かくのごとき先人の思いも、英霊を貶める「総裁」にとっては、
関係ないのだろうか・・・。
「本流宣言」より。
先輩たちはどのようにして
本部会館建設の献金を完済したか④NEW (11339)
日時:2012年07月17日 (火) 10時09分
名前:龍
『生長の家四拾年史』より転載
完済献金の運動
本部会館はこうして竣工し、盛大な祝賀式は行なわれたが、その後に二つの問題が残されていた。
一つは、会館建設費の未払い金の問題で、谷口雅春先生をはじめ全信徒の努力にも拘らず、竣工式の時点で六千五百万の未払い金が残った。この金利だけで、月に五十万円というものだった。
「借金つきで神様に会館を捧げられない」という声が起こり、特別臨時完済献金の運動が起こった。
この未払い金は募金の状態から見て、半年前には予想されていた。
この頃、龍宮宝蔵会の常務理事であり、山口県の連合会長でもあった吉村 賢(まさる)氏(故人)は、二十八年秋の教修会後、六千五百万円の未払い金の事を聞き、「如何にしてこの未払を完済すべきか」を考える。
つづいて氷雨の降り出した東京駅頭で、九州一円の講習へ旅立たれる谷口雅春先生をお見送りして、氏はこのままではならない、と決意を固めたのだった。
「一般社会人であったら、還暦の祝いを終えて、ほっとするところを、先生は、この寒さにおいといもなく人類光明化のため、一身を捧げての御活躍である。
もしこのまま会館の未払金を残せば、先生は何も申されずに、一身をもって果たそうとなさるに違いない」
こう考えた吉村氏は急ぎ郷里山口へ帰り、山口県の幹部を集め、未払金六千五百万円を各自の一時献金によって完済しようではないか、と申し合わせ、三月一日までに山口県では、百五十万円の目標額を達成したのだった。
山口県に火の手の上がった完済献金の運動は、四月二日の宇治評議会に燃え移り、西日本二府十七県で二千百万円の献金、実行にとりかかった。
次いでこの運動は全国に燃え広がり、本部に特別臨時完済献金委員会が結成されて、吉村氏が委員長に推される。
この完済献金に寄せられた各県の熱意はなみなみならぬもので、九州七県の如きも千三百万を醸出して、ついに二十九年秋までにはほぼ目標を達成するのである。
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今こそ先人の思いにこたえよう。