衝撃事実です。雅春先生は「雅宣先生」のコトを
嘆かれていたのです!!
そのような 尊師の 御心を知らずして、
「生長の家」を語る事はできません・・。
このような事実。 歴史的背景を知らずして 今の生長の家。
路線。「谷口雅宣先生」を語る事など、なおさらできません。
「本流掲示板」より引用致します。
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核心的事実
日時:2011年11月27日 (日) 14時09分
名前:蒼穹
生学連活動を通じ生長の家の活動を続けられた方の今貴重な文章をブログで発表されていましたので皆様に紹介致します。
生長の家の古くからの信徒で、母上が生長の家婦人部(白鳩)會の幹部であり、谷口家と深い関はりがあったと言はれる方の話を聞く機會があった。その方は大要次のやうに述べられた。
「私がお山(渋谷区神宮前の谷口雅春先生の自宅)を訪ねた時、谷口先生が顔を赤くして出て来られた。谷口先生が顔を赤くされるのは、お酒を飲まれた時か、怒ってをられる時なので、めったにお酒を飲まれない谷口先生が昼間からお酒を飲まれることはあり得ないから、何か怒ってをられるに違ひないと思った私は、早々にお暇しやうとしたら、谷口先生は『話したいことがあるから上げりなさい』といはれ、応接間に通された。谷口先生は、『私は雅宣に皇學館大學に行かせたいと思ってゐるのだが、清超は青山學院大學に進學させたいと言って反対する。君はどう思うか。』と言はれた。」
この方は、この話を涙をこぼされながら、私に語った。これが事實とすれば、谷口雅春先生は、雅宣氏を皇學館大學に進學させて、神道と國史を學んでもらいたかったのである。雅宣氏が雅春先生のご意志通りに、皇學館大學に進學してゐたら、雅宣氏そして生長の家のその後のあり方も違ったものになってゐたであらう。
それは谷口雅宣氏自身が、昨年十二月十七日に行はれた『故 生長の家総裁谷口清超先生追善供養祭』における「偲ぶ言葉」で「父である清超先生から『三代目にならなくてはいけない』と言われたことは一度もないのであります。學校も自由の精神を尊重する青山學院へ入れてもらい、そこの大學を出てから㈱日本教文社へ入りましたが、3年足らずでやめてしまい、アメリカへ留學しました。これは勿論、父が賛成してくれたからです。コロンビア大學という、これまた自由を尊重するリベラルな私立の大學の大學院へ入りましたから、學費も生活費も多くかかりました。それを父が快く出してくれたことで、私は日本國内では得られないであろう数々の貴重な経験をすることができました。そして、そのことが、今日の生長の家の運動を進める上で大いに役立っている--というより、もっと正確に言えば、それらの経験がなければ、今日の生長の家は『國際平和信仰運動』とは別の方向に進んでいたに違いないのであります。」と述べてゐることによって明らかである。
「自由」はもちろん大切である。しかし、雅宣氏が、自分の人生体験や雅宣氏が感じている時代感覚から、生長の家の「愛國運動」「天皇信仰」を否定とはいはないまでも、表面に出さなくなってゐることは、まことに残念である、谷口雅春先生の意志を蔑ろにするものだと思ふ。
法燈の継承者にはそれなりの「自由」の制限があると思ふ。といふよりも、生長の家の幹部や信徒が愛國運動を行ふのもまた自由なのであり、創始者の意志を継承することなのである。そのことを雅宣氏にはよくよく理解したもらひたい。
谷口雅春先生はその愛國精神・日本國體への限りない愛によって、混迷する祖國日本そして全世界現代を救ほうとされたのである。日本國體精神・日本傳統信仰を広く世界に恢弘することが真の「世界平和」を持ち来たすことである。
以上
谷口雅春先生の顔を赤くさせた出来事を思うと雅春先生に対して本当に申し訳なく胸を締め付けられる思いです。
雅春先生に正しい人生観を教えて頂いた吾々はは団結して本当に現総裁の席を侵略している者を追い出さなければならないと思う、もう時間が無いのです、あらゆる手段を考えて実行致しましょう。
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どうでしょうか・皆さま。