「本流掲示板」に「3代目雅宣総裁」の特徴を鋭くとらえた興味深い記事がありましたので紹介します。
雅宣先生は「生長の家基礎知識」も知らない…?
日時:2012年06月29日 (金) 18時35分
名前:「靖国見真会」参加者
谷口雅宣先生は、よく横文字の文献とか朝日新聞ネタとかを紹介しますが、曲がりなりにも「生長の家総裁」でしょ…?
それならば、まずはそういうものばかりを渉猟しないで、「生長の家基礎知識」ぐらいはきちんと修めていなければいけないと思うのですが…?
それというのも、これは余りにも酷すぎるからです。
〉2012年6月26日 (火)
「聖経について(4)」を修正
6月16日付で本欄に書いた「聖経について (4)」では、京都で発行された初めての折本型『聖経』の製作に、谷口雅春先生が関与されていたかどうかを推測する記事を書きました。
私の結論は、周辺の状況から考えて、「先生御自身の考えやアイディアがこの『聖経』の編集や体裁に反映されている」というものでした。が、この記事を書いた後で、京都教化部から発行された文書の中に、これを裏づける“決定的”とも言える証拠があることが分かったので、文章のほとんどを書き直しました。〈
「聖経」がどのようにして誕生したか、なんて、それこそ「生長の家基礎知識」の類のことですよ。
谷口雅宣先生が、こう書いているのを目の当たりにしたときには、それこそ、目が点になりました。
〉「甘露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言える。
谷口雅宣先生は、生長の家の歴史を少しも学んでいない、勉強していないということが、この一文ではっきりと分かりました。
それも仕方ないですよね。
生長の家の『三十年史』『四十年史』『五十年史』、そして『明窓浄机』のすべてを絶版にして、歴史なき教団にしているのですから…。
それにしても、酷すぎますよ。
「甘露の法雨」と言えば、小木虎次郎。
これは、生長の家の信徒の世界では当たり前のように流布されてきた話ですよ。
急に、何でまた、思い立ったように「聖経について」書き始めたのでしょうね…?
「讃歌」を「経本」にするための、何かしらの思惑があってのことだろうとは思いますが…?
ともあれ、谷口雅宣先生が、「生長の家基礎知識」も満足に知ってはいないということだけははっきりとしたという次第です。
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「30年史」「40年史」「50年史」どころか、『神武天皇が高天原から宮崎あたりに降臨された・・』と、本部で2年続けて講話された方ですから。
幹部も「裸の王様」よろしく「笑うと」首をちょん切られるので、大真面目に「素晴らしい」などと言って、御茶を濁しているのです。
あまり3代目を責めたり問い詰めたりしたらいけません。
後世に汚点を残さぬように、今後、文章はゴーストライター「代筆」で、お願いします。