これはビックリ、
雅宣総裁がはじめて信徒の“体験談”について語った!
日時:2012年05月20日 (日) 12時11分
名前:元・相愛会連合会長
合掌、ありがとうございます。
私は、かねてから雅宣総裁が信徒の皆さんの講習会での体験談発表に冷たい眼を向け、さも退屈そうに机の上の紙に落書きのような絵を画いて(目撃者あり)いたり、発表者に向かって「それはタマタマでしょう!」と言って折角の発表者の感謝と喜びの声に冷水をかけたりしたことに対して、限りない憤りを憶えておりました。
平成24年5月17日ブロブ「唐松模様」に、雅宣総裁としては始めて“体験談発表”についての文章がのりましたので、これで、雅宣総裁の考え方がわかりました。そこで、“一枚刷りFAX原稿”を作り、本日“子記事”として、投稿いたしました。下記のものであります。しかし、“A4一枚刷り”では文字数の制限があり、日頃の思いの丈を書けませんでしたので、<追記コメント>を加え、独立スレッドとして改めて投稿させて頂きました。ご高覧の程お願い申し上げます。
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私の考えたA4・一枚刷りのFAX原稿です。NEW (9317)
日時:2012年05月20日 (日) 10時16分
名前:元・相愛会連合会長
これはビックリ、 雅宣総裁がはじめて
信徒の“体験談”について語った!
<< 私はこれまで、生長の家の講習会などで信仰に関する体験発表を数多く聞いてきたが、時々、生長の家の教えとは違うことを堂々と語る人がいた。体験発表をする人は、信仰の深浅にいろいろの段階があっていいから、発表内容をあまり厳密に審査することは却って逆効果になる。だから、そんな時も、私は大抵“聞き流す”ことにしている。しかし、教義にまっこうから反する場合は、その後の私の講話で訂正することもあった。>>(平成24年5月17日「唐松模様」)
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雅宣総裁に問う・・・
★ 「厳密に審査」とか「聞き流す」とは、
体験談発表者に失礼だ!
★ 雅宣総裁自身の『御教え』による生命的信仰体験はあるのか?
★ 雅宣総裁には、信徒の体験を共に歓ぼうとの気持は全くない。
★ 雅宣総裁は、体験談は科学的合理性に欠けている、
タマタマと考えている。だから、
“真理の証し人”とは見ない。なんと傲慢な心構え!
★ “教義にまっこう反し、その後の講話で訂正した”
という実例をブログ「唐松模様」で、発表者の
言葉そのままに録音記録で発表されたし!
平成24年5月
開祖・谷口雅春先生の
『御教え』の復活を真剣に考える信徒
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<追記コメント>
① 開祖・谷口雅春先生は信徒の体験談をことのほか重視されました。真理の御講話のときでも、御著書の文章の中でもほとんどが信徒のみなさんの体験談を載せられております。
それは何故か、と申しますと、真理を述べるだけではある意味“机上の空論”に等しい。科学の理論は必ず実験結果に裏付けられたものでなければならない、それと同じく、信仰の世界での真理も実際生活に生かして証明されて始めてその真理が間違っていないことが分かる。したがって、“真理の証し人”としての信徒の体験談を開祖・谷口雅春先生は大変重視されたのであります。
清超先生も、講習会の時の信徒達の体験談発表の時には、非常なる関心を以って聞かれており、体験者の発表が終ってからその傍まで行かれて聞き漏らしたり不明な点など(?)を聴きなおして確認をせられていました。そして、清超先生の御本は信徒の奇蹟的体験談を真理の面から見て、実に分かり易く解説されているものが多くあります。
② 信徒の体験談を重視された開祖・谷口雅春先生は、昭和12年に「實相体験集成・第一集」を出版され、翌、昭和13年には「實相体験集成・第二集」を出版されたのであります。戦後においても、昭和42年から『生長の家・体験談集』全十巻、昭和59年から『生長の家体験ドキュメント』全十巻が発行されております。体験談集の編集者は次の如く述べています。
<<生長の家総裁谷口雅春先生は『生命の實相』をはじめ数々の聖典の中で、生長の家の真理の実証たる各種、多数の体験を掲げられており、それらは恒に時代を超え、老若男女・国籍を問わず多くの人々に読み続けられ、感銘をもたらしております。副総裁谷口清超先生の御著書にも、わかり易く解説を付けられた体験が、多数紹介されております。最近では、ラジオ放送「幸福への出発」に体験者の生の声をとり入れられ、対談形式で真理の探究、指導に成果をあげておられます。>>
<<心を開き、光を受けた人々!!――ここにどんな不幸災難をも超克する『真理』があり、その『真理』によってさまざまな苦しみが癒された“証し”がある。常識ではとても解決のつかない難問題、不治の病・・・を克服し、人生に光をとりもどした体験談、発表者の感謝にみちた“ナマ”の声が読む人の心をうつ!>>
③ 一方、三代目の雅宣総裁はどうでありましょうか?彼は、全く体験談には関心を持っていません。むしろ、心の中では「そんな非・科学的なことなんか信じられない。信じて欲しいなら科学的に証明してみなさい。その体験結果は貴方の場合だけであって、すべての人が同じ結果を出せるとは限っていないよ、あくまでも偶然的なタマタマなんだぜ!」といって冷笑しているのが分かります。その証拠に、雅宣総裁自身、生長の家の『御教え』に基づく体験を持っていません。持っていれば既に発表しているはずであります。さらに、講習会場で彼が信徒の奇蹟的体験をもとに『御教え』の解説をした事を私は聞いたことがありません。また、彼自身の著書やブログのなかでも信徒の奇蹟的体験を紹介したこともないでしょう。
だから私は、雅宣総裁が<<教義にまっこうから反する場合は、その後の私の講話で訂正することもあった。>>(平成24年5月17日「唐松模様」)というのであれば、その録音記録をそのまま発表してもらって、彼が<教義にまっこう反する>と判断したのはどの部分か、そして<その後の講話で訂正>したその内容に付いて私達はシッカリと検証する必要があると思うのであります。これによって又、新たに、雅宣総裁の『御教え』への把握と理解度がどの程度のレベルのものであるのかも判明いたします。
とにかく、開祖・谷口雅春先生および二代目・清超先生が“真理の証し人”としての信徒の体験談を尊重されたのに比し、三代目の雅宣総裁がそれに挑戦する態度である事は許されないことであります。
平成24年5月20日 記 再合掌
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なぜ体験談は記録として残されないか? (9320)
日時:2012年05月20日 (日) 13時39分
名前:龍
聞く所によると、講習会などで発表された信徒の体験談は、全て谷口雅宣総裁の所で管理されていて、本の出版に携わる人達にも一切公開されていないという。
そのため、信徒の参考になる善い体験談も、一切発表されていないという。(それは教区の記録と、本人への聞き取りによるによるものが多いと聞く)
真理によって救われた人々の、証で明々と輝いている炎を隠し、私している事は、神様の目から見ても許されることではなく、神様から最も遠い人とも言えよう。
真理を疑う人が現在の総裁であることは、悲しいことである。
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「楠本加美野ウエブサイト」
終了の意味するもの!!NEW (9341)
日時:2012年05月21日 (月) 12時30分
名前:鳶の子
宇治の楠本加美野先生が立ち上げておられました 『インターネット道場』 を覚えていますでしょうか?
<体験談>を中心とした 『ウエブ道場』 でした!!
世界各地の人も見ておられたようです・・・
ところが、平成21年6月30日でもって “閉鎖” せざるを得なくなったのです。
原宿本部からの <通達> によるものです。
下記“唐松模様”の発言は、“雅宣ボスの指令”によることを <白状> したと同然です!!
雅宣ボスの <体験談嫌い> がハッキリと判ります。
楠本加美野先生の “無念さ” は如何ほどだったでしょうか・・・
<参考> (平成24年5月17日「唐松模様」)
私はこれまで、生長の家の講習会などで信仰に関する体験発表を数多く聞いてきたが、時々、生長の家の教えとは違うことを堂々と語る人がいた。体験発表をする人は、信仰の深浅にいろいろの段階があっていいから、発表内容をあまり厳密に審査することは却って逆効果になる。だから、そんな時も、私は大抵“聞き流す”ことにしている。しかし、教義にまっこうから反する場合は、その後の私の講話で訂正することもあった。
楠本加美野先生は手紙を持っての
お話が素晴らしかったNEW (9352)
日時:2012年05月21日 (月) 15時56分
名前:清流
宇治での楠本加美野先生のご指導で高校生時代に私の人生観を確立して頂きました。
楠本先生はいつも演壇で手に手紙をもって信徒の体験談の生の文面に沿ってお話をされました。
そしてその体験談を生長の家の真理で心に染みるご指導をされたのです。
その話の多くは親孝行の話で高校生は涙して感激し素晴らしい自分の親への感謝に目覚めたのです。
そして必ずこれは谷口雅春先生のお悟りによる話です。と言われてご指導下さいました。
信徒の体験談こそ真理の証なのです。救われて喜ばれる人の体験談に生長の家から離れた話などはありませんから・・・
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