皆さんはどう思われますか。
≪本流宣言≫より引用しました。
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雅宣総裁に問う!
「森のオフィス」の経営経済的問題点! (5499)
日時:2011年11月29日 (火) 00時27分
名前:稲穂
雅宣総裁に問う!
「森のオフィス」の経営経済的問題点!
合掌、ありがとうございます。
私は、パソコンの操作は出来ませんが、同居の娘がいつもパソコンで、私の愛すべき一生を賭けて信仰した「生長の家」の憂うべき状態を調べて報告してくれているのです。大変参考になりいつも娘に感謝いたしております。そして時々の感想を「本流復活」のお役に立てばと思い、娘の手を煩わして投稿をさせていただいているのでございます。
この度、娘がパソコンから得た情報を教えてくれたのですが、その中で、これは見過ごし出来ないことだと感じましたので少々書かせていただきました。因みに、今回の投稿タイトルは、娘の主人が考えてくれました。わたしの注意を引いたのは、原宿本部のホームページの「よろこび日記」に載っておりましたkouchanさんという方のご文章の中の一つのことばでした。
その言葉の書かれている前後のご文章を先ずこちらに転載させて頂きます。
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生長の家本部が森の中に行くというのは人類が自然と共生する生活のモデルを示す為に行くのです。その先鞭を付ける事によって、自然を破壊せずに生活する方法を人類に出来るだけ示して、全人類がそれを見習って行く所に人類の未来があるのです。
例えば
(1)太陽光でエネルギーを得る。足りない部分は木材チップから出るバイオガスによる自家発電で補充する。これは自然の中で十分出来るし、チップは木材から出来ますから自然と共生する生活と正にマッチします。
(2)家屋は太陽光を出来るだけ取りやすい様に木造二階建てとする。木造にするとは自然との共生にもなりますね。
(3)職員は徒歩か自転車か電気自動車で通勤する。これも排気ガスを出さないから自然との共生が出来ます。
(4)収入は信徒の浄財と聖典の売り上げです。
(5)その他、必要な食料、資材を調達するのも北杜市の八ヶ岳だからと言って、調達出来ない事は無い。
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これを読みますと、大変御立派な内容で御座いますが、その中の 「(4)収入は信徒の浄財と聖典の売り上げです。」と言う部分が私の頭にカチンと来たのでした。以下、私のカチンと来た理由を書きますが、これはkouchanさんではなく、雅宣さんに直接お尋ねいたします。
雅宣さんのお考えは、このまま人類が物的な欲望を優先させて自然を破壊し続けて行くと、やがては人類も自然と共に滅亡するしかない。その為には今までの様な便利で享楽的な生活は捨てる覚悟が要るから、その先鞭をつける為に生長の家がモデルケース作りを目指して森の中へで自然と共生する生活に入るのだ、ということですね?この理想追求のための「森のオフィス」の運営経費をを心配する人が居るがそれは「信徒の浄財と聖典の売り上げ」収入で賄うから何も心配は要らない、という事なんですね。
しかし、雅宣さん! 聞くところによりますと、「森のオフィス」は建築予算が150億円とか、木造の大きな設備の豪勢な建物が七つも八つも建つとすると、その運用費用(ランニングコストと言うらしいですね)も年間莫大な費用がかかり、又、将来の建て替え費用や設備の入れ替え費用の積立金(これは減価償却費と言うのですね)も、30年で建て替えするとすると、一年当たり5億円づつ必要ですね。雅宣さん! この度の高裁判決を待たないで、原宿教団は御神殿である『生命の實相』を放棄し、『甘露の法雨』も放棄しましたね。末端信徒の私たちでも分かることですが、聖典・聖経がなくなるとなると、信徒離れが益々増えて、「聖使命会費」の奉納金は先細り、聖典の売り上げも減って行くことは分かりきっています。この分かりきったことを予想しながら何故、雅宣さんは「森のオフィス」を強行しようとしているのか、私にはわかりません。ハッキリ申しあげますと、雅宣さん、あなたは生長の家を完全に潰してしまうのが目的ではありませんか?
それから、「森のオフィス」で作り上げられた自然との共生生活のモデルが、仮に理想通りに行ったとして、それを見習って、どれほどの人が、便利で享楽的な生活を捨て、都会から森の中での生活を選ぶでしょうか? 現在の唯物的教育のもとで教育された人たちの殆んどはそのような価値観は持ってはおりません。せいぜい物質的に恵まれた富裕層の人が、別荘をもって休日を利用して森林浴をして別荘生活を楽しむぐらいです。そのような別荘生活はこれからの景気の見通しの下では、庶民にとっては高嶺の花みたいなお話です。つまり、一般的には都会での仕事によってシッカリした経済的所得を確保している層の人達でなければ、余裕ある自然との共生生活は出来ないし、また、経済的基盤を持たないで、物的な欲望を抑えて自然の中の暮らしに入る人は相当な自給自足生活の苦労を覚悟しなければなりません。だから、唯物的教育社会の中で、物的欲望を捨て精神的満足度を優先させる人たちは極く限られた数であると云う事で、幾らモデルケースを作ったとしても社会全体への影響度はごく限られたものです。そんなことのために生長の家が全力を注ぐ事自体が間違っているのではないでしょうか?
私が最も強く申しあげたいのは、雅宣さんの「森のオフィス」の経営の費用を全面的に信徒の浄財に頼っていることなんです。ここが最大の問題点だと思うのです。仮に将来においてたくさんの信徒さんが、森の中の生活に入ったとするならば、現在と同じ「聖使命会費」などの奉納金が払えるかという問題です。払えるのはそれまでの貯金がある人たちで、そんな人も先細りでいつまでも余裕を持って浄財を出すことは出来ません。雅宣さんのお考えは、「森のオフィス」の経営は、物的環境の中で稼いでいる信徒の皆さんの所得からの浄財をあてにしているわけで、そんな経営の仕方は健全な経営のやりかたでは在りません。言葉は悪いのですが「人の褌で相撲をとる」のと同じで、雅宣さんはじめ、教団の一部エリートみたいな人たちが、信徒の浄財を当てにしてお金持ちのぼんぼんのように、生活資金は幾らでも入ってくると思って、収入のことは心配せずにお金持ちの余暇とか趣味とか楽しみのために自然との共生と言う恰好の良い名前をつけて都会貴族の田舎暮らしをしているのと同じではないのですか?生活一杯の年金の中から、パート・アルバイトをしていただいたお金のなかから、雅宣さんはじめ教団エリートの生活を支えているのですよ!といいたいのです。
これでは、国民の納めた税金と言う収入からいくらでも要るだけ入ってくるという前提で、自ら働いて得る事業資金の収入を考えないで、新しい政府事業を考えている役人の人達と同じじゃありませんか?自然と共生しながら、自ら働いて生活費を稼ぐというモデルをつくり上げなければならないと一般大衆への説得力はないのではありませんか?自分たちの生活資金は信徒の浄財に頼って、雅宣さんと幾人かの人達だけが自然の中でお金持ちのボンボンと同じ趣味の生活を生きるなんて、そんなことのために私たち信徒の浄財は使われたくありません。このモデル作りは収入の事など考えなくてよいのだなんていっているお目出度い人たちの神経を私は理解できません。
一番重要な点なので繰り返しますが、信徒の浄財収入を当てにしないで自然とともに万人が生活できるモデルを作らないと社会全体への説得力はありません。雅宣さんの発想は税金収入での赤字補填を当てにしていろいろな新規事業を考え出す完全な官僚的発想です。 絵に描いた餅です。やはり、信徒の浄財は、開祖・谷口雅春先生の唯神實相哲学を身につけた日本国家のためになる有為な若き人財を養成する「生長の家学園」を造るとか、社会事業団のような救済施設を充実してそこで「生命の實相」の教えを身につけさせるとかいった社会全般に役立つ、日本の国のためになることに使われるべきで、一部の恵まれた人の個人的興味のために使われるべきではありません。
これからも次々と出てくる祖国日本の国難を乗り越えて行くには、日本国民の生活価値観を唯物的価値観から脱却せしめて、質実剛健を旨とする「日本精神の復活」具体的にいえば、「教育勅語」の精神で子供たちを育て上げていく学校教育改革・家庭教育改革が最優先されねばなりません。国家百年の計を重視した生長の家の具体的主要運動はこの教育改革方面と社会不安・将来不安の下で悩める人々の病悩苦からの救済のための真理宣布に全力を投入すべきではないのですか?
雅宣さん!あなたはこの考えが理解できないのであれば、生長の家から去って、独力で「森のオフィス」で自然と共生したモデル生活をつくり上げて下さい。他人のお金に頼らずに独力でですよ!今、丁度同じ様な事件が新聞テレビを賑わわしています。同じ、第三代目の御曹司が片や、カジノ賭博にマヒしてしまいました。片や「森のオフィス」に自分の稼いだお金ではなく、先代、先々代の蓄積を使い放題、何の感謝もなく使っている人が居ますね。雅宣さん!信徒の大部分はこのように考えているのですよ!よろしくお願いしますよ!! お婆さん信徒より、 合掌
平成23年11月29日 拝
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問題点part2NEW (5510)
日時:2011年11月30日 (水) 13時41分
名前:疑問者
>(4)収入は信徒の浄財と聖典の売り上げです。
信徒の浄財といっても、その信徒は激減状態ですし、
聖典の売り上げとは言え、主な聖典は社会事業団のものだし。
光明思想社から仕入れて、マージンを稼ぐのでしょうか、
それとも、「唐松模様」どころか、「恵味な日々」まで聖典に格上げして出版し、信徒に売り付けをするのでしょうか。