけの心理を考えてみたら面白いかもしれません。


2012年06月20日 (水) 14時02分




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