7月16日「唐松模様」より一部引用
≪ここの「圧える」という表記が、同年10月15日発行の版では「押える」となっている。この変更はあまり大きなものとは思えないから、これ一つの訂正のために、雅春先生が旧版の印刷からわずか2カ月後に新版を出して、旧版を処分する決定をされたとは考えにくい。とすると、パンフレット『生長の家の歌』はこの当時よく売れていたので増刷が必要となり、その際、ついでに詩文を一カ所だけ変更されたと考える方が自然なような気がする。
このことから分かるのは、「聖経 甘露の法雨」の詩文は、『生長の家』誌に発表されてから既に5年がたとうとしているこの時点でも、まだ完全には確定していなかったということだ。「押える」から「圧える」への変更は微々たるもので、「改訂」と呼ぶほどではないと考えることもできるが、「甘露の法雨」の詩文は、実はこの後にも、やや大きな変更が行われるのである。
谷口 雅宣 ≫
御自分の文法ミスとより的確な表現への修正では意味が違う。「谷口雅春先生をもう、これ以上。貶(おとし)めるな。」