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2011年10月15日 (土) 09時51分<
志氣
過去記事~貴康先生の御講話に感動。
(627) 貴康先生の御講話に感動。 投稿者:日本の妻
「靖国見真会」に参加して
貴康先生の御講話に感動したという
本流宣言のコメントに感動しました。
名前:「靖国見真会」参加者
素晴らしい「見真会」に参加してまいりました。
参加して、これだけは報告して
おかなくてはならないと思ったのが、
谷口貴康先生のお話でした。
谷口貴康先生は、「見真会」に
出講要請があったとき、当初、
ためらわれたそうです。
しかし、そのためらう気持ちに
決着をつけさせたのが、
谷口雅宣総裁の「総本山は聖地ではない」
という発言であったということでした。
その時の、谷口貴康先生のお言葉。
「そこまで間違ってはいけない」
これまでの谷口雅宣総裁のやること、
なすことに対して、谷口貴康先生なりに、
歯がみするような思いが多分に
あられたのだと思います。
しかし、所謂、堪忍袋の緒が
切れたというのでしょうか、
谷口雅宣総裁のこの発言には
心底、怒りを覚えられた。
そこまで言うのなら、こちらにも覚悟がある、
ということだったのだろうと拝察いたします。
谷口貴康先生にとって、総本山は、
研修生として、一から信仰のやり直しを
はかられた思い出の地、
いわば原点ともいうべきところです。
総本山に対する思い入れは、人一倍、
強いものがおありだったことでしょう。
そこを「聖地ではない」と言われては、
もはや黙っていることゆるされない、
そう決意されたのではなかったでしょうか。
素晴らしい講話の背景に、そんな
谷口貴康先生の気迫というか、
覚悟というか、決意というようなものを
感じ取らせていただきました。
御報告ありがとうございました。
2011年08月21日 (日) 21時25分
(629) 「雅春先生が最も期待されていた、谷口貴康先生。」 投稿者:ひめまる
≪その時の、谷口貴康先生のお言葉。
「そこまで間違ってはいけない」
これまでの谷口雅宣総裁のやること、
なすことに対して、谷口貴康先生なりに、
歯がみするような思いが多分に
あられたのだと思います。
しかし、所謂、堪忍袋の緒が
切れたというのでしょうか、
谷口雅宣総裁のこの発言には
心底、怒りを覚えられた。
そこまで言うのなら、こちらにも覚悟がある、
ということだったのだろうと拝察いたします。≫
信徒の本当の思いを知る人は
「唯物論の3代目総裁」でもなく、
教化部長でも、本部講師でもなく、
雅春先生が最も期待されていたといわれる、
谷口貴康先生です。ありがたいことです。
2011年08月22日 (月) 06時49分
(630) これ以上黙っていると、愛する「生長の家」がだめになる。 投稿者:いのちが喜んでいる
『谷口貴康先生にとって、総本山は、
研修生として、一から信仰のやり直しを
はかられた思い出の地、
いわば原点ともいうべきところです。
総本山に対する思い入れは、人一倍、
強いものがおありだったことでしょう。
そこを「聖地ではない」と言われては、
もはや黙っていることゆるされない、
そう決意されたのではなかったでしょうか。』
私たちも もう 我慢できません。
これ以上黙っていると、愛する「生長の家」が
だめになる。それだけは、わかるのです。私にも。。
2011年08月22日 (月) 06時52分
(631) 3代目総裁には宗教体験がない。 投稿者:元本部講師М
谷口貴康先生には、深い宗教体験があります。
しかし悲しいかな「3代目総裁には宗教体験がない。」
貴康先生は涙を流して「雅春先生」とおっしゃるけれど、
3代目総裁は、うすら笑いで「雅春先生」という・・。
そこが、お二人の ≪決定的 違い≫ です。
2011年08月22日 (月) 06時57分
(637) 3代目唯物論「今の教え」の宗教的害悪 投稿者:asuka
「愛国本流」掲示板にに
サンパウロ中野さんという
日系3世の方が、ブラジルでの
「谷口雅宣先生の≪今の教え≫発言」事件を告発して下さり、
いま、にわかにブラジル教勢の中身が注目を集めていますね。
ところで、「本流宣言」さんの掲示板に、
こんな興味深い記事がありました。
「招神歌をしてはいけない」 (4015)
日時:2011年08月21日 (日) 07時16分
名前:「靖国見真会」参加者
ブラジルから来られた4人の先生の
話が本当に素晴らしかったです。
特に、何故、生長の家を辞めたのか、
についての話は衝撃でした。
会場内にもどよめきが起こりました。
「ブラジルでは招神歌をしてはいけないのです。
神様が来ないで何で個人指導ができますか。
それでは奇蹟なんか生まれません」
パウロさんという方は、そのことの
持つ重要性を次のように指摘されました。
「その国に合うように教化していったら、
その国のレベルに落ちていってしまいます。
日本という国が持っている霊的高みに学んで
いきたいと思うから、ブラジルの生長の家は
伸びていったのです。招神歌をやってはいけない
生長の家なんて魅力なんかありません」
日系信徒ではない、ブラジル人信徒の
方のお話でしたから、余計に、心を打ちました。
これを日本に当てはめれば、
こういうことになりはしないでしょうか。
団参で「大日本神国観」を実修しないから、
団参そのものの霊的高みがなくなってしまった。
「四無量心を行ずる神想観」に
「新バージョン」なるものを付け加えるから、
その神想観そのものが持っている霊的高みが
著しく損なわれてしまった。
つまり、日本もブラジルも、
生長の家が本来持っていた霊的高みが
非常に俗化されてきている。
それが、「今の教え」の宗教的
害悪だと思うのです。
2011年08月22日 (月) 07時42分
(638) 総本山が「聖地ではない」といわれる方ですから。 投稿者:asuka
≪生長の家が本来持っていた霊的高みが
非常に俗化されてきている。
それが、「今の教え」の宗教的
害悪だと思うのです。≫
・・・・それは そうでしょう。
総本山が「聖地ではない」といわれる方ですから。
念押しもされましたね。
「これは冗談ではありません」と。
信徒の方は、すでに呆れて、機関誌も
ブログも見てないので、発言後数カ月して
噂で知って≪驚く≫なんていう人も実は、
多いかもしれません・・。
2011年08月22日 (月) 07時47分
(641) 副総裁時代が修行時代 投稿者:本音で語る
谷口貴康先生には、深い宗教体験があります。
しかし悲しいかな「3代目総裁には宗教体験がない。」
副総裁時代に講習会を10数年勤めたことが修行かもしれませんが
あの時に自論を自由にさせてしまった教団に責任があります。
当時は清超先生が健在だった(保護者がいた)からあまり気にしない人も多かったと思いますが
私は少し危険を感じてました