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「谷口雅春先生を学ぶ会」ホームページより・・
谷口雅春先生の教えから見た、
この度の大震災の「宗教的理解」
千年に一度とも言われる今回の大震災によって多大な被害を受けられました方々に、心からの哀悼の念を禁じ得ません。
谷口雅春先生は、このような災害において「急激の死」を迎えられた霊魂について次のように記されています。
「急激の死と雖も予定されたるものである。それは決して偶然ではない。それは正常の進化の道程を進んでいないで、永久に此の世への輪廻を繰返さねばならないようなある人々の霊魂の進化を早めるために『摂理』によって決定されたのである。
急激の死によって起こされたるショックはその人の霊魂に強き反動を惹き起こしてすぐに進化の正道を進ませはじめる。その人の霊魂は反逆せんと試みる。『理解せんと試みることは進化することである。』
この急激の死が自己犠牲の行為(たとえば他を救助せんがための死)に原因するというごとき場合には、彼のヒロイズムまたは自己犠牲の功徳は、機械的なショックの上に追加され、その霊魂は進化の階梯をたしかに大踏歩でのぼるのである。」(『生命の實相』第9巻97頁)
震災の犠牲となられた方々、そしてその救出に当たって尊い生命を落とされた方々の霊魂が、霊界において更なる進化を遂げられますよう、心からお祈り申し上げます。
谷口雅春先生は、地球は人間と同じ生命体であり、その中のエーテル体が損傷すれば、様々な煩悩、感情をコントロールすることができず、それが噴出してしまう。
それが地球においては噴火、地震等の多発現象となってあらわれるとご指導下さっています。
唯物論が跳梁跋扈し、欲望渦巻く世界となれば、地球そのものがもたない。それを改め、クラリと霊的方面に人の心が振り向くよう、様々な危機が表れてくるのでもあると谷口雅春先生は言われます。
さればこそ、『生命の實相』第16巻には次のように記されているのです。
「三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。」(109頁)
そのことに我々、日本人一人ひとりが気づくこと、そして新たな国づくり、新生日本に向けて心を一つにして立ち上がること、それこそが何より、尊い犠牲を払われた同胞への何よりの供養になるものと思う次第です。
以上のことを前提として、何故、平成の御代になって、わずか20年余の間に、関東大震災クラスの震災が二度も生じてしまったのか、そのことに思いを致さなければなりません。
そこで、まず、指摘されなければならないのは、いずれもが村山富市、菅直人という社会党、社民連を出自とする政権下で生じたということであります。国旗・国歌を蔑ろにする姿勢はもとより、何よりも許せないのは、護国の英霊に対する冒涜にも等しい言動であります。靖国神社に参拝しないどころか、かの大東亜戦争をして「侵略戦争」と難ずる左翼政権に対して、どれほど英霊が悲しみ慟哭していられることか。そうとでも考えなければ、どうして九段会館の天井が崩れて犠牲者が出たりしますでしょうか。九段会館と言えば、昔の「軍人会館」であります。
そこで犠牲者が出たということ、このことを我々は決して看過してはならないと思います。
今回の震災では、地震に伴う津波が大きな災害をもたらしました。水は悲しみの象徴であります。一波二波三波と猛烈な勢いで押し寄せる津波を見て、人工中絶流産児の霊界における悲しき涙を想起した人も多いのではないでしょうか。
「戦後ころされし胎児五千万 啾々として泣く声きこゆ」
谷口雅春先生のお歌であります。谷口雅春先生がどれほどの思いで優生保護法改正に立ち上がっていかれたか。心ある者はみな知っている筈です。しかし、その声は遂に政治の世界には届かず、生長の家教団においても今や誰一人、それに耳を傾けようとはしておりません。
なるほど、宇治別格本山には依然として流産児供養塔はありますし、流産児の霊牌供養も行われてはおります。しかし、その霊牌も今やCO2削減の名の下に「炭化」されてしまっているのが現状です。「浄火の儀」の名が示しているように、霊牌を「浄火」の火で燃やし尽くしてこそ初めて浄化されるのが御霊様なのではないでしょうか。「炭化」させては絶対にならない筈です。
先祖供養、流産児供養をとりわけ大事にしてきた生長の家教団においてすら、そういうことが堂々とまかり通る世の中になってしまいました。そういう世相に対しての、ご先祖様、流産児の悲しみの涙があの津波になって表れているのではないかと思われてならないのです。
谷口雅春先生は『神を審判く』を著されて関東大震災に遭われました。そして、今日、生長の家現教団は著作権裁判に敗れ『生命の實相』も『聖経』も失って、今回の大震災に遭ったわけであります。これを偶然の一言で片付けていいものでしょうか。心ある信徒であれば、これを一つの重大なる警鐘と見るべきだと思うのです。
ご存知のように、谷口雅春先生は『神を審判く』が出版の当日に関東大震災によって灰燼に帰したことをもって大いに反省なされ、本当の神を求め、遂に「生長の家」を立教していかれました。その谷口雅春先生のご足跡を素直に辿る心があれば、生長の家現教団は今回の震災を契機として生まれ変わることができる筈であります。
つまり、「谷口雅春先生の御教えに還れ」との大号令を発するのです。それだけで、全てがまた蘇ります。そのことを「学ぶ会」本部は、心から生長の家現教団に訴えていくものであります。
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「原宿教団」の子供騙しのような解説には、もう、うんざりです。
この解釈を見て、納得いきました。「腑に落ちる」とは、このことでありましょう。
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