「本流宣言」より、素晴らしい文章です。
雅宣総裁の「生長の家に対する理解度が」よくわかる文章です。
「生長の家」をしらない生長の家の「総裁」・・
日時:2012年06月14日 (木) 13時48分
名前:蒼穹
唐松模様 6月12日の投稿文の中で
>>教団の中での先生の位置や信徒の尊崇の念を考慮に入れれば、先生の著作物であり、かつ教団の運動中で重要な役割を果たしつつあった「甘露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言える。<<
この認識は現在の雅宣氏独裁の感覚で考えているのです。当時は谷口雅春先生の霊的ご指導が全国に充満し、各地で生命の実相で感銘された方々が立ち上がりそれぞれの場でそれぞれのアイデアを生かし活動されていました。地方道場も個人の寄付で出来上がってゆきました。そして自主的な布教活動を展開していたのです。
しかし谷口雅春先生の教えは曲げられず生命の実相の普及によって一人でも多くの方が幸せになって頂きたい思いで燃えていたのです。
ですから甘露の法雨を折れ本の経典タイプに京都で自主的に発行されても不思議ではありません。
谷口雅春先生も良い物が出来た事には喜んで採用されると言う大きな心持ちの先生でした。
じぶんより立派な事をする者を左遷する現在の総裁とは大きく違いました。
他の例でも「菩薩は何をなすべきか」の書籍も当時徳久先生仙頭先生他数人で作成されました、それを谷口雅春先生にお見せするとこれは素晴らしいので私の名で発行した方が皆さんによく伝わるでしょうと言われ谷口雅春先生の著として発行されたのです。
宇治の楠本加美野先生の人類無罪宣言も楠本先生が生命の実相の中から人間神の子罪なしの真理を書かれているところばかりを書かれて纏め上げられ、雅春先生にお見せしたところ、これは素晴らしいとお褒め頂楠本先生の著書として発刊する事を雅春先生が薦められたのです。
話は戻りますが、生長の家が全国に広がって行った時代は谷口雅春先生の偉大さに感銘を受けた、キリスト教の牧師や仏教のお坊さん又神主さん達も沢山生長の家の講師となって光明化運動に加わってこられました。それでも谷口雅春先生の万教帰一の教えで纏まっていたのです。
雅宣お坊ちゃま、お孫さま、もっと生長の家の活動歴史を先達からお勉強なさってから、分かったような事をブログに書かないと恥の上塗り続きですよ・・・・ おお恥ずかしや恥ずかしや。
先達どころか大切な書籍もほとんど絶版ですから、むりですね。