「本流宣言掲示板」より。
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明けましておめでとうございます。
日時:2012年01月01日 (日) 13時25分
名前:田舎の凡人
明けましておめでとう御座います。
今年は、生長の家にとりましても色々起こりそうな歳ですが、
私のような末端の信徒は殆ど影響受けません。
生長の家の大神様ー谷口雅春先生の御教えを忠実に生活に活かすだけで、今までと変わりません。此処は議論する所ですので畑違いの場所ですが、過去もない、迷いを思うだけ、未来も未だ来ていない、前後裁断、今在る様に見えても、直ぐ過去の世界、どんなに実在性を感じられても虚無の世界。想像の迷い、要するに現象なし今、今、しかないが、今さえ此処にない。、ただ現象を相手にせづ、「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、の世界。全てを捨て(全託)して、ただ、ありがとう御座います、を生きるだけ、真理を実践したら必ず周囲も光明化できます。
古い信徒の戯言かもしれませんが、谷口雅春先生の教えにいのちをかけていきます。命さえ神様のものもの、何にもないのが当たり前、世の中暗くなってきましたが、世を明るくてらしましょう。
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人間神の子NEW
日時:2012年01月02日 (月) 10時18分
名前:田舎の凡人
人間神の子の理屈は分かっているが、イザという時、なかなか
生活に活かせないのが現実です。
何故か、「信」がハッキリしていなくてどうしても相対の世界に
陥るいるからです。元、本部講師、(宇治)藤原先生の御本を
よくよく、読むと大事なポイントが沢山書いてあります。根本的なことで「信」という言葉がよく出ています。無我になっていくのには、自力じゃ何にも出来ないと、ハッキリすることです。ある意味、人間の本能、食欲、睡眠欲、等、自力で頑張ってコントロールしても、必ず負けます。その負けをしっかり自覚して自分の力じゃどうすることも出来ない、ここが今の私の信仰にとって最も大切なところですが、その手前でも現象に引っかかって、人生問題、病苦等負けてしまいます。真理を知っていても相対の世界を堂々巡りしています。そこで、自分は何にも出来ないと、諦め切って自分を投げ出す、逆に言えば心は捨てきる事によって、無我全託の境地になっており、これが「信」だと思います、人間神の子です。「信現象の出来事に取り合わない様になっています。
現象は有っても良いじゃないですか、相手にしない境地になっていますから、本当はないのですが、在る様に見えるだけ、夢も、未来の想像も同じ、亡霊みたいなもの、唯、唯在るように見えるものを相手にせず、今、今、をありがとうございます、で生きていく事が私は信仰だとおもいます。後は神様が生きて生活していますから、善いようにされるでしょうが、それを当てにしますと
また、自分が出て元の迷いの亡霊の生活、ご用心、ご用心。
(またまた、このサイトに会わない様なこと書きましたが、もし悪かったら削除してください。
ただ、宗教は勉強して頭でっかちになっても、救われませんし、人類光明化は出来ないとおもいます。
現教団を見てお分かりでしょう。)田舎の凡人 文章が下手で済みません
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「田舎の凡人」様。ぜひご一考を願ひます。
日時:2012年01月03日 (火) 00時40分
名前:生長の家の無免許運転
「田舎の凡人」様。
「生長の家の無免許運転」と申します。昨年までは別の無粋なハンドル・ネームを意図的に使ってゐましたが、年が変はり、原宿教団を取り巻く環境も変はってきたので、今年から名前を変更した者です。
上の二つの掲示文を拝見して、「余計な迷ひ」に入り込まないやうにするためのな種々のご提言に、「なるほど。」と感心いたしました。また、読者へのご愛念も感じました。どうもありがたうございました。
さりながら、ぜひお考へいただきたい事を数点感じましたので、以下ご参考までに申し上げます。まず、上の(5986)に関して、
①
>此処は議論する所ですので畑違いの場所ですが…。
というご発言がありますが、これは「田舎の凡人」様の誤解あるいは記入ミスではないでせうか。
「本掲示板は明確な目的を持って設立された掲示板である」と、トップ・ページに書いてあります。「議論する掲示板」は他の立派な掲示板のことではないでしょうか。ご一考ください。
②
>今年は、生長の家にとりましても色々起こりそうな歳ですが、私のような末端の信徒は殆ど影響受けません。
といふご発言、これは素晴らしい「確固とした信仰」を持ってをられる方の発言で、私などはただ称賛する以外ありません。
ただし、普通の「末端の信徒」は「原宿生長の家敗訴」を聞けば揺れ動き、「何が正しいのだ。何を信じたら良いのだ。」と迷うことが多いのではないかと思ひます。だから、この掲示板がそのやうな「迷へる信徒」さんのためになる内容を掲示することも必要になるのではないかと、生意気にも考へてをります。
この点は「田舎の凡人」様も同感してくださると思ふのですが、一応私奴の愚考を付け加へさせていただきました。
③
>過去もない、迷いを思うだけ、未来も未だ来ていない、前後裁断、今在る様に見えても、直ぐ過去の世界、どんなに実在性を感じられても虚無の世界。想像の迷い、要するに現象なし今、今、しかないが、今さえ此処にない。、ただ現象を相手にせづ、「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、の世界。全てを捨て(全託)して、ただ、ありがとう御座います、を生きるだけ、真理を実践したら必ず周囲も光明化できます。
といふ御文書、私のやうな者には「力強い信仰。素晴らしいお悟りだな。」と感嘆する以外ないのですが、その下の(5998)の
>人間神の子の理屈は分かっているが、イザという時、なかなか生活に活かせないのが現実です。
といふお言葉になると、その「力強い信仰・お悟り」が半分消え去ったやうに感じられます。さらに、
>現象は有っても良いじゃないですか、
といふお言葉になると、さきほどの「力強い信仰・お悟りは言葉だけだったのか?」と、つい思ってしまひます。
…このやうに私が申すと、「田舎の凡人」様は、
「『人間神の子をなかなか生活に活かせない人』や『つい現象に迷ってしまふ人』のために説明してゐるのだ。言葉の揚げ足をとらないでほしい。」と仰るかもしれません。
しかしたとへ迷ってゐる人への説明であっても、「人間神の子をなかなか生活に活かせない人」や「つい現象に迷ってしまふ人」に対しては、
「人間神の子をなかなか生活に活かせなくても、貴方は神の子なんだよ。」
「つい現象に迷ってしまっても、その現象はないのだよ。病気してゐても病気はないのだよ。」
と説明していただきたいのです。
私は谷口雅春先生や藤原敏之先生が、「現象があってもよいではないか。」といふお言葉を吐いたといふ事を聞いた事、読んだ事がありません。仮に私が知らない所で、そのやうなお言葉の吐いてをられたとしても、それはよほど相手の心が現象や迷ひに引っかかってゐて、禅宗の警策で背中を引っ叩いて目を覚まさせるような喫緊の切迫した状況の場合だけだったはずだと信じてゐます。
「現象はない。迷う心もない。迷ってゐても迷ってゐないのだ。」
この一点から絶対に後退しない信仰が雅春先生や藤原先生の信仰だったのではないか、また、そのやうな信仰でなければ、常識からは考へられないやうな奇跡的出来事は起こるはずがないのだ…と、生意気ですが信じてをります。
「田舎の凡人」様の御言葉と、私が申してゐる事と、紙一枚の違ひかもしれませんが、ぜひ、ご一考をお願ひいたします。
合掌
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「現象はない。迷う心もない。迷ってゐても迷ってゐないのだ。」
実相のみ在るという、「実相独在」(じっそうどくざい)
の有り難い教えですね。
現在の、娯楽集団と化したお笑い「原宿教団から」
谷口雅春先生の時代に還り、
熱く燃える「愛国尊皇」の集団へ。
今年は、昇龍の年。「素晴らしい年になりそうですね。」