重みのある御文章です。
お気楽に「大丈夫」「大丈夫」でなく、しっかりと考えなければならないと思います。
「本流宣言」より。
教団は、今後、3派にわかれる…?
日時:2012年07月12日 (木) 08時38分
名前:「靖国見真会」参加者
今の生長の家教団を見ていて、敗戦後の占領下の状況がオーバーラップして仕方ありません。
占領下の日本人の姿は、そのままこれから先の信徒の姿になっていくような予感がしております。
そうです、これから先、生長の家の信徒は以下の3つにわかれると見ています。
①…占領下、その占領軍の手先となって働いた人がいたように、「時代は変わったのだ」と言って、「讃歌」の読誦を率先して行い、その“素晴らしさ”(「讃歌」読誦で先祖供養したら、蝋燭が観世音菩薩の形になった…そういうことを言っている白鳩会連合会長がいるようですから)を喧伝してまわる信徒。
②…占領下、大東亜戦争に負けたんだから、“無条件降伏”したんだからと占領政策を受け入れた人がいたように、「讃歌」を決していいとは思わないが、それが教団の意志というのであれば、それも仕方ないと諦めて、「讃歌」読誦の方針に唯々諾々と付き従っていく信徒。
③…占領下、谷口雅春先生のように、占領政策は日本弱体化政策なりとその本質を喝破して徹底してそれと戦った人がいたように、「讃歌」の読誦だけは絶対に受け入れることはできない、自らの信念に従って、その読誦を拒否、イザとなれば教団を去ることをも辞さないと覚悟を決めた信徒。
因みに、どこぞの白鳩会連合会長がこういったそうな…。
「教団を脱会して、『学ぶ会』に行くような人は“我の強い人”です。」
言ってくれるではありませんか!
それには、きっちりとお返ししておきます。
“我が強いのではありません、信念が強いのです”
こんな“ニセ聖経”が蔓延る時代、ホンモノの信仰に生きたい、それだけのことです。
こちらを非難なさるのはご自由ですが、そういう白鳩会連合会長さんは、「信念のない、ただ権力に弱いだけ」なのと違いますか…?
以上の3派を定義づけるとすれば、さしずめ、こういうことになるでしょうか…?
①…ニセモノだろうと何だろうと、上から来るものは何でも有り難いと押し頂く“ありがたや宗教”の人。
②…権力にはめっぽう弱くて、おかしいと思っても、権力には逆らわないのが一番と決めている“事なかれ、事大主義が信条”の人。
③…信仰の世界は、処世術や世渡り上手の世界とは違う、ホンモノの教えを求めてこその信仰であるという信念をもって、ニセモノに対しては敢然とその非を鳴らす“破邪顕正主義”の人。
これからは、①と②で教団は支えられていくものと思います。
問題は、③の人たちが、どれぐらい出て来るか…です。
勿論、教団は、③の人たちが出ないように、あの手この手と、様々な策を弄しても来ましょう…?
そういう圧力をはねのけて、どれだけホンモノの信仰に目覚めた③の人が声をあげてくれるか…?
今回の「讃歌」読誦は、まさしく双方にとって、剣が峰であります。
心して臨んでいきたいと決意しております。