「本流掲示板」より、感銘を受けた一文です。
ご紹介いたします。
「宗教修行とは !」
日時:2011年12月30日 (金) 06時32分
名前:shinzan
自分自身も固く日々思い詰めていますが、結局宗教実践に対する人としての構えをどうやって育むのか、この自覚を徹底的に意識し、日常生活をこなしていく。
この事を鑑みないで唯文言を吐き散らすなどもっての外の事ではないでしょうか。
約九百年前仏法房道元禅師は当時の日本天台宗の実践に飽き足らず、万里の波濤を抜け中国に渡り、やっと正師に出会え、仏法とは単に我々の顔の眼横鼻直の有り様を心より納得出来る事が、肝要なのだと正法限蔵随門記で弟子に語られています。
谷口雅治先生存命中、命掛けの生命の実相への参究実践をこなされ、不退転の御自身の真理の宣布弘流への構えが創られていからたこそ、今もって燦然と輝くお言葉に満ち満ちているのではないでしょうか。
抜けぬけと親の財産を引き継ぎ、さもしたり顔で自分の言葉だと称して、西洋渡来の電脳機のキイを7, 8時間もたたき続け出した言葉を小閑雑感だとか唐松模様等のタイトルで所属の信者に読ませる為に、インターネット上で配信している、そんな活動が、自分の宗教活動と錯覚し行っている、迫力の或る言葉が出るはずも在りません。
義兄に当たる宮澤講師が北米地域の担当だった時、英語による講話で並み居る米人が涙を流し聞き入られたと伺っています。
宗教家としての構えが創られていて、真理の説明がなされたからこそと小生は鑑みます。
僭越ながら宗教家にも成れていない人には、
早く退場願いたいですね。