★生長の家の主斎神と副斎神★
生長の家の主斎神と副斎神について『神の真義とその理解』をもとに確認してみました。
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(谷口雅春著『神の真義とその理解』第二篇
生長の家本尊の意義 102頁~104頁より引用)
【生長の家の主斎神】
さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して、「【ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神(アマテラススメラオオカミ)、現人神トシテ天皇】ヲ礼拝ス」と書いてあります(※1)が、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽(おく)にましますところの大実在として、日本の称名を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。
『古事記』に、「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」とこう書かれてあるところの宇宙の大神であらせられます。天之御中主神は斯くの如く、幽(おく)の幽(おく)の大実在であられますが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございませんが、幽之幽なる天之御中主神よりも一段ハッキリと、『日本書紀』に録されたる通りの「光華明彩六合に照徹(てりとお)れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、更にその天照大御神様が御肉体を以って現人神として現われていらせられる神様として天皇を礼拝する――これが生長の家誌友が心に主斎する神様でございまして、御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎すると申すのであります。即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神として拝し奉るのであります。歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります。
さて此の宇宙大生命(みおやのかみ)は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容していらっしゃいますから、あれは嫌い、これは嫌いと云う様に、、心が偏狭であらせられることはないのであります。そして又祖先を尊ぶのが日本の国風でありますから、各自祖先伝来の宗教を信じておって好いのであります。此処にも生長の家は一宗一派の宗教ではないと云うことがハッキリしているのであります。(以下、省略)
【生長の家の副斎神】
次に宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様として心に幽斎する副斎神として生長の家を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方(どなた)であるか、生長の家大神と言う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、『日本書紀』に現われたる住吉大神(すみのえのおおかみ))と申しました(※1)。これは阪神間の本住吉神社にお祭りしてあるところの神様でありまして、『古事記』に天照大御神様がお生まれになるのに先立って、此の大宇宙浄めの神として、水と塩とを以て浄めるところの海の神様として現われられたところの上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神、底筒之男神と云われる三柱の神様で住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります。
(以上、引用終)
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※1引用した文章は、昭和十五年四月九日午後二時より名古屋公会堂に於ける講演の速記。当時、議会を通過した宗教団体法にしたがって生長の家が宗教であると認められ文部省の管轄に入ることになった。上記引用文章の中で雅春先生が、「…と書いてあります」「…と申しました」とおっしゃっているのは、文部省に提出した「宗教結社」としての届書にこのように書いて提出しました、という意味。
【上記御文章のまとめ】
・生長の家の主斎神=宇宙大生命
=広大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容する神
・その幽之幽なる神
=天之御中主神
=現象の幽(おく)の幽(おく)にましますところの大実在
・幽なる神=天照大御神
・現人神=天皇
・生長の家の副斎神
=住吉大神(正式呼称=すみのえの大神、俗称すみよしの大神)
=宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様
という事になります。
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