「生長の家愛国源流」ブログより引用
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生長の家愛国源流は、
≪谷口雅春先生大復活運動≫を展開しています。
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「体験談は科学である。 体験記録の集積は科学である。
人生という実験室で、 人間というものに「生命の實相の真理」を
加えたらどうなるかということの立証である。
【谷口雅春先生】
」
「生命の實相」(頭注版36巻8項~9項)
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(1)『宗教体験の記録は科学である』
― 福岡教育会館に於ける
講習生の体験録に題す ―
谷口雅春
宗教が科学に近づく道はただ
体験記録の蒐集であります。
宗教は宗教書を理論的に説明することであると思っている人があったり、時には宗教は単なる特殊の感情の昂奮だと思っている人があったりしますが、体験記録の伴わない論は只の仮定に過ぎませんし、体験記録の伴わない宗教的感情の昂奮は自分だけの信仰過ぎません。
科学とは何であるか。この問題に就ては既に色々の人が色々云っていますが、ただ事の記録だけが精確な科学であって、それに理論を与えるが如きは純粋な科学ではない、粋な科学はただ体験された事実の記録のみであると云う人さえあります。
斯かる立場から云いますならば体験された事実に或る説明を与えて、A、B、C、D々の実験の場合に於いてPなる結果を来たしたが故に、E、F、G、Hの実験の場合にまた同じくPなる結果を生ずるに違いないと云うような普遍妥当性(どこにも正しいと用する)を要求することは間違いであると云わねばなりません。
近来、科学が精密になるにつれまして、各実験室で同じ条件を与えて行った実験にも同じ結果が得られないことが判ってまいりました。某博士の水銀還金術の如きが成功しとも失敗したとも伝えられるのは、電子の如き微細なるものを実験する場合は、不可測微細な条件の変化によって結果に変動が起るからでありましょう。
従来の科学は大ざっぱでありましたから、Aなる原因には必ずBなる結果を伴うからこれを凡ゆる場合に応用すれば便利だと在来は思われ、科学は共通法則の発見上大変便なもののように思われていたのですが、科学が精密になるに従い、Aなる原因にはBを果することもあればCを結果することもあって、Bを結果するか、Cを結果するかは唯『然』が支配しているのだと云う『偶然論』と云うものが近来叫ばれるようになったのでります。
たとえばラヂウムが衰頽して鉛の元素に変化することもあるし、ヘリウム元素分解して了うこともあるので、どちらになるかは唯『偶然』の支配するところだと云う如きはそれであります。
在来、科学はあまり僭越であり過ぎたのであります。科学は自分の実験の結果のみをこの場合は斯うであったと主張するだけであったらならば穏当であったのですが、在来分だけの実験の結果を考えて、他の人の体験の結果を『斯うである筈がない』と否定的言い切り過ぎた嫌いがあります。
『薬を使わなければ病気は治る筈がない』と云う主張の如きはそれであります。科学斯う云う薬を使ったら治ったと云う体験録を発表することは出来ますが、そのほかの場はあり得ないと断定する何らの権威もないのであります。
これを新興物理学の実験に於ましてもラヂウムが鉛になるかヘリウムに変化するかは偶然の神秘に支配されているに、自分だけの実験の結果を主張するあまり、ラヂウムは鉛になるほかはあり得ない、以外のものになった実験はインチキだと主張するのが間違いだと同じであります。
科学が宗教に対して鉾を向ける場合には大抵そう云う独断を振廻したものであります。
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愛国明窓浄机
体験談を軽んじる現「原宿教団」は、神様から戴いた
「神癒」や「証(あかし)」に 唾(つば)する者です。
私たちは、各教区から「講習会体験談」として発表された
貴重な「体験談」を『本人の許可を頂いたもの』
に関して、すべて網羅した「刊行物」を
谷口雅春先生の「お考えを踏襲して」
発刊し続ける事を提唱するものであります。
谷口雅春先生は、寄せられたお礼状、体験談には
ナンバーを付して「神様から戴いた大切な記録」
として大切に保管されました。
谷口清超先生は、御著書に
その体験談を掲載されました。
いま、「貴重な体験談」は偶然や思い込みの産物の
ごとく、軽んじられている有様です。
(谷口清超先生が御逝去されてからの体験談は
ほぼすべてが封印されている事は御存じの通りです。)
今回、4日間の特集で「谷口雅春先生」が
どれほどに、体験談を重要視されていたか
古参の方に限らず、コピーなどして、
何百人も、新しい信徒さんにもお伝えください。
パソコンを使える人は
使えない方10人にお伝えください。
10人は、30人にコピーをお配り下さい。
現教団の「批判」「中傷」でなく、
谷口雅春先生の
「願い(御悲願)」を
お伝えしてゆきます。
光を照らせば
「闇(本来無いもの)は消える 」
のであります。 (さわ)
生長の家愛国源流
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