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2011年10月18日 (火) 23時56分
未生
法燈継承に「 面授 」は必要なし!!
長いご教示、ありがとうございます。
このような対話によって、法燈継承がより明確になるだろうと思っております。
一求道者様の、お立場は、わかりました。
1点だけ、質問があります。
Bで、マサノブ氏が述べている、法燈継承は、清超先生の述べられた「面授」を前提にしています。
しかし、雅春先生は、
「生長の家には現象界に歪みなく影を映すやうになつてゐるから、法脈は血脈と共に一貫して伝へられることになつてゐる」
と断言されております。
つまり、雅春先生の法燈継承論には、「面授」は必要ありません。
マサノブ氏自身が「面授」されたかのように述べておりますが、実際には行われた可能性はありません。
だからと言って、マサノブ氏が、法燈を継承しなかったとはいえないということです。
なぜなら、本来、雅春先生の示された法燈継承には、そもそも「面授」など、必要ないからです。
つまり、マサノブ氏が、面授をしなかったから、法燈継承しなかったとはいえないことになります。
法燈継承が「自作自演」であろうが無かろうが、清超先生の時代に、次期総裁候補として副総裁に選ばれたのは、客観的事実です。
『教規第十条は「総裁・副総裁」に関する規定であって、「法燈継承」という文字は見当たらない。』
と一求道者様は指摘されておりますが、それは、教規に法燈継承という文字が無いから、「総裁」として認められないということを意味しない、ということでしかありません。
つまり、現在の教規では、総裁になるには法燈継承云々は、必要ないということであり、マサノブ氏の法燈継承云々について「自作自演」などと指摘して糾弾してもまったく意味がない、ということ以外のなにものでもありません。
まして、マサノブ氏の「総裁法燈継承記念式典」の有無は、まったく論外になります。
清超先生が、マサノブ氏に「面授」をしていないのは事実ですが、清超先生がマサノブ氏を副総裁に選ばれたのは、次期「総裁」を承認したということになり、マサノブ氏の「法燈継承」者としての立場を批判することは、清超先生の承認を「否定」するということです。
「総裁」に選ばれたといっても、「法燈継承」はしなかったと、一求道者様の立場から、断言することは、雅春先生の先のお言葉を否定していることになります。
もし清超先生が、マサノブ氏の「法燈継承」を認めていないのならば、なぜマサノブ氏を副総裁に選ばれたのでしょうか?
一求道者様は、清超先生によってマサノブ氏が「副総裁」に指名されたことを、どのようにお考えでしょうか?
ところで、小生の感想です。
Aに戻りますが、(1)(2)は、ご指摘のとおりです。
一求道者様は、当然、マサノブ氏に反対される立場ですから「破門」される立場であり、自ら、「生長の家」教団を潔く退かれ、現在は「生長の家」の信者ではない、生長の家教団とは無関係の立場の居られるかと思います。(たとえ過去はどうあれ)
「生長の家」教団をどのような方向に持っていくのか、それを決めるのは、教団内部の人間であり、たとえ雅春先生のお立場や思想と違っていようとも、教団外の人間が、偉そうなことを主張するのは、「分」を超えた、越権行為です。
一求道者様が、自ら
『御教え』に対して、疑問や不信を持った場合は、自らその教団から身を引き、外部で別の教団を起ち上げ独立するのが当たり前です。それが、宗教家の礼儀作法です。
と指摘される点は、まったく御尤もで、「雅春先生を学ぶ会」も宗教団体の登録を、早くされることが賢明でしょう。
別れたダンナの愚痴をいつまでも言ってみても、しょうがありません。亭主としての仕事をしなかったとか、結婚前の主張と変わっているとか。
まだ結婚しているのであれば、愚痴も立派な女房や家族の「権利」でしょうが … 、離婚してからでは、愚痴以外の何者でもありません。
生長の家から出て、独自の宗教団体を作っているところもありますので、そのようにすべきでしょう。『それが、宗教家の礼儀作法です。』
マサノブ総裁の職務執行を批判し、自分たちの考える「真理」や「方法」だけが絶対正しいと考えるのは、傲慢のそしりを受けざるを得ないことになります。
あくまでも、お互い、「一求道者」にすぎないのですから。
クーデターをして、再び、法燈を奪取しようとするのは、雅春先生の意に反することです。
どのような詭弁(自己弁解)を弄しても、やはり、クーデターは、「法燈の断絶」を意味します。
なお小生は、愛国思想や住吉大神に対する考え方は「学ぶ会」の立場に立ちますが、「法燈継承」の方法論が違っているだけですので、「学ぶ会」の活動に反対する立場にはおりませんので(破門されるかもしれませんが)、念のため、申し加えておきます。