愛国復活・掲示板
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O教化部長。どうしてもやめられません。
gassyouさんやめれない やめれないと思うのはつらいものだ。吸いたいときには、すって、いいんだよ。ただね、これは覚えておきなさい。タバコや酒を飲みすぎるのは「淋しさ」を誤魔化したいという心の現れである。飛田給の練成を10日受けて、「人間神の子」の喜びを実感したら良いです。ぜひ、本当にやめたいなら練成会に行きなさい。
私はとうの昔に自然にやまりました。やめられないのは指導的立場にあるO先生です。
なぜ指導的立場にいらっしゃる、しかも教化部長ともあろうお人が神想観により自然にたばこがやまらないのですか?質問するとしたらそれが質問です。
答えは簡単です本人が本当に止める気持ちが無いからです。以上。
タバコや酒を飲みすぎるのは「淋しさ」を誤魔化したいという心の現れである。飛田給の練成を10日受けて、「人間神の子」の喜びを実感したら良いです。ぜひ、本当にやめたいなら練成会に行きなさい。でも、本人が本当に止める気持ちが無いのなら、無理でしょうね。人の迷惑にならないように楽しみなさい。教化部長さんいわく「余計なお世話だほっとけ。教化部長は激務なんだ。生き抜きも必要だよ」と・・声が聞こえてきそうです。
生長の家に関わった方々の「仕事」や「タバコ」に関する思想が見えて面白いです。 『生長の家の教化部長の「仕事」は「激務」でそれが苦痛である。苦痛におもったら「たばこ」という麻酔薬で苦痛を和らげても良い』とこういうわけですね。 なるほど。。。では あなた達やこの教化部長にとって神想観ってなんなのでしょう? 激務の中、こころを和らげるのは「神想観」より「たばこ」ですか? それでは信者のみなさまにも「神想観」より「たばこ」をおすすめになったら良いのではありませんか? これは屁理屈でも何でもありません。生長の家に訪れるいわゆる普通の信者が、ふつうに抱く感想です。 現在の生長の家の状態、どうやら総裁だけに理由があるわけではなさそうです。
////////////////////////////////激務の中、こころを和らげるのは「神想観」より「たばこ」ですか?/////////////////////////////////////////// 例えひどい教化部長でも、そんなひどい人は無いでしょう。「神想観」が先で、次が「たばこ」でしょう。(笑い)あなたは よっぽど、教化部長さんの体を心配して下さっているようですが・・教化部長さんの事がお好きなのですね。それとも、教化部長の「くせに」タバコを吸うのが「赦せない」のですか。それだと、「病気なし」の教えなのに「病気」をする教化部長なんてもっと赦せないのでしょうね。
ゆるすゆるさないの問題ではないです。生長の家という場は言葉とそれに伴う行動を学びに行く場です。道場と教化部が併設されている所がほとんどです。 別に煙草を吸ってもいいですが、信仰すれば自然にやまるものがやまらない事実があるのを「自由」とらえても理想的に「良し」ととらえるのはおかしいです。勿論病気についても同じです。 雅春先生もかつての宗教に対して、『宗教は病気直しの為にあるのではないが、現実に病気も直せないような宗教はいらない。』みたいなことを仰ってました。 ようするに今の生長の家は、そこらへんも昔のいわゆる「宗教」と同じになっているというわけです。 教化部長でも「たばこやめられなくでもいいじゃん。」「病気になってもいいじゃん」 確かに現総裁がおときになるようにそれは人間の「自由」で、私もそういう意味では「許し」ます。 しかし、それならば「人類光明化運動」などととなえずに「人類自由推進運動」とでもいえばよいわけです。 教化部長が「煙草をやめられない」ことは「自由」です。ただ『神想観をすれば自然に煙草もやまるといっているのにやまらない、おそらく病気も治せんのだろうな「その程度の宗教か」』と思われても仕方ないでしょう。
>よっぽど、教化部長さんの体を心配して下さっているようですが・ というわけで教化部長の体を心配しているわけではありません。 皆さんはやはり神想観しても、たばこはやまらないのですか? 病気は治らないのですか?
>なんてもっと赦せないのでしょうね。なぜ「もっと」なのでしょう?
/////////////////////////////////////////それだと、「病気なし」の教えなのに「病気」をする教化部長なんてもっと赦せないのでしょうね.///////////////////////////////////////////////全ては「現象」という名の表現となり、消えてゆく移ろいです。生長の家は、因縁を超越できる「御教え」ですが、人それぞれの、「浄化」の形があり、「その高低や形」のみで評するなら・・畏れ多いたとえ話で恐縮ですが、離婚経験のある女性(一部例外の方もあり・・)が多く、人身事故ではあるけれど、「殺人」者を出した谷口家は、おおいに「問題」のある家系という事になるでしょうが・・・実際はそうではありません。・・・・・「起きた事(現象)」よりも、それを「神の子」としての自覚を持ちいかに受け止め、処したかが大事でしょう。 gassyouさまもお分かりと思いますが、教化部長もいろいろです。 ほとんどが素晴らしい方だと思います が、病気したり、不倫したり、左翼に迎合したりする節操のない者も中にはあるでしょう。 しかし、必ず、 それはそれ・・・ 自己処罰して、いつか必ず機が熟し、 実相を顕現するのです。 ぜひ、大好きな「教化部長さん」を祈って差し上げて下さい。
ご自分の書いた文章に回答されてますよ。
>しかし、必ず、 それはそれ・・・ 自己処罰して、いつか必ず機が熟し、 実相を顕現するのです。 教化部長クラスになると自己処罰することがわかっていながら惰性で行動しているわけですよね。 惰性に任せて行動した結果生じた自己処罰状態をいわゆる「地獄」というわけです。 生長の家は講師・職員の惰性行動を放置しすぎです。