生長の家が○○学会化している。
罰が当たる。体が8つに割れて死ぬ。
拝む信仰から、脅す信仰に。
いやはや、ずいぶん荒んできたものです。
唯物論者の書いたお経を読んで
皆さん、少し、変異してきているのかも・・しれませぬ。
「本流宣言」より。
「死ぬ」ことはそんなに責められることなのですか…?
それが生長の家の教えなのですか…?
泉教化部長先生、心ある信徒が泣いていますよ!
日時:2012年07月21日 (土) 18時53分
名前:「靖国見真会」参加者
ある方が、亡くなられました。
余命3ヶ月といわれたのに、それから10年、二人のお子様を立派に社会に送り出されての、それはそれは見事な最後でございました。
大往生という言葉があります。
「畳で死んだら本望」と言う方もあります。
しかし、畳で死のうが、或いは突然、刺されて急死しようが、その死に方によって「大往生」であるかどうかが決まるのではないと思うのです。
たとえ、畳で死んでも、回りがやっと死んでくれたか、と思うような死であれば、それが果たして「大往生」と言えるのでしょうか?
「大往生」とは、その死に方にあるのではないと思うのです…。
その死によって、回りが浄化される、浄められるような死であれば、どんな死に方であろうとも、「大往生」であると言えるのではないでしょうか?
かつて、ある教化部長先生が、個人指導中、突然、相手に刺されて亡くなるという事件がありました。
それは本当に辛い、痛ましい事件ではありましたが、それによって回りが本当に浄められました、まさしく殉職という名にふさわしい荘厳な死でありました。
特攻隊の英霊の死もまた同様であります。
なぜ、こういうことを書いているのか…?
泉教化部長先生が、その方の死について、「谷口雅春先生を学ぶ会に行ったから死んだんです」というようなことを言ったと伺ったからです。
我が耳を疑う思いでした。
人の死を、そんなレベルで捉えることに怒りを通り越して、本当に悲しい思いでいっぱいになりました。
「谷口雅春先生を学ぶ会」は批判ばかりする、とよく言われますが、少なくとも私は、人の死をそんなふうにだけは絶対に言ってはならないと思っています。
人はみな寿命で死ぬというのが、生長の家の教えであると思っているからです。
罰が当たって死んだ、そんな教えは絶対に生長の家の教えではない、谷口雅春先生の教えではないと思っているからです。
泉先生、なぜ、足下からどんどん会員が減っているのでしょうか…?
それが腹立たしいからと言って、「谷口雅春先生を学ぶ会」を悪者にしたいからといって、人の死を弄んでは絶対にいけないと思います。
逆を言えば、谷口雅春先生の教えとは違うことを教団が説くようになったからこそ、心ある信徒が離れていっているのではありませんか…?
泉先生が、そのようなことを言っている限り、教団に愛想を尽かす人がもっともっと出て来るでしょう…?
泉先生、谷口雅春先生の教えに戻りさえすれば、いつでも信徒は戻ってきますよ。
そこに戻ってほしいから、それに気付いてほしいから、やむなく教団を離れていかざるを得ない信徒の気持ちをどうぞ、ご理解ください。
これ以上、信徒の心を傷つけ、生長の家の教えを貶めないでください。
信徒のこの切なる願いをぜひ、お汲み取りいただきたいと心からお願いする次第です。
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今の教化部長はそうかもしれませんNEW (11459)
日時:2012年07月21日 (土) 20時04分
名前:半会員
泉先生は、昔会員になりたてのころお話を聞き、「生長の家」との縁を感じさせていただきました。
が、今はそんなことを言っていましたか!!
そうかもしれませんね。
どこの教化部長も、「マサノブ先生の自由詩」と聞いたら、内容も見ずに「はい、聖経ですよ、聖経ですよ」と言っているのでしょうね。
まともな判断力が無くなっている、放棄している状態です。
あの、素晴らしい先生が、、、、、、残念です。
>かつて、ある教化部長先生が、個人指導中、突然、相手に刺さ
>れて亡くなるという事件がありました。
>それは本当に辛い、痛ましい事件ではありましたが、それによっ>て回りが本当に浄められました、まさしく殉職という名にふさわ>しい荘厳な死でありました。
私もそう思いました。生長の家に命をささげられた人だ。生長の家全員で敬意を持って弔うべきだ、と思ったものですが、周りの人はそうではなかった。生長の家てこんなものかと思ったものです。
「靖国見真会」参加者様、ありがとうございます。