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2011年11月11日 (金) 08時59分
いのちが悲しんでいる
聖典普及にかける谷口雅春先生の思いを忘れてはならぬ
聖典普及にかける谷口雅春先生の思いを
新左翼:谷口雅宣氏が忘れても
≪愛国信徒の私たちは忘れてはならぬ。≫
(昭和12年11月号・月刊神誌「生長の家」より)
<<今度の国民精神総動員は平時に於ける修養の如く、閑人の一団が閑居して観念の遊戯にふけりながら、『あの人は精神修養をしている、感心なものじゃ』位の程度では何ら国家に貢献することが出来ないのでありまして、
心が肉体を作り、精神の力が物質を変化するところまで行かなければ、真に国家を救うことは出来ないのであります。
この点に於いて、在来生長の家に教えられて、精神力によって肉体を変化し、物質上の環境をも変じた体験をば少しでもお持ちの方は、今は断然、黙しているべき時ではないのであります。
日本は物質が少ないのでありますから、その得たるところの真理によって、心で物質を変化し、心で肉体を変化し、この非常時局に堅忍持久し得るように隣人を光明化すべきはまことにも吾々の双肩にかかる責務だと思われるのであります。
それに就いて私は次の如き二、三の方法を唯今考え附いたのであります。
1. 前号申し上げました聖典頒布所をまだ申し込まれぬ誌友は総立ちになって聖典頒布所となって頂きパンフレットの一冊でも余計に隣人に配って頂きたい。
2. 特に講習をお受けになった総ての誌友は生長の家の先輩なのでありますから、是非ともみずから聖典頒布所をひらき、自宅に誌友会を開いて一人でも多くの人にこの光明思想をお頒ちするように取り計らって頂きたいのです。
即ち暗黒思想攻撃軍の拠点となって頂くのであります。(聖典頒布所の申込用紙は前号本誌挿入の振り替え用紙にあります。)
3. 次に皆さんは誌友におなりになった年代は各々相違しているでしょうが、それぞれ幾冊かの旧号の『生長の家』誌をお手許にお有ちでしょう。それをお手許にお止めになっていても、もう幾回もお読みになったので、今は多分御不要になっているか、少なくとも今はお読みにならない幾冊かがおありでしょう。
その幾冊かを寝かせておいて活動せしめないことは生長の家の生き方ではありません。何によらず、百パーセントを生かすのが生長の家の生活法でありますから、その幾冊かを今直ちに、近所の人または知人に御配布下さい。
そして、現時の国家総動員には単なる修養では駄目であって、心で物質を変化する底の、廃物の病人をさえ無薬で健康人化する底の、此の生長の家の修養でなければならないと云うことをお説き下さい。
そして是非『生長の家』誌友となり、光明思想連盟に加入するようお勧め下さい。一文半銭も捨てずして、今ある古雑誌を活用してなし得る尽忠報国の道は茲にあります。
4. 更に生長の家講演会又は光明思想普及及び講演会を其地々々で出来るだけ頻回にお開き下さい。それには本部から御要求により講師を派遣も致しますが、最も費用が僅少で、最も有効にそれを行い得る方法は隣接地の地方講師を互いに交換招待して、講演会を花々しくやって頂くことです。
『預言者は故郷に入れられず』とか申しまして、今までお住まいになっている土地で、貴方が『俺が講演するから聴きに来い』と云われましても、『あゝ、あの男の喋ることなら知れている』などと思って集まってくれる人も少ないのでありましょう。
ところが神戸の講師を大阪へ、大阪の講師を奈良へ、福岡の講師を門司へと云う風に、近隣地の講師に互いに交換的に来て頂いて、ポスターなり、ビラなり、立て看板なりで宣伝し、誌友相愛会及び聖典頒布所の方々が世話役となって活動して下さいますと、講師往復の旅費なども誠に僅少で済み、多くの人々に光明思想を知らすことが出来、国民精神総動員に際して、真に価値ある精神軍として従軍して下さることになるのであります。
5. 隣地と講師を交換したとしても、講演はムツカシイなどとお考えなさいますな。現下時局に際して語るべき重要な問題は、すべて前々号の『生長の家』即ち時局特集臨時号に掲載してありますから、あれを充分お読みになって、あの通りをお話し下されば何の難しいこともないのであります。
心だに国を思う熱情があり、数冊の『生命の實相』の予備知識だにあれば何条講演などが難しいことがありましょうぞ。
現在、尼崎の徳永板硝子会社試験所の技師長をしていられる杉江重誠氏が、嘗て病を得て郷里七尾に五年間隠退していられたが、偶々(たまたま)知人より『生命の實相』を得、
読むに従って豁然(かつぜん)として開悟するや病消え、感激措く能わず、人口少なき七尾町にて一年間一人の努力にてよく百人の誌友を開拓せられた事実を見るに、その熱誠努力、誠に涙ぐましきものがある。かくの如き努力あってこそ一人の力よく一年間に百人の誌友を作り得たのであると思います。
例えば、現在七尾で生長の家支部を開いていられる丹後関太郎氏の夫人は年来多病で不治の胃下垂に悩んでいられたのであるが、或る日杉江さんは丹後夫人の宅へ一冊の『生長の家叢書』を持って行かれた。
そして『これを読んでください。この本には好い事が書いてあって、貴女の病気が治る道がある』と云われる。丹後夫人は読みもしないで『これは他から借りた本だから、汚しては申し訳がない』こう思って本箱の中に納めて置いた。
すると杉江さんは又翌日やって来て『昨日のパンフレットはお読みになりましたか』と尋ねられる。『つい身体がだるいもんですからまだ読んでいません。』と丹後夫人。『そうですか、どうぞ一頁でも読んで頂いたら好いんですから読んで下さい。』こう云って杉江さんは帰って行く。
毎日杉江さんはこう云って深切に丹後夫人を訪問する。その内にさすがの丹後夫人も『読まない』とは義理にもいえなくなって、『二、三頁は読みました』と答える。『そうですか、第二頁に斯う云うことが書いてあるでしょう。あれを何とお考えになりますか。』『えゝ』と丹後夫人は答えたが実は読んでいないので返事が頓珍漢(とんちんかん)なのである。
そこで杉江さんと話を合さぬとバツが悪いので仕方なく丹後夫人は『生長の家叢書』を読みはじめた。そして『何のために杉江さんがあんなに毎日訪ねてくれたか。自分を救うためではなかったか』と気がついて感謝する気持になったとき、忽然(こつねん)と丹後夫人の胃下垂は癒えたのであった。
このように一人の人を救うにも長き忍耐と、たゆまざる愛とが要るのです。而も、遂にその撓(たゆ)まざる愛が勝利を得て相手を救い得た時の喜びよ。僅かな時間と旧号の『生長の家』誌とを利用して人一人を救う喜びを得てください>>
(「明窓浄机」草創篇・昭和五年~十二年
P.290-294より)