「本流宣言」より引用。
谷口雅宣先生は、石原都知事が
本当に嫌いなんでしょうね…?
更に「水の災難」は流産児とは関係ないのですか…?
日時:2012年07月20日 (金) 09時16分
名前:「靖国見真会」参加者
『いのちの環』8月号に谷口雅宣先生のインタビュー記事が掲載されています。
その中に、こんなくだりがあります。
〉宗教にもいろんな考え方があって、天災についても、それを神罰であるとか、天罰であるという説き方をすることがあります。東日本大震災のときも、「あれは天罰だ!」と言って物議を醸した政治家もいましたが、それがポピュラーな考え方なのかもしれません。しかし、生長の家では「神罰を与える神」というのは信じておらず、それは「観世音菩薩の教え」であると考えます。〈
名指しこそしていないものの、この政治家とは、石原都知事であることは言うを俟ちません。
わざわざ、引き合いに出すところが、谷口雅宣先生が、如何に都知事のことを快く思っていないか、よ-く伺いしれますね。
その当たり、何だか、朝日新聞と似ているような気がします。
谷口雅宣先生には、ぜひ、都知事の尖閣買い取りについて、どういう見解をお持ちか、伺いたいですね。
それから、都知事の、占領憲法無効発言についても、ぜひ、伺いたいところであります。
〉生長の家では「神罰を与える神」というのは信じておらず、それは「観世音菩薩の教え」であると考えます。
谷口雅宣先生は、こういうとき、いつも「生長の家では」と決めつけた物言いをしますが、それは、はっきり言って、先生の見解でしょ…?
だって、谷口雅春先生の「教え」では、それのみで解き明かせるものではないからです。
参考のために、「谷口雅春先生を学ぶ会」の見解を引いておきます。
…今回の震災では、地震に伴う津波が大きな災害をもたらしました。水は悲しみの象徴であります。一波二波三波と猛烈な勢いで押し寄せる津波を見て、人工中絶流産児の霊界における悲しき涙を想起した人も多いのではないでしょうか。
「戦後ころされし胎児五千万 啾々として泣く声きこゆ」
谷口雅春先生のお歌であります。谷口雅春先生がどれほどの思いで優生保護法改正に立ち上がっていかれたか。心ある者はみな知っている筈です。しかし、その声は遂に政治の世界には届かず、生長の家教団においても今や誰一人、それに耳を傾けようとはしておりません。
なるほど、宇治別格本山には依然として流産児供養塔はありますし、流産児の霊牌供養も行われてはおります。しかし、その霊牌も今やCO2削減の名の下に「炭化」されてしまっているのが現状です。「浄火の儀」の名が示しているように、霊牌を「浄火」の火で燃やし尽くしてこそ初めて浄化されるのが御霊様なのではないでしょうか。「炭化」させては絶対にならない筈です。
先祖供養、流産児供養をとりわけ大事にしてきた生長の家教団においてすら、そういうことが堂々とまかり通る世の中になってしまいました。そういう世相に対しての、ご先祖様、流産児の悲しみの涙があの津波になって表れているのではないかと思われてならないのです。
最近、大雨洪水の被害が多いとは思われませんか…?
それを目の当たりにして、谷口雅春先生の「教え」を受けた者であれば、誰しも「人工中絶流産児の霊界における悲しき涙」を思わないではいられない筈です。
しかし、谷口雅宣先生からは、そんな観点は何一つ、語られはしないのです。
こんなもので、谷口雅宣先生に、「生長の家では」なんて言ってほしくはない、というのが私の偽らざる思いであります。
「生長の家では」と言うのであれば、まずその大前提として、教え親・谷口雅春先生はこう説かれています、ということを言うべきではないでしょうか…?
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