>:トキ:2012/04/03(火) 17:56:28 ID:djUoxpho
谷口雅宣先生が、ご自身のブログ「唐松模様」に「大自然讃歌」と題する詩を御掲載されています。
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2012/04/1-f5d4.html
「或る日天使(てんのつかい)
虚空の水晶宮より出でて
緑の森へ降り立ち給う。」
という書き出しから拝察するに、将来、「聖経」の扱いにするご予定での執筆だと拝察します。
最近、各教区や練成道場では、甘露の法雨などの聖経が払底しており、悲鳴をあげております。
しかし、裁判でも勝ち目はなく、本部が和解するつもりも見えてきません。
そこで、総裁先生におかれましては、ご自分が詩を書いて、それを「聖経」とし、信徒に
「甘露の法雨」の代わりに唱えるようにするおつもりでしょう。しかし、さすがに信徒の反応が
気になるので、先ずはブログに発表し、信徒の反応を見るつもりだと思います。
いわば、観測気球をあげておられるのでしょう。
そこで、教区の信徒の一人として、総裁と教団上層部に申し上げます。
「絶対に、おやめなさい。」
と。これは、個人の「詩」として発表されるのは自由です。しかし、「聖経」の扱いにするのは
料理の本を練成会のテキストにするぐらい間違っています。そして、それは総裁と教団への不信
という形で噴出するでしょう。正直申し上げまして、自殺行為です。本部の一部の人間は義理で
唱えるかもしれませんが、大半の信徒は相手にしないし、逆に脱退者が続出し、組織は機能不全
の状態になるでしょう。
そうなると、総裁追放が、単なるスローガンではなく、現実の議題へと変化します。
仮に、総裁が座を守っても、総裁が亡くなると、この「聖経」は瞬時に忘れ去られるでしょう。
繰り返します。
「絶対に、絶対に、大自然讃歌は聖経にしてはいけません。」と。
賢明な総裁先生ならびに教団上層部は、この意味をご理解されていると信じております。
合掌 ありがとうございます