我が教区では、一般信徒が大量退会した。残っているのは雅宣氏に任命された新人講師と、インターネットを知らない老白鳩ばかりだ。
まだ残っている古手の講師は、交友関係が白鳩のみ、相愛会は壊滅、長老がわずか残っているが、もう退会するほどの気力もないというのが実情。
誌友会は名ばかり、講師どうしで回り持ちしながら、対面を維持している状況。
残っている白鳩さんは、先祖供養の時だけしか出席しない、とどうどうと宣言している。雅宣氏や純子氏の本なぞ読みたくないのだ。
>名前:名無しさん 投稿日: 2012/05/25(金) 06:35:06 >いま解明すべきことは、我々の心の中の“良心の囁き”が、なぜ「神」や「観世音菩薩」
>の概念と結びつくかという問題だった。
あの先生の話は相変わらず???だな。申し訳ないが読む気がなくなる。
『山々のたたずまい、雲の行きかい、風の響き、水の流れーー
ことごとく観世音菩薩の慈悲の説法である。心に耳あるものは聴け、
心に目あるものは見よ。』
(谷口雅春先生 観世音菩薩を称うる祈り)
私はこの文章に出会ったとき、驚き、「そうであったのか」と思い
そして今でも読むたびに感動するのです。
マサノブ先生もそうであはありませんか?<
この天と地の違い、皆解っているのだ!