「自分も儲けながら生長の家聖典を弘めると申しますと、刊行者が儲けるだけ、聖典が読者にわたる値段が高くなるだろうと思われるかしれませんが、儲けるだけ読者にわたる値段が安くなるのであります。」(大聖師 谷口雅春先生 御文章)
「神誌」を『普及誌』と称し、大聖師の思いに反し値段をあげて「内容を薄める」など、神をも畏れぬ所業ではないでしょうか。
来年1月31日「裁判で聖典を失い」生長の家 傍流になり下がった暁には、『聖典』を貶め続けた事の報いであることを猛省し、「神誌」という呼び名を復活し、「内容を増やす」よう求めます。