ある著名人のブログに、谷口雅宣先生の評がありました。
生長の家も「バラバラの家だ」とも。
驚きました。生長の家も、ずいぶん、評判も評価も落としたものです。
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谷口雅宣氏のブログを読んで
生長の家の谷口雅宣氏のブログ『小閑雑感』というのを時々読むの
だが、三月二一日ブログは、「『神とともに生きる』とは」と題し
て次のようなことが書かれていた。これは、生長の家本部で行われ
た行事での挨拶だという。
「生長の家で最も重要視されている神示は、『大調和の神示』と呼
ばれているもので、…その中に、『神に感謝しても父母に感謝し得
ない者は、神の心にかなわぬ』という箇所があります。また、『神
に感謝しても天地万物に感謝せぬものは、天地万物と和解が成立せ
ぬ』という文章もあります。この2つの文章は、生長の家の信仰す
る『神』というものは、具体的な姿形をもたないけれども、すべて
の命あるもの、命なきものの背後に存在する“結びの力”であると
いうことを示しています。つまり、神において私たちは皆、結ばれ
ているのです。この『大調和の神示』には『われかつて神の祭壇の
前に供え物を献ぐるとき、先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの
意味である』とも書いてあります。これは新約聖書の『マタイによ
る福音書』第5章23節の記述に触れた教えですが、ここにも、神だ
けを目当てにしているのでは不十分で、神の創造されたすべてのも
のと和解することが、神に通じる道であるとの教えが説かれている
のです。ですから、私たち人間は、肉体的には一人で生まれ、一人
で死んでいくように見えていても、神を見出した人は、その神を通
じて、すべてのものと調和した関係にあるとの信仰に到達すること
ができるでしょう。」
まことにその通りである。ところが、谷口雅宣氏自身が、この「天
地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和解せよ」という「神示」
を全く実践できていないのである。よくまあ、こんなご立派なこと
が書けるものだと感心する。自分が実践できないことを他人に説く
なと言いたい。
『大調和の神示』の冒頭には、
「汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立
するとき 天地一切のものは汝の味方である 天地一切のものが汝
の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 汝
が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天
地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。わ
れ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと
教えたのはこの意味である。」と示されている。
私はこれまで雅宣氏への名指し批判は出来る限り控えてきた。自分
が師と仰いだ谷口雅春先生のお孫さんにあたる方を批判するのは何
とも心苦しいと思ったからである。しかし、最近の彼の言動は、全
く祖父の教えを理解していないというか、実行できていないと思わ
れるので、あえて批判することとした。
雅宣氏の兄弟は、姉二人と弟一人の三人いる。この三人の兄弟が全
て、教団から追放されている。姉夫婦とは裁判沙汰にまでなってい
る。まことに困ったことである。宗教団体に内紛はつきものだが、
「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」という根本教
義を、その継承者が全くし実践できないのみならず、全く逆のこと
をしているのではお話にならない。雅宣氏は、『法燈の継承者』と
自称しているが、全くその資格はないと思う。
谷口家は、今や生長の家ではなく『バラバラの家』であり、「和
解」「大調和」とは全く正反対の「争い」と「大不調和」の家とな
っている。一番悲しまれているのは、祖父・祖母である谷口雅春・
輝子両先生であろう。